ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノ教師の役割 

 

「難関音大を目指しています」「趣味で楽しめればいいんです」・・・

この二つの考え方、方向性に分離してしまうのが僕は好きではない。というか、おかしいよな・・・と思う。究極の目的は一緒なのではないかと思うから。

「子供の感受性を育む」とか「生徒の心を育てる」とか、それは大切なことなのだと思うのだけど、これは目的ではなく、どちらかというと手段になるのではないかと思う。ではピアノレッスンの目的は・・・

個人的には「伝統の伝承」ということだと思っている。ピアノの先生の役割は、それ以上でもそれ以下でもないと・・・

むろん、子どものレッスンでは、時には子どもの心に寄り添い、カウンセラー的側面が必要だったり、幼稚園の先生的な側面も必要となろう。でも、ピアノのレッスンの目的は「子どもの心を育てる」というよりは、過去から育まれてきた、偉大な音楽家が伝承してきた「伝統」というものを次の世代に伝えることだと・・・

「バッハとか古典派とか・・・大切なんだと思うけど、生徒はあまり興味を示さないし、練習もしてきてくれないのよね。でも湯山作品とかギロックならけっこう興味を持って弾いてきてくれる。これらの作品だったら、それなりに雰囲気も出せてるし、それに音大に行くわけでも専門家になるわけでもないのだから、いいわよね?そうよ・・・いいのよ!」

「いいわけないよね!」と僕は思う。生徒がどう受け取ろうと、教えるべきものは教えないと、伝えるべきものは伝えないと・・・と思う。「それなりに雰囲気も出てるし・・・いいわよね」でいけるのは、むしろ大人の場合が多いのではないだろうか?子どもには伝承すべきものがある。先生にはその義務があると・・・

子どもの場合、先生から見える生徒は「点」なのだ、生徒の長い長い音楽生活の中の、ほんの一瞬の時。今は、アニメの主題歌をやっと弾いているのかもしれない。その生徒が流麗にショパンやベートーヴェンを弾く姿は想像できないかもしれない。でも、そのアニメ君(ちゃん)が15年後に音楽、ピアノに開眼する可能性がある。

「ピアノ・・・辞めます」と生徒が先生のもとを去ってから、それから生徒は開眼するかもしれない。

「その時には、私は教えてないも~ん」・・・そうなのだが、教えている時には、自分が直接関与しない(できない)生徒の未来までの責任がピアノの先生にはあるのだと思う。

自分で書いていても「厳しいな」と思う。こんなこと僕にはできない。だから、僕にはピアノなんて教えられないと思う。

「そこはドレファじゃないのよ、ドレミよ!指が転ぶのね。付点で○回練習してきてね」

これだけだったら僕でも指摘できると思う。(できないか?)

でも伝統を伝承することは、僕にはできない。

それはピアノの先生の役割だと思う。

kaz



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