ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

逃げの教材 

 

ギロックのような教育作曲家の作品がアメリカで生まれた理由としては、アメリカの子どもたちが、日本の子どもたちと比較すれば、「忍耐は美徳」のような感覚が少ない、「自分の意思を尊重してしまう」のような面があるからではないかと想像している。「つまらないで~す」と思えば、もう練習しない・・・のような?まぁ、日本の子どももそうなのだと思うが。なので、耳に心地よい、ある意味でキャッチ―な作品の需要があった。

そして、4期別学習というものも関連してくるように思う。彼らの作品は、意図的に時代様式を意識させる作品も多い。バロック形式の作品とか、古典様式の曲とか、キャッチ―さと同時に、非常に「4期」を意識した作品群のように思える。

もう一つ感じるのが、アメリカのオリジナル志向というものだ。僕が聴いた限りのアメリカのピアノ発表会、また、個人的に知っているアメリカのピアノ教師たち(30人ほどだが)とメールでやり取りしていて感じるのが、彼らは、あまりアレンジ作品を好まない傾向があるということだ。たとえば、ショパンの「別れの曲」をハ長調にして、中間部をカットしたアレンジとか、月光ソナタの一楽章を簡単にしたアレンジものとか、あまり弾かせないように思う。とうぜん、アニメの主題歌のような、本来ピアノ曲ではないものを弾かせてしまうということも少ない。このあたりは、日本の教師のほうが積極的なのではないかと思う。

この「オリジナル志向」というものが、教育作曲家というものの需要につながっているように思う。沢山のピアノのオリジナル作品があると思うし、過去の偉大な作曲家たちも、シンプルで子どもの弾けるような作品は書いているようには思うが、純然たる「教則本」ではなく、「曲」として教材を考える時に、オリジナルものだけというのは、子どもの教材ということを考えると、選択肢は意外と少なくなってしまうのではないかとも思う。

それならば、オリジナルの作品を生み出してしまいましょう・・・という背景があったのではないだろうか?

「きゃっ、素敵な曲!」と、子どもの耳にも、そして教師の耳にもキャッチ―で、バロック風、印象派風・・・のように時代的な特徴、つまり4期学習をもカバーし、そして安易なアレンジものではないオリジナル作品・・・

ギロックのような作品は、このような背景があって生まれてきたのではないかと個人的には想像している。

でも「落とし穴」もあるように思う。それは作品の責任ではないように思う。どう使用するかという指導者側の意識により、落とし穴になる可能性も大きいように思うのだ。一つには、ギロックやキャサリン・ロリンの作品は、オリジナル作品ではあるが、ある意味では本当に偉大な芸術作品へのステップ的要素の強い、「擬似的体験作品」なのではないかと思うのだ。作曲者自身が、そのような意図で作品を残しているように思う。

「どうか、どうか、私たちの作品を弾かせて、そして真に偉大な芸術作品への扉を子どもたちに開けさせてくださいね、お願いしますね・・・」という作曲者たちの意図・・・

非常に危険なのは、古典派のソナチネやバッハの作品を弾くと、その生徒の弱点、欠点が露わになってしまうような場合でも、ギロックのような作品の場合、なんとか「かたちになってしまう」という落とし穴がある。「まぁ、一応雰囲気は出せているし、喜んで弾いているみたいだし、いいんじゃない?」のような落とし穴。

いいわけはないのだ。「でも、専門家になるわけでもないんだし、音大に行くわけでもなさそうだし、いいんじゃない?」いいわけない・・・と僕は思う。ここが落とし穴になってしまうこともあるのでは?

ギロックは最終目的地なのだろうか?あくまでも経過地点なのではないだろうか?生徒が辞めてしまうよりは、どのような動機でギロックらの作品を弾かせようが、いいのかもしれない。でも、それは「逃げの教材」として教師が彼らの作品を利用していることになりはしないだろうか?本当にそれが教育作曲家たちが望んだことなのだろうか?

ユージン・ロシェロールの作品紹介第2弾。なんとも凄いピアノで弾いている。こんなピアノ、日本では見ることはできないのでは?でも演奏は素敵だと思う。

ユージン・ロシェロールは、どのような願いで、この曲を生み出したのだろうか?

「いいんですよ、ここに逃げてくださいね」ではないように思う。

kaz



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category: ピアノ雑感

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コメント

 

私のはこれにまさるとも劣らない凄いピアノなんですが、弾いてみた~い、ロシェロール!楽しくて、切なくって、短くってピアノを再開するには最適です。紹介して下さってありがとう。

mshiomi #- | URL | 2015/05/25 10:32 | edit

mshiomiさま

ユージン・ロシェロール作品は、どこか大人の雰囲気というか、パリの香りというか、雰囲気があるような気がします。たしか、ロシェロールはフランスに留学していたはずで、どこか「おフランス」的な感じはそこからきているのかもしれませんね。

kaz #- | URL | 2015/05/25 11:13 | edit

偉大な作品への、いりぐち

>「どうか、どうか、私たちの作品を弾かせて、そして真に偉大な芸術作品への扉を子どもたちに開けさせてくださいね、お願いしますね・・・」という作曲者たちの意図・・・

この意図を指導者が正確に読み取ることができれば、もっともっとギロックを効果的に使えるのではないかと思います。

ギロックに「ソナチネ」があるのはなぜだろうと考えていて、出会ったのが、全音の「はじめてのギロック」に収録されている「ガヴォット」「ミュゼット」です。
バロックの小品にもある「ガヴォット」や「ミュゼット」という題名の曲を、生徒に与える前に弾いてみました。古典舞踊の知識が必要だと強く感じました。その思いは、バッハやテレマンなどの作品を弾いた時と全く同じでした。
(この2曲は、単独ではなく、連続で演奏するのが正しいようです。レッスンではバラバラに使わず、バッハのフランス組曲の話とか、古典舞曲の話を、学年と理解度に応じてお話しています)

指導者は多くの引き出しを持っているべきだなと感じますね。
ギロックの作品は「逃げ」に使ってはいけないと思う。むしろ、偉大な過去の作曲家たちの作品へのいりぐちとなります。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/05/26 14:06 | edit

なかつかさま

ギロックに代表されるような、アメリカの教育作曲家たちの作品は、音符の数は少なく、でも演奏効果は高かったりします。つまり、発表会などで、非常に聴き映えがする。これ自体はいいことなのだと思いますが、指導者の考え方、そして力量によって、これらの作品が「逃げ」として使用されてしまう危険性も高いわけです。邦人作曲家の作品も同じような使われ方をしているのかな・・・などとも感じたりします。

弾いてはいけない・・・ではなく、弾かせる場合の指導者の意図が問題だったり、あるいは大切だったりするのではないかと思います。

kaz #- | URL | 2015/05/27 06:23 | edit

プラス思考かマイナス思考か

kazさんのおっしゃるとおり、アメリカの教育作曲家たちの作品の特徴は「音符の数はすくなくても、演奏効果が高い」モノが多いです。
また、使い方によって、「偉大な作曲家の作品への入口」ともなります。

ただ、その意図を分かっていなくて、飛びついてしまっていたり、十分に考察しない指導者が多かったり、目立つので、そこが問題なのかなと思います。

ウィリアム・ギロックは自身もピアノ指導者であったことから、偉大な作曲家たちの作品の緒になるものを探して、自作の教材的作品を指導に加えた、ということが始まりだそうですよ。ですので、その意図を汲まずに使用している指導者が目立つ、ということについては、今ギロックが存命であったら、あまり好ましいとは思わなかったかもしれないな、と思います。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/05/27 08:59 | edit

なかつかさま

もちろん、全員ではありませんが、コンクールや色々な先生の発表会を聴いた時、どうもギロック作品やロリン作品、あるいは、湯山作品を弾く子どもの基礎技術の不足を感じることが多かったのです。なんとかさまになっている感じもするのですが、古典作品を弾いたら、無残なんだろうなと容易に想像できてしまうというか・・・

逃げに使っているんだなと、思いたくなくても思ってしまうわけです。

ギロックは泣いているかもしれませんね・・・

kaz #- | URL | 2015/05/27 11:54 | edit

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