ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

クラシック嫌いから学ぶ 

 

サークルのピアノ仲間は別として、僕の周囲にはクラシック好きの友人は皆無だ。クラシック嫌いばかりと言った方がいいのかもしれない。このことはピアチェーレの演奏会では集客という意味で、まことに不都合なことだ。「ピアノの演奏会?それだけは勘弁して」「クラシックでしょ?う~ん、行かなくてもいいよね?クラシックって苦手なんだ」

彼らはクラシック音楽が苦手だと言う。でも聴いてみたいとも思っているようだ。でも何を、そして誰を聴けばいいのか分からないらしい。彼らに共通しているのは、クラシックも聴かなければ・・・と演奏会に出掛け、死ぬほど退屈してきた・・・という不幸な経験をしていることだ。

「上手いのかもしれないけど・・・何も感じなかった」「ステージに出てきて何やら弾いて、そして引っ込んでいく。それだけ・・・なんだよね。こちらに聴く才能がないからなんだろうけど。クラシックって難しいから分からないんだよね」

彼らは演奏については批評しない。退屈したのは自分がクラシックに対する感性に乏しいからだと思っている。「ああいう高尚なものは分からない。自分には理解できる能力がないのだ」と。

クラシックって「お勉強」しなければ分からないものなの?

ザハリヒな方向が演奏の主流となっている現在、ややもすると凡庸な演奏家の「ただ弾いているだけ」のような演奏を聴く機会は多くなるように思う。むろん、プロの演奏ではそのようなことはないと思いたいが、アマチュアのように「ただ音を並べました」のような演奏ではないにしても、演奏者と作品との関わりあいという意味で、何の関連性のないような演奏は多いのではないかと思う。

「なぜその曲を演奏しているの?」「本当にそのように弾きたいの?」と思いたくなるようなプロの演奏・・・多いような気がする。よく勉強してあるのかもしれないし、それはそれで立派な演奏なのかもしれないが・・・

丹念に譜読みをした成果、練習の成果を聴きたいわけでもないのだ。演奏者が曲から受けた感銘のようなものを、それを表出して欲しい。生々しく聴き手に伝えて欲しい・・・などと思う。

最近はコンクール優勝者ではないピアニスト、コンクール出身者ではないピアニストの活躍が目立ってきているように思う。同時に国際コンクールの価値というものも、かつてのようなものではなくなってきたのでは?たとえば、ショパン・コンクールもポリーニやアルゲリッチを輩出してきた時代と比較すると、最近はそうでもないような?事実、僕は前々回のショパン・コンクールの優勝者・・・誰だったのか思い出せなかったりするし、チャイコフスキー・コンクールも同様。プレトニョフやガブリーロフのような人が出てきた頃とは異なってきているように思う。

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HJ リムというピアニストはコンクール組のピアニストではない。大変に若い韓国のピアニストだが、僕の周囲のクラシック嫌いに彼女の演奏を聴かせると、「いいね・・・このような演奏だったら聴いてみたい」とか「えっ、クラシックだよね?こんな演奏もあり?これだったらクラシックもいいよね」のような反応を示す。このことは専門家筋(?)からは厳しい評価も得るということになるのかもしれないし、実際に彼女の演奏に対しては賛否両論といったところなのかもしれないが、でもクラシック嫌いをも注目させてしまう「何か」が彼女の演奏にはあるのだろう。

僕は当然、彼女の演奏は好きだ。曲によっては「やり過ぎ感」も感じるし、「何もそこまで速く弾かなくても・・・」などとも感じるが、少なくとも退屈はしないし、彼女の音楽というものが感じられる。

僕は苦しそうに演奏するピアニスト、残念ながら日本人ピアニストに多いけれど、実に苦手だ。入魂しています・・・身体を揺らしながら、恍惚の表情、苦痛の表情、そして天井を見上げる・・・でも出てくる音楽は基音が中心で彩りが不足していてどこか平坦だ。感動しろと言っても無理なのでは?

HJ リムは弾いている時も、オケを聴いている時も実に楽しそうだ。ようするに「乗っている」のだ。まるでロックを演奏しているかのように乗っている。「えっ、これってクラシック?」

これも・・・いや、これがクラシック音楽なのかもよ?

kaz



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