ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

打鍵 

 

Mazurkas/Polonaise/SonateMazurkas/Polonaise/Sonate
(2008/01/15)
Igor Lovchinsky

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イゴール・ロヴチンスキー・・・とても懐かしい。彼のCDを偶然見つけたのだ。

「大人っぽくなったよねぇ・・・」とか「成長したんだねぇ・・・」と子どもの成長を喜ぶ親のような気分ではある。

学生の頃の彼の演奏を聴いて「もしかして弾き方?」と思ったのだ。弾き方・・・といってもいろいろとあると思うけれど、印象深かったのが「打鍵」ということだ。そのような視点を僕に気づかせてくれたロヴチンスキ―にはとても感謝している。

「鍵盤の底までしっかり弾きましょう」・・・これはよく言われるフレーズだと思う。キーボードや電子ピアノで日頃練習していて、いきなりグランドピアノで弾いたりすると、上っ面の音になったりすることに対して言われるのだと思う。このようなケースもあろうが、基本的にはピアノは底まで弾いてしまったら「弾きすぎ」なのだと思う。

ハンマーが弦を打つ瞬間がピアノの命なのだ。この時の打鍵の違いが演奏での音色の違いを作る。当たり前のことだけれど、鍵盤の底まで指が弾く前にハンマーは弦を打つ。なので底まで弾いてばかりいたら強弱しか作れなくなってしまう。

打鍵のコントロール・・・ということなのだと思う。ピアノによって差異は多少あると思うが、鍵盤を押して底までに辿り着く前の微妙なところにコントロールできる位置、というか幅というか、そのようなところがピアノにはあると思う。そこを狙いつつ、そして自分の出している音を聴きつつ、音を作っていく作業をすればいいわけだ。

これは、きわめてピアノを弾く上で基本的な部分だと思う。なのに案外とおろそかにされている部分なのではないかとも思う。導入でも、ある程度の指の強さ、発達があれば指導できることなのではないだろうか?シンプルな曲でも両手で演奏し、そしてその曲が「ただ弾いている」と「素敵に弾いている」という差異を生み出すようなレベルであれば、子どもだろうと趣味だろうと教えるべきだと僕は思うのだが・・・

誰でも「素敵に弾きたいな・・・」「上手になりたいな・・・」という願望はあると思うし。

何故不思議に思わない人が多いのだろう?「何故ピアノには音作りという指導や考え方がないのだろう?」と。声楽の発声練習や、管楽器のロングトーンの練習のように、ピアノにも「音」という認識は必要なのではないだろうかと思う。表情とか表現って「音の重なり」の結果のようなものではないだろうか? いきなりワシワシとハノンで指練習をして、バリバリとチェルニーを弾く以前の「音を作る」ということ・・・ピアノの指導にはここが欠けていると思ったことはないだろうか?

アマチュアのピアノ仲間には「自分の演奏って何か足りない。ミスが多いとか崩壊してしまうとか、練習不足とかそのようなことではなく、表現というか表情がつかない・・・」と悩んでいる人が多い。音大生だってこのことで悩んでいる人は多いと思うし、ピアノの先生だって学生時代はこのことで悩んだのではないだろうか?

達者にバリバリと弾く・・・もちろん、難しいことだし、誰にでもできることではない。でも多くの人の願いは、アルカンなどの超絶技巧の曲を猛スピードでワシワシと弾くことではないはずだ。普通の曲(?)を素敵に弾きたいと思っているのではないだろうか?表情豊かな多彩な音色で。聴いている人が「あっ、素敵ね」と思う演奏をしたいのではないだろうか?

表現力とは「生まれながらの才能」ではなく、音楽性というものも「音の出し方」「奏法」というものの積み重ねだとしたら?

もし「素敵なピアノを弾きたい」と願うのだったら、ハッと惹きこまれるようなピアノ以外の演奏を聴くといいと思う。思わず惹きこまれる演奏に共通しているものがあるはずだ。それは音を出す瞬間のコントロールだったり、そのコントロール力での「強調」の効果だったりすると思う。そのようなサウンドを聴き、自分のサウンドの理想形を作る。そうして実際にピアノでそのサウンドを再現してみようとすることが大事だと思う。でもその過程では、絶対に先生の具体的な指導が必要だ。

アマチュアでも「ホロヴィッツのような音色で弾きたい」と思うのは傲慢でもなんでもない。きわめて自然な欲求だと僕は思う。むろん、ホロヴィッツのようには弾けないけれど、基本的な音の出し方というものを習えば、一歩だけ近づくことができる。素晴らしいことじゃないか?これが「楽しさ」なのではないか?

kaz



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category: ピアノ雑感

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コメント

 

打鍵コントロールのお話し、鋭いですね。

音色は、ハンマーが弦を叩く速度や強さ、弱さ、タイミングでじつはほぼ決まってしまうので、ほんとうは、腕の良い調律氏さんによって良く調律されたグランドピアノで練習をすると、耳を澄ますだけで、弦を見るだけでかなりわかりやすく音が生まれる瞬間をいろいろ試すことができます。

ただ、そんなに恵まれた状態でみんなが勉強するわけではないですし、音色だけ作れても、ある種類の音楽はそれだけでもそれなりに聴けますが、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューマン、ショパンなどといった音楽の中身に天才があるものは、音色だけではどうしようもありませんよね。

それに彼らの音楽が作り出されたのは、今のような優れたピアノのある時代ではないですものね。

演奏の善し悪しは、テクニックによるものも非常に大きいですが、中に込められた「音楽」の質、曲に内在する世界を具現できるか、ということが大きいと思います。

その第一歩は、やはり芸術を解するアンテナ、みたいなものなので、良い演奏ができる、できない、を決めるものは、音楽を聴いて(映画を見て、とか文学に触れて、と同じかもしれません)感動できるかどうか、という感受性の問題なのかもしれないな、と思ったりします。

yuko #- | URL | 2014/11/02 21:39 | edit

yukoさま

打鍵コントロールによる音色の違い、これは記事に書いたように、まずは聴き手として耳に入ってきたところです。この時の印象がとても大きかったのだと思いますね。

音楽性=テクニックと言い切ることはできないと僕も思います。ただ、演奏者の内側にあるもの、それを聴き手という自分ではない存在に「伝える」という手段として必要なものだとは思います。ここが欠けていると伝わらない。

でも手段だけがあっても、伝えるもの、伝えたいというものが演奏者に存在していなければ、これまた聴き手に何も伝わらないとも思います。この部分は、音楽から感動したりとか、心が張り裂けそうな体験とか、そのようなものが形作られて「伝えたい何らかのもの」となっていくような気がします。

シューマンのピアノ曲を弾くと仮定して、その人がシューマンの歌曲に涙することのできる人ならば、テクニックは次第に身についてくるとも思います。感受性がなければ歌曲に感動することもないでしょうから・・・

kaz #- | URL | 2014/11/02 23:24 | edit

シューマンの歌曲に涙することのできる人ならば、シューマンのピアノ曲を弾くテクニックも身につく。
またまた鋭い!

そうですね、季節を感じたり、旅が好きだったり、好きな本があったり、映画があったり、苦しい思いをしたり、人について考えたり。そうした人間味がないとなかなかそれを内在する音楽は共感して表せませんね。

テクニックを身につけたいな、と気づく人は、アンテナが敏感なので、音楽性というか表現したい、言い表したい何かを持っているのでしょうね。

yuko #- | URL | 2014/11/03 01:34 | edit

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