ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

小さな棘 

 

差別される側が感じる小さな棘・・・アメリカで暮らしていた6年間、実は僕は感じたことはない。むろん、それは学生として滞在していたわけだから、厳密には「生活」していたわけではないということも、そこにはあるだろうと思う。また実際、日本人旅行者がニューヨークやボストン、あるいはサンフランシスコなどの街を旅行した場合、白人から「あら、やだ・・・黄色人種だわ」とレストランなどで席を移られたりとか、店側から「黄色人種はお断りです」などと言われたりすることもないであろう。

前の記事で紹介した「スモーキー・モークス」という曲は、ディズニーランドのパレードで使用される曲なのだと言う。ディズニーランドなどという場所は、僕には全く興味のない場所であるので訪れたことはないのだが、もちろん、ディズニー側は、「スモーキー・モークス」という曲の背景や、題名やらを意識して使用しているわけではないだろうと思う。アメリカでは有名な曲だし、明るい屈託のない曲であるのは事実なのだから・・・

もっとも、東京ディズニーランドでも「スモーキー・モークス」という曲は使用されていて、多くのここを訪れた日本人は何も意識せずに耳にしていたりするわけだが、白人社会からすればマイノリティである日本人が「スモーキー・モークス」を聴き、そして自分たちは白人中心社会からすれば「差別される側」「マイノリティなのだ」などということを意識せずに、ディズニーランドで「きゃっ!ミッキーマウスよ」と楽しめるということは、平和であるということの証なのかもしれない。

「スモーキー・モークス」の作者であるホルツマンも、当時の時代背景から考えると、黒人に対しての蔑称などという意識もなくタイトルをつけたのであろうと思う。江口氏の解説では「Smoky~煙が出るほどのエキサイティングな、Mokes~黒んぼ」ぐらいが作曲者の意味したところの題名であろうと書かれている。

一度でも差別された経験があれば、このような悪意のないことでも「小さな棘」として感じるのかもしれない。最も、日本という国で日本人として暮らしていれば、そこでは日本人はマイノリティではないわけだから、「小さな棘」など感じることもないのかもしれない。でも白人社会からすれば、日本人(東洋人)はマイノリティなのだ。そして西洋音楽という白人文化に接している日本人という事実は、考えてみれば「微妙な位置」にいるのかもしれない。全くそのような小さな棘を感じずにいられるということは、平和なことだとも思うが、どこか鈍感さにつながってしまう危険性もあるような気もする。

Dear America,IIDear America,II
(2009/11/16)
江口玲

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このCDの表紙、小さいので非常に分かりづらいが、立位の白人男性と座っている黒人男性の写真が使用されている。おそらく、ブラインド・トム(1849~1908)という人、そして彼のピアノ曲が日本に紹介された初めてのCDなのではないだろうかと思う。

ブラインド・トムは黒人として、そして奴隷として生まれた。しかも、彼は知的障害を持ち、そして盲目だった。彼の両親は、せめて心ある白人に買ってもらおうと考えた。当時の背景を考えれば、盲目で知的障害のある奴隷など抹殺されて当然の存在であったのだ。でも、やはり当時の背景を知ったとしても、両親が「育てよう」ではなく、自分の息子を「買ってもらおう」という選択しかできない社会そのものに胸が痛む。

トムはジェームズ・ベスューン将軍に買われることになった。写真の白人男性がその人である。ベスューン将軍は、トムに肉体労働をさせる代わりに、自分の子どもたちの相手をさせた。つまり、ペットにしたのだ。子どもたちはトムにこのように言って遊んだ。

「トム・・・お座り!」「トム・・・待て!」・・・彼はベスューン家のペットになったのだ。犬と同等の扱いであったのだ。奴隷として売買されたのであるから、当時としては、それが当たり前のことであった。

しかし、トムには生まれながらの音楽の才能があったのだ。彼は誰からも教えてもらったことなどないのに、いきなりピアノで即興演奏をしたのだ。ベスューン将軍は、トムにピアノを習わせる。奴隷にピアノを習わせるということは、当時としては異例のことであったに違いない。

知的障害があり、しかも盲目の奴隷が、見事にピアノを弾き、そして作曲をする・・・このことは当然話題になっていき、当時の大統領や知識人たちが、トムの演奏する自作曲やショパン、リストのピアノ曲を聴いた。

トムは「サヴァン症候群」であったのではないかと現在は言われている。トムのピアノ演奏により、ベスューン家は多額の収益を得た。その額は、現在の5億円とも言われている。

南北戦争終結により、多くの奴隷たちが解放された。しかし、「奴隷解放宣言」から25年も、トムは「障害者保護」という名目で、ベスューン家に管理されていた。ベスューン家の未亡人、エリーザが、このままでは、あまりにも・・・ということで、トムが年老いた母親と暮らせるように裁判をおこし、トムは解放されることになった。

トムはニューヨークで暮らす母親のもとに旅立つことになった。彼は5億円を稼いだが、ニューヨークに向かうトムの所持品は、身の回りの衣服、そして銀のフルート一本だけだった。それがトムの全財産であった。

ブラインド・トム・ベスューンは、「解放された最後の奴隷」と呼ばれ、父親の名前を使って、トーマス・グリーン=ウィギンスとして演奏活動を続けたという。1908年、トムは心臓発作で亡くなったという。

kaz



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