ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

虹のカーニバル 

 

前の二つの記事は、ここにつなげたかったのだ。エゴロフのシューマン。

演奏の感想なんて極めて主観的なものだろうから、全くそうは思わない人もいるだろうが、僕はこのシューマンを聴くのは少し辛い。音楽とは離れたところでの主張が多いような気がする。僕がそのように感じたのは、むろん音楽からなので、音楽とは離れてはいないのだが、曲を見つめて忠実再現というよりは、エゴロフの内部マグマとシューマンが一致してしまったというか・・・

僕はエゴロフのこのエネルギーに太刀打ちできない。彼よりは弱いのだ。むしろ、死というものを予期、覚悟したようなシューベルトに、より共感を覚える。

なんとなく「ソビエトで何があったのだろう?」ということを想像してしまうような演奏だ。

「僕は一人の人間として存在している。ただ正直に自由に生きたいだけだ。それを罰しないで欲しい」と叫んでいるような演奏に思えてくる。

自己の誇りというものを肯定できなかった社会へのメッセージのような演奏・・・

動くエゴロフというだけで貴重なのかもしれない。彼の活動期間は極めて短いものだった。その期間を考えれば録音そのものは少なくはないが、演奏している映像そのものは珍しい。

kaz



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come as you are 

 

結婚の誓いの言葉・・・「I do・・・」ただそれだけ、書類にサインをする・・・ただそれだけ。先の動画のカップルもそうだ。でもそこまでには、どれだけの涙があっただろうと思いを馳せたりする。決して楽な道のりではなかったはずだ。

エゴロフはソビエト時代は、自分の性的な志向は隠して暮らしていたと想像する。本当に親しい友人や肉親には打ち明けていたのだろうか?そのあたりは不明だが、なんとも辛い思いを積み重ねて生きていたようにも感じる。

亡命直後のエゴロフの演奏、特にシューマンの演奏から感じるのだが、過剰なまでの彼の想いというか、血を吐くような訴えというか、そのような強烈なエネルギー、オーラを感じてしまい、聴くのがなんとも辛かったりする。

晩年・・・といっても彼は33歳で亡くなってしまうから、まだまだ若くはあるのだが、晩年はエイズ患者としても偏見と闘って生きていかなければならなかったし、自らの死というものを自覚したような演奏に変化していくように思う。死という一点にひたすら歩んでいく演奏とでも言おうか?特にシューベルトの演奏にそれを感じる。圧倒的な孤独感・・・

それに対して、亡命直後の自己の誇りを表出したような強い演奏は、ソビエト時代と何かしらの関係があるように思えてならない。

ソビエト時代はカムアウトなどできなかっただろうし、それは投獄をも意味したのではないかと思う。感づいていた人もいたのかもしれないが、周囲は彼をゲイとは知らずに接していたのではないかと僕は想像する。この場合、周囲の何気ない言葉がエゴロフを傷つけていた可能性はある。その傷が蓄積され、彼なりの想いというものが演奏にまで反映されたのではないか?そして特にシューマンの楽曲でそれが反映された・・・

話題は突然変わるが、これはフランスのマクドナルドのコマーシャル。お父さんとマクドナルドで食事をするという、なんの変哲もないような場面だ。でも息子は同性の恋人と電話で話してして「あっ、お父さんが来るから切るね」と言っているので、自分の性的志向はカムアウトしていないのだろうと想像できる。

「ん?クラスの写真か?」「お前は俺の若い頃にそっくりだ。女の子にモテモテだったんだぞ」

「でもなんだな・・・男だけのクラスだなんて残念だな。お前だったら女の子にモテモテだったろうにな・・・」

これだけの会話。どこにでもあるような会話。お父さんも悪気なんてないのだ。でも息子は相当傷ついてしまうのではないだろうかと思う。コマーシャルでの息子の表情、父親に対して、呆れたような、なんとも言えない表情をするが、この表情、人間が心から傷ついた時にする表情ではないかと思う。失望・・・でも自分の心をプロテクトしてしまう。何もなかったかのように・・・

エゴロフもこのような経験をソビエト時代に重ねてきたのではあるまいか?そしてオランダに亡命して、その積み重ねた傷をマグマのように噴出させた・・・特にシューマンの演奏において。

それにしても、マクドナルドのコマーシャル、粋だな・・・などと思う。最後に流れるメッセージ、「come as you are」・・・「そのままのあなたでお越しください」というもの。このコマーシャルは話題となったそうだ。賛否両論だったとも・・・

「なんでこれがハンバーガーのコマーシャルなの?」「商品の説明になっていない」

ごもっとも・・・

でも、これが大企業のコマーシャルであるということに意味がある。

kaz



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エゴロフの虹 

 

アメリカ製作のドキュメンタリー番組を観ていて、なんとも落ち着かない気持ちになってしまった。あるポーランドの男性が自分の性的志向、つまり自分がゲイであることを公にしたことによる波紋、本人の行動などを追ったドキュメンタリーであるが、どうもポーランドという国はマイノリティの人たちにとっては、生きにくい国であるようだ。その男性は、銃で脅されたり、自宅に火炎瓶を投げ込まれたりするそうだ。ナイフやバットで襲われたことも何度もあるそうだ。これでは生活していくだけでも命がけではないか?政治家なども、ゲイは教員など、公職に就くべきではないし、そのような法の整備を急いでいる・・・などと堂々と発言したりしている。それでも、この男性は自分の経験を本にして発表しようとしている。命はあるのだろうか?

世界的には同性婚の法制化など、革新的な方向に進みつつあるように思う。女性差別、人種差別の撤廃の動き、むろん差別は現在もあるのだろうが、過去に動きがあったということは大きい。現在はセクシャリティによる差別撤廃への動き・・・そのような時代なのかもしれない。むろん、過去の価値観が崩れることでもあるので、反対する人も保守的な人を中心に多かろうと思う。

僕は女性ではないけれど、明らかに女性軽視の発言などがあった時には、物凄く怒りを感じたりする。たとえば、「女性はイザという時に辞めちゃうから」とか、結婚している女性が事業などを始める際に、「結婚なさっているの?いいわね。賢いわ。逃げ込める場所は必要よね?」みたいな発言。このような言葉を聞くと僕は煮えくり返ってしまう。そのような僕の反応を見て驚く人もいる。「でもkazさんは男性でしょ?」その驚きに、さらに煮えくり返ってしまう・・・

男も女もないのだ。同じ人間として・・・なのだ。セクシャリティの問題に関しても同様の受け取り方をするだけだ。

ポーランドの男性を見ていて、頭に浮かんだピアニストがいる。ユーリ・エゴロフ。彼はソビエトで生まれ育ち、西側に亡命したピアニストだ。ソビエトでは、いかに芸術的な面で抑圧されていたかをエゴロフは語っている。ピアニストとして、そして芸術家としての自由を彼は西側に求めた。これは多くのソビエトから亡命した芸術家に共通したものでもあると思うが、彼の場合は、さらに「人間として自由に生きたい」という願望も相当強かったように想像する。

エゴロフは亡命先にオランダという国を選んだ。そして亡命すると、自分がゲイであることをカムアウトした。時代は70年代後半。同性愛者に対する偏見もまだ多かったと思う。だからこそ、当時(今もかも?)最もリベラルな国であったオランダという国に住んだのだ。

エゴロフの死から30年近く・・・

彼は革新的な動きを喜んでいるだろうか、それとも、いまだにある保守的な動きを憂いでいるだろうか・・・

訊ねてみたい気がした。

kaz



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脱「チェルニーショパン」 

 

音楽愛好家、または鑑賞者として演奏に接してきた経験が、実際に自分がピアノを弾く時にも役立つような時もある。閃くというのだろうか?鍵盤に触れてから、準備をしてから打鍵ということもそうだと思う。実際のノウハウはレッスンで・・・ということになろうが、鑑賞者の立場でも、というより、鑑賞者の立場だから気がつくということもあるのだと僕は思う。

要は、コントロールされた、厳選された音か、そうではないかというところは、演奏の分かれ目ともなるような気がする。

卓越した、本当のプロの演奏から聴き取れるもの、共通したもの、これらのことを鑑賞者として感じていくことは、ひたすら反復練習をガシガシと行うことよりも有益だったりすることだってあろう。

たとえば、右手が切々とメロディーを紡いでいき、左手が伴奏をするというタイプの曲、このタイプの曲は、「旋律、旋律・・・」と思うよりも、「和音」とか「和声」と意識すると、曲としてまとまっていくように思う。逆に、ロシアものの剛腕系というか、和音連続系のマッチョな曲は、「和音、和音・・・」というよりは、「和音=旋律」と意識すると上手くいくようにも思う。

ショパンを弾いているのに、チェルニーみたい・・・

この場合、右手の難渋パッセージに固執するあまり、左手の刻みに右手のパッセージを合わせて弾いていたりする。逆なのではないかと思う。右手に左手の刻みを合わせるのだ。そう意識することによって、脱チェルニーなショパンになる。

プレリュードの16番、かなりの人が右手のパッセージを左手の刻みに合わせて弾いているように思う。そうすると、いかにも頑張っている音大生風というか、チェルニー的な演奏になってしまうように思う。

演奏の比較って、つい「異なるところ」という観点になりがちだけれど、「共通しているもの」という観点でいろいろと演奏を聴いていくと、感じるところも多いのではないだろうか?聴き手のテンションを集めてしまうような演奏には、何かしらの共通した要素がある。そのような意味で、チェルニーのようなショパン演奏にも共通しているものがあるのだ。

クラウディオ・アラウというピアニスト、そのイメージは、老大家の円熟した演奏・・・みたいなものだろうか?いぶし銀のようなベートーヴェン?それもアラウだが、当たり前のことだが、アラウにも若かりし頃があったのだ。どうも日本に紹介されるアラウの演奏は、晩年のいぶし銀系ばかり・・・という気もする。

このアラウのショパン、初めて聴いた時は、本当に驚いてしまったものだ。なんの予備知識もなく、この演奏を聴いたら、アラウを連想する人は少ないのではないかと思う。「アルゲリッチ?キーシン?あるいは最近コンクールで優勝した人の新録音?」みたいな連想をするのでは?まずアラウ・・・とは思わないような気がする。

右手キラキラ難渋パッセージ、左手音型刻み・・・のパターンは、右左逆に感じてみるとチェルニーのようなショパンから脱することも可能なのではないだろうか?

アラウのプレリュード16番・・・たしかに、これはショパンであって、チェルニーではない。

さらに、このアラウの演奏は、最近の若手の方が技巧的には昔の人よりも達者・・・ということも誤りであることを教えてくれる。

kaz



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category: ピアノ雑感

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自分の内部に入ってスパークさせる 

 

セミナーに通って情報を得る、これは基本的に外部から自分に取り込むというものだ。しかしながら、指導者、生徒の姿勢によっては、レッスンというものも外部から取り込むことに始終しがちだ。取り込みっぱなしではいけないと思う。そのためには、「外部からの取り込み」という作業と同時に、自分の内側に問いかけるという反対の作業というか、意識が必要になってくるように思う。自分の内側に入り込んでいくことで、それまでに無意識レベルで蓄積された何かと、取り入れたものとがリンクすることもあるからだ。この感覚は、得た情報を自分なりに咀嚼するということと限りなく近いようにも思うが、同じというわけでもないと思う。うまく説明できないが・・・

昨日はレッスンで、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」を弾いた。このような曲は苦手だ。メカニカルな要素が満載なんだもん。各難所の具体的な弾き方、音型に即した手や腕の効率的な使い方を教えてもらいながら、その情報を得るとともに、以前から感じていたようなことと自分の中でつながったような感覚があった。過去からの無意識の蓄積とレッスンでの教えがスパークしたような感じ?またまたうまく説明できないが・・・

「テクニックだけではなく、心に響く演奏を目指す」・・・大変に美しい目標だが、これっておかしい。心に響く演奏にはテクニックが必要だからだ。指が達者にパラパラ動き、どこといってミスもないのに、心に響かない、つまり、ただ弾いている、音符を並べていますという表現不足の演奏には、テクニックとメカニックの両方の概念が不足しているように思う。世間でよく言われる「テクニックだけの演奏・・・」というものは、実はテクニックが不足している演奏なのだ・・・

レッスンで指導を受けながら、メカニックとテクニックとを連動させていけば、このような曲は「表現」というものに結びついていく・・・みたいな感覚を得た。これは以前から自分の中では解決はしていなくても、心のどこかで引っかかっていたようなことでもある。つまり、これが自分なりの蓄積みたいなものだろうか?

先生はレッスンで「脱力」という言葉を使わないし、「はい、力を抜いて、ブラブラさせて・・・」などとも言わないし、僕にやらせたりしない。脱力という感覚も、「はい、これが脱力の方法です」ということではなく、自分の内部に蓄積されたものとのスパークによって、突然閃くというか・・・

「もしかして、あの弾き方、先生の言っていたことはもしかしたら、脱力ということなのかも?」みたいに、後から閃いたりする。僕の反応が鈍いだけなのかもしれないが・・・

レッスンで伝授されたメカニカルなもの、これが「もしかしたら脱力?」的なことに結びつき、場面に即した身体各部の動かし方というものにつながっていく。レッスンを受けた後の感覚は、「教えてもらった」というものも、むろんあるが、それよりも「過去に蓄積されていた何かと結びつけてもらった、意識化を促された」という感覚に近い。

メカニックからテクニックへの連携、連動、そこには楽さ、つまり脱力のような感覚・・・ここまできて、レッスンで指導された各内容が、次のことにつながっていくことに気づいた。

「移動と打鍵は同じにするな!」・・・ということ。これも無意識の自分内部の蓄積になると思うが、人様の演奏を聴いて、以前から思うことがあった。同じ傾向があるというか・・・

「あっ・・・この人の演奏・・・いい・・・上手・・・素敵」という演奏に共通しているのは、その人は、移動が素早いのだ。反対に、「音符はバッチリ弾けていてミスもないし、一生懸命弾いているんだけど・・・」という人は、移動と打鍵が同時なのだ。

「鍵盤に指を置いて、鍵盤に触ってから打鍵せよ」という鉄則。移動が緩慢だと、これができない。これまた気づいていたことだが、ショパンのノクターンのような、スロー系の曲だと、移動までスローになってしまう人が実に多いような気がする。どのような曲であれ、音型であれ、準備してからコントロールしてから打鍵・・・なのだ。移動は素早く・・・そして鍵盤に指を置いてから、それから意識して打鍵・・・これはピアノ演奏の基礎・・・かもしれない。

昨日のレッスンで、「メカニック→テクニック=表現」「脱力」「打鍵タイミングとコントロール=表現」ということが自分内部でスパークした。スパークするためには、いつも自分の内側を見るということをしていなくてはいけないような気がする。そうしないと「先生がここは盛り上げてと言ったから、そのように弾いてるの」みたいな演奏から脱することが難しくなるようにも思う。

頭がスパークする・・・これまた説明不可能にも思われるが、たとえば、この動画のバレエ。

以前だったら、「凄いねぇ・・・素敵だねぇ・・・」と漠然と鑑賞していたところだが、頭のスパークがあると、この踊りから見えてくることがある。一つは、技術というものは表現と分離しているものではなく、技術=表現という概念もあるのだなということ。あとは、移動を素早くして準備をして打鍵という概念。バレエだから打鍵はしていないが、この人たちは、音楽に合わせて踊ってはいないということ。むろん、音楽とずれてはいないのだが、一瞬だけ音よりも動きが素早い。音を聴いてから・・・というよりは、先に音を掴んでいく、空気を掴んでいくとでも言うような・・・これはピアノの打鍵にもつながるように思う。

ナタリヤ・オシポワ、イワン・ワシーリエフというロシアの卓越したスターたちだ。スパークすれば、彼らのバレエ「パリの炎」とピアノとが、どこかで結びついていく。それがスパーク。

取り込んだら、自分の中を探ろう。蓄積されたものをスパークさせよう。いい演奏を聴くことの重要性、これは教養、常識としてということではなく、その時には感じはしなくても、どこかで自分に蓄積されていくのだ。いい演奏(パフォーマンス)に触れている人ほど、スパークしやすくなるのではないだろうか?

kaz



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category: レッスン

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リンゴの決断 

 

アメリカでも同性婚が成立したけれど、それ以前は州によっては、性的志向を理由に従業員を解雇できる法律のある州もあったし、店側が性的志向を理由に、つまりゲイの人たちにサービスを拒否できる権利を持つ州もあった。同性婚成立までには、多くの個人、企業、団体の努力があったと想像する。

LGBTの人たちの願い、それは自分に誇りを持って生きたいということではないだろうか?自分の性的な志向は恥ずべきものではない。人して当たり前のことだ。だったら何で隠して生きていかなければならないのだろう?実際に性的志向をカムアウトするということは、同時に社会的な制裁を覚悟しなければならない。ここに矛盾が生まれる。これは相当苦しいことのように思う。

ティファニーという企業はLGBTフレンドリーな企業として知られている。同性婚成立以前から、クリスマスシーズンにはゲイカップルを賛美するようなディスプレイをしたり、婚約指輪の広告にゲイカップルを普通に登場させたりした。この時は、モデルを起用するのではなく、実際にニューヨーク在住のゲイカップルを起用し話題になったものだ。

ティファニー社は次のようなメッセージを残している。

「ティファニーの婚約指輪がゲイカップルが創る物語の始まりになると願っている」

有名な大企業のトップが自分の性的志向を公にする・・・これは一個人の告白という側面だけでは済まないことであるだけに、大変に勇気の必要な行為のように思う。アップル社の最高経営責任者(CEO)はティム・クックという人だ。この人が自分がゲイであることをカムアウトした。当時は同性婚も国としては成立していなかったので、アメリカでは大きな話題となった。ティム・クックは次のように語っている。

私は「人生における最も大事な問い掛け、それは自分は他人のために何をしているか・・・である」というマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を深く信じている。私はこの言葉をしばしば自分に問い掛け、プライバシーを守りたいという自分の願望が、もっと大事な何かをするのを妨げていたことに気づいた。何年も前から私は自分の性的志向について多くの人に明らかにしてきた。アップルでは大勢の同僚が、私が同性愛者だということを知っているが、それによって彼らの私に対する態度が変わるようには感じられない。もちろん、私は幸運だった。誰もがこのように幸運な環境下にあるわけではないだろう。

私は自身の性的志向を否定したことはないものの、今までは公に認めたこともなかった。ここではっきり言っておこう。私はゲイであることを誇りに思っている。ゲイであることは、神が私に与えた最高の贈り物の一つだと考えている。

ゲイであることで私は、少数派に属するということがどのようなことなのか、より深く理解できる。他の少数派グループの人々が日々直面しているチャレンジを垣間見ることができる。これは私が他の人に共感する力を高め、より豊かな人生を私にもたらしている。自分自身であること、自分の道を進むこと、逆境や偏見に負けないことへの自信ができた。

私は自分が活動家だとは思わないが、他の人の犠牲から自分がどれほど助けられてきたかに気づいた。そのため、もしアップルのCEOがゲイだという話を聞くことによって、自分自身を受け入れることに苦労している人が助けられ、孤独を感じている人が慰められるのならば、私のプライバシーを犠牲にする価値があると考えた。

社会の進歩の一つは、一人の人間を性的志向や人種、ジェンダーだけによって定義することはできないと理解することだ。

私は個人的に、全ての人の平等を死ぬまで訴え続ける。

ティム・クック



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ティファニーの主張 

 

本当に素敵なコマーシャルだと思う。宝石会社(という表現は変か?)のティファニーのコマーシャル。

日本の企業も、このようなコマーシャルを製作して流せばいいのに・・・と思う。

まだ無理かな?

まだ・・・という言い方に、未来への希望を託したつもりだ。

素敵な主張だとも思う。

kaz



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京都の恋・・・40年待った恋 

 

曲とタイトルは僕でも知っていた。1970年頃の大ヒット曲、「京都の恋」という曲だ。歌っていたのは渚ゆう子という人。この人の名前は知っていた。当時、僕は幼稚園生だったから、リアルタイムで接していたわけではないけれど、「京都の恋」や「京都慕情」などの渚ゆう子のヒット曲は耳にはしていたように思う。それほどの大ヒットだったのだ。

渚ゆう子という歌手をユーチューブで拝見した。とても美しい人だと思った。以前から「色っぽい歌い方をする人だな・・・」とは思っていたけれど、こんなに美しい人であったとは・・・

渚ゆう子は、下積み時代の長かった人だ。最初はハワイアンの歌手としてデビューした。でも全く売れなかった。

「もう・・・もう限界かもしれない。このまま人に頭を下げてビール箱の上で歌い続ける人生なのかもしれない。潮時・・・かも・・・」

当時、好きだった人がいた。相手の男性も自分のことを愛してくれているようだ。彼は自分が歌手として大成する夢を持っていることを知っている。夢を追う自分を知っている。見守ってくれているのだ。同時に待ってくれてもいる。

「この曲が売れなかったら、お嫁に行こう。あの人と結婚しよう。私だって女としての幸せを持ちたい・・・」

「京都の恋」は予想外の大ヒットとなった。全国に彼女の名前、顔は知れ渡るようになった。念願のヒット、スターの座・・・

生活も激変した。結婚どころではなくなったのだ。

「それまではビール箱の上で歌うのが普通だったのですが、ヒット後は必ずステージを作ってくれるようになりました。また自分で歩いて仕事場まで行っていたのが、必ず駅にタクシーが待機しているようになりました。ヒット曲があるということは、ここまで待遇が違うのだなと思いました」

「千鶴子さん(渚ゆう子の本名)、ヒットしたね。僕は絶対にこうなると信じていたよ。本当におめでとう・・・」

結婚まで考えたその男性は、心から祝福してくれた。そして去っていった。身を引いたのだ。歌手、渚ゆう子の人生を自分は選択したのだ。彼も自分がそうすることを知っていたのだ。だから去っていった・・・

その後も彼女はヒット曲を連発し、人気歌手としての地位を不動のものにした。憧れたスター歌手という人生・・・

彼女はその後もマイペースで仕事を続けた。人生の苦難を味わったことも、もちろんある。難聴にいなったり、癌を患ったり・・・

父親の介護も長年続けた。それでも歌手としての活動を続けた。現在でも彼女のファンクラブは存在している。

「京都の恋」から40年の歳月が流れた。渚ゆう子も60歳を過ぎた。

そして、あの時身を引いた男性からプロポーズされた。

「千鶴子さん、そろそろいいかなと思って。僕と結婚してくれませんか?一緒に老後を歩んでいくのもいいかなと・・・」

彼はずっと待っていてくれたのだ。そして二人は結婚した。

「京都の恋」・・・この曲は念願の初ヒットとなった曲だ。歌手としての人生を選択しなければならなくなった曲でもあり、また女性としての幸せを捨てなければならなかった曲でもある。

当時の彼女にとって、「京都の恋」の歌詞は相当残酷なものに感じたのではないだろうか、僕はそのように想像したりする。

kaz



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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演奏動画に求めるもの 

 

僕自身は自分の演奏というものを録画(録音)して聴きたいとか、ユーチューブにアップして世界の人と共有したい・・・とか、あまり思わない方だ。理由としては面倒くさいから。機材はある。でもパソコン作業のこと、それを想像するだけで死ぬほど面倒になる。別に自分の動画はアップしないと決意しているわけでもないので、ヒマができたら研究してみようかとも思う。まっ、そのうちに・・・という感じだが、「その時」は永遠に来ないような気もする。過去に怠惰な僕にアップの方法をメールしてくれた方も(複数!)いたのだが、僕には解説というか説明が簡易すぎる。~を~してと簡単に書いてくれるけれど、こちらは世間では当たり前の「~を」が分からないのだ。「~を」の~って何?

人の演奏動画を鑑賞するのは大好きだ。むろん、往年の巨匠の演奏も含めてプロのピアニストの演奏もネットで聴くことはある。僕は、かなりCDを所有している方だと思うが、それでもユーチューブは便利だと思う。CD化されていないライブなども沢山あるし、ピアノ以外の、例えばチューバの演奏など、CD購入まではいかないけれど、でもネットでだったら、そのような自分にとって遠い楽器の演奏、曲も気軽に知ることができる。

ユーチューブという媒体は、一つの文化革命なのではないかとも思う。気軽に・・・ということもそうだが、CDやレコードだけの時代だったら絶対に触れることのできなかった、世界中のアマチュアや街のピアノ教師の演奏を聴くことができるから。

彼らの演奏には、有名なコンサーティストの動画では得ることのできないような感動を味わうことができる。少なくとも僕はそう思っている。ある意味、コンサーティストたちの演奏は上手くて当たり前。そこに至るまでにはどのくらいの苦労があったのだろう・・・とは思わなくもないけれど、でも演奏がお仕事なんだし、自分の人生と重ね合わせたりとか、画面の中の演奏者の歩んだ人生などに想いを馳せたりすることはない。そのような聴き方はしない。純粋に演奏だけを聴く・・・

でもアマチュアらしき初老の男性などが真摯に名曲を演奏していたりすると、こちらの心はウルウルとしてきてしまうのだ。むろん、演奏の質にもよるが、別に達者にとか、バリバリとか、そのようなことではない。時には演奏事故が生じたとしても、演奏者の背景のようなものを想像したりして、感動が二乗、三乗にもなったりする。正しい音楽の聴き方ではないのかもしれないが、でもそれが何だと言うのだろう?

演奏者の曲への、そしてピアノへの共感、そして愛が伝わってくるのだ。画面の中で演奏しているという事実だけで胸が熱くなってくる。簡単なことではなかったはずだ。仕事の悩みも、家庭の悩みも、そして自分の中の葛藤も、すべて乗り越えて弾いているのだ。簡単ではない。でも「弾かずにはいられない」のだ。その想いが伝わってくる・・・

僕は自分のピアノライフが快調な時には、あまりユーチューブ演奏は聴かない。聴きたくなるのは、どこかしら不調な時だ。そしてその不調な時が実に多い。そのような時、アマチュアや街のピアノ教師の動画は心の支えになるのだ。彼らの演奏を聴くと「頑張ろう」と(その時は?)思えるのだ。

アマチュアの演奏もなのだが、街のピアノ教師の動画を探すと、海外遠征(?)しなければいけないことが多く、それが残念だ。日本のユーチューブピアノは、コンペティション関係とか「練習途中で~す」的なものは多いのだが、魅せられてしまうような、どこか光るような演奏は残念ながら少ない。きちんとはしているのだが、どこかしら固い演奏が多いような気がする。その点、海外のユーチューブピアノは、きちんとどころか、ハチャメチャ感満載だったりもするが、中には実に素晴らしい演奏もあったりする。このような演奏はネットでなければ出逢うことのなかった演奏でもある。

この男性のような演奏が好きだ。人生の歩みを感じさせるような演奏。ピアノが好きなんですね、だから弾き続けてきたんですね、何があろうとも・・・そのようなピアノ人生だったのですね。

多少の傷がなんだと言うのだろう?ノーミス、ミスタッチゼロのような些細なことを気にせず、撮り直しをしなかったことだけでも、この男性がピアノに何を求めているかが分かる感じだ。

彼は人生をピアノに託したのだ。ブラームスの曲が彼の人生を代弁してくれたのだ。だから弾かずにはいられなかった・・・

kaz



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category: 音楽自立人、音楽自由人

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ピアノ教師のピアノ 

 

前の記事、秋のスケッチについて、複数の方から質問があった。あれは僕の体験なのかと・・・

あれは僕自身の体験ではない。でも創作ということでもない。昔アメリカで生死学という学問を学んでいた時に、一般の人が生と死について自らの経験を語る・・・という授業があった。癌やHIVの患者、その家族、パートナーが自分自身の体験、あるいは愛する人を失った喪失感というものを語る、立ち直った経緯を語る、そのような授業。

秋のスケッチ・・・もそのような意味で、創作ではなく、あの文章の内容は実際にこの世であったことだ。娘の死、そして自分自身が生き残った罪悪感、そこからどのように立ち直ったのか・・・

動画で演奏していた人についても質問があった。彼は直接には文章の内容とは関係はない。僕が勝手にユーチューブの動画を拝借しただけだ。個人的には素晴らしいギロックだなと思う。

彼はベルギーの音楽院で学んだ人で、つまりピアニスト・・・ということになると思うが、ヨーロッパや北米では「ピアニスト」という概念が日本のそれとは異なっているような気がする。どこか「ピアノを弾く人」=「ピアニスト」のような?日本だとステージで演奏し、演奏活動で生活している人、華やかにスポットライトを浴びて、CDをどんどん出して・・・のようなイメージがピアニストという言葉にはあると思うが、あちらではアマチュアの人も、そして修業中の人も「私はピアニスト・・・」と書いたり、名乗ったりしているので、紛らわしい。と同時に羨ましい。

ベルギーの彼は、どちらといえば、街のピアノ教師としての活動が主で、演奏活動もしている・・・という人のようだ。このような人は日本にも多く存在しているように思うが、日本のピアノ教師はベルギーの彼のように動画をアップしたりすることは少ないように感じる。そもそも、動画を気軽(?)に披露するという行為はアマチュアの特権のような空気さえあったりする。

プロの演奏家(コンサーティスト)の動画、コンクールでのバリバリ系の動画、そしてアマチュアや子どもたちの「練習途中で~す」のような動画・・・日本人も気軽に動画をアップしているが、少ないと感じるのは街のピアノ教師の演奏動画だ。本当に少ないように思う。ピアノ教師はアマチュアではないのだから、気軽に・・・というわけにもいかないのだろうが、それにしても少ないように感じる。

僕はピアノ教師ブログを徘徊したりする。それは「Aちゃんがこんなに素敵に弾けるようになりました」とか「いつも笑顔のBちゃん・・・」のような記事を読みたいからではない。街のピアノ教師の演奏に触れてみたいからだ。コンサーティストの演奏はCDで聴けるし、コンペティション組の演奏には興味はなかったりする。アマチュアの演奏は動画で沢山聴ける。演奏の質は様々だが、とにかく接することはできる。でも街のピアノ教師の演奏も聴きたいのだ。

アマチュアの演奏、いいな・・・と思う演奏は、メカニカルに達者に弾けている演奏でもなかったりする。ややもすると、達者組の演奏は「どうだ・・・」のような自己で完結してしまっているような印象を持ってしまう。ピアノ教師の演奏には、そのようなバリバリ感ではなく、音楽への愛情の連鎖・・・というものを聴きたい。自分と作品、その相互作用の他に、後から歩んでくる後輩というか、生徒たちへ「ピアノってこんなに素晴らしいのだから・・・」のような、ピアノへの愛情というものを伝えていくというような、そんな演奏を期待する。なのでピアノ教師ブログを徘徊する。希望は捨ててはいない。伝えたい・・・という愛情を感じられる演奏を日本のピアノ教師からも感じたい。愛情の連鎖・・・かな?そのような演奏。コンサーティストにはできないこと、達者なアマチュアにもできないこと、ピアノ教師だからこそできること・・・それを僕はいまだにピアノ教師ブログに求めている。

ベルギーの彼は、通常のレパートリーの他に、多くの子ども用の教材、作品を動画にアップしている。ギロックとかブルグミュラーとか・・・

その演奏からは、ピアノ教師だからこそ成し得たサウンドというものを感じる。ピアノ教師にしかできない演奏・・・

自分、作品、聴いている人、その相互作用というものは通常の演奏、パフォーマンスと同じだが、彼の演奏にはピアノ教師ならではの「子どもたち、後進たちへの愛情」というものが、そこに加わっているように思う。「ほら、こんなに素敵な曲があるんだよ?」みたいな・・・「僕から君へ繋いでいきたい」のような・・・

これは街のピアノ教師だからこそ・・・の演奏だ。

kaz



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category: ピアノ雑感

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秋のスケッチ 

 

「なんで天気の話なんかするのよ?私たち夫婦の話をしているのよ。なんで私を拒絶するの?私はここにいるのよ?辛いのは、あたなだけじゃない。私だって同じだわ。あの子を愛していたのは、あなただけじゃない。どうして心を閉ざしたままなの?いつになったら昔のあなたに戻るの?」

「こういう性分なんだ・・・」

「ひどい人・・・」

妻は離れていった。あの子を殺したのは俺なのか?なぜ俺だけが助かったのだろう、それを責めない日はなかった。俺が代わりに死ねばよかったんだ。運転していたのは俺だったんだから・・・

なぜ娘だったのか・・・

「あなたを責めてなんかいない。誰も責めない。一番辛いのは、あなたなんだから・・・」妻はそう言った。でも責めていただろう?俺のことを責めていたろう?言葉にはしなかっただけで・・・

それはそうだろう。俺自身が俺を一番責めているんだから・・・


「いい曲だな・・・」

「そうでしょ?秋のスケッチっていうのよ」

「そうか・・・また随分と大人っぽい曲だな・・・」

「私・・・もう大人だもん・・・」「そうか?そうだな・・・」

まだ7歳だったんだ。突進してくる対向車を避けられなかった。でも避けられなかったのは俺の責任だ。俺がもっと気をつけていれば・・・そうしていればあの子は死ぬことはなかったんだ。


生きる意味なんてあるのだろうか?俺は一人ぼっちだ。でもそれだけのことをしてしまったのかもしれない。

「パパも天国に行っていいかな?」

娘は答えてはくれない。でも一瞬だが娘の声が聴こえた。「秋のスケッチっていうの・・・秋のスケッチっていうの・・・」



あの子はよく俺に言っていた。「パパもピアノ弾けばいいのに・・・」

「昔はバンドでサックスを吹いていたんだぞ。キーボードだって少しやっていたんだ」

「なんでもう弾かないの?」

夢では食べてはいけない・・・そう答えるのがなぜか恥ずかしかった。とても恥ずかしかった。


「あの子の想い出だけに生きるの?あなたにも人生があるのよ?あの子は死んだのよ?」

「忘れろというのか?」

「過去だけに生きている。あなたは過去だけしか見ていない・・・」


このままブレーキを踏まずに走り続けたら確実に死ねるだろう。このまま・・・

「パパも天国に行く。待っていてくれるね?」

また声が聴こえた。「秋のスケッチっていうの・・・秋のスケッチっていうの・・・」


娘の部屋のピアノの前に座った。娘の部屋はそのままにしてある。何も変えていない。妻は俺のそういうところが耐えられなかったのだと言う。

「秋のスケッチ・・・」

声にだして言ってみる。

鍵盤に指を置いてみる。あの子の楽譜は落書きだらけだ。落書きではないな。あの子なりの絵なんだ。落ち葉が舞っている・・・

「秋のスケッチっていうの・・・」

「そうだな・・・本当に秋のスケッチだね?落ち葉が舞っているんだね?」

弾きながら涙が溢れた。乗り越えられそうな気がした。でも俺は乗り越えるのを恐れている・・・

「パパ・・・まだ来ないで。まだ来ちゃだめ・・・」

ギロックの音色と共に娘の声が聴こえた。

「そうだね・・・まだだめなんだね?」

俺は秋のスケッチを弾き続けた・・・




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category: Saudade

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大人の趣味、それは情熱 

 

趣味のピアノ、大人のピアノ、男のピアノ・・・世間一般からの認知というものはあるのだろうと思う。僕が子どもの頃は、まだまだ男がピアノを習うということに特別感があった。「えっ?男のくせにピアノ?」

大人のピアノ、大人の趣味のピアノというものにも特別感があったように思う。保育園の先生になるので・・・みたいな、特別な目的を持った大人が頑張って子どもに交じって習っていたように記憶している。

時代は変わった。今だったら「男のくせに・・・」どころか「ピアノが弾ける男性って素敵♥」とさえ思われる?言われたことはないけれど。男の子がピアノ教室に通うということも、今ではそれほど目立つことでもなくなったように思うし、大人がピアノ教室に通うということにも特別感はなくなった。それどころか、大人のピアノは新しいターゲットだったりして・・・大切なお客様。子どもは辞めちゃうけど、大人は続けるし、習うという明確な意思を持っているみたいな・・・

ただし、年齢差別のようなものは、いまだに存在しているような気はする。習う方も、指導する方も。「もういい年だから・・・」とか「専門家のように華麗に弾ける必要もないんだし・・・まっ、それなりに楽しんで頂ければ・・・」のような考え。

大人になって習う、または仕事をしながらも再開する・・・ここには相当の情熱が秘められていると考えた方がいい。「とにかくピアノが好きだから・・・」という情熱。自分自身はその想いに正直だろうか?指導者はその情熱に応えているだろうか?

大人のピアノ、大人の趣味の、それも男のピアノ、そこには違和感はないだろうが、では「男の、大人の趣味のバレエ」となるとどうだろう?大人になってから趣味でバレエを習う・・・

「実はバレエを趣味で習っているんです」と男性がさりげなく言ったとしたら?

ピアノだったら「まぁ、素敵ね」という反応が一般的かもしれないが、バレエだったら「えっ?バレエ?あの踊るバレエ?えっ、大人から?」みたいな驚きの反応になるのではないだろうか?

ピアノにも女性的なイメージがある。フリルのドレス、お花満載のイメージ。バレエはさらに・・・ではないだろうか?

中年男性がバレエ教室に通い始める。仕事のオフの日に。そこには小さな女の子が沢山いるに違いない。「ねぇ・・・あのおじさん誰?バレエを習うの?え~?」みたいな空気をこの男性はイヤというほど感じることになるのではないだろうか?

何回も驚かれる・・・「男なのにバレエ?40男がバレエ?」と。

それでも好きなんだねぇ。だからこそ踊る・・・仕事を持ちながら、年齢、そして性差別を感じながらも。だって「バレエが好きだから」

好きだから・・・とにかく好きだから・・・という情熱は尊いもののように思う。

この動画の男女、趣味で習う大人のバレエだ。仕事を持ちながら、空いた時間に練習をし、憧れのバジル、憧れのキトリを踊っている。何回の「えっ?」という反応に出あっただろう・・・

でも好きだから・・・だから踊る・・・理由はそれだけ・・・だから大人になってバレエを習い始めた。

この踊り、胸が熱くなる・・・バレエへの情熱を感じる・・・

kaz



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category: あっぱれ麗し舞台

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子どもは大人になるのだから・・・ 

 

「大人のピアノ」という表現がどうも好きではない。自分が大人だからだろうとも思うが、残されたピアノ作品や楽器の大きさ、音の出る仕組みなどを考えても、ピアノは大人のためのものという意識があるのだと思う。

昭和時代の「ピアノのお稽古」というイメージ、それは現在でも引き継がれている。ピアノを習っている人の割合は、やはり子どもが圧倒的に多いだろうし、ピアノ教室のホームページ(ブログ)でも「大人の方のためのコースもあります」という記述はあるが、「子どもさんも歓迎です」という記述をしている先生は少ない。最初からピアノ=子どもという図式がそこにはある。世間の認識もそうなのだろう。

時々、子どものピアノは本当のピアノライフの前哨戦であって、本番は「大人時代」にあるのではないかと思ったりもする。外部から「子どものピアノ」というものを冷静に眺めてみると、両極に分断されすぎているという印象を持つ。「楽しく、音楽。音が苦の時代ではない」という方向と、コンペティションなどで活躍するような達者な子どもの演奏で感じられる「子どものうちに決着させる」みたいな方向。特にコンペティションなどで思うのが、身体も指も本来はこれからなのに、無理をさせている・・・という演奏が存在すること。これはとても残念な感じだ。この時期は、身体の成長度合いなども様々だから、どうしても小柄な子どもは音が小さくなる傾向がある。小さな音というものは、比較されると、どうしても表現の弱さというものにつながってしまう。そこで無理をさせてしまう。腕の重力を無理して駆使させたり、身体そのものを極端に動かして音に反映させようとしたり・・・

日本のピアノ演奏、これは子どもだけではないが、どうも楷書的な、きっちりとした印象を持つ。「はっきり・・・きちんと・・・」的なものを美化するのだろうか?これは子どもの時に生じた無理も関係あるのかもしれない。音大生の演奏なども、基音を全面に押し出した演奏が異様に多い。このタイプの演奏は、明朗、はっきり・・・とはしているが、響きの陰影に欠ける。はっきり言って、鑑賞者としては耳を傾けたくなるような演奏ではない。達者な子ども(こどな?)の演奏を聴くと、「もう少し、自然に・・・成長を待ってあげましょうよ?」という思いを抱く。

子どもの成長というものは急激なカーブを描く。これは大人にはなかなかないことでもある。大人の場合、数年という歳月は「あら・・・白髪が増えた?」とか「シワが・・・」とか、そのような変化はあるかもしれないが、急激に身長が伸びるとか、手の大きさが変わっていくということは大人の場合はない。あるのはお腹の脂肪の成長ぐらいか?

「わっ、こんなに大きくなって・・・」というのは子どもならではの成長だ。この時に無理をさせないということと同時に、相反することのようだが、この時にカーブに上手く乗せてしまうということも必要だと思う。

ピアノを辞める、正確にはピアノから一度離れる時、それは12歳とか、15歳とか・・・そのような時期になるのだろうが、その時にどれくらい弾けているかということが、とても重要な気がする。どれだけ本当の芸術作品に自分で触れているか・・・

「楽しくポップスなら・・・」とか「ギロックならなんとか・・・」でピアノ前哨戦を終えてしまうと、空白期間を経て、本当のピアノライフに突入(?)した時に本当に苦労するはずだ。

達者に弾けるコンペティション組には、「無理させるなよ、成長を待とう」と感じるし、一般(?)の子どもたち(というより教師)には「もう少しネジを巻こうよ、弾けるようにさせなよ」とも感じる。

インヴェンションを弾いていたベンジャミン君、彼は10歳としては小柄だ。身体的なものが音に反映されてはいるだろう。「もう少し音が鳴れば・・・」と彼の演奏を聴いて思った人は多いかもしれない。でも無理をさせない、彼の先生はそのような判断をしたのだろう。「指が、身体が成長すれば音も鳴るようになるしぃ・・・」みたいな?決着というか、結果を急がなかった。

インヴェンションから2年の歳月が経過した。「大きくなったね・・・」と12歳のベンジャミン君を見て感じる。それでも、まだ小柄だが、音は鳴るようになった。それでいいのでは・・・と思う。また同時に、ここまで弾けるようになっていれば、ベンジャミン君はピアノというものと一生付き合っていけるだろうとも思う。

オケはマンハッタン音楽院のプレカレッジの生徒たちらしい。ということは、高校生、中学生から成り立つオケということになる。とても頑張っているのではないだろうか?ベンジャミン君も頑張っているのではないだろうか?

若さに溢れた演奏、「突進」みたいなところもあるが、僕は「子どな演奏」よりは、このような演奏が好きだ・・・

kaz



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category: ピアノ雑感

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ピアノ逆算法 

 

仕事に限らずだが、物事を前倒して進めるのが基本的には好きだ。「これは今日のノルマではないけれど、今やっておけば今後が楽・・・」みたいな考え。基本的に、どこで楽をするか・・・ということであって僕が真面目であるということではないと思う。「マメ」ではあると思うが、それも「後が楽・・・」という発想がそうさせているだけのような気がする。

この前倒しの考えで必要なのが逆算感覚だ。完成予定日から逆算して、いつまでに何をこなしておかなければならないのかの逆算。ピアノの場合、この能力に欠けていると、いろいろと不都合が出てくるように思う。レッスンはいつ、何をしておかなければいけないか・・・ということは事前に分かっているわけだから、逆算をして「今日は何をしておくべきか・・・」という観点で練習を進める能力。小学生だって今はヒマではないのだから、この能力は不可欠であると思われる。

「全く家で練習してくれない・・・」というのは保護者、そして先生の悩みの一つだと思うけれど、この場合、生徒は「何を練習すればいいのか、どのように練習すればいいのか」ということが今ひとつ理解できていないのではないかとも思う。このような場合は、逆算ができないので厳しい。あとは、練習してどのようなものを目指すかという、到達点のようなものを先生が示さない場合も、生徒は「とりあえず音読み?反復練習?」とは思えるけれど、その苦労がどこにつながるかの到達点が生徒に見えないから、この場合も逆算が難しかろうと思う。

日常的、かつ短期的な逆算能力の他に、ピアノの場合は長期的な逆算能力、逆算感覚が必要だと僕は思う。日本のピアノ教育界というか、ピアノ教師はここが上手くないという印象を持つ。

具体的には、子どもの能力が実際に開花して、演奏に反映される年齢というものがあると思う。言葉を変えると、低学年では「A子ちゃんもB子ちゃんも楽しいピアノ」で済んでいたものが、「上手なA子ちゃんと伸び悩み困ったちゃんのB子ちゃん・・・」のように、演奏能力、レッスン進度のようなものに明確な差というものが出てきてしまう年齢・・・

個人差というものは、むろんあるだろうが、大体8歳~10歳くらいの時がとても重要なのではないかと思う。この時期がとても大切というか、分かれ目というか・・・

さらに、公教育を絡めて考えていくことが逆算には必要だ。中学生になれば、生徒の生活は激変する。部活動とかね。「我が教室では多くの生徒が中学生になっても通ってきてくれています・・・」ということでも、やはり練習時間など、今までのようにはいかないだろうとも思う。個人差の出る、つまり才能開花の8歳ぐらいから、小学校終了の12歳くらいまでの、期間にして4~5年が最初のピアノ経験での山場となるような気がする。つまり、12歳までに何をしておかなければいけないか?10歳までに何をしておかなければいけないか・・・という逆算。

「音大に進学しますっ!」とか「有名なコンクールを制覇しますっ!」のような生徒以外は、どこかでピアノの空白期間というものがあるはずだ。多くの場合、それは12歳ぐらいが最初の空白となるのでは?

「ピアノ・・・辞めます・・・部活が忙しくなるし・・・」ということは想定内であろう。では、その時までにどのくらい弾けるようにしておくべきか・・・という発想が必要で、そのためには逆算が必要なのではなかろうか?12歳で辞めます・・・という場合、その生徒がレッスンを重ねて、やっとJポップの曲が弾けるようになるとか、その程度では空白期間に耐えられないはずだ。その生徒にとって、ピアノは「昔習っていた・・・」というものになってしまう。空白期間、それは数年かもしれないし、数十年かもしれないが、その生徒(子ども)がピアノと再び向きあおうとした時に、12歳までのピアノレッスンというものが生きてくるのだ。指導者は絶対にここで(かつての)生徒に失望感を与えてはいけないのだと僕は思う。

以前にニューヨークのマンハッタン音楽院のプレカレッジで学ぶ男の子の演奏を紹介したけれど、今回もそう。ベンジャミン君という10歳の男の子の演奏だ。率直に言って、日本のコンクール組の子たちは、ベンジャミン君よりも達者にバリバリと、そして入魂して弾くだろうと思う。10歳だったらショパンのエチュードを弾く子なんて山ほどいるはずだ。そのような意味では、ベンジャミン君は普通に上手・・・という感じなのだと思うが、彼はバッハを弾いている。それもインヴェンション2声の全曲。それも暗譜で・・・

インヴェンション全部を弾かせよう・・・という発想をした教師も大胆だし素晴らしいと思う。また、その教師の影を感じさせないベンジャミン君の演奏も素晴らしいと僕は思う。彼なりのバッハという感じ?この当たり前のことが日本では聴けないような気がする。

10歳・・・

この時に「練習嫌いで~す」とか「アニメの曲なら弾いてもいいんだけど。ディズニーとか・・・」でいいとは思えない。逆算という意味でも、空白後のピアノ人生という意味においても。趣味だからこその逆算、そして「やっておくべきこと」というものがあるような気がする。

kaz



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category: レッスン

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ポーランド人の誇り 

 

ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」の譜読みを始める。この曲は、メカニカルな難渋さを伴う、そして華やかな曲なので、どうしても「技術展覧」みたいな演奏になりがちだ。あるいは「お素敵ショパン」みたいな演奏。

この曲を華やかな曲としてではなく、若きポーランド人の野望の曲と捉えてみたら?

「あの国はもうダメだ。ダメなんだよ。灰色の国になってしまった・・・」

Hが揺れ動く祖国から自由の国、アメリカに逃れてきたのは、1980年代。ポーランドでレフ・ワレサの独立自由管理労組「連帯」の活動が全国的な動きとなっていき、そして、その「連帯」つぶしを国が行おうとした時。政府、国家というものが国民に銃を向けた時、戒厳令・・・その時にHは祖国を捨てた。

「自由が欲しかった。人間として最低限の権利が欲しかった。ポーランドでは人間として生きることができない・・・僕は人間になりたかった・・・」Hはそう言った。

当時ポーランドから脱出できた人は、ほんの少数だったのだろう。正直、「どのような方法で脱出したのか?」ということに僕は興味があった。でも、それだけはHに訊くことはできない・・・そう思った。

レフ・ワレサという「連帯の男」であった男の映画を観た。今ひとつ理解できなかった、連帯、その後の国家の圧力というものを日本人の僕にも分かりやすく説明してくれるような映画だ。監督はポーランド人である巨匠、アンジェイ・ワイダ。

食料品の値段が高騰。商店から品物がなくなっていく。

「どうやって暮らしていけばいいの?どうやって生きていけばいいの?」

動きはグダンスクの造船所から始まった。レフ・ワレサはその造船所の機械工でしかなかった。でもその機械工、大学にも進学していない職業訓練所しか経験のない一人の労働者が行動を起こした。ストライキ決行、賃上げ要求・・・

「このままでは我々は死んでしまう。我々も人間なのだ」

ソ連の支配下にあった当時のポーランド共産主義国家で、ワレサのように人間としての権利を主張することは、死、投獄をも意味した。でもグダンスク造船所の動きはポーランド中に広まっていった。「労働者は連帯しよう・・・自由を・・・我々は人間だ。国家の駒ではない・・・」

レフを支えた妻のダヌタ・ワレサ・・・留守がちであった夫に代わり、6人の子どもを育てた。そして夫を支えた。

「もし俺が戻らなかったら・・・この指輪と時計を売ってくれ・・・」

ダヌタの視点もこの映画は描いている。「あなたは信念に生きているからいいでしょう。でも私は、子どもたちはどうなるの?あなたには家族がいるのよ?」

ワレサ逮捕直前、ダヌタはワレサに言う。「もし・・・私が今の状況を恐がったら?」

「君が怖がったりしたら、子どもたちはおしまいだ・・・」

「全く怖くはないわ。全くね・・・」

僕もニュースでポーランドの街でビラが撒かれたり、人々を鎮圧させようとする軍の様子などを観ている。ベルリンの壁が崩壊し、東欧の共産主義が崩壊・・・そこに至るまでには数万というワレサが命を落とし、信念に生きたのではないだろうかと思う。

レフ・ワレサ、ヤヌシュ・コルチャック、パデレフスキ、そしてショパン・・・

共通するポーランド魂を表現してみたい・・・そのようなショパンがあってもいいのではないかと思う。

「我々も人間なのだ。自由・・・それは人間としての最低限の権利なのだ・・・」

ショパンの曲から、このメッセージを感じてもいいと思う。彼も誇り高きポーランド人だったのだから・・・

kaz



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category: kinema

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アルバム 

 

「ピアノの練習をしなさ~い」「勉強しなさ~い」「もっと本を読みなさ~い」

大人が子どもにうるさく言うのは、それは子ども時代が上昇カーブ時期だからだ。人間も動物なので、色々な能力は若い頃にピークになり、あとは下降線になる。悲しい事実だ。

「本を読みなさ~い」と大人が子どもに言ったとしても、子どもは「うるさいなぁ・・・」などと思うだけかもしれないが、「お母さんは最近古典の名作とか・・・読んだ?」などと反撃されたら、大人は「うっ・・・」となってしまうのではなかろうか?

もうドストエフスキーとか・・・読めないな・・・と思う。エネルギーが必要なんだよね。やはり上昇カーブ時期に「やっておくべきこと」というものはあるのだ。

大人のピアノで難しいのは、下降カーブ人生においても、ピアノの上達というものを、あるいはピアノとの接し方というものを、どこか子どもの時と同じように「上昇カーブに乗らなければ・・・」と無意識に思ってしまうことかもしれない。当然、それは難しい。なので、「指が動かない」とか「暗譜できない」とか・・・そう思ってしまうのかもしれない。子どもとの比較があるわけだ。

そもそも、ピアノの教材というか、曲というか、あるいはレッスンそのものが、「易しいものから難しいものへ」という上昇カーブそのものであるから、大人の場合は、何らかの工夫は必要かもしれない。カーブは下がっているのだから・・・

でも、「もう大人だから・・・それは無理」と教わる側と教える側が、少しでも感じてしまっては進歩はないし、何よりも哀しい。

大人がピアノ教室に通う、昔習っていたピアノを再び弾こうを思う、あるいは、「全く経験がありません。本当の初心者なんです」と言って習いに来る・・・

この時の気持ちは子どもにはないものだ。実は大人であるピアノの先生にも共有できない部分だ。ピアノの先生は、弾き続けてきた人だからだ。弾き続けてきた上での様々な苦しみや体験があるだろうが、それは「自分は下降線・・・それでもピアノを・・・」とか「それでも弾きたい・・・」という大人ならではの想いというものとは、少し異なるような気がする。大人の場合、生活や人生というものには、すでに「型」がある。その人ならではの型。そこにあえてピアノというものを、新たに組み込むということは、相当のエネルギーが必要とされる。それでも弾いてみたいと思うのだ。

「ピアノの修行は辛いものなんです。芸術なんですから。趣味の大人だろうと容赦いたしませんっ!まっ、なんなの?指が全然動かないのね?」・・・これでは大人は辛い。

「お仕事も忙しいのでしょうから、楽しんで弾ければいいのではないかしら?音大に行くわけでもないんだしね」・・・これもまた大人にとっては辛い。

上昇カーブ子どもにはないものを大人は持っている。それは「重ねてきた経験」というもの。その経験は光に包まれたものもあろうし、どん底に落とされたものもあろう。それらのものが積み重なって、その時の想いが積み重なって、「自分の中に織り込まれた何かを音楽というもので、音の流れというもので少しだけ具現化したい」と思うのだ。自分の人生の「色」「光」・・・といったようなものを、ピアノに託したくなるのだ。

なので、ピアノ教室にやってくるのだ・・・

経験の積み重ね、それは心のアルバムみたいなものだ。明確な光のようなものは感じられる。でも言葉で気軽に表現できるようなものでもない。なのでピアノを選んだ。ピアノに自分の心のアルバム、心の光を乗せてみたいから・・・

だから大人のピアノがある・・・

kaz



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category: ピアノ雑感

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自己の肯定と否定の文化 

 

ピアノを習っている人、子どもも大人も含めてだけれど、「僕って、私ってピアノを弾くのが得意なの・・・」と人に宣言できる人はどのくらいいるのだろう?あまりいないのではないかと思う。これって普通のような気もするが、あまりにも「自分は至らなくて・・・」とか「いえいえ、まだまだ人様に聴かせるなんて恥ずかしいんですけど・・・」と自分で思いすぎているような気がしないでもない。

アマチュアの本番感想記も、まずは「練習不足で・・・」とか「多くの課題が山ほどあって・・・」のようなものが圧倒的に多い。まぁ、日本では、一応自己否定しておくのが安心・・・という考えが浸透しているのかもしれない。ピアノに限らずにね。「えっ、あれで?」と思われるのでは・・・とか、自分でも「自己肯定してしまうと進歩がないのでは?」などと思ってしまうのかもしれない。

考えてみれば、日々の練習でも、ピアノのレッスンでも、どこか「自己否定」とまではいかなくても、改善していかなくてはとか、直さなくてはということを前提に進んでいくところがある。「そこはこうできるようにしましょう」「もっと~できるようにしましょう」・・・のように。

今の自分は「未熟である」ということの連続?進歩しなければ・・・自分なまだまだなんだから・・・

上達していくためには、それも必要なことだと思うけれど、いつかはピアノを弾きたくても弾けない日はきっとくる。まぁ、子どもの場合だったら進学とか?大人の場合だったら病気とか、介護とか、あるいは失職とか?

そのときに「自分のピアノ人生暗かった・・・こんな私に誰がした?」と回想するのも哀しいものがある。

でも自己肯定って難しいよね。でもどこかで必要な能力ではないだろうか?本番直前、舞台に出る直前、自己肯定に失敗したら?自分も哀しいだろうが、聴いている人だって哀しいだろうと思う。演奏者が「こ・・・こんな演奏聴かせてしまって申し訳ありません」など頭の中で感じながら演奏している演奏を聴かされるわけだから・・・

日本のピアノが「自己否定」の文化だとすれば、アメリカのピアノは、どこか「自己肯定」の文化なのかもしれない。アメリカ人は自分に対しても、そして他人に対しても褒め上手であるような気はする。

「私は、あなたを誇りに思うわ!」という言葉をアメリカ人はよく使う。日本語にすると重い感じだが、言われた方は、褒められることに慣れていくことで自己肯定につながっていくという利点もないだろうか?慢心につながっていく?そうなのかもしれないが、以外と自分の能力って自分でも把握できているようなところはないだろうか?ピアノ演奏だったら「○君って上手ねぇ・・・素晴らしいわぁ・・・」と言われ続けていても、そして「そうかな?フフ・・・」なんて思ったとしても、自分よりも上手い人の演奏を一瞬でも聴けば、自分のレベルなどというものは分かるのではないだろうかと思う。子どもでも・・・

子どもの頃から「もっと~なるといいわね」と言われ続けて、いきなり大人になって「自己肯定を」なんて考えに転換は難しいのではないかと思う。これは幼い頃からの積み重ねが大切なのかもしれない。

アメリカの音楽院にはプレカレッジという部門がある。付属の音楽教室みたいなものだ。日本の音大にもあると思うが、週末などに普通の子どもたち対象に音楽教育を行うというところだ。もしかしたら、普通の街のピアノ教室とは異なるところもあるのかもしれないが、アメリカの音楽院のプレカレッジの場合は、それほど「英才教育をしていますっ!」とか「弾ける子ばかりですっ!」という感じでもない。

日本のピアノ教育って、どこか「きちんとしている」という印象がある。というか、きちんと系と楽しい系に分割しているという感じ?そのきちんと系の日本のピアノと比較すると、アメリカの子どもの演奏って、どこか大雑把というか、おおらかというか、自発性に富んでいるというか、そんな気がする。先生の影をあまり感じないということはいいことだと思う。でも時には、そのおおらかさが気になることも(日本人の感覚からすると)あるかもしれない。

これはニューヨークのマンハッタン音楽院のプレカレッジに通っている男の子の演奏。普通に上手に演奏していると思うが、日本のピアノ教師だったら、まずは彼の指の闊達性というか、独立性というか、そのあたりを「なんとかしなければ・・・まずはそこから・・・」などと思うのではないだろうか?彼の演奏、スケール音型が団子状態になってしまっている。多くの人はそれを感じるであろう。

「まぁ、そうだけど・・・指ができれば弾けるようになるんだしぃ・・・」というおおらかさも時には必要なのではないかとも思う。今それが最優先事項なの・・・みたいな?

プレカレッジでの小さな発表の場での演奏。発表会みたいなものだろう。とにかく声援というか、拍手が凄い。そこまでの演奏か?と言われれば、いろいろとあるだろうが、まずはみんなで自己肯定・・・ということも必要なのではないかと思う。

この男の子は「僕・・・ピアノが得意なんだぁ・・・」などと人に言ったりしているかもね。でも全部がいけないこととも思えなかったりする。

アメリカ人は、レベルはともかくとして、楽器演奏ができる人の割合が日本とは比較にならないほど多い。楽器を、そして音楽を、演奏を楽しんでいる人の割合が多い。日本だと、ピアノに限らず、楽器演奏って、どこか特別感が満載だ。難しいものという感覚がどこかにあったりする。

「子供の頃からやっていないとピアノは難しい」とか「熟年からのピアノは難しい」とか「指は動きにくい」とか・・・

否定的なことよりも、無邪気に、そして思い切り「自己肯定」してもいいのでは?どちらが幸せなピアノ人生だろう?

あなたはピアノが得意ですか?

kaz



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category: ピアノ雑感

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花はどこへ行った・・・ 

 

カタリナ・ヴィットが初めてオリンピックで優勝したのがサラエボでのオリンピックだった。次のカルガリーでのオリンピックでも優勝し、オリンピック連覇を達成した。その後は引退しアイスショーで活躍していた。

一度だけ選手として復帰したことがある。1994年のことだ。引退から6年、サラエボから10年という歳月が経過していた。

「えっ、ヴィットが現役に復帰?再びオリンピックを目指す?でも・・・」

6年という歳月は大きい。技術、主にジャンプの難易度は進歩していたし、世代交代も行われていた。

「過去の栄光が傷つくのでは?なんで今さら?」

ヴィット自身も「自分が勝てるとは思っていなかった」と言っている。ではなぜ?

1994年は現役を引退したプロスケーターにも一度だけの復帰が許された年であったのだ。挑戦したプロスケーターはヴィットだけではなかった。「自分がどれだけできるのか、通用するのか、もう一度だけやってみたい」というアスリートとしての想いも、もちろんあっただろう。でもヴィットには、さらなる想いがあった。それは表現者としての想い・・・

サラエボ・オリンピックから10年、かつてオリンピックを開催した街は紛争で完全に破壊されてしまっていた。世界は不穏な世情が続いていた。

「サラエボの華」と呼ばれたヴィット選手は、サラエボという街への想いをスケートで表現した。かつて花で溢れていた美しいサラエボが廃墟と化している・・・

観客も最初は「ヴィットはどれくらい滑れるのだろう?」という気持ちで演技を待った。しかし、ドイツ選手権であれ、ヨーロッパ選手権であれ、そしてオリンピックであれ、ヴィットがフリー演技を滑り始めたら、彼女の演技に見入ってしまった。点数や順位、そのようなものとは関係のないところで、彼女の演技に集中した。彼女のフリー演技、それはスケート史上初めてと言ってもいいくらいのメッセージ性に溢れていたのだ。

ヴィット選手はフリープログラムに「花はどこへ行った」という曲を選んだ。ピート・シーガーという人が作詞・作曲をした古い曲だ。この曲は反戦歌として知られている。

花はどこへ行った? 少女が摘んだのだ。
少女はどこへ行った? ある男のところへ嫁いだのさ。
男はどこへ行った? 兵隊として戦場へ行った。
兵隊はどこへ行った? 死んで墓に行った。
墓はどこへ行った? 花で覆われたのだ。
花はどこへ行った? 少女が摘んだのだ・・・

大体このような内容な歌だ。

観客はジャンプの内容よりも、メッセージを感じたのだ。アスリートはそこにはいなかった。一人の女性、一人の人間としての表現があり、表現者がリンクにいたのだ。

今の若いスケートファンはカタリナ・ヴィットの演技を知らないのかもしれない。かつての名選手としてだけ知っているのかもしれない。1994年の「花はどこへ行った」からもう20年の歳月が流れた。サラエボ・オリンピックからは30年の歳月が流れたのだ。

今、彼女のメッセージを人々は再び忘れようとしている・・・

kaz



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category: The Skaters

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ウェブ・コンサート 

 

多くの人に言われたりするんだ。コンサートとか、やらないんですか・・・と。

でも時間が取れないんだよね。充分に練習できる時間がね。仕事がハードなんだ。

コンサートなんか、僕にはできないけれど、でも、ただ一人の聴き手のために演奏することはできるかもしれないと思った。

ただ一人の聴き手・・・それはあなた。それだったらできるかもしれないと思った。

弾いてみたけど、もちろん全部が上手くいくなんてことはなかったね。

でもいいんだ。気にしない。聴いてくれた「あなた」がいたから・・・



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category: 音楽自立人、音楽自由人

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長崎の「アヴェ・マリア」 

 

永井隆博士の活動は東京にいるアレクサンドル・モギレフスキーの耳にも入ったのであろう。永井博士の住む如己堂にはヘレン・ケラーなども訪問していたから、永井博士の長崎での活動は有名になっていたのであろう。

「ぜひ訪問させてください。そして演奏させてください・・・」

高名な音楽家、モギレフスキーの申し出を永井博士はもちろん喜んで受諾した。そして一つのリクエストをモギレフスキーにした。

「その演奏を近くの小学校にいる被爆した生徒、そして長崎の盲学校の生徒にも聴かせてあげたいのですが・・・」

1948年、10月のことだ。その頃になってもまだ長崎には人骨などが埋まっており、時折、そのような人骨で遊ぶ子どもたちの姿などを見て、永井博士は大変に心を痛めていたらしい。

「このままではいけない。子どもたちの心も荒れてしまう・・・」

そのような時に、モギレフスキーからの申し出があったのだ。永井博士は思ったのだろう、「子どもたちにも聴かせてあげたい。世界的な演奏家なのだ。聴かせてあげたい・・・」と。

永井博士の如己堂は畳二畳だ。その二畳に永井博士本人が横たわっている。子どもたちは外の地面に座ってモギレフスキーを待っていた。モギレフスキーからすれば、劣悪な演奏条件だったと思う。まず、ピアノはどうしたのだろう?どこかで調達したのだろうか?そして外に置いた?それともヴァイオリンだけの無伴奏で弾いたのだろうか?僕はなんとなくモギレフスキーだけ、つまり無伴奏で演奏したと想像するが、いずれにしても弾きにくい会場ではあったと思う。

外に座り込んでいた子どもたち、その多くは初めて西洋音楽というものに接したのではなかろうか?生きていく、食べていくだけでも困難な時代だったはずだ。蓄音機で優雅にレコードを・・・なんていう生活をしていた人なんて少なかったはずだし、ピアノやヴァイオリンを習っている子どもがその場にいたとも思えない。

モギレフスキーはシューベルトの「アヴェ・マリア」を演奏した。おそらく、生まれて初めて西洋音楽、そして美というものに触れた子どもたちだったのであろう・・・

演奏が終わった。誰も動かない。ひたすら座っている・・・呆然と・・・

やがて永井博士が言った。

「モギレフスキー様・・・本当にありがとうございました」

そしてモギレフスキーはこのように答えたという。

「私は立派な、もっと壮大な会場でこれまで演奏してきました。でも本日の聴衆は私が出逢った中で、最高の聴衆たちでした・・・本当にありがとうございました」

モギレフスキーの古い古い録音。SPらしい音色だ。シューベルトの演奏ではないけれども、この演奏は1948年に長崎でモギレフスキーがどのように演奏したか、容易に想像できる演奏だと思う。

それからしばらくして、永井博士は亡くなった。そしてモギレフスキーも数年後に亡くなった。

無になったのではない。何かは残った。それは愛を与え、受け取るという相互作用だったのかもしれない・・・

kaz



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category: 未分類

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ロザリオ 

 

自分を無にし、楽譜から作曲者の意図を読み取り忠実に再現すること・・・演奏というものを定義するとこのようになるのだろうか?でもちょっとこれでは「あっけらかん」としすぎているような気がする。演奏する人間にも心はあるのよ・・・みたいな。無になるというのはちょっと違うのではないかなと。

コルトーとホロヴィッツの演奏、同じ曲を演奏したとしても、かなり違うように思う。もし、無にして忠実に再現ということが真理であるとすれば、演奏の違いというものを、どのように解釈すればいいのだろう?探してみても、専門家による説明って少なかったりする。「コルトー?昔のスタイルね。今は研究も進んでいるのよ。時代が異なるのよ」というだけでは納得はできないねぇ・・・

そもそも「原典版(あるいは○○版)を使いましょう」という常識も、「正しいとされているから」とか「最新の研究の成果だから」とか「作曲者の書いたそのままだから」という以外の説明が欲しいものだ。なんで原典版同士を比較しても出版社によって違いがあるの・・・とか、素人には謎が一杯だったりする。

でも「これが私よ~」と自分の感じたまま・・・というか自己主張をするのが演奏だとも思えない。表現って演奏者が感じたものをつけていくというものでもないと思うし。

この中間のような感じで僕は弾いているだろうか?説明は難しいのだが、自分を無にして・・・というよりは、自分の中の魂の部分が動いたという感情、この感情を作曲者の残した作品(楽譜)が、どこか「代弁」してくれている・・・みたいな感じ。作品そのものと、自分の内部の何かの一致があり、それが自分を突き動かすというか、そんな感じだ。

おそらく、無になって作曲者の僕(しもべ)と完全になってしまうのではなく、どこか「人間なんだもの・・・お互いに」のような感覚をも持つのだろうか?

自分の生活や人生が厳しくなればなるほど、この感覚は強くなるような気がする。音楽を聴いて、自分の内部の魂が渦のように動く、これは作品のある要素が僕の中の何かとの一致、そして反応を誘い、そして「演奏したい」という生の欲求になっていく・・・

僕の中に「人間賛歌」みたいな楽観的なものが潜んでいるのかもしれない。音楽が、どこか宗教化してしまっているような?でも音楽からの刺激というか心の動きって宗教的な祈りにも近いような気がする。僕は特定の宗教というものを信仰していないので、音楽がその代わりとなっているのだろうか?

永井隆博士という人がいた。医師でありレントゲン技師であり、そして敬虔なクリスチャンだった人だ。まずは仕事中、当時は機械も未熟だったのだろうか、永井博士は器機から被爆してしまう。白血病・・・

さらに、原爆投下の長崎、そこでも被爆してしまう。重病だ。それでも被爆した他の人たちの救済に走り、そして魂の救済のため本を何冊も書いた。印税はすべて救済活動に回ったのだという・・・

どうして自分を顧みずにこんな行動なできたのであろう?それが宗教心というものなのかもしれない。人間としての誇りというか、突き動かすとても強いものを感じたのであろう。

僕の場合、宗教心は皆無なので、祈る・・・という方向にはいかないのかもしれない。その代わりに、突き動かされる・・・のような強い何かを音に託したくなる。自分の中にしまってはおけない。何かしたくなる・・・それが演奏・・・かな?

永井博士の著作や行ったことなどを知ると、僕の内部に日頃潜んでいた何者かが燃えたぎる。そのままにはしておけない。それを音に託す・・・

永井博士は晩年・・・といっても43年という短い生涯だが、晩年は如己堂という建物の中で療養しながら暮らしていたそうだ。畳二畳という質素(粗末?)な建物なのだそうだ。そこに布団を敷いて臥せっていたのだという・・・

永井隆博士、そして彼が暮らした如己堂、ここに日本で暮らしたヴァイオリニスト、アレクサンドル・モギレフスキーが関わってくる。それは次回にでも書きたいと思う。まずは永井隆博士という人物を知ってもらいたいという気持ちがある。

kaz



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望郷と熱情 

 

世界大戦、さらにはロシア革命など、世情が不安定になり、多くの芸術家がヨーロッパ、ロシアから主にアメリカに渡った。その多くはユダヤ人だった。ユダヤ人であるがために、祖国を捨てなければならなかった。

祖国を捨てる・・・この感情は移住後も、複雑なものを移住者に背負わさせることになるのではないかと僕は想像する。ルームメイトのHも祖国を捨てアメリカに自由を求めた移住者だった。祖国には父親がいた。彼の父親は大戦中に親戚、家族のすべてを殺されている。Hの父親だけが強制収容所からの生き残りだった。自分が家族を持ったときに、異様なまでに自分の家族を失うということをHの父親は恐れた。「怪我をするのでは?」「危険なことをして命を落とすのでは?」平和な時代になっても、その想いは消せなかったという。Hが父親にだけ移住のことを話した時、以外にも父親は反対しなかったという。「ポーランドに自由がないと思うのなら、それがアメリカにあるというのなら、お前の好きなようにしなさい。それがお前の幸せであるのならば・・・」

Hは生涯、「捨てた・・・」「逃げた・・・」という思いを抱いていたように思う。祖国は捨てられるものではなかった。そのような意味で、Hは生涯苦しんでいたのかもしれない。彼は詳しいことは話してはくれなかったし、話してくれても僕は理解できなかっただろうと思う。

移住した音楽家、ハイフェッツはフォスターやガーシュウィンの曲を編曲し、ホロヴィッツは「星条旗よ永遠なれ」を華麗なピアノ曲に編曲した。でも彼らはアメリカ人という感じではない。彼らは生涯ロシア人だったのではないかとも思う。祖国は一生背負うものなのかもしれない。

日本に移住した音楽家もいる。ピアノだとレオ・シロタとかレオニード・クロイツァーのようなピアニスト。このような人たちは正当な評価を現在されているのだろうか?結構「誰、それ?」なんていう日本人も多いのではないだろうか?

ヴァイオリニストのアレクサンドル・モギレフスキーも日本移住組の音楽家だ。さすがにヴァイオリンを弾く人で「モギレフスキー?誰?」なんて言う人はいないと思いたいけれど、この人の演奏をじっくりと聴いたことのある人は意外と少ないのかもしれない。

例えば、ハイフェッツなどと比較をすれば、モギレフスキーの国際的な認知度は、かなり劣ってしまっても仕方がないように思う。ある意味、アメリカではなく日本で活動したということでそれは仕方がないように思う。彼は多くの日本人の弟子を育てた。現在の日本のヴァイオリン界の根底を成した人たちを育てたのだ。諏訪根自子とか・・・

日本という極東の地に留まったことで、国際的な知名度が低くなってしまったのだとしたら、その認識を正していき、世界に知らせていくのは日本人の役目だとも思うのだが、当の日本人が「知らない」とか「二流だから日本で教え、活動したのだ」などという文章を書いたりしているのには憤りさえ感じる。実際にモギレフスキーの演奏を聴いたことがあるのだろうか?

彼ら日本移住組が日本に留まった理由としては、当時の世情があまりにも不安定になり、移動そのものが困難になったということもあるだろうと思う。演奏旅行で訪れた日本という地から動けなくなってしまった・・・

もしかしたら、日本で暮らすということは最初は彼らの希望ではなかったのかもしれない。アメリカとは異なり、彼らの出身地、東欧やロシアとは習慣から文化から何もかも異なっていただろうから。ユダヤ人・・・と特別に扱われることはなかったかもしれないが、外国人ということで、かなりの苦労もあったのではないかとも想像できる。

でもこうも想像したりする。彼らが日本に留まった時、むろん日本は現在のような国ではなかった。情報も乏しかっただろうし、日本人の演奏レベルも高かったとはいえなかったのかもしれない。今のように毎月何人も海外の演奏家が来日・・・なんてこともなかっただろう。でも西洋音楽に飢えている人は多かったのだと想像する。移住組の演奏家の音色に酔い、初めてとも思えるカルチャーショックを味わった。「これが西洋音楽?なんて素晴らしい・・・」「私たちにもこんな演奏のできる日がくるのだろうか?」「果てしない道なのだろう・・・でも進まずにはいられない」

移住組が接した日本人の弟子たち、彼らの瞳は火のように燃えていたのではないかと想像する。「自分も近づきたい、自分も少しでいいから触れたい・・・」

その当時の日本人たちの火のような想いが移住組の音楽家に伝わった・・・そして彼らは日本人に自分たちの文化を伝えた・・・

だから彼らは日本に留まった・・・

アレクサンドル・モギレフスキーは日本で暮らし、日本で活動し、そして日本人の弟子を育てた。そして日本で亡くなった。彼の墓は日本にあるのだそうだ。小平霊園というところに・・・

kaz



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ドナドナとバラードの1番 

 

11月のピアチェーレの演奏会では、苦手な(?)ショパンを弾く。最初に、これまた苦手なバラードの1番を弾く予定だ。何故バラードの1番が苦手なのか?やはり有名曲だからだろうと思う。誰でも弾く曲というイメージがある。その割には、この曲は「チェルニーですか?」のような演奏になりやすい気もするのだ。突然「ハノンのスケールですか?」みたいになってしまうような難しさがある。困難なパッセージが満載なので、どうしても「必死に弾いています!」「音型に苦労しています!」のような演奏になりやすいのだと思う。特にコーダは演奏至難であるような気がしている。個人的な感触では4番のコーダよりも弾きにくい。ここもただの「爆演」になりやすい個所だ。

では何故弾くのか?この曲はポーランド人としてのショパンを感じるからだ。燃えたぎるようなポーランド人としての誇り・・・

有名曲であるだけに、この曲を「夢見る、お素敵ショパン・・・」のようには捉えたくはないし、もっと別のものを伝えたいと思う。大胆な発想かもしれないが、僕はこのバラードを「お素敵ピアノ曲」というよりは、一種のクレズマー音楽として捉えてしまっている。

この曲を聴き、そして弾いていると、何故かコルベ神父を連想する。アウシュヴィッツで餓死牢行きを宣告された人の身代わりになったコルベ神父。「餓死牢?助けて下さい。私には愛する家族がいるのです」コルベ神父は身代わりになるのだ。「私には家族はいません。私が餓死牢に入りましょう」と。神父だから・・・というよりは、ここに人間としての誇りというものを僕は感じる。

ポーランド人としての誇り、ユダヤ人としての誇り、人間としての誇り・・・

「こんなに辛い治療だったらやめて死んでしまいたい・・・」弱い僕にルームメイトであったHは何も言わなかった。抗癌剤の影響で僕の頭髪はその時にはなかった。Hは何も言わずに僕を見つめた。そして自分の金髪をバリカンで刈った。そしてスキンヘッドになった。彼の目は包み込むように静かなようでもあり、燃えたぎっているようにも感じた。そこにはポーランド人、ユダヤ人としての、そして人間としての誇りがあった。「生きなければだめだ。それが最低限の人間の誇りだから・・・それを捨ててしまったら人間ではなくなるんだ」

翌日、Hは帽子をプレゼントしてくれた。「そのベースボールキャップはよくないね。kazらしくない。このダービーハットはどうだろう?」彼は黒い山高帽を僕に手渡した。彼はこの世のものとは思われないような笑みを僕に見せた。

クレズマー音楽はイディッシュ文化そのものだ。その音楽はユダヤ人の誇りから生まれたものなのだ。

ある晴れた昼下がり 市場へ続く道 荷馬車がゴトゴト子牛を乗せてゆく・・・

教科書にも載っていた「ドナドナ」もユダヤ音楽、クレズマー音楽だ。この曲の歌詞の「子牛」は実は強制収容所に送られていくユダヤ人たちであったと解釈され、一種の反戦歌として歌われていたこともあったが、実はこの曲は実際にはホロコースト時代よりも少し前にアメリカで発表されている。なので、ホロコーストとの直接なつながりはない。

でもこの「ドナドナ」が作られるよりも、ずっと昔からポグロムというユダヤ人、ユダヤ文化迫害は中東ヨーロッパを中心に存在していたし、実際の作詞者、作曲者も東欧から逃れたユダヤ系アメリカ人たちなのだ。虐げられた歴史というものとは無関係ではないだろう。

原曲の「ドナドナ」は日本版のそれよりも哀しさを感じさせる。そして人間としての誇りも感じさせる。

「ドナドナ」とショパンの「バラード 第1番」は接点がないようで、実は「誇り」という部分でつながっているように僕には感じる。ポーランド人、そしてユダヤ人、人間としての誇り・・・

原曲の歌詞は、日本で知られている訳詩とはかなり異なるようだ。



縛られた哀しみと子牛が揺れていく
ツバメは大空を飛びまわる
風は笑うよ 一日中
力の限り笑い続ける
ドナドナ・・・

「泣くんじゃない」と農夫が言った
「お前は子牛なのか?翼があったら逃げていけるのにな・・・」
ドナドナ・・・

捕えられ殺される子牛
心の翼で自由を守るのだ
自由を・・・
ドナドナ・・・



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category: ピアチェーレ

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さようなら・・・僕のニック・アーンスティン 

 

俳優のオマー・シャリフが亡くなった。心臓発作だったそうだ。少し前に彼がアルツハイマーになったというニュースを知ったばかりなので、よけいに悲しい感じだ。なんだか涙が出るほどのショックだ。

オマー・シャリフと言えば、やはり「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」が代表作となるだろう。でも個人的には彼の出演作では思い入れの強い作品が別にあるのだ。

「ファニー・ガール」

この映画は、どう考えてもオマー・シャリフの代表作とは言えないとは思う。ファニー・ブライスの伝記映画、ミュージカル映画・・・というよりは、バーブラ・ストライサンドの銀幕デビュー作として、この映画は有名だ。つまり、これはバーブラのための映画だった・・・という印象が強い。バーブラは、このデビュー作でいきなりアカデミー賞を受賞してしまったけれど、やはり素晴らしい演技であり、歌唱だったと思う。

オマー・シャリフ演じる、ニック・アーンスティン役は、どこか損な役だったかもしれない。「ファニー・ガール」はコメディタッチのミュージカル映画ではあるけれど、僕の個人的な印象は、「交差」というものが隠れたテーマになっていたように思う。

ファニーは歌は天才的だが、容姿は並みだった。どこか冴えない女の子。やはり舞台で輝くには美貌が必要だ。でも諦めずに何回もオーディションを受ける。そこへニックが登場するのだ。

「なんてゴージャスな人なのかしら・・・でも私には縁のない人、違う世界の人なんだわ・・・」とファニーは思う。たしかにニックは輝かしく登場する。ゴージャスなのだ。ニックをオマー・シャリフが演じていたことで、この映画に風格が加わったと僕は思う。

ニックの後押しもあり、ファニーはスター街道を駆け上っていく。舞台人としても女性としても輝いていく。ファニーとニックは愛し合い結婚するが、この時が二人の輝きが同等の輝きだった時だろう。最も幸せな時・・・

でも「交差」していくのだ。ファニーはますます輝いていく。でもニックは運というものから見放されていく。借金・・・

「ニックはファニーに食べさせてもらっている・・・」周囲はそう感じるようになる。

二人の気持ちは変わらない。でも周囲が変わる。ニックの人生が変わる。輝きはすべてファニーに吸い取られてしまったかのように・・・

そして破局・・・

明るいミュージカルという印象の「ファニー・ガール」だが、実に哀しい物語なのだ。運の交差・・・なにもかもが逆転していってしまう。

「ファニー・・・ファニー・ガール・・・君は僕なんかいなくても幸せに生きていける・・・」

二人が出逢うのも楽屋、そして別れるのも楽屋・・・

「ファニー・・・僕は君に何をしてあげられただろう?僕は何もしてあげられなかった・・・」

「いいえ、ニック・・・あなたは私が美しいということを教えてくれた。自信を与えてくれたわ・・・」

「さようなら・・・僕のファニー・ガール・・・」

やはりオマー・シャリフといえば、僕としてはニック・アーンスティンなのだ。

さようなら・・・僕のニック・アーンスティン・・・

kaz



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category: Barbra Streisand

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ナチュラルメイク 

 

アマチュアでも(だからというべきか?)超絶技巧曲を弾きこなす人は多い。動画にアップしている人もいる。たとえば、シフラやアムラン編曲のものや、アルカンの曲など。おそらく、このような曲の楽譜は真っ黒なのであろう。僕はそのような曲は弾けないので、単純に、弾けるということが「凄いなぁ・・・」などと思う。曲への執着心(愛情・・・ではないような?)が強くなければ、譜読みで挫折してしまうだろうとも思う。

でも、以外と彼らの演奏は心には響かなかったりする。それは彼らの目的が「弾く」ということだからかもしれない。自分だけの世界というか。他者を包み込んでしまうような何かに欠けているような?

超絶曲を、ある意味、弾きこなしている人は、たとえばモーツァルトの小曲とか、ここで貼りつけたセルバンテスの「キューバン・ダンス」のようなシンプルな楽譜の曲をどのように演奏するのだろう?ちょっと聴いてみたい気もするが、単純に考えれば、真っ黒な楽譜の方が、真っ白(?)な楽譜よりも演奏は困難なわけだから、それはそれは見事に演奏しそうなものだが、そうでもないかも・・・という気もする。

シンプルな楽譜の曲ほど演奏は難しい・・・とはよく言われることだ。これってどういうことなのだろう?演奏者の力量が演奏に反映されやすいということなのだろうか?力量は感性とか、能力とか音楽的なセンスとか、表現はいろいろあるだろうが・・・

そうなのだと思う。これは経験として身についていることでもある。メカニカルなものが満載で派手目の曲は、むろん「弾きこなす」ということそのものが困難ではあるけれど、でも練習すれば・・・とか、弾けるようになれば・・・という希望は持ちやすい。反対に、シンプルな曲を弾いて、「なんだかダサクない?」と自分でも感じ、解決策が見つからない場合、これは困る。

この場合は「楽譜を読む」ではなく「音符を読む」ということを読譜だと勘違いしているのでは?音符を読む、とか音符を弾くということが演奏だと思っていれば、そりゃあ、セルバンテスは簡単であり、シフラやアルカンは難しいだろう。そのような価値観で弾いていたら・・・

最近は、楽譜を読む・・・ではなく、自分なりに「楽譜に反応する」ということを考えて練習したりしている。

知人にメイクの仕事をしている人がいる。テレビ出演者のメイクをする仕事だ。画面で「えっ、スッピン?」と見えるようなナチュラルメイクでも、実際はベースの段階で、かなり厚く塗ってしまうのだそうだ。つまり、ナチュラルメイクは素顔のように見える・・・というメイクであり、実際には素顔に近いメイクではないのだ。テレビではスッピンのように見えるメイクでも、そのまま電車などに乗ったりすると、「厚化粧の人」となってしまうらしい。

ナチュラルメイクの発想・・・

シンプルな曲は、シンプルに聴こえるだけであって、実はいろいろと行わなければいけないことが、真っ黒曲よりも多かったりするのではないだろうか?この微妙な部分の変化を弾き飛ばしてスコンと弾いてしまってはおしまいよ・・・みたいな。

偉大なピアニストは、なんでもないような曲が上手かったりする。

超絶真っ黒曲で喝采を浴びる人は多そうだが、このセルバンテスの「キューバン・ダンス」のような曲で、聴衆のスタンディングオベイションを貰えるピアニストは世界にどれくらい存在するのだろう?

ホルヘ・ルイス・プラッツ・・・そこそこ日本でも有名だが、もっと有名になって欲しいピアニストだ。

kaz



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パフォーマンス 

 

9月に、あるチャリティー・コンサートに出演する。小さな曲を5分程度弾くだけなのだが、チャリティーということなので、有料の演奏会となる。コンサートの収益の一部でも自分に入るということであれば、僕はプロの演奏家ではないのだから、それはいけないな・・・などと思うけれど、出演者は参加費を払い、コンサートの収益は、すべて寄付に回るので、出演者としての実感はピアチェーレの無料の演奏会とあまり変わらない。ただ、お金を払って聴きに来た人が会場にはいるわけで、そこのところをどのように出演者は判断するかだろうと思う。

個人的には、会場で聴いている聴衆が、イコール出演者でない場合、たとえばピアノ教室の発表会のような聴衆=関係者のような場ではない時には、聴き手は、わざわざ時間を空けて会場まで足を運んでいるわけだから、演奏者としては、ある種の責任が生じるとは思う。無料だろうが、有料だろうが、そこは変わらないような気がする。人様の時間を頂いて自分が演奏するわけだから・・・

アマチュアの場合は特にそうなのかもしれないが、どうしても人前での演奏とか本番というものを、日頃の練習の成果を問う場・・・として捉えてしまうことに慣れてしまっている。発表会とかサークルの練習会とか。そのような時って、「どれだけ練習の成果が出せたか」とか「失敗しなかったか」とか、演奏の表面的な出来栄えにのみ捉われてしまう。

「崩壊寸前だった・・・もっと練習しなければ!」「まぁ、弾けたのではないかと・・・」

このような感想は、すべて自分にとって・・・の感想だ。聴き手は?聴いていた人はどう感じたのだろう?

「心を込めて演奏させて頂きます!」これも自分の勝手な思いなわけで、やはり「あなたは心を込めた満足感があるでしょうが、でも聴き手は?」のような問題が残る。

つまり演奏者がどう・・・ではなく、聴き手がどう・・・ということ。

聴衆は、演奏者のピアノライフのお飾り、アクセサリーではないのだ。

「そんなぁ・・・プロじゃないんだしぃ・・・」

むろん、一生懸命練習しなければいけないし、本番でも投げやりな気持ちで弾くよりは、心を込めた方がいいだろうとも思うが、それだけではなく、その演奏を「パフォーマンス」として考えてみたらどうだろう?練習成果の披露・・・という自分だけの範囲ではなく、聴き手が存在しているわけだから、聴き手のテンションを集める義務を感じ、時間や音、空間を共有し、聴き手との一体感までを視野に入れる。

「ピアノの演奏」とか「曲を弾きこなす」とだけ思わずに、「自分は○分間のパフォーマンスをするのだ」と最低限感じてみる・・・

演奏直後の自己反省は「ああ、上手く弾けなかった」とか「まぁ、なんとか・・・」ではなく、「今のパフォーマンスで何かが伝わっただろうか?」になる・・・

「そんなこと・・・プロじゃないんだし、プロ級の腕前になるまで、そんな風に思えない。」これは僕も思う。でもこうも思う。

「人に伝える・・・そんなレベルになったら考えよう」では人間はそのようなレベルになる前に死んでしまう。そんなレベル・・・なんてないのかも?やるか、やらないか・・・だけかも?

多くの人は死の直前に後悔することがある。それは「失敗したこと」ではない。「やらなかったこと」を後悔する。

kaz



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悲しいラジオ体操 

 

昨年は、ギター曲やフォルクローレをピアノ用に自分で編曲したものを弾いたりした。編曲・・・ではないな、そのままピアノに移したという感じだから。洒落た和声を考えたりしたわけでもないし。楽譜からではなく、この時は耳コピをした。サークルのピアノ仲間には、ジャズの得意な人もいて、このような人たちと比較すれば、僕の耳コピの能力なんて大したものではないと思う。

耳コピをした時には採譜はしなかった。耳から入ったサウンドを音にしただけ。耳コピに限らず、例えば簡単な即興演奏や移調奏のようなもの、以外と音大出身者は苦手だったりするらしい。楽譜→読譜→音にしていく・・・ということだけしかできないというか。

おそらく、僕は絶対音感というものがあるのだと思う。だから得をしたということもあまりないような気はする。ただ、楽譜を見れば、音としてのサウンドが頭の中に鳴るので、読譜というか、譜読みは遅くはないかもしれない。でも考えてみれば、クラリネットという楽器が僕にとって困難だったのは、おそらく記譜と実音との違いに戸惑ったことも理由にあると思うし、例えば、バロック音楽を当時の音の高さで録音したものなどは、気持ち悪くて聴けなかったりはする。ハ短調という認識の曲がロ短調で聴こえてきたりするので、演奏に集中できないのだ。絶対音感も便利なだけではないような気はする。

即興演奏の能力も、僕の場合は、読譜力の低下につながってしまったところがある。子どもの頃のピアノレッスンの停滞は、サウンド→弾いてみたい→練習というものから脱却できなかった自分の狭さに原因があると思っている。つまり、耳から入ってしまったパターンの典型的な失敗例なのだと思う。

この即興演奏の能力で得をしたこと・・・あるかなぁ?楽器店の営業をしていた頃、その楽器店(ヤマハ)のグレードテストなるものを興味本位で受けたことがある。多くの人、それは音大出身のシステム講師(でいいのか?)という立場の人が多かったけれど、その人たちは、とてもグレードテストの即興演奏を苦手としていた。でも、僕にとっては、このグレードテストの即興演奏は、子どもの頃のピアノ遊びそのものだったのだ。モチーフが与えられ、適当に(では本来はいけないのだろうが)伴奏をつけて、即興しながら曲として展開させていけばいいだけなのだ。でも何故か、音大出身者はこれができない人が多かった。たしか演奏グレードの4級というものを僕は持っている。持っていても生活に役立っているわけでもないけれど・・・

小学生の頃、バイエルが全く弾けなかった頃も、ピアノ遊びは好きだった。即興演奏は自分だけの世界であり、人様に聴かせたことはない。恥ずかしいから。でも音楽の授業の前の休み時間などに、音楽室でクラスメートに自分のピアノ遊びを披露していた記憶はある。

「男子はピアノに触っちゃいけないのよぉ・・・」などという小うるさい女子もいたけれど、そしてピアノを習っている女子は時折、レッスンで習っているブルグミュラーや、憧れの「エリーゼのために」などを披露していたりしていたけれど、僕はピアノ遊びを披露した。この場合は、家で楽しんでいた即興ではなく、アニメの主題歌などを、短調にして皆の喝采(?)を浴びていたのだ。この時も楽譜を読んでいたわけではない(読めなかったし)ので、完全な耳コピで弾いていたのだ。例えば、サザエさんの主題歌を短調にして「悲しいサザエさん」なるものを披露したりしていた。今思えばバカな子どもだったのだ。

当時のレパートリー(???)で最もクラスメートからの人気が高かったのは、「悲しいラジオ体操」なるレパートリーだ。ラジオ体操第一を短調に変えてだけなのだが、これが受けたのだ。

でも、この曲、楽譜はバイエルの中盤程度では弾きこなすのは結構難しいのではないだろうか?でも耳コピだから弾けたのだ。

この能力をピアノのレッスンでも反映できればよかったのだと思うが・・・

kaz



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呼吸と強調 

 

演奏そのものだけではなく、その他の要素が聴き手に、より感動を与えたりとか、演奏以外の、たとえば演奏者のプライベートでの壮絶な人生とか、あるいは視覚的な要素、麗しい美人ピアニストとかイケメンピアニストとか、そのようなことが聴き手に影響を与えたりするものだろうか?そしてそのような音楽の聴き方は正しいのだろうか?

そもそも正しい聴き方、感じ方なんてないのかもしれない。僕は演奏以外の何かが聴き手に影響を与えることはあると思う。そしてそのような音楽の聴き方が邪道とも思えない。

スタン・ゲッツ・・・サックスなんてあまり聴かないけれど、この人の音色は好きだ。泣いているような音なんだよね。

「スタン・ゲッツ?知らないな。でもいいね・・・」

このような聴き方は、ある意味普通なのだと思うけれど、スタン・ゲッツは麻薬に溺れたり、牢獄で暮らしたりと、人生の裏街道をも見てきた人なので、麻薬患者ではなくても、どことなく王道人生からそれてしまった・・・などと感じている人がスタン・ゲッツの境遇を知って聴けば、より感動も大きくなるということは大いに考えられると思う。またこの人は癌で相当苦しんだ人でもあるので、たとえば末期の癌の人などが、スタン・ゲッツの癌と演奏というものを重ねて聴く場合なども、印象はより強いものとなることもあるだろう。

素人の聴き方・・・なのかもしれない。

でも、素人こそが、最も厳しい聴衆でもあるのではないだろうかと思う。僕の友人たちのように、クラシック?それだけは勘弁して・・・のような反応は特殊だとしても、多くの人はクラシック音楽とは無縁・・・とまではいかなくても、割と近くはない生活をしているのではないかと思う。でも、そのような人たちの耳は割と(とても)鋭かったりもするのだ。

とても達者なアマチュアの超絶演奏など、同じアマチュア、つまり、弾くということをしている人たちは、このような演奏に割と甘い評価をするように思う。時には絶賛の嵐だったりもする。「凄い!」「よくこんなに弾けるもんだ」「ミスしない・・・」「こんなに弾けて素晴らしい・・・」

でも、純粋なる鑑賞者というか、素人というか、自分では楽器を弾かない人たち、つまり大部分の「普通の一般人」は、このような達者なアマチュアの演奏に対して非常に厳しかったりする。「なんだか凄いんだけど・・・何も感じない」「どうしてこうなってしまうんだろう?」「ただ弾いてない?」「能力の無駄づかいとしか思えない」のように・・・

弾きこなすということを主眼としている演奏に対して、素人は非常に厳しいのだ。自分は弾かないから・・・

このあたりは、「クラシック離れ」という現象とリンクしているような気もするが、では素人、玄人(?)に関係なく、「聴かせてしまう」とか「惹きこんでしまう」という演奏、これはクラシック音楽の演奏に限らないと思うが、そのような演奏に共通しているものはあるのだろうか?

「呼吸」・・・なのではないかと思う。聴き手が呼吸を演奏から無意識に感じられる演奏、つまり呼吸をしている演奏を聴き手は音楽的と感じる・・・

音楽表現には、楽器別の奏法的技法とは別に共通のルールがあるように思う。フレーズ内の力点を感じるとか、同じ音型を同じように続けて弾かないとか、そのような共通ルール、音楽語法というか・・・

この部分は、教わることのできるものだと僕は思う。音楽的に演奏するための最低限のルールを無視しなければ、少なくとも「ただ弾いている?」とは思われない演奏になるような気がする。本来、生徒はその部分を知りたくてレッスンに通うのだ。楽譜に印刷されていることを再確認したくて通っているのではない。

ある程度、「音楽的ね・・・」とか「いい曲ね・・・」とか、聴き手に感じさせる演奏は、本来は誰にでもできるものなのだと僕は思う。ただ教わっていない人が多いんじゃないかな?教えられる人も少ないのかもしれないが・・・

基本的な音楽語法の取得により、「呼吸のある演奏」が可能になる。

では、深く感動を誘うとか、聴いている人が泣いてしまうとか、そのようなただ「音楽的ね・・・」とか「うん、素敵よね」程度ではない演奏には「呼吸」「基本ルール」以外の何があるのだろうか?

キーワードは「強調」なのではないかと僕は思う。そんなことをしなくても充分に音楽的なのに、聴き手が想像もしなかったような些細な箇所を微妙に強調する感性・・・というか能力。これはクラシックの演奏家だけが持っているものではなくて、すべてのジャンルの音楽の演奏家に共通していることのように思う。

この部分は、普通に音楽的程度のルールとは異なり、やや教わるのは難しいような気がする。教えている人が分かっていなければ伝えられないし。でも素人の耳は、このような強調の巧みな「偉大な演奏」に対しても楽器演奏をする人よりも敏感であるような気がする。素人だからこそ、シビアに聴くのだ。演奏そのものを「う~ん、自分にとってはなんだかな・・・」か「えっ、何これ?いいじゃない?」だけに分別してしまう正直さ、残酷さがある。その素人の残酷な耳と、時の経過に耐える演奏が、「偉大な演奏」ということになるのかもしれない。

でも、考えてみれば、偉大な演奏家も自分で勝手に先生にしてしまえばいいのでは?感じることができれば、それを表出することはできるはずだ。でも勇気が必要だ。あとは純粋なる熱望かな・・・

スタン・ゲッツを聴きながら、そんなことを思う・・・

kaz



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最後の抱擁 

 

いきなりですが、このブログのリンク、一つ増えました。結構ピアノの先生というか、ピアノ教育界に厳しいことも書いてしまったりしていた(過去形?)のだが、自分の関係しているピアチェーレはともかくとして、リンクして頂いているのがピアノの先生・・・というのも興味深いところではある。まぁ、二人だけだが・・・

基本的には相手からのリンク申請というのか、そのようなものは拒んだりはしない。一度、ゲーム音楽というのかな、そのようなブログの持ち主からリンク申請があったけれど、内容を確認してみると、あまりにも僕の書いているブログとの接点がない感じで、お断りしたことはある。そのようなこともあるにはあるけれど、申請に対して基本的には歓迎です。僕の方からは「リンクさせてくださ~い」とお願いしたりすることはないけれど・・・

さて本題。ピアノを習っている目的というもの、それはピアノが上手くなりたいからだと思う。先生が好きだからとか、レッスンが楽しいからということも理由にはなるけれど、それはピアノを習う目的ではないような気がする。上手くなりたい、させたい・・・そのための手段が「楽しく」でも「ワクワク」でも構わないと思う。手段であるのならば・・・

上手くなる、これは本当に目的なのだろうか?もしかしたら、多くの人が目的と思っている「ピアノが上手く・・・」ということも手段なのかも?

どうも、僕はピアノとか音楽とか、演奏とか、そのようなものをヘビーに捉えすぎなのかもしれないなどと思ったりはする。正確には思ったりすることも、たまにあるかも・・・という感じだが、心の動きとか、胸が熱くなる慟哭のような激しい感情の発露・・・みたいなことを演奏に求め過ぎる。楽しいならいいじゃん?とか難曲を弾ければいいじゃん?などとはあまり思えない。だから「上手く弾く」ということも、心の中では「そんなこと関係ないじゃない?」などとどこかで思っていたりもする。人前で演奏する場合は、聴いている人が、わざわざ足を運ぶという人が一人でも存在するならば、例えばサークルの練習会のように弾く人=聴く人でない状況の場合は、演奏者には責任のようなものが発生すると僕は思うので、自分の出来映えだけに一喜一憂していてはならんと思う。聴いていた人がどうなのかという部分が大切なのだと思う。なので、上手く弾く・・・ということも必要だとは思うけれど、でもそれが目的なのか?そもそも聴いている人は、演奏者の上手さを聴きたいのだろうか?もう少し異なるものを望んでいるのでは?

僕の演奏を聴いて、泣いてくれる人もいるらしい。実際にそのような場面を僕が目にしたのは一度だけだが、いるらしい。演奏直後は疲労困憊しているし、感情も高ぶっているので、周囲の様子を観察などはできないので、実感はないのだが、でも泣いてくれる人がいるというのはとても嬉しい。べつに「泣かせてやろう・・・」などと思って弾いているわけではないけれど・・・

この場合、僕の技術の高さに泣いてくれるわけでもないだろうと思う。その他の要素の何か・・・が聴いている人(もちろんすべてということはありえないが)の一部の人の心の何かに触れるのかもしれない。僕は聴き手としては、演奏会ではともかく、自宅などで音楽を聴く場合、かなりの頻度で泣く。なので演奏で泣く・・・という感覚は非常に理解できる。

もしかしたら、一致を求めているのかもしれない。人生も長く生きていると、それこそ胸が張り裂けそうなほどの心の動きを感じることがある。哀しいこと、嬉しいこと含めてだ。むろん、哀しいことの方が多いけれど、不思議なことに、自分のこの心の高ぶりのようなものを追体験したくなるのだ。それを僕は絵画でもバレエでもなく、音楽に求める。僕がピアノを弾いているのは、むろん、上手くなりないなぁ・・・という想いは含むけれど、それはどちらかといえば、手段に近い感じだ。目的は追体験をしたいのかもしれない。だからピアノを弾く・・・ここのところは自分でも「そうかも?」ぐらいにしか認識できていないが・・・

「kaz君・・・身体中が痛くてね・・・もうどうにかなってしまいそうなんだ・・・」

叔父は肝臓癌で亡くなった。末期には子どもみたいに小さな身体になってしまっていた。

「好きに生きてきたからかな?神様の罰なのかな?こんなこと・・・本当にイヤだ・・・本当に・・・」

叔父は「流し」というかナイトクラブの歌手というか、つまり売れない歌手であったので、周囲は「堅気の仕事をしない、できなかった夢追い人」のように接していた。父とか祖父母とか。「まったく・・・夢だけでは食べていけないんだ。学校にもろくに行きもしないで・・・きちんとした仕事もせず、ただ夢を追って歌なんか歌って・・・」

叔父が亡くなった時には、子どもだった僕が驚くほど皆が動揺し、哀しんだ。僕は素朴な疑問を持った。「それほど叔父を愛していたのだったら、叔父の生前に夢を追うという生き方を認めてあげて、叔父に伝えればよかったのに・・・」と。当時は、今と違って夢を追うという生き方が美しくはなかったのかもしれない。

「もう退院なんかできないかもしれないな・・・」「そんな弱気でどうするの?」「また歌いたいんでしょ?」「そうだが・・・もう無理だろ?こんな身体じゃ・・・」

叔父は諦めていたのだろうか?なんとなく自分の病気のことは察していたのではないかと思う。辛かったのではないだろうか?

叔父は亡くなるまで歌うことを諦めてはいなかった。亡くなる数日まで日記を綴っている。そこには箱崎晋一郎の「抱擁」という歌を歌いたいということが書かれてあった。叔父の持ち声は低音だったから、箱崎晋一郎の声とは著しく異なる。彼は高音の魅力で聴かせていたから。さらに、個性ある歌い方が特徴だった(興味のある方は箱崎バージョンのオリジナル「抱擁」を聴いてみて下さい)。曲そのものは叔父がいかにも好みそうな曲だ。でも叔父の声はオリジナルのそれとは離れすぎている。叔父は最後まで挑戦したかったのだと思う。叔父はフランク永井を崇拝していて、彼が箱崎の「抱擁」をカバーした録音を聴いて、自分なりに病室で研究していたのだ。「フランクさんも歌っているのだから・・・」と。フランク永井の声と叔父の声は声域のようなものは同じ感じだったので、もしかしたら自分も「抱擁」を・・・と思ったのだろう。最後の最後まで歌手だったのだ。

今回、京都に叔父の写真を持ってきた。なんとなく・・・で理由はないけれど、久しぶりに一緒に旅行したくなったのだ。

叔父は上手く歌いたいと思っていたのだろうか?そうかもしれない。でもそれだけだったのだろうか?だとしたら骨と皮になってまで、そこまでになっても何故歌おうとしたのだろう?何かを求めていたんだな・・・と今は思う。僕も上手くならなくてもいいので、その何かを知りたいと思う。夢は追うから夢なのだ。夢があるから生きていける・・・

叔父は声だけではなく容姿もフランク永井に似ている。実際に「弟さんですか?」と言うお客さんもいたそうだ。動画はフランク永井の「抱擁」・・・

最初と最後、左手に煙草を持った普段着のフランク永井の写真が写るが、特にこのショットは叔父に似ていると思う。そっくりだ。

自分の演奏はどうあって欲しい?どのように弾きたい?何を目的に練習するの?外野があれこれ言っても直球で夢を追ってもいいんじゃないか?「できないから・・・」とか「そんな技術なんてないから」「プロじゃないんだし」なんて思わないで・・・

kaz



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誘導と内在 

 

僕が幼い頃、音楽的に大きな影響を受けたと考えられる二つの要因に、赤ん坊の時から、かなりの期間、「流し」をしていた叔父に預かれていたということがまずあると思う。もう一つは、小学生の時に音楽に詳しい医大生と知り合い、多くのクラシック音楽、偉大な演奏を紹介してもらったこと。この二つは現在の僕を形づくっていると自分自身では思っている。

叔父は流しだったから、もちろんギター片手に飲み屋で演歌などを歌うこともあったのだが、彼はクルーナー唱法の歌手だったので、演歌というよりは、ムード歌謡の方を得意としていて、飲み屋というよりは当時全盛だったキャバレーのようなところで歌うことが多かったみたいだ。日中は仕事がなかったので、僕は夕方まで叔父と過ごしていたわけだ。どこかに連れて行ってくれたりとか、一緒に子ども向けの童謡を歌ったりとか、そのようなことは一切なかったように思う。叔父は僕がいても、洋楽や歌謡曲を歌い、レコードを聴いていたのだ。僕も泣いたりせず、記憶はないながらも、おとなしく熱心に聴いていたらしい。

具体的な記憶はあまりないのだ。叔父の膝の上で彼の声を聴き、傍でギターの音色を聴いていた感覚はあるが、具体的な曲名とか、そのような記憶はない。

叔父は若くして癌で亡くなったので、僕は後年、叔父のレコードと日記を譲り受けた。その日記には叔父の心の感情などは綴っていなかったけれど、かなり細かく、聴いた曲、練習した曲、舞台で歌った曲などが記されている。日記というよりは、記録のようなものだが、その記録の日記には僕が預けられた日にはそのように記録されていたので、具体的な記憶は僕自身はなかったけれど、当時、どのような曲を聴いて育ったのかが今も分かるのだ。

一つの傾向があると思う。それは叔父の声もそうだったのだと思うのだが、非常に感傷的、かつソフトな感覚のものを叔父は好んだということだ。その影響を僕は受けたのだと思う。叔父の歌や、つま弾くギターの音色、そして彼が好んで聴いていたレコードを僕は吸収していったのだと思う。感覚的なことも吸収したが、音楽的能力のようなもの、実際には能力とも呼べない小さなものだが、僕は叔父から学んだのだと思う。一つは音楽には抑揚があるということ、頂点に向かい感情が高まり、収まる・・・そのくり返しにより、空気の振動が演奏者以外に伝わるという演奏の基本のような感覚、これを叔父から吸収したのだと思う。無意識にね。

僕は幼稚園で、いきなりピアノで即興演奏をして周囲を驚かせたことがあるのだそうだ。僕自身は記憶にはない。でも僕は叔父のギター演奏を聴いていたし、幼稚園で保母さん(先生?)が歌の伴奏でピアノを弾くのも見ていた。音楽の動きと鍵盤の成り立ちのようなものは、把握していたのだと思う。「あっ、鍵盤を上に移動していけば音はそうなっていくのね?」みたいな。

頭の中の音楽をそのまま自然に鍵盤に移したのだ。ただそれだけのことだ。頭の中の音楽は叔父から吸収したものだった。それは子ども用の歌ではなかった。どこかシャンソン風でもあったらしい・・・

これは、もしかしたらソルフェージュ能力ということと関係があるのかもしれない。たしかに、読譜をして音符(楽譜ではない)を鍵盤に移していき、なんとなく止まらないで弾けるようになったら、なんとなく表情らしきものをつけて、はい合格・・・みたいな今までの(?)ピアノレッスンはもうどこか行き詰ってしまっているだろうと思う。でも、今でもピアノ導入での大きな課題ではあるような気はしている。

僕が叔父から吸収したもので最も重要なものは、ソルフェージュ能力とかそのようなことではなく、子どもなりの感情の発露と自己の演奏というものを、幼児の時から自覚していたということだ。演奏、これは実際には音で、鍵盤で遊ぶということだったと思うが、このような行為は音符→音という手順ではなかった。心の中の強烈な動き、何かを鍵盤で表出するという行為だった。僕の場合、初めからそうだったのだ。これは叔父から授かった財産だと思っている。

感情の発露と演奏、実はこの部分は教えたり、教わったりというのが難しい部分なのかもしれない。

ピアノのレッスンに限らずだと思うが、子どもを教える、子どもに何かを伝える場合、そこに意図はなくても、「大人の誘導」というものが入ってくる可能性がある。たとえば道徳の授業。「イジメ」に関する授業を行い、生徒からの感想文を読んだとする。その感想文には「イジメはいけないと思いました」とか「イジメは弱い人がすることだと思います」「絶対にイジメは許せません」と書いてあったとする。この場合、教師は「あっ、自分のクラスにはイジメはないのね」と思うだろうか?そうだとしたら楽観的というか、相当おめでたい教師だろう。子どもは大人の誘導に敏感なのだ。「このように書くべきなんだな・・・」ということを書いたりするのだ。ピアノのレッスンでも同じではないだろうか?なんとなく弾いてきた生徒がいるとする。一応弾いてはいる。指導者は表情の変化が乏しいと感じるはずだ。そしてこう言う。「Aくん、とてもよく弾けたね、練習したんだね?でも先生はこの部分が気になったんだな、ここ、今までと違う感じがしない?Aくんはどう思う?この部分はそれまでと違う感じがするかな?」「すると思う」「どんな感じだろう?」「えっと・・・なんとなく悲しい感じ・・・かな?」「そうだね!よく気づいたね。じゃあ、今度は少し悲しい感じで弾いてみたらどう?」

そしてAくんは弾く。一応悲しい感じで。でもこの場合、Aくんが心からの発露で悲しさを表現したのではない可能性もある。指導者が期待した答えを察知して悲しい感じと答えた。そしてAくんなりに、控えめ表現で悲しさを演ずる・・・

この場合は「よく弾けたね」と喜んでもいられないのではないかと思う。もしかしたら指導者の誘導、それは無意識の誘導かもしれないが、それに合わせただけなのだから・・・。これは子どもの得意分野でもあると言える。

子どもなりの発露、これと芸術作品、それがシンプルなものであろうと、そこに真の一致を目指していくのが本当のピアノレッスンではないか・・・

迷子になってしまった子ども、必死に母親を探す。「ママ・・・ママ・・・」この時の子どもの心は、本物だ。「何処にいたの?探したじゃない!」「ママ~」と母親の胸に飛び込んでいく。この時の感情は本物で、本物の発露なのだ。この発露と音楽作品から受ける感情とを一致させ、同様なる発露表現につなげていく、その具体的情報を伝えていくということが本来のピアノレッスンなのではないかと僕は思う。現実には「誘導」を「表現を教えた」と勘違いしている指導者も多かろうと思う。

僕自身、素晴らしい演奏と自分が感じる場合には、演奏技能の闊達さとかそのようなことではなく、もともと自分に内在していた何かとの一致のあった演奏を素晴らしいと感じたりする。自分に内在している何かは流しの叔父がまず僕に教えてくれたのだと思う。

このギター演奏、個人的にとても好きな演奏だ。「叔父のギターみたいだ・・・」と思う。それは叔父の演奏そものではなく、かつて僕が叔父のギターを聴いて僕の内部に蓄積された何か、説明できない、その「何か」との一致がこのギター演奏にはあるように思う。だから僕はこの演奏を「好きだ・・・」と思う。僕の心が、内在する何かが反応するのだ。

リアルに僕の演奏を知る人、聴いたことのある人は、このギター演奏と僕の演奏とで、どこか似ていると感じるかもしれない。そうだとしたら僕はピアノを弾いていて良かったと思う。

kaz



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