ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

弾けなくてもいいの・・・ 

 

「はじめまして。ブログ拝見しました。私は40代のピアノ講師です・・・」

このような書き出しのメールに、「反論メール?中傷メールか?」と身構えた(?)のだが、そうではなさそうな感じだ。反論ではあるけれど、中傷メールではなかった。僕の一つ前の記事に反応したメールなのだと思う。音大のピアノ科というところは、ピアノの演奏を勉強するところだと僕は書いた。

「kazさんも建前であろうと書かれていましたが、本当に建前です。演奏で生計を立てていける人なんて音大卒の人にはいません。これが実態です。一般企業に就職したりする人も多いです。でも、やはり街のピアノ講師になる人がほとんどなのだと思います。卒業後、私たちピアノ講師は、子ども(あるいは初歩の大人)の指導をしなければいけないわけです。そんなこと、音大では習っていないわけです。一応、自分の演奏というもの、つまりピアノの演奏が専攻だったわけで、指導法ではなかったわけですから。矛盾を感じます。なぜ、指導法専攻の音大が一般的ではないのか。音大のピアノ科は、一部の音大を除き、すべて指導法専門課程に変えるべきです。それが需要と供給を考えても自然だと思います。つまり、ショパンやらベートーヴェンが弾けようと、弾けまいと関係ないのです。求められるのは、専門的な指導法の知識です。音大で専門的に指導法を教えていないから、卒業して教室を開いてからセミナーに通い勉強するしかないのです。悩んでいるピアノ講師は沢山いると思います。正直、指導法を専攻するとしたら、そんなに難しい曲なんか弾けなくてもいいのです。別にピアニストになるわけでもないのですから。チェルニー30番程度でも技術的には充分ではないでしょうか、せいぜい40番くらい?これ以上のレベルが弾けようが、実際の指導には関係ないのです。それが現実です。自分たちが弾けようが、弾けなかろうが、実際に指導する際には関係のないことです。それよりも求められるのは、教材への知識とか、指導法そのものです。私は音大のカリキュラムが現実と一致していないことが問題だと感じています」

とても長いメールで全文ではないけれど、大体はこんな感じのメールだった。「ピアノ講師」という言葉に違和感を感じる。「ピアノ教師」では・・・などとも思うが、まぁ、そこは本題ではなかろう。

ピアノ科卒業後、いきなり現実との遭遇・・・その部分は理解できる。音大では少なくとも「どうしたら練習してきてくれるのかしら?」なんていうことで悩む教授なんていないはずだし、学生だって指導教官に「ピアノ・・・ツマラナ~イ」なんて言わないだろう。でも現実の現場では、最初は目をキラキラさせてピアノを弾き、レッスンでも生き生きとしていた生徒が、教材が進むにつれ、学年が上がるにつれ「ピアノ・・・ツマラナ~イ」という生徒が増える。ピアノ教師が悩むのも理解できるし、教材研究やセミナーが必要なのも理解できる。やはり、現実には対応しなければいけないわけだから・・・

でも、ピアノ演奏において、メカニックの取得が目的ではなく手段であるように、教材研究や指導法研究も手段なのではないだろうか?個人的には「目的」ではないと感じるがどうなのだろう?

気になるのは、ピアノ教師の技量として、チェルニー○番程度というところだ。これはピアノ教師は「スカルボ」やら「イスラメイ」が弾ける必要はないということなのだろうと解釈する。実際にはそんな生徒は、音大で教えているような先生だけにしかいないだろうし・・・ということなのだろう。メールにも「実際にはチェルニー40番あたりまで進まずに辞めてしまう生徒がほとんどなので・・・」という記述があるので、そのような意味なのであろう。この考えは、ピアノ教師はバリバリと弾けなくてもいい、本領はそこではないのだ、あくまでの指導力なのだ・・・というところにつながるのだろうと思う。

バリバリ弾けなくてもいいとは思うが、やはり弾けないと、というか、弾かないとマズイだろうと個人的には思う。教師自身が弾いていないで「なんで練習なんかしなくちゃいけないの?ツマラナ~イ」と生徒に言われた時に、答えようがないではないか?「そうね、そのとおりよ。だから先生もピアノ弾かないの・・・」とは答えられないだろうと思う。導きようがないというか・・・

それよりも、生徒が勝手に(?)音楽に開眼してしまったらどうするのだろう?「先生・・・ピアノ、音楽っていいね・・・」と純粋な目と心で言われたら、指導法オンリーの先生は「えっ?」となってしまわないのだろうか?

先生自身が追っている姿を生徒は感じるものではないだろうか?違うかな・・・

最近、クラウディオ・アラウについて調べたりしているのだが(一応孫弟子なので?)、アラウはこのように言っている。

「先生と生徒の関係というものは、お互いに反応しあう相互的なものなのだ」

おそらく、彼自身の先生であったマルティン・クラウゼとの関係からアラウはそのように言ったのだと解釈する。クラウゼがリスト自身から、どのように彼のエチュードのある部分を弾くように導かれたかを、クラウゼはアラウ少年に熱く語ったのだと言う。アラウは自ら、自分はクラウゼ~リスト~チェルニー~ベートーヴェンという伝統継承を引き継いでいると自負している。

伝統の継承・・・ピアノ教師の役目はそこにあるのではないかと個人的には思う。躾け教室でも、マナー教室でもないし、忍耐道場でもない。伝統なんて重苦しい言葉ではなく、弾けるようにさせるところ、弾けるようになれるところ・・・と考えると僕でも分かりやすい。

もし、子どもにピアノを習わせたいという親がいて、どの先生がいいのか判断できなかったら、「教材」とか「生徒コンペティション実績」とかそのようなことよりも、このように質問してみたらいいのではないかと思う。

「先生は演奏されるのですか?」と。

そんなことを考えていて思い浮かんだのが、ルドルフ・ゼルキンの演奏。メンデルスゾーンのコンチェルトなんて、若さ溢れる曲、青春そのものような曲だと思うけれど、実に生き生きと演奏している。この時、たしか彼は80歳近い年齢だったはずだ。でも死ぬまで青春だから・・・

それを伝えられるのもピアノ教師だと思うがどうだろう?

指導法=演奏力・・・というか「弾かずにはいられない熱い心」では?

「弾かない」とか「弾けなくてもいい」と心の中で決意してしまったら、この老ゼルキンのメンデルゾーン、聴くのが辛いんじゃないだろうか?

kaz



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コメント

 

「弾けなくてもいい」って思わない

Kazさんの今回の記事、私もkazさんに同感です。

このメール送ってきた人は私と同世代、多分私よりちょっと下の方だと思います。そして、この方と同じような意識の方はたくさんいらっしゃいます。私もそういう同業の方にお会いしてきました。

気持ちはわかる部分もありますが、同業だけどこの方の意見に賛成できないですね。

生徒をある程度人数持っていると確かに、自分の練習時間は少なくなります。それでも、演奏を続けている方も、この方がご存知ないだけでたくさんいらっしゃる、というか増えてきました。

私はピアノから離れていた時期があります。
教えているだけだった時期。もちろん生徒も少なかった。
腕が落ちてくるのがわかるんです。自信も失っていった。
それでは嫌だったんですよ。

うちの生徒ちゃんたちが言ってました。

「やっぱり、先生が弾く姿を見たい、演奏を聴きたい」

って。

保護者の方でも、きちんとやらせたい方の場合は、私がたまたま、諸事情で講師演奏しなかった発表会のあとに

「今年先生が講師演奏されなくて寂しかったです」

と、おっしゃいます。

音大目指してる子たちじゃありません。
街のピアノ教師をそんなに卑下しないで、って私は言いたいです。

(ちなみに、そう思っている、ネットできちんとブログを書いているピアノの先生も増えてますよ)

なかつかさきこ #QFk3YRjk | URL | 2015/05/14 13:09 | edit

インパクト

なかつかさま

やはりインパクトというか、イメージなのではないかと思います。すべての、いや多くの先生が「弾かなくてもいいの」と思ってはいないだろうな・・・という基準なりが自分の中にあったとしても、やはりメールをもらうとインパクトがあります。

ピアノ教師ブログにも自分の演奏のこと、追及していることを記している人もいるのだと思いますが、まだまだピアノ教師ブログの中では目立たないのではないかと思います。

個々の教師・・・ということではなく、全体的な流れ・・・のようなものです。最近の傾向として、セミナーの話題が目立ちます。街のピアノ教師が街のピアノ教師を指導する・・・という流れです。そのような考えや流れがあってもいいのですが、あまりにも主流のように感じます。数が多いからですね。このインパクトはとても大きい・・・

もちろん、全員がAという考えではない、Bという考えの人もいるのだ・・・ということは頭では理解できますが、やはりブログという媒体からのインパクトは大きいです。当たり前のことですが、生徒のこと、レッスンのこと、教材のこと、グッズのこと、そしてセミナーのこと・・・など、日々接していることの話題が多くなり、先生方のブログ内容が似てしまうのも分かるのですが、ちょっと最近は限度を超えているのではとも感じます。

「教師のためのブログの書き方講座」なるものもあり、繁栄しているとも聞きます。ブログも今の時代、ピアノ教室にとって大事なものだと思いますが、問題はそこ?・・・などとも正直感じます。

ピアノ教育界に厳しい眼差しを向けている人は僕だけではないと思います。でも、ピアノ教師全員がそうなのね・・・という眼差しではないです。そう思っているのは僕だけではないと思いますが。むろん「そんな教師ばかりではないのだ」という教師の言うことも理解できますし、実際自身の演奏うを捨てていない先生も多いのでしょう。自分の先生も「弾く先生」ですし、演奏活動もしています。ピアノサークル仲間にもピアノ教師の方はいて、アマチュアで演奏をするという、とんでもないプレッシャー(だと思います)の中で演奏している人も知っています。

やはり全体のパッと見た印象・・・なのでしょう。たとえば、ブログ村ピアノ講師ブログカテゴリーを上位のブログからざっと読んでいきます。その印象なのではないかと思います。探せば、なかつかさまの仰るような内容のブログもあるのでしょうが・・・

kaz #- | URL | 2015/05/14 14:17 | edit

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