ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

無味乾燥恐怖症 

 

「基本的な弾き方、奏法に相当問題があるのでは?」

中村紘子という人気ピアニストが書いた「チャイコフスキー・コンクール」そして続いて出版された「ピアニストという蛮族がいる」という本を読んだ時には、それまでに感じていた疑問点のようなものが、納得できたような気がしたものだ。

とてもよく弾ける・・・なのに・・・の部分。ある意味、その演奏が下手であれば疑問など感じなかったのだ。「下手じゃ~ん」と感じるだけだから。しかし、無味乾燥演奏には、相当弾きこまれている形跡もあり、事実達者に弾かれていたのだ。だからこそ感じる不思議さ。

でも感性とか文化の差(だけ)ではなく、基本的な弾き方に問題があったのだ・・・

この本から流行語(?)が誕生した。それはピアノ界だけの流行語だったのかもしれないが、多くの人がその言葉を認知することとなった。「ハイフィンガー奏法」という言葉だ。

それまでにも多くのピアノ奏法に関する本は読まれていたと思うし、多くのピアノ学習者は自己疑問を感じていたはずだ。「どうしてだろう?」と。指を動かす、楽譜を音にする、この部分は問題ないのだ。でも・・・と。

実はこの部分に触れてしまう、日本人の奏法の問題点を突いてしまうということは、それまではタブーだったのではあるまいか?伝授されてきた「ハイフィンガー奏法」の問題点を述べるということは、自分のそれまでのピアノ道を自己批判するということになるからだ。さらに、かつての師匠、そしてその流派の弾き方をも批判することにつながっていくからだ。

「ハイフィンガー?では指を伸ばせばいいのね?」そんなに簡単なものでもあるまい。弾き方セミナーに参加すれば解決するようなことでもないのだ。

著者が留学し、ロジーナ・レヴィーンからまず言われたのが、基礎からのやり直しであった。この部分が衝撃的だ。日本のコンクールを制覇し、東京文化会館(大ホール)を満員にしてのデビューリサイタル、N響の世界演奏旅行にソリストとして参加・・・華やかな過去だ。「でも、その弾き方は基礎からやり直しましょう・・・」

著者自身が語っているが、ショパンコンクール参加時も、以前の奏法の弊害が抜けきれず、また日本に帰国し、人気ピアニストとして活動するようになってからも、テレビなどで偶然に聴く(見る)自分の演奏に、過去の奏法の痕跡を見出したりして愕然とすることもあったという。幼い頃から訓練されてきた奏法というものは、そこまでに身についてしまっているものなのだ。

僕が中学生、高校生の頃の日本人ピアニスト、あるいはコンクールのコンテスタントたちと比較して、今では明らかに進化したものがある。それは「表情」だ。音楽的な表情の進化ということであれば、大変におめでたいこと、喜ばしいことと思えるのであろうが、その「表情」というものは、完全なる「ビジュアル的表情」というものだ。

気がついているのは僕だけではあるまい。昔は存在していなくて、現在大流行のもの、それは恍惚の表情で天井を見上げたり、腕のモーションなども華やかに(大袈裟に?)、入魂、苦痛表情でパフォーマンスをするコンクールコンテスタント、さらには若手のピアニストが増えた。

本来は、何年もかけて、指の上げ下げから概念の根本的なやり直しが必要であったのだ。奏法の改革・・・

でも、気がついてはいても、実行が難しかった。音大の先生などはプライドもあっただろうし、自分の過去の否定などできなかったのかもしれないし・・・

ネットの普及もあったのだろう。子どものものに限らずだが、コンクールというものが普及するようになった。かつてのように限られたコンクールが「登竜門」のように扱われていた時代とは異なり、コンクールが乱立することとなった。参加の意図、目的も多様化することになり、悪いことだけでもなかっただろうが、「ハイフィンガー奏法」の認識後、日本のピアノ界に、新たな認識が加わった。

「無味乾燥恐怖症」

根本的な奏法の改革というものではなく、どこか安易な方向に走ってしまった。指の上げ下げからのやり直しというものは、かなり苦しいもののはずだ。だから安易な方向へ・・・

「無表情ではいけないのよ~」「表情たっぷりに弾くのよ~」「無味乾燥なんて言わせないわ~」・・・と顔面パフォーマンス。

あの摩訶不思議な「お辞儀」も、このことと無関係ではあるまい。大人の操作・・・

どこかトンチンカンな方向に走っている。それは奏法改革というものが難しく、時間を要するものだったからだ。根気よく指導する(指導者やピアニストを)人の存在が決定的に不足していたという実情もあろう・・・

人間の感性というものは正直なものなのだと思う。気づくことはできるのだ。「弾けるようにはなったけれど、どうも・・・」この部分を気づくことはできる。ただし抜本的改革というものには指導者の導きが必要だ。習う必要がある。

でも、教えられる人はどのくらいいるというのだろう・・・

kaz

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