ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

プレッツェル 

 

第二次世界大戦前のポーランドの人口は約3000万人、終戦後の人口は2400万人。戦争中に600万人が消えたのだ。思うに、ポーランドという国は、昔から周囲の大国の都合で分割させられたり、時には国そのものが消滅してしまったりと、揺れ続けた歴史を持つ。遠くから翻弄される祖国を想う・・・この心情は僕には到底理解できるものではないが、ショパンという人物、そして作品と対面する上で、このあたりのことは大変重要なものであるように思えたりもする。

ポーランドという国は、ごく普通に観光客として訪れただけでも、重い歴史と対面する機会の多い国だ。むろん、かつてのような物資不足で商店に人々が行列している・・・などという光景は現在では見られないけれど。

遠くから祖国を想う・・・留学時代、ニューヨークに住んでいた時期は、ポーランド人であるHと部屋をシェアしていたので、やはり個人的にはポーランドというと彼のことを想い出してしまう。あまり祖国のことを話さなかった人だ。というより、あえて話題にすることはなかったというか・・・

「ねぇ、Hはなんでポーランドから逃げてきたの?」「ポーランドってどんな国?」「ポーランドで何があったの?」

こんなことは絶対に彼には訊けなかった。そのような雰囲気が彼にはあった。

マンハッタンにはいたるところにプレッツェルの屋台がある。僕も買ってみたことがある。おいしいといえばおいしい・・・が、塩気が強く、1人で全部を食べきるのは難しい。持て余してしまうのだ。野球のグローブぐらいの大きさだったりするしね。三分の一ほど食べて、どうしようかと思った。

「捨ててしまえ・・・捨ててしまえ・・・」

そのような声が囁いたけれど、僕はその巨大なプレッツェルを鞄の中に入れた。

時間の経過したプレッツェルほど味の落ちるものはないのではないか・・・鞄の中のプレッツェルは、もうおいしいと感じるものではなくなっていた。自分の部屋に帰り、しばらくプレッツェルの前で思案したが、僕はキッチンのゴミ箱にプレッツェルを捨てた。

翌日、冷蔵庫の中にメモ付きの料理が入れてあった。メモには、このように書かれてあった。

「僕のママの味だ・・・食べて・・・H」

僕が捨てたプレッツェルを再生した料理だった。むろん、プレッツェルはポーランドでは一般的な食べ物ではないだろうから、Hが創作した料理なのかもしれないし、プレッツェルと似たようなパンがポーランドにあったのかもしれないが、茄子と挽肉、そしてチーズを利用した、とても美味しい料理に生まれ変わっていた。茄子なんて冷蔵庫にはなかったから、Hはわざわざ捨てられたプレッツェル再生のために買ってきたのだと思う。

「ポーランドって、どんな国なの?」

彼に訊ねたことはなかったし、できなかった。でもこのような、プレッツェルの再生のような出来事が僕とHの間では数多くあった。僕は少しだけポーランドを感じることができた・・・のだと思う。

kaz



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