ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ヌエバ・カンシオン 

 

南米の曲というと、我々日本人にとっては、どこか「底抜けに明るい」というイメージがある。躍動するサンバのリズム・・・のような。

南米のフォルクローレを聴いていくと、それだけではない、いや、それとは正反対の、どこか物悲しい、そして秘めた力強さを感じさせる曲が多いのに気づく。

南米フォルクローレにおいては、1970年代、南米激動期に起こった「ヌエバ・カンシオン」という動きがあった。ヌエバ・カンシオン・・・新しい歌運動とでも訳せばいいのだろうか。

「死体収容所は建物全体が死体で埋め尽くされていた。そして、無数の列の中ほどに私は夫を見つけた。彼らはどんなことをあなたにしたのか。眼は見開かれていた。頭部や顔面の恐ろしい裂け目にもかかわらず、いまだに抵抗しながら前を見つめているように思えた。彼の服はナイフで引き裂かれ、彼の手首は異様な角度で腕からぶら下がっていた。胸は穴だらけでパックリと傷口が開いていた・・・」

これはビクトル・ハラの妻、ジョアンが夫の死体を見つけた時の手記だ。

ビクトル・ハラは南米チリに生まれた。フォルクローレのメロディーを採取し、そして自身で詞を書くため、農村を旅している時、虐げられ、貧しさに喘ぐ人々の姿を目にした。ビクトルは、歌手として、そのような現状を歌で変えていけたらと決意したのだ。南米全体も革命で揺れていた時代だ。ビクトルのような、歌での世の中の変革を目指す運動は、ヌエバ・カンシオンとして南米全体に広がっていった。

「僕らは、それまで歌われなかった真実を語り、歌っている。他人の畑を血と涙で潤している農民を、社会に押し潰されて死んでいく工場労働者を・・・」 ビクトル・ハラ

運命の9月11日と呼ばれている日、時の大統領、アジェンテが「民主主義は軍部に降伏しない」と言い残し、ピストルで自決する。軍部の圧政に抵抗する民衆もスタジアムに閉じ込められた。その数、7000人とも言われている。そこにビクトル・ハラもいたのだ。

ビクトルは、そこで歌を歌ったのだ。手拍子を打ちながら歌を歌い続けた・・・

「おい、貴様、歌をやめろ・・・」

それでもビクトルは歌い続けた・・・

「やめないか・・・」兵士はビクトルの両腕を折り、指を砕いた。それでもビクトルは歌い続けた。歌うことで世の中を変えていくことが彼の使命だったから・・・

「これでも歌えるのか、歌えるものなら歌ってみろ!」

兵士はビクトルの体中に機関銃の弾丸を浴びせ続けた・・・

ビクトル・ハラ・・・享年40歳・・・それほど昔の出来事ではない。1970年代の出来事なのだ・・・

この曲はビクトルの代表曲である「耕す者の祈り」という歌。

「起き上がれ、そして両手を見てごらん。育ちゆき、君の兄弟たちの手を握るために。僕らを貧困へ支配するものから解放しよう。共に行こう。血の絆に結ばれ、今も、そして僕らの死の時も・・・」

禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか禁じられた歌―ビクトル・ハラはなぜ死んだか
(2013/01/13)
八木啓代

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「僕はギターが弾けるから、歌が上手いから歌うんじゃない。僕は、僕の主張のために歌う」 ビクトル・ハラ



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