ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

返信 

 

心ないメールをもらったこと、そのことを書いてから、多くの励ましのメールを頂いている。返信は考えないでくださいという方ばかりだし、実際に返信することも難しいのは事実なので、この文章を感謝の心を込めた返信としたい。アマチュアだの、プロだの、音大卒だの、そのようなことに捉われない人も多くいるのだ。

まだ記憶に新しいアメリカの同時多発テロ。ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が激突し、ツインタワーは崩壊、多くの人が亡くなった。

このツインタワーに激突した旅客機にブライアンは乗っていた。ビルに激突する数分前にブライアンは携帯電話で妻に電話をしている。自宅の留守番電話にその時のブライアンのメッセージが残っていた。

「いいかい、僕の乗っている飛行機がハイジャックされた・・・とにかく君を愛している。それだけは覚えていて。良いことをして楽しい人生を送って欲しい。両親もみんなも、本当に愛している!」

激突されたツインタワーから亡くなる直前に電話をした人も多い。ビヴァリーは夫からの電話を受け、心から安堵した。夫の仕事場であるツインタワーに飛行機が激突し大変なことになっていると知り、夫の身を案じていたのだ。夫からの電話が鳴った時、夫は避難したのかと思ったのだそうだ。

「僕はまだ105階にいる。愛しているよ・・・」

その時、電話から轟音が聞えた。ビルが崩壊し始めたのだ。夫は電話が切れるまでビヴァリーに言い続けた。

「愛している・・・愛している・・・愛している・・・」

人は人生で無条件の愛というものを学ぶのだそうだ。人生には苦難がつきものだけれど、それは無条件の愛というものを学ぶレッスンなのだそうだ。愛を与え、そして愛を受け取る。その連続が人生であり、そして本当の愛、無条件の愛というものを真から知り、学んだ時に人生のレッスンというものが終わるのだと・・・

これはエリザベス・キューブラ―=ロスという精神科医の教えでもある。彼女は「死」というものを専門的に研究した人だ。

愛というものを追い求める、この時の心の動きというものは音楽から受ける心の動きと非常に類似しているように思う。音楽というものは、3分間であれ、10分間であれ、30分間であれ、人生の類似体験のようなものなのではないかと思う。何かを追い求めるのだ。そして何かが与えられ、何かが受け取られる・・・

人生において追い求め、受け取り、そして与えるべきものが「愛」なのだとすると、音楽もまた「愛のやりとり」、そしてその時の心の動きというものを追い求めるということが「音楽をする」ということになりはしないかと・・・

そのように考えれば、「音楽をする」という立ち位置にいるということは素人でも音大卒でも同じなのではないだろうかと・・・

心の動きを求めていく、愛という説明できないもの、それを求めていくというただそれだけ。その欲求があるのか、それともないのか・・・ただそれだけ・・・

そのような意味においては、プロも自分も同じところにいるのだと僕は思う。傲慢なのだろうか?また「素人の分際で生意気だ」とか言われるのか?

僕は傲慢だとは思えないし、言いたいことを言う人には言わせておけばいいと思う。

大事なのは、僕自身が音楽というものを「人生というものの類似体験」と考えていて、「愛」というものを追い求めていきたいということ。

不遜なのか?もしそう思う人がいれば、それはそれでいいと思う。

僕はアマチュアだけれど、たとえば、このロドルフォ・メデーロスのような演奏に憧れるし、追い求めていきたいと思う。上手くなりたいというよりは、彼と同じものを追い求めていきたい・・・

世界的なバンドネオン奏者と自分というものを同じ立ち位置にしてしまうということは、傲慢なのだろうか?メデーロスも愛を求めていると感じる。自分も・・・

メデーロスは、もともとは生物学を勉強していた人だ。そのメデーロスを音楽の世界にいざなったのは、あのピアソラなのだ。ピアソラは感じたのだと思う。メデーロスという若者が愛を追い求めているということを。自分と同じものを求めているということを・・・

kaz



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: 未分類

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top