ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

過去の肯定、否定 

 

昔のピアノの先生は厳しかった。恐かったというべきか・・・

教材も現在のように研究されていなくて、バイエル~チェルニ~ソナチネ・・・と割と皆同じようなものを弾いていた。

「ピアノなんてつまらない」「ピアノ・・・退屈」

ピアノが上達する生徒は、どこか真面目なところがあるので、つまらなくても頑張る。ピアノは好きだったのだと思うけれど、厳しいレッスンを乗り越え、音大を卒業する頃には、修業時代の厳しさにどこか疲れてしまっている感じ。

音大の先生のレッスンともなれば、現在だって「ワクワク」「ドキドキ」という感じのレッスンではなかったりするのではないか?

音大卒業生、つまりピアノの先生たちは、自分の生徒には「私たちが受けたようなレッスンでは生徒(さん)たちはピアノを嫌いになってしまう」とか、「自分の生徒(さん)には音楽やピアノの楽しさを!」と思うのではないか?

昨今のピアノ教育が、どこか「ワクワク」「ドキドキ」という強引なまでの楽しさ重視なのは、先生たちが自分たちが受けた教育を、心のどこかで否定する部分があるからではないか?

先生たちが過去の修業というものを、肯定的に感じられていれば、ここまでの導入指導、初歩指導というものの変動は無かった可能性もあるのではないか?

たしかに生徒自身が「ワッ」とか「キャッ」というワクワク要素、ドキドキ要素の感じられない教育だけではピアノ挫折組を多く生み出したのだろうと思う。なので、昔は小学校を終えてピアノを辞める子どもが多かった。

現在はどうなのだろう?昔と同じなのではないだろうか?子どもが忙しくなった?そうは思えない。習い事かけもちなんて好景気だった昔の方が盛んだったぐらいなのでは?

退屈な教材・・・というか、機械的に曲を与え、厳しさの押し付けだけではピアノは続かない。でも「ワクワク」「ドキドキ」だけでもピアノは続かない。やはり練習しないとピアノは上手くならないし、上手くならないとピアノの楽しさを感じることはできないと思う。

厳しさだけでもいけない。でも、楽しさだけでもいけない。

そもそも楽しさって何?時には辛い、退屈な練習を経て、初めて感じる楽しさというものもあるのでは?

昨今の流れは、どこか「流行」のようなものだと思っていたけれど、そうではなく、先生たちが、自身の受けた教育を「全面肯定」できていないということからくる流れなのかもしれない。

上達しなければ楽しくないし、上達のためには、どこかで厳しさにも対面しなければいけないし・・・

ピアノを教えるということは難しいものだと思う。皮肉でなく・・・

kaz

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