ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

アイスクリーム 

 

ポーランドという国、予想とは反して、かなり近代化されている。一応僕もピアノを弾く人間なので、ポーランドに来たのだったら、本来はショパンの生家などを訪れたりするべきなのかもしれない。

でも今回のポーランド訪問は別の目的があった。留学時代、ニューヨーク(正確にはブロンクス)に住んでいた時、ルームメートがユダヤ系ポーランド人だった。彼の名をHという。彼との想い出はたくさんある。何故か、僕を生涯の友と呼んでくれたし、僕が最も辛い時期、支えてくれたのもHだった。

Hは祖国ポーランドを捨て、新天地アメリカで生きることを選んだ。その理由を彼は克明には話さなかったけれど、彼の育ったクラクフという街を一度は訪れてみたかった。

ポーランド時代のことは、いつも胸にしまっていたHだったが、父親のことを話してくれたことがある。Hがまだ少年の頃、学校行事でバス旅行があった。夕刻にはクラクフに戻っていたのだが、Hは友達の家でそのまま遊んでいた。

Hの父親は、子どもたちには理不尽なほど厳しかったという。友達は自転車を買ってもらっているのに、自分たちには絶対に買ってはくれなかった。友達の自転車に乗ったことを知っただけで激怒した。当然、子どもたちは反発したけれど、父親の厳格さは変わらなかった。

「なんで僕たちだけ?」とHはいつも思っていた。そしてそんな父親を愛してはいても、どこか苦手だったという。

友達の家に父親がやってきた。赤い顔をし激怒していた。「なんですぐに帰ってこないんだ?なにをしていたんだ?」とHの父親は叫ぶと、友達、そして友達の家族の目の前でHを張り倒し、殴り続けた。

「なんでお前は心配させるんだ?なんで勝手なことをする?」

Hは自尊心を傷つけられた。友達のいるところで親に殴られたのだ。「こんな父さんはイヤだ。他の子の父さんはやさしいのに・・・なんで僕の父さんだけ・・・」

家に帰る途中、珍しく父親はHにアイスクリームを買ってくれた。そして黙ってHに手渡した。でもどうしてもHは素直にそのアイスクリームを食べることができなかった。アイスクリームはどんどん溶けてくる。手まで溶けて流れてくるアイスクリーム・・・Hはそのアイスクリームをゴミ箱に捨ててしまった。父親はなにも言わなかった・・・

Hの父親はホロコーストからの生き残りだった。家族全員、親戚までを含め、全員が収容所で亡くなった。Hの父親だけが終戦まで生き抜いたのだ。

「おそらく、父は自分の家族を失うということを極端に恐れたんだと思う。なので、子どもたちの好きなようにはさせなかった。今だから父の気持ちは痛いほど理解できるけれど、あの当時は子どもだったからね。なんて父親なんだろうと思っていた。僕は父に対して愛しているということを伝えられただろうかと自問自答する。多分伝えきれてはいなかったと思うし、そして、あの時、アイスクリームを食べなかったことをとても後悔している」

クラクフは美しい街だ。徒歩で観光できる。英語はセルビアよりは通じる感じだけれど、でもゼスチャーや絵で会話している。人々は本当に親切だ。

気温はマイナス5℃。予想よりは寒くはないが、でも最高気温も最低気温もマイナス5℃なのだ。太陽はどこへ行ったのだろう?

クラクフの街を歩き回る。その街の佇まいが美しいだけに、そして人々が親切なだけに、寂しさがより募ってくるようだ。

もう一つ、ポーランド訪問の目的があった。それはクラクフ近郊のオシフィエンチムという場所を訪れること。

そこでの印象などは、まだブログなどに綴る気には到底なれない。

オシフィエンチム・・・おそらくドイツ名での方が有名なのではないかと思う。

オシフィエンチム・・・ドイツ語でアウシュビッツ



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