ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ピアノは両立するものか? 

 

やはりピアノを辞めてしまうのは小学校卒業に合わせてが多いのだろうか?せめて中学を卒業までレッスンを続けられれば違うと思うがなぁ?今ではそう思う僕も小学校卒業に合わせて辞めたのだけれど・・・

癌の再発、再発までの期間が長いほど予後はいい。ピアノもどこか似ている。小学生よりは中学生まで続けた方が、さらに高校生まで続けたほうが、大人になってからピアノを再発・・・ではない、再開する時の予後がいいだろうとも思う。でも現実には、欠かさずピアノのレッスンを子どもの頃から続けてきて、来年定年です・・・なんていう人は珍しいだろうとも思う。僕はある意味でピアノを習っている年齢層がピラミッド図になるのは自然なことだと思っている。人生にはピアノよりも大切なことが現れてくるからだ。進学もそうだし、就職もそうだし、人によっては住む国を変えることだってあるだろう。「普通の人生」というものを歩むだけでも、まあ、いろいろあるのが普通だ。

「進学塾に通わなければ。ピアノは嫌いではない。できれば続けたい・・・でも両立なんてできるだろうか?もし志望校に合格しなかったら?今は進学というものに集中する時なのでは?」

「部活動が忙しい。ピアノは続けたいけれど、でもそんな時間はない。勉強だってしなければならないし、志望校に不合格なんて絶対に困るし・・・」

若いんだな・・・と僕は思う。若さの特権だとも思うし、美しさだとも思う。悩みが狭く濃いんだよね、若い頃って・・・

いずれ悩まなくなるんだ。大人になっていろいろ経験してしまうと。

はっきり言って、どんな進学校の勉強であろうと、賃金を稼ぐ「仕事」というものよりは楽なのだ。大人の場合、「どうしよう、昇進もしたいし残業も多くなるし、ピアノとの両立なんてできるだろうか?」なんてことでまず悩まない。弾くか、または諦めるかだ。ここで弾くということを選んだ人は、悩まずに弾く。練習時間を捻出できないこと、思うように練習できないこと、または上達できないことで悩んだりはするかもしれないが、辞めようか・・・ということでは悩まない。大人になるとそうなるのだ。「お母さん・・・お腹すいた」と言えば夕食が用意されているわけでもない。家事なども自分で全部やるんだよ?それが普通の大人。でも辞めようか・・・ということでは悩まない。

弾くことを選択した大人にとって、ピアノは弾くものなのだ。両立とか、そのようなものではなくなる。実質的には長い間レッスンに通えない時期もある。それこそ病を患うとかね。でも辞めない。弾けるようになったら、また弾く。

大切なのは、再開した時に過去の、子ども時代に習っていたピアノというものを否定的に捉えないような大人になることだろう。言葉を変えよう、子どもの時のレッスンは、その子どもの将来にまでつながっているということだ。中学進学を理由に辞めた・・・でもそこで終わりではない。その生徒とは、ある意味で切れるのかもしれないし、その生徒が大人になった時、「先生、なんであの時きちんと弾けるようにしてくれなかったんですか?」なんて言いに来るわけでもない。でも、つながっているのだ。

A子さんは昔ピアノを習っていた。高度経済成長期の頃だ。高校進学に合わせ、ピアノは辞めた。ピアノは嫌いではなかった。でもあまり弾けなかった。中学生の時は、やはり部活動が大変で、ピアノの練習どころではなかった。先生は歌謡曲とか、洋楽とか弾けば・・・と言ったので、なんとなくそんな曲を弾いていた。でもどこか心は満たされなかった。かといって、ピアノ頑張りますなんて習い方は無理でもあった。就職し結婚した。それなりに幸せだった。でも夫の会社が倒産した。妻として夫を、家族を支えた。落ち着いた頃、今度は介護をしなければならなくなった。長男の嫁なので仕方ない。義理の母親も看取った。A子さんは55歳になっていた。「お母さんもやりたいことをやれば?」などと子どもも夫も言う。「ピアノ習おうかしら?」

もちろん、趣味で習っていたピアノだ。昔だってろくに弾けなかったのだ。でもピアノを弾きたいと思ったのだ。そして、それが長年の自分のやりたいことでもあったのだと気づいたのだ。胸の中にしまっていたけれど・・・誰にも言わなかったけれど、自分でも気づかないふりをしていただけなのだと・・・

電子ピアノの前でA子さんは泣いた。「ああ、なんでもっときちんと習っておかなかったんだろう」と。悔しかった。自分が恵まれているのは知っている。家族がピアノを習うことに反対しているわけでもないのだから。でも悔しかった・・・すごく悔しかったのだ。

大人になった時、昔習っていたピアノを再開する人は実に多い。その時、その人が「子どもの時習っていたような先生がいいな」と思うか「あの時のようなレッスンはもうイヤだな」と思うかだ。

小学生も中学生も高校生も、いつかは大人になる。悩み、苦しみ、笑ったあとに、またピアノを弾きたくなる。大事なのは、その時。

一人ピアノに向かう。練習しなさい・・・なんて言う人はもういない。全部自分の選択だ。弾きたくても弾けない時が多い。でもピアノの響きに包まれる時、一瞬でも至福のような音が出せれば、もう自分は幸せなのだ。自分が出したい音を出せるように、頭の中で鳴っている崇高なものに自分で触れようとすることが幸せなのだ。ただそれだけが幸せなのだ。

そのような時がきっとくる。今習っているピアノ、子どもの頃のピアノは、その時のためにある。

むろん、進学してもピアノを続けられればいいだろうと思う。大人までピアノのレッスンを継続できればいいだろうとも思う。でも多くの人はどこかで中断する。再開した時・・・大事なのはそこ。辞める理由ではない。

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昇天練習法 

 

最近は声楽のコンサートでもソプラノ○○、伴奏○○という表現の仕方はしなくなったように思う。伴奏ではなく、ピアノ○○のように表現するのが一般的ではないかな?声楽に限らず、器楽でも同様だと思う。あまり「伴奏者」という言葉は使わなくなってきた。あくまでも、ピアニスト・・・

いいことだと思う。昔は伴奏○○と明記されればいいほうで、歌手の名前しか書かれなかったりした時代もあったらしい。ジェラルド・ムーアに「お耳障りですか」という著書があったと思うが、時にはユーモラスに、時にはシニカルに当時の状況を綴っていて、大変に面白い本だったと記憶している。昔はテレビでの放送時は、ピアニストの姿が見えないように、大きな花瓶で隠されてしまったこともあったとか?歌手たちは共演者としてムーアを尊敬しているのに、周囲はそうではなかった。「私のピアノはお耳障りですか?」と言いたくもなろう。

ピアノって難しい曲を弾くことが多いように思う。基本的にはレッスンで弾く曲というのは、合格した曲よりも高度な曲を弾いていくのが基本的な流れなのだろうから、常に自分にとって難しい、新しい課題に取り組むような形に必然的になる。注意しないと、目的が「弾けるようになる」ということに向きすぎになる可能性がある。本来は、その曲が弾ける・・・ということよりも、音楽的に何を吸収していくかのようなことが重要なはずだ。でも、なかなかそこには到達はできない。開き直って「プロになるわけじゃないんだしぃ・・・」とか「音大に行くわけじゃないんだしぃ・・・」となってしまう。ああ・・・なんて寂しい言葉だろう!もっと寂しい言葉は「才能が違うのね」とか「レベルが違うからぁ・・・」のような言葉。

ピアノの人って右手ばかりさらうような気がする。つまり左手が担当している骨格の部分を軽くみている。右手の複雑なパッセージばかりさらいたがる。音楽的には「飾り」なのかもしれないのに。

「ああ、こんなに練習しているのに、なんだかただ弾いているだけ、音を並べてみただけのような演奏になってしまう」という場合は、骨格の左手の部分を音楽的に弾けているのかチェックしてみるといいと思う。以外と「えっ?私ってこんなだった?」みたいなことになっているのではないだろうか?

声楽曲や器楽曲(ピアノ以外のね)のピアノパートを弾いてみるというのも、いい練習になるような気がする。個人的には器楽曲よりは声楽曲の方が「音符は数少ないけれど、最高峰の芸術曲」という曲が多いように思う。器楽の曲って、ソナタとかソロ並みにメカニカルな曲も多かったりする。

シンプルな曲を弾いてみるということで、例えばギロックのような曲を弾いてみるのもいいだろうが、この場合は落とし穴があるような気がする。ギロックのような教育作曲家の曲って、懐が深いというか、情が厚いというか、「なんとなくさまになりやすい」ようにできているように思う。ピアノって楽しめればいいじゃん・・・であればそれでもいいが、シンプルな芸術曲を弾いてみた方が自分の欠点を把握はしやすいのではないだろうか?

例えば、このような曲。リヒャルト・シュトラウスの「あしたに」という歌曲。ピアノパートは超シンプルというか音符が少ない。バイエル後半よりも音そのものは少ないと思う。初見で弾けてしまう人も多いだろう。

でも素敵に弾ける?「なんだか変だわ・・・音は弾けるけど・・・」となる場合、何が変なのか考えてみる、自分の耳で聴いてみるというのも練習なのではないだろうか。

ジェラルド・ムーアは、このシュトラウスの「あしたに」という歌曲のピアノパートを「壊れ物、取扱いに注意・・・というラベルを貼っておきたいような曲だ」と言っている。

おそらく、和声は絶妙なれど、音符としてはソナチネやブルグミュラーよりも数は少ないはずだ。黒い楽譜ではなく、白い楽譜。でも「いい感じじゃない?」と自分で思えるように弾けるだろうか?

ベイカーの歌唱も見事だけれど、ムーアのピアノが素晴らしいね!!!

歌詞はこんな感じだ。

「あしたに」   詞:ジョン・ヘンリー・マッケイ

そしてあした、太陽は再び輝くだろう。そして私の歩いていく道を照らすだろう。
再び、あの人に会えるだろう。光に満ちたこの地上で・・・

そして広い、青い波の打ち寄せる浜辺に私たちは降りていく。
私たちは黙って瞳をみつめ合う・・・
そして物言わぬ喜びが私たちに降り注ぐ・・・

なんとなく、愛の喜び、恋人たちの歌・・・とも解釈できようが、僕は愛する人を失った人間が、後追い自殺をする曲のようにも感じてくる。深読みしすぎだろうか?

シュトラウスの曲は、まるで生命を終えた肉体だけを地上に残し、魂が光に包まれながら点に昇っていくいくような感覚に満ちているようにも思う。

ムーアのように弾けるだろうか?いい練習方法だと思うが・・・

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category: ピアノ雑感

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カンガルーと育ったピアニスト 

 

オーストラリア、タスマニア地方のある炭鉱の街、そこでアイリーンは生まれた。裕福な家庭ではなかった。

「これがピアノ?どんな音が出るんだろう?弾いてみたいな、触ってみたいな・・・」アイリーンはタスマニアでピアノへの憧れを募らせていった。アイリーンがピアノに初めて触れたのは10歳の時。やっとレッスン代を捻出できるようになったのだ。街の修道女にピアノを習い始める。

「この子には才能があるみたいですが、もう家にはお金がないんです。正直この子のピアノどころではなくて。今まで本当にありがとうございました」「まぁ・・・勿体ないじゃありませんか?アイリーンには才能があるし、本当にピアノが好きみたいですよ?」「でも仕方ないんです。お金がないんです・・・」

アイリーンのために、アイリーンがピアノを続けられるために、皆で寄付をしよう、アイリーンのためにお金を集めよう・・・

街の人々が協力した。アイリーンの人生には、よくこのようなことがあった。

アイリーンをヨーロッパで勉強させよう。皆でお金を出し合おうじゃないか。こんな田舎の貧しい炭鉱の街で終わらせてはいけない、アイリーンには才能があるのだから・・・

アイリーンはドイツに留学する。「頑張ってくるんだぞ」「負けるんじゃないぞ」

「みんな・・・私のために・・・本当にありがとう・・・」

音楽の本場、ドイツ・・・

「オーストラリアから来たそうよ」「あのカンガルーの国かい?」「ピアノなんて弾けるのかしら?」「田舎者・・・って感じだな」

アイリーンは異国で一人思う。「タスマニアでは才能があるって言われていたけど、ここではダメなんだわ。でも故郷の人のためにも私は頑張らなくては・・・」

アイリーンの才能が花開いたのはドイツではなくイギリスだった。花開いた・・・ではなく、やっと認められたというべきか・・・

アイリーンがイギリスで名声を博したのには理由があるように思う。これは想像だが、当時は、ドイツよりもイギリスのほうが、新しい才能、異質の文化で育った才能に寛大だったのではなかろうかということ。アイリーンの演奏には、聴く人を惹きつけてしまうような、習ったものではないような魅力がもともと備わっていたこと。そうでなければタスマニアの人たちがアイリーンのためにお金を出し合っただろうか?

もう一つの理由は、アイリーンが絶世の美女だったこと。アイリーンはピアニストとしてだけではなく、銀幕にも登場するようになる。大衆の人気を集めた理由には、アイリーンの容姿も関係していたのではないかと思われる。ただ、このことがアイリーンのピアニストへの真の評価という点で、誤った認識をも生むことになってしまった。

「ピアニストは女優じゃないんだ。曲ごとに衣装を変える?なんだチャラチャラして・・・」このような認識が保守的な人からは生まれるようになっていったのではあるまいか・・・

アイリーンのコンチェルトのレパートリーは、なんと70曲以上あったという。当時はまだ新作であった難曲であるプロコフィエフの3番のコンチェルトなどもアイリーンは得意としていた。彼女の演奏には卓越されたヴィルトゥオジティがあったのだ。絶世の美女が、ある意味「慎ましく、楚々とピアノを夢見がちにピアノを奏でる」ということとは正反対のことをアイリーンは成し遂げた。現在のアルゲリッチのような存在であったのかもしれない。アイリーンの時代にアルゲリッチが登場していたら、現在と同じような評価を受けていただろうか?そんなことを想像したりもする。

「アイリーン・ジョイスほど真価を認められていないピアニストもいないのではないか?これは非常に嘆かわしいことです」とアイリーンを芸術家として評価するスティーヴン・ハフのようなピアニストもいる一方で、アイリーンをピアニストとしては認めない重鎮もいるようだ。

「アイリーン・ジョイス?あのピアノを弾く女優かい?」

これは聴く人の感性、耳が判断すればいい問題であると思う。でもそれは意外と難しいことなのかもしれない。

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category: 音楽自立人、音楽自由人

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グリーグの遺志 

 

パーシ―・グレインジャーの作品、編曲ものは、民謡、その土地の通俗曲をもとにしているものが多いように思う。現在のピアノリサイタルで彼の作品が取り上げられない理由の一つになるのではないかとも思う。彼が、民謡の採譜をして旅行するようになったのには、作曲家のグリーグの影響があったのだとされている。

たしかに、グリーグの作品の根底には、郷土愛というのか、ノルウェーへの愛情が感じられるものが多い。どこか、民衆に寄り添うような作品。そういえば、グリーグの作品も現代のピアノリサイタルではあまり演奏されないようにも思う。

グリーグは、遠くオーストラリアからやってきた、パーシ―という青年を大変に可愛がったとされている。グリーグの指揮、パーシ―のピアノによる演奏旅行なども企画されたらしいが、グリーグ自身が帰らぬ人となってしまった。でもグリーグの精神のようなものは、若きパーシ―に引き継がれていたのではないだろうか?パーシ―は婦人のニーナから、夫の遺品である金の懐中時計を譲り受け、これを生涯大切にしていたとも言う。

グリーグのピアノ協奏曲、この曲は数多いクラシックの作品の中でも有名な曲になるのではないかと思う。クラシック音楽に疎い(?)人でも、この曲は聴いたことがあったりするのではないだろうか?この曲が、現在超有名曲になっているのには、パーシ―の功績が大きい。彼は、この協奏曲を非常に愛し、世界各地で演奏して周ったのだ。

大変に珍しい録音が残っている。パーシ―・グレインジャーの演奏するグリーグのピアノ協奏曲。1951年の演奏ということは、パーシ―70歳近くになってからの演奏ということになる。しかも、オケ版ではなく、大学のバンドとの共演だ。ミシガン大学のバンド。アマチュア???

でもパーシ―の演奏は、魅力に溢れたものだ。まるで、この曲に初めて出逢った時の感動そのままのような・・・

永遠の青年の演奏とも感じる。パーシ―はグリーグを敬愛していたのではないかな?でなければ、このような演奏はできない。

パーシ―は、このようにも思っていたのかもしれない。「民衆、大衆に愛される曲、愛される演奏・・・それがクラシック音楽なんだ」と。

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category: 音楽自立人、音楽自由人

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オージーピアノ 

 

イグナツ・フリードマンは大戦勃発後は他のピアニストとは異なり、揺れ動くヨーロッパからオーストラリアに渡った。多くの亡命音楽家がアメリカに渡ったのと異なり、何故かオーストラリア。演奏旅行で訪れて、そのまま定住してしまった。フリードマンはオーストラリアを気に入ったのだろうか?なんとなくそのように想像したい感じだ。

スティーヴン・ハフはイギリスのピアニストと認識されていて、それは事実なのだが、彼はオーストラリアの国籍も有している。つまり二重国籍なわけだが、何故にオーストラリアなのか、まさかご本人に確認するわけにもいかないので、これも想像だが、ハフはオーストラリアを気に入ったのではないだろうか?

昔はオーストラリアはイギリスの罪人の流刑の地であった。「オーストラリア」という国名は1814年からなのだそうで、非常に若い国だ。イギリスの植民地という立場から独立したのが、なんと1901年ということだ。フレッシュな国なんだねぇ・・・

オーストラリア・・・不勉強な僕は、「コアラ」とか「オージービーフ」くらいしか連想できなかったりする。クラシック音楽とか演奏家とか、あまり連想できない。音楽の都、その言葉からウィーンとかロンドン、ニューヨークを連想する人はいても、シドニーとかメルボルンを連想する人は少ないのでは?

オーストラリアのピアニスト、絶世の美女であったアイリーン・ジョイスをまず連想するが、この人もオーストラリア人であった。パーシ―・グレインジャー・・・

もしかしたら、コンポーザー・ピアニストとしては、少しは名が知られているのかもしれない。彼の曲って楽しげだったりするし、編曲ものも、かつてのピアノの黄金時代を彷彿とさせる出来栄えだ。

でも、ピアニスト、演奏家としてパーシ―・グレインジャーが顧みられることは、ほとんどないのでは?これは寂しい・・・と思う。

彼自身はオーストラリアに留まることなく、国際的な活躍をした人だ。「走るピアニスト」だったらしい。ピアニストとしては、非常に人気が高く、演奏依頼もひっきりなしで、常に走っていた・・・

なんとなく、「元祖イケメンピアニスト」なのではないかとも思えてくる。このあたりは主観的なものも入るので、人によるだろうが、随分とピアニストにしては(?)ハンサムなのでは?未開の地(?)オーストラリアからやってきた、イケメンピアニスト?

くるみ割り人形の「花のワルツ」・・・この曲のグレインジャー編曲版は、現在でも演奏するピアニストが少しだけれど存在する。「ポーギーとベス」の二台ピアノ版も彼の有名な編曲だろうと思う。

でも、もっともっと知られていい作品が多いと思うし、ピアニストとしても、もっと知られていいように思う。

これはグレインジャー自身が演奏している「花のワルツ」・・・なんて素敵でゴージャスな演奏、編曲なんだろうと思う。

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category: 音楽自立人、音楽自由人

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音楽先行演奏 

 

コレペティがソロを演奏するとどうなるのだろう?やはり「音楽としてどう?」ということを優先する、つまり音楽先行演奏になるのだろうか?

前の記事でレッスンしていたコレペティのソロ。むろん、声楽の演奏会でオペラの間奏曲を弾いているわけで、ラフマニノフやリストの難曲を弾いているのではないが、それは関係ないような気がする。

なんだか別人のように見えるが同一人物です。

この演奏を聴くと、練習中にコレペティを登場させるのも意義があるような気がしてくる。

「音楽としてそれってどうよ?」と聴く自分・・・

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category: あっぱれ麗し舞台

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二人の自分 

 

練習のために音楽があるのではなく、音楽のために練習がある。当たり前のようなことだが、本番前など特に練習のための練習みたいな感じになってしまう。いや、本番前だけではなく、日頃の練習でも「弾けないところを弾けるようにする」という練習だけで終わっていないだろうか?

「ここが難しくて弾けないから」「あそこのパッセージがどうも苦手で」のように、弾けないところを弾けるように・・・ということが練習だと思い込んでしまう。ひたすら指を鍛え、反復練習に励む。弾けるようにはなっていくかもしれないが、音楽はどこに?

「ああ・・・音楽的に弾けるようになりたい」と願っていても、日頃の練習で「弾きこなす」ということに懸命になりすぎていては、本番でいくら「音楽的に・・・」と願っても「弾けました~」あるいは「弾けませんでした~」ということで終わってしまう可能性がある。練習でやっていないことは本番ではできないのが普通だろうと思う。これはなにもパッセージの成功率のようなことだけではなく、音楽としての演奏にも当てはまるような気がする。音楽的に弾く練習をしなければ、それが練習でできていなければ、本番では音楽的には弾けるはずがないのだ。

ではどうしたら?

もう一人の自分を練習の時に創り上げてしまえばいいのではないだろうか?実際に楽器を弾く自分とコレペティトールとしての自分。二人の自分・・・

コレペティトールって?

歌劇場には必ずコレペティトールという人がいる。歌手だけに限らないのだが、ピアノを弾きながら歌手に音楽的な指導、アドバイスをする人のことだ。指揮者には、このコレペティ出身の人が多いように思う。歌手にレッスンするにしても、別に発声を指導するわけではない(結果的にそのような指導にも踏み込むということはあるとは思うが)。あくまでも「音楽としてそれってどうよ?」ということを指導していく。コレペティは音楽そのものを指導できなければいけない。ピアノで指導することが多いが、むろんピアノ譜だけではなく総譜も読めなければならないし、数か国語を理解していなければならない。

「どう弾くか?」「どう発声するか?」ではなく「どう音楽をしていくか・・・」というところに踏み込むのがコレペティの役目。このコレペティ役を自分でこなしてしまえばいいわけだ。「音をはずさない」ということだけを聴くのではなく、全体的な音楽として自分の演奏を聴くことがコレペティの役目だ。

日頃の練習から、「ひたすらパッセージ練習に頑張る自分」と「コレペティトール」としての自分の二人を活躍させてみればいいのではないだろうか?

これがコレペティのレッスン・・・

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category: レッスン

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メロディー 3 

 

子どもの場合は、いろいろと「習い事として」みたいな特殊事情も絡んでくるだろうが、大人でピアノを弾いている人は強いピアノへの意志のようなものがあるような気がする。「昔習っていたソロバンにしようかな、水泳にしようかな、どうしようかな、まっ、ピアノでも・・・」というよりは、「ピアノを弾くのだ、習うのだ」みたいな強い意志。そもそもピアノを習っている、弾いているということそのものに、ピアノへの憧れのようなものと密接な関係があるというか。ギフトを与えられ、心が動いたから・・・という人も多いように僕は思う。

その純粋というか、シンプルなものを演奏に出せばいいんだよね?

でもそれが難しい。人前で、しかも暗譜でピアノを弾くって、実に大変なことなのだ。こんなこと改めて書かなくても承知のことだろうと思う。「弾いた!!!」ということだけでアッパレなところもあるのだ。

でも誰かからギフトを与えられたのだったら、その想いを自分でも具現化できたらいいと思うのではないだろうか?「できれば私だって・・・」みたいな。「楽譜が音にできました。現段階では満足よ」ということもあろうが、そしてそれを否定するつもりもないが、でもそのような人だって心を動かされる演奏を聴いてしまったら、何かしらを感じるのではなかろうかとも思う。ここで「私は私・・・関係のないこと」と割り切れる人がそう存在するとは僕には思えない。

やはり勇気・・・なのかなと思う。逃げないことというかね。「レベルが違うからぁ・・・」とか「私には才能がないからぁ・・・」なんて思わないこと。せっかく自分に与えられたギフトが泣くよ?

練習会、発表会、どのような場であれ、聴いている人の中に、一人は感じてくれる人がいると信じよう。「ああ・・・やっちゃったぁ・・・」と自分で感じても、そのような表面上のミスではなく、何かしらを感じてくれた人がいたと信じよう。それには自分が授かったギフトを大切にすること。捨てないこと。

誰かが聴いてくれる。

誰かが感じてくれる。

一瞬でも、一人でも感じてくれたら、その人にあなたはギフトを贈ったことになるのだ。

自分へのギフトを信じよう。

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category: ピアノ雑感

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メロディー 2 

 

表面上はとても達者に演奏しているのだけれど、心に訴えてこない演奏というものも確かに存在するように思う。この場合、好みというものも関係しているように思う。自分の好みではない・・・みたいな。確かに演奏に対しての評価というか、感じ方は人それぞれ、主観的な要素が多いものなのかもしれない。

ただ演奏者が曲に対して「克服するもの」とか「課題」のようなニュアンスを感じすぎてしまうと、やはり伝わるものも伝わらないのではないかとも思う。

ギフトを受け取ったかどうか・・・ここが分かれ目なのかもしれない。演奏を聴いて心が動く、この感覚は簡単なようで以外と難しいものなのかもしれない。この段階では、ただ聴くだけなんだけどねぇ・・・

ノヴァエスからのギフトをフレイレは確かに受け取ったように思う。彼の表情から、彼の演奏からそう感じる。フレイレもまた聴いている人にギフトを渡しているように思う。聴衆の表情からそう感じる。

このようにバトンをつないでいく感じかな・・・

せっかくギフトを受け取ったのに「私・・・レベル低いから・・・」と自分で捨ててしまうのは勿体ないと思う。

「あと半年の命だとしたら・・・」この時の優先順位の必要性、そうだよな・・・とは思うんだ。でも実際に行動に移すのには相当の勇気が必要だった。ギフトを感じ、それを自分なりに具現化して人に渡すということにも勇気が必要なのかもしれないね。表面上は傷だらけでも、確かにギフトを受け取れる演奏というものも確かに存在する。ここが不思議なところだね。

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category: ピアノ雑感

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メロディー 1 

 

癌になって良かったと感じたことはないが、少しだけ感覚として分かったことがある。それは有限性というものに伴う人生の優先順位のようなもの。「あと一か月しか生きられないとしたら、あなたは何をしたいですか?」このようなことに敏感になるし、実際にしたいことをするようになる。そのような意味で癌というものは自分を鍛えてくれる。普通は、人生というものは今までと同じように、なんとなくいつまでも続いているような気がするものだ。

もう一つは、自分自身の人生なんて人間の営みの歴史からしたら、芥子粒のようなものなのだ・・・という感覚を持てることだろうか。裕福に暮らすとか、仲間(知り合い)に囲まれるなんていうことは、実はどうでもいいことなのだ。自分の人生は、生まれて死ぬということだけではなく、過去から未来へ繋いでいくという感覚を持つことが大事なのだ。大切な人が亡くなる、でもその人は今でも自分の中では生きている。自分が死んでも、肉体は消滅しても、誰かしらの心の中に何かが残るだろうと思う。肉体はなくなっても精神、心は残るのだ。これは非常に大切な感覚なのではないかと思う。

自分の人生の主人公は自分自身。「そんなぁ・・・偉人でもない平凡な自分なんだし~」と人生を歩むのは間違いだ。僕はピアノも同じだと思っている。音楽も・・・と言うべきかな。

どうも日本人は「謙遜」というものを美化しすぎなのではないかと思う。「そんなぁ・・・自分なんてまだまだ初心者だしぃ・・・」みたいな感覚。人の心に訴える演奏を聴いて、こう思う。「あの人と自分はレベルが違うからぁ・・・」

寂しいな・・・と思う。あなたのピアノ人生、ピアノライフの主人公はあなたなのだ。他の誰でもないのだ。

久しぶりにノヴァエスの演奏を聴いている。素直に美しいなと思う。心が洗われるようだ。僕の心の中の痛みにも触れてくる演奏だ。僕はこの感覚をギフトだと思っている。そう、過去からのギフト、ノヴァエスからのギフト。

「こんな演奏、オールドファッションだ・・・」と思う人がいてもいい。でも、ノヴァエスの演奏が、あなたの心に何かしらのものを訴えてきたのだとしたら、それはあなたへのギフトなのだ。それは演奏というものに反応、美というものに反応した、あなただけへの大切なギフト・・・

この感覚を自分の演奏に乗せてみたらどうだろう?「そんなぁ・・・プロじゃないんだしぃ・・・」なんて思わないで。ミスの多い演奏かもしれない、止まってしまうかもしれない、でも一瞬でも聴いている人が「あっ・・・」と感じたら、あなたはギフトを他人に渡したことになるのだ。演奏って表面上の達者さなんてことより、ギフトを渡すことのほうが価値があるのでは?感じたのだったら、伝えられる可能性はあるんじゃない?レベルとか・・・そんなこと思わずに。

「私なんて平凡な人間だから・・・」と自分の人生を捨てる?寂しいじゃないか、そんなこと。「それなりに生きていければ・・・私のレベルはそんなもの」と自分の人生を歩んでいくの?寂しいじゃないか。

ピアノも同じじゃないかな?

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category: ピアノ雑感

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生還のノクターン 

 

ユゼフ・トゥルチンスキという人がいる。パデレフスキ版を見ると、この人の名前が書いてある。パデレフスキの死後、パデレフスキ版の校訂、編集、つまりエディションを完成させたのはブロナルスキとトゥルチンスキという人になる。このトゥルチンスキ、多くの偉大なポーランドのピアニストを導いている。シュトンプカ、マルクジンスキ、チェルニー=ステファンスカ・・・・など。マリラ・ジョナスという人も、やはりトゥルチンスキ門下のピアニストだ。ただこの人は数奇の運命を辿った。

ユダヤ人であったため、ナチスにより強制収容所に入れられてしまう。そこで過ごすのだ。でもそこから必死で脱出する。ポーランドのクラクフからドイツのベルリンまで約600キロを徒歩で逃げるのだ。人目を避けながらの逃避行だっただろうと想像する。飢えと寒さに堪えつつ、夜の闇に紛れて歩いたのだと思う。「ベルリンのブラジル大使館を目指しなさい・・・」逃がしてくれたドイツ将校の言葉を頭の中でくり返しながら・・・

ブラジル大使館に保護された時、彼女はボロボロになっていたという。生きる屍のような状態だったと。ブラジルで療養所で暮らし始める。そこで聞く家族の訃報。家族は惨殺されたのだ・・・

彼女は心を閉ざし、ピアノを弾くことはなかった。弾けなかったのだろう。そんな彼女を再びピアノの世界に導いたのはアルトゥール・ルービンシュタインだった。彼女は再びピアノを弾き始めた。その音楽は凄まじいまでの哀しみとメッセージ、憤りを感じさせるものとなった。あまりにも運命は彼女にとって過酷だったのだろう。非常に若くしてマリラ・ジョナスは亡くなってしまう。48歳だっただろうか?

一瞬の輝きであったマリラ・ジョナスの演奏活動であったが、彼女はこの時期に録音を残している。やはり個人的にはショパン、それもマズルカの演奏が圧倒的に素晴らしいと思う。聴き手に何かを語らせることを拒絶させてしまうような演奏ですらある。

マリラ・ジョナスの演奏する遺作のノクターン。この曲は作品9-2と並んで演奏される機会も多く、どこか通俗的な感じを僕は抱いていたものだ。マリラ・ジョナスの演奏を聴くまでは・・・

一人の人間にここまでの演奏をさせてしまう運命というものを思う・・・

ポーランドを訪れた際、アウシュヴィッツの強制収容所を訪れた。そこでの印象は「人としての感情を無にしてしまう」というものだった。ユダヤ人たちは最期に壁に爪で残したのだ。「愛している・・・」と。

Hの父親は、ここから生還した。一人息子であるHに多くを語ったらしい。でもHはその内容を僕には話してくれなかった。

「そんなことは知らない方がいいんだ。知ってはいけないこともある・・・」

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category: My favorite Chopin

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音楽の仲間 

 

ピアノライフでの仲間といえば、僕の場合、まずはサークルのメンバーだろうと思う。「ヒマだから、まっピアノでも・・・」という感じの人はいない。皆、隙間時間を見つけ練習してくる。楽しい・・・だけではない何かの共有というのだろうか。

僕のような拙い演奏でも、熱のこもった感じで、時には涙を浮かべて「良かったです」と言ってくれる人は存在する。むろん、嬉しいと思うが、同時にそのような感想を言ってくれた人を仲間だとも思う。「ああ、感じてくれたんだ」みたいな?僕の魂を動かしてくれた曲のある部分を、その人も感じてくれたのだという実感。

導入指導、初歩の指導は大切だ。ここが揺らぐとどうしようもない。でも思う。生徒の大部分が導入、初歩・・・というピアノ教師の割合がなんとなく多すぎるのではないかと。ピアノを弾き続けて、さらに憧れを持ち続けている生徒を引っ張れる教師が少ないのかもしれないなどという疑いを持ったりもする。

生徒の多くが大人で、しかも弾ける生徒ばかり・・・というピアノ教師も存在する。この場合、音大の先生は除外する。そのようなフリーの教師に共通しているところがあるような気がする。自分の先生もそうなのだが、そのような教師は自分でも演奏をしている。レッスンで曲の一部分を弾いてくれたりする。そのような時、生徒は感じるのだ。仲間かどうか・・・と。無意識レベルなのだと思うけれど。「ああ・・・先生も私が憧れている部分を、共通のものを感じている。ずっとずっと先を歩いているけれど、同じものを持っている」という感覚、このようなものを生徒と共有できる先生は生徒の大部分が初歩の子どもちゃんばかり・・・ということがないのでは?

憧れの共有・・・まれにユーチューブでの演奏、名もない人の演奏、アマチュアの演奏、そのような演奏で感じることがある。「あっ、あなたもそこが感じる部分なのですね?」「同じような憧れを持っているのですね?」みたいなもの。そのような時、「ああ・・・仲間がいる」と感じる。

どうもフェイスブックというものが苦手だ。多くの投稿が上っ面の仲間同士・・・という気がしてしまう。「わっ、焼き肉パーティー?いいですね」みたいな?人が焼肉を食べようが何を食べようが関係ないだろうと思う。仲間ってそんなもの?

音楽での仲間、言葉はいらない。「あ、あなたも魅せられてしまったのですね?」という感覚だけでいい。

僕はこの人とお話ししたこともないけれど、勝手に仲間だと思っている。共通のものを感じる。

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category: ピアノ雑感

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導く・導かれる 

 

僕は教えるとか、教わるということが嫌いなんです。これは昔からそうです。だって、自分のピアノのことも良く分からないのに、教えるだなんて、そんなことできません。僕はアメリカでヨゼフ・ホフマンに師事するまで、ずっと母からピアノの手ほどきを受けていました。母はチャイコフスキーの前で演奏した経験もあるピアニストでしたが、教える・・・という感じではありませんでしたね。ホフマンもそうでしたが、教える、教わったというよりは、「導かれた」という感じでした。  シューラ・チェルカスキー




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category: 未分類

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まだ死ねない・・・ 

 

僕の場合、癌が発見されて治療後、割とすぐに再発している。再再発もそうだった。再発までの期間が長ければ長いほど予後はいいのだ。言葉を変えると、僕のように最初にトントン(?)と何度も癌攻撃を受けてしまうのは非常に予後がよろしくないということだ。「ステージ○○」とか、過去のデータとかで表すと、非常によくない。でも医師が不思議がることもある。最初は癌の勢いがあった(?)けれど、その後レミッションの期間が長いのだ。それは現在も続いている。このようなケースは非常に珍しいのだそうだ。普通だったら死んでいるらしい。でも生きている。

これは、幸運でも奇跡でもなく、ある積極的な治療を受けたからだ。死ぬほど辛かったけどね・・・

このブログは医療ブログでも闘病ブログでもないので、これ以上は書かないが、正直に言って、僕は「生かされている」と感じる。生きなければならない何かがあるみたいな感じだろうか?僕の中に何らかの「やり残し」があるのだと感じている。たかが趣味・・・たかがアマチュア・・・なのかもしれないが、ピアノにもそのようなことを感じることがある。

僕は「美」というものに、もっと触れたいと思っている。まだまだ足りないと思っている。なのでまだ死ねない。とてもじゃないけれど、まだ死ねない。

「美」というものを吸い尽くして、それから死にたいと思う。なのでまだ死ねないと思う。

今まで全く知らなかった歌手だ。このような人が、かつて存在していたのだ。だから人生はやめられないと思う。

ラフマニノフの神髄はピアノではなく歌曲ではなかろうか?

kaz




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category: 好きな曲・好きな演奏

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85歳の少年 

 

チェルカスキーの演奏は生で2回聴いている。最初は80歳記念(!)のリサイタルで、これはカーネギーホールだった。たしか1990年頃だったと思う。2回目は1995年にサントリーホールで聴いている。僕があまり演奏会に出掛けない理由は、一つは耳が良くないということと、もう一つはチェルカスキー基準のようなものが僕の中で出来上がってしまったこと。「これ以上の演奏はこれからは聴けないであろう」みたいな・・・

ニューヨークの聴衆と東京の聴衆とで、空気が異なっていたように思う。どちらも満員だったけれど、カーネギーの聴衆のほうが、「最後のロマン人を聴くのだ」という空気が濃厚だったように思う。「もう、このような演奏ができるのは彼だけなのだ」のような空気で満たされていたように思う。

このような「かつての時代を聴く」的な聴き方もあろうが、僕が感じたのは、チェルカスキーのピアノは聴き手を温かく包み込んでしまうということだ。「いかにも巨匠の演奏」という感じよりは、85歳の青春を聴き手も感じるというか・・・

温かさと同時に彼のピアノは聴き手の心の傷に触れてしまうような魔力もあるような気がする。聴き手が心の中に抱え、秘めていたものに彼のサウンドが反応を仕掛けてくる。

チェルカスキーは85歳くらいまで生きたと思う。しかも亡くなる直前まで現役だった。

この演奏は生で聴いたことはないが、この曲を80歳を楽々超えた人が弾いているということに、まず感動してしまう。この曲は青春そのもののような曲だから。

このチェルカスキーは少年のようだ。弾いている姿も音楽も・・・

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category: あっぱれ麗し舞台

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最後の巨匠 

 

かつてのピアノの黄金時代、ロマン溢れる時代の演奏、そのような演奏を現代のザハリヒな時代に聴かせてくれたのがチェルカスキーではなかっただろうか?ホロヴィッツもそうだと思うが、個人的にはチェルカスキーの演奏のほうに、かつての黄金時代の残り香のようなものを感じる。

今、このような弾き方、このような響きを生みだすことのできるピアニストはいるだろうか?特徴的なのは演奏中の上肢が静かなことだ。汗とか労働、そのようなものを一切感じさせない。

「表情は顔でつくるものではない」とでも言いたいような、静かな演奏姿。彼の師、ヨゼフ・ホフマンもこのように演奏していたのであろうと想像するのは難しくはない。ホフマンの師であるアントン・ルビンシュタインの演奏もそうだったのであろうか?これが伝統というものなのだろうか?

ロマン的時代の最後の生き残りという自負は彼は感じていたのだろうか・・・

かつての巨匠たちの演奏も復刻版のCDなどで聴くことはできる。でもチェルカスキーは現代のコンサートホールで、それを再現してくれたピアニストだったように思う。

彼の演奏は美しい。ピアノで歌うという意味を残酷なまでに教えてくれるような演奏であり、弾き方であるように感じる。

この演奏を聴きながら、かつての美しい時代を夢見る・・・

kaz




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category: Saudade

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微笑みサウンド 

 

「舞踏への勧誘・コンクール」・・・1位は個人的にフリードマンの演奏。圧倒的な名演なのではないだろうか?

これは好みの問題だと思うが、僕はあまり現代のピアニストの演奏は好まない傾向がある。割と昔のピアニストの演奏が好きなのだ。その理由を無理やり考えてみると、やはり「タッチ」なのだと思う。どこか「鋼鉄のタッチ・鋼鉄のサウンド」という感のある現代のパワーピアノに対して、往年のピアニストのタッチは、どこか軽さを感じる。バリバリ…ではなくコロコロ・・・みたいな?そこが好きなんだ!軽さのあるタッチの代表格と言えば、ミクリ門下のピアニストたち、たとえばローゼンタールのようなピアニストだと思うが、何もミクリ門下のピアニストだけではなく、軽さのあるタッチの演奏は、この時代の演奏に共通しているようにも思う。この時代のタッチを「真珠のタッチ」だとすると、今の主流ピアニストのタッチは「鋼鉄のタッチ」という気もしてくる。どこか力感に溢れ、汗を感じる・・・というか。とても「立派だな・・・」とは僕でも思うが、やはりずっと聴いていたいというタイプの演奏ではなくなってきてしまう。なので、「鋼鉄品評会」みたいなコンクールでの演奏には興味を持てなかったりするのだ。

現代のピアニストの演奏、シリアスな魅力は感じないでもないが、往年のピアニストにあり、現代のピアニストに欠けている(と僕が感じる)ものは「微笑みのサウンド」ではないだろうかとも思う。ここに「舞踏への勧誘」が演奏されなくなってしまった理由があるのかもしれない・・・

軽めのコロコロとしたタッチと豊満な響きを駆使して超ロマン的な世界を醸し出し、時には聴き手を包み込んでしまうような微笑みのサウンドを創りだす・・・そこに往年組の魅力を感じる。

フリードマンの演奏って、もしかしたら音大などでは「そんなふうに弾いてはいけませ~ん」的な演奏になるのかもしれないが、僕は魅力を感じてしまう。だって聴いていて幸せだもん・・・

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category: 拍手のない名演

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「舞踏への勧誘」の謎 

 

ウェーバーのピアノ曲って、あまり演奏されないような気がする。サークルの練習会で演奏した人はいたかな・・・と思いかえしてみても、やはりいないような気がする。ショパンの曲が登場しない練習会はないのに・・・

ウェーバーに「舞踏への勧誘」というピアノ曲がある。この曲はベルリオーズが編曲した管弦楽バージョンの方が有名なのかもしれないが、オリジナルはピアノ曲。ピアノ曲としても有名な曲なのではないかと思う。

曲としては、とても有名なのに、何故かあまり演奏されないという珍しい曲なのではないだろうか?珍曲ではないと思うんだけど・・・

プロのピアニストがリサイタルで「舞踏への勧誘」を演奏することも少ないのではないかと思う。何かしらの理由があるのだろう。即物的魅力に溢れた(?)現代のピアニストには、あまり魅力を感じない曲なのかもしれない。たしかにポリーニやツィメルマンがリサイタルでこの曲を取り上げるということは考えにくい。実際には弾いているのかもしれないが・・・

現代のピアノリサイタルの傾向としては、小曲を盛りだくさんに・・・というよりも、どちらかと言えば「大曲主義」のような気がするので、「舞踏への勧誘」はプログラムに入れにくいのだとも想像する。この曲は古典派のような趣もあるし、華やかなロマン的な技巧をも感じさせるところが組み合わせに苦慮するところなのだろう。ベートーヴェンとも合わせにくいし、ショパンとも合わせにくいというか。

どちらかと言えば、プロのピアニストが恍惚の表情を浮かべ熱演する曲というよりは、ピアノの発表会向きの曲なのかもしれない。事実、発表会向けCDには、「舞踏への勧誘」はよく収録されている。でも、この曲は難しいのだ。結構、技巧的な難渋さがある。しかもその難渋さを表には出せない難しさもあるので、子ども向け・・・という曲ではない気もする。「舞踏への勧誘」を弾きこなす達者な子どもは多いだろうが、そのような子どもはショパンやリストを弾くのではないだろうかとも思う。

なので滅多に演奏されない曲となってしまった・・・

以外なことに、往年の巨匠たちは「舞踏への勧誘」を録音している人が多い。それも「いかにも余興・・・」という感じではなく、真剣に(?)大真面目に(?)、一つのレパートリーとして演奏しているのだ。昔はこの曲もピアニストたちの大事なレパートリーだったのだろうか?おそらくそうなのであろう。

僕が聴いた中で「舞踏への勧誘・コンクール」的に記してみると・・・

5位 デ・ラローチャ
4位 コルトー
3位 ブライロフスキー
2位 シュナーベル

・・・となる。デ・ラローチャは亡くなっているとはいえ、現代のピアニストにカテゴライズするべきであろうが、真摯な演奏が素晴らしい。コルトーの演奏は、ラローチャの演奏に夢が加味されているような?意外にもブライロフスキーの演奏が素敵だった。この人のショパンのワルツのレコードで僕は音楽開眼をしたのだった。なんだか懐かしい感じだ。シュナーベルの演奏、後期のベートーヴェンの演奏がやたら有名だけれど、彼の本領は本来このような種類の曲なのかもしれないなどと思ったりする。

即物的な方向、ザハリヒな方向、現在はもうある意味行き着いてしまった感もある。人々は再び「夢」「ロマン」を求めているのではないかとも思う。「舞踏への勧誘」のような曲がピアニストの重要なレパートリーとなる時代はもしかしたら遠くはないのかもしれない。

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category: 秘曲

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代弁 

 

どうも初心者とか上級者という捉え方が苦手だ。レベル・・・という言葉も苦手だ。

超絶曲を弾きこなす人に対して、上級者とか・・・あまり好きではない。弾きこなしてはいても、どこか作品と演奏者との距離感があったりして、あまり心に響かない演奏でも、弾ければ上級者なのだろうか?

上級者御用達曲を弾いているわけではないし、しかも途中でミスしたり、時には止まったりなんかもする。でも「あっ・・・いいな」という演奏もある。この場合、弾いている人は、やはり中級者、あるいは初心者なのだろうか?

ツラツラと難曲を弾いて、心に訴えない演奏でも上級者、表面上はミスも多い演奏、でも聴き手を惹きこんでしまう演奏、弾いている曲がシンプルであればそれでも初心者?上級者よりも聴き手を惹きこむ初心者???

偉大な作品に未熟な自分が挑戦させて頂く・・・

それだけではなく、こう感じたらどうだろう?

偉大な作品が自分の秘めた感情を代弁してくれる・・・と。

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category: 拍手のない名演

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拍手のない名演 

 

新しくカテゴリーを追加した。拍手喝采を受ける大舞台でのプロの演奏もいいけれど、アマチュアや名もない(?)人の私的な演奏も、これまたいいものだと思う。一人、自分の部屋で音楽を奏でる・・・

でも何かが伝わってくる。物凄く熱い何かが・・・

クリティカルに聴いてしまえば、何かしらの未熟なところもあるのかもしれない。でも演奏者の想いが伝わってきたら、それにただただ浸る聴き方もありなのではないかと思う。

今までも、そのような私的な「拍手のない名演」は紹介してきた。そのような演奏をカテゴリーとしてまとめてみたいと思った。なので、以前紹介した演奏も再紹介することになることもあるだろうと思う。

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category: 拍手のない名演

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空港 

 

初めは投函したはずの手紙が相手に届かないというような小さなことだった。さらに自宅、大学の研究室に誰かが侵入した形跡を発見するようになった。そして自宅が荒らされるようにもなった。「命が惜しくはないのか」という脅迫文も受け取った。この自由のない国で尊厳を求めるのは無理なのか・・・

心配なのは年老いた父のことだ。自分はいい。集会で演説し大学でビラを配る。危険なことだが、自分の信念だ。でも父は?父は自分の危険な行動を批判することは一切なかった。何も言わなかった。息子が何をしているのかは分かっていたはずだ。

「お前の信じるように行動しなさい。自分を曲げてはいけないよ・・・」父はそう言った。でもこのままでいいのだろうか?この国はもう変わらない。この国はもう終わりだ・・・

「この国を出なさい。アメリカに自由があるのだったら行きなさい。後悔してはいけないよ。自分の道を進みなさい」

「そうしたら僕は二度とポーランドには戻れない。入国できない。父さんはどうするんだ?母さんが生きていればともかく、父さんは一人ぼっちになるんだ。そんなことはできない」

「私は年老いた平凡な市民だ。お前とは違う。静かに暮らしていくさ。お前がここで朽ちていくのを見る方が一人になることよりも辛いさ。私はお前に何もしてあげられないからね。一人息子だ。自由に生きて欲しい。自分に正直に生きて欲しい。自由がアメリカにあるのだったら私のことはいいから行きなさい!」

厳しい父だった。厳格な父だった。かつて収容所で親戚、家族のすべてを殺された父。一人生き残った父。やがて結婚し、自分が生まれた。父は自分の家族を失うことを極端に恐れた。父の生立ちを考えれば無理もないことだ。

「ここには自由はない。行きなさい。アメリカに・・・」

空港まで父は見送りに来てくれた。ゲートで別れの挨拶をする。でも何を言っていいのか、言葉が出てこない。

「あの飛行機だろ?時間なんだろ?私のことは心配せんでいい。さあ、行きなさい」

「父さん・・・」

「さあ、行くんだ・・・そして絶対に振り返ってはいけない。そのまま飛行機に乗るんだ。振り返るんじゃない。いいな?さあ、行きなさい・・・」

自分に言い聞かせる。「振り返るんじゃない。前だけを見て歩くんだ・・・」でも最後の瞬間、後ろを振り返る。もう父の姿はそこにはなかった・・・




「状況」は言葉でも説明できる。でも「感情」まで説明することはできない。でも音楽は「感情」までも説明してくれる。

だから音楽を求める。

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category: 未分類

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秋に聴きたい曲 

 

今の若者の約40%が恋愛に対して消極的なのだそうだ。

「面倒くさい・・・」のだそうだ。幸せそうなカップルを横目に、「なんでいつも一緒にいなければならないんだろう?」と本気で思う。そして自宅で一人パソコン、ゲームの日々・・・

そのような若者がパソコンの画面にむかっている姿は、どこか寂しげ。でも彼らは、本当の寂しさを味わわなくてもすむのかもしれないし、愛というものを欲しなければ傷つくこともないのかもしれない。

「面倒くさい・・・」は「傷つきたくない」ということなのか?自分をプロテクトするから恋愛に消極的なのか?

心が動くということは、どこか痛みを伴うものだ。恋愛だけではないね。音楽もそう。

痛みを感じることができる人は才能があるから?

違うと思うな・・・

秋に聴きたい曲・・・「アルフィー」

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category: Saudade

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演奏と方向性 

 

人前で演奏するには、ある程度時間をかけた方がいい。これは常識だろう。僕もそう思う。明日の練習会では、あえてその常識を破る。好き好んで破るわけでもないが・・・

明日弾く曲は、弾き始めて1週間。本来はそんなことをしたらいけないよね。僕もそう思う。でもこれは実験でもあるのだ。実験をしなければならない個人的な理由は前回書いた。

1週間前、心に誓ったことがある。明日弾く曲は、遊び弾き、浮気弾き(練習する必要もない曲をついつい弾いてしまうこと)に徹しようと。この1週間、練習できる時は、基本的に来月ピアチェーレで弾く曲を練習した。明日弾く曲はあくまでも遊び弾き、浮気弾き。決して本気で練習しないこと。その状態であえて人前で弾く。

明日は緊張はしないだろうと思う。また、本番までへの仕上げ方というか、持って行き方がいつもとは全く異なる。完全にラフな感じだ。明日、音が聴こえなくなるなんてことがなければ、自分の弾いている音が聴こえなくなるのは、完全に心理的な問題だということになる。光が見えるのだ。

個人的特殊事情は別としても、一般的に、いい演奏をするには、ひたすら練習に励むしかないと思われているのではないだろうか?本番で失敗したのは練習不足。演奏が不安定になったのは練習不足・・・

「そうよ・・・もうこれ以上できないというほど練習すれば、私はこれだけ努力したという心の支えになるわ・・・」

それでも失敗する時ってあったりする。そうなると自分を否定してしまうこともある。「私ってだめなんだわ・・・」

それでも練習を重ねれば、ひたすら練習を重ねれば、いつかフッと抜ける感じがして、自分の思い通りに弾けるのだろうか?

とにかく練習、ひたすら練習・・・

さあ、自分の番・・・その時に何を思っているだろうか?「あそこの部分が上手くいきますように」「せめて大崩壊はしませんように」

このような心理状態で弾くことが多いのではないだろうか?練習をすればするほど、本番でそのように感じてしまうなんて何かおかしい・・・とも思うし、何かが欠けているようにも思う。

そこには、ピアノとあなたしか存在していない。「どれだけ弾けるだろう?」というのは、個人的な問題だ。残念ながら、というか幸いなことにというか、聴いている人は実はそんなことはどうでもいいのだ。パッセージの到達度を聴きたいわけでもないのだ。

演奏者が弾きながら、「次さえ無事通過すれば・・・」とか「ああ・・・なんでまたやっちゃったんだろう・・・」なんて思っているとしたら、その演奏は少なくとも「方向性」はない。ピアノと演奏者だけが格闘しているような?聴き手に向かってくるような「何か」が欠ける。

「あっ・・・いい演奏だな」と人の演奏で感じる時、その演奏は聴いている自分に何かが向かってくるような感じがしないだろうか?その演奏には方向性があるのだ。「私ったらどうしましょう」と思いながら弾いていたら、それは望めないような気がする。

「ああ・・・無事に弾けた」ホッとはするかもしれないが、方向性は存在したのだろうか?

もしかしたら「自分の出来栄え」なんてどうでもいいのかもしれない。いい演奏をする・・・これは実は目的ではなく、ある目的のための手段なのかもしれなかったら?

「私は演奏するために演奏するのではない」サンソン・フランソワの言葉だ。演奏は目的?手段?

練習を重ねる。それはいい演奏というか、自分が思っているように演奏するための手段だ。ではいい演奏って目的?手段かもしれない。では目的は?

過去にもこの人の演奏は紹介したように思う。この人の演奏には方向性がある。強烈なまでの方向性。

このように弾けるようになるためには、練習しなければならない。それはそうだと思う。でも練習さえすれば、いつかはこのような方向性のある演奏ができるのだろうか?

「ピアノの練習をする?う~ん・・・ピアノで音楽をするではないかな?」アルトゥール・シュナーベル

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category: サークル

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「何故自分だけが・・・」 

 

もともと難聴なので、人の半分の音量しか聴こえていないわけだけれど、本番でいきなり自分の音が聴こえなくなってしまったことがある。最初は3年前のサークルの演奏会だっただろうか?以後も本番で自分の音が聴こえなくなってしまうことがあった。聴こえるのは耳鳴りだけ・・・

いつも・・・というわけではない。自宅で練習している時やレッスンでそのような状態になったことはない。決まって人前で弾く機会に限られている。

「精神的なものでしょう・・・」と医師は言うし、そうだろうと自分でも思う。緊張した状態が良くないのだろう。でも聴こえる時もあるのだ。難曲を緊張して人前で弾く・・・という場合でも聴こえる時もある。技巧的な心配のない曲でも全く聴こえなくなってしまう時もある。要するに、自分では予測できず、コントロールもできない。これは痛い・・・

緊張の度合いと関連はあるとは思うが、緊張していても聴こえる時はある。そこが不思議だ。思うのは、自分の編曲した作品などを弾く時には、聴こえなくなったことはない。緊張とは別の何かしらの心理状態が関係しているようにも思う。無意識のレベルで、「練習の時と同じように弾けますように」とか、頭の中で「ここはこうして、あそこはこうして・・・」と見取り図に忠実に弾いていく、なぞっていく・・・みたいな心理状態の時に聴こえなくなるのでは?だから自分でアレンジした曲ではいつも聴こえる・・・

ピアチェーレの演奏会で曲目変更をしたのには、ここに理由があった。すべて新曲、すべてがクラシックの有名曲だと、聴こえなくなった時に立ち直れない。途中で、自分でアレンジした作品を盛り込んでおけば、何らかの救済になるのではないかと。

でもいつも自分のアレンジ作品を弾いているわけにもいかないしなぁ・・・

6月のサークルでの演奏会、そして先月のチャリティー・コンサート、実は連続して聴こえていない状態で弾いている。やはり不安は増大していく。

正直に書くと、「なんで僕だけ?」と思う。ピアノを愛しているという自覚はあるし、練習もしているし、なのになぜ僕だけ?自分だけが不幸なんて思ってはいけないが、でも聴こえなくなるなんて・・・

たしかゲアハルト・ダンプマンの著作にあった言葉だと記憶しているが「日本人は、予期できない状況に出合うと、自分の力を試すための歓迎すべき試練としてではなく、むしろ運命の打撃として感ずる」という言葉がある。どう考えても、今の状態は歓迎すべきことではないので、僕はその意味では完全に日本人なのかもしれない。でもそうではない「負けたくない」「戦いたい」という気持ちもある。とにかく何かしらに自分の生活や人生をコントロールされている・・・という状態がイヤなのだ。我慢できない。自分で決めた、自分でコントロールしているという自覚と共に行きたいのだ。自分の人生の主人公は自分なのだから。この気持ちはものすごく強い。

では、何が自分にできるだろう?

緊張の度合い・・・というよりは、その日に演奏する曲との対面の仕方、それまでの接し方のようなものが、聴こえなくなることと関連しているように思う。その曲を練習の時、平常心の時と同じように忠実に再現したいのか?そうではないのか?

今月の17日にサークルの練習会がある。来月にピアチェーレの演奏会があるので、17日にはその時の曲を予行練習的に弾いておくのが解明だろうと思う。誰でもそうするのではないだろうか?本番一か月前なんて他に弾ける曲もないことだし。僕が所属しているサークルは、比較的に緊張感が必要なサークルだ。皆でお菓子を食べながら、雑談混じりのゆるい(?)空気の中で弾くような練習会ではない。この練習会で何かできないか・・・

本番が近づくと、本番で演奏する曲ではなく、ついつい関係のない曲を遊びで弾いてしまうなんてことはないだろうか?そしてその遊びで弾いている曲が、実に楽しく、かつ新鮮に感じられたりする。普通は「あっ、いけない、そんな場合ではない」と本番曲に戻るのだろうが、そのまま「ついつい遊びで弾いてしまう」という曲を練習会で弾いてみたらどうなるだろう?心理的にどのような状態で弾くことになるのだろう?身体的に、つまり聴力にどのような影響があるのだろう?是非実験してみたくなったのだ。練習会は「練習する会」なのだから、別にいいだろうとも思うし、すべてをやりつくしてみるのもいいのではないかとも思う。

17日の練習会で自分の音が聴こえなくならなければ、もうこれは「弾く時の意識」というものとの関連があるだろうということだ。その場合、その「意識」のようなものを、演奏会でも持っていければいいわけだ。とにかくトライしてみること・・・

「今回、kazさん、あまり練習していないのね?」とは思われるだろう。正直、そこは自分でも気になる。他に用意した曲があるわけで、その曲は当然暗譜しているし・・・

僕は「今日はここまで譜読み・・・」のような譜読みの仕方はしない。全体をとにかくザーッと譜読みしてしまう。最後まで弾いてしまうのだ。細かなパッセージは別に取り出して練習するが、「最初から4ページ目までは譜読みしました」ということはない。

17日に弾く曲は、先週くらいから遊びで「楽しいな」「本番に関連しない曲ってなんて新鮮なんだろう」と弾き始めた曲だ。これらの曲をザーッと人前で弾いた時、自分の音は聴こえるだろうか?

賭け・・・だなとも思う。でも失うものは何もないから・・・

kaz


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シナゴーグ 

 

シナゴーグとはユダヤ教の教会のことだろうか?ニューヨークにはユダヤ人が多いので、当然シナゴーグも多い。一度だけシナゴーグを訪れたことがある。たしかチャイナタウンにあったシナゴーグだったと記憶している。喧噪・・・というチャイナタウンには似つかわしくないような、敬虔かつ神秘的な雰囲気が漂っていたように思う。ステンドグラスが異様なまでに素晴らしく、ただただ立ち尽くしてしまったものだ。係員のような人が「案内しましょうか?」と言ってくれて、何かしらの説明を受けたはずだが、すっかり忘れてしまった。でも「シナゴーグって豪華なんだぁ・・・」と感じた記憶は鮮明だ。名前は思い出せないが、このシナゴーグ、今では穴場的観光名所にもなっているらしい。美術館も付設されているみたいだ。

Hはユダヤ教徒だったから、シナゴーグで祈ったりしていたと思う。でも彼は特にキッパを被るでもなく、正装するでもなく、シナゴーグへ出掛けて行ったように記憶している。今思えば、普段着・・・ではなかったようにも思うが・・・

「一緒に来る?」

Hは映画に誘うような気軽さで、東洋人、それも無宗教である僕を誘った。シナゴーグでは何が行われているのだろう・・・という興味は当然あったけれど、僕にとっては気軽についていくような場所ではなかった。想像したのは、正装をしたユダヤ人たち、キッパを被り、黒い服をまとったユダヤ人たち、どこかエキゾチックな雰囲気が漂い、密教的な、どこか怪しげな・・・

ユーチューブでシナゴーグの内部で何が行われているのか確認することができる。なんだか、想像とは異なり楽しげ???

むろん、言葉などは全く理解できないが、とても音楽的な流れが素晴らしいような?

パーク・アベニューのシナゴーグ、もしマンハッタンのパーク・アベニュー、そしてシナゴーグというものが地域密着型なのだとすると、ここに集っているユダヤ人たちは、とてもお金持ちということになる。「パーク・アベニュー=富」という図式がマンハッタンにはあるから・・・

桁違いのお金持ち。日本の億ションの部屋全体がパーク・アベニューのアパート(マンションとは英語では呼ばない)の玄関ホール・・・みたいな感じだろうか?貧乏な留学生には全く関わり合いのなかった通りでもあったな。住む世界が違う。

歌っているのはラビなのだろうか?異様に歌が上手いような気もするが・・・

以外と楽しいユダヤの祈り・・・

kaz



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ライ麦畑 

 

初めてポーランドを訪れた時に思った。「なんだか北海道みたいだな」と。空が広いのだ。見渡す限りの平原・・・

クラクフはHの生まれ育った街。ナチスの司令部があったため、戦火を逃れたという街。ワルシャワは破壊されてしまったがクラクフは昔ながらの面影を保っている。「この建物は14世紀に建てられたもので・・・」ガイドの言葉に思わず頷いてしまうというか、感心してしまうというか、そんな街だ。街中の印象も強いが、郊外の印象も強烈だ。見渡す限りの小麦畑。キラキラと黄金色に輝く小麦畑・・・

「いや、あれは小麦ではないです。ライ麦ですね・・・」

そうか、ライ麦畑なのか・・・

「父とライ麦で鬼ごっこをしたものだ・・・」懐かしそうにHは語った。子どもだったHはライ麦畑に埋もれてしまう。「どこにいるんだ?」父親の声がだんだんと真剣になっていく。「H・・・どこだ?出てきなさい!」心配のあまり怒り声になっていく。

「どこにも行くんじゃない・・・心配させるんじゃない・・・」家族を失うことを異常なまでに恐れたHの父。かつてすべての家族を惨殺された父・・・

Hはポーランドという祖国に愛憎混じる感情を抱いていたようだ。マンハッタンではプレッツェルの屋台が多い。ニューヨークベーグルの店も多い。「懐かしいんだな・・・これが・・・」そうHは言った。

クラクフにも似たような屋台がある。ポーランドはベーグル発祥の地でもあるらしい。クラクフ限定のオブヴァジャーネックという食べ物がある。至る所に屋台がある。ニューヨークのプレッツェルのように。食感は異なるが、プレッツェルと似ている。オブヴァジャーネックを売るにはライセンスが必要で、そしてクラクフの中心部でしか売ってはいけないのだそうだ。Hは初めてニューヨークのプレッツェルの屋台を見た時、生まれ故郷のオブヴァジャーネックを想い出したに違いない。

よくHはポーランド料理を作ってくれた。お返しに僕は「なんちゃって日本料理」を作ったものだ。日本資本のスーパーや店は高いので、中華街や韓国人経営の店で食材を調達する。そんな僕の「なんちゃって日本料理」をHはおいしそうに食べた。家族が旅行に行ったので・・・と日本の湯葉を送ってくれた。僕は湯葉はあまり好きではない。Hも「なんだか段ボールのような味だね」などと言った。

ライ麦のパンはポーランド料理には欠かせないものだ。ロシア料理、ドイツ料理でも同様だろうと思うが、白い小麦のパンよりも、どこかポソポソしていて酸味がある。朴訥としたパンなのだ。黒パンとも呼ばれる。

「僕はライ麦パンは食べない・・・嫌いなんだ・・・」Hは言った。その口調には、たんに食べ物への好き嫌いというものを超えた何かが感じられた。「嫌いなんだ・・・ライ麦は嫌いだ」ライ麦パンが嫌いなポーランド人なんて珍しいな・・・などとその時僕は思った。

プレッツェルの屋台に祖国を想い、目を細めて懐かしがるH。「あの国はもうだめなんだよ・・・」無表情に呟くH。ライ麦パンを嫌うH・・・

ライ麦畑・・・Hにとっては祖国そのもの、生まれ故郷そのものだったのかもしれない。

鬼ごっこをしたライ麦畑・・・黄金色に輝くライ麦畑・・・光を浴び、風に揺れキラキラと輝くライ麦畑・・・「H・・・どこにいるんだ・・・心配させるんじゃない・・・どこにも行くんじゃない・・・」・・・ライ麦畑で聞いた父親の声・・・

「この国に未来はないのか」「自由はないのか」「この国を捨てなければならないのか」

ライ麦畑に語りかける。でもライ麦畑は黄金色に輝いているだけだ。何も答えてはくれない。Hの叫びも人々の哀しみも、ただ飲みこんでいくだけだ。ただ風に揺れ、輝いているだけのライ麦畑・・・

この人のこの歌を聴いた。「ライ麦パンは嫌いなんだ・・・」

ミシシッピ河は何も答えてくれない。ただ悠然と流れていくだけ。人々の涙を飲みこみながら・・・

ライ麦畑も何も答えてくれない。ただ黄金色に輝いているだけ。人々の涙を飲みこみながら・・・

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コンクールに咲き、そして散る・・・ 

 

コンクールという場での演奏は、本来はそこが到達点ではなく、あくまでも演奏家としての出発点、経過地点であるに過ぎない。でもそのコンクールという場で生涯最高の演奏をしてしまう・・・ということもある。非常にこれは珍しいケースだろうとも思う。いや、結構多くあるケースなのかもしれない。そのような人は、徐々に忘れられていき、10年後には「あの人は今?」的な存在となってしまう・・・このような人って多いのかもしれない。次から次へと新たな優勝者は輩出されるわけだし・・・

コンクールでの演奏だけが後世に語り継がれているピアニストがいる。最初はスティーヴン・ハフのことを調べていて、そのピアニストの名前を知った。「テレンス・ジャッド賞」という賞をハフは受賞している。

テレンス・ジャッド???

1978年のチャイコフスキー・コンクールのコンテスタント。チャイコフスキー・コンクールに限らずだが、この頃は年末の紅白歌合戦ではないけれど、現在とは比較にならないほどコンクール、その結果・・・というものが重要視されていたように思う。威厳さえあったし、優勝者はいきなりスターとなり輝いていったものだ。現在の演奏界を支えているような中心的な人は、この頃までのコンクール優勝者なのではないかとも思う。

この時のチャイコフスキー・コンクールの優勝者はプレトニョフ。上位入賞者の名前を見ると、この回は比較的に「あの人は今?」的な人は少なく激戦だったのだと想像できる。テレンス・ジャッドはこの時のコンクールで第4位に入賞している。とても微妙な順位ではあるが、この時の予選、本選を含め、コンクールでの彼の演奏、そのライブ録音は、とても素晴らしい。

よくあるような「とてもよく弾けているけれど、別にあなたでなくても別のCさんでも聴けるわね」という演奏ではなく、テレンス・ジャッド・・・あなたでなければ聴けない・・・という演奏なのだ。包み込むような、温かく手を差し伸べるような演奏というよりは、どこか孤高に、孤独に演奏しているような?

コンクールでのライブ録音では、ヒナステラとバーバーのソナタが絶品のように感じる。特にヒナステラのソナタでは、彼の演奏を知ってしまうと、ちょっと他のピアニストの演奏では満足できなくなってしまうのではないだろうか?バーバーのソナタ、特に終楽章のフーガでは、「憑かれたような」という言葉を連想してしまうほどだ。

テレンス・ジャッドはチャイコフスキー・コンクール入賞の翌年、突然失踪し、全裸死体で発見された。自殺だったのか、事件に巻き込まれたのかは分からなかったらしい。

テレンス・ジャッド・・・享年22歳。

コンクールでの演奏がこれからも語り継がれるピアニスト・・・

kaz



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他人のそら似 

 

意識していたわけでもなかったのだが、最近は、かつての友人Hのことを書いていただろうか?ポーランド人、ユダヤ人のHのこと。彼に対して「素晴らしい人だったのですね」という感想を複数頂いた。

非常に寡黙な人で、でも心を許した相手には饒舌にさえなり、内に秘めた熱いものを、正直に出した人・・・

たしかに素晴らしい人だったと思う。

彼の容姿に関して、ピアニストのパデレフスキに似ていると以前に書いた。たしかに一枚の写真は似ている。特に目のあたりが似ている。でも晩年のピアノを弾いている「動くパデレフスキ」は、ちょっと・・・というか大分Hの印象とはかけ離れる。若い頃の写真でも、Hとは全く似ていない写真もある。雰囲気そのものは似ているようには思うのだが・・・

基本的に僕はテレビというものは観ないのだが、時折海外のドラマなどは観たりする。地上波では放送されていないようなドラマなのかもしれない。海外のドラマでもヨーロッパ系のドラマが好きみたいだ。アメリカのものは、残虐な場面も多く、あまり好まない。今まで好きだったドラマは、イタリアの刑事ドラマ「警視 モンタルバーノ」でシチリアの景色も美しく、時間が合えば楽しんでいた。もう一つ好きだったドラマがイギリスの作品で「刑事 フォイル」というドラマ。刑事物が好きというよりは、刑事物の放映が多いのだと思う。

たまたまテレビを観たら、新しいドラマを放映していた。ウクライナのドラマだ。ウクライナのドラマとは珍しい・・・などと興味深く観ていた。スニファーという私立探偵が主人公のドラマで、鋭い嗅覚で事件を解決していくというユニークな内容。おそらくキエフなのかと思われる風景も、こちらが想像していた風景とは大いに異なり、非常に面白い。

このドラマの主人公、スニファーを演じている俳優がHにそっくりなのだ。彼の姿を初めて見た時、「H・・・???」と思わず言ってしまったほどだ。ウクライナ人は東スラヴ人、ポーランド人は西スラヴ人、ロシア語とポーランド語も、僕からしたらサウンドとしては非常に似ているように感じる。

顔の造作も似ている・・・というか、そっくりだ。声はほぼ同じ感じだし、髪型も髪の色も、瞳の色さえ同じだ。ちょっとびっくりだ。

世界には自分とそっくりな人間が必ずいるのだという。Hとスニファー(キリル・カロという名前の俳優)もそうなのだろうか?それほどそっくりだ。ちょっとドラマとしては興味があるが、あまりにもキリル・カロとHが似ているので、なんとなくHの死とか・・・そのようなことまで連想してしまうところがあり、観るのは辛いところだ。

これからもHのことなどは書いていくかもしれないが、その時はキリル・カロを連想して頂ければいいかと思う。

あまりにもビックリしたので、思わずどうでもいいことを書いてしまった。

kaz



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ショパンコンクール雑感 

 

ショパンコンクールの動画を見て(聴いて)みる。コンテスタントたちの演奏というものに興味を示す人は、なんとなく「ピアノを弾く人」という気がする。一般の愛好家は、ピアノを弾く人たちと比較すれば、割と冷めた感じなのではないだろうか?どこどこの国の○○という人、いいわぁ・・・みたいな感想は聴くだけの愛好家はあまり持たないような気がする。つまりコンクールの行方というものに熱中する人は、自らもピアノを弾く人たち。

冷静に考えてみれば、コンクールという場で演奏している人たちはコンテスタントなわけで、まだ本格的なピアニストではないという、当たり前のことを考えれば、演奏が未熟でも当然なのだ。

でもコンテスタントたちの演奏は天文学的(?)に上手いとは言える。自らもピアノを弾く人はそこに熱中するのだろうか?

個人的にはショパンコンクールに限らず、コンテスタントたちの演奏に心が動くということは、これまでにもなかった。主観的な問題と言えばそうなのだと思うが、でも興味深いとも思う。演奏が下手であれば心が動かないのも当然だとも思うのだ。「下手じゃ~ん」「ダメじゃ~ん」という演奏ならば、心は動かない。でも表面上は「完璧じゃ~ん」という演奏に対して全く心が動かないのだ。

演奏者と聴き手が完全に分離しているという印象をコンクールでの演奏では受ける。とても達者に弾く人、それに感心する人という分離があるような・・・

優勝者に対し、すぐに完成された芸術家のような売り出し方をするメディアも責任があるように思うが、聴き手も「ワッ、キャッ!」とすぐに飛びついてしまうような?

「これ、話題のデザートなのよ」「まっ、食べなきゃだわ・・・」のようなノリで騒いでしまい、その優勝者を長い目で見ていくという姿勢に欠けるような?そのような人は次の優勝者が現れれば「まっ、聴かなきゃだわ・・・」と新しい才能に飛びつくのだろうか?

お分かりのように、どうも僕はコンクールというもの、そこで繰り広げられる演奏というものが好きではないみたいなのだ。人によって演奏そのものは異なるのは理解できるのだが、どの人も「サラサラ」「パラパラ」「パキパキ」しすぎている印象を持ってしまう。

コンクールというものは、そのようなもの・・・と割り切ればいいのだろうか?

優秀なショパンばかりを聴いていて、とても聴きたくなった演奏がある。フリードマンの演奏。彼の百分の一でもいいから、何かしら僕の心を動かす演奏というものをコンクールという場で求めるのは無理なのだろうか?

「そんなに上手く弾かなくてもいいですから・・・何かしらを聴かせてください」

そんなふうに思ったりする。

このようなショパンを聴きたい!

kaz



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ヨーロッパ人を警戒するヨーロッパ人 

 

「ルームメイト求む」

大学の掲示板で見つけた。大学には寮があったので、そこでも良かったのだが、できれば「最近まで高校生でした」という若者よりは、落ち着いた大人、自分よりも年齢の高い人とのシェアを僕は望んでいた。

「仙人のような人だな・・・」というのが初めてHに会った時の印象。

「日本人ですね・・・」「そうです。アメリカには3年目です。前はボストンにいました」「そうですか・・・ボストン・・・・」「あなたはポーランド人ですね?」

Hはしばらく考えているようであったが、こう言った。「いえ・・・私はユダヤ人なんです」

Hが僕を歓迎したのは、僕が日本人であったという理由が大きかったように思う。「東洋の人、特に日本人はユダヤ人に偏見を持っていませんから。昔からそうだったと聞いています」

たしかに偏見はなかった。ユダヤ人と知っても、「だから?」としか思わなかったし、スラブ的な顔立ちなどはポーランド人ということを特徴づけていたのかもしれないが、僕にとってHは「西洋人」としか思えなかった。Hは「だからいいんだ・・・」などと言っていたが・・・

共に生活を初めてからも、異国の怪しげな香が部屋にたちこめ、Hがユダヤのタルムードを読んでいる・・・などということはなかった。僕はHがユダヤ人であるという意識を持つことなく生活していたように思う。僕はHに対して警戒するということなく生活していたとも言える。彼も同じだったように思う。

「もしシェアしたいという人がオランダ人やフランス人、つまりヨーロッパ人だったら僕は断っていたと思う。君が日本人だから共同生活ができるんだ」

Hはどこかヨーロッパ人を警戒していたようだ。その理由は分からなかったが、しつこく質問するのも躊躇われた。でもユダヤ人であるということと関係していたのは確かだと思う。

「僕はドイツにおけるオーストリア人、世界におけるユダヤ人・・・誰からも歓迎されない」というマーラーの言葉が重く感じられる。

国籍の連帯感よりもユダヤ人としての連帯感のほうが強い、そんなことがあるのだろうか?

あまり話題にならなかったが、5年程前に「黄色い星の子どもたち」という映画が封切られた。僕も新宿まで観に行ったが、3割ほどの入りだっただろうか?この映画はユダヤ人迫害をテーマにしていたが、舞台はパリだ。このようなテーマの映画は、ポーランドやドイツ、ナチスというところばかりが強調されることが多いが、当然フランスにも同じようなことがあったのだ。この映画の原題は「一斉検挙」という。実際に1942年、パリであったヴェル・ディヴ事件をもとにしている。実際にあった話なのだ。

1942年、フランス政府によるユダヤ人狩りがあった。連行されたユダヤ人たちはパリの冬季競輪場(ヴェル・ディヴ)に集められた。一万三千人以上の人々がそこに収容された。その中には四千人以上の子どもたちもいた。まず、大人だけを収容所送りにする。そして残った子どもたちも後から収容所送りにする。この事件の悲惨なところは、親と子どもを無理やり引き離したというところだ。どのような光景だったのかを想像するのは難しいことではない。泣き叫ぶ親子の光景だ。

この時のユダヤ人たちはフランスという国を信じていたとされている。自分たちはユダヤ人であるが、ここはドイツやポーランドではない。ここはパリなのだ。周囲のフランス人もナチスを憎んでいるではないか・・・

パリのユダヤ人たちはパリに裏切られたのだ。そのような哀しい史実がある。

Hがヨーロッパ人を警戒していた理由・・・の一つなのかもしれない。

kaz



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