ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

旅館とピアノ教室 

 

旅館とピアノ教室って似ているのかもしれない。宿泊客と生徒のニーズは、それこそ色々だったりするところが似ている。旅館もピアノ教室もニーズに合わせていかなければ生き残っていけない。

たまに時計もテレビも部屋に置いていない宿がある。「私たちはお客様に心から寛いで頂きたいのです。だから置きません」のようなカードなどがご丁寧に添えてあったりする。個人的にはこのような宿はあまり好きではない。テレビなど観ないし、時間を知るためだったら時計ぐらいは自分にもあるので不都合はないのだが、でも食事の時間などはガッチリと決まっていたりするのだ。「朝食は朝の8時からでございます」のように。時計を置かないというほどのポリシーを示すのであったら、食事の時間ぐらいは「いつでもご都合のよろしい時に・・・」となるのでは?などという疑問を微かに感じてしまう。あえて宿側が主張しなければ「あっ、時計がないのね」で済むのだが・・・

「こんなにいいんですよ」という想いがなければ伝わらないだろうが、あまりに強くても窮屈だったりするのだ。

反対に、顧客のニーズをすべて取り込みました的な宿もどんなもんだろうなどと思う。最近オープンした宿に多い感じだ。アメニティにこだわりました、すべて外国製の○○というメーカーのものです、とか、シンクは二つあります、とか。考えられる便利な備品をすべて備えました的な宿が最近は多い。その種の宿は女性客の心をくすぐるようなもの満載だったりするのでは?「わっ、かわいい・・・」みたいな。あまりに顧客のニーズを探るような宿も魅力があるとは思えなかったりする。主体性がなく、グラグラしているような印象を与えてしまうから。

でも人によって宿に求めるものって本当に異なるのだ。眺望という人もいるだろう。中には海が見えてもいい景色だと思えずに、「温泉街が視界に入ってしまうのが残念」とか書いているブログを読んだりすると「日本では無理なのでは?南の島に行きなさい」などと感じてしまうし、あまりにも温泉の成分に拘ったり、循環がどうだとか、かけ流しがどうだとかというのも疲れる感じだ。

個人的には宿に求めるものは「非日常性」というものだったりする。なので、昔ながらに仲居さんがバッチリ世話してくれる宿を好む。最近流行りの、ホテルと旅館のシステムを合体させたようなバトラー形式の宿はあまり好まない。非日常性を好むので、仲居さんも作務衣姿ではなく、着物で対応してくれる宿が好きなのだ。

ニーズは様々なようでいて、でも顧客というのは我儘なものなので、その宿に「身をまかせたい」という願望がある。その宿らしさを求めるというのだろうか?変わらずに存在していて、「あの宿だったら○○が期待できる」のような部分。なので宿のコンセプト、ポリシーというものが、割とはっきりしている宿は衰退しない。昔からある老舗旅館にこのタイプの宿が多いのには、そのような顧客の共通ニーズというものを察している宿が老舗旅館には多いということなのだろうと思う。「私たちの宿はこうなのです」と感じられる変わらぬ部分が必ずある。

コンセプト、ポリシーを打ち出す場合は、「時計置きません・・・でも朝食は○時なので遅れないでね」的な宿のように、僅かな矛盾点にも顧客は敏感だったりするので、気をつける必要はあろうが、でも「最近は○○が流行なので、さっそく取り入れてみました~」「なんでもやってみます~」的な宿というものにも顧客は敏感だったりするものだ。ポリシーが感じられない宿には身をまかせられないような不安がある。再訪までは希望しないというか。何年後かに再訪した時にガラッと変わっていたりされても困るのだ。期待したい部分もコロコロ変わられてしまうのではという不安かな?

押し付けでもなく、かと言って「コロコロ変化」でもない変わらぬポリシー・・・

そのポリシーを選んで宿を選ぶのだ。ポリシーのない宿は不安だ。

旅館とピアノ教室は似ている・・・と思う。

kaz

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