ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

アメリカの教材 

 

楽譜売り場、子ども用、初歩用の教材や曲集のコーナーではアメリカのものが目立つ時代になった。「バスティン」「バーナム」「ギロック」等々・・・

なぜアメリカなのか?基本的にはキャッチ―なところが使われる理由なのではないかと思う。キャッチ―な教材を求めていた背景がアメリカにはあったのではないかと想像する。おそらく、アメリカの子どもは、日本の子どもよりも「練習なんかしませ~ん」という感じだったのでは?教師が厳格に、威圧的に「練習しなさいっ!」のようにスパルタ方式で持っていけない背景が、あの国にはあった。そのような子どもたちでも「あっ、いい曲」とか「弾いてみたい」と思わせるような曲や教材のニーズが高まったのでは?

日本の子どもと比較して、大雑把に言えば、アメリカのピアノを習っている子どもの指というか指運びは、どこかフニャフニャだったりする子も多いような気がする。なので「バーナム」という教材が生まれた。需要があったから供給されるべきものが生まれた・・・

キャッチ―ということの他に、個人的に感じているのは、アメリカの教材は4期別学習というものに移行しやすいというメリットがあるように思う。バイエルは古い、良くない・・・とバイエルという教本に批判が集まったが、実はバイエルそのものよりも、使われ方、指導の方法、指導者の考えというものが相当問題だったように思う。昔は教材の選択も少なかっただろうし、情報も少なかったので、仕方がなかったのかもしれない。

「バイエル」~「チェルニー」~「ソナチネ」のような、かつての(僕の子ども時代の)ような画一的なカリキュラムでは、古典派だけしか体験せずにピアノを挫折してしまう生徒も多かったように思う。4期ではなく1期学習?バッハが加わるにしても、ポンと教材として与えてしまうだけでは、生徒は理解できない。大きな音楽史の中のバロック様式・・・のような感覚で学ばないと、インヴェンションなどは苦痛ではなかろうか?指導者がよく分かっていないと「バッハ恐怖症」の生徒が生まれてしまう可能性があるし、実際そのような生徒もいたように思う。「そろそろバッハを・・・」のように、次の教材だからと単純に与えていては、生徒の感受性には応えられなかった。

せっかくピアノを習ったのに、大きな、そして壮大な音楽史のごく一部しか体験せずに「ピアノ・・・退屈」「練習・・・つまらない」「ピアノ・・・つまらない」と辞めていった生徒たち。

むろん、教師側が生徒の進度、能力に合わせ、教材を厳選すればいい話で、そのような教師も多かったはずだ。イタリアンバロックの曲やハチャトゥリアンやカバレフスキー、バルトークなどの曲を織り込み、選択しながらレッスンをしていた教師もいたはずだ。でも一冊の教本、教材として、まとまっていれば、それは教師にとっては魅力だろうと思う。

アメリカの教材は、このかつての狭い1期学習の穴を埋める存在になっているのではないだろうかと思う。キャッチ―である、つまり耳に易しく(?)、子どもの心を捉え、4期別学習に移行しやすい・・・

かつての画一的、古典派一辺倒というピアノ教育界への反動、反省というものが、アメリカ教材の繁栄(?)という現在の状況になっているのでは・・・などとも感じる。

僕がピアノを習っていた時代には、「ギロック」などはなかったように記憶している。今では「ギロック」を知らないピアノ教師などは想像できない。ギロックにしても、キャサリン・ロリンにしても、とてもアメリカ的だな・・・と思う。キャッチ―で、耳に心地よいし、わっ、素敵、きゃっ、弾いてみたい・・・という魅力に溢れている。それは素晴らしいことだ。

でもギロックのような曲には、大きな「落とし穴」も存在しているように個人的には感じている。それはギロックの責任ではない。使用する教師の責任が大きいように思う。かつての「バイエル」がそうであったように・・・

落とし穴については、次回にでも・・・

ギロックやキャサリン・ロリンの作品は、日本でも有名で、多く演奏されているように思うが、アメリカでは、むろんこれらの作品の人気も高いのだが、ユージン・ロシェロールの作品の人気が高いように思う。でも日本では、あまり(ほとんど?)演奏されている気配がない。なぜなのだろう?ユージン・ロシェロールも基本的にはギロックのようなアメリカの教育作曲家なのだが、これから流行るのだろうか?日本人受けしそうなのだが・・・

kaz



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コメント

 

4期

まさにこのことが、アメリカでスズキメソッドが爆発的に流行った理由だと思います。
スズキメソッド(ピアノ)は薄い本が5冊くらいに分かれていて、最初から進んでいくと、知らないうちに4期を網羅する仕組みになっています。5冊終わる頃には日本でいうソナタレベルに達しているのです。
日本のように同時に何冊もの楽譜を抱えてこなくても、このメソッドをどんどん進めればいいわけですね。
それらには2台連弾用の伴奏譜も一部出ているので、お楽しみもあるというわけです。
至れりつくせり、日本で生まれたスズキメソッドなのに、アメリカの考え方とマッチして受け入れられたのですね。
日本では、、どうなんでしょうね。私はこのやり方は勇気がなくてできませんが、クラシックピアノのいいとこ取りではあるので、否定も肯定もできないでいます(笑)

かおる #- | URL | 2015/05/25 13:05 | edit

かおる先生

スズキメソッドではありませんが、大昔にヤマハに関係していたことがあったので(むろんピアノを教えていたわけではないですが)、ヤマハの教材についても、同じようなことを感じました。4期であるということと、何冊も抱えていなくてもいいということ、一冊が薄いということ、教師側が選択しなくてもいい(できない?)ということ、どこかスズキメソッドと似ているところもあるかもしれません。ただ、当時疑問に感じ、今でも不思議に思っていることですが、生徒が何年習っていても弾けない・・・という残念な事実があったのです。バタバタと辞めていき、そのような生徒は、ピアノを楽しむというところまではいってはいなかったので、とても複雑な気分ではありました。教室の先生方もピアノ・・・弾かないんですよね。唯一の発表の場である発表会の講師演奏でも「ゆずりあい」の精神だったり、誰も弾かずに講師合唱だったりしました。そのへんも関係あるのでしょうか?教材を・・・ではなく、教材で何を、どのようにして・・・というところが重要なのかもしれません。

kaz #- | URL | 2015/05/25 13:31 | edit

アメリカの教材

ギロックの作品から4期の別の作曲家の作品へはつなげやすいですね。
例えば、ギロックの「ソナチネ」から古典のクーラウやクレメンティへつなげるとか。そこからモーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン。

そのためには、教材の意図をきちんと掴む必要がありますね。


そういえば、私の後輩がヤマハの講師をしていますが、講師演奏ははやり押し付け合いだと言っていました。その人は別に講師演奏をすることは構わないのだが、講師コンサートに前向きに取り組む人の脚をひっぱる人がどうもいるようで、そう言う人は自分は弾かないらしいのでめんどくさいとぼやいていましたね。

あのね、kazさん。

「教材を教える」って考えているピアノ教師が結構多いから、問題なんだと思います。
教材はあくまで素材だと私は思っています。

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/05/25 21:30 | edit

なかつかさま

押し付け合い・・・やはり哀しい感じです。その理由も恐ーい感じです。

「教材を教える」ではなく「教材で○○を・・・」という発想。そうなると、何を教える、何を伝えるかということになりますね。小目的として「~を」という具体的目的ではなく、そこには、もっと漠然とした、かつ大きく重要なものがあるはずだと。そうなると、教師自身が弾いていないと、言葉を変えると、教師自身が追って、求めていないといけない感じですね。

そこをピアノ教師の方々に書いて欲しいなぁ・・・などと思うのです。

kaz #- | URL | 2015/05/27 06:14 | edit

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