ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

死闘のコンクール 

 

アメリカで活動するCとAというピアニストと過ごしていて、興味深い発見もある。彼らが特別そうなのかもしれないが、彼らから「音大を卒業したから」とか「音大を卒業していないから」という言葉を聞いたことがない。彼らだけではなく、僕は海外でピアニストのレッスンを受けたりしているが、彼らも同様に「あなたは音大を卒業していないから」とか「アマチュアなんですね?」という言葉は言わない。そのような態度で僕に接するということもない。

思うに、アメリカの音大というものの特殊性というものもそこにはあるような気がする。日本で「音大のピアノ科」というと、実態はともかく、一応は「ピアニスト養成」という機関であるような気がする。教育学部ピアノ専攻というのは、学校の音楽の教師養成という感じになるのだろうと思う。アメリカには、このようなニュアンスの音楽大学の他に「音楽を学問として学ぶ」という大学もある。ピアノ科でも。ピアニスト養成の学校の多くは「~音楽院」という名称の学校が多いが、むろん、総合大学の音楽学部にも名門、難関とされている演奏家育成目的の学校もある。学問として音楽を学ぶ、そして専攻はピアノ・・・というような総合大学の中ほとんどの音大は、化学や文学を大学で学ぶというニュアンスと同じ感じで音楽というものを学ぶのだそうだ。なので、アメリカには日本とは比較にならないぐらいに音大の数がある。人口も違うけれど、でもとても多い。特色として、アメリカの音大生は幅がある。むろん、バイエル程度・・・という学生はいないのかもしれないが、日本だと中級者とカテゴライズされる人から、それこそメジャーなコンクールで上位入賞したり、覇者となるような学生まで、日本とは比較にならないほど幅があるらしいのだ。

ピアニストとして生活していく、ピアノ演奏を生業としていく・・・

これは日本よりもアメリカの方が格段に厳しそうだ。むろん、日本だって音大卒=ピアニストとして活動というわけにはいかない。多くのはピアノを教えるという副業(?)もしていくことになる。これはアメリカのCやAも同様だ。二人とも、演奏活動の他に音大で教えているわけだから。

でも、「リサイタルを開く」という意味で、日本とアメリカでは大きな違いがあるらしいのだ。日本、特に東京のような大都市圏では、毎日のようにピアノの演奏会がある。同日に複数のピアノリサイタルなんて珍しくはない現象だ。立派なホールに沢山のピアノリサイタル、なんとなくピアノが盛んというか、ピアニストが沢山いる・・・という印象だ。実際、僕がアメリカにいた頃も、日本ほど演奏会というものはなかったような記憶がある。

でも、日本のピアノリサイタルの大部分は「自主公演」だ。自分で会場を確保し、チケットを売りさばく。むろん、代行してくれる人もいるだろうが、日本ではこの自主公演もピアニストとしての立派なキャリアになる。アメリカでは基本的に自主公演という形はないのだそうだ。あったとしても、基本的には正式なキャリアとしての実績にはならない。日本でも出版の世界では、正式に出版社から発売される本と、自費出版では明確な差があるが、アメリカでは演奏という場にもこの考えがあるらしいのだ。

ピアニストとして活動する・・・アメリカでは、音楽事務所、インプレサリオが演奏会を企画し、演奏家はギャラを貰い、演奏する。商業活動として成り立つ人、つまり聴衆というものを次回も集められる人がピアニスト(コンサーティスト)・・・と呼ばれる人となる。これは大変に厳しい世界なのではないかと思う。呼んでもらわなければ、仕事ではないのだから。

実際、CもAも自分でチケットを売るという経験はしていないという。音楽事務所(マネージャー)から連絡があり、演奏会の日程をもらい、自分はただ出掛けて、そこで演奏しギャラを貰うというのがアメリカでのピアニストなのだ。むろん、駆け出しの頃は、「えっ?」と思うような場所、楽器、聴衆の前で演奏させられることもあったらしいが・・・

名門の音楽院、難関の音楽院を卒業しても、インプレサリオから注目され、「仕事」として明確に明示されて、はじめてピアニストとなる。なので、アメリカでは演奏の場というものが限定されてしまう傾向が強い。名門、たとえば、ジュリアードのような学校を卒業しても、音楽とは関係のない職業に就く人がとても多いのだという。

実際には、音楽事務所やインプレサリオに注目されなければ、ピアニストにはなれないのだから、コンクールやオーディションという場も日本のそれと比較すると「死闘」となる傾向がある。コンクールは、「箔がつく」という目的ではなく、自分という存在を知ってもらう唯一の場となるからだ。最終成績、何位というものは重要だけれど、それよりも3次予選とかファイナルの会場にいる「インプレサリオ」に自分の演奏を知ってもらうという目的がアメリカのコンクールにはあるのが現実のようだ。まずは認めてもらわなければ、自分を知ってもらわなければお話しにならない。

Cは言う。「もしコンクールがなければ僕はハイスクールで数学を教えていたかもしれないな」

Aも同様に、「コンクールがなければ、僕はイタリアに帰っていただろうと思うし、ピアニストにはなれなかったと思う。まずは自分の存在を知ってもらわなければ、ただのピアノが弾ける人なんだから」

これはAのコンクール時代の演奏。必死だったんだなぁ・・・と思う。まずは自分の存在を知ってもらうこと。そして拾ってもらうこと。これがピアニストになる条件だ。そして初めて職業となっていく・・・

kaz



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コメント

 

初めまして。^^

アメリカでピアノとバイオリンを習っている13歳になる息子Rayのママのraypianoviolinと申します。^^とても興味深い記事に読み入っていたら、最後にPompa-Baldiさんの映像があったので、びっくりしました。Pompa-Baldiさんは、Rayが8歳の時に出たコンクールのジャッジの中のお一人で、その頃から一方的に(笑)素晴らしいピアニストとして存じています。その時、8歳のRayの弾くラフマニノフをとても気に入って下さったと言って下さり、涙がで出るほど喜んだのを憶えています。

大きなコンクールでは、こんな事が多いのでしょうね。よーく心しておきます(爆)。本番と選曲の記事もすごく面白かったです。きっと徐々にそうなっていくべきなのだ!としみじみ思いました。とても勉強になります!

素晴らしいお友達に囲まれて、素敵なクリスマスですね。きっとkazさんのお人柄なのでしょうね。どうぞよいお年をお過ごしくださいませ。^^そして、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

raypianoviolin #GCA3nAmE | URL | 2014/12/29 18:05 | edit

raypianoviolinさま

初めまして。コメントありがとうございます。

アメリカで音楽を学ばれているRayさん、きっと本物の音楽家に成長なさるのではないかと想像します。ゆっくりブログを読ませて頂こうと思っています。

アントニオ(Pompa-Baldi)と知り合えたことは幸せでした。彼は本当に素晴らしい音楽家のような気がしています。

こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。

kaz #- | URL | 2014/12/30 07:51 | edit

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