ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

無難に弾きたい? 

 

先日、友人に来月の演奏会の曲を聴いてもらった。この時のことは以前に書いたけれど、友人の感想の中に「演奏に悲壮感を感じる」というものがあった。「一生懸命なのは伝わるんだけど、その一生懸命さが悲壮感に思えてくるんだよねぇ・・・」と。



考えるに、その時の演奏は、僕なりの曲への想いというもの、音楽への想いというものよりは、「本番でどのように弾けるか」という演奏者目線が全面に出てしまったからだと思われる。

当然、30分のステージを暗譜で弾き通すわけだから、それだけで怖さがある。

客席が暗くなり、ピアノの前に座る・・・そのことを想像しただけで「どうしたものか・・・」と緊張する。その場を、いかに切り抜けるか・・・という思いで一杯になってしまう。

「kazがどのように弾けるか・・・なんて聴きに来ている人なんていないんだから、自意識過剰じゃない?もっと曲そのものを聴いている人が感じられるようにしないと・・・」

たしかに、今は「失敗しませんように・・・」と自分で思いすぎているような気はする。でもそれで当然ではないのか?

ピアノを再開したいと思った時、その時には「上手くなりたい・・・」というよりは、「音楽に触れたい・・・」と思った。そのような思いは、演奏会を控えた今、少なくなっている?

Aさんの演奏を聴いて、考え込んでしまったのは、彼の演奏には「愛」というものが感じられるから。「本当に、この人、ウィーンのワルツやオペレッタが好きなんだなぁ・・・」ということが伝わってくる。超絶技巧を聴かせてくれるわけでもないし、編曲が凝っているわけでもない。クリティカルに聴けば、まぁ、いろいろとあるのかもしれないが、でもAさんの演奏には惹きこまれてしまう。今の僕に全く欠けている要素、作曲家や作品への愛というものが彼の演奏からは伝わってくる。

この演奏は、Aさんが敬愛するレハールのワルツのポプリ・・・

「本当にレハールが好きなんだなぁ、敬愛しているんだなぁ・・・」ということが伝わってくる。電子ピアノの演奏でも惹きこまれてしまう・・・

おそらく、今の僕は「本番」「人前」「演奏会」と思いすぎているのかもしれない。

「自分がどのように弾けるか・・・この部分は自分の問題なのだ」と強く自分に言い聞かせてみる。失敗をしたくないという思いは消すことができないとは思う。でも消極的な演奏になってしまっても・・・と思う。

kaz



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