ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自己の肯定と否定の文化 

 

ピアノを習っている人、子どもも大人も含めてだけれど、「僕って、私ってピアノを弾くのが得意なの・・・」と人に宣言できる人はどのくらいいるのだろう?あまりいないのではないかと思う。これって普通のような気もするが、あまりにも「自分は至らなくて・・・」とか「いえいえ、まだまだ人様に聴かせるなんて恥ずかしいんですけど・・・」と自分で思いすぎているような気がしないでもない。

アマチュアの本番感想記も、まずは「練習不足で・・・」とか「多くの課題が山ほどあって・・・」のようなものが圧倒的に多い。まぁ、日本では、一応自己否定しておくのが安心・・・という考えが浸透しているのかもしれない。ピアノに限らずにね。「えっ、あれで?」と思われるのでは・・・とか、自分でも「自己肯定してしまうと進歩がないのでは?」などと思ってしまうのかもしれない。

考えてみれば、日々の練習でも、ピアノのレッスンでも、どこか「自己否定」とまではいかなくても、改善していかなくてはとか、直さなくてはということを前提に進んでいくところがある。「そこはこうできるようにしましょう」「もっと~できるようにしましょう」・・・のように。

今の自分は「未熟である」ということの連続?進歩しなければ・・・自分なまだまだなんだから・・・

上達していくためには、それも必要なことだと思うけれど、いつかはピアノを弾きたくても弾けない日はきっとくる。まぁ、子どもの場合だったら進学とか?大人の場合だったら病気とか、介護とか、あるいは失職とか?

そのときに「自分のピアノ人生暗かった・・・こんな私に誰がした?」と回想するのも哀しいものがある。

でも自己肯定って難しいよね。でもどこかで必要な能力ではないだろうか?本番直前、舞台に出る直前、自己肯定に失敗したら?自分も哀しいだろうが、聴いている人だって哀しいだろうと思う。演奏者が「こ・・・こんな演奏聴かせてしまって申し訳ありません」など頭の中で感じながら演奏している演奏を聴かされるわけだから・・・

日本のピアノが「自己否定」の文化だとすれば、アメリカのピアノは、どこか「自己肯定」の文化なのかもしれない。アメリカ人は自分に対しても、そして他人に対しても褒め上手であるような気はする。

「私は、あなたを誇りに思うわ!」という言葉をアメリカ人はよく使う。日本語にすると重い感じだが、言われた方は、褒められることに慣れていくことで自己肯定につながっていくという利点もないだろうか?慢心につながっていく?そうなのかもしれないが、以外と自分の能力って自分でも把握できているようなところはないだろうか?ピアノ演奏だったら「○君って上手ねぇ・・・素晴らしいわぁ・・・」と言われ続けていても、そして「そうかな?フフ・・・」なんて思ったとしても、自分よりも上手い人の演奏を一瞬でも聴けば、自分のレベルなどというものは分かるのではないだろうかと思う。子どもでも・・・

子どもの頃から「もっと~なるといいわね」と言われ続けて、いきなり大人になって「自己肯定を」なんて考えに転換は難しいのではないかと思う。これは幼い頃からの積み重ねが大切なのかもしれない。

アメリカの音楽院にはプレカレッジという部門がある。付属の音楽教室みたいなものだ。日本の音大にもあると思うが、週末などに普通の子どもたち対象に音楽教育を行うというところだ。もしかしたら、普通の街のピアノ教室とは異なるところもあるのかもしれないが、アメリカの音楽院のプレカレッジの場合は、それほど「英才教育をしていますっ!」とか「弾ける子ばかりですっ!」という感じでもない。

日本のピアノ教育って、どこか「きちんとしている」という印象がある。というか、きちんと系と楽しい系に分割しているという感じ?そのきちんと系の日本のピアノと比較すると、アメリカの子どもの演奏って、どこか大雑把というか、おおらかというか、自発性に富んでいるというか、そんな気がする。先生の影をあまり感じないということはいいことだと思う。でも時には、そのおおらかさが気になることも(日本人の感覚からすると)あるかもしれない。

これはニューヨークのマンハッタン音楽院のプレカレッジに通っている男の子の演奏。普通に上手に演奏していると思うが、日本のピアノ教師だったら、まずは彼の指の闊達性というか、独立性というか、そのあたりを「なんとかしなければ・・・まずはそこから・・・」などと思うのではないだろうか?彼の演奏、スケール音型が団子状態になってしまっている。多くの人はそれを感じるであろう。

「まぁ、そうだけど・・・指ができれば弾けるようになるんだしぃ・・・」というおおらかさも時には必要なのではないかとも思う。今それが最優先事項なの・・・みたいな?

プレカレッジでの小さな発表の場での演奏。発表会みたいなものだろう。とにかく声援というか、拍手が凄い。そこまでの演奏か?と言われれば、いろいろとあるだろうが、まずはみんなで自己肯定・・・ということも必要なのではないかと思う。

この男の子は「僕・・・ピアノが得意なんだぁ・・・」などと人に言ったりしているかもね。でも全部がいけないこととも思えなかったりする。

アメリカ人は、レベルはともかくとして、楽器演奏ができる人の割合が日本とは比較にならないほど多い。楽器を、そして音楽を、演奏を楽しんでいる人の割合が多い。日本だと、ピアノに限らず、楽器演奏って、どこか特別感が満載だ。難しいものという感覚がどこかにあったりする。

「子供の頃からやっていないとピアノは難しい」とか「熟年からのピアノは難しい」とか「指は動きにくい」とか・・・

否定的なことよりも、無邪気に、そして思い切り「自己肯定」してもいいのでは?どちらが幸せなピアノ人生だろう?

あなたはピアノが得意ですか?

kaz



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コメント

 

国民性

確かに日本人は自己肯定感が低いという傾向はあるかもしれませんね。

ピアノについてその自己肯定感が一番低いのは、音大の学生やピアノの先生たちではないかと思います。私も以前はそうでしたが、最近は少しましになってきました。

自分が自己肯定感が低いことが、指導の際にも相手に自己肯定感を与えられる声かけをするのが下手、というところにつながっている気がしないでもないですね。

あ、本番前には思い切り「自己肯定感の暗示」をかけたほうがうまくいくと思います。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/07/20 16:59 | edit

なかつかさま

最近は音大生の中にも「あまり弾けない・・・」という学生もいるようですが、そのような学生ではなく、一般的な音大生の演奏で気になるところは、「演奏が固い」というところです。これも自己肯定ということと関係しているのかもしれません。音大生だけではないのかもしれませんねぇ・・・

ピアノの発表会などでも固さのある演奏が多いような気がします。達者に弾いているとか、崩壊寸前とか、個々の出来栄えといったことの他に、日本人の演奏には根本的な固さがあるというか・・・

kaz #- | URL | 2015/07/20 17:09 | edit

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