ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

身代わり 

 

コルチャック先生の言う、子どもの将来に対する敬意・・・この認識が最も難しいのだろうと思う。子どもに関わる人にとっての永遠の課題になるのではないだろうかとも思う。

窓から暖かい陽光が差し込んでくる。東京は少なくとも暖かい。ポーランドの寒さとはなんという違いなのだろうかとも思う。この暖かい陽光、それは幸せという感覚にさえつながってくるほどだ。しかし、それは非常に振り幅の少ない感情の動きの少ない幸福感だ。人は、特に親は子どもの将来に関しては、この「少ない振り幅の幸福」というものを無意識に願うのだろうか?苦労の少ない人生というものを。いい学校に入学し、安定した職業に就き、今日のような暖かい陽光のような人生を送れるようにと・・・

でも、人間は感情の動き、振り幅の大きい心の動きというものを求める。そしてその際には痛みさえ感じるけれど、でも求めるのだ。人生とは安泰=幸福という単純なものではないのだから・・・

昨年まではピアノ教育という自分には全く関係のない世界のことなども書いたりしたが、もう(あまり?)書かないと思う。むろん、「素人でしょ?」というお叱りのメールもあったけれど、むしろ賛同のメールが多かったのが印象的だ。やはり、子どもの将来というものへの敬意というものの認識を持つことの難しさ、そして物事の本質はセミナーという外部にあるものではなく、自分の中にあるということの難しさ。自分の内部を見つめていくということは、かなりの痛みを伴うものだから。勇気が必要なのだ。

僕には残された時間が少ないのかもしれないし、自分のやりたいことだけをやっていこうと思う。痛みが伴うし、勇気も必要だけれど・・・

アウシュビッツ、死のブロック11号棟、18牢・・・マキシミリアノ・コルベ神父の亡くなった場所だ。僕は無宗教の人間で、特定の宗教を信じるという感覚を持たない人間だが、この有名なカトリック神父の名前ぐらいは知っていた。

むろん、ポーランドにコルベ神父の足跡は多いのだが、日本にもある。彼は日本の長崎で布教活動をしていたからだ。かつて、ポーランド孤児のために最も大きく動いたのが、日本の赤十字だったのだそうだ。コルベ神父は、このことに深く深く感謝した。「日本の方々のために祈りましょう」・・・そして「日本の方々へマリア様のことをお伝えしなくては・・・」と日本にやってきたのだ。

大戦時、迫害はユダヤ人に対してだけではなかった。ナチスはローマ・カトリックをも敵視していたのだ。多くの知識人、そして宗教関係者もまた犠牲になった。やはり「愛」というものを説かれては非常に当時としてはまずかったのだろう。

コルベ神父はアウシュビッツ送りとなる。小さな格子窓しかない、息もできないような貨物列車に揺られながら、神父は讃美歌を歌う。やがて同乗していたユダヤ人たちも歌い始める・・・

コルベ神父に限らず、一般のユダヤ人と比較してカトリック関係者にはナチスは非常に厳しく対応したらしい。過酷すぎる労働、そこには「見せしめ」という意味もあったのだという。

それでも神父は他者のために自分の食べ物を分け与え、こう言うのだった。「私のことはいいんです。もっと必要としている人がいるのですから・・・」

ある時、脱走しようとした者がいた。見せしめのために、10人が選ばれ、餓死牢送りとなった。餓死牢とは水さえも与えられず、餓死させることを目的とした場所のことだ。

10人の中に選ばれた、あるポーランド人が思わず叫びだしてしまった。「ああ・・・許してください。私には愛する妻も子どももいるのです。助けてください・・・お願いです」

その叫びを聞いていた、骨と皮になったある囚人が前に進んできた。

「なんだ、ポーランドの豚野郎が!引っ込んでろ!」

コルベ神父だった。「その方には愛する家族がいるのです。私はカトリックの神父で家族はいません。その方ではなく私を牢に入れてください」とドイツ語で訴えたのだ。

しばらくの間、餓死牢からは讃美歌が聴こえてきたという。しかし歌声は細く少なくなってくる。

最後まで生き残っていたのはコルベ神父っだけだったとも言われている。コルベ神父はフェノールという毒物を注射され、そして焼却炉で焼かれてしまうのだ。

知らない他人のために自らの命を差し出す、身代わりになる・・・

何度考えても、僕には想像できない感覚だ。誰でもそうなのではないだろうか?

コルチャック先生にしても、このコルベ神父にしても、他人のために実際に自分の命を差し出した人は存在したのだ。

このような人間が、かつて実際にいたという事実に僕の心は動く。この心の不可思議な動きは、音楽を聴いたり、そして自分が実際に触れた時にもある。この心の動きは何なのだろう?

深く自分の中を覗いてみること、開けていくことでその「何か」が見えてくるかもしれない。自分の中に入っていくという行為には、物凄い痛みが伴うだろうと思う。でも自分の残された時間はそこに賭けてみようかと思う。

今日、1月8日はコルベ神父がこの世に生まれた日でもある。

今年の僕の小さな抱負を綴るのには適した日だと思った。

「私の遺体が灰になり、後に何も残らないよう、そして灰になって、風に運ばれて世界の隅々まで散りたい・・・」 マキシミリアノ・マリア・コルベ



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