ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ルードヴィヒの恋文 

 

昭和ピアノ時代の想い出として焼き付いていることがある。中学生になったらピアノは辞めてしまったのだけれど、最初は継続するつもりでいた。それまでの先生とは、あまりうまくいっていなかったということもあり(楽譜を破られたりした)、違う先生を探して。でもそれもうまくいかなかった。今のようにネットがあれば・・・と思う。どのような先生かって、その先生の文章、ブログ、ホームページを読めばつかめたりするものだ。でも当時は「近いから」「評判はよさそうだから(あくまでもその地域で)」ぐらいしか判断材料はなかった。門を叩いて初めて分かる・・・みたいな?

前の先生のところではバイエルの途中だったけれど、その頃は楽譜も読めるようになっていたので、ベートーヴェンのソナタを弾いたのだと思う。シュナーベルに傾倒していた頃だ。「悲愴」の第2楽章を弾いたと思う。我ながら第1楽章に挑戦しなかったのは判断としてよかったと思うし、なによりもシュナーベルの悲愴の第2楽章が素晴らしかったのだ。歌を感じたというか?弾きたかったのだ。

「ベートーヴェンは歌ってはいけません。もっと厳格に弾くものです」とその先生に言われた。そして定規を背中に入れられ、となりでパチンパチンと拍子をとられて、「この通りに弾きなさい」と。子ども心(中学生だったが)に反発を感じたんだね。ピアノそのものを辞めてしまった。この「ベートーヴェンだから厳格に」という言葉に反発を感じた。定規にもだが・・・

今も「厳格ベートーヴェン」というものはピアノ界に健在なのではないかと思う。怒涛のようなベートーヴェン?彼のヘアスタイルのように人生は渦巻いていて、それに打ち勝つのが彼の音楽・・・のような?美しさはどこへ???

怒涛のベートーヴェン、崇高なるベートーヴェン、個人的には鬱陶しい。暑苦しいというか。ある先駆者的な日本人ピアニストは、練習室に掲げられたベートーヴェンの肖像画に最敬礼をして練習を始めていたのだそうだ。もしかしたら肖像画ではなく銅像だったかもしれないが、このメンタリティーをベートーヴェンに取り組むときには今もどこか求められているような?ソナタ集は新約聖書と例えられたリ。音楽の総元締め、教祖様的存在?このあたりが暑苦しい。

「ベートーヴェンって素敵♡」ってあまり言われたりしない。素晴らしいとは言われるけれど。美しいベートーヴェンは邪道?

いきなり映画の話題になるが、「Sex & The City」という映画でキャリーがビッグに読んで聞かせる本があった。「偉人たちのラブレター」のような本。この本、実は架空の本で、そのような本は出版されていなかったのだが、映画公開後「あの本は手に入るのですか」という問い合わせが女性を中心に殺到したらしい。映画の影響って凄い。その後日本を含む8か国で出版された。

キャリーが読んだラブレター、最も反響のあったのが、実は怒涛のクラシック音楽総元締めであるベートーヴェンのラブレターだった。「まぁ、ベートーヴェンってなんてロマンティストなの?いじらしいくらいだわ」世の女性(男性も?)の多くがそう感じたのだ。そこには後輩から敬礼される崇高な男性ではなく、一人の男がいた。恋する一人の男・・・

美しいベートーヴェンを感じるには、一度ピアノの世界から離れて歌曲の世界のベートーヴェンに触れてみるといいのではないかと思う。「アデライーデ」という実に美しい歌曲がある。ユッシ・ビョルリングの歌唱などで聴くと、僕など昇天してしまいそうになる。この曲はルードヴィヒの恋文ではなかろうか?

ルードヴィヒの恋文、映画の中でも効果的に使用されていたけれど、英語だと実に様になる。でも日本語だとちょっと(かなり?)キザな感じかもしれない。そこまで書く?恥ずかしい・・・のような・・・

一部を引用してみる。

「Ever thine. Ever mine. Ever ours.」

「あなたは永遠。僕も永遠。いつまでもふたりで・・・」

きゃあぁぁぁ・・・

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モーツァルト洗礼 

 

1980年だったと思う。昭和55年。ウィーン国立歌劇場の引っ越し公演。演目はモーツァルトの「フィガロの結婚」、フィガロ役はドイツのバリトン、ヘルマン・プライ。たしか東京文化会館だったかなぁ?この時が僕のモーツァルト洗礼であり古典派洗礼だった。

もう序曲からして「きっちり」「かっちり」という印象ではなく、リズムは弾み、メロディーは宙を舞っていた。客席の僕が、かつての昭和ピアノ教室のモーツァルトをチラリと思い出したのは事実だ。「あれは何だったのだろう?」「あれもモーツァルトだったのだろうか?」と。

でもその時の僕はピアノ道からは離れていて、音楽、ピアノとは鑑賞のみの関わりだったから、その時感じた疑問符を大切に育む(?)ということはしなかった。

プライの当たり役、沢山あるのだと思うが、極め付きは、やはり二人のフィガロだろうと個人的には思う。「フィガロの結婚」のフィガロ、そして「セヴィリアの理髪師」のフィガロ。モーツァルトもロッシーニもヘルマン・プライのためにフィガロを書いた、そんなふうにも思えてくるほどだ。

いわゆる今でいう「イケメン」というのとは違うのだと思うが、舞台でのプライにはセクシャルなオーラさえ漂っていたように思う。ちょっとしたモチーフとか音型の処理とか、もういちいちセクシーなんだよね。

古典派の魅力って「きっちり」「はっきり」ではなく、音と音の波間を漂う・・・みたいなところもあるんじゃあないか?プライのように・・・

こんな風にモーツァルトのピアノソナタを弾いてみたら素敵なのではないかな?楽譜のあちこちにパパゲーノやフィガロが潜んでいる。彼らを発見する楽しみが譜読みだったりして・・・

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きっちり古典派 

 

ショパンは人気がある。サークルの練習会などでショパンの曲が登場しないのは珍しいくらいだ。我々の世代が子どもの頃、ピアノを習っていたのは、高度経済成長期になる。いわゆる昭和のピアノ教室時代の洗礼を受けている。今のアマチュアというか、大人ピアノ世代のショパン人気は、その昭和ピアノ時代、つまり、かつての子ども時代の憧れを反映させている面もあるような気がする。ショパンやリストなんて高嶺の花だったのね。

4期によるカリキュラムなんてなかった。どの教室の生徒であれ、その時レッスンで弾いている教材で進度が分かる、そのような時代だった。バイエル→チェルニー→ソナチネ→ソナタ・バッハ・・・みたいな図式?大雑把に考えれば、ずっと古典派っぽいものだけ弾いていたことになる。むろん、ソナタよりも先に進んでいけば、ワルツなどからショパンにも入っていけたのだろうが、現実にはそこまでに多くの生徒が挫折というか、「辞めま~す」みたいな感じだったと思う。

〇年ぶりにピアノを再開、その時に憧れだった、未知でもあるロマン派に憧れてしまうのは当然かもしれない。子ども時代、昭和の憧れを今に継続するのはいいのかもしれない。しかし、負の遺産(?)も今に継続していないだろうかと。

古典派の曲は、しっかり、きっちり・・・みたいな?必要以上に人間的欲望(?)というか、生き生きとした感情を古典派作品において押さえ込んでしまうような?ハイドンやらモーツァルトのソナタってスケールとか、そのような基礎的要素が満載だったりする。なので昭和のレッスン室では「リズム練習を沢山しましょう」とか「〇回反復練習をしましょう」みたいなモードが満載だったのではないだろうか?その部分は通らなければならない道・・・だったのかもしれないし、今もそうなのだと思うけれど、あまりに「修練」のような面が強調されてしまい、「ピアノってつまらな~い」みたいな?古典派の美しさのようなもの、それは均等スケール美だけではなく、他にもあったはずなのに、多くのピアノ生徒たちは、まだ弾くことを許されないショパンに憧れを秘めつつ古典派の美しさを感じることなくピアノを辞めていった・・・

それは昔の話でしょ・・・と切り離している大人はいいのだろうけれど、中には昭和モードをどこか抱えてしまった人もいるのではないか?「モーツァルトとかって難し気で・・・」みたいな感じで遠慮してしまう。

そのような人に朗報がある。古典派のオペラを聴けばいいのだ。全曲は大変だから、ユーチューブでもいいからアリアだけでも聴いてみる。「えっ?こんなに人間的だったの?」「こんなに生き生きと血潮を感じるような?」

ヘルマン・プライというバリトンが昔いた。モーツァルトは1960年代~1980年代、タイムカプセルに乗って、ヘルマン・プライの歌唱を聴いたのではないか?むろん、そんなことはあるはずはないのだが、そう思えてくるほど魔笛のパパゲーノやフィガロなどのキャラクターとプライは融合しているのだ。モーツァルトはプライを知っていた・・・

モーツァルトの傍に、非常に魅力的なバリトン歌手が実際に存在していたのではないかな?

これも古典派・・・なんだよね。生きている・・・美しい・・・古典派は、きっちりさえしていればいいものではない。

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脳みそは柔らかいんだから・・・ 

 

あるピアニストの演奏による、ある曲を聴いた。そして感動した。ハンカチが濡れるほど、いや、バケツ一杯もの涙さえ流せるほど感動した。ピアノを習っている。なので自分が聴いて感動した曲を弾きたいと、心から弾きたいと思う。

そして練習を始める。まだ譜読みも完全ではないし、弾きこなせないパッセージも山ほどある。それはいい。すぐにピアニストのように弾けるようになりたいわけではないのだから。でも、そうではないのだ。時間を費やしても、とても自分が聴いて感動した演奏に自分が近づけるとは思えない。なんというか、弾くだけで、音符を並べるだけで精一杯という演奏から超えられそうもない。表面上は弾けていくとは思うが、なんだかそれだけで終わりそう。何故?

感動した、それは曲に秘められた、あるいは込められたものを察知したということだ。まず聴いてそれを察知したので、感動したのだと思う。感じること、察知することはできたのに、自分では無理・・・

これは多くの人が感じていることではないかと思う。中には、それが普通でしょ、ピアニストじゃないんだから・・・とそのことを当然と思っている人もいそうだ。たしかに、我々はアルゲリッチでもホロヴィッツでもない。

でも、せっかく感じることができるのに、「自分には才能がないし」とか「感性の違い?どうにもならないよね?」と夢を捨ててしまったら、つまり「自分には音楽的に弾くことなんかできない」と思ってしまったら、すべてがそこで終わるような気がする。

音楽的に弾く方法を知らないだけかもしれないのに・・・

具体的な方法論はピアノ講師ブログを読んで頂ければいいと思う。僕などにはそのような資格もないし、第一、方法論など持っていない。ただこれは言える。「決めつけずに頭を柔らかくしてあきらめない」ということ。自分は俗物なので、高尚なクラシック音楽なんて分析できないし、音楽的に弾くなんてことは、プロになるわけでもないし・・・と本当に思っているのだったら、まず悩まないのでは?「なんで自分の演奏は・・・」なんて悩まない。心のどこかで「ああ、もっとこう弾けたら」と少しでも思うから悩む。だったら、プロとかアマチュアとか、上級者とか初心者とか分けてしまわずに、「音楽に触れたいな」というところに突進してしまえばいいのだと思う。

感じたのに、それを「自分のピアノ」と完全に分離してしまうのは、物凄く勿体ないような気がする。そもそも感じない人はピアノなんて面倒なもの、弾いていないんじゃないかな?

まずは頭を柔らかくする。「プロじゃないし~」とか「私は○○なのでぇ・・・」とか、諦めない。頭を柔らかく、これはマジョリティーの一般的考えのようなものを無批判に受け入れないということ。まずは「私はどう思う?」「私はどうしたい?」と自分を見つめる。本当はどうしたいの・・・と。

これはアメリカの、ある保険会社の動画だ。二人のパパと娘。さすがにアメリカでもこのような家族は珍しいからコマーシャルに登場するのだろうけれど、まあ、日本では考えられないとは思う。この家族をどう思うか?二人のパパ、つまりゲイの両親と子ども(赤ちゃん)という家族を・・・

「えっ?ゲイ?つまりホモの両親?気持ち悪い・・・」「異常なんじゃない?」と思う人も相当数いるのかもしれないが、こう思う人が多いかもしれない。

「なにも子どもまで持とうと思わなくても・・・」「子どもはどうなっちゃうのかしら?」「ゲイであることは罪ではないと思うけれど、普通の人(?)のように権利を主張するのはどうかと思う。日陰でひっそり暮らしているべき」「やはり子どもは母親が育てないとね」

個人的には、ヘテロのカップルでも結婚や子どもを持たないことを選択する人たちはいるだろうと思うし、反対に家庭を持つ人生を望む人もいるだろう。そこに人として選択の自由がある。ゲイも同じ人間なのだから、ヘテロのカップルのような幸せ、家庭を持つ幸せを望む人だっているのだ。持たない幸せを持つ人もいるだろうし、つまり「同じだ」と思う。同じであるべきだと。でも現実には、そこに差がある。

頭を柔らかくしてみる。「ゲイ?気持ち悪~い。私たちは正常よ」と思うのは勝手だと思うが、もし自分たちの子ども、あるいは孫がゲイとして生まれたらどう接するのだろう?その可能性は確率として皆無ではないはずだ。

親として、我が子、孫がゲイとして生まれたなら、「できるだけ(ゲイとして生きるうえで)障害の少ない世の中になっていきますように」と願うのではないだろうか?それが親心なのではないか?「ゲイ?病気でしょ?治療しなきゃ」なんて思う親、一昔前ならともかく、そんなことを思う親は今は少ないのではないだろうか?

ゲイに対しての自分の感情・・・だけではなく、未来にまで思いを馳せてみる。つまり少しだけ頭を柔らかくしてみるのだ。「もし息子、娘からカミングアウトされたら」とか。

この動画でもパパたちが言っている。

「20年前だったらゲイのカップルが子どもを育てるなんて考えもできなかったよ。自分たちは多くの障害を乗り越えてきた。この娘が成長した未来には、そのような障害はできるだけ少なくなっているといいと思うよ」

自分たちがしてきた苦労を、自分の娘・・・というかその世代の人たちにはさせたくない・・・と思っているのだ。ゲイ?そのことに対して「いい」とか「悪い」だけではなく、そのような発想もしてみる。柔らかくしてみるんだ。

才能がないから音楽的になんか弾けないんだわ・・・

そうではなく、音楽的に弾くための法則、方法のようなものを自分は落としているんだわ・・・と柔らかく感じてみる。

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鑑賞能力 

 

グラナドスのスペイン舞曲集では有名な「アンダルーサ」よりも、この「オリエンタル」の方が好きだったりする。ジェームズ・クレーガー、むろんチェロを学んでいる人には有名な人なのだろうが、一般的なピアノ弾きにはそれほど有名な人でもないのかもしれない。例えばミッシャ・マイスキーほどの知名度はないように思う。地味目か?でも僕はこの人のグラナドスは好きだな。

曲を演奏するほうが、ただ聴くだけよりも難しい・・・

そうなのか?・・・と最近は疑問に思ったりもしている。むろん、ショパンのバラードを聴いて「素敵な曲だわぁ・・・」と感じる方が、バラードを「素敵ね」と聴き手に感じさせるように演奏するよりは簡単だとは思う。聴くだけなら毎日練習しなくてもいいし。でも聴くって簡単なことなのだろうか?

個人差というか、聴き手の主観的要素、これは、かなりあると思う。ツィメルマンの完璧に近い演奏に居眠りしそうになる人が、学生の、あるいはアマチュアの未熟で荒い演奏に「どこか魅せられてしまう」などということもあるだろうとは思う。でもこれは聴き手の主観によるところが大きいのではないかと。つまり「すきずき」ということ。

でもただ聴くということでも「深さ」の違いのようなものがあったりするのでは?たしかに「弾く」だと深さの違いのようなものは演奏に反映されるというイメージは持ちやすいだろうが、でもただ聴くだけでも個人差、深さの違いのようなものがある・・・

つまり世の中には聴けない人もいるということ?なんとなくなのだが、最近感じたり考えたりするテーマだったりする。

「一つ一つの作品と出会うとき、メロディーの発見を喜び、和声進行の見事さに打たれ、ポリフォニーの綾に心をそそられるという意味で音楽を聴くということ・・・。心を開いて音楽に耳を傾け、そこに多様な音表情(音構造だけではなく)を感じとる経験の積み重ねによってこそ、素晴らしい音楽の扉が開かれるのです。そして、そのような意味で音楽を聴くことが出来なければ、作品を音楽的に演奏することは望めないでしょう。したがって、あらゆる音楽的能力の出発点は、何よりも先ず良き鑑賞者であることでなければならないのです」 雁部一浩:著 「ピアノの知識と演奏」

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愛とグラナドス 

 

来年の2月にリサイタルを行う。準備というものは、本来は、しんどいものなのだろうが、今はまだ実感が薄い。曲目は決めたけれど、まだ変わるかもしれない。弾きながら、色々と変更したりするのが好きなのかもしれないと思うし、好きな曲を弾けるのがアマチュアなのだとも思う。本番で演奏する曲の周辺を調べたりするのは非常に楽しい。なので今はとても楽しいのだ。

最初の曲として「ゴィエスカス」の5曲目、「愛と死」をいきなり演奏してみてはどうかと・・・

僕にとっては「グラナドス」=「愛」のようなところがある。物乞いに家族一週間分の食費をあげてしまったりとか、そのようなエピソードが多い感じだ。優しい、愛に溢れた人だったのだろうと思う。子どもは6人。予想(?)よりも多い感じだ。さすがに大バッハほどではないけれど、作曲家って家庭的な幸せとは縁遠い人が多いような印象なので、愛を全うしたグラナドスのような人もいるのだなぁ・・・と。

「ゴィエスカス」・・・グラナドスを死に引きずり込んでしまった曲なのだろうか?オペラ版の初演がアメリカで行われたのだが、その帰途の途中、グラナドス夫妻の乗った客船がドイツ軍のUボートに襲撃されて沈没してしまう。一度は救助船に助けられたグラナドスなのだが、波間に見えた妻のアンパロの姿を認めると、再び海に飛び込んでしまった。そして二人とも亡くなってしまった。グラナドスの死因は、事故死、溺死・・・ということになる。大西洋に沈み、遺体は発見できなかったそうだ。

グラナドスは船が大嫌いだった。水が怖かったらしい。泳げなかったんじゃないかな?それでも海に飛び込んだ・・・

なんだか切ないが、自分の命よりも大切な人がいたということでもある。でも、やはり切ないな。

このような小さなことを知ったからピアノが上手くなるわけでもない。音楽鑑賞、音楽の演奏において、作曲者の私生活のことなどを知って、曲の印象が変わるというのは、それはクラシック音楽との接し方としては邪道なのかもしれない。作曲家はプロなのだから・・・

私生活、つまり作曲家自身の人生と作品とは切り離すべきなのかもしれない。でも聴く側は人間であり、その人間は些細なことにも崩れてしまったり、迷ってしまう弱いところがある。だからこそ人生は楽しい、というか尊い。

作曲家も人間だった。凡人である強靭な(?)我々などとは比較できないほど繊細だったとも思える。だからこそ、このような曲を生み出せたのでは?そうも思えてくる。崩れ、迷う凡人の心を作曲家は代弁してくれているようにも感じる。だから触ってみたくもなるのだ。

この曲はグラナドスの曲の中では最も有名な曲だと思う。今さら新たな感動など聴きだせないほど有名な曲。グラナドスの死因、自分よりも大切な命を救うための行為、そのようなことを知って、この有名な曲に愛をより深く感じてもいいのではないかと思う。そのような聴き方、曲との接し方もありなのではないかな・・・と。

もともとはピアノの曲なのだと思う。でもダニール・シャフランのチェロが心の奥深くまで浸食してくるようだ。

ラテンの愛・・・かなぁ?

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category: リサイタル

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70パーセントの法則 

 

日本人と欧米人との感覚の違い、それは「死」というものに対して大きく異なると感じる。欧米人といっても僕が個人的に知る欧米人はアメリカ人が多いのだが、死に対しての感覚が日本と異なる、これはアメリカでサナトロジーという学問が発展しているということと何か関係があるようにも感じる。

もし自分が重篤な病、例えば末期の癌になってしまったとして、それを高齢の親に告げるか?日本人の場合、多くの人が「ご両親には黙っていたほうが・・・」と言う。「あなたはスッキリするかもしれないけど、それは親にとってショックだから・・・」とか。アメリカ人の場合、逆に「秘密にしていたら親が気の毒だ」と考える人が圧倒的に多い。「もし、知らなかったら、あなたとお母さまとで本当にやりたいことができないかもしれないじゃない?」「後から知ったら、そりゃあ後悔するでしょう?ああ、○○をすればよかったと」こう考える人が多いのだ。

年老いた親には過酷?なんとなくそれも分かるけれど、一人の人間としての信頼感があれば告げる方がいいのではないかと思う。こう考える日本人は、どうも少ないようだ。辛いことを共有することで絆が深まるということはある。あなたを一人の人間として信頼している、だから告げたのだ・・・みたいな感覚だろうか。

70パーセントの法則、これは「とある国」だったり「イギリス」だったり「オーストラリア」「アメリカ」だったりするのだが、まぁ、欧米各国では標準的な数値なのだろうと思う。サナトロジーの概念が浸透していない日本では、もっとパーセンテージは高いように僕は思っている。何の法則なのか?それは後悔する人の割合。

死の間際、70パーセントの人が言葉での表現は多少異なれど、共通した言葉を残して死んでいくのだそうだ。

「生きている間に、もっとチャレンジしておけばよかった」「人の人生ではなく自分の人生を生きればよかった」

欧米でさえ7割の人が、このような後悔を感じながら死んでいくのだとしたら・・・

死ぬ間際には、自分がやらかしてしまった(?)失敗、穴があったら入りたい・・・的なことを後悔することはない。「やったこと」ではなく「やらなかったこと」に対して人は後悔するのだ。

もし、自分のピアノ演奏に関して、「拙くても他者と曲の素晴らしさを共有したい」とか「自分が涙したような感覚を、今度は自分が演奏して聴いている人に伝えたい、心の中で手をつなぎたい」と感じるのだったら、今からそうすべきなのだ。「初心者なのでぇ・・・」「ミスばかりだしぃ・・・」と言っているうちに死んでしまうかもしれない。

やったことを後悔はしない。やらなかったこと・・・

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残された者 

 

人を見送るのは辛いし、哀しい。時が哀しみを癒してくれるということはないように思う。個人的な感覚だけれど。時は癒してはくれない。残されたものは哀しみを抱えて生きていくことになる。多分、一生。

哀しみや辛さは決してセピア色にはならない。いつまでもいつまでも鮮烈なのだ。

特に若い人が病で亡くなったりした時によく聞く言葉なのだが、「可哀想・・・」という言葉。「あんなに若くて・・・」ということなのだろう。そこには「自分は元気だけれど」という想いが無意識ながら存在しているようにも思う。

亡くなった人が残したもの、それは哀しみだけではなく、あることを教えてくれてもいる。それは人生は有限であるということ。人は、僕も含めて、人生というものは、なんとなく(ダラダラと?)続いていくものだと・・・どこかでそう感じている部分もある。人は必ず死ぬのだ。例外はない。また、明日の保証さえない。事故に遭遇するかもしれないし、重篤な病を患うかもしれない。不確実性、そして有限性というものと人の人生は切り離せないものなのだ。

何度か親しい人を見送った経験がある。その時は「何故、あなたが???」と感じた。何故自分ではなく、よりによって、あなたなの・・・と。その人たちの最期の言葉は共通していた。「すべてやり遂げた。自分の人生には満足している。思い残すことはない。そして死ぬことは怖くない」

まだ若かった人たちだ。人生途中の死・・・ではあっただろう。でも「満足している。自分の人生を生き切った」と・・・

人生の有限性を僕に教えてくれたのだと思っている。

ダラダラと無駄に過ごすなよ。自分自身の人生を生きろ、人の人生を生きるな・・・そう教えてくれたのだと思っている。

あと半年の命だと宣告されたら・・・あなたは何をしますか?

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高度経済成長期 

 

天地真理が一世を風靡していた頃、つまり70年代前半というのは、いわゆる高度経済成長期でもあった。ピアノ教室が最も繁栄していた時代、お稽古事花盛りの時代。

すべてのことが上昇気流にあった、ドラマティックな時代だったのだろう。「・・・だろう」と言ってしまうのは、当時の僕は小学生。時代というものを感じるには幼かったというか、行動範囲も学校と近所という範囲だけで、ピアノばかり弾いていた・・・と書きたいところだが、自転車を乗り回して遊んでいた記憶しかないから。その頃は葛飾区の端という地域に住んでいたのだが、それでも、どこもかしこも工事中の風景というものは印象に残っているから、やはり時代は変わっていた最中だったのだろう。

カラーテレビの普及、これは天地真理の人気と比例するように伸びている。おそらく真理ちゃんブームというものは、テレビという媒体との密接な関係はあっただろう。1970年、カラーテレビの普及率は20パーセント台。天地真理が「水色の恋」で歌手デビューし、「時間ですよ」でお茶の間に人気者になっていた71年には40パーセントを超え、「ひとりじゃないの」「虹をわたって」とアイドルとして君臨した72年には60パーセント台になっている。「恋する夏の日」を駆け巡るように歌っていた73年、カラーテレビの普及率は80パーセント近くにまでなっている。まさに天地真理はテレビと共に日本を駆け巡ったのだ。

「真理ちゃんとデイト」とか「とび出せ!真理ちゃん」のような天地真理番組の人気もカラーテレビの普及があったからだし、彼女は多くのテレビコマーシャルにも出演していた。そのイメージというものは強固にあっただろうと思われる。

もう天地真理という個人を超えたところに天地真理は存在していた。様々なキャラクターグッズの発売など、レコード売り上げだけではなく、そこには多額のお金が動いていたはずだ。

「ああ、フォークが歌いたい」と本人が心では望んでいたとしても、天地真理という商品、アイドルとしてドル箱であるという側面もそこにはあっただろうと思われる。それは個人の力ではどうにもならないほど巨大なものになっていたのかもしれない。

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アイドル路線とフォーク 

 

よしだたくろう=フォーク、天地真理=アイドル、このような仕分けが成り立つのだとしたら、この曲の歌唱は天地真理の意外な面・・・ということになるのかもしれない。アルバムではフォーク系の曲をよく歌っていた。これが実にいい感じのように思えるのだ。

アイドル路線、メルヘン路線のシングルカットされたヒット曲と比較すると、どこか生き生きと歌っているように感じるのは気のせいか?

オリコン1位・・・でなくてもよかったのに。オリコン最高位30位程度でも、このようなフォーク路線を全うしていれば、天地真理はもう少し息の長い歌手生活だったのかもしれない。デビュー当時は、ギターを抱えて・・・のようなフォーク路線も垣間見せていた。時代がそれを許さなかったのか・・・

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恋する夏の日 

 

天地真理の全盛期の楽曲

水色の恋(デビュー曲) オリコン3位
小さな恋 オリコン1位
ひとりじゃないの オリコン1位
虹をわたって オリコン1位
ふたりの日曜日 オリコン3位
若葉のささやき オリコン1位
恋する夏の日 オリコン1位

順に並べてみると以上のようになる。7曲のうち、4曲が森田公一の作曲で、すべてがオリコン1位となっている。当時の天地真理の楽曲については作詞も含め、制約があったようだ。それは清純派のイメージを決して崩してはいけないという制約。メルヘン歌謡とでもいうべき世界という制約があった。そこには失恋とか、嫉妬とか、そのような要素を微塵も感じさせてはならない。

考えてみれば当然ではあるのだ。天地真理はアイドルだったのだから。このあたりが非常に「昭和」というものを感じさせるところでもある。全盛期の天地真理、小学生から大人まで、特定の、真理ちゃんコールを叫ぶ男性ファンだけではなく、幅広い層からの支持があったらしい。当時、天地真理の名前を冠したテレビ番組が19時というゴールデンタイムに放送されていた。高視聴率をマークし、3年ほど続いた。この真理ちゃん番組を多くの小学生も観ていたらしい。「真理ちゃん、可愛い!」小学生から20歳過ぎの女性が可愛いと言われる、そのようなことを求められていた、まさに昭和だな・・・と。

天地真理の代表曲といえば、やはりこの曲なのだろう。売り上げとしては最高のセールスという曲ではない。その事実が意外と感じるほど、天地真理といえばこの曲を連想する人は多いだろう。僕ぐらいの年代の人だったら、振り付きで歌える人、多いかもしれないね。

もう、イントロからして「勢いのあるアイドル」にしか歌わせないという意思(?)を感じさせる曲。森田公一は、そのあたりを強調するのが、実に巧みだったように思う。

でも、この「勢いのあるアイドル路線」というものが歌っている本人もビックリ・・・というほどに成功してしまった。まさにここが、その後の天地真理の路線を難しくしてしまったところでもあるのではないか?

シングルではなく、アルバムでの天地真理、アイドル路線GOGO(?)の頃、いや、デビューアルバムから、実はフォーク系の曲を沢山歌っている。天地真理本人はフォークが好きだったのではないかと思う。ギターを抱えて・・・の世界。森山良子とかチェリッシュのような世界。でもそれはアルバムでしか許されない世界でもあった。天地真理はアイドルになってしまったのだから。

この曲は、そのような意味で僕には、ちょっと切ない曲でもある。天地真理は本当にこの曲を歌いたくて歌っていたのかな・・・と。

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昭和の白雪姫 

 

渡辺真知子が「迷い道」で鮮烈なるデビューをした頃、僕は地元の駅前にあるレコード店で天地真理のレコードを買おうかどうか、迷っていた。

天地真理、その頃は人気も下火になっていたのではないだろうか?彼女のレコードを買うということが、なんだか時代遅れのような、そんな気もしたし、友達にも「天地真理いいよね?」なんて決して言えなかった雰囲気もその頃にはあった。1976年頃だったと記憶している。

数年前には絶大なる人気を誇っていた天地真理、トップアイドルの座は、山口百恵とか、あるいはピンクレディーなどに奪われていたような気がする。全盛期の天地真理、実は、あまり僕の記憶にはない。彼女の全盛期に「真理ちゃ~ん」と真理ちゃんコールをする世代でもなかった。小学校の低学年だったしね。でもヒット曲は自然に耳には入ってきた。歌番組全盛時代だったし、天地真理の活躍は、歌手としての領域を超えたものでもあったし。当時の彼女は「アイドル」だった。元祖アイドル・・・

「歌、下手ねぇ・・・」「可愛いけどそれだけで歌手とは言えないよね~」全盛期の天地真理に対しては、歌が下手という評価もあったように思う。両親などもそう言っていたし。たしかに美空ひばりとか、ちあきなおみのような、聴く人を唸らせてしまうような上手さは当時も今も天地真理の歌声からは感じない。それはそうなのだが、でも「下手ね~」なのだろうか?

アイドルとは歌ではなく、ルックスで売れるという思い込み、それが僕にあったように思う。遅ればせながら、「えっ?そんなに下手?でもいいなと思ったんだけど・・・」と初めて自主的疑問(?)を感じたのが1976年当時の天地真理を偶然テレビか何かで聴いた時なのだ。

天地真理のファンと僕は言えるのか?全盛期のヒット曲、知ってはいるが、そこは素通りしてしまっているので、ファンとは言えない。でも一般的には落ち目とされている頃、筒美京平が曲を提供するようになった頃の天地真理には、どこか惹かれたりもする。独特のファルセットによる歌声、それは天地真理にしかない歌世界のような気もする。そのような魅力を感じているという意味では、遅れてきたファン・・・とも言えるような気はする。

人気絶頂期の天地真理、今聴き返してみても、正直「なんて下手なの・・・」とは感じない。この曲は美空ひばりでも、ちあきなおみでも似合わない歌世界なのではないかと思う。天地真理の世界。

「ひとりじゃないの」は1972年のヒット曲と記憶している。素通りして聴いていた頃は、周囲の大人たちの評価をそのまま信じていた。「歌が下手な人」と。

天地真理、母子家庭・・・なんですね。女手一つで私立の中学、高校と通わせた。国立音楽大学の付属で、ピアノ専攻だったようだ。おそらく、ピアノ教師になれば、女一人でも生きていけると母親は思ったのかもしれない。たしかにそんな時代でもあった。でも金銭的に大変だっただろうな・・・と思う。

50歳以上の年代の人、天地真理のファンではなかった人も、この「ひとりじゃないの」は歌えるのではないだろうか?当時のアイドルにはそのような時代のオーラがあったような気がする。

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琴線 

 

私たちは深い感動を経験したとき「心の琴線に触れるような」と形容することがあります。それは私たちの中に無かった何物かを作品から与えられたというよりも、むしろ私たちの中に在った何物かが作品によって触発されたという思いの表れではないでしょうか。かねてより漠然と感じていたことが図星に表現されたり、心の底に潜在していたものが呼び覚まされたりという意味で・・・

(雁部一浩 著:ピアノの知識と演奏)


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初恋 

 

雁部一浩著「ピアノの知識と演奏」という本に、次のような文があった。

「演奏という行為は私たちが作品にアプローチして作曲家の思いを代弁するという図式に捉えがちですが、真相はその逆で、むしろベートーヴェンやショパンの方が私たちの切なる思いを代弁してくれているのではないでしょうか」

「私たちの内面に在るものを彼らが見事に書いてくれているからこそ、作品への共感が生じるのだとすれば、つまるところ演奏とは、他者の作品を借りて自らの思いを表現する行為ということになります」

自分の内にある何ものか、それを作品が代弁してくれている、なので心が動く・・・ということなのだろうか?

孝蔵少年は面と向かって「好き」などとは到底言えなかった。せいぜい慕う相手のいるテニスコートにサッカーボールを蹴り上げることぐらいしかできない。自分の名前なんてとても言えない。

でもこの苦しいような、切ないような思いは何なんだろう?「愛」という字を書いてみる。心が震えてくるようだ。僕は愛を感じているのか?だからここまで苦しいのだろうか?

「ピアノの知識と演奏」にはこうも書いてある。

「音楽を聴くということは、音楽をただ音構造として認識することではなく、多様な音表情が自らの感情の襞に触れ、これを触発し、そこに共感が生まれるということでなくては意味がありません」

転校してしまうのか・・・

お別れさえ言えない。話す勇気さえも今までなかったのだから。駅に見送りに行こうか?でも同じクラスでもない僕が駅にいたら
皆も変に思うだろう。

電車は発車した。「もう会えないんだ・・・」

孝蔵少年は自転車を必死に漕いだ。自転車は電車を追い越し、孝蔵少年は踏切で、走り去っていく電車に向かって大きく手を振った。できたのはそれだけだった。意思表示はそれだけだった。それが孝蔵少年の初恋だった・・・

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甘いオムレツ 

 

浜松市、ピアノ愛好者ならば連想するべきはヤマハ、カワイといった楽器製造、あとは楽器博物館とか、コンクールのチェックとか?

一般的には浜松=「うなぎ」ではないだろうか?僕も楽器ではなく、やはり「うなぎ」を連想する。浜松には有名な「うなぎパイ」の工場がある。「うなぎパイファクトリー」という名称だっただろうか?ここは入場無料の施設。お土産まで持たせてくれた記憶がある。夜のお菓子・・・の意味は工場見学では判明しなかった記憶があるが、工場の一角に、なぜか小椋佳のパネルが燦然と(?)飾られていた。

「何故うなぎパイファクトリーに小椋佳?」

小椋佳が第一勧業銀行の銀行員だったのは割と有名な話だ。現在の、みずほ銀行ですね。小椋佳は浜松支店の支店長だったのだそうだ。だから燦然と飾られていたのだ。

支店長、かなりのハードワークだったのではないだろうか?仕事をしながら、音楽活動もしていたわけです。銀行という所は副業というものに対して、かなり厳しい規制があるようだ。なんだか分かるような気もするが。

1990年代まで銀行に勤めていたわけだから、彼の代表作の多くは銀行員時代のものもあるということだ。

「僕にとって歌を書くというのは日記を書くことと同じなんです。銀行員が日記を綴ってはいけないんですか?」
「他人はそんな風には思わないんだよ」

かなり大変な日々だったように思う。特に「シクラメンのかほり」がヒットしてしまってから(?)が大変だったようだ。

この人の息子は、たしか若年性の脳梗塞を患ったのではなかったか?彼が歌を歌ったら、意識は戻らないと言われていた息子が一緒に歌を歌った・・・その話はなんだか素敵だな・・・と思った。音楽ってそのような作用、あると思うもの。

小椋佳の曲の中では知られていない曲かもしれない。地味・・・というか?でも僕はこの曲が好き。小椋佳らしくて。この人は癌闘病中でもある。

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シンガーソング車掌さん 

 

某所で読んだのだが、最近は真剣なピアノ教師が少ないという内容。その中で、本業(ピアノを教える)だけではなく、パートなどの仕事を掛け持ちしたりする(本業に対して真剣ではない)教師もいると書いてあった。ちょっと気になった。ピアノを教えることによる収入だけで自立できなかったら、他の仕事をするのは僕は当然だと思う。もちろん、経営努力(自身の演奏とか、指導法とかすべて含め)は必要だと思う。教えることだけで自立を目指すことは大切なことだとは思わないでもない。でもパートの仕事などをしていると「不真面目」とは言えないと思う。ピアノを教えることだけで食べていける人の方が、むしろ少ないのでは?

僕の叔父は流しだった。立派な職業だけれど、叔父は夢を追い続けた売れない歌手でもあった。家族も含め、世間からの風当たりも相当強かったと思う。男性のピアノ教師は少ない、そもそも音大ピアノ科に進学する男子学生も少ない。これはピアノが女の子っぽい楽器だからではないと思う。

音大を卒業しました、教室を開きました。自立して生活できています・・・という人は少ないだろう。多くの人はパトロンでもいればともかく、実家のお世話になるということもあるだろう。本来はそこに差があるべきではないのだろうが、やはり男性の方が「ピアノ教師です。収入はまだ3万円です」という人に対しては女性よりも世間は冷たいのではないか?

軌道に乗るまでに時間はかかる。それが普通だとしても、日本社会は、まだまだ「就職」というよりは「就社」という社会だから、大学卒業時に、特に男性は悩むのではないだろうか?なんとなく音楽を職業とするのを涙ながらに諦めなければならなかった男性の数は女性のそれよりも多いような気がする。

この人は、旧国鉄、現在のJRの車掌さんをしていた。この曲がヒットしてテレビに登場するようになってからも、国鉄は退社せずに車掌さんを続けていた。国鉄がJRに変わった時期に退職している。その後は家業の漁業を手伝ったりしている。

僕は、このような歌を書き、歌う人が、音楽に対して不真面目だったとは思わない。

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自分には絶対にできないこと 

 

自分には絶対にできないことは沢山ある。「ホロヴィッツのように弾けない」というのもそうだが、その理由を分析していくのは、まぁ、ピアノブログらしいのかもしれないが、簡単そうでもない。できないこと、フィギュアスケートの3回転ジャンプはできない。重量挙げもできないな。体操の吊り輪とか、無理だと思う。

作曲もできないことの一つだ。自分ができないことができる人、基本的に・・・というか、全面的に尊敬してしまう。むろん、クラシックの作曲家もなのだが、彼らは僕にとって、いかにも偉人のような感覚というか。ベートーヴェンやショパンよりも、何故だか「凄いよな~」と感じるのがシンガーソングライターの人たちだろうか?ショパンよりは身近だから?そうかもしれない。

子どもの頃は、正規の(?)教材そっちのけで、即興で遊んでばかりいた。楽しかったけれど、我ながら酷い曲だなと思ったものだ。メロディーを生み出す才能みたいなものが皆無。どこかラジオ体操風になってしまう。

シンガーソングライターの作品、つまり自作自演の歌を集めてみたくなった。もちろん昭和の香りのする曲ばかりになった。この人たち、物凄く尊敬してしまう。

たしか「佐藤養助」という店だった。稲庭うどんで有名な店らしい。生まれて初めて本物の(?)稲庭うどんを食べたのだと思う。衝撃的な美味しさで、涙が出た。食べ物って美味しいと涙が出てくるんだね。

新幹線で秋田に行った。盛岡に雪はなかった。でも盛岡で秋田新幹線は切り離されて短くなる。車窓も新幹線らしからぬ「民家の軒先」のような感じになっていく。そして雪景色に・・・

秋田の駅前は雪景色・・・を通り越して「雪の壁」「雪の回廊」のよう。雪が自分の身長よりも高いだなんて。

「秋田って遠いんだぁ・・・」その時の正直な感想だ。

この歌が流行った頃、秋田新幹線は存在していなかったと思う。もっと「東京」は遠かったのだろう。遠距離恋愛の歌・・・なのだろうが、もっと深いような気もする。遠い遠い憧れ・・・みたいな?電車に乗れば行き着くことは可能だけれど、そこには埋めることのできない距離、空間が存在している。恋もそうなのだろうが、秘めている憧れが東京だとすると、やはりそこは遠いのだ。本当には手が届かない。今あるものをすべてを捨てなければ・・・そんな歌。

リードボーカルの森田さんのメロディーが、これまた切ない。

マイ・ペースの3人、秋田の中学校の同窓生なのだそうだ。

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「私はとうとう日本に来たんだね。そして今、この国に恋している」・・・1958年、ガスパール・カサド初来日の時の言葉である。「数千の若い学生が、私の演奏を目を閉じてまるで祈るような恰好で無我になって聴いていました。これは日本の聴衆が、感動しているかどうかわからない、ということでは決してない。国民のサイコロジーの問題であって、日本人は決して恥ずかしいからとか、感動がないから自分の感情を外に出さない、ということではないのです。それは全然反対です」

この時、カサドは専属のピアニスト、ヘルムート・バルトを同行している。約一か月の滞在となった。カサドは日本での公演が決定すると、すぐに原智恵子に打診してきた。「二人でソナタの夕べをしませんか?」と。パリで知り合い、シエナで友情を育んできたチエコのことをカサドは忘れていなかったのだ。チエコは一度カサドの申し出を辞退している。「一度でも私が共演して東京の音楽家や批評家にまた何か言われてカサドの評価を落とされてはならない」と。

「招待された相手国の演奏家と共演することは、相手の国に敬意を表すことだと思っています」

円熟の巨匠、カサドについては絶賛の嵐だったようだ。「待望のカサドが聴ける。なぜもっと早く来てくれなかったのか、悔しいほどだ」(村田武雄) 「61歳のこの奏者は今まさに円熟の頂点にあるだけに渋み溢れた演奏をする。弓の使い方の巧みさ。フレージングの見事さ。音色の豊かさ。彼のチェロは本当に私たちの魂に話しかけてくる」(1958年、朝日新聞)

カサドとチエコによる「ソナタの夕べ」は実現した。日本のマスコミには無視される形となった。いや、一行だけの文が残った。「日本の演奏家とやるというのは、会の企画としてはおもしろいですね」(音楽之友)

カサドは日本を離れる際、チエコに告白した。「チエコをそばにおきたい・・・」

チエコがカサドの待つイタリアへ旅立ったのは1958年、12月のことだった。翌年の4月、カサドとチエコの婚約が日本の各新聞で報道された。週刊誌などには「子どもを捨てた鬼のような女」などと叩かれたりもしたらしい。当時、離婚というものは重かったのだろうと思う。

同年、5月9日、イタリア、シエナの聖チェチーリア教会で二人は結婚式を挙げた。

プロポーズの言葉は・・・という報道陣の質問にチエコはこう答えている。「ちょうど何万もある空の星の中から、偶然二つの星がある夜同時に流れるように演奏したのです」

チエコ、44歳、再婚。カサド、61歳、初婚。

「61歳まで独身を通してきた私は、独身主義者だと思われていました。世間が驚くのは無理もないし、世間が驚く以上に自分がチエコを知って驚いたのです。チエコが結婚の優しさを私に感じさせてくれました。もう20年早かったら・・・と残念に思います。チエコが私の最初で最後の恋人であり、妻であります」

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エスプリへのバッシング 

 

石川康子著、「原智恵子 伝説のピアニスト」(ベスト新書)を読むと、なんだか居たたまれないような気持ちになる。

原智恵子が生まれたのは大正3年ということだ。当時のピアノの話題と言えば、当時ウィーンで自殺した久野久ではなかろうか?「本場では相手にされなかった」みたいなことが日本のピアノ界を駆け巡ったのではなかろうか?

原智恵子、7歳からピアノを始めている。意外と遅いスタートなのではないかと思う。師はスペイン人のペトロ・ビラべルデ。昭和3年、マルセイユ行きの船舶「香取丸」は一人の少女を乗せ横浜港を出航した。智恵子、13歳。そして後にパリ音楽院でラザール・レヴィに師事。プルミエ・プリにて卒業。このことは原智恵子が日本のピアノ界の派閥のようなものとは、一切関わりなくピアニストになったということを意味する。これは不幸なことだったのか、それとも幸せなことだったのだろうか?後年、原智恵子に対しての異常なまでの音楽界の重鎮たちの攻撃、これは原智恵子が派閥外であったということも関係はあるような気がする。

パリで音楽家としてのエスプリを身につけてしまった。当時の日本のピアノ界は、どこかドイツっぽい(?)ところもあったのではないか?フランスのエスプリとは衝突することもあっただろうと思われる。権力を持つ男性と対等に接してしまった、おそらくそのようなこともあったのだろう。

「そうですね、先生の仰るとおりですわ」とならず、「私はそうは思いません」と堂々と言ってしまった。

帰国後の凱旋リサイタル後、智恵子はこのような言葉を残している。「私、天才少女って言われるのは大嫌い。天才でもなんでもなくってよ。ただ勉強しただけ。それに私、もう少女じゃなくってよ」このような言葉が男には生意気と受け取られたのかもしれない。

パリ仕込みのピアノ、さらに容姿端麗、当時相当騒がれたのではないかと想像する。でも彼女には欠けていたものがあった。それは日本女性特有とされる「はにかみ」みたいなもの?「女ですもの。まだまだ至らなくて・・・」みたいなことを全面に出さなかったし、そのようなことは考えもしなかった。当時の日本で「恥じらう女性」ではなく「一人の人間」をしてしまった。

「あの女は生意気だ。男と対等に話などをする」若い女性が年上の男性に意見する、当時としては(今も???)大変なことだったのではないだろうか?衝突する男女、周囲はその内容さえ理解できす、ただ生意気な女という印象だけが残る・・・

聴衆からは絶大なる人気があった。彼女の残された録音を聴いても、それは理解できる。でも批評家、重鎮たちは原智恵子を無視、あるいは攻撃した。原智恵子の数少ない男性の理解者、新聞記者の板倉進は、ヨーロッパで活躍する原智恵子に対しての音楽界を牛耳る日本の男の重鎮たちの態度をこう表現(毎日新聞昭和28年)している。「黒っぽいドレッシーな服装、ツンとすまして気が強い。なんだ、お高くとまってと男たちは憤慨する。庶民的ではないのはたしかだ。それが積もり積もって陰口となる。とにかくこの国では損をする芸術家だ」

ある日本の評論家の原智恵子に対する言葉(批評?)が前出の書籍に掲載されている。かなり辛辣というか悪意のある文章だと感じる。この文章は活字によるイジメとさえ感じてしまう。

「私が原に初めて会ったのは、彼女が上京した時で、その時はバッハを今日と同じ正確さを持ってバリバリ弾いた。その印象が忘れられない。ある意味で、その時のバッハが彼女のすべてであるという気もする。断固たる音で、向こう意気が強い演奏家である。フランスでの教養は、むしろ仕上げに役だって、表面的なことだった。(中略)原のシューマンは、ロマンティックがかったものに深い情緒をだすが、安川のようにさらりとせず、ねばねばしたどこか人為的なところがある。レパートリーも安川のように広くはない。結局、安川は生粋の都会人、原は都会で磨き上げた土臭い無骨な田舎者の相違があるとでもいえるだろう。原は見かけは極めて剛直で、てこでも動くものかという顔をしている。だが案外気が弱い。頑張っているのは見かけだけだ。安川は見たところ柔和で優しい。いざとなるとなかなか意思が強固で原のように動じやすくない。二人の中なかで最初に涙を見せるのはどうも原である」(1951年、音楽之友)

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変わっていないもの? 

 

洋行帰りという言葉があった。いや、今もあるけれど、海外旅行、あるいはディグリー留学ではない短期留学なども含め、随分と外国というものが身近なものにはなった。なので「ヨーロッパに行ってきました」「まぁ、洋行帰りでいらっしゃるのね!」みたいな会話は今はあまりないのではないかとも思う。ネットで海外の情報も身近なものにはなった、外国のコンクールの様子をリアルタイムで見る(聴く)ことだって今は可能だ。

今よりも過去の日本のピアニストが劣っているとは思えない。それこそ船舶で何日もかけてヨーロッパに渡った人たち。原智恵子とか田中希代子とか、素晴らしい人たちがいた。「でも、この人たちは、おフランスで学んだのでしょう?」たしかにそうだが、日本民族が、他の民族と比較して、西洋音楽から特に遠い民族とは思えなかったりする。とは言え、昭和のピアノ教室体験者としては、「昔はしっかり、かっちり、鍵盤の底まで」みたいな弾き方が多かった印象はある、僕自身は「弾き方」以前に挫折してしまったので、特にハイフィンガー奏法の想い出はないのだが、他の進んだ生徒たちはそのような、コキーン・・・みたいな固いピアノを弾いていたような記憶は鮮明にある。

あの頃からピアノ教育というか、奏法というか、随分と変わった。外国の旬の(?)情報も入りやすくなったのかもしれないし、実は旬ではないのだが、日本人にとっては旬・・・のような情報も入ってきて、さすがに昭和ピアノ教室のようなことは、もうないのだろう。実際「指を一つ一つ上げて、しっかりした音を出しましょう」なんて今は流行らない。今は重力奏法の時代。これが旬なのね。

でも、昭和時代と全く変わっていないというか、継続されてしまっている部分を感じたりもする。

「指をしっかり上げて!」「バッハはペダルなしで弾くのよ」「ベートーヴェンなのだから歌ったりせず、もっと厳格に弾きなさい」「カーンと鳴らしてぇ・・・」こんなことは今はないのかもしれない。でも、「先生に言われたことを守るのが当たり前だから」「皆がそのように弾いているから」と、上からの命令(?)や指示を守る、時には表現というものさえ、そのようなことから脱せずにいても不思議にさえ感じない。「先生がこのように弾きなさいと言ったから」みたいな?それを当たり前、当然、あるいは、必要とさえ感じている・・・

言われることは変化したのだろう。「指をしっかりと上げて」から「もっと腕の重みを感じて」のような?でも「先生にそう言われたから」「これが正しいと先生が言ったから」みたいな部分は、平成の世の中になっても継続されてしまっている部分もあるのでは?

もっと上手くなりたいな・・・この「上手く」という部分は、人それぞれの想いはあるだろうが、「とにかく情報を」と頑張ってみるのもいいけれど、ちょっとだけ「昔と変わらず、無意識に継続してしまっているところを攻めて(考えて)みよう」という発想をしてみると、「上手くなる」というところに近づくかもしれない。

「いいな」とピアノに対して、曲に対して思ったのは「あなた」であり、だから「あなた」は疲れた日の終わりにピアノを練習したりする。「好き」と感じているのは「あなた」なのだ。「この本にはこう書いてあったし」「先生はこのように弾けと言ったから」・・・反抗する必要はないけれど、では、「あなた」は何処に?

明治時代、メーソンとか、久野久とか、その頃と変わっていないこともあるのかもしれない。

kaz

洋行帰り、田中希代子さん・・・




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category: ピアノ雑感

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ザワザワした気分 

 

東京に住んでいる人にはお馴染みの企業、ルミネ。ルミネってJR東日本系列だったんですね。だから駅に直結した駅ビルになっていたんだぁ。

資生堂のCMにはモヤモヤしてしまったけれど、このルミネのCMには「モヤモヤ+ザワザワ」という気持ちになってしまった。ちょっと息苦しくなってしまったほどだ。

それにしても「需要」って・・・

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モヤモヤした気分 

 

資生堂という企業、化粧品の国内シェアとしては1位なのだそうだ。世界でもシェア5位。女性の味方というイメージがあった。

昭和の時代、つまり僕などが若かった頃、ひどい話だが、女性の年齢をクリスマスケーキに例えることがあった。クリスマスケーキの売れ時はイヴの24日。クリスマスを過ぎるともう売れ残りという扱い。これを女性の年齢に当てはめてしまうのだ。

でも、こんな前時代的な例えは、さすがに平成時代には消滅したのかと思っていた。

なのに、なのに、女性の味方(?)であるはずの資生堂が、このようなCMを作成し放送されていたとは!

さすがに「セクハラでは?」みたいな抗議の声があり、放送中止になったらしいが。

世の反応として、「こんなことでセクハラとか、ちょっと騒ぎ過ぎじゃない?」「セクハラとかってすぐ言う女はブスに決まっている」「ええ?ポジティブでいいCMだと思うけど?」みたいな声も多い。

僕はイヤだなぁ、こんなCM・・・

どうしてこれが放送中止なの・・・みたいな声を聞いて(読んで)いるとモヤモヤしてきてしまう。

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吾亦紅 

 

杉本真人の母親は亡くなる直前、息子にこう言ったのだそうだ。

「親のことなど気遣わずに恥じない人生を生きなさい」

ちあき哲也と杉本真人は実生活でも友人だったようだ。母親が亡くなった時の杉本真人の落ち込み様は大変なものだったらしい。かつてはバンド活動ばかりに熱中し、親のことなど考えたりはしなかった。

「母にあやまりたかった・・・」それは杉本真人の後悔となったらしい。友人として私的な一片の詞をちあき哲也は杉本真人に捧げた。杉本の母親が好きだった花の名前にちなんだ、「吾亦紅」という詞を。

詞を贈ったちあき哲也も、曲をつけて歌ってみた杉本真人も、私的な「吾亦紅」がこれほどヒットするとは思っていなかったかもしれない。「吾亦紅」は、どこか渇いていた日本人の心情に訴えたのかな?

吾亦紅の花言葉、「変化」「移ろい」「明日への期待」「憧れ」「愛慕」・・・なのだそうだ。

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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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忍冬 

 

歌手、すぎもとまさとの声って、おそらく「美声」ではないのだと思う。点数の出るカラオケなるものがあるらしいが、彼よりも高得点を出してしまう素人さんもいるかもしれない。でも歌って(ピアノもか?)それだけではない。すぎもとまさとの声には味がある、そう僕には思えてくる。

「忍冬」は、たしか因幡晃に提供した曲だと思う。僕は「忍冬」の作曲は因幡晃自身だと思っていたが、杉本真人だったんですね。

ちあき哲也の詞が切なすぎる。男性が作った、女性を主人公にした歌、それを男が歌う・・・まさしくこれはその世界だ。僕にとって、杉本真人の魅力を最も感じる世界。

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かもめの街 

 

杉本真人は、歌手ちあきなおみに素晴らしい曲を提供している。「冬隣」とか「紅い花」とか。その中で作詞家ちあき哲也と組んだ楽曲が「かもめの街」という曲。この曲を聴くと、ちあき哲也=杉本真人=ちあきなおみという完全なる調和のようなものを感じる。どこか一つが欠けてもこうはならない・・・みたいな?

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お久しぶりね 

 

これも非常に懐かしい昭和歌謡。杉本真人、作詞作曲の楽曲だ。作曲家としての杉本真人、歌手としてのすぎもとまさとしか知らなかったけれど、作詞もするんだねぇ。

結構切ない歌詞なのではないだろうか?

歌っている小柳ルミ子のインパクトが、あまりにも強烈。プロフェッショナルに徹している感じ?良く聴くと(?)曲もいい。女心というか・・・作詞作曲は男なんだけど。

作詞:ちあき哲也、作曲:杉本真人・・・この組み合わせがとてもいい。これからその組み合わせの曲を紹介していきたい。

ところで、小柳ルミ子、幾つなんだろう?1952年生まれということだ。

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飛んでイスタンブール 

 

歌謡曲の作詞家って、あまり意識することはない。この曲を初めて聴いた時は、曲もいいと思ったが、詞に惹かれた。調べてみたら「ちあき哲也」という人だった。

歌詞にあるジタンというタバコ、これに憧れました。まだ未成年の頃だっただろうか?昭和50年代・・・

タバコを吸う友達もいたけれど、僕はそのような不良(!!!)ではなかったので、タバコの味を知ったのは大人になってから。初めてジタンを吸ったのは、アメリカに行ってからだと記憶している。憧れって、実際に体験すると幻滅とまではいかなくても、なんとなく「こんなもんか~」みたいなこともあるけれど、ジタンは想像していたよりも素晴らしかった。ジタンとか、ゴロワーズとか、あの頃はフランスのタバコが好きだった。両方とも実に素晴らしい。おいしいというより、素晴らしい。

「飛んでイスタンブール」懐かしいねぇ・・・作曲は筒美京平。さすがに昭和のヒットメイカー。一度聴いたら忘れないメロディーだ。でも、やはりこの曲は詞に惹かれる。ちあき哲也の詞に。

後年、何気なく歌謡曲を聴いていて、「これいい曲だな」と思う曲、ある組み合わせで共通していることが多いのに気づいた。作詞、ちあき哲也。そして作曲、杉本真人。両者ともクラシック畑の人には有名ではないかもしれない。杉本真人は、自作の歌を歌う場合は、「すぎもとまさと」と平仮名で表記され、ヒット曲もあるので、もしかしたら知っている人もいるかもしれない。

ちあき哲也、亡くなって二年になる。ちあき哲也への追悼、そして叔父に聴かせたかった歌・・・

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虹色のマクドナルド、偏見のマクドナルド 

 

アメリカ人の知人、その人はサンフランシスコ(正確にはサンノゼ)に住んでいて、その人が教えてくれたのだが、マクドナルドのポテト(フレンチフライ)の紙の入れ物(でいいのか?)がレインボーなのだそうだ。この虹色というのはLGBTの色とされている。マクドナルドという大企業がLGBTの人たちを応援しているということになるのだろう。まぁ、日本では考えられないかもしれないなぁ・・・などと思っていたら、彼が突然「マクドナルドと言えば、日本では信じられないマクドナルドのCMがあったよね」・・・と。

僕は基本的には地上波のテレビ番組は観ないので、その「信じられない」CMのことは知らない。彼は「そうなんだ、知らないんだ」と言いつつ説明してくれた。日本のコメディアンらしき人たち(お笑い芸人ということだと思う)が出演していて、あるゲームをしている。そのゲームで負けた人は罰ゲームをさせられる。一人のお笑い芸人が周囲に押さえ込まれ、男性からキスされるというもの。それが罰ゲームなのだそうだ。「うわあ、気持ち悪い、やめてくれぇ・・・」みたいな感じらしい。

ちょっと調べてみたら、そのCMは本当にあったみたいだ。僕は出演していたお笑い芸人の名前さえ全く知らないし、その映像を実際に観たわけではないので(現在ネットでも削除されていて観ることはできない)、何とも言えないところはあるのだが、キスをする芸人は、実生活でも自分がバイセクシャルであることをカミングアウトしているらしい。される側はヘテロの男性のようだ。

う~ん、何とも言えない気分に・・・

そもそも、なぜこのような設定なのか理解できない。バイの男性、ゲイの男性は、男なら誰とでもキスをしたいという設定そのものが理解できない。知人もそのことに不快感を示していた。ヘテロの男性は、女性ならば誰とでもキスをしたい、あるいはセックスをしたいと思うものでもあるまい、ヘテロの女性は誰でもいいから男とセックスしたい・・・とも思わないだろう。バイだろうがゲイだろうが、同じではないだろうか?ゲイ(あるいはバイ)の男性も男であれば誰とでもキスしたいと思う・・・わけはないと思うが?何故にそのような設定のCMが流れてしまうのだろう?

このようなCMがあったらどうだろう?ある男が羽交い絞めにされている。そこへ50代の女性お笑い芸人が登場し、動けなくなっている男性にキスしようとする。罰ゲームだ。「近寄るな、女は若くなきゃダメだ。お前のようなババアは嫌だ。気持ち悪い、やめてくれ」・・・多くの女性はこのような場面、そして設定に不快感を示すのではないだろうか?違うかな?

やはり・・・と言うか、日本のネット上では「コメディータッチのCMなのだから、騒ぎすぎじゃない?」みたいな反応は意外に多い。そうかなぁ?これは差別になるのではないかと思う。

自分がゲイである、バイである、そう自覚するのは思春期の頃であっても不思議ではない。中学生とか、あるいは小学生でも高学年になれば可能性はあるだろうと思う。その時感じるはずだ。「僕は、私は普通ではないのかも?異常なの?」と。おそらく、両親も教師もメディアも積極的な理解、LGBTに対する理解を示すというのは日本ではまれであると思う。まずは心理的に孤立し、苦しむのではないかと思う。

マクドナルドのCMを友達と観る。友達は「ワハハ・・・」と笑うのかもしれない。でもゲイの子は傷つくのではないかな?さらに「僕はゲイだ。こんなCMで笑わないで欲しい」と言える子は何人いるというのだろう?カミングアウトなんて、日本では気軽にできるものではないだろう。だからゲイの子も笑うのだ。笑ってみせるのだ。周囲、そのような社会に合わせて。LGBTへ無理解な社会に・・・

この頃から自分を偽って演じていく辛さを、思春期の子に味わわせていいものだろうか?実際に多くのカミングアウトをしていない子どもが傷ついているのではないだろうか?実に不幸なことだと思う。たかがCMなのだろう。でも小さな差別、さらにはイジメであるようにも思えてくる。

これは日本と同じアジア、台湾の、それもマクドナルドのCM。同じマクドナルドでも随分と違う。全く違う。

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ロッキーの麓で 2 

 

あるメールをもらった。CDを聴いたり、演奏会を聴きに行ったり・・・「ああ、いいな」とか「素晴らしいな」とか、感じるのだそうだ。でも、どうしても自分とは関係のないことだと思ってしまう。

ピアノの前に座り、練習をする。「何をすればいいのか分からない」

むろん、音符を読んで、弾けない所を練習して、一応は弾ける。でもそれ以外に何をしたらいいのか分からない。

その曲を弾いている、それは自分が選んだから。そこには動機がある。「あっ、この曲弾いてみたい」そう感じたから弾いている。必要なことだとは思うけれど、でもそれだけだと獏としすぎているかもしれない。

このHさんの動画を観て、心が動かない人もいるだろうと思う。「犬なんか興味ないし~」

でも、心が動いたとしたら、それは動画の、どの部分だろう?どこで何を感じるだろう?ちょっと切ないような、泣きたくなるような、と同時にHさんの愛を感じて、幸福感を共有するような・・・そのような場面はどこだろう?

曲も同じではないかなと・・・

どこで、どの部分で?動画のように分かりやすい形で楽譜は訴えてはこない。ただの印刷物のように感じるかもしれない。

ものすごく「ゆっくり」弾いてみたらどうだろう?聴きながら、感じながら・・・

自分から攻めていくというか、積極的に拾ってみる、探してみる。「ここが好き」という部分を。お指の都合は、まず関係なく、自分なりの理想のサウンドを夢想(?)してみる。そのようには実際には弾けない。すぐには弾けない。だったら何度も弾いてみればいいじゃないか?それが練習。つっかえなく弾けるとか、そのようなことではなく・・・

「ここで切なくなる」「ここがどうにもならないぐらいに好き」そのような箇所、ゆっくり感じながら弾いてみたらどうだろう?

「この曲が好き」から「この部分のこういうところが好き」までピンポイント的に拾ってみる。掬い上げるというかね。

まずは、感じた・・・という自分を褒めてあげていいように思う。

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ロッキーの麓で 

 

アメリカのロッキー山脈の谷間に住むHさん。このような人が地球にいるというだけで、なんだか嬉しい。

この動画は以前にも紹介したような気がするが、再度紹介してみたい。

足の悪い小鹿を保護して育てるだけではなく、野生に返すんですね。

音楽も素晴らしいが、人間も素晴らしい。人が存在するから音楽があるのでは???

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