ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

価値基準 

 

男子新体操、その高校の部活動としてのチームで最も話題となり、人気のあるチームは、実は上位入賞するようなチームではない。鹿児島実業高校の新体操部。この高校は野球で記憶があるが、スポーツの盛んな高校なのであろう。

この鹿児島実業の演技の前は会場の空気も期待感に満ち、どこか異様なまでの熱気をみせるのだそうだ。ちょっとこの高校の新体操の演技は他の高校の演技とは異なるのだ。パフォーマンス要素が強いというのだろうか。基本的には男子新体操もスポーツだから、点数が出るし、順位も出る。演技をするのはスポーツとしての競技会、大会という場でとなる。そのような場では、いかに自分たちがやりたいパフォーマンスを繰り広げるかということよりも、いかに点数を出せる演技を作るかということに重点が置かれがちだろうと思う。高得点というものに対しての価値基準のようなものがあるはずだ。もし、自分たちのパフォーマンス、表現がその価値基準と著しく異なるもの、離れるものであったら?

これはコンクール、特に子どものコンクールにも絡んでくるようなことではないかと思う。ピアノのコンクールはスポーツではないので、スポーツほどの明確な価値基準は持たないとは思うが、でも「無い」とは思えない。もし、自分たち、この場合は生徒と指導者だが、自分たちの理想とする演奏と、入賞しやすい・・・みたいな価値基準とで隔たりがあったら?

「このテンポが私は自然だと思うけれど、模範演奏CDでも課題曲セミナーでもテンポはこうだったから、こうしましょう」みたいな?まったく無いこととは思えない。そもそもコンクール勝ち組の演奏が似通っているのは、価値基準に合わせているということもあるのではないだろうか?

ここで指導者が生徒に「自分たち(というか、あなたというか)のいいと感じる音楽をしましょうよ?」と持っていくには、その生徒が入賞可能なほどの才能があればあるほど勇気の必要なことのようにも思える。

男子新体操の世界は、部活動としての競技という面もあるから、ピアノ界のコンクールなどよりも、さらに価値基準への反乱(?)みたいな独自のパフォーマンスへの風当たりは強いような気がする。

「高校生らしく・・・」「スポーツの精神・・・」「あくまでも一つ一つの技を正確に・・・そして高度に・・・」のような世界。使用する音楽も、演技内容に合わせ、どこか重厚な音楽を使用していく。

上位入賞するような高校は、どこか演技が重厚だ。そしてどこか似ている。これはスポーツなので仕方ないのか?

このような世界で、コミカルな動きをしたり、音楽も重厚、かつ真面目な音楽ではなく、たとえば「笑点のテーマ」などを使用してしまったら???

なぜ鹿児島実業高校の新体操部だけが、どこか主流から大きく離れた、独特のパフォーマンスをするようになったのか?おそらく、演技をしているのは、あくまでも高校生だし、部員のほとんどは高校に入学してから新体操を始めているので、これは指導者の考えが大きいのだろうと思う。部員はもちろん、指導者が勇気を持っていたのだろうと思う。僕は、なんとなく鹿児島実業高校の指導者への風当たりは相当なものなのではないかと想像したりしている。

新体操部の監督は樋口靖久さんという。彼自身、新体操の選手であったのだそうだ。

「ビデオを早送りされない演技をしたかった、させたかった・・・」

樋口監督の、この言葉はパフォーマンスに必要な大切なことを言い当てているようにも思う。パフォーマンスのイロハ・・・というか。ピアノ演奏の場合は、ビデオを早送りされない・・・ではなく、ああ、早く終わらないかな・・・と思わせない演奏ということになると思うが、これはどう弾けたかということよりも、重要なことのように僕には思える。演奏のイロハであり、最も難しいこと、退屈されずに聴かせるということ。正しいとか、そんなことではなく・・・

鹿児島実業高校のこのパフォーマンス、順位は16位。

このパフォーマンス、なんとなくピアノの指導者に観て欲しい気もする・・・

kaz



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top