ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ドナドナとバラードの1番 

 

11月のピアチェーレの演奏会では、苦手な(?)ショパンを弾く。最初に、これまた苦手なバラードの1番を弾く予定だ。何故バラードの1番が苦手なのか?やはり有名曲だからだろうと思う。誰でも弾く曲というイメージがある。その割には、この曲は「チェルニーですか?」のような演奏になりやすい気もするのだ。突然「ハノンのスケールですか?」みたいになってしまうような難しさがある。困難なパッセージが満載なので、どうしても「必死に弾いています!」「音型に苦労しています!」のような演奏になりやすいのだと思う。特にコーダは演奏至難であるような気がしている。個人的な感触では4番のコーダよりも弾きにくい。ここもただの「爆演」になりやすい個所だ。

では何故弾くのか?この曲はポーランド人としてのショパンを感じるからだ。燃えたぎるようなポーランド人としての誇り・・・

有名曲であるだけに、この曲を「夢見る、お素敵ショパン・・・」のようには捉えたくはないし、もっと別のものを伝えたいと思う。大胆な発想かもしれないが、僕はこのバラードを「お素敵ピアノ曲」というよりは、一種のクレズマー音楽として捉えてしまっている。

この曲を聴き、そして弾いていると、何故かコルベ神父を連想する。アウシュヴィッツで餓死牢行きを宣告された人の身代わりになったコルベ神父。「餓死牢?助けて下さい。私には愛する家族がいるのです」コルベ神父は身代わりになるのだ。「私には家族はいません。私が餓死牢に入りましょう」と。神父だから・・・というよりは、ここに人間としての誇りというものを僕は感じる。

ポーランド人としての誇り、ユダヤ人としての誇り、人間としての誇り・・・

「こんなに辛い治療だったらやめて死んでしまいたい・・・」弱い僕にルームメイトであったHは何も言わなかった。抗癌剤の影響で僕の頭髪はその時にはなかった。Hは何も言わずに僕を見つめた。そして自分の金髪をバリカンで刈った。そしてスキンヘッドになった。彼の目は包み込むように静かなようでもあり、燃えたぎっているようにも感じた。そこにはポーランド人、ユダヤ人としての、そして人間としての誇りがあった。「生きなければだめだ。それが最低限の人間の誇りだから・・・それを捨ててしまったら人間ではなくなるんだ」

翌日、Hは帽子をプレゼントしてくれた。「そのベースボールキャップはよくないね。kazらしくない。このダービーハットはどうだろう?」彼は黒い山高帽を僕に手渡した。彼はこの世のものとは思われないような笑みを僕に見せた。

クレズマー音楽はイディッシュ文化そのものだ。その音楽はユダヤ人の誇りから生まれたものなのだ。

ある晴れた昼下がり 市場へ続く道 荷馬車がゴトゴト子牛を乗せてゆく・・・

教科書にも載っていた「ドナドナ」もユダヤ音楽、クレズマー音楽だ。この曲の歌詞の「子牛」は実は強制収容所に送られていくユダヤ人たちであったと解釈され、一種の反戦歌として歌われていたこともあったが、実はこの曲は実際にはホロコースト時代よりも少し前にアメリカで発表されている。なので、ホロコーストとの直接なつながりはない。

でもこの「ドナドナ」が作られるよりも、ずっと昔からポグロムというユダヤ人、ユダヤ文化迫害は中東ヨーロッパを中心に存在していたし、実際の作詞者、作曲者も東欧から逃れたユダヤ系アメリカ人たちなのだ。虐げられた歴史というものとは無関係ではないだろう。

原曲の「ドナドナ」は日本版のそれよりも哀しさを感じさせる。そして人間としての誇りも感じさせる。

「ドナドナ」とショパンの「バラード 第1番」は接点がないようで、実は「誇り」という部分でつながっているように僕には感じる。ポーランド人、そしてユダヤ人、人間としての誇り・・・

原曲の歌詞は、日本で知られている訳詩とはかなり異なるようだ。



縛られた哀しみと子牛が揺れていく
ツバメは大空を飛びまわる
風は笑うよ 一日中
力の限り笑い続ける
ドナドナ・・・

「泣くんじゃない」と農夫が言った
「お前は子牛なのか?翼があったら逃げていけるのにな・・・」
ドナドナ・・・

捕えられ殺される子牛
心の翼で自由を守るのだ
自由を・・・
ドナドナ・・・



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category: ピアチェーレ

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コメント

 

ブログ拝読しました

 はじめてのコメント投稿をさせていただきます、京都市内在住の男性です。
 貴ブログを本日初めて拝読いたしました。(私のブログもブログ村の[ピアノ]にエントリーしています)
 貴ブログにご記述の内容、私にはとても興味深いです。今後、貴ブログを定期的に拝読させていただこうと思います。

 「生活の中のピアノ、労働の後の至福のピアノ、人生の中のピアノ・・・
こんなふうに楽器を演奏できたらいいな・・・と思っている人は多いんじゃないかな?」

私より上の世代の方々(自らが自由に使える時間をようやく手にされた)の中にも、「初めてのピアノ」にチャレンジされている方々がおられます。(昨年、そのような発表会(京都市内で開催)に出演させていただきました。)

ショパンのバラード第1番、「夢見る、お素敵ショパン・・・」のようには、私にも感じられません。深い苦悩の深まりと弛緩との交錯が、この曲の中にこめられているように感じます。

runningWaterX #.2Pb1tWE | URL | 2015/07/13 10:08 | edit

runningWaterXさま

コメントありがとうございます。

京都在住なのですね?仏像に逢ったりするのが好きなので、京都に住んでいる方を羨ましく思ったりもしますが、住んでみると、まだ異なる印象もあるのかもしれませんね。

最近は、「上手くなりたい」という理由でピアノと関わるのではない、異なる目的のようなものも感じたりしています。でも「楽しい」という感覚でもない・・・

人生の「揺らぎ」のようなものと音楽感覚との一致のようなものでしょうか?

kaz #- | URL | 2015/07/13 21:44 | edit

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