ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

舞台中毒 

 

大昔のことだが、楽器店の営業をしていた時期がある。講師の人たちの会議に出席することも多かったのだが、印象的な出来事があった。「では、今年の講師演奏はどなたに・・・???」ここで沈黙が支配してしまうのだ。「えっと、私は去年B先生と連弾したから今年は困るんです」「私もエレクトーン弾いたわ」「C先生はまだ何も弾いたことないでしょ?初めての発表会なのよね?卒業して間もないんだから弾ける曲あるでしょ?」「そうね、C先生は若いからいいんじゃないかしら?現役みたいなもんだし」

講師演奏の押し付け合いみたいな場面は、それほど珍しいことでもないのだろうか?冷静に考えると(考えなくてもだが)、卒業して間もないから弾けるとか、若いから弾けるとか、講師を経験していると「ピアノが弾けなくなる」ということを、講師自身が肯定してしまっているような気もするが、やはり講師演奏というものは気が重いものなのであろう。日頃教えている生徒の前で演奏するという発表会ならではの状況は、やはり厳しいものなのであろう。弾きにくいだろうなぁ・・・と思う。

ピアノ教師が人前で弾かなくなる理由は、ここにあるのかもしれない。「まっ、先生の演奏だわ!」と聴かれてしまうわけだ。上手で当たり前という恐ろしい状況で弾くわけだ。そりゃあ弾きにくいだろう・・・

その点、アマチュアは気楽なものだ。でもどうなのだろう?「まっ、聴かなきゃだわっ!」みたいな特殊な状況ではないまでも、練習の苦労とか、本番での緊張とか、そのあたりはアマチュアだろうとピアノ教師だろうと、演奏家だろうと同じだろうと思うのだが・・・

アマチュアのピアノ弾きの方が、サークルなどに所属したりして、人前での演奏機会をキープしている人がピアノ教師よりも多いような気がするがどうだろう?むろん、日頃は教えるということをメインにし、収入のほとんどを教えるということから得ている人でも、定期的に演奏活動をしている人はいる。サントリーの大ホールでリサイタル・・・なんていう華やかさではないけれど、サロン的な場所などで演奏しているピアノ教師だっている。でもそのような人は、どこか「ピアニストさんだから・・・」的に捉えられてしまっていて、一般の(?)街のピアノ教師とは別扱いだったりする。

なぜ弾かないのだろう?そして、なぜ弾くのだろう?

アマチュアが人前で弾くのは、気楽だからなのだろうか?「モチベーション維持のためにサークルに所属しています」という人は多いように思う。まぁ、これは練習の成果を披露したい・・・というよりは、孤独に練習することだけの繰り返しというものがつまらないということでもあるのかもしれない。レッスンで先生には聴いてもらえるし、一年に一度程度は発表会だってある。でも、それでは回数が全然足りないし、幼児、子ども中心の発表会の中で大人として弾くというのも弾きにくかったりはする。なので、サークル・・・ということになるのかもしれない。

ピアノ教師のサークルもあるらしい。でも、アマチュアが割とブログなどで人前演奏を綴るのに抵抗がないように思えるのに対して、ピアノ教師の演奏活動は表面には出てこない。そのような教師のブログはないように思えてくる。むろん、探せばあるのかもしれないが、あったとしても、その多くが、どこか教材研究発表会の趣きだったりして、ショパンやラフマニノフの曲を暗譜で弾き合うという会は非常に珍しいのでは?少なくとも、「ブログ村ピアノ講師カテゴリー」でそのような演奏活動記のような記事はあまり(ほとんど)ないように思う。ありますよ・・・ということは書いてくれなくては知ることができない。まぁ、書いて欲しいということでもないのだが・・・

専門家として弾きにくいということはあるのだろう。アマチュアのように「崩壊しましたぁ・・・」のように書くわけにもいかないだろうし。

でもピアノに限らず、そして演奏というものに限らずだが、表現する芸術って表現する人だけで完結するものなのだろうか?人に見られるのは苦痛で家で一人踊るバレリーナとか、世の中にはいるのかもしれないが、特殊なのでは?ピアノ演奏だって聴いてくれる人がいて成り立つという側面もないだろうか?

自己顕示欲というものは、どうも「あまりないほうがいいもの」のようにされてしまうけれど、表現者は自己顕示欲が必要なのではないだろうか?あまり表に出てきてしまうのもどうかと思うが、「聴いて!」という部分が皆無だと人前で演奏するという発想すらしないものなのでは?

舞台というものは麻薬みたいなもの(ドラッグは経験ないが)だと言う。なんとなく理解できる。自分の演奏に集中している人がいるという感覚、音楽が動くと会場の空気も動くような魔法のような瞬間・・・

もしかしたら、自己顕示欲が強すぎるから人前での演奏が恐くなるのでは?失敗が異様に怖くなるのでは?

専門家だからこそ、芸術を理解していて、その厳しさをも分かるから、その点が気楽なアマチュアとは異なるという意見もあるみたいだが、偉大なピアニストは人前での演奏が好きだったのではないだろうかと僕は思っている。たぶん、弾くことが喜びであったのではないだろうかと・・・

そして「舞台中毒」のようなところもあったのではないだろうかと・・・

最近の演奏家には、「ああ・・・自分は演奏が好きなんだ」ということを聴き手に伝えられない人もいるようだが、偉大な人たちは「好きなんですね?舞台中毒なんですね・・・」ということが聴き手に伝わる演奏をするように思う。実際に会場の空気も動いているし、聴き手の何かを動かすことができる。自身が動いていなければ他人を動かすことは不可能だと思う。

高校生のミュージカルを観ていて感じたのだ。とても一生懸命・・・以上のものがあると。それは、彼らが若いながら「舞台中毒」なのだろうと。若いからこそ・・・と言うべきか・・・

むろん、高校生なのだから、ブロードウェイのプロの人たちと比較すれば、まぁ、いろいろとあろう。クリティカルに批評してしまえば、そりゃあ、何か未熟なところはあるだろう。でも彼らは普通の高校生なのだ。そして彼らは重症な「舞台中毒」でもある。

若いから、そして純粋だからこそ、その自らの中毒を表に出してしまうことに躊躇しないのであろう。そこが素晴らしい。自らが惹かれてしまっているということを表現できてしまうから空気も動く。観ている人も動くのだ。

弾く理由、弾かない理由・・・

それぞれが100くらいはあるだろうと思う。でも再度、自分の心の中に問いかけ、叫んでみてもいいのかもしれない。「何故?」と。

kaz



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