ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノ・・・弾きたくない 

 

中学生になると部活や塾通いで忙しくなる。ピアノが嫌いではなくても、練習する時間がなくなる。むろん、忙しい生活でもピアノを続ける生徒もいるだろうが、やはり辞めてしまう生徒の方が圧倒的に多いのだという。

仕方がない・・・と思っている人はいないだろうが、やはりなんとも勿体ない話だとは思う。不思議に思うのは、何故レッスンのコースというか、毎週とか毎月とか、定期的なレッスンに拘るのだろうか・・・ということ。「練習できていなくてもいいから、とにかくピアノのレッスンにはいらっしゃい」というのも、なかなか難しいのではないかと思う。

かといって、「弾けるときに、いつでもいいからレッスンにいらっしゃい」では弾けるときなどは作り出せない。これは僕のような大人再開組でもそうなのだ。なんらかの束縛というか、自分を追い込むのような状況がないとピアノなんて弾かなくなる。たとえば、サークルに入って定期的に人前で弾く機会を作らないと、ピアノの練習を継続していく、毎日の生活の中にピアノを組み込んでいくのは難しい。

この「弾く機会」というもの、これは結構重要なのではないだろうか?

「ピアノ・・・辞めます・・・塾とか大変なので・・・」

このような場合、「演奏の場」というものを先に生徒に与えてしまって、生徒の自主性に任せてしまったらどうだろう?たとえば、一年後に10分のステージ・・・のような。発表会で一曲弾く、ではなく、自由に自分の10分を生徒自身がプロデュースするという感覚?別に難曲を弾かなくてもいいのだ。生徒が自分なりにテーマに添ったステージを作り上げていく、たとえば、フランスのワルツを集めるとか、イタリアンのバロックのシンプルなもので舞台を構成するとか、あるいはインヴェンション数曲によるバッハの世界とか・・・

ただし、この場合、生徒自身が選曲できなければならない。ある程度のクラシックのピアノ曲を知っていなければ自分の10分をプロデュースするのは難しいだろう。また、やはりある程度の技量がその時点で伴っていなくても困難だろう。アニメの曲をやっと弾いている・・・ではやはり難しい。小学校の高学年までに、どこまで教えられているか・・・ということが非常に重要なのかもしれない。

このステージに登場するということだけでも大変なことなのだ。辞めてしまうのだったら、一年に一回でも自分で選曲し、自己責任でステージをプロデュースできたら素晴らしいと思う。中学生とか高校生の時期って、このようなことが好きなんじゃぁないかと思うが・・・

でもずば抜けた才能を持っていて、なんでも楽々と弾けてしまって・・・という人でも「なぜ弾かなくてはいけないのだろう?」と思ってしまうことはあるみたいだ。たとえば、アンドレイ・ガブリーロフのような・・・

彼は十代でチャイコフスキー国際コンクールで優勝してから、まさにスター街道を突っ走ってきたピアニストだ。プロの世界では、ピアノを聴きたい人よりもピアノを弾きたい人のほうが、はるかに多いのであるから、何年も先まで演奏スケジュールが決まっていて、演奏できること自体が、多くの人にとっては憧れの的であっただろう。「弾かせてください」ではなく「弾いて下さい」と言われる人は、そう多くはないのが現実だと思う。なのに何故「弾きたくない・・・」と彼は思ってしまったのか?

何故ピアノを弾くのだろう?

この部分、目的のようなものって、以外と答えを見つけるのは難しい。明確に答えられる人の方が少ないのではないかと思う。すくなくとも、僕は明確には答えられない。好きだから・・・ではあるけれど、練習はひたすら面倒だ。人前で弾くのも緊張するし、演奏後は「自己否定」のような感情が渦巻いてしまう。でも弾くわけだが・・・

何故だろう?

ガブリーロフのように「ラ・カンパネラ」が弾ければ、僕だったら「弾きたい、もっと弾きたい、もっと弾かせて・・・」などと思うだろう。でも彼は突然、「ピアノ・・・弾きたくない」と思ってしまったのだ。

何故だろう?

kaz



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: ピアノ雑感

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top