ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

根底 

 

自画自賛になってしまうのだが、昨日の演奏会に限らず、サークルの練習会などでも、僕の演奏を聴いて「音楽的」と言ってくれる人は多い。「どんな練習をしているの?」という質問も多い。「どのようにしたらそう弾けるの?」とも・・・

この部分に対しては僕の中で明確な答えがある。それは僕が音楽的才能に満ち溢れているからではない。それは「歌を聴いてきた」ということに尽きると思う。

僕にとってはピアノを弾くということは、どこか「ピアノで歌う」的な願望があって、歌を追い求めているところがある。

残念なことに、僕の子ども時代のピアノレッスンというものは、どこか上手くいかなかった。でも仮に、教材がサクサクと進んでという意味において、上手くいっていたとしたら・・・と思うことがある。先生に新しい曲を渡されて、楽譜を懸命に音にして、弾けるようにして、先生の注意を守ってというピアノレッスンを続けていたら・・・と。

ピアノって鍵盤を押せば音が鳴るから簡単といえば簡単。でもそこが落とし穴となるような気がする。音だしそのものは簡単だけれど、楽譜は複雑。両手の動きがあって忙しい・・・

この部分で「楽譜を一生懸命に音にしていく」という行為が、どこか「ピアノを弾く」ということになってしまうところがあるのでは?

子ども時代のピアノ道が、上手くいかなかったのは残念なことではあるけれど、でもそのおかげで僕の場合は「ピアノで歌う」ということを全うできたのかもしれないなどと思う。

小学2年生までは、僕は「ピアノを練習しない、ただの困ったちゃん」だった。そのままピアノを習っていても辞めていただろうとは思う。そしてその時に辞めていたら、現在でもピアノなんか絶対に弾いていなかったとも思う。

転機は小学3年生の時だった。その時にいろいろと音楽のシャワーを浴びたのだ。導いてくれた医大生の影響も大きい。彼とピアノも聴いたけれど、やはりオペラや歌曲を聴くことが多かった。8歳の時にオペラの全曲盤を聴いた。DVDなんて当時はなかった。医大生の説明つきで聴いたのだ。ニコライ・ゲッダの歌曲をレコードで聴いた。叙情的な彼の歌声を聴き、「音楽って哀しいね・・・」「そうだね」などと言い合ったりしていた・・・

僕はピアノではなく、歌から音楽に入ったのだ。

8歳の時、生まれて初めて生の演奏会を聴いた。その医大生に連れられて、渋谷のNHKホールに行った。フランコ・コレッリの演奏会だった。彼のことは僕は全く知らなかったし、有名なテノールのアリアも沢山歌ったのだと思うけれど、正直、この部分は記憶にない。

コレッリの演奏会はオーケストラ伴奏だったけれど、アンコールになるとピアノが舞台に運ばれ、コレッリはピアノ伴奏でアンコールを沢山歌ってくれた。この方式は変わったものだと思うけれど、コレッリならではのファンサービスだったのだと思う。彼はいつもこの方式でアンコールを歌うのが通例となっていたらしい・・・

このピアノ伴奏のアンコールの時、なんと表現したらいいのだろう、コレッリの歌、声がハラハラと僕の内部に入ってきたのだ。理屈ではない。彼の音の伸ばし方、ポルタメント、跳躍の際の音の扱い方、息遣い・・・このようなものすべてが僕の内面に入ってきた。そして僕の中の何かが動いた。無意識に「これだ・・・」と感じた。

それ以後、コレッリのレコード特に集めたりということはなかったけれど、その時の彼の歌というものは、僕の中に入り込み、現在の僕のピアノを支えていると思う。

僕の演奏、音楽表現は、どこか濃いというか、どこか濃厚なところがあると自分では思うけれど、それは8歳の時に聴いたコレッリの影響なのだと思う。彼の歌が僕のピアノ表現を形作っていると言ってもいいと思う。

昨日の演奏会を終え、改めて8歳の時、41年前に聴いたコレッリの歌唱の影響の大きさというものに驚いたりしている。僕はピアノが上手くなりたい・・・というよりは、ピアノでコレッリのような表現をしたいのだ。41年前のあの時の・・・

kaz



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