ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

スポーツピアノ、お遊戯ピアノ 

 

日本で師事している先生を含め、僕が師事している人(他の3人はコンサーティストなので、先生という感じではなく、実際に彼らには「生徒」はいないので)は4人になるが、あまり僕の音楽フレーズはいじらない。「あなたのは~だが、私は~思う。でもそれでもいい」みたいな感じだろうか?でも技術的なことを指摘することはある。4人から共通して指摘されたのがタッチのこと。僕はそれまでタッチに関しては曖昧模糊の部分があったのだ。まぁ、それは今もだが。

もしかしたら、僕と同じように、タッチに関しては思い違いをしている人も多いのかもしれない。さらには教師自身が思い違いをしていて、生徒に逆を教えている可能性もある。こうなると問題ではある。

「タッチポイント」という言葉は僕の造語なので、そのような言葉は正式には存在しない。意味としては、大雑把に言えば鍵盤のストロークの中の範囲のこと。その中の微妙な範囲というか・・・

基本的には、ゆるやかなピアニシモの場合、打鍵スピードがゆるやかになるわけだから、タッチは深めになる(むろん急速ピアニシモの場合など浅いタッチで弾くことはある)。浅すぎると音が出なかったり、かすれたりするはずだ。でもフォルテになるほど打鍵スピードは急速になっていくから、タッチは浅めでいいのだ。どうも、逆に感じている人が多いように思う。フォルテになるほど深く、ピアノになるほど浅くと・・・

これは、ピアノ構造を考えると、逆になる。鍵盤のストロークは一定なわけだから・・・

僕は素人なので、どうも上手く説明できないが、多くの人はフォルテになるほど腕や身体のモーションが大きくなっていき、ピアニシモになると、動きがせせこましくなるというか、窮屈そうに縮こまって弾いているように思うが、これは逆なのだ。特に上肢そのものは、曲がどのようになろうと一定であるのが望ましいように思う。

心理的には曲が盛り上がると、身体の動きも盛り上がってしまうのは理解できるのだが、むしろそれは逆なのだ。

雁部一浩著「ピアノの知識と演奏」という本にも書かれている「卓越したピアニストの共通の特徴、すなわち音楽場面の変化によって大騒ぎすることなく、常に動作が安定しているという事実」という説明は、このことと無関係ではないようにも思う。

筋肉とか、労働とか、汗とか・・・フォルテになるほど、そのようなものを感じさせない弾き方を追うべきなのだと思うが、どうも逆になっている。これは世界的な傾向かもしれない。感情の高揚が肉体的な高揚をも招いてしまうのだ。特に昨今は、ビジュアル的にも大袈裟な演奏が多いように思う。コンクールなどの場では教師がそのことを推奨さえしているのだろうとも思う。

鍵盤に覆いかぶさるように弾いたり、苦痛表情で天を見あげたり、汗まみれ、肉体的快感というか、スポーツ的な快感を聴き手にアピールしてしまうピアニストが増えた。往年の巨匠に共通しているのは、これとは全く逆のことなのだ。ただ座って、曲がどのようになろうと、肉体がそこに便乗していかない。上肢は常に安定し、座って静かに弾いているだけ・・・

どうも、最近の若手は、古典派の作品でコミカル顔芸弾き、ロマン派以降の作品で苦痛、恍惚表情になる傾向がある。特に日本人ピアニストは、それに加え、フォルテでさえ鍵盤の底まで弾きすぎて頑張ってしまう傾向があるように思う。

往年の巨匠の演奏だが、その多くは「ノイズの彼方に素晴らしい音楽が・・・」のような録音がどうしても多く、また当然のことなのだが、映像として残っているものは非常に少ない。でもホロヴィッツやミケランジェリなどのピアニストは「静かに安定、汗や労働を感じさせない弾き方」をしているので、視覚的にもとても参考になるようには思う。

超絶曲である「タンホイザー序曲」を弾いているモイセイヴィチ。曲が曲だけに前腕、上腕の動きは「派手派手~」な感じだが、上肢が安定していて、曲がどのように展開しようと常に一定だ。顔の表情も百面相を決してしない。あとは、フォルテの連続場面、オクターヴの連続など、派手派手の部分で感じるのが、タッチを底までガンガン弾きこんでいないということだ。能率的な弾き方なのだ。完全にタッチポイント後、つまりハンマーが弦を打った後まで叩きこんで弾いてはいない。感覚としての「フォルテは浅目を狙う」ということが分かりやすい映像だと思う。結果的に汗や労働を感じさせない演奏となっているように思う。派手・・・ではあるが。

あまり「素人素人・・・」と繰り返すのは、よくないことなのだと(最近は)思うようにしているのだが、やはり素人ではあるので、奏法に関する専門的なことを文章化するのは、とても困難だと感じる。なので、そのあたり(どのあたり?)はご容赦願いたい感じだ。

雁部氏は「ピアノの知識と演奏」のあとがきで次のように書いている。

「往年の巨匠たちの演奏が純粋に音楽的であるのに比して、(現代主流の演奏では)しばしば演奏という行為に、お遊戯、スポーツ、格闘技、そして演技もしくは艶技などの諸要素が混入しているのに気づかれるでしょう」

実は、気づいていない人も多いのではないかな・・・などと思う。

kaz



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