ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

幻想即興曲 

 

医大生Hさんの部屋で音楽を聴く、留守がちだった両親のいない家にいるよりも、彼の部屋で音楽を聴かせてもらうのが好きだった。小学3年生の時からだから、もう3年になる。Hさんは何も知らなかった僕に、たくさんの歌手やピアニストの演奏を教えてくれた。

「Hさんは勉強しないの?」「夜中にするんだ。それまでは音楽の時間なんだ」「ふーん・・・」

中学進学についても、Hさんに相談したりしていたし、停滞するピアノのレッスンというものに関しても相談したりしていた。「僕・・・まだバイエルなんだ。遊びではショパンとか弾くけど・・・」「いいじゃない?ピアノで遊べたら」「そうかなぁ?」「フランソワは聴いたよね?彼はこう言っていたんだ。ピアノを弾く?なんて恐ろしいことを!ピアノで遊ぶだろ?・・・とね」「ふーん」

4年生の時に先生に一度だけ勇気を出して言ってみたんだ。「僕、ショパンのワルツを練習して弾けるようになったんです。来週弾いていいですか・・・」と。

「あなた、バイエルも終わってないじゃない?なにバカなこと言ってるの?そんなの認めません。絶対に。バイエルを練習しなさい。楽譜だって読めないでしょ?あなたのように弾けない生徒は初めてなのよ」

停滞レッスン・・・でも音楽を聴くのは大好きだったし、ピアノで遊ぶのも好きだった。

「コルトー聴こうか?まだ聴いたことないよね?」

その頃は、たしかポリーニのショパンのエチュードのレコードが発売されて、少し経った頃だと記憶している。ポリーニの演奏は、すべての音に光をあて、クリアなものを追及したような演奏だった。

「僕はね、この演奏はこれからのピアノ演奏の概念を変えてしまうとさえ思うんだ。でもそれでいいのか僕は疑問なんだ。個人的にはポリーニは嫌いだ。平凡な第二、第三のポリーニでこれから一杯になるよ。つまらないね・・・」

Hさんはそう言った。「コルトー・・・聴こうよ」

コルトーの演奏を初めて聴いた。いろいろ聴いたけれど、ショパンの「幻想即興曲」に惹かれた。とても詞的で斬新で、そのサウンドが頭の中から離れなくなった。

「このような演奏・・・なくなってしまうのかな?」とHさんは言った。独り言のように・・・

全音のピースの楽譜を買い、僕は翌日から猛烈に「幻想即興曲」を練習し始めた。数か月後に発表会があった。それまでは、簡単な編曲ものや、せいぜいブルグミュラーしか弾かせてもらえなかったけれど、僕はショパンを弾きたいと思った。それ以外にないとさえ思った。コルトーの独特の「節回し」に圧倒された。「こんな演奏があったのか?こんなピアノがあったのか?」

ピアノのレッスンは辞めようと決心していた。中学進学が理由になると思った。発表会は、たしか4月だったと記憶している。そこで「幻想即興曲」を弾いて辞めよう、もしくは、先生を変えよう・・・と思っていた。でも弾かせてくれるかな?

「ショパン?無理に決まってるでしょ?私に恥をかかせる気?辞めるの?それもいいわね。あなたはピアノに向いてない。辞めた方がいいと思うわ。発表会?最後だから出てもいいわ。でも私はレッスンしないわよ。勝手に弾けばいいわ」

先生は僕の「幻想即興曲」の楽譜をビリビリと破き始めた。「無理だって・・・絶対に・・・何を言うかと思ったら・・・」

Hさんはピアノ教室とか、そのような世界が好きではなかった。「発表会かぁ・・・僕そういうの苦手なんだな・・・」

「下のピアノで弾いてよ。聴いてみたいな・・・」

Hさんは僕の拙い「幻想即興曲」を真剣に聴いてくれた。

「ねっ、コルトー・・・だろう?いいじゃないか・・・素敵なショパンだと思うよ。kaz君、ピアノ上手いんだね?」

初めて人から褒められた瞬間だった。

30年の歳月が流れた。Hさんは医大を卒業し、日本で医師として働いていたが、ある日Hさんから葉書がきた。「僕は今インドにいます。こちらでは医療を受けられない人も多いし、水準も高くない。同じ人間なのにね。同じ医療を受けられないておかしいじゃないか?そう思うよね?だから僕はインドで暮らそうと思う。インドで医師として何かできたらいいと思うんだ」

僕はピアノを再開しようとしていた。独学で練習はしていた。でも独学では無理だと思っていたし、先生を探していた。昔と違い、ネットがある。何人かの先生の体験レッスンも受けた。でも「何か違う・・・」と感じた。

ハンガリーに留学した人のホームページに行き着いた。そのページには個人レッスンのことも記されてあったし、よくあるような、何人を音大に合格させたとか、コンペティションで入賞させたとか、そのような記載が一切なかった。また、イラスト満載の、よくあるページとも違っていた。「この人・・・いいかも・・・」

日本の大学では哲学を専攻していた。そしてピアノでハンガリーに留学・・・

僕はピアノを再開して、まずは「幻想即興曲」を練習した。「ブランクって?」と思った。指が動かないとか・・・あまり思わなかった。もともとが動いていなかったのかもしれない。Hさんが言っていたサンソン・フランソワの言葉を思い出した。「ピアノを弾く?なんて恐ろしい・・・ピアノで遊ぶだろ?」という言葉を。

初めての再開ピアノのレッスンで、僕はショパンのマズルカとハイドンのソナタを弾いた。正直言うと、ピアノの先生という人達が怖かった。もしまた何か傷つくことを言われたら・・・もうあの時のような弱い子どもではないけれど・・・

先生は僕の演奏をまずは、静かに聴いてくれた。そして言った。

「素敵じゃないですか?何か古いピアニストの雰囲気を感じますね?コルトーとか・・・素敵ですよ。いいじゃないですか?」

僕はピアノを再開しようと思った。

kaz



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コメント

 

暴力

メトロノームや楽譜を投げたり、ピアノの蓋をいきなり閉めたり、は聞いた事がありますが、楽譜を破るというのは初めて聞きました。
勝手に涙が出てきます。

フランソワの言葉が今の私には道標になります。

かおる #- | URL | 2015/05/15 12:53 | edit

かおる先生

僕には「メトロノーム投げ」のほうが衝撃的だったりします。楽譜破りも凄いですが、すくなくとも怪我はしない。ピアノの蓋を閉める・・・も怪我しますよねぇ・・・

フランソワ、彼は譜の読み違いが結構あるんですよね。そこが彼らしいなどとも感じたりしていたのですが、彼は幼少の頃の事故が原因で、斜視だったのだそうです。なので、楽譜を読み間違ったみたいです。でそしてレコーディングなどで指摘されても直さなかったのもフランソワらしいです。「ワンテイク」の人だったのでしょうか?

kaz #- | URL | 2015/05/15 13:07 | edit

どうしてピアノの先生は、偉いと勘違いするのか、不思議です。

人を傷つけることに無神経な人が音楽好きなのかも疑問です。。。

ゆうこ #- | URL | 2015/05/16 07:10 | edit

ゆうこさま

僕がピアノを習っていた頃(今も習っていますが)、それは昭和40年代だったのですが、僕の先生に限らず、厳しい先生は多かったように思います。ピアノの先生は、どこか日本の伝統芸能のお師匠さんのような趣があったというか・・・

ヒステリックだったり、暴力のある(言葉の暴力も含め)先生もいたのではないかと思います。

いきなり多くの生徒を教えたということもあるのでしょうか、あの頃はピアノ教室には生徒がワンサカいましたから。同じことを繰り返すということ、弾けないピアノを連続で聴くことで、キレてしまったのでしょうか?

現在の「お花満載」「夢いっぱい」「キラキラ」というレッスンを強調する風潮は、この時代の反動、もしくは反省なのかもしれませんね。

kaz #- | URL | 2015/05/17 05:05 | edit

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