ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

僕の詩に翼があったなら・・・ 

 

今のクラシック界の演奏会は、プロの演奏家の演奏を素人が拝聴するという形が一般的だけれど、かつてのヨーロッパには「サロン文化」というものが存在していたのだという。そのようなサロンでは、今のようなプロとアマチュアのような境界線のようなものも少なかったのではないかと想像したりする。ショパンやリストのピアノ曲も、もともとはサロン文化というものが存在していたからこそ、花開いたとも考えられる。

サロン文化というものを考えた時、真っ先に思い浮かぶのがレイナルド・アーンの曲。彼の曲は歌曲が最も知られている。

レイナルド・アーンはベネズエラ生まれなのだけれど、3歳の時にフランスに渡っている。後にフランスに帰化しているので、フランスの音楽家と言っていいのだろうと思う。

10歳の時にパリ音楽院に入学し、マスネやサン=サーンスに師事する。特にマスネはアーンの才能に惚れ込み、存命中はアーンの後押しをしていたようだ。マスネのような音楽家以外にも、当時のサロンではプルーストやサラ・ベルナールという芸術家もアーンと親交が深かったらしい。

パリ音楽院という専門機関で学んだアーンだけれど、その自作品の発表というものは、大きな会場でプロの演奏家に依頼して・・・という現在のような形ではなく、主にサロンで行われていたようだ。アーン自らがピアノを弾き、そして歌って・・・

アーンのピアノの腕前は見事なもので、さらに歌の才能も素晴らしかった。彼の弾き歌いはCDにもなっている。

アーンの歌曲で、現在知られているものは、そのほとんどが10代の時の作品なのだと言う。よく「サロン的・・・」と評されたりするアーンの歌曲だけれど、まさにアーンの歌曲は大きなホールよりも、サロンで演奏されたであろう響きがする。

これからの時代、もし時代というものが逆行して、ロマンティックな時代になっていくとしたら、演奏会というものの形態、演奏家と聴衆というものの関係も、かつてのサロン文化に戻っていくかもしれない。

まだまだ声楽専攻の学生でさえ、アーンの歌曲を知らない学生がいるのだという。これからは、アーンの作品は光が当たっていくような気がしている。

アーンは早熟な天才として知られていた。彼の歌曲で最も有名な曲は「僕の詩に翼があったなら」という曲。ユゴーの詩に曲をつけたものだけれど、この曲はアーンが13歳の時に作曲したものなのだ。アーン少年が弾き歌いをし、当時の文化人がサロンで聴いたのだ・・・

「僕の詩に翼があったなら」

僕の詩はやさしく 軽やかに飛んでいくのに
あなたの美しい庭へと
もし 僕の詩に翼があったなら
鳥のような翼が

輝きながら飛んでいくのに
あなたの明るい暖炉のそばに
もし 僕の詩に翼があったなら
精霊のような翼が

あなたのそばへ 純粋に 誠実に
夜も昼も通い続けるのに
もし 僕の詩に翼があったなら
愛のような翼が



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