ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

想いの届く日 

 

「立ち止まることは精神の腐敗を招く」 アストル・ピアソラ

ピアソラもガルデルと同様アルゼンチン人だ。でもピアソラは4歳の時にニューヨークへ家族と共に移り住んだ。ピアソラがタンゴの革命児と呼ばれるまでになったのは、このニューヨーク時代の体験があったからではないかとも想像する。同時に移住者の常として、やはり自分のルーツ、生まれ故郷、血というものは忘れることのできないものでもあっただろう。4歳でアメリカに渡ったアストル少年が、どれだけアルゼンチンに住んでいた頃の記憶があったのかは分からないが、両親に買ってもらったバンドネオンを弾く時など、ブエノスアイレスに想いを馳せることもあっただろうと思う。

カルロス・ガルデルとピアソラとの接点がある。おそらく、ガルデルがタンゴの歌手、作曲家としてだけではなく、銀幕のスターとなってから二人はニューヨークで出逢ったのだと思う。アストル少年は13歳。ガルデルは44歳。故郷アルゼンチンの、そして世界のスターとして君臨していたガルデルをアストル少年はどのように見つめていたのだろう?相当眩しかったのではないかな?

ガルデルの映画「想いの届く日」にアストル少年はワンシーンだけ出演した。新聞売りの役だったそうだ。出演時間僅か数秒・・・?

それでもアストル少年の心は高鳴ったのではなかろうか?大スター、ガルデルの映画に出演したのだ・・・と。

ガルデルもバンドネオンを弾く、アルゼンチン生まれの少年の才能を音楽家として見抜いたのではないだろうか?

「アストル君・・・もしよかったら、私たちの仲間になりませんか?一緒にツアーに参加しませんか?世界中を周りましょう。世界にタンゴを広めましょう・・・どうですか?一緒にやってみませんか?」

しかしながらアストル少年は幼すぎた。芸に生きる人生を選択するには早すぎた。日本流に言えば、まだ中学1年生だったのだから。

「せっかくなのですが・・・この子はまだ学校に通わなければなりませんので」と両親はガルデルの申し出を辞退した。1935年のことだ。

ガルデル一行はニューヨークを旅立った。スターと移民の少年との小さな接点だった。

自身の映画「想いの届く日」のプロモーションのため旅を続けたガルデル。アストル少年と出逢った1935年、彼の乗った飛行機はコロンビアで着陸に失敗、炎上した。そしてカルロス・ガルデルは永遠に帰らぬ人となった。ガルデルタンゴの作詞者、アルフレッド・レ・ペラと共に・・・

もしアストル少年が、彼の両親がガルデルの誘いを受けていれば、アストル少年も同様に命を落としていたのだ。

タンゴの革命児、タンゴの破壊者とまで呼ばれるようになったアストル少年。彼は後年、ガルデルの作品を録音している。ピアソラにとってもガルデルメロディーは心の隙間に入り込むものだったのかもしれない。

ピアソラの奏でるガルデルメロディー「想いの届く日」・・・・

これは永遠のメロディーのように思えてくる。

カルロス・ガルデル・・・享年44歳・・・合掌・・・

kaz



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