ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ミラノ・デビュー??? 

 

全く予期せぬことだったが、僕はミラノでデビューした。でもこれは、とても大袈裟な表現だ。レストランにピアノがあって、友人が勝手に僕を紹介し、お客さんの前で演奏する羽目に陥っただけのことだ。彼は、突然こんなことをすることがあって、以前にも同じようなことがあった。それはスペインでのことで、状況は似たような感じだ。でも、その時は店の主人と従業員だけという状況だったので、弾くことを楽しめたけれど、今回は聴き手が大勢いたというところが異なる。

むろん、旅行中はピアノを弾くというつもりもなかったし、楽譜も持参していなかった。僕は、昨年の11月以来弾いていない曲を弾いた。それは自分でアレンジした曲だったから弾けたのだと思う。まだ暗譜しているかは微妙だったけれど、まあ、なんとかなった。というより、僕はこの状況をとても楽しんだ。アマチュアとしてピアノを弾いてきて、新たな喜びを見出したとも言える。

聴いている人が泣く・・・

これは僕にとって、興奮するような経験であり、喜びだ。このような経験をピアノでできるとは思っていなかったところがある。むろん、僕としては夢中で弾くだけで、聴き手がどう反応するかなんて考えて弾いてはいなかったけれど、純粋に「良かった・・・素晴らしかった」などと涙を浮かべて言ってくれたりすると、それは嬉しいものだ。

聴き手の反応というものを意識したり、期待しながら、つまり「聴いている人を泣かせてみよう」などということを目的とすることは、これからも一切ないだろうと思うが、今までは、どこか「お勉強」とか「上達すべきもの」「挑戦すべきもの」としてのピアノがあったと思う。むろん、それも「楽しみ」だと感じるが、そして自分どこまでで弾けたとか、弾けなかったとか、そのような自分だけの達成感のようなものも大切なものだと思うけれど、新たな喜びというものもあるんだな・・・という意識も今回の事件(?)で得ることができた。

今までは、人前での演奏の際は、常に新しい曲を弾いていたい、未知の曲を常に弾いていたいという思いがあった。言葉を変えると、本番で演奏終了した曲は、僕の中では過去の曲となっていたところがある。これは、人生の有限性というものを感じていて、できるだけ多くの曲に触れたいという願望が僕の中であるのだと思っていた。弾きたい曲はたくさんあるのだから。

このことは、過去に弾いた曲は弾けなくなっていく、忘れていくということを前提にしている。この部分は、今までも気にはなっていた。自分の中では終わった曲、でも大好きな曲、弾けなくなっていいのか・・・と。寂しいじゃないか・・・と。

でも、それは仕方ないんだよね・・・と。

これは、人生の有限性などということよりも、僕の中で「~と思われる」という意識が無意識にあったから、そのように思っていたのだと思う。売れている(!)プロの人たちと異なり、僕のようなアマチュアは、サークルのメンバーなど、常に同じ人たちの中で弾くことが多い。なので、「またあの曲を弾くの?」と思われたくないのだ。「前回の練習会でも弾いたよね?」と思われたくない。

「なんでピアノの人ってそう思う人が多いんだろう?ピアノ曲の数が圧倒的に多いからそう思うのかなぁ?」とアマチュアギタリストである友人は不思議がる。

むろん、ピアノと比較すれば、「将来弾いてみたい曲」というものの数はギターの場合は少なくなると思うが、基本的に彼は、僕のような「新曲志向」というものが理解できないようだ。

「僕がギターに憧れを持つきっかけとなった曲がある。その曲を心から弾きたいと思ってギターを習い始めたんだ。その曲は割とすぐに弾けるようになったんだけど、今でも僕の中では宝物のような曲だ。過去の曲なんて思うことはとてもできない。この曲は、おそらく人前で最も多く演奏してきた曲だと思うけれど、これからもたくさん弾いていくと思うな。僕だって、まだ弾いていない曲をたくさん弾いてみたいとは思うけれど、でも過去に弾いた曲と弾いていない曲の中から自分の演奏する曲を選曲していくと思う」

彼にとって、大切な曲、ギターを弾きたいと思うきっかけとなった曲、これからも弾いていきたいと思っている曲・・・



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