ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノを習わせている親の役割 

 

僕がピアノを習っていた頃、両親とも僕のピアノに関しては放任主義だったと言えるだろう。両親は、基本的にはいつも働いていて、食事の支度など、姉と協力して小学生だった僕も作ったりするのが普通だった。現在の僕が料理好きなのは、子供の頃から料理をしていたからだと思う。

「練習はいいの?」「練習しなさい!」などと言われたこともなかった。発表会に来てくれたことだって一度もなかった。父は出張が多かったし、母は看護師だったから、休日に休むなんてこともなかったのだ。

レコードは沢山買ってくれた。レナード・ウォーレンのレコードも母が買ってくれたものだ。「歌が好きみたいだから・・・」と。母は駅前のレコード店で数少ないクラシックのレコードから選んだのだと思う。母がウォーレンという歌手を、その時知っていたとも思えない。

その頃、少しでも母が僕のピアノのレッスン、練習に興味を持っていてくれたらどうなっていたのだろう?

「バイエル」学習者でありながら、自宅ではショパンのワルツを弾き、幻想即興曲を弾いていたのだ。もちろん、先生は「生意気なのよ!弾けるわけないじゃない!」とレッスンでは弾かせてくれなかったけれど・・・

発表会ではブルグミュラーを弾かされ、独学では幻想即興曲・・・

もし、両親が発表会に来てくれたら、何かしら先生に言ってくれたかもしれない・・・

一人・・・という状態には慣れていたし、僕のピアノに関して、教育に関して無頓着、放任主義でも僕は寂しくはなかったし、両親に対して不満に思うこともなかった。でも「僕の家は特別なんだな・・・」という思いはあった。

僕は音楽にのめりこんだ。偉大な歌手やピアニストの演奏が小学生だった僕を虜にした。いつも一人だったから・・・

今日のような雨の日だった。母が珍しく家にいる日だった。母は僕に買ってくれたレナード・ウォーレンのレコードを聴いていた。彼の歌うドナウディの歌曲・・・

母は、ウォーレンの歌声に合わせて、イタリア語で一緒に歌っていた。歌っている母の目に涙が浮かんでいた。母がイタリア語を習っていたとも思えない。母はウォーレンの歌うドナウディを何度も何度も聴いていたのだ。歌詞を暗記するほど聴いていたのだ。イタリア語を暗記するほど聴いていたのだ。

僕は、その時母から教えられたのだと思う。

偉大な音楽、偉大な演奏というものは、一生、人を虜にするものなんだと・・・

ピアノのレッスンは辞めても、ピアノと共に歩む人生があること、僕は、それを涙を浮かべてドナウディを歌う母から学んだのだ。

何千回「練習しなさい!」と言われるよりも、それは大きな教えだったと思う。

今日のような雨の日・・・母のことを想い出す。無言の教えを想い出す・・・

kaz



にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ
にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ
スポンサーサイト

category: ピアノ雑感

tb: --   cm: 0

△top

コメント

 

△top

コメントの投稿

 

Secret

△top