ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

永遠の青春 

 

Schubert: Die SchŠne M„llerin, 3 Lieder / Fritz WunderlichSchubert: Die SchŠne M„llerin, 3 Lieder / Fritz Wunderlich
(1996/09/17)
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ヴンダーリヒが、その短い生涯で録音したチクルスはシューベルトの「美しき水車小屋の娘」とシューマンの「詩人の恋」で、どちらも最高の出来栄えとなっている。むろん、彼が若くして亡くならなければ、さらに音楽的にも成熟した音楽を聴かせてくれたと想像する。「水車小屋・・・」であれ「詩人の恋」であれ再録音をしたと思うし、現在残されている録音は、「かつて若かった頃のヴンダーリヒのフレッシュな演奏」として記憶されただろうと思う。でも、彼が「水車小屋・・・」と「詩人の恋」というチクルスをまず録音したのには理由があったように感じる。どちらも、いわゆる「失恋ソング」というもので、若者特有の心情というものが歌世界の基盤になっているようなところがあるからだ。録音に際して、まずは、若い頃の自分・・・という意味合いもヴンダーリヒにはあったように思う。

「詩人の恋」はともかく、「水車小屋・・・」の歌詞世界には、ついていけないところがある。旅に出るというところは理解できるが、恋をして、失恋したからと言って、なぜ死ななければならないのだろう?人生は山あり谷ありで、生きていればいいことだってあろうに、たかが恋愛ごときで命を絶つなんて・・・純粋すぎるというか、青いというか・・・

シューベルト自身は、「水車小屋・・・」の歌詞に共感したらしく、詩集を手にしたその日に数曲を完成させてしまったほどだと言う。シューベルトも若くして亡くなった。

年齢を重ねると言い訳が上手くなるような気がする。自分に対しての言い訳。色々なことが面倒になるのだ。ピアノを弾くこともそう。これはアマチュア、プロ、生徒、教師・・・関係なくだと思うけれど、ピアノを弾くという根底には「愛」というか「純粋なる青さ」「熱き若さ」のような情熱があるからこそなのではないかと思う。ここが枯れてしまうとピアノの継続は難しい。枯れてしまう・・・ではないね、面倒になってしまうのだ。練習も辛かったりするし。弾かない理由なんていくらでも思いつく。

若い頃の熱い自分を思い出して「フ・・・若かったね・・・青かったね」と思う。自分が成長したわけではない。逃げが上手くなったのだ。面倒になったのだ。死ぬ直前に、また後悔するだろう。「なぜ自分は追わなかったのだろう」と。その時に100の理由が、実は言い訳だったことに気づくだろう・・・

逃げている時にヴンダーリヒの歌声を聴くのは非常に辛かったりする。彼は逃げのない「熱き人」だったように感じるから。

フリッツ・ヴンダーリヒの人生そのものが熱きものだったように思う。両親ともに音楽家だったけれど、フリッツが5歳の時に父親は自殺している。これはフリッツに大きな影響を与えたに違いない。精神的にもだろうが、フリッツは自分で働いて声楽のレッスン代を稼いだりしていたようなので、経済的にだって大変だったのだろう。歌手の場合、ピアニストとは異なり、最初から声楽家を目指していたという人は意外と少ない。フリッツも音楽大学での専攻はホルンだったらしい。ホルンに限らず、様々な楽器に親しんでいたらしいから、根っからの「音楽少年」だったのだろう。他の歌手と同様に、フリッツの場合も、むしろ周囲が彼の声の良さに気づき、本人に声楽家への道を勧めるというパターンだった。

ピアニストの場合、物心ついた時にはピアノを弾いていた、そしてかなりのレベルに進んでいたという人が多い(というか、ほとんど?)ように思うけれど、歌手の場合は、志す瞬間、決意をする瞬間というもののあった人が多いように思う。ここが熱いな・・・と思うのだ。「フ・・・青いな・・・」などと感じたら歌なんて歌えないのでは?

「フリッツ・・・素晴らしい声だと思うの。声楽家を志してみたらどう?」「歌は好きだけど・・・歌手になんかなれるかな?」「歌は好きなんでしょ?音楽が好きなんでしょ?」「うん・・・俺・・・歌が好きだ・・・俺・・・やってみるよ・・・」

偉大な歌手に存在した人生の熱き一瞬・・・

フリッツ・ヴンダーリヒは35歳という若さで亡くなった。歌手としてキャリアの絶頂期であったし、彼のような声、彼のように歌えるテノールなんていなかったから、音楽界には衝撃だったろう。死因が階段からの転落死というのが、なんとも痛ましいというか、理不尽というか・・・

しかしながら、若くして亡くなることで、フリッツは「永遠の青春」というものを後世の人々に、それこそ永遠に印象付ける結果となった。

歌にも熱中したが、ボクシングも好きだった。彼の変形した鼻はボクシングの影響らしい。また、声楽のレッスンを受けるために自転車(!)で40キロの道のりを通ったという。

熱き人だったのだ。

熱さ、青さを封印してしまった人には彼の歌声は辛いものになるだろうと思う。

kaz



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