ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「最後の雨」 

 

自分の演奏をアップしたり・・・とか、そのような操作はできないけれど、パソコンで自分用のCDを作るなんてことはできたりする。基本的に「編集作業」のようなものが好きなのかもしれない。自分だけの「マイCD」を車の中で聴いている。CDを作ったのは、もうかなり以前のことだから、次に何の曲がかかるのか自分には記憶がないので、そのあたりも聴いていて楽しい。

これはとても懐かしい曲だ。中西保志という歌手は日頃聴くような歌手でもないのだが、この曲だけは思い出があるのだ。

初めて癌を宣告されて手術をして、退院してから家で一人で聴いていた曲だ。手術は痛かったし、病院も好きではないけれど、退院してからが本格的な戦いなのだと、自分一人なのだ・・・と改めて実感した時に聴いていた曲。そのような時にはクラシックの歌曲などは、あまり聴かないような気がする。

なぜ中西保志の「最後の雨」だったのか?

おそらく、彼の歌い方に活力を感じたからだと思う。どこか声や歌い方に元気さがあったからだと思う。歌詞そのものは元気印という感じではないんだけど・・・

「本気で忘れるくらいなら、泣くほど愛したりしない・・・」

泣くほど愛する・・・

この感情は生きているからこそ・・・なんて当時は感じたものだ。

退院して、ソファーに座りながら、日の暮れていく色、その移り変わりをただ見つめていた。

「自分で夕食作らないと何も出てこないんだ・・・」という当たり前のことを思い出し、なんだか愕然とした記憶がある。

「こんな時って、何も作りたくない気分だと思って・・・」と複数の友達が食べ物を持ってきてくれた。僕は友達が非常に少ない人間だが、そうでもないのかもしれない。フェイスブックにも無縁だし、「いいね!」的な友達は少ない。でもそれって、友達じゃないよね、知り合い・・・

人生の有限性というものも考えなくてはならなかった。考えたかったわけでもないんだけどね。そこに「ピアノ」というものがひっかかってきた。ピアノのレッスンそのものには絶望的な思い出しかなかったけれど、自分なりに勝手に自己流で弾いていた部分、その部分のピアノがひっかかった。なんとなく、子ども時代に教本を真面目にこなしていたとしても、ただ弾いていましたというピアノだったら、ひっかからなかったんじゃないかな・・・と思う。「昔弾いていました」だけでは再開なんてしないさ。

27日の本番が非常に憂鬱だ。心配というべきか・・・

焦りを感じつつ、ピアノに触れないという状況が憂鬱さを感じる理由だろう。

でも憂鬱さを感じること、それ自体が生きているということでもある・・・

音楽というものは、記憶を呼び起こしてくれる。

「どうやって生きていこう?」

退院した日はさすがに眠れなかった。

でもなんとなく生きてきたな・・・と思う。だから憂鬱さを感じられる。

kaz



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