ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自分を変えた歌 

 

サンドロ・ルッソというピアニストをご存知だろうか?名前から判断できるように、イタリアのピアニストだ。シチリア出身らしい。現在はニューヨークに在住している。この人は、ユーチューブという媒体を中心に世界中にファン層を広げていったピアニストであるともいえる。

実は、この人の演奏、僕の場合もユーチューブで知ったのだが、「この演奏・・・好きだ」と、彼の演奏は「お気に入り」に入れていたりしたのだが、彼の経歴を調べたりとか、他にはどのような演奏があるのだろう・・・と、そこまでは追ったりはしなかった。ただ、その演奏から彼がピアニストであるということは判断できたけれど、たとえばポリーニやキーシンのような知名度のピアニストではないだろうとのことから、再度彼の演奏を検索からヒットさせるのは困難だと感じ、お気に入りにいれていたのだ。たしか、メトネルの演奏だったと記憶している。

メトネルの曲について、僕はあまり(全く)詳しくはない。なので、比較的有名なピアニストのCDを購入してソナタや他の作品を聴いたりしていたのだが、そのCDの演奏があまり良くなかった。なのでユーチューブで比較したのだと思う。そしてサンドロ・ルッソの演奏を知った。なんというか、内側から出てくる演奏・・・と感じたように記憶している。非常に感激したのは事実だが、僕のメトネル熱が下がると同時に、彼の演奏も忘却の彼方になった。でもお気に入りから削除することはしなかった。ただ、聴くこともなくなった。

ジュゼッペ・ディ・ステファーノのことをネットで検索などをして遊んでいるうちに、サンドロ・ルッソの文章がヒットした。ピアニストが歌手について書いた文章そのものが珍しいし、何よりもその文章にはピッポに対する愛情に溢れていたように思う。

「へぇ~ピアニストでもここまで歌手についての想いを綴っているんだぁ、イタリア人だし、ピッポと同じシチリア人だからだろうか?」などと僕は思った。そしてサンドロ・ルッソについて検索するうちに、「あ、あのメトネルを弾いていた人じゃないか?」と僕の中でつながったのだ。

イタリア人のピアニストだから、さぞかしオペラ歌手についても詳しいのかと思ったのだが、意外にもそうでもないらしい。ピアニストはピアノばかり聴いて育つものなのだろうか?サンドロ・ルッソは父親へのプレゼントとしてディ・ステファーノのCDを購入した。友人の歌手に相談したところ、「それだったらピッポのCDがよかろう」ということで選んだらしい。CDに収録されていた曲そのものは、ルッソ自身が幼いころから親しんだナポレターナ中心のもので、よく知っているものだった。プレゼント用のCDであるにもかかわらず、彼は聴いてみたい衝動に駆られたのだ。そしてピッポの歌唱を聴いた。「カタリ・カタリ」を・・・

ルッソに衝撃が走った。「僕が今までピアノを弾いてきた、音楽をしてきたのは、この歌唱に巡り合うためだったのでは?」そしてこうも思った。「ピッポの歌唱に巡り合った、それは僕のピアニストとしての再出発をも意味する、彼は僕を変えたのだ」と。

それまでは「ホロヴィッツのように弾けるようになりたい」とルッソは秘かに思っていた。それが変わった。「ピッポのようにピアノが弾けたら」と。

サンドロ・ルッソは自分に影響を与えた音楽家として、ピアニストだけではなく、ピッポやカラス、そしてコレッリの名前を挙げている。ピアニストとしては珍しいのではないかと思う。むろん、ピアニストの名前も挙げているが、なんとなく僕の好みと一致しているような気がした。ホロヴィッツは、まぁ、理解できるとして、モイセイヴィッチやフリードマン、そしてシフラやカッチェン、スティーヴン・ハフの名前が挙がっているところに親近感を感じたりもする。

コンポーザーとして、ローウェル・リーバーマンを尊敬しており、自らも弾いているが、そのあたりはスティーヴン・ハフもそうなので、僕としては増々親近感を感じる。

いくつか、サンドロ・ルッソの演奏をユーチューブで聴く。コンポーザーピアニストとして、ハフ以外にも彼は(何故か?)アムランを尊敬しているようで、彼の作品も弾いたりしている。個人的には、そのような超絶系のものよりも、「歌」を感じさせる曲、演奏に魅力を感じる。

これからの時代、メジャーなコンクールで華々しく登場し、上から降りてくるような感じのピアニストを皆が一様に追うのではなく、聴き手サイドが真に求めているようなピアニストを、聴き手が発掘していく時代になるのではないだろうかと僕は予想している。サンドロ・ルッソのようなピアニストの登場の仕方が、これからは増えていくように思う。

なぜなら、今までのような登場の仕方のピアニストの演奏が実に面白くないからだ。立派なコンクール歴、でもつまらないもん。そのようなピアニストの演奏が多すぎる。

個人的には、フジコ・ヘミングというピアニストの演奏は好きではない。というか、どこか認められないという感覚を持つ。なんというか、「弾けてないじゃん、それじゃいかんでしょ?」と思うのだ。チケットも演奏の質を考えれば高価すぎるような気がする。

でも、判断するのはピアニストや評論家ではない。聴衆なのだ。フジコ・ヘミングがどうこう・・・ではないのだ。世のピアニストたちの演奏がつまらなすぎるのだ。退屈すぎるのだ。だから彼女が出てきた。僕はそう思う。

サンドロ・ルッソの演奏は次回にでも紹介するとして、今回は彼が「自分の再出発」とさえ感じたピッポの「カタリ・カタリ」を紹介したい。この歌唱に心から憧れる人ならば、きっとその人は、いいピアニストになれるだろう。サンドロ・ルッソのように・・・

ピアニストがいて、聴衆がいるのではない。聴衆がいるからピアニストがいるのだ。

心に訴えないピアニストが今は多すぎる。

kaz



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