ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

with先生とunder先生 

 

僕は定期的に外国にまで出かけ、外国人のピアニストのレッスンを受けている。現在3人のピアニストのレッスンを受けていることになる。むろん、現地までこちらが出向かなければならないが。

mixiというもの、(現在は開店休業中だけれど)、そこにはピアニストの名前も具体的に書いてしまっている。友達限定記事にしているから、このブログと異なり、不特定多数の人が読むということがないので・・・

日本にも師事している先生がいる。基本的には、この先生のレッスンが僕のピアノライフの中心となっている。

「複数の先生(音楽家)に習って混乱しないか?」

最初は、僕もこの問題を考えた。正反対のことを指摘されたらどうすればいいのだろうと。でもそれは心配いらなかった。

日本の先生を含め、全員がwithの先生だからだ。

英語の表現では、だれかに楽器を師事するという表現の時に、「under」という単語か「with」という単語を使う。英語表現では、どちらも意味は同じニュアンスらしいのだけれど、日本語感覚で考えると、日本のピアノの先生は、under的なのではないだろうかと思う。特に、コンクールで入賞・・・のような優秀な生徒を輩出する先生、音大の先生、このような人たちの指導がどうもunder的なような気はしている。

初歩の指導の場合も、ダメ出し中心の先生は、やはりunder的なのだと思う。

「音楽をするものとして、同志なんだ」という感覚がwithの先生からは感じられる。どうも、外国人はwith的な人が多いような気がする。under先生の指導を複数受けるとなると、そりゃあ、混乱するだろうと思うけれど、with先生だと混乱することはない。

with先生(音楽家)・・・

共通しているのは、自らもピアノ演奏に悩み、音楽に苦しみ、そして音楽に苦しいほど魅せられているということ。

つまり、自分でもピアノを弾いている・・・ということ。弾かずにはいられない・・・ということ。

生徒と同じく、苦しみ、悩みつつ弾いている。彼らのCDを聴くと、それはそれは簡単に弾いているように聴こえるけれど、彼らは、そこに至るまでの苦しみをレッスンで示してくれる。

教師というより、ピアニストというより、音楽家なのだ。生徒より先に歩んでいるというだけ・・・

なので、彼らも僕のことを「音楽家」として接してくる。

「いや~ん、そんなの・・・どうしよう・・・」なんて言っていては、彼らに失礼だろうとも思う。

先生が自分のピアノ演奏に関しての苦しみ、それを生徒に示すことは、決して弱みを見せることにはならない。with先生ならば・・・

むろん、弾いていなければ苦しみも生まれないが・・・

kaz

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