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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自分の内部に入ってスパークさせる 

 

セミナーに通って情報を得る、これは基本的に外部から自分に取り込むというものだ。しかしながら、指導者、生徒の姿勢によっては、レッスンというものも外部から取り込むことに始終しがちだ。取り込みっぱなしではいけないと思う。そのためには、「外部からの取り込み」という作業と同時に、自分の内側に問いかけるという反対の作業というか、意識が必要になってくるように思う。自分の内側に入り込んでいくことで、それまでに無意識レベルで蓄積された何かと、取り入れたものとがリンクすることもあるからだ。この感覚は、得た情報を自分なりに咀嚼するということと限りなく近いようにも思うが、同じというわけでもないと思う。うまく説明できないが・・・

昨日はレッスンで、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を弾いた。このような曲は苦手だ。メカニカルな要素が満載なんだもん。各難所の具体的な弾き方、音型に即した手や腕の効率的な使い方を教えてもらいながら、その情報を得るとともに、以前から感じていたようなことと自分の中でつながったような感覚があった。過去からの無意識の蓄積とレッスンでの教えがスパークしたような感じ?またまたうまく説明できないが・・・

「テクニックだけではなく、心に響く演奏を目指す」・・・大変に美しい目標だが、これっておかしい。心に響く演奏にはテクニックが必要だからだ。指が達者にパラパラ動き、どこといってミスもないのに、心に響かない、つまり、ただ弾いている、音符を並べていますという表現不足の演奏には、テクニックとメカニックの両方の概念が不足しているように思う。世間でよく言われる「テクニックだけの演奏・・・」というものは、実はテクニックが不足している演奏なのだ・・・

レッスンで指導を受けながら、メカニックとテクニックとを連動させていけば、このような曲は「表現」というものに結びついていく・・・みたいな感覚を得た。これは以前から自分の中では解決はしていなくても、心のどこかで引っかかっていたようなことでもある。つまり、これが自分なりの蓄積みたいなものだろうか?

先生はレッスンで「脱力」という言葉を使わないし、「はい、力を抜いて、ブラブラさせて・・・」などとも言わないし、僕にやらせたりしない。脱力という感覚も、「はい、これが脱力の方法です」ということではなく、自分の内部に蓄積されたものとのスパークによって、突然閃くというか・・・

「もしかして、あの弾き方、先生の言っていたことはもしかしたら、脱力ということなのかも?」みたいに、後から閃いたりする。僕の反応が鈍いだけなのかもしれないが・・・

レッスンで伝授されたメカニカルなもの、これが「もしかしたら脱力?」的なことに結びつき、場面に即した身体各部の動かし方というものにつながっていく。レッスンを受けた後の感覚は、「教えてもらった」というものも、むろんあるが、それよりも「過去に蓄積されていた何かと結びつけてもらった、意識化を促された」という感覚に近い。

メカニックからテクニックへの連携、連動、そこには楽さ、つまり脱力のような感覚・・・ここまできて、レッスンで指導された各内容が、次のことにつながっていくことに気づいた。

「移動と打鍵は同じにするな!」・・・ということ。これも無意識の自分内部の蓄積になると思うが、人様の演奏を聴いて、以前から思うことがあった。同じ傾向があるというか・・・

「あっ・・・この人の演奏・・・いい・・・上手・・・素敵」という演奏に共通しているのは、その人は、移動が素早いのだ。反対に、「音符はバッチリ弾けていてミスもないし、一生懸命弾いているんだけど・・・」という人は、移動と打鍵が同時なのだ。

「鍵盤に指を置いて、鍵盤に触ってから打鍵せよ」という鉄則。移動が緩慢だと、これができない。これまた気づいていたことだが、ショパンのノクターンのような、スロー系の曲だと、移動までスローになってしまう人が実に多いような気がする。どのような曲であれ、音型であれ、準備してからコントロールしてから打鍵・・・なのだ。移動は素早く・・・そして鍵盤に指を置いてから、それから意識して打鍵・・・これはピアノ演奏の基礎・・・かもしれない。

昨日のレッスンで、「メカニック→テクニック=表現」「脱力」「打鍵タイミングとコントロール=表現」ということが自分内部でスパークした。スパークするためには、いつも自分の内側を見るということをしていなくてはいけないような気がする。そうしないと「先生がここは盛り上げてと言ったから、そのように弾いてるの」みたいな演奏から脱することが難しくなるようにも思う。

頭がスパークする・・・これまた説明不可能にも思われるが、たとえば、この動画のバレエ。

以前だったら、「凄いねぇ・・・素敵だねぇ・・・」と漠然と鑑賞していたところだが、頭のスパークがあると、この踊りから見えてくることがある。一つは、技術というものは表現と分離しているものではなく、技術=表現という概念もあるのだなということ。あとは、移動を素早くして準備をして打鍵という概念。バレエだから打鍵はしていないが、この人たちは、音楽に合わせて踊ってはいないということ。むろん、音楽とずれてはいないのだが、一瞬だけ音よりも動きが素早い。音を聴いてから・・・というよりは、先に音を掴んでいく、空気を掴んでいくとでも言うような・・・これはピアノの打鍵にもつながるように思う。

ナタリヤ・オシポワ、イワン・ワシーリエフというロシアの卓越したスターたちだ。スパークすれば、彼らのバレエ「パリの炎」とピアノとが、どこかで結びついていく。それがスパーク。

取り込んだら、自分の中を探ろう。蓄積されたものをスパークさせよう。いい演奏を聴くことの重要性、これは教養、常識としてということではなく、その時には感じはしなくても、どこかで自分に蓄積されていくのだ。いい演奏(パフォーマンス)に触れている人ほど、スパークしやすくなるのではないだろうか?

kaz



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