ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

光のサークル 

 

サナトロジー(生死学)的な考えでは、死というものは恐ろしいものではない。美しいものですらある。ただし、条件がある。そのような死を迎えるためには、無条件の愛というものを知り、そして与えるという経験をしなければならない。無条件の愛の相互作用を知ったからといって、死ぬわけではないけれど。人生というのは、その「無条件の愛」というものを真に知るためのレッスンなのであると。なので、人生には課題が与えられるのだ。それも無条件の愛というものを知るためのレッスンなのだ。

理屈はそうだが、なかなか辛いことではある。レッスンを中断してしまいたくなることだってあろう・・・

実は、音楽とサナトロジーとは、この無条件の愛、その相互作用ということにおいて、非常に似ているような気がするのだ。

昔、エイズという病気に対して人々の偏見があった頃(今もそうなのかもしれないが)、1980年代、親がエイズの子ども(成人の)を見放す、勘当するなどという事例が多くあった。エイズ患者に触れただけで感染するのでは、空気感染するのでは・・・などと思われたりしていた時代のことだ。アメリカでの話だが。

父親は息子を勘当した。「もうお前とは会えない。俺の息子ではない」と。息子は自分の死を予感した時、父親に会いに行く。その時の彼は歩けなくなっていて、車椅子に乗っていたし、骨と皮のような状態になっていた。

でも父親は息子を強く抱きしめる・・・その時は「感染するかもしれない」などとは思うことすらせずに。この感情の動きが無条件の愛となる。この時の感情の動きは、至高の音楽から与えられる心の動きと非常に似ている。

このケースの場合、父親は息子に愛を与えたということになる。また、息子も愛を与えられたということになる。サナトロジー的な考えでは、息子は、さらに父親に愛というものを教えた、父親は愛のレッスンを知ったということにもなる・・・そのように考えるのだ。愛のレッスン、無条件の愛、その相互作用・・・人生はそのことを知るためにある。

音楽を演奏する場合も似たようなことと考えるといい。演奏者、楽器、そして作曲者との相互作用、そこには無条件の愛というものが根底に存在していて、演奏している時には、相互作用、つまり演奏者、楽器、作曲者との「やり取り」が存在している。そのような至高の演奏の場合、空気は大きく動き、「愛の相互作用」の空気を聴いている人も感じるのだ。そして演奏者、楽器、作曲者、聴衆がひとつのサークルとなる・・・これが音楽の相互作用。

まぁ、こんな演奏は滅多にない。どんなに達者な演奏でも、どこかが欠けている場合が多い。

でも、こんな演奏もある。

メナヘム・プレスラーという人の演奏。アメリカでは非常に有名なピアニスト。アメリカで教えているということもあると思う。でも日本での知名度は今ひとつなのかもしれない。

1923年生まれということだ。計算してみると、その年齢で、この演奏は驚異的だ。自分で無意識に決めてしまっている「能力向上限界年齢」というものを大幅に引き上げたくなってくる。90歳まで人間の能力は伸びるのだ・・・と思えてくる。

それだけではなく、この演奏には愛の相互作用があるように感じられる。演奏者、楽器、作曲者、作品、そして聴衆との調和、サークル、そして光が感じられる。

この相互作用を感じるためにピアノを弾いているのだ。

「一番大切なものは美を感得する心です。演奏を通じて現れる至高の感情は音楽への愛です」メナヘム・プレスラー



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