ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

弾くことが生きることだから・・・ 

 

どうして弾けなくなるの? <音楽家のジストニア>の正しい知識のためにどうして弾けなくなるの? <音楽家のジストニア>の正しい知識のために
(2012/07/27)
ジャウメ ロセー イ リョベー、シルビア ファブレガス イ モラス 他

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レオン・フライシャーがジストニアを患った時、「何故よりによって指なんだ?右手なんだ?」と感じたのではないだろうか?拘縮、麻痺・・・何故右手なんだろうと。

フライシャーが両手のピアニストとしては引退を余儀なくされたのが、たしか60年代のことだったように記憶している。ジョージ・セルとクリ―ヴランド管弦楽団と共演した一連の協奏曲での録音で、フライシャーは「才能あるピアニスト」という評価だけではなく、「真の芸術家」であるという評価をも得ることに成功したように思う。特に、ブラームスの1番と2番の協奏曲は凄い演奏だ。その後、数年後にジストニア発症・・・目の前が真っ暗になったのではないだろうか?

フライシャーは単なるピアニストではなく、音楽家であったから、右手が使えなくなっても、自分の芸術を表現する方法があった。左手のピアニストとして活躍したし、指揮者としても有名になった。もちろん、教育者としても新たな道を歩んだ。

左手のピアニストとしては、最も成功したピアニストだと思う。いつのまにか、左手で演奏するフライシャーが普通の姿にさえなっていった。

でも、彼は諦めてはいなかったらしい。治療が極めて困難だとされるジストニアだが、彼は治療法を模索していたのだ。30年以上という年月が流れた。その30年の間に、すっかり「偉大なる左手のピアニスト」というイメージが固まったフライシャーだが、2000年代に入って、いきなり両手のピアノ曲を演奏し、そのCDが発売され、ピアノ界を驚かせた。この突然のフライシャーの復帰は、同病の人、特に音楽家に大きな勇気と可能性を与えたものと想像する。

トゥー・ハンズトゥー・ハンズ
(2004/11/25)
フライシャー(レオン)

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でも、突然ではなかったのだ。治療によって、右手が少しずつ動き始めた時から、彼は入念な準備を行っていたに違いない。30年間、両手のレパートリーは弾いてこなかったのだ。準備も必要だろうし、いきなり完全な状態で右手が動くようになったわけでもあるまい。ただ、少しだけ光が見えた時から、彼は復帰を目指してきたのだと思う。フィンガリングも、かつてのものとは変える必要だってあっただろう。

CD発売の数年前の演奏、このブラームスの協奏曲は、かつて若かった自分を世に出してくれた曲でもあった。その曲を弾いている。正直、演奏しているフライシャーの右手を見ると、なんだか胸が痛くなるほどだ。「ここまでして準備するのか、ここまでして弾くのか」と・・・

かつての重要なレパートリー、得意な曲だっただけに、余計に困難だった側面だってあったと思う。でも、あえてブラームスをフライシャーは選んだ。この曲は彼にとって記念碑的な曲でもあったのだから・・・

フライシャーには使っていい言葉だろう。「弾くことは生きること!」

kaz



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