ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

自由に生きたい・・・ 

 

今年の後半に何故かショパンを弾くので、ショパンのCDなどを珍しく聴いたりしている。ユーリ・エゴロフのバラード。たしかに以前に聴いたはずだけれど、あまり印象に残ってはいなかった。今回、改めて聴いた時に、以前には感じなかった「秘められた意思の強さ」のようなものを感じた。

エゴロフは基本的にはコンクール出身者なのだけれど、なぜか彼の演奏はコンクール臭さというものが感じられない演奏という気がする。

ユーリ・エゴロフはソビエトのピアニストで、1974年にチャイコフスキー国際コンクールで第3位、1975年にエリザベート王妃国際コンクールで、これまた第3位となっている。立派な成績ではあるが、優勝ではなかった・・・とも言える。抑圧を感じていたソビエトという祖国を捨てエゴロフは西側へ亡命する。その後、ヴァン・クライバーン国際コンクールを受けるも落選。ある意味では、このクライバーンでの落選がエゴロフを世界の檜舞台に乗せたとも言えるだろう。彼が本選に残れなかったということで騒ぐ聴衆が多くいたり、また落選した彼をカーネギー・ホールでデビューさせようという動きも活発になったりした。カーネギー・デビューは優勝者へ与えられる副賞であるが、優勝者よりも、はるかに落選したエゴロフのカーネギー・デビューでの評価の方が高かったのだ。エゴロフは聴衆の力でピアニストになった・・・とも言えるのかもしれない。しかし、彼の西側での活動は10年間だけだった。エゴロフはエイズの合併症で亡くなってしまうからだ。33年という短い人生だった。

「僕は自由になりたい・・・人間として自由に生きたい・・・」

むろん、ピアニストとしての自由を求めての亡命だったのだろうが、エゴロフは人間として自由に生きたかったのではないだろうか?自由・・・というよりは、自分の人生を生きたかった・・・

亡命後、彼は自分がゲイだということを公にしている。1980年代、これは物凄く勇気の必要なことだったと思う。偏見というものも当然感じただろうし、嫌がらせを受けたこともあったに違いない。

「でも・・・僕は僕だし、同じ人間なのだから・・・」

彼は、結婚指輪をしている。パートナーがいたのだろう。共に人生を歩む人がいたのだ。そして彼自身、自分がゲイであったことを誇りに思っていたのかもしれない。誇りを持たなければ、当時はゲイとして生きていくのが困難であっただろうから・・・

また、彼は80年代にエイズを患うことで、もう一つの偏見と闘いながら生きていかなくてはならなかった。

「えっ、エイズ・・・近寄ると感染するの?」「エイズですって?汚らわしい・・・」

エゴロフはどのように死んでいったのだろう?

彼は亡命してから自分の第二の祖国をオランダに決め、その地に住んだ。ヨーロッパ、いや世界中で最も開かれた国だと彼には感じられたのだと思う。おそらく、愛するパートナーと人生を歩む場所としてオランダを選んだのだ。

オランダは世界で初めて同性婚を法として認めた国でもある。それはエゴロフの死後10年以上の歳月が経ってからだが、そのような未来へ開いていくような空気が当時からオランダにはあったに違いない。

「僕には愛する人がいる。共に人生を歩んでいくんだ・・・どうしてそれを隠さなければいけないんだろう?」

ユーリ・エゴロフのバラードに彼の強い誇りを感じる。

kaz



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