ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

関わりあい 

 

とても達者なんだけれど、あまり心に響かない演奏というものがある。この場合、理由としては技術不足というものが考えられると思う。

「えっ?あんなによく弾けているのに?技術ではなく表現力不足なのでは?」

表現として聴き手に迫るものを欠いた印象を与えてしまい、かつ「ギラギラと技術が目立ってしまう」という印象になってしまうのは、メカニックをテクニックというものに介して、表現というものに結びつけることができていないからだと感じる。メカニックをテクニックというものに結びつけるという「技術」に不足している。その他の要因もあるとは思うが、僕はバリバリ、サラサラ、サクサク事務処理的な達者な感じの演奏は、まずテクニック不足と感じる。残念ながら、日本のコンクールでの演奏に、このタイプの演奏が実に多いように思う。

聴き手としては、このタイプの演奏に対しては、「関わりあいのない演奏」だと感じる。何故その曲を、その人が演奏しているのか・・・という点において、そこに何の関わり合いも見出せない・・・みたいな?

別に、その曲でなくても良かったのでは?別に、あなたではなく、別のBさんが演奏しても同じだったのでは?変わりはなかったのでは?達者に弾きこなす人は、あなたの他にも山ほどいるわけだしね。

いい演奏と聴き手が感じられる要素、さらに聴き手が求めるものとして、「その人でなければならなかった、そして、その曲でなければならなかった」という、両方の必然性を無意識レベルで聴き手が感じられるという要素は大きいように思う。

聴き手の感覚と、弾き手の感覚が妙に分割していることはないだろうか?聴き手として「あっ、いいな、素敵だな」と感じた要素、感動と言ってもいいのかもしれないが、この部分を自分が弾き手になったとたんに、「別のもの」としていないだろうか?そもそも「その曲を弾きたい」「ピアノを弾きたい」と感じる動機として、聴き手としての感動の部分を分離してしまって成り立つものだろうか?

「わぁ・・・オクターブをあんなに見事に弾いている!!!」という感じ方は、感動ではなく、感心であると思うし・・・

達者な演奏は実に多いのだが、演奏者と曲との間で、関わり合いの感じられる演奏というものは、以外と少ないように思う。

ユーチューブを徘徊していると、この「関わり合い」というものを感じる演奏に出逢うことがある。アマチュアとか、プロであっても世界的にみれば、無名の存在かもしれないような人たちの私的な演奏に以外と多いような気がする。仮面演奏ではないというか・・・

「ああ、この曲である必然性を感じる。そして、あなたが演奏しているという必然性を感じる」という印象・・・

歌のお兄ちゃん、ピアノのお兄ちゃん・・・という感じの二人だが、僕には必然性を感じるのだ。「あなたたちである」必然性、「この曲であった」必然性・・・これを感じる。そして「いい演奏だな・・・」と思うのだ。

kaz



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category: 音楽自立人、音楽自由人

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練習の目的地 

 

言葉だけの問題ならいいのだと思う。でも概念として混同しているとなると話は別のような気はする。

「テクニックだけではなく表現力も大事。当教室ではそこもしっかり指導しています」などという文章はよく目にする。ピアノの先生は、やはりピアノのプロなのであるから、メカニックとテクニックという言葉は基本的には使い分けて欲しいと僕は思う。この場合、テクニックという言葉は、おそらくメカニックという意味で使っているのだと思う。ただ指を動かしてパラパラ弾けるようになるだけではなく、表現力というものも大事にしています・・・という意味となるのであろう。言葉だけの問題なら、読み手が、ああ、テクニック=メカニックという意味で書いているんだな・・・と解釈すればいいだけのことではある。厳密にはメカニックとテクニックは分けられない部分もあるし、重なっている部分もあるしね・・・

テクニックというのは、メカニックを、いかに表現力というものに具体的に結びつけるかということだ。表現力に欠ける演奏というのは、テクニックが不足しているのだ。

「テクニックはあると思うんだけど、どこか一本調子なのよねぇ・・・」という場合、テクニックではなくメカニックという言葉を使うのが本当だろうと思う。テクニックがあれば、演奏は表現力不足とはならないからだ。

概念として混同しているということはないだろうか?ただの言葉の問題ではなく・・・

つまり、技術と表現というものを、どこか分離してしまっていて、「とにかく練習」というものをこなし、「弾けるようになってから」、それなりの「表現力」というものを考えていく・・・という方向性。そもそもピアノの練習というものを、かなり特殊な形で捉えてしまっている人が多いのではあるまいか?

「何故練習するの?」

ピアノの練習をする場合、理想のサウンドというものが自分の中に存在していることが大前提だろう。ピアノの練習とは、本来は、この理想サウンドと実際の自分のサウンドとの距離を縮めていく行為という側面もないだろうか?多くの人が音符(楽譜ではない)を音にしていくこと、それをこなすことを練習だと思っていないだろうか?理想サウンドもなしに、ひたすら反複練習してしまうみたいな?

なんだか目的地も決まっていないのに、走り続けているのと似てない?

教師も表現力というものを、どこか生徒の感受性とか、才能とかという部分に丸投げしすぎていないだろうか?

「どうしたらもっと人を惹きつけることのできるような、表現力豊かな演奏ができるのでしょう?」

「そうねぇ・・・いい音楽、いい演奏を沢山聴いたりするといいと思うわ。絵画を鑑賞したりとか、いい映画を観たりとか、そのようなことかしらぁ?」ごもっともではあるけれど、これでは生徒に丸投げでは?基本的はメカニックというものとテクニックというものの連動、そのノウハウというものを伝授するのがレッスンというものなのでは?

メカニックという純技術的な要素を駆使し、テクニックとして音楽表現というものに結びつけている例、たとえば、このディ・ステファーノの歌唱。この歌は、よくアンコールなどで歌われるが、多くの場合は省略バージョンになっているように思う。このように、きちんと一番、二番と歌っている例は少ないとは思うが、ディ・ステファーノは二番の後半、聴かせどころで「メッザ・ヴォ―チェ」というメカニックを駆使している。この技術を高音で、しかも裏声ではなく、実声で駆使することは至難なことらしい。高らかにフォルテで歌いあげてしまう方が楽なのだ。でもディ・ステファーノは、あえてメッザ・ヴォ―チェというメカニックを使った。これは彼が自分のメカニックを自慢したかったわけではないだろう。そこに、具現化したい理想サウンド、音楽表現というものが彼の中にあり、それを伝えるツールとしてメッザ・ヴォ―チェというメカニックを選択した。当然、テクニックとして音楽表現と一体となっている。

メカニックを、いかに音楽表現というものに結びつけるかというツール、そのものがテクニックなのだ。

ディ・ステファーノのメッザ・ヴォ―チェという「メカニック」と「テクニック」、その両方が幸せな形で連合した音楽表現というものは、この演奏だと5分あたりから体験することができる。

練習するのは、なにかしらの目的に向かうためだ。その目的はパラパラと指が動くようになることではないはずだ。メカニックの練習をするのは何のため?目的地もなく走らされている人もいるのではないだろうか?目的地という概念もなく練習することが習慣となっている人もいるのではないだろうか?

kaz



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category: ピアノ雑感

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鼻血の曲 

 

ターミナルイルネスは別として、できるだけ元気に暮らし、誰にも迷惑をかけずに苦しまずにポックリと死にたい・・・つまり突然死のような死に方を望む人は意外と多い。たとえば、癌のような病になって、死というものを自覚しながら、感じながら生きていくというのは辛いだろうと思うらしい。

たしかに突然死の場合、死ぬ直前までは普通に暮らしていけるわけだし、なんだかんだと自分の死について思うこともないだろうから、そのような意味では気楽な面もあるのかもしれない。でも死への準備というものができないという側面もある。

癌と診断されたからと言って、すぐに死んでしまうわけではない。ある程度の期間は、生きることが許される。その期間が定かではないというところが実に残酷なことなのかもしれない。その期間は半年かもしれないし、30年かもしれない。でも死について、そして残された自分の人生について考える時間は少なくとも与えられる。これは重要なことのように思える。

「本当は自分は何をしたかったのか?」「沢山の友達に囲まれているようだけれど、実は彼らは単なる知り合いだったのでは?本当の友達は厳しい忠告をしてくれる、あの人だけだったのかもしれない・・・」などと、本質を見極めることの大切さを知る期間が癌などの病気を患うと与えられるのだ。

でも、若年性の認知症と診断されたら?この場合は辛いだろうと思う。残された人生そのものを恨むかもしれない。少し前に「アリスのままで」という映画を観た。アリスは若年性の認知症を患うのだ。彼女はこう言う。「癌だったらよかったのに・・・」これは非常に重い言葉だ。アリスは夫に囁く。「もしかしたら私が私でいられる最後の夏かもしれない・・・」夫は泣きながら言うのだ。「そんなこと言うな・・・」と。

それでも突然死というものは辛いな・・・と僕は感じる。準備ができないもん。絶対に後悔しないと言い切れる人生を常日頃から歩んでいると自覚している人はいいけれど、多くの人はそうではないと思うし、何かしらの「やり残し」が残るのではないだろうか?

エットレ・バスティアニーニは癌というものにより、後半の人生においての選択をしてきた人のように思う。彼の生涯は悲劇性ばかりが強調されるが、僕はそのようには感じない。

レナード・ウォーレンというバリトン歌手がいた。バスティアニーニとは活動期間も重なるし、同じバリトン歌手だから、当然レパートリーも重なる。お互いに意識はしていただろうし、そしてお互いに歌手として敬意を感じていたように思う。この二人の場合、たとえば「カラス対テバルディ」のような騒ぎにはならなかった。バスティアニーニはスカラ座の看板スターだったし、ウォーレンはメトの看板スターだった。なので騒ぎにはならなかったのかな・・・などと思う。同じ歌劇場を本拠地としていたら、分からなかっただろうとも思う。

多くのオペラ歌手と同様、ウォーレンも恵まれた音楽一家に生まれたわけではなかった。ロシア系ユダヤ人一家の子どもとして誕生した。一家は毛皮業を営んでいたので、ウォーレンも家業を継いだ。これまた多くのオペラ歌手と同様、周囲が彼の声に驚嘆し、才能を指摘していくのだ。合唱団で歌ったりしていたが、メトのオーディションに受かるのだ。ウォーレンは本格的な声楽の指導を受けてはいない。音楽の専門教育を受けていないのだ。つまり経歴的には素人さん・・・だったのだ。メトは彼のために資金を出し、ウォーレンは給費でイタリアで本格的に声楽を学ぶのだ。ここで思う。メトロポリタン歌劇場には偏見や特権意識というものはなかったのだろうな・・・と。メトはレナード・ウォーレンという才能に賭けたのだ。出身校などに拘る国だったらウォーレンという歌手は誕生していなかったかもしれない。

帰国後はメトの看板スターとして活躍していくことになる。なんとも素晴らしい歌唱であり、素晴らしい声だと思う。

レナード・ウォーレンという歌手は死に方もバスティアニーニとは対照的だ。ウォーレンは突然死だった。たしか脳出血が死因だったと記憶している。彼はメトの舞台で亡くなった。本当に舞台の上で、それもアリアを歌っている最中に亡くなったのだ。まだ48歳、まさに歌手としては絶頂期であったわけだ。歌い盛り・・・

個人的にはバスティアニーニの発症後の歌声を聴くよりも、ウォーレンの歌声を聴く方が辛かったりする。その声には死の影などというものは微塵も感じられない。そこが辛いのだ。

レナード・ウォーレンの歌う歌劇「アンドレア・シェニエ」のアリア、「祖国を裏切る者」

「アンドレア・シェニエ」は典型的なヴェリズモ・オペラだ。なので、そこにはお姫様も王子様も妖精も登場しない。フランス革命期を舞台にした、重厚かつヘビー(同じ意味か?)なオペラだ。初めてこのオペラを聴いた(観たではない)時には、「なんだかベルサイユのバラみたいなオペラだな」と思ったものだ。池田理代子の有名な少女マンガだ。それも前半のベルサイユ宮殿を背景とした、オスカル♥アンドレ♥・・・という部分ではなく、後半のルイ王朝の崩壊、ギロチン・・・といった部分と重なったのだ。

普通、オペラというものは、ソプラノ、テノールに最も華やかで、光の当たるアリアが書かれるのが普通だ。主役は、やはりソプラノ、テノールとなることが多いので当然そうなる。「アンドレア・シェニエ」の場合もそうではあるのだが、主役のシェニエやマッダレーナのアリアよりも、バリトンのジェラールというキャラクターのアリアに最も光が当たっているように個人的には思う。このバリトンのアリア、「祖国を裏切る者」は多くのバリトン歌手にとって憧れなのではないだろうかと思う。

特にアリア後半のメジャーになってからの部分が好きだ。後半2分の部分・・・

ジェラールは革命の申し子。でもそれだけではない複雑なキャラクターだ。後半部分の歌詞もジェラールそのものだ。これはバリトンだからこそ表現できる世界なのではあるまいか?

♪ 正義の心は人々を目覚まし、勝利と苦しみの涙を集め、そして世界に楽園を創りあげるのだ。人々は崇高な神のように口づけと抱擁の輪に愛する人々のすべてを包み込むのだ!!!

この歌詞、このメロディー、そしてウォーレンの声・・・鼻血が出るねぇ・・・

kaz



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category: The Singers

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白紙 

 

ピアノを習うということは階段を徐々に上っていくのに似ている。基本的に、教材なり曲なりは難しいものになっていく。

「~ができるようになりました」「~が弾けるようになりました」

だんだんと上がっていく。

どこか「子どもは白紙」という捉え方がそこには潜んでいないだろうか?

もし子どもが白紙ではないとしたら、今のピアノ教育界において、「その子どもが本来備えているもの」は、どれくらい反映されているのだろうか?反映されていくのだろうか?

kaz



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category: レッスン

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最後の歌 

 

シエナにあるエットレ・バスティアニーニの墓参りはこれで三度目になる。8歳の時に彼の歌声を初めて聴いた時には、非常に驚いたものだ。声の威力というか魅力に。当たり前の事だが、当時の僕にはバスティアニーニという歌手は、とても成熟した男性だと感じた。まぁ。8歳だったわけだから・・・

冷静に考えてみれば、今の僕はバスティアニーニよりも長生きしているわけだ。彼は44歳で亡くなっているので、年齢的なことだけを言えば、バスティアニーニは弟みたいなものだ。それでも僕からしたら、大人・・・という感じではある。対照的に、彼の人生を総括的に考えられる年齢に自分は到達したとも言える。初めてバスティアニーニの伝記を読んだ時には、「この人は薄幸な人だったんだなぁ・・・」という印象を持った。そして人生の分岐点においてのエットレの選択がどこか不可解というか、理解できないところもあった。

でも50歳にもなると、「もしかしたら・・・こういうことだったなかなぁ?」などと思うところはある。

エットレは父親を知らない私生児だったので、少年時代はかなり血気盛んな子どもだったみたいだ。強くならなければ生きてはいけない環境だったのかもしれないね。エットレには息子がいた。非常に若い時にできた子どもだ。イアーゴ・バスティアニーニという。イアーゴは常に問題を起こし、エットレを悩ませる存在であったらしい。何か問題があると、公演先からシエナに駆けつける・・・などということもあったみたいだ。イアーゴは寂しかったのではないかな?父親はオペラ界のスターだったから、常に不在。イアーゴなりに父親の愛情に飢えていたのかもしれない。基本的には親子関係は良好ではなかったみたいだ。少なくとも伝記ではそうなっている。

イアーゴにとっては、父親は自分ではなく、歌を選択したのだ・・・という想いがあったのかもしれない。イアーゴは非常に若くして亡くなっている。親よりも早く死ぬのは親不孝だ。たしか、トラックの下敷きになったと記憶している。でもイアーゴは自分の息子、つまりエットレにとっては孫になるが、息子の名前をこう名付けている。エットレ・バスティアニーニ・・・と。やはりイアーゴは父親を尊敬し愛していたのではないかな?この孫エットレ・バスティアニーニは現在もシエナでご存命だ。

イアーゴになくエットレにあったもの、それは「賭けるもの」ではなかったか?エットレには歌があった。パン工房で働きながら、声を周囲に認められて、「エットレ・・・お前声楽のレッスンを本格的に受けてみないか?」「俺・・・歌が好きだ・・・やってみる」この瞬間にエットレは何かから這い上がったのではなかろうか?

エットレにも幸せになれるかもしれなかった瞬間がある。それは恋人だ。エットレからすれば、まだ少女のような年齢の女性だったらしい。バレリーナだった。初めはこの女性の両親は二人がつきあうことに猛反対だったらしい。年齢差、すでにエットレには子どもがいるという問題もあったのかもしれないが、なにしろエットレはスカラ座のスター。常に女性に囲まれたスターであり、遊び人であるに違いない。娘に対してもそうであるに違いないという思い込みが女性の両親にはあったのかもしれない。

この女性とつきあった僅かな日々はエットレにとって、最も幸せな日々だったのではなかろうか・・・

しかし、エットレはこの女性との婚約を一方的に破棄するのだ。それは癌という病が関係していたのではないかと思う。癌・・・それも歌手にとっては致命的であるとも思える咽頭癌。もしかしたら、癌も二人で乗り越えられたのかもしれない。エットレは孤独の中で死ぬこともなかったのかもしれない。でも何よりも、エットレは歌手だったのだ。最後には歌を選んだ・・・

おそらく、エットレは癌を発症した時に、「自分が歌えなくなった時」「声を失った人生」ということを考えたに違いない。それは想像を絶する壮絶なものになるだろう。この女性を巻き込めない・・・という想いがエットレにはあったのだと思う。これは僕も年齢を重ね、なんとなく理解できるようになった感覚でもある。

癌であることをエットレは最後まで隠し通した。知っていたのはエットレと医師だけだ。自分の喉、声帯を守るため、彼は放射線の治療だけを選択した。自分の命よりも声を優先したのだ。彼は自分の癌が転移し全身に広がることは予想していた・・・そして事実そうなった。

癌の発症は1962年だとされている。その頃から彼の声の威力は失われていったのだろうと思われる。当時の放射線治療では喉の粘膜が失われてしまったとされる。もちろん、声、発声に直接影響したであろう。

エットレは1965年、東京で単独公演を行っている。むろん、東京文化会館の聴衆はエットレが癌であることを知らない。スイスで治療を行った直後であることも知らない。

1965年、東京公演の後、エットレはメトロポリタン歌劇場などで歌い、その後の公演記録は空白になる。この東京での歌声は最後のエットレの声・・・でもあるのだ。歌うことによって痛みを感じ、舞台に立つというだけでも困難であった時期でもある。

冷静に聴けば、全盛期の声ではない。エットレファンにとっては、少々聴くのが辛い歌唱ではある。正直、「エットレの歌はこんなものではない」という想いがある。同時に「これはエットレ・バスティアニーニそのものだ」とも感じる。この東京公演の一年半後、エットレ・バスティアニーニは44年の生涯を閉じることになる。

壮絶で崇高なる歌人生・・・という感じではあるが、エットレは人間だった。たしかに存在した人間。愛犬のザーボが死んだときには、人前で、楽屋で泣き続けた・・・そういう人間だったのだ。

シエナの墓石にはこのような墓碑銘が書かれている。

「エットレ・バスティアニーニ   栄光を得、哀しみを知り、愛されることを知り、君は一つ以上の生を生きた」



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category: 未分類

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ユートピア 

 

マリオ・フラングーリスという歌手そのものを僕は今まで知らなかったので、彼がクラシックの楽壇からどのような評価をされているのかも知らない。そもそも評価をされる対象でさえあるのか疑問ですらある。

クロスオーバー的な活躍をしている人は、彼の他にもいるけれど、概してクラシック界からは冷たい視線というか、無視すらされていることもあるのではないだろうかと思う。そのような意味の文章も沢山存在しているみたいだ。

「クラシックがまともに歌えないから他のジャンルの曲も歌うのだ」
「本格的なクラシックの歌手とは、むろん比較はできないが・・・」
「器用なのは認めるが・・・」

まぁ、そのような歌手や演奏家も存在しているのだろうが、どうも、そのような評価は固まった思考という気もする。クラシックの演奏家が、たまにポップスやジャズを「お遊び」で演奏するのなら許せるが・・・みたいな固まった考え。そこにはクラシック音楽だけが崇高で、他の大衆音楽は無価値なものであるというニュアンスさえ感じられたりもする。こうなると、もはやそれは正当な評価ではなく偏見でさえあるとも言えるのでは?

マリオ・フラングーリスは子ども時代にはヴァイオリンを習っていたらしい。だが歌に目覚める。彼の歌手としての最初のキャリアはミュージカルだったようだ。そして彼の才能を認めたマリリン・ホーンの紹介により、アルフレード・クラウスに師事することになる。マリリン・ホーンを動かしたというところが凄いと僕などは思うが、クラウスの教えを授かったというのも、これまた凄いよな。ニューヨークのジュリアード音楽院にその後留学をしている。基本的にはクラシック路線の修業をしてきた人ではある。

クロスオーバー的な活動をするようになったのには、彼のルックスも影響しているのかもしれないが、彼自身が音楽をカテゴライズしなかったということもあるのではないかと思う。クラシック=崇高、大衆音楽=軽薄、邪道・・・とは捉えなかった。音楽は音楽だろう?音楽には二種類しかない。いい音楽と悪い音楽、演奏も同じだ。いい演奏と、そうではない演奏に区別される。ただそれだけで、ジャンルによる区別、差別は彼の中には存在しなかったのではないだろうか?

マリオ・フラングーリスがクルト・ヴァイルの「ユーカリ」を歌っている。クルト・ヴァイルの曲そのものが、特にアメリカに渡った後のものは、どこかクロスオーバー的な感触があるのではないかと思う。そもそもクルト・ヴァイルの歌曲なんて、あまり歌われないのでは?特殊な趣味の人が興味を示す特殊な歌みたいな?声楽専攻の音大生でさえ、あまり(滅多に)歌わないような気がする。

クルト・ヴァイルは多くの曲を残しているので、なんとなく長生きしているような気もするのだが、彼は50歳で亡くなっている。ドイツの作曲家であり、ドイツ時代の作品は、どこか「ブゾーニのお弟子さんですね?」的な難渋さも感じられるが、アメリカ時代のものは、どこかキャッチ―さが加わっている。キャッチ―とは言っても、世紀末的な退廃ムードが漂っているところが魅力だ。

クルト・ヴァイルはユダヤ人であったから、ドイツ時代はナチスの迫害、演奏会への妨害などもあった。結局はドイツを捨てなければならなかった人だ。でもユダヤ人としての誇りは捨てなかったのではないかな?そのあたりもアメリカ時代の作品には色濃く反映されているような気がして僕は惹かれる。

「ユーカリ」というのは人類にとってのユートピアのような架空の孤島の名前だ。その島には人間の持つ差別や迫害などというものは一切ない理想の島。夢のような島。でもこの歌の最後は、「そんな島があるわけないじゃないか・・・」という言葉で終わる。胸の痛くなるような歌ではある。タンゴのリズム・・・というところも非常に哀しいね。

クロスオーバー的なクルト・ヴァイルの「ユーカリ」をクロス・オーバー的な活動をするギリシャ人が歌う・・・なんとも素敵なことだと僕は思う。

演奏には二種類のカテゴライズしかない。いい演奏と悪い演奏・・・

ピアノブログを徘徊する人にとってはクルト・ヴァイルは馴染みのある作曲家であるとは言えないだろうと思う。紹介できるのが、なんとなく嬉しい・・・

kaz



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category: Mario Frangoulis

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地中海の男 

 

車の中の静謐で繊細な歌声が僕の心を捉えた。それは音楽や演奏に魅せられる時の常で、一瞬の出来事であり、そして理屈で解釈できるものではなかった。

「これ・・・誰が歌っているの?」
「マリオ・・・マリオ・フラングーリスだ。まさか、知らないとでも?」

僕は知らなかった。ギリシャ出身の歌手のようだ。基本はポップス系のような感じもするが、いわゆるクロスオーバー的な存在の歌手らしい。外見は熱き地中海男そのものだが、歌は繊細だねぇ・・・

彼の歌い方は、クラシック音楽を勉強、変な言い方だな、ピアノを習っている人にも大いに参考になるのではないかと思う。発声そのものというよりは、発音(言葉のディクションという意味ではなく、ピアノでの打鍵のような意味の)が常にコントロールされているところが参考になる。声を出すまえに準備があるんだよね。そして狙って、コントロールして発音・・・

これはピアノの打鍵において、鍵盤の上での一瞬の指の用意が、その人なりの音、そして表現を作り上げていくのと非常に似ているように思う。豊かな表現というものは、技術的なスキルと一対になっているものなのだ。「技術」と「表現力」というものは別個に存在しているものではない。この熱き地中海男の歌い方は非常に参考になるような気がする。

kaz



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category: Mario Frangoulis

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セピア色への回帰 

 

旅していて楽しいのは、新しいパフォーマーを知ること。今の時代、情報が溢れかえっているようだけれど、日本では無名で、海外では評価されている人というものはいるものだ。ジョージ・ぺリスという歌手も僕は全く知らなかった。ギリシャとフランスの血が混ざった人のようで、最初はギリシャを中心にヨーロッパでローカル的な人気を持つ歌手だったようだけれど、今ではラテン系ヨーロッパと、特にカナダ、アメリカでの人気が高いようだ。日本でも有名で、僕だけ知らなかったという可能性もあるけれど、でも日本語で彼の事を検索してもヒットしないので、やはり日本での知名度は高くはないのだと思う。

彼の歌を聴いて感じたのは「ああ・・・熱き地中海男だな・・・」ということ。血が熱いというか?あとは人々は回帰を求めているのかもしれないということ。

いつ頃からだろう?人の声よりも、打ち込み音中心のような曲が増え、そのようなパフォーマンスを繰り広げる人が売れるようになったのは?80年代頃から?個人的には、いつのまにかそうなっていたという感じがするけれど・・・

また人々はメロディーを求め始めているのかもしれない。でも、もう美しいメロディーは出尽くしてしまった感もある。頭に浮かぶ、美しいメロディー・・・最近の曲であるだろうか?思いつかない。なので、回帰するのだ。カバーアルバムが今の時代売れるのは、人々が回帰を求めているからなのかもしれない。ジョージ・ぺリスの歌声を聴きながら、そんなことを思う。

クラシックの世界では、少し状況は異なる。クラシック・・・なわけだから、昔の曲を演奏するのが普通なわけで、そこがポップス界などとは異なると思う。でもクラシック音楽の聴衆も回帰を求めているのかもしれない。それは曲そのものにではなく、演奏に対して。

今の主流の、売れている演奏は、とても整っているという印象を持つ。研磨されすぎてツルツルとした印象だ。ヘマもしないし、よく考えられているし、上手い。でもツルツルなんだよねぇ。精密な研究の結果を聴かされているような?練習の成果を聴かされているような?

もっと熱きものが聴きたい、もっと人間そのもののような演奏を聴きたい、たとえばコルトーのような・・・

熱き地中海男・・・ジョージ・ぺリスの歌、編曲もルックスも「今風・・・」だけれど、そこに回帰を感じる。定められた打ち込み音に自分を合わせるのではなく、内側から湧き出るものに忠実な歌い方というか・・・

「これが主流よ!」「今の時代の正統派はこうよ!」というもの、人々は細胞レベルで、そのようなものから離脱し、過去に回帰しているのではないだろうか?美しかった時代へ・・・

kaz



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71歳の新郎 

 

シカゴの「素直になれなくて」が日本でもヒットしたのは僕が高校生の頃だったと記憶している。何よりもピーター・セテラの透明なハイトーンヴォイスが印象的だったし、歌詞にも惹かれた。

高校生の頃、「素直になれなくて」の歌詞、そのままの自分がいた。「ごめんね」が言えない。「好きなんだ」も言えない。でも「君を幸せにしてみせる」みたいな強い気持ちもあって・・・

「抱きしめて欲しい」という気持ちもあった。でも、そんなこと相手には伝えられなかった。歌詞そのままだねぇ・・・

あれから幾光年、自分は変わったのだろうか?達観した?いや、変わっていないなと思う。50になっても10代のままの自分がいる。「いいじゃないか」と思う。恥ずかしいことか?あの時の「好きだ」という気持ちは偽りだったのか?

恋ではなかった。あれは愛だったと思う。恋とは自分本位のもの。愛とは相手本位のもの・・・それぐらいは当時から理解していた。

「守ってみせる」「ただ抱きしめて欲しい」・・・ただその言葉を相手に言えなかっただけだ。今だって言えないさ。素直になんかなれないさ・・・

成長とは常識を身にまとっていくことではないだろう。「大人なんだから・・・」「30歳らしく、40歳らしく、50歳らしく・・・」こんな考えからフリーになろう。70歳になったら茶の間でほうじ茶でも飲むか?

またまたスティーブ・ジョブスの言葉。

「愛する相手に想いを伝えたいとする。でもライバルがいる。君のライバルが愛する相手に10本のバラを贈った。君はどうする?15本のバラを贈ろうと思った時点で君の負けなんだ」

世の中に溢れている「ノウハウ」というもの、それは、いかに15本を贈るかのノウハウだ。こうすればライバルよりも5本も多くできますよ、こうすれば20本にできますよ・・・みたいな。

ジョブスはこう続ける。

「どうすればいい?相手の気持ちに忠実になるんだ。相手が何を求めているのか?それを考えるんだ。ライバルが何をしたかなんて関係ないんだ」

多くの人は「いかに多くのバラが贈れるようになったか」を成長の基準にする。そして自分は大人になったと思う。本当は「相手が何を望んでいるかを見極める」ということが重要なのだ。それが成長の証・・・

バラの本数を気にしていると、70歳になったら、冴えない色の服を着て、とげぬき地蔵をお参りして、せんべいをかじる・・・それが「70歳らしい生き方」となっていくだろう。

もしかして、自分は子どもの頃から変わっていない?いいじゃぁないか・・・と思う。いつまでも子どもでいいじゃないか?70歳でも誰かを愛することができて、「抱きしめたい」「守ってあげたい」と思えれば素敵じゃないか?そして70歳になっても「素直になれなくて」でいいじゃないか?

「素直になれなくて」・・・やはりピーター・セテラの声の印象が強いが、今回は、あえてバリー・マニロウのバージョン。このバリー・マニロウの「素直になれなくて」もいいなと思う。完全にバリーの世界だ。

バリー・マニロウも今年72歳。彼は昨年結婚している。法的な手続きをしたわけではなく、結婚式をしただけなので、正式な結婚ではないのかもしれないが、結婚指輪もしているし、世間に公表したことにはなる。相手は30年近くバリーのマネージャーとして彼を支えてきたギャリ―・リーフという人だ。彼も60代の後半という年齢だったと思う。そう、つまり同性婚なわけだ。そしてそのことが話題となりがちだが、僕は71歳の新郎(新婦???)ということが素敵だな、素晴らしいな・・・と思う。

僕は、ほうじ茶と饅頭よりは、「好きだ・・・離さない!君を幸せにしてみせる!」という70歳のほうがいいと思うな。

kaz



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自分から自分への誕生日プレゼント 

 

友人であるルカと再会。イタリアでは彼と行動を共にする。ソレント出身のアマチュアのギタリストで、以前にもこのブログに登場している。彼の運転する車でナポリ地方をドライブ。車の中で聴く音楽は、もちろんナポレターナとなる。セルジオ・ブルーニも、僕の大好きなクラウディオ・ビルラもいいけれど、今回はジジ・フィニーツィオを聴いている。彼は僕と同じ齢なのだ。少しだけ彼の方がお兄さんになるけれど。

ジジ・フィニーツィオの歌声を聴くと、いかに自分がこれまで固定観念に捉われていたかを痛感する。ここではナポレターナもイタリア―ナも一緒くたにしてカンツォーネとしてしまうが、どうもカンツォーネというと、オペラ歌手が朗々と声を張り上げ、一点の曇りもなく、明るく歌うものという思い込みがある。たとえば、パヴァロッティが歌う「オ・ソレ・ミオ」のようなイメージ?カンツォーネだから、歌詞も明るいのであろう、豊かな自然を讃えるとか、愛を高らかに歌い上げる曲ばかりなのであろうと・・・

ああ・・・固定観念。

フランスのシャンソン・・・お洒落に、時にはアンニュイな気分で愛を囁く・・・

イタリアのカンツォーネ・・・明るい太陽、愛を高らかに歌い上げる・・・

ああ・・・固定観念。

50歳の誕生日プレゼント、自分から自分への誕生日プレゼント、それは固定観念をなくし、もう一度青春時代に(精神だけ!)戻ること。年齢を重ねると、経験と知識の積み重ねで賢くなるのが普通なのかもしれないが、固定観念だけ固まっていってしまい、だんだんと愚かになっていくような気もする。自分に喝!・・・という感じかな?

教育というものも、道を誤ると、だんだんと生徒が愚かになっていくこともあるのではないかな?指導者は気づかないだろうが。固定観念を植えつけ、「~は~あるべき」というものに当てはめようとしてしまう。ピアノもそう。上達していると思っているのは生徒と指導者だけで、実は固定観念によって、音楽や弾き方がガチガチに固まっていたりして・・・

「フリーになろう!!!」というメッセージを自分に贈ろうと思う。青春時代まで逆走し、柔軟さを取り戻すのだ。愚かになってもいい。

今までもスティーブ・ジョブスの言葉は好きだった。今まで心に刻んでいた言葉は「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?」というもの。自分へのプレゼントとして、新たにジョブスの言葉を心に刻もうと思う。

「泣きたい時は泣けばいい。笑いたい時は笑えばいい。自分を隠して生きたって楽しくないだろう?」

「ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ」

「常識とは凡人が仲良く生きるためのルールだ」

「他人の意見で自分の本当の心の声を消してはならない。自分の直感を信じる勇気を持とう」

「自分がクオリティの基準となれ」

ジジ・フィニーツィオが歌っているのは「あなたに口づけを」というナポレターナ。もしかしたら、張り上げ系の歌唱ではなく、こちらが本当のナポレターナなのかもしれない。


「あなたに口づけを」  (大雑把、かつ省略した訳詩)

あなたに口づけをしたい
でも勇気がない
僕は眠りたい あなたの吐息のとなりで・・・

あなたの心臓を感じる
眠っている・・・でも、あなたは誰のことを夢見ているのだろう?
嫉妬が僕の病んだ心を苦しめる

僕のことを夢見ているのかい?
違うんだろう?
他の男のことを夢見ているんだろう?
そうなんだろう?


明るい太陽を朗らかに・・・というよりは、情念そのものではないか?

ルカは、この歌詞はイタリア男そのものだね・・・などと言う。

kaz



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天国への扉 

 

アグスティン・バリオスはサン・ファン・バウティスタという街で生まれた。首都のアスンシオンはともかく、日本人が観光で訪れるような街ではないような?一応パラグアイのミシオネス県というところの県庁所在地ではあるのだ。

「えっ?ここ?」

なんだか道中、ひたすら平原・・・とか、ひたすらジャングル・・・のような景色ばかりだったので、「本当に街はあるのか?」と心配になる頃、ある村・・・というか集落に着いた。

「ここみたいだね?」「えっ?ここ?」

一応、カフェもある。「えっ?ここの人口?そうねぇ・・・一万人ぐらいかしらぁ?」とカフェの人は言う。

バリオスが首都アスンシオンを目指したのも分かる気がした。アスンシオンでギターを学びながら、さらに大きな世界をバリオスが憧れたのも分かる気がした。バリオスは多くの国を渡り歩いた。流浪の人であったのだ。最も長く暮らしたのはブラジルだ。ヨーロッパにも一度滞在しているが、生涯のほとんどを中南米で過ごした。パラグアイ、ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ・・・

晩年は中米のエルサルバドルでギターを教えながら静かに暮らしていたらしい。流浪の人ゆえ、何の名誉もまとわずに、静かにこの世を去ったのだ。

「僕は中世の吟遊詩人の兄弟だ。栄光と絶望の中でロマンティックな熱情に苦しんだ吟遊詩人の兄弟なのだ」  アグスティン・バリオス

流浪の人であるからこそ、故郷パラグアイ、自身がパラグアイ人であることに誇りを持っていた。バリオスはパラグアイの多くの人がそうであるように、先住民グァラニー族の血を受け継いでいる。そのことにも誇りを感じていた。バリオスは、自分の名前をアグスティン・バリオス・マンゴレと名乗るようになった。「マンゴレ」とはグァラニー族の伝説の酋長の名前なのだそうだ。

少年バリオスが歩いたであろう道を歩く。見たであろう風景を見る。当時とそう変わらない風景がサン・ファン・バウティスタという街には残っている。どこか取り残された街なのかもしれない。

「どうして一片の空で満足してしまうの?」・・・この想いは島国日本に住む僕も抱いていた感情だ。もっと大きな空が、大きな世界があるに違いない・・・そう想っていたし、自分の人生を振り返ってみると、実際にそうであったとも思う。

アグスティン・バリオス・マンゴレの遺作が「最後のトレモロ」という曲だ。この曲を書いた時には、バリオスの健康状態も相当悪かったらしい。バリオスの家に毎日のように訪れてくる物乞いの老婆がいた。この老婆はいつもいつも同じ言葉をバリオスに囁いた。

「Una limosna por el amor de Dios」

「神様の愛情に免じて、どうかお恵みを・・・」

老婆の口調が最後の曲に結びついた。それが「最後のトレモロ」という曲になった。

バリオスは「最後のトレモロ」を書くことによって、自らも役目も終えたのだ。そして天国の扉を叩いたのだ。

kaz



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パラグアイ漂流 

 

誰でもそうだと思うが、旅行はツアーよりも個人旅行が好きだ。一人ではなくても、親しい友人と旅行するとかね。でもこの場合、様々な手配を自分ですることになる。ヨーロッパや北米ならともかく、そのような意味で自信のない地域というものもある。南米もそうだった。僕にとってはアジア地域もそのような地域となる。一人でブータンとかインドとか、ちょっと勇気はない。

アルゼンチンでは全くの一人だったけれど、ブラジルではパウロがいたので心強かった。ブラジル旅行中にも迷っていたのだが、実は訪れてみたい国があった。せっかく地球の裏側まで来たのだ。この機会を逃したら、もう訪れることもないだろう・・・そう思った。もちろん、日本からも飛行機で訪れることは可能な国だが、乗り継ぎ乗り継ぎで40時間以上かかるのだ。

「行ってみたい国があるんだぁ・・・」
「遠いの?」
「ここ(ブラジル)からは近いと思う。隣の国だし・・・」
「行ってみようよ。僕からの誕生日プレゼントだ」

・・・ということで訪れたパラグアイ。全くの一人だったら、ちょっと勇気がなかったなぁ・・・パラグアイ

首都のアスンシオン、なんとも鄙びた雰囲気だ。むろん一国の首都なので、一応(?)高層ビルなども存在するが、リオデジャネイロやブエノスアイレスと比較すると「田舎???」的な印象を持ってしまう。パラグアイは日本よりも広い。アスンシオンはパラグアイでは大都会だが、人口は50万人ほどなのだそうだ。ちなみに僕が住んでいる世田谷区の人口は90万人ほど・・・

「ああ・・・この街でアグスティン・バリオスはギターを学んだのか・・・」と胸が一杯になる。バリオスはこの地でギターの他に文学や哲学も学んだのだそうだ。作曲は、ほぼ独学であったようだ。

街を歩くのが好きだ。ただ歩き回るのが好き。おそらくバリオスが見たであろう風景を僕も今見ている・・・そう感じながらアスンシオンの街を歩く。

現在ではバリオスのギター曲は多くのギタリストに愛奏されているが、長い間彼の作品は知られていなかった。忘れられた存在だった。彼の生きた時代の流れからすると、彼の作品は随分とロマンティックだっただろうし、感じ方によっては時代遅れとも受け取られたのかもしれない。○○賞などというものにも無縁だったようだし。バリオスの無欲さも彼の作品が知られなかった理由だと思う。300曲以上の作品を書いたとされるが、書き上げると、すぐに友人や弟子たちに楽譜を渡してしまったらしい。自分の作品をまとめて出版するということもしなかったらしい。

バリオスは1944年に50代で亡くなっている。50代の僕としては、なんとも痛い感じだ。志し半ばだったのかもしれないな・・・と。

バリオスの作品が注目されるようになったのは、ジョン・ウィリアムスが70年代にバリオスだけの作品のレコードを発表してからではないだろうか?多くの人が「こんなに美しい作品が埋もれていたなんて・・・」と思ったのではないだろうか?

ジョン・ウィリアムスはアグスティン・バリオスについて、こう語っている。

「ラテン・アメリカは長い間文化的にヨーロッパに服従する姿勢をとってきた。何世紀もの植民地化の結果だ。それはヨーロッパ側にもラテン・アメリカの文化、特に大衆文化を見下す態度となって表れていた。バリオス自身、そして彼の作品もそのようなことから過小評価され、ラテン・アメリカ以外の地域では無名の存在だった。しかし20世紀も後半になると、西欧中心主義の偏狭さが取り沙汰されるされるようになり、同時にラテン・アメリカ固有の文化にも目が向けられるようになっていった。バリオス作品は音楽を愛する世界中のすべての人々の心を動かすことによって、この動きに参加しているのである」

パラグアイ、その首都アスンシオンでの第一印象、それは物売りが静かだということ。路上などで物を売る物売りがリオデジャネイロでは煩いぐらいだった。それが子どもだったりもするので、なんとなく複雑な心境にもなったりしたが、アスンシオンの物売り、それは刺繍された布だったり食べ物だったり民芸品だったりするのだが、何も言わないのだ。「どう?買っていきなよ?安いよ!」などと商売しないのだ。商売上手とは言えない感じだ。ただニコニコして座っているだけなんだもん。他人事ながら「売れてないじゃ~ん」などとも思う。完成した楽譜をすぐに渡してしまったバリオスみたいだな・・・とも思った。

バリオスの代表作は「大聖堂」ではないだろうか?割とギター曲にしては大作なのではないだろうかと思う。三部構成となっている。演奏しているのはジョン・ウィリアムス。

kaz



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「トゥクマンの月」 

 

今はイタリアにいる。南米での日々は緊張感があったのだろうか?そのような自覚はなかったが・・・

相当疲れているみたいで友人も心配する。「何があったんだ?」

何もなかった。危ないこともなかったし。ブラジルではパウロも一緒だったし。でも緊張していたんだねぇ・・・

昔から訪れてみたい街があった。アルゼンチンのトゥクマンという街だ。ブエノスアイレスのような大都会ならまだしも、トゥクマンは地方都市だ。観光で訪れる日本人など少ないだろう。

トゥクマンは、何の変哲もない、普通の街だった。観光するような名所、旧跡などもないしね。ただただ街を歩きたかった。砂糖キビ栽培で有名なところらしい。砂糖でも買うか???

飛行機のチケットやら何やらはブエノスアイレスの旅行会社で調達した。

「日本人?トゥクマン?Why???」などと旅行会社の人は驚く。

トゥクマンに到着した時には、「世界の果てまで来てしまったな・・・」と思った。普通の街・・・平凡な街・・・でも僕にとっては心の憧れの街だった。もし訪れなかったとしたら、死ぬ時に後悔するだろうな・・・とも思った。「トゥクマンの月・・・見たかったな」と。

「母を訪ねて三千里」という童話(?)があった。主人公マルコ少年が母親と再会する街、それがトゥクマンなのだ。またフォロクローレ歌手、メルセデス・ソーサが生まれた街でもある。

「トゥクマンの月」・・・アタウアルパ・ユパンキの代表曲だ。ユパンキはトゥクマンの生まれではないが、幼い時から成人までトゥクマンで育った。ユパンキはファン・ペロンの独裁政権を嫌った。彼の歌は反体制的と判断されたようだ。ユパンキは亡命のような形でアルゼンチンを去ることになる。

ユパンキの歌、弾き語りのギター・・・なんとも素朴な感じだ。でもそれは表だけだ。内面が見えてしまうと辛くなるような歌でもある。人間ならば誰でも抱えているような辛さを代弁してくれている。

ホテルの部屋から月が見えた。トゥクマンの月だね。自分は本当に来たんだね。トゥクマンに・・・

ずっと月を見ていた。途中から雲に隠れて見えなくなった。朝まで空を見ていた・・・



「トゥクマンの月」   アタウアルパ・ユパンキ

僕が月に歌うのは月が美しく輝いているからじゃない
月は僕の人生を共に歩いてくれた友達だから歌うのさ
お前は雲に隠れて僕を迷わせるときもある
だけど雲から顔を出してくれたときは歌おう
愛するトゥクマンの月に
孤独の月よ・・・

お前と僕は似た身の上じゃないか・・・




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見えないライン 

 

「私は天才よ!さぁ・・・私の演奏をお聴き!」

もちろん、このような態度、心構えでは周囲から人は誰もいなくなるであろう。そう、謙虚であれ!これは大事。

でも残念だなと思うこともある。謙虚であるのは素晴らしいことだとは思うが、自分の能力を自分で限定してしまって、そこから動こうとする覇気に欠ける場合、これは謙虚と表現していいものかどうか・・・

「まだまだ初心者なのでぇ・・・」「才能ある上級者さんたちやプロと自分は違うのでぇ・・・」「それはもっと上達してからの問題ですね、今の私にはそんな高尚なことは関係ない」このような文章を読むと哀しくなったりはする。アマチュアのピアノ弾きの文章に多いように思う。

僕は時々お叱りの厳しい意見を頂くことがある。ピアノの先生たちからだ。「アマチュアですよね?人を惹きつける演奏とか言ってますけど、そんなことは厳しい修行に耐えた専門家だけが口にできること。素人が言うべきことではない」みたいな意見?

僕は思う。厳しい修行に耐えて、ある線を越えたら、できる・・・超えなかったらできない、このラインって存在するのだろうか?それは何処?どのあたり?

「私なんかアマチュアで、まだまだなんですけどぉ・・・」とか「初心者なので、そんなこところは目指せないんですけどぉ・・・」みたいなことを常に言っていれば、とりあえずは安心だ。少なくとも、僕みたいに攻撃されることはない。でも自分の能力を低めに限定してしまって、そこで安住してしまうのって、謙虚というよりは、どこか怠慢なような気もする。以前は僕も言っていたし、書いていた。「アマチュアなのですが・・・」とか「素人がそんなことを目指すなんて、どうかとも自分で思うのですが・・・」みたいに。

ラインは存在しない・・・と僕は思う。やるか、やらないか・・・

これは人生も同じなのだ。重要なのは、やるか、やらないか・・・なのだ。できるか、できないか・・・ではない。人は死ぬ時に必ず思うことがある。後悔することと言ってもいい。それは「失敗したこと」でも「恥をかいた」ことでもなく、ただひとつ、「やらなかったこと」なのだ。多くの人が死ぬ前にそのように言っている。ピアノも同じなのではないかな?

「まっ、もう少し上達してから・・・」

できる、できないじゃない。やるか、やらないか・・・だ。初級も上級もないのだ。そのようなライン、カテゴライズは存在しない。

人の演奏に魅せられた。自分もそのようなものに触れたい・・・そして実際にそのようなことを念頭に入れて練習する。これは初級だろうと、アマチュアだろうと、関係ない。ピアノを習う目的にも近いものではないだろうか?

「プロではないのでぇ・・・」

そりゃそうだ。できなくてもいい。でも逃げていたら後悔するね。「どうして自分はやらなかったのだろう?」とね。

僕はこのユーチューブの人の演奏が大好きだ。南米のピアノ曲も多くアップしてくれていて、とても嬉しい。彼が演奏しているのは、ミニョーネの街角のワルツ、第8番。この8番は技術的には比較的に容易なのではないかと思う。ショパンのワルツだったら、10番とか12番みたいな感じ?

この人の演奏は「垣根を感じない」ところが好きだ。ストレートに自分の内側にある憧れを表現している。このような演奏は、上達してからとか、指が動くようになってから・・・などと思っていては絶対にできない。ピアノは、やるか、やらないか・・・だから。

素人はこうあるべき、音大生はこう、プロはこう・・・とラインは設定する人にはミニョーネの曲は難しかろうと思う。

kaz



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街角のワルツ 

 

小学生でも中学年、高学年になれば、たとえ「趣味で~す」というピアノでも、ロマン派の本格的な技術作品に取り組むことは充分可能だと思うし、そうなっていなければおかしい・・・というか、そうでないと生徒が可哀そうな感じもする。もちろん、ピアノを始める年齢とか、生徒が大器晩成型(?)であるとか、一概には語れないところもあるだろうし、そもそも「趣味」と「音大コース」などと分けてしまうことそのものに疑問を感じるとか、いろいろあるが、ここではそれは語るまい。

教材から作品への移行、それもロマン派・・・となると、ショパンのワルツからというパターンも多いような気がしている。とても素敵なことだと思うけれど、このような時に、南米の作品も候補に入れてみるといいのではないかと思う。

ショパンのワルツに取り組むことが可能な生徒ならば、ミニョーネのワルツも弾けるのではないかと思う。読譜はショパンのワルツよりも容易なのではないだろうか?むろん曲にもよるが・・・

南米の作品をレッスンに組み入れるとして、難しい問題がある。それは楽譜の入手が非常に難しいケースもあるということだ。日本版で手に入らないと、まず入手困難なのではないかと思う。アルゼンチンなりメキシコなり、ブラジルなり、南米の国の出版社とピアノの先生がスペイン語やポルトガル語で直接交渉・・・というのは考えにくい。パソコンでダウンロードという手もあるにはあるが・・・

幸いなことに、最近は日本の楽譜も増えてきたように思う。ミニョーネの「街角のワルツ 全12曲」も音楽之友社の楽譜がある。個人的に大好きな曲集なのでお勧めなのだが、お勧めの理由は他にもある。南米の曲というと、どうも「ズンドコズンドコ・・・」のような、ジャングルの奥地のリズムとか、サンバ!!!のような強烈なリズムを連想しがちで、そこが強調されすぎているようにも感じる。南米=陽気=リズム・・・みたいな?でも、もう一つの魅力が南米の曲にはあるように思う。

それは、ヨーロッパへの憧れ・・・というもの。音楽にしても、街並みにしても、強烈なまでのヨーロッパへの憧憬が南米の国には存在しているように思う。なので、南米の曲には大まかには「リズム系」と「憧憬系」に分類されるのではないかと思う。この「憧憬系」の曲を、是非是非レッスン室にも普及させていって欲しい。ショパンのワルツもいい。メンデルスゾーンの無言歌集もいい。「愛の夢」も素敵だ。同じようにミニョーネの「街角のワルツ」も素敵なのだ・・・

街角のワルツ・・・最も有名なのは2番らしい。たしかに魅力的な曲で、他の楽器でも編曲版が演奏されたりしている。でも個人的に最も好きなのは、7番。特に中間部の旋律は人類が生みだしたメロディーの中で、最も美しいものの一つとさえ思えるほどだ。罪なまでに美しい、そして哀しい・・・

ミニョーネの街角のワルツ、発表会などで演奏すると効果的だと思う。

kaz



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「ヒロシマの薔薇」・・・地球の裏側で 

 

「でも、この曲だったら日本人でも知っているんじゃないか?」とパウロが囁くように、ある歌を歌いだした。僕は、その歌を聴いたことがなかった。

「知ってるだろ?」

僕は正直に知らないと答えた。

「ということは、多くの日本人が、この歌を知らないということなんだろうか?」

この問いには答えられなかった。でも日本では知られていない曲なのかなぁ・・・などとも思った。僕だけが知らないのかもしれないけれど・・・でもネイ・マトグロッソという歌手そのものが日本では知られていないのだから、やはり多くの日本人、ほとんどの日本人は知らないのかもしれない。そうパウロに答える。

「そうなんだ・・・」

その曲はネイ・マトグロッソが歌って大ヒットした曲で、ブラジルでは知らない人はいないぐらい、誰でも歌える曲なのだそうだ。歌詞はブラジルの教科書にも載っているらしい。

作詞はヴィニシウス・ヂ・モライスという人。たしかこの人は有名な「イパネマの娘」の作詞者だったと記憶している。

地球の裏側で歌い継がれている歌がある。そのことを日本人は知らない。曲そのものを知らない・・・

複雑な心境だ。

パウロが暗記していたポルトガル語の歌詞を英訳してくれた。僕がその英訳を日本語にしてみた。なので、オリジナルとは少し表現が異なるかもしれない。いくら誰でも歌える曲とはいえ、パウロが歌詞を正確に暗記しているとは限らないしね。でも僕は、地球の裏側で歌われている曲を日本に伝えたいと思った。どうしても・・・


「ヒロシマの薔薇」   詞:ヴィニシウス・ヂ・モライス  歌唱:ネイ・マトグロッソ

音を失い テレパシーで話をする子どもたち・・・
光を失い、目でものをみることのできなくなった、形が崩れた少女たち・・・
人生を奪われた女たち・・・
燃えるような紅いバラの傷を持った人たち・・・

彼らのことを考えて

忘れちゃいけないじゃないか・・・忘れるんじゃない!

薔薇のことを  ヒロシマの薔薇  受け継がれる薔薇のことを・・・
歓びも、幸せも、すべて奪いつくし、破壊してゆく放射能の薔薇のことを・・・

色がない  香りもない
薔薇なんかではない
何もない  ありえない

あってはならないんだ・・・



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category: 秘曲

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ブラジルの吟遊詩人 

 

音楽のジャンルを問わず、世界的な人気を誇る歌手、演奏家がいる。反対に、その国では名は知られているが、世界的には無名の人もいる。ほとんどの人は、こちらにカテゴライズされるのではないだろうか?

その国だけ・・・というローカル的な人気ではなく、外国にも名前は知れ渡っているが、何故か日本では有名にならない人もいる。「う~ん、これは・・・日本人には絶対受け入れられないだろうなぁ・・・日本で人気が出るということはないだろうなぁ・・・」みたいな人。

ブラジルの国民的人気歌手、ネイ・マトグロッソという歌手も、そのような人の中の一人だろうと思う。ブラジルのフレディ・マーキュリーなどとも呼ばれたりする。とにかく個性的だ。ブラジル的濃さに溢れている。

この人、ブラジルでは知らない人はいないという歌手みたいだ。歌も声も個性的だが、やはり舞台衣装が・・・

現在、70歳をとっくに過ぎているみたいなのだが、さらにビジュアル的要素も現在進行形であるらしい。多くのマトグロッソの動画は、彼が60代くらいのもの・・・ということになる。とにかく若い・・・というか凄い。元気・・・というか・・・

アブレウの、日本人でも知っている曲を歌っているので、この動画でブラジルの吟遊詩人(?)ネイ・マトグロッソを紹介しようと思うが、これでも彼のパフォーマンスとしては「非常におとなしい」部類に入る。他のはもっと濃い。

衣装も舞台構成も、なにもかも自分でプロデュースするらしいが、日本だったら多くの人がひいてしまうかもしれないね。

でも忘れられないような強烈な印象を与えるのではないかとも思う。

個人的にはネイ・マトグロッソ・・・大好きだねぇ・・・

kaz



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category: 音楽自立人、音楽自由人

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男も衣装 

 

前にも書いた記憶があるのだが、女性は本当にいいな・・・と思う。人前での演奏でドレスを着られるから。サークルでも練習会では普段着でも(それでもオシャレ系、モード系多し)演奏会となれば、ドレス着用率はグンと上がる。

別にドレスが着たいわけではないのだ。非日常感覚を味わえるのと、遊べるのではないかというところが羨ましいのだ。演奏する曲などによって、ドレスの色やデザインを考えたり選んだりするのは、相当楽しいことのように思えるのだ。

「ラテン系の曲を弾くの。赤いドレスはどうかしら?」みたいな・・・

男は、その点選択肢が少ないように思う。燕尾服というのは、小さな演奏会では着ることもないし、僕は持ってもいないが、燕尾服でないとなると、黒系のスーツに限定されてしまうようなところがある。つまらないなぁ・・・と思う。

無難な黒スーツでなければ、黒のズボンにシャツ?この場合、シャツの色で遊べるかもしれない。フランク・ブラレイが日本で演奏した時には、赤系のシャツに黒スーツと、とてもお洒落さんだった。さすがフランス人?スティーヴン・ハフも特注(オーダーメイドと言うのか?)の服を舞台で着るので、素敵だなと思う。ブランド物で攻めるのがティボーデ。ヴェルサーチが眩しい?演奏はそうでもないけれど(?)、舞台姿はアムランも素敵だな・・・などと思う。

でも一般的には男の舞台服、勝負服(?)は「喪服ですか?」みたいな色だよなぁ・・・と思う。

何と言うか、曲の雰囲気などで「遊びたい」と思ったりするのだ。女性がドレスを選ぶ時のように、色なども豊富だったらいいのに・・・と。

アルゼンチンやブラジルに限らず、ヨーロッパ、特にイタリアなどでも感じるのだが、男性も原色の鮮やかな服を着こなす。黄色とか紫とか。年配の男性など素敵だと思うし、年齢が高くなるほど色が鮮やかになっていくようで、とてもいいと思う。

この動画の人はニコラス・スパノスというカウンターテナーの人なのだが、ピアニストも含めて、衣装が素敵だな・・・と思う。完璧に「サティの世界」になっている。舞台の風船も背景もサティしていて、なんだか微笑ましい。素敵だ。

ちなみに、スパノスはギリシャ人・・・

なるほどねぇ・・・

kaz



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オデオン 

 

今さら祝うような年齢でもないのだが、数日前に誕生日を迎えた。50歳というのは微妙な年齢だろうと思う。自分の誕生日を忘れていたわけではなかったが、待ち望んでいたわけでもなかった。日本からもお祝いメールを頂いたりした。個別に返信するのは今は難しいので、この場でお礼を言いたい。ありがとう・・・

年を重ねた喜び(悲しみ?)よりも、「50歳まで生きることができたんだ!」という想いが非常に強い。

いつもは、目覚めると年齢が増えていた・・・という感じだったのだが、記念すべき(?)50代の始まりはブラジルのリオデジャネイロで始めることができた。つまり、半日の時差があるので、こちらではお昼過ぎという時間帯に年齢を重ねる瞬間が来る。

「僕らの世代へようこそ!」などと言うパウロと50歳の誕生日を祝った。彼はランチを御馳走してくれた。まぁ、たいした額でもないのだが、このようなことはとても嬉しい。食事後、リオの街をぶらつく。50年前に僕がこの世に生れ出た瞬間、その時間に、ある映画館に辿り着いた。オデオン座という旧市街にある映画館だ。映画を観たかったのではない。建物を眺めたかったのだ。自分の生まれた時間にオデオン座の前に佇んだのは、これは偶然だろうか?偶然とも思えないような気がしている。

「ああ・・・この映画館の待合室で100年前にヴィラ=ロボスが、そしてナザレ―がピアノを弾いていたんだ。ミヨーがナザレ―の演奏を聴きに、この映画館を訪れたのだ」などと感慨深くなる。ナザレ―は、このオデオン座に育てられたのかもしれないな・・・などとも思う。

ナザレ―の曲は非常にキャッチ―だ。音楽院などで専門的に学んだわけでもないし、ヨーロッパに留学したわけでもない。作品の構成は複雑ではない。キャッチ―なメロディーと強烈なリズム・・・つまり、とても聴きやすい。そのためか専門筋(?)からは高い評価は得ていないようにも思う。特種な趣味を持つ人が弾く、特殊な音楽的扱いが非常に残念だ。

ナザレ―の曲はピアノの発表会などでも演奏されることがあるのではないだろうか?日本版の楽譜も出版されている。キャッチ―で明るい曲・・・それがナザレ―の曲。深刻な感じはしない。

明るい・・・そうなのだが、ナザレ―の明るさは、哀しみをまとった明るさのような気がしている。哀しみを積み重ねていくと、明るさを表面にまとい、哀しみを忘れたくなるのだ。「哀しんでも解決しない。生きていかなければならないのだったら、哀しみを笑い飛ばすしかないだろう?そうしなければ呼吸だってできないだろう?だから陽気に笑うのさ・・・」

ナザレ―は聴覚を徐々に失っていった。また家族も失った。精神が破綻したのは、そのためだったのかもしれないね。精神科の病院から抜け出した。行方不明になった。数日後、ナザレ―の遺体が見つかった。溺死だった・・・

ナザレ―の曲は笑っているとは思えない。楽しさを表面にまとっている・・・

ナザレ―の曲で、日本でも有名で時折演奏されているのが「オデオン」という曲だろう。そう、このオデオン座のことだ。

元はピアノ曲だと思うのだが、この動画はマンドリン。これもいいね・・・

演奏しているのはリオデジャネイロ生まれのジャコー・ド・バンドリンという人。ショーロ・バンドリンの第一人者なのだそうだ。「バンドリン」とはポルトガル語でマンドリンのこと。彼は様々な職業に就きながらバンドリンを演奏していたそうだ。苦労人だったということは顔を見れば分かる。

人は本当に辛い時には笑うのかもしれない・・・

kaz



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リオのショパン 

 

リオデジャネイロにはショパンの像がある。ブラジルとショパン・・・なんとなく以外な感じでもあるが、リオのショパンは苦しげに瞑想しているというよりは、力強く立っている・・・という雰囲気を醸し出している。

リオのショパン像は、1944年に建てられている。その頃、ポーランドでは何が起こっていたのか、そのことを考えると胸が痛くなるようだ。当時、ブラジルに暮らすポーランド移民たちによって建てられたのだそうだ。リオのショパンは、祖国ポーランドの方向を見つめている。

リオのショパン像は「青白きショパン」ではなく、「躍動する力のショパン」であるような印象を受ける。この像を見て、あるブラジル人のショパンを連想した。ネルソン・フレイレのショパン。それも最近の演奏ではなく、フレイレが若かりし頃のショパン・・・

kaz



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アリア 

 

頭と指との連動は比較的やりやすいのかもしれない。難曲を弾きこなす人は多いから。アマチュアでも弾ける人は弾けるしね。むろん、音大生でも弾ける人は弾けるだろう。

脳、耳、というのかな、そこと指との連動は困難だ。呼吸とか、響きの弾き分けとか・・・

よく「テクニックはあるけど表現力に乏しい」とか言うけど、テクニックがあれば表現力に富んだ演奏になるのだと思う。なんとなく表面上はバリバリと弾いているという印象になるのは、テクニックが足りないから・・・

テクニックにしても、メカニックにしても、恐ろしいほどの修練を重ねなければ達成できないものなのだろう。達成・・・なんてないのかも。基礎が身につく前にピアノ人生が終わってしまったりして・・・

でも頑張るしかないよねぇ・・・

ここで考える。メカニックにしても、テクニックにしても、そして必死にピアノ奏法の基礎を追うのは何のため?

「そこに山があるから・・・」「憧れの曲を弾きこなしたいから・・・」

そうだとも思うが、それだけではないだろうとも思う。もし、自分の意思によってメカニカル、テクニカルなものが上達しても、そもそも自分の中に表出すべきものがなかったら?空っぽだったら?あまりにも長い道のり、厳しい道のりなので、ついつい空っぽの中身については放置してしまう。本来の目的を達成すべき手段であるものを追い続け、そこが目的化してしまう。やるべきことは沢山あるしね。

「一生懸命練習してきました。沢山練習しました。弾けるようになってきたかも・・・でも何を表現すべきか、中身がスカスカだから出しようがない・・・分からない・・・」

こうなると不幸かもしれないな・・・などと思ったりもする。

僕は個人的には、ピアノ教育に携わる人で、あまりにも「感性」とか「心」とか「感情」などの言葉をレッスンでテンコ盛りにする人は、あまり信用できない。「歌って・・・」とだけしか言わない人は、もはや先生とさえ言えないと思う。ピアノのレッスンには具体性が何よりも必要だと思うから。

「もっと歌って・・・」

ではどうしたら?どのような具体的な方法により、歌えるようになるのか、歌っているように聴こえるのか、非常に具体的な情報を生徒にも理解しやすいように伝えられる人が僕は先生だと思う。

もちろんピアノを弾くとか、演奏というものは芸術なのだろうが、レッスンという場は「お芸術」とか「感動で心を豊かに」とか、そのようなものではなく、どちらかと言えば、「物理」とか「医学」のような感覚に近いような?具体的に伝授できる先生のレッスンでは、高尚なるアート的雰囲気言葉は飛び交わないような気がする。

難しいのは、演奏というものは、基本的に他者との関わりというものがあるのが普通だ。自分だけでも楽しめるけれど、基本的には聴いている人が存在する。レッスン室や自宅では「光が差し込んでいるような・・・」とか「天使が歌っているみたいに・・・」などという曖昧な世界を夢見ているだけでは、ピアノは上達しないし、なによりも「具体的奏法」のような具象的なものが重要だと思う。でも人はその「具体的奏法」というものの完成度とか達成度が聴きたいわけではない。「ああ、今の部分の○○筋の動かし方が絶妙だわ、なんて素晴らしい・・・」などという聴き方はしない。むしろ、聴いている人は、「光が差し込んでいるような・・・」とか「天使の歌」みたいなものを感じたかったりするのでは???

演奏者が地道に追っている具体性そのものは、聴き手は直接それを求めないというか・・・

クラシック音楽を敬遠する人は多い。クラシック離れ・・・結構深刻な問題らしい。その理由としては、作品そのものが難しいからというものが今までは普通だったように思う。演奏は追及されなかった。クラシック音楽に疎い人でも、演奏が上手なことは分かるのだ。下手ではないと。とても達者に立派に演奏しているということは分かる。感じる。だから感銘を受けないと、作品に責があると思う。もしくは聴いている自分に責があるように思う。「とてもよく弾いているじゃない?」「自分のような者には高尚なクラシックなんて分からない」

達者で立派な演奏は多い。下手な演奏のほうが少ないくらいだ。みんな本当によく弾く。でもそれが目的?よく弾ける・・・というのは、何かの手段のような気がする。目的ではない・・・でも演奏者はそこを目的としてしまって気づかない。

演奏者の求めているもの、追っているものと、聴衆が求めているものとのズレが生じていないだろうか?

夜中にツラツラと綴っているので、我ながら、まとまりのない文章のように思う。僕は何を言いたいのだろう???

パウロはアラ・マリキアンの演奏をスペインで聴いたのだそうだ。演奏会そのものも刺激的で楽しいものだったけれど、そして驚いたけれど、最も感銘を受けたのは最後の曲だったのだそうだ。いつもマリキアンがそうするのかは分からないが、パウロが聴いた演奏会では、最後の曲でマリキアンが舞台から客席に降りて、スタンディングオベイションの客席、通路を歩きながら演奏したのだそうだ。人々の笑顔、スマホで動画や写真を撮る人、フラッシュの光、ざわめき・・・

普通のクラシックの演奏では、あまり遭遇しない風景であったと・・・

聴衆は演奏者に拍手をする、演奏者も聴衆に拍手をする・・・そこには距離というものが一切なく、完全なる調和があったのだそうだ。完全なる演奏者と音楽と聴衆との一体感が・・・

kaz



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勤勉であり品行方正であり・・・ 

 

パウロに限らず、外国人と音楽について会話をしていると、彼らは僕がある演奏家について当然知っているだろうということを前提として話しているようなことがある。その演奏家を知らないと僕が言うと、決まった反応がある。「ああ、そうか・・・君は日本人だったね?」みたいな・・・

日本人である僕としては、彼らのこの反応は面白くはない。通常は個人と個人との会話というのが基本で、そのぶんには違和感は感じないのだが、ちょっとした時に、個人の枠を超えて、○○人だったね・・・みたいなカテゴライズになってしまう。でも考えてみれば、これは僕も彼らに対して持っている感覚だ。イタリア人とか、ブラジル人という国籍、正確にはそこから受ける勝手なイメージを無意識に彼らに対して抱いていたりもする。

パウロが僕が知っているという前提で話題にした演奏家、ヴァイオリニストのアラ・マリキアンという人だ。知ってます?僕は知らなかった。後でイタリア人の友人にメールで訊いてみたら、彼もマリキアンのことを知っていた。「ヨーロッパでは凄い人気だよ」と。

「ああ、そうか、君は日本人だったね・・・」というパウロの反応は日本が極東の地だから知らないのだろうというよりは、マリキアンのような演奏家は、君たち日本人には許しがたいものがあるに違いない、そのような感じを僕は受けた。言葉を変えると、僕たちが抱いている日本人というイメージとマリキアンのような演奏家は重なるところがない・・・という感じ?

パウロが抱いている日本人のイメージ、「勤勉」「品行方正」「伝統を重んじる」「喜怒哀楽を出さない」「本心を出さないサムライ」「冒険心よりは安定志向」というもの。当たっている部分もあるかな・・・というのが僕の感想だ。

もしかしたら僕は典型的な日本人なのではないのかもしれないし、もっと簡単に表現すれば、少し(凄く?)変わった人なのかもしれないが、個人的にはアラ・マリキアン・・・大好きだと思った。でもどうだろう?一般的な日本人には彼のようなパフォーマンスは受けるのだろうか?日本人はマリキアンを受け入れるのだろうか?そこはちょっと自信はない。

アラ・マリキアンはアルメニア系のレバノン人みたいだ。中央ヨーロッパ出身ではないが、修業はドイツとイギリスで行っているし、彼の師たちも「へぇ・・・そうなんだ」という人たちばかりだ。普通にコンクールにも優勝していて、最初は彼も燕尾服を着てコンチェルトなどを弾く普通の(???)演奏家だった。日本にも来日しているみたいだ。普通の演奏家として・・・

いつからマリキアンが現在のような「弾けたヴァイオリニスト」に変身したのかは定かではないが、彼自身、普通の演奏家として活動していた時に、ふと感じた疑問、不満があったみたいだ。「聴衆から暖かい拍手をもらう。もちろん素晴らしい瞬間だ。でも、僕は聴衆ともっと一体になりたかった。演奏が終わった瞬間、お辞儀をしている瞬間だけでなくね。試行錯誤して、現在のような形でパフォーマンスをするようになった。かつて感じていた聴衆との溝みたいなものが埋まった気もする。何より自分が楽しいのさ・・・」

マリキアンはスペイン在住で、スペインを拠点に活躍しているみたいだ。ラテンの血が騒ぐのだろうか、やはりラテン系の国での人気が高いらしい。

さて、マリキアン、日本では受けるだろうか?日本の楽壇は彼を受け入れるだろうか?

kaz



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きょうは・・・ 

 

終戦の日ですねぇ・・・



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「エル・システマ」・・・音楽は光だから 

 

南米ベネズエラ発祥の「エル・システマ」は、世界的な広がりを見せたが、主に南米諸国など貧富の差の激しい国を中心に広まっていったようにも思う。

貧民層の子どもたちに無償で楽器を貸与し、小さな音楽教室のようなところで楽器を教える。そしてオーケストラがいくつもできる。日本の音楽教室とは比較にならないくらいに、粗末な楽器、環境・・・だったのかもしれない。

最初は託児所のような役割をも担っていたのかもしれない。学校へもろくに通えない貧民層の子どもたち、放置し、悪の道に染まるよりは、同じものを共有する仲間と過ごした方が何倍も安全・・・みたいな。銃声や叫び声ではなく、楽器の音と共に成長していく・・・

楽器に触れ、音が出せるようになっていく・・・もうそれだけで楽しいだろうと思う。「こんなに楽しい世界があっただなんて・・・」そう子どもたちは感じたのかもしれない。

貧民層の子どもたちだ。音大に行くとか、留学するとか、コンクールに出るとか、いわゆる日本的思考であるところの「専門的に学ぶ」という意識は指導者にも子どもたちにもなかっただろうと思う。「エル・システマ」のオーケストラ、いくつも存在するが、聴いてまず驚くのは、卓越した技術を備えているということだ。「趣味だから楽しく学べれば・・・」だけでは、こうはならない。少なくとも、貧民層の子どもの演奏というイメージからは大きく離れる演奏だ。

これには厳しい南米諸国の現実というものが関係しているようにも思う。もし挫折し、音楽から離れてしまったら?また、あの現実の世界に引き戻されることになる。レイプされ泣き叫ぶ声、人が殺される銃声の音・・・

何歳だろうと、それは身に染みた現実だったのではなかったか・・・

生死の分かれ目、大袈裟ではなく、音楽がそのような役割を担ったのだ。音楽という一筋の光を子どもたちは追った・・・

しっかりとした技術を身につけることによって、自分たちオーケストラの演奏が、自分たちだけではなく、聴いている人の心をも動かすという音楽の力を知るのだ。

「自分の演奏、自分がやってきたこと、自分が頑張ってきたことが、人を、他人を動かしたのだ」

この感覚は、自己を肯定していくことにつながっていく。自分が生まれてきた意味、呼吸をして生きているという意味を知る・・・

「自分は底辺の虫けらではないのだ。人間なのだ・・・」

音楽にそこまでの力はあるのか?あるだろう・・・絶対にあるはずだ。

この「エル・システマ」の方向性は、物質的に恵まれた日本のピアノ教室にも充分に転用できるものと僕は思う。

専門的に学ぶ、あるいは趣味なので楽しく・・・もし、この二つしかないのだとしたら、それは本当の貧しさだと僕は思う。

kaz



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ファヴェーラ 

 

ブラジルに限らずだが、南米の国々は貧富の差が激しいらしい。日本に住んでいると、皆が中流・・・みたいな意識だが、ここではその感覚はないらしい。

リオデジャネイロは明るい雰囲気の街だ。あまり治安の悪さは感じない。人々は笑いさざめき歩いていく・・・

「あれは何?」

街を歩いていると、目立つものがある。丘に無秩序に浸食されていったような小屋のような建物が見える。このような地区をファヴェーラと言う。いわゆる貧民街だ。特にリオのファヴェーラは街の中心部、観光の中心地からも目立つので、とても有名らしい。

パウロも「あのような場所には絶対に足を踏み入れてはいけない。命の保証はできない」などと言う。リオにはたくさんのファヴェーラがあって、ツアーなどもあるという。車からは下りないで・・・という条件付きのツアーらしい。でもどうなのだろう?貧民街であれ、どこであれ、人が住んでいる地域なのだ。動物園ではないのだ。基本的に見物、観光するべき場所ではないように僕は思う。

パウロはサンパウロの出身だ。リオよりも、さらに規模の大きなブラジル一の大都会なのだそうだ。サンパウロにも当然、ファヴェーラがあり、パウロは子供の頃、ファベーラ地区の子と学校で友達だったのだそうだ。でもその子は突然学校に来なくなってしまったと・・・

銃弾の音、人が襲われる時の叫び声、人々の悲鳴、そのような音に囲まれてその子は育った。母親が耳をふさぐ。「ダメ、聞いてはいけないよ」と。でも、それが日常の音となっていった。

学校に通うということは、その友達も、家族も這い上がるのに必死だったのだろうと。でも来なくなってしまった。日本のように、非行とか、そのようなレベルではなく、ギャング組織や売春、麻薬が日常的な地域でもあるのだ。這い上がれなければ、それは死を意味したのではないかとパウロは言う。

海岸を歩き、カクテルを飲む。夕焼けがきれいだ。僕は「光」の部分を満喫している。

丘のファヴェーラにも夕陽があたる。情景としてはとても美しい。そこにも人の人生があるのだな・・・と思う。喜びや哀しみが普通に存在しているんだろうな・・・と思う。

パウロと話していて感じたことがあった。これはブラジル人に限ったことではないのかもしれないが、南米の人は生まれながらに「光と闇」という概念を感じつつ生きてきた、そして生きているのではないかと。それがサウダージという感覚になるのではないかと・・・

それが音楽やその他の芸術にも反映されているのではないかと・・・

光、そして闇・・・

kaz



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「サウダージの国へようこそ!」 

 

「本当に来たんだねぇ・・・サウダージの国へようこそ」

そうパウロ(仮名)は言った。パウロとは長年の友達というわけではない。以前イタリアのシエナに旅行した時に知り合ったブラジル人だ。同じホテルに滞在していて、僅か数室のホテルだったから、顔を合わせる機会も多く、お互いに気も合い、シエナでの行動を共にしたりした。

「ブラジル・・・世界一美しい国だよ。いつか訪れてきなよ。案内するから・・・」

空港でパウロの姿を見たときには、心底ホッとした。「本当に来てくれたんだ」と。まぁ、彼も同じ思いだったのかもしれない。

アルゼンチンでは単独行動だった。言葉が通じなかったが、それも旅の楽しみの一つだ。ブラジルはスペイン語ではなく、ポルトガル語になる。僕にとっては、どちらも理解不能な言語だから、「だから何?」という感じだが、やはりポルトガル語堪能な人と行動を共にできるのは、行動範囲も広がり、とても嬉しい。

ブラジルは治安が良くないらしい。普通に観光している分には心配ないらしいのだが、殺人は日本の34倍、強盗は日本の315倍・・・などというデータに少し固まったりもする。

「喜び、快楽と死や絶望と隣り合わせの国なんだ。だから美しい・・・」などと意味不明なことをパウロは言う。さらに固まる。

サウダージ・・・外国語に訳すのが難しい言葉、概念らしい。哀しみ、望郷、失った愛を想う気持ち、僅かな希望・・・どれも当てはまるが、ズバリと言い当てる言葉も外国語にはないというか・・・

「そうだなぁ・・・後悔というか、懺悔というか、光と闇を浮遊するというか、なんとも説明しにくいな・・・言葉では説明しにくいものなんだ、音楽みたいにね・・・」とパウロは言う。

彼は、ある曲を口ずさむ。ヴィラ=ロボスの「メロディア・センチメンタル」・・・

「ブラジル人だったら誰でも知っている曲だ。この曲はサウダージそのものだね。ブラジルの魂そのものだね。この曲も言葉で説明できない感じだろう?だからサウダージなんだ」

「本当によく来てくれた。サウダージの国へようこそ・・・」

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忠実に・・・何に? 

 

パリゾッティ版の「イタリア歌曲集」は声楽の初歩の生徒だけではなく、偉大な歌手たちも演奏会などで歌ってきたように思う。僕が実際に聴いた演奏会では、ベルガンサとカバリエの歌唱が素晴らしく、最近の録音ではバルトリのものが斬新だと思う。でも彼女たちは、バロック様式に忠実に・・・というよりは、完全にロマンティックな曲として表現していたように思う。というか、パリゾッティ版を使用することそのものが、ロマン的な解釈の肯定でもあったのだろう。僕は、あまりバロック的とか、演奏をそのような観点で捉えられないので、単純に素敵だなと思うのだが、そうは感じない人もいるのだろう。

「ショパンだったらそれでもいいんだけど、これはバッハだから・・・」

この観点でカバリエやベルガンサ、バルトリの歌唱を聴いたとしたら、こうなると思う。「ドニゼッティやトスティだったらこれでもいいんだけど、これはバロックの曲だから・・・」と。

「私はこの歌唱は好きではない」という、好みということであれば分かるのだが、でも「素敵なんだけど、時代的表現が異なるので・・・」という感じ方は、その人の好みということの他にも、何かしらのものがあるような気はする。

たしかに、「ロマン派の化け物」のようなバロック時代の曲の演奏もあるし、そのような演奏は、僕も醜悪だと感じる。でも、この場合、僕は「解釈」以前の技術的な稚拙さによるもの、あるいは、その稚拙さを隠すためにそうなる演奏のように思う。この種の演奏は「ロマン的解釈」とは呼べないと思う。

パリゾッティ版の「イタリア歌曲集」は声楽専門の人ではなくても、たとえば音大の副科声楽で何曲か歌ったりとか、伴奏をしたりとか、割とピアノの先生にもお馴染みの存在なのではなかろうかと思う。この曲集の中にペルゴレージの「もし貴方がわたしを愛してくれて」という曲がある。聴けば「ああ・・・この曲」と思う人も多いかもしれない。実は、この曲はペルゴレージの作ではなく、パリゾッティ自身の作品なのだ。長い間、ずっとペルゴレージの作品だと思われていたのだ。

ペルゴレージ:1710~1736(26歳で亡くなった?)
パリゾッティ:1853~1913

パリゾッティは長年埋もれていたルネサンスからバロックの作品、それはオペラのアリアだったり、カンタータだったりしたのだが、それをロマンティックなピアノ伴奏の編曲により、復活させた。そして、そのロマン的バロック曲集が「イタリア歌曲集」として歌い継がれてきた。パリゾッティ版を糾弾する人は、オリジナルに忠実ではないところを突くのであろう。

「これはバロックではない・・・」と。

僕の大好きなスキーパの歌唱による「もし貴方がわたしを愛してくれて」を貼りつけてみた。完璧にロマン的歌唱である。しかも僕の大好きなスキーパ節も満載だ。なんて素敵な歌い方なんだろう。1939年の録音だ。バリバリのロマン方向の歌唱。

「とても素敵な歌唱なんだけど、これが例えばトスティだったらいいと思うのよ?でもこれはペルゴレージでしょ?」

このように感じる、あるいは評価する人は、この曲が実はパリゾッティ作品だと知った時に、その「バロック的じゃないのよね・・・」という感じ方を変えるのだろうか?そのあたりを僕は知りたい。

kaz



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昭和和製タンゴ 

 

叔母が亡くなったとのことだ。今回の旅は長丁場になるし、叔母は癌の末期でもあったので、日本を発つ直前に会って少しだけ話をした。

叔母は、昭和を生きた人だったように思う。むろん、昭和に生まれれば、誰でも昭和に生きたことになるが・・・

生涯独身を貫いた人だった。仕事に生きた人。叔母は美容師だった。ようやく、日本も復興し始めた1950年代に銀座に美容室を出した。独立したのだ。

とても小さな美容室だった。なんとなく僕も覚えている。あの独特の匂いというか・・・

一般の女性の髪もカットしたりしていたのかもしれないが、主に銀座のホステスが主な顧客だったようだ。朝早くから夜まで働いていたらしい。自分の店だけではなく、芝居の劇場、明治座とか、帝国劇場とか、そのような場所に出張し、舞台女優の髪を結ったりもしていた。叔母の鏡台には、僕でも知っている女優たちと叔母が移っている写真が沢山飾ってあった。

ホステスも含め、いわゆる「舞台で映える髪」が専門だったのだ。

「旅行?いいわね・・・どこに?」

「南米とイタリアなんだ・・・」

「いいわね・・・南米・・・もしかしてアルゼンチンにも?」

「うん・・・最初に訪れる・・・」

「そう・・・」

叔母は遠い目をした。

「もしかして藤沢嵐子って知ってる?」

「う~ん、名前は聞いたことがあるような感じだな。歌手?」

「そう、昔の人なのに、よく知っているじゃない?彼女は私の店の顧客だったのよ・・・」

「そうなんだ・・・」

叔母が亡くなったとのメールを読んだ時、むろん叔母のことを想った。そして和製タンゴ歌手、藤沢嵐子のことを話したのが最後の会話となったことも思い出した。

僕はブエノスアイレスで藤沢嵐子の歌声を初めて聴いた。もちろんパソコンでだ・・・

和製タンゴ・・・どうせ「なんちゃってタンゴなのだろう」・・・という偏見が僕にあった。

彼女の歌を初めて聴いて、昭和のタンゴだな、昭和の歌だな・・・と感じだ。

昭和人は強い・・・と思う。そして平成人よりも憧れを持っていたな・・・とも思う。

これは「憧れの歌」だ。そのように感じる。

kaz



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レッスン室的バロック 

 

バロック期の音楽を、どのように捉えるか、個々の解釈などということ以前に、ごくごく初歩の、あるいは中級の入り口程度の段階で生徒がレッスン室で、具体的にどのようにバロック音楽を伝えてもらうかということが、まず最初の分かれ道のように思う。

ピアノの場合、本格的にバロック音楽と対面し、つきあっていくのは、やはりバッハの「インヴェンションとシンフォニア」からであろう。この時期に背中に物差しをあてたようなバッハを教師から強要されてしまうと、なんとなくバッハって退屈、とかツマラナイ・・・ということになってしまうこともあるのではないかと思う。そうなると、生徒にとっては、30曲というのは、かなりヘビーな感覚を持ってしまうだろうとも思う。教師がもし、「テーマをしっかり出して」ぐらいのことしか言わなかったとしたら、そりゃあ、30曲は辛いだろう・・・と思う。この時期にどう指導するか、されるかが分かれ道なのかもしれない。

声楽の場合、ピアノなどの器楽と異なり、本格的に取り組み始める年齢が高めなので、とても羨ましく感じることがある。せいぜい若くても高校生ぐらいから・・・というのが一般的なのでは?ピアノの場合、ほとんどの生徒が辞めちゃっているという年齢で本格的なことが始められる特殊分野なのかもしれないな。

「コンコーネ」なども、ある程度進むと、おそらく教師から言われるのだと思う。「イタリア歌曲の○○○をやりましょう」と。これは一般的、かつ王道的な声楽レッスンの進み方だろうとも思う。イタリア歌曲・・・と呼ばれるけれど、相当数のオペラのアリアもそこには含まれている。ピアノだとバッハがまず王道だろうが、声楽の場合はイタリアン・バロックの曲たちが王道になる。

正直、僕はここが羨ましい。個人的にはバッハの曲よりも、イタリア~ンのバロックが好きだから。初歩の初歩の段階で、この種の曲に触れられるなんて、なんて羨ましい・・・

むろん、この段階の生徒は、まだまだ「ベルカント開発中」のような人が多いだろうし、初めてイタリア語に触れる人たちだろうから、開発途中の、ある意味、未熟な発声で、対訳は読んで、ある程度の大まかな歌詞内容は知ってはいても、イタリア語がペラペラな人以外は、必死に発音や言葉の意味を調べ、お経のように歌っていくのであろう。時にはカタカナなどもふったりして。それでも旋律の美しい曲が「イタリア歌曲集」には満載で、心から、いいなぁ・・・と思う。

声楽の場合、ピアノと比較すると、感情露出というのだろうか、切々と人間感情を発露していくことを、初期の段階から厭わないような感じがする。むしろ、求められる?そのあたりも羨ましい感じだ。

多くの場合、「イタリア歌曲集」の楽譜はパリゾッティ版が使用されるのだと思う。この版は、オリジナル主義、あるいは音楽学(?)的には、大変に流行遅れ、時代錯誤的な版なのかもしれない。コテコテのロマンティック方向の版だからだ。パリゾッティ版は、そもそもピアノ伴奏2段譜で書かれているわけだから、厳格な原典主義の人からは許せないような版なのかもしれない。ピアノの場合、版の選択というのは、かなり厳しく求められているはずだ。そのような意味では、声楽の初歩レッスンで一般的に使用されるパリゾッティ版「イタリア歌曲集」は大雑把なのかもしれない。

でも、「今求められているもの」という教師側、そして生徒側のニーズには合っているのだと思う。なので、ピアノにおけるバッハの楽譜のように「~版を!!」と声高く言われないのだと思う。初歩声楽で求められているのは、様式感ではなく、発声とか、イタリア語で歌うということ、そのものに焦点が当てられているのでは?第一、ピアノ伴奏をするのは、声楽教師であることがほとんどであろう。「忠実な原典版を・・・」となったとすると、声楽教師は一段譜、通奏低音をリアライズして弾かなければならない。その時期にそれが必要?成すべきことはそれ?

声楽を習い始めて、「イタリア歌曲集」をレッスンで歌う、ごくごく初歩の段階、それでも、このような曲を歌ってしまうのだ。

当時の最先端音楽・・・という気もする。人々は、この旋律に涙したのだ。技巧的な曲では聴衆も盛り上がり、歓声があがる。歌手によっては、失神する聴衆もいたりして・・・

バロック音楽は、本来は、かなり生々しい、自由な、そして革新的な音楽だったのではないだろうか?それは博物館的なものではなく、埃をかぶった遺品的なものでもなく、生き生きとしていた。人間感情そのものでもあった・・・

声楽のレッスン室が少し羨ましい・・・

kaz



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ピアノで表現するバッハ 

 

時々ピアノ教師の方からブログに書いた内容についてメールを頂く。ピアノ教育に関することを書いた時には、その数は、とても多くなるが、バッハの演奏についての文章に対してもメールがあった。

僕が素人なので、相手も意見を言いやすいのだろうか?そうなのだろう。メールを読むと、僕自身ピアノの専門教育を受けていない素人ならではの悔しさも感じたりするが、こうも思う。ピアノ教師の方たちの本音もそこには書かれているのだろうと。相手が素人・・・ということで気が緩むのだろうか、書きやすいのだろうか、ピアノ教師ブログには書かれないようなことも、メールでは読むことができる。  

メールの全文を紹介する気もないが、気になったところだけ書いていきたい。このようにメールには書かれていた。

まず、バッハやバロック期の作品を演奏する際には、輪郭を明確に表現するために、タッチも深めに鍵盤の底まで叩くように(そう表現されていた)弾くのが望ましい。基本的にはレガートではなく、ノンレガートで演奏する。当時の楽器には、現代のピアノのペダル(ダンパーペダル)の働きはなかったのだから、当時の楽器の響きにできるだけ近づけるような表現が望ましい。もちろん、指だけでは音が切れてしまう個所もあるので、そのような箇所だけペダルを使用する。その場合でも最小限に、控えめに使用する。まずは生徒(さん)に様式感を感じてもらうことが大切。バロックの音楽とは、このようなものであると。レッスンではチェンバロのCDを聴かせ、イメージを持ってもらい、その響きをピアノで再現させるように努力している。

まず僕が感じたのは、だったら何故ピアノでバッハを弾くのだろうということ。最初からチェンバロで弾けばいいではないか?さらにタッチを深めに・・・というところ。ピアノ演奏ではタッチは「一律に深く」ではなく「微妙、かつ絶妙なコントロールポイント内で弾く」ということが大切だと僕は思う。底まで、きっちり、はっきり、カツーンと・・・という弾き方では音色は単色になってしまう。バッハは単色で弾くべきなのだろうか?なんとなくバッハらしくとか、バロックらしくという概念と「単色」ということがつながってしまっているような気もする。

単色バッハの根底には、「禁欲的」という概念もあるのでは?バッハは偉大なる音楽の父、教会、キリスト教・・・のような?人間的な美、人間的な感動など、そこに盛り込むなんて、とんでもない・・・みたいな?近代ピアノ奏法とは無縁のバッハ、ノンレガートでポツポツとしたバッハ概念はそのあたりにも関係しているのでは?

あと気になったのは、ペダルというものを、この先生は「音を伸ばすもの」と捉えているのではないかということ。ペダルは音を伸ばすために使用するのではない・・・と僕は思うのだが?

アンドレイ・ガヴリーロフのバッハ。人によっては、「これはバッハではありません」とか「このような演奏は聴いてはいけません」などとなるのかもしれないが、僕は好き。

彼の演奏を聴いて、そして彼の奏法を見て感じるのが、「これがピアノの弾き方だよなぁ・・・」ということ。基本的に、タッチとか指の形とか、場面場面によって変えていくべきものだ。そしてそのことが実に難しい。

多くの人、それはピアニストも含めるが、指の都合によって音楽表現を限定してしまっている。そしてそれに気づいていない。逆なのだ。場面によってタッチとか指の形とか使い方を変えるのが本当なのだと思う。場面が変わっても指の形や使い方、タッチが同じだと表現は粗雑、かつ単色、無味、機械的になるような気がする。どんなに心を込めて弾こうと思っても、それが具体的奏法に結びつかない限り、表現としては他者には伝わっていかない。

表現と奏法とはリンクしているものだと僕は思う。それが教育という場で最も成功しているのがロシアなのではないかと僕は思ったりもする。コンクールでロシア勢が圧倒的なのは、奏法と表現との一体化を街の教室(ロシアにもあるのかは知らないが)でも実践しているからなのではないか?

メールを読んで、そのようなことを考えた。

鍵盤の、どのあたりまでタッチしているのか、場面変化による指の形の自由自在な変化、このあたりをガヴリーロフの演奏で感じてもらいたい気がする。ピアノの弾き方の基本、そこにはバッハも含まれると僕は思う。

kaz



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