ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自己責任 

 

英語でself disciplineという言葉がある。「自己規律」のような意味に訳せると思うが、自分自身に規律を与えて、それが習慣となるまで自分を躾けるということなる。この能力は、子どもの時、それも小学生時代に絶対に身につけておくべき能力だと僕は思う。ピアノの練習、上達においても、この能力の必要性は多くのピアノ教師も感じているところだと思う。

self disciplineという言葉には、もう一つのニュアンスも含まれているように思う。言葉そのものは「自己規律」でいいと思うのだが、欧米人が会話の中でこの単語を使う時には「自己責任」というニュアンスをも含むことが多いように感じる。

日本人の親やピアノ教師の場合だと、生徒が練習しない時に「練習しなさ~い!!!」と叱ったり、または「では興味の持てる曲にしてみようかしら?」などということは少なくないのでは・・・と思う。例えば、ソナチネには全く興味を示さない生徒に対して、キャサリン・ロリンやギロックなどの曲を与えて、それで良し・・・としまうみたいな。様々な子どもの興味の持てるような教材を探し、研究することが良き教師のような。「○○だと興味を示さず練習しないので○○を教材として与える」という考えの根底には、「まっ、別にプロになるわけではないし、雰囲気を出して表現できれば、その生徒にとってもいいことだし・・・」のようなこともあるのだろうか?

ここで「自己責任」という考えを含んでみると、興味を示さないとか、練習をしない生徒という場合、「まっ、練習しないのも、その生徒の選択だし、その結果基礎力が欠けて困っても、その子の人生だし・・・」のようなニュアンスが含まれてくる。

よく欧米人(特に米国人?)は日本人と比較してドライ(クール)などと言われるが、それは、このようなニュアンスを欧米人はピアノの練習に限らず日常においての様々な場面で表すからではないかと思う。self disciplineという能力に欠けていて、その子が困っても、その子の選択だし、その子の人生だし、私の人生ではないから・・・みたいな、どこか突き放したような感覚。

個人的には、子どもにself discplineの感覚を身につけさせるには、「年齢二けた」あたりまでが勝負なのではないかと思う。むろん、個人差もあるので、そのあたりは考慮すべきだが、その年齢を過ぎても、大人がいろいろと配慮(というか過保護というか、おせっかいというか)してしまうと、子どもは精神的自立さえも難しくなっていってしまうのでは?

残念なことに「ピアノのお稽古」というものは、小学校時代の終了と共に終焉(?)してしまうケースも少なくないらしいが、その理由としては「部活動」「学校の勉強」というものが挙げられている。実はその他にも理由があるのではないかと感じている。それは、self discplineという概念を子どもに教えそこなったからという理由。

「あなたの人生において責任を持つべきは、あなた自身、私ではない。どのように選択するのも、あなたの自由。それはあなたの人生で私の人生ではないのだから・・・」

この考えは、冷たい・・・とされてしまうことが多いように思う。

でも、「興味の持てる教材を・・・」と、あまりにも親切心(?)あふれる指導、導きにより、ろくにアルベルティバスもきれいに弾けない生徒を生み出してしまうのと、どちらが冷たいのか、ここは考えてみてもいいところだとは思う。

kaz

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