ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

東京 

 

音楽というものは、その人の過去の出来事を想いださせる力がある。僕の場合、そのような曲はクラシックの曲ではなく、何故か歌謡曲になる。おそらく、歌詞というものと音楽との相互作用のようなものが僕の中で眠っていた過去というものを掘り起こすのだろうと思う。

僕は30歳を過ぎてから留学した。それまでの安定していた仕事を振り捨てて。でも失ったのは仕事だけではなかった。30年も生きていれば、それなりに積み上げてきたものもあるし、人間同士のつながりもある。留学、まぁ、短期の語学留学などは別として、正規のディグリー留学であれば、一度は日本というもの、日本で築いてきたものを振り捨てなければならない。一度、すべてのものをニュートラルな状態にするとでも言おうか?それが留学。なので、できるだけ若い時に留学をするのならしておいたほうがいいと思う。年齢を重ねてからでは失うものも多い。そしてそれには痛みを伴うから・・・

僕にだって、あの頃はつきあっていた人がいた。もちろん30歳にもなれば、その関係は軽いものではなく、結婚というものも想定したつきあいだった。

「結婚して、子どもができて、そして家庭というものを築いていくのか・・・」

当たり前の人生というものがそこにはあった。

「この人と共に人生を生きていくんだ・・・」

でも僕は留学した。彼女は僕の留学に反対しなかった。むしろ、賛成し、後押しをした。

「アメリカ・・・行くべきだと思う。今しかできないこともあると思う。行くべき・・・」

正直、僕は遠距離恋愛というものを維持させる自信はなかった。アメリカでの生活、勉学というものに対しての不安でいっぱいだった。そして金銭的な事情もあり、卒業するまでは日本に帰ることはできない。でも彼女は言った。

「私・・・待ってる・・・ずっと待ってるから」

アメリカに発つ日、空港では辛くて見送れないという彼女とスカイライナーの出発駅である上野で会った。

「いつ会えるの?ごめん・・・そんなのわからないよね?身体だけには気を付けて、元気でいてね。待ってるから。私・・・東京で待ってるから・・・」

彼女は一度、アメリカにやってきたことがある。

「私・・・本当に来ちゃった・・・」

空港で彼女は僕に再会すると、まずそう言った。

僕はアメリカは初めてだという彼女に自分の住む街、ボストンを案内した。美しいニューイングランドの街を観てまわった。

「素敵・・・本当に素敵なところね・・・」

その時、僕は「過去」というものを忘れずにいるということ、アメリカにいる自分は過去とつながっているということを彼女に示さなければいけなかったのだと思う。でも僕はそれを怠ったのだ。アメリカという土地が僕は好きだったし、満喫していた。あの時僕は自分の幸福に酔っていたのだ。充実感溢れる自分の姿、幸福そのものである僕の姿を彼女にさらけ出してしまうということは、随分と彼女に対して残酷なことをしたと思う。でも今だからそう思えるのだ。今だから・・・

彼女は帰国する時に笑顔で僕に手を振った。でも「待ってるから・・・」とは言わなかった。

その後、僕は留学を延長した。ダメ元で申請した奨学金での進学が可能になったからだ。住む街をニューヨークに移して、新たな生活をすることになった。

「卒業したら帰ってくると言ったのに・・・さらにそちらで勉強するのですね。私も若くはないし、私にも自分の人生があるの。もう待てない。あなたのことをもう待てない。ごめんなさい。私は自分の人生を歩みます。さようなら」

仕方がなかったのだと思う。自業自得だとも思う。あの頃の僕は自分のことばかり、自分の人生のことばかり考えていた。でも彼女からの別れの手紙を読んで涙が出た。

マイ・ペースの「東京」という歌、この曲は僕が子どもの頃に流行った歌だ。この「東京」という歌を聴くと、彼女のことを想い出してしまう。胸の痛みと共に・・・

kaz



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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