ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ナチュラルメイク 

 

アマチュアでも(だからというべきか?)超絶技巧曲を弾きこなす人は多い。動画にアップしている人もいる。たとえば、シフラやアムラン編曲のものや、アルカンの曲など。おそらく、このような曲の楽譜は真っ黒なのであろう。僕はそのような曲は弾けないので、単純に、弾けるということが「凄いなぁ・・・」などと思う。曲への執着心(愛情・・・ではないような?)が強くなければ、譜読みで挫折してしまうだろうとも思う。

でも、以外と彼らの演奏は心には響かなかったりする。それは彼らの目的が「弾く」ということだからかもしれない。自分だけの世界というか。他者を包み込んでしまうような何かに欠けているような?

超絶曲を、ある意味、弾きこなしている人は、たとえばモーツァルトの小曲とか、ここで貼りつけたセルバンテスの「キューバン・ダンス」のようなシンプルな楽譜の曲をどのように演奏するのだろう?ちょっと聴いてみたい気もするが、単純に考えれば、真っ黒な楽譜の方が、真っ白(?)な楽譜よりも演奏は困難なわけだから、それはそれは見事に演奏しそうなものだが、そうでもないかも・・・という気もする。

シンプルな楽譜の曲ほど演奏は難しい・・・とはよく言われることだ。これってどういうことなのだろう?演奏者の力量が演奏に反映されやすいということなのだろうか?力量は感性とか、能力とか音楽的なセンスとか、表現はいろいろあるだろうが・・・

そうなのだと思う。これは経験として身についていることでもある。メカニカルなものが満載で派手目の曲は、むろん「弾きこなす」ということそのものが困難ではあるけれど、でも練習すれば・・・とか、弾けるようになれば・・・という希望は持ちやすい。反対に、シンプルな曲を弾いて、「なんだかダサクない?」と自分でも感じ、解決策が見つからない場合、これは困る。

この場合は「楽譜を読む」ではなく「音符を読む」ということを読譜だと勘違いしているのでは?音符を読む、とか音符を弾くということが演奏だと思っていれば、そりゃあ、セルバンテスは簡単であり、シフラやアルカンは難しいだろう。そのような価値観で弾いていたら・・・

最近は、楽譜を読む・・・ではなく、自分なりに「楽譜に反応する」ということを考えて練習したりしている。

知人にメイクの仕事をしている人がいる。テレビ出演者のメイクをする仕事だ。画面で「えっ、スッピン?」と見えるようなナチュラルメイクでも、実際はベースの段階で、かなり厚く塗ってしまうのだそうだ。つまり、ナチュラルメイクは素顔のように見える・・・というメイクであり、実際には素顔に近いメイクではないのだ。テレビではスッピンのように見えるメイクでも、そのまま電車などに乗ったりすると、「厚化粧の人」となってしまうらしい。

ナチュラルメイクの発想・・・

シンプルな曲は、シンプルに聴こえるだけであって、実はいろいろと行わなければいけないことが、真っ黒曲よりも多かったりするのではないだろうか?この微妙な部分の変化を弾き飛ばしてスコンと弾いてしまってはおしまいよ・・・みたいな。

偉大なピアニストは、なんでもないような曲が上手かったりする。

超絶真っ黒曲で喝采を浴びる人は多そうだが、このセルバンテスの「キューバン・ダンス」のような曲で、聴衆のスタンディングオベイションを貰えるピアニストは世界にどれくらい存在するのだろう?

ホルヘ・ルイス・プラッツ・・・そこそこ日本でも有名だが、もっと有名になって欲しいピアニストだ。

kaz



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: 音楽自立人、音楽自由人

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top