ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

シャコンヌ 

 

ヴィルム・ホーゼンフェルトというドイツ軍の将校に見つかった時、シュピルマンは酷い姿だったであろうと想像する。廃墟の中を隠れまわっていたのだ。当然、風呂にもはいっていなかっただろうし、髪も髭も伸び放題だったはずだ。異臭さえ放っていただろうと思う。

そのような姿である人間でも、その人間の価値、内面を映し出すもの、それは「眼」なのではないかと思う。きっとホーゼンフェルトはシュピルマンの眼を見て、瞬時に彼がどのような人なのか、本来はどのように扱われるべきであった人なのかを理解したのではないだろうか?

ホーゼンフェルトはシュピルマンだけではなく、ドイツ人将校でありながら多くのユダヤ人を救済してきた人だ。戦争前は、温厚な教師だった人なのだ。もともと眼を見て判断できる人だったのだと思う。

むろん、シュピルマンとは比較にはならないが、僕にも「眼」ということに関しては同じような経験がある。それは癌治療という経験においてだ。こちらは抗癌剤の影響で頭髪もない。病衣を着ている。相手は白衣を着た医師だ。このような位置関係において、対等であるということを相手に伝えるもの、それは「眼」なのではないかと思った経験があるのだ。

映画はシュピルマンがショパンを弾いている場面で終わる。つまり終戦で自由になったところで終わる。当然、ピアニストとしての、それからの苦労というものは映画は描いていない。

家族は収容所で死亡、悍ましい惨殺の場面、人が人を殺める場面、飢えに耐える生活、寒さに耐える生活・・・

そのような生活を何年も送ってきたのだ。ピアノなど何年も弾いていないのだ。

弾けたのだろうか?どうやってピアニストとして復帰したのだろう?

シュピルマンの弾くシャコンヌ、そしてシュピルマンの写真・・・

彼の「眼」がすべてを語っているように思う。

kaz



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: Saudade

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top