ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

専門ピアノと街ピアノ 

 

僕が所属しているピアノサークルのメンバーにはピアノ教師の人もいる。別に「アマチュア限定」としているサークルでもないので、ピアノ教師だって参加できるのだけれど、でも数は少ない。

ピアノ教師のブログを徘徊しても、自分の生徒のレッスンのことは書かれているけれど、自分の演奏について書かれていたりすることは、まずない。むろん、中には自分自身のピアノというものを重視している教師だって多数いると思うし、実際にそのような人も知っているけれど、基本的にはピアノ教師のブログの内容は「今日のレッスンでA子ちゃんが素敵に弾けましたぁ」のようなものが圧倒的に多い。

もし、自分の演奏というものを、教えることを職業としたとたんに、バタッとやらなくなってしまうとしたら、これは不思議なことではある。ピアノ教師のほとんどは、音大のピアノ科という専門機関を卒業しているはずだからだ。そこでは、基本的には「専門家としてピアノを演奏する」ということを勉強してきたはずだ。現実問題として、音大にもレベルがあるとしても、でも専門機関なのだから、「今期の試験は自由曲だから、アナと雪の女王のレット・イット・ゴーを試験で弾きたいんです」という学生はいないだろうし、許可する音大の先生だっていないだろうと思う。

では、なぜ「今までやってきたこと」をバタッとやらなくなってしまう(ような印象を与えてしまうブログを書く)先生が多いのだろう?

おそらく、音大のピアノ科を卒業して、いわゆる「街のピアノ教室の先生」として新たなスタートをした時に、現実の厳しさを体験したのではないだろうか?それまで自分は、一生懸命ピアノを練習してきたし、練習しないでレッスンを受けるなんていうことも基本的にはなかったはずだ。音大の先生のスタンスだってそうだ。現実として、どんなにピアノ演奏で食べていくことが困難な世の中があり、またその生徒の技量が実際にそのように感じられるものであったとしても、「卒業したら演奏で食べていくんじゃないんでしょ?じゃあ、いいじゃない、楽しくJポップでも弾いていれば」なんて言う音大の先生はいないはずだ。

でも、現実には「宇宙人のような生徒」も現実の街の教室には習いにきたりする。「練習なんて嫌いで~す」とか「私はピアノなんて興味がありませ~ん」のような不思議とも思える生徒の存在・・・

レッスン中、目を輝かせて・・・どころか無反応で、教師が「なんでピアノを習いに来ているのだろう?」と感じてしまうような生徒もいたりする。親だっていろいろな親もいるだろうし・・・

でも職業だし、お金を頂いているわけだから、「私のレッスンを受けにくるなんて猫に小判だわ」などと心の中で投げ出してしまうわけにもいかない。

どうも世の中のピアノ教師のブログが「素敵に弾けたA子ちゃん、楽しく弾けたねB子ちゃん」という感じになりがちで、内容も教材研究とか、それに関するセミナー中心のものになり、どこか「自分のピアノ」「自分の演奏」というものが置き去りになる理由としては、現実に対処しているピアノ教師、現実の厳しさに対処している教師が多いということなのではないだろうかとも感じる。つまり、「困ったチャン」を捨ててしまうことはできないわけだから、「なんとかしなければ」「工夫しなければ」と思うわけで、ここの部分がとても大変で重いのだろうと思う。

基本的に僕のようなアマチュアのピアノ弾きは職業というものを持っている。それはピアノというものとは全く異なることを「プロフェッション」としていることでもある。なので、ピアノを弾くということは、時間的な制約とか身体的疲労感ということはあるけれど、どこか「現実からの逃避」=「心の安らぎ」のような感じ方をピアノから受けることも可能だ。だが、街のピアノ教師で、宇宙人問題(?)に対処し、「なんとかしなきゃ」とか感じている場合、自分の演奏もピアノだし、現実問題もピアノだし・・・ということで、かえってアマチュアよりも精神的には厳しい状態なのでは?なので「自分の演奏」というものから遠ざかってしまったりするのでは?

なんとか教師の工夫、そして研究の成果が実り、宇宙人状態(?)だった生徒もピアノを続けられたとしよう。その時だ。ある程度上達すると、いや上達したからこそ感じることだと思うのだが、やはりピアノというものは簡単なものではないということだ。「ああ・・・このように弾けたら」でも現実にはそう簡単には弾けるようにはならない。ピアノ教師の人だって自分自身のピアノ道を振り返って「ピアノって楽しいことばかりだったし、音大卒業までの道のりだって辛かったことなんて全くなかった、すべてバラ色だった・・・」なんていう人は、おそらく皆無だろうと思う。ピアノって大変なのだ。難しいのだ。

その時、生徒を引っ張れる教師は、自分自身のピアノで悩んでいる教師なのではないかと思う。「ピアノって大変・・・でもね・・・」の部分。言葉で語らなくても、生徒が感じる部分でもあるし、悩んでいる教師だけが持つことのできる説得力の存在する世界であるとも言える。教師が完全に自分の演奏、自分のピアノというものと生徒のレッスンというものを切り離してしまった時、ここで自分の生徒を引っ張ることは非常に困難なように思える。

「誰にでも合う靴なんてないだろう?ピアノの指導だって同じさ・・・」

名教師、サッシャ・ゴロドニツキの言葉。これはピアニストではなくピアノ教師の言葉のように僕には感じられる。彼はジュリアード音楽院の名教師だった。黄金期を支え、創りあげた名教師。ピアニストとしてよりも、やはり教師として名高い人だと思うが、彼はどんなに教えることで多忙でも「自分のピアノ」を忘れることはなかった。「いつも教えていた人」という印象があると、彼に習ったピアニストが言っていた。忙しかったのだろうと思う。「いつも学校にいたね。朝から晩まで・・・」

でもゴロドニツキは弾き続けていた。むろん、ジュリアード音楽院の学生は「練習してきませんでした~」とか「ピアノなんて大嫌いで~す」、「ポップスとか好きな曲なら弾いてもいいかも?」なんて言わない生徒ばかりだったと思うし、彼自身も「生徒に興味を持ってもらうには?」「どうしたら練習してくるようになるのだろう?」なんていうことそのものには、あまり悩んだりはしなかったとも思う。

でも彼は多くの生徒を引っ張ったのではないだろうか?

自分のピアノというものがあった。

だから名教師と言われた。多くの生徒が世界中から集まった。

専門ピアノと街ピアノ・・・かけ離れているようで、共通していることもあるのではないだろうか?

kaz



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category: ピアノ雑感

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「ハーレムの闘う本屋」 

 

ハーレムの闘う本屋ハーレムの闘う本屋
(2015/02/25)
ヴォーンダ・ミショー・ネルソン

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1939年、まだ黒人の人権などというものが皆無の時代、ニューヨークのハーレムに本屋が誕生した。本屋と言っても、最初は5冊の本しかなかった。それも行商・・・

5冊だけで始めた行商の本屋が、蔵書数22万5千の本格的な本屋にまでなった。22万・・・日本の地方都市の図書館の蔵書数並みだ。

本屋を創めたのはルイス・ミショーという人。この本はルイス・ミショー、そして彼の本屋「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」の物語だ。

当時は黒人は人間として認められていなかった。「物」のような扱いを受けた。ルイス・ミショーの兄も、白人の警官に片目を潰されている。それでも何も言えなかったのだ。同じ人間ではないのだから・・・

「白人が憎い」「世の中が憎い」

ルイス・ミショーは世の中を恨むだけでは何も変わらないのではないかと思い始めた。何をすればいいのだろう?自分に何ができるのだろう?

それは「知識」ではないだろうか?自分たちにも知識が必要なのではないだろうか?

彼は本を読んでもらおうと考えた。黒人たちに本を読んで知識を得て貰おうと・・・

彼が44歳の時だ。ハーレムに本屋を誕生させた。たった5冊の本しかなかったけれど・・・

「黒人のために、黒人が書いた、アメリカだけではなく世界中の黒人について書かれた本」が彼の本屋「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」には置かれていた。

「本?知識?黒人は本なんて読まないよ」「本なんて読んで世の中の何が変わるというの?」

ルイスはそのように言う黒人たちに言った。「まず店の奥で読んでください。お金はいりません。もし何かを本から感じたのであれば、どうそ買って下さい。でも、まずはどうか読んでみてください・・・」

「ナショナル・メモリアル・アフリカン・ブックストア」は、たった5冊の本からスタートした。そして、黒人たちの「知的サロンの場」にまで発展していったのだ・・・

kaz



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category: ピアノ以外の本

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代役 

 

奇跡のピアニスト郎朗(ラン・ラン)自伝―一歩ずつ進めば夢はかなう奇跡のピアニスト郎朗(ラン・ラン)自伝―一歩ずつ進めば夢はかなう
(2008/07/23)
ラン・ラン、デイヴィッド・リッツ 他

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ラン・ランというピアニストは、どうも苦手だ。演奏の印象の前に、あの百面相が苦手。演奏そのものはいいのかもしれないが。どこか苦手意識のあるピアニストではあるが、彼の自伝(!)などを読むと、かなりの苦労人であるということが分かる。この自伝の中で印象深かったのが、カーティス音楽院時代のこと。彼はゲイリー・グラフマンに師事するわけだが、彼はコンクールにラン・ランを決して出場させなかった。オーディションを受け、ただチャンスを待つ・・・この姿勢を徹底させた。これはグラフマンがコンクール嫌いだったということよりも、ラン・ランのピアニストとしての器をグラフマンが信じたということなのではないかと思う。「彼なら絶対にチャンスがあるはずだ」と。

そして実際にそうなった。ユジャ・ワンもグラフマンの生徒だが、同じような道を歩んでいる。オーディション、そしてチャンスを待つ・・・

彼らと同じ中国からやってきた生徒にチャン・ハオチェンがいた。やはりラン・ラン、ユジャ・ワンと同様、中国では目立っていた存在で、15歳の時に渡米した。グラフマンは、チャン・ハオチェンにはコンクールを受けさせている。彼はヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した。一位を日本の辻井伸行と分け合ったので、そのような意味では日本でも知られたピアニストと言えるのかもしれない。優勝したのだから、大変おめでたいことなのだと思うが、でもこうも考えられるのではないだろうか?

グラフマンはチャン・ハオチェンという生徒はラン・ランやユジャ・ワンほどの器ではない。なので、彼にはコンクールというチャンスしか残されていないだろう・・・そのように考えたと・・・

僕がチャン・ハオチェンの立場だったら、相当傷つくかもしれない。「ああ・・・コンクールしかないのか、僕はそれだけの器だったのだ」と。このあたり、グラフマンは非常にシビアというか、アメリカ人的というか・・・

たしかにチャン・ハオチェンの演奏を聴くと、彼は、やはりラン・ラン、ユジャ・ワンではなかった・・・という印象を持ってしまうのは事実なので、グラフマンの判断は正しかったのだと思う。

思うに、最近は少しずつだが、コンクール優勝ではない経緯で有名になるピアニストも出てくるようになったような気はする。おそらく、キーシンあたりがその始まりで、ラン・ランやユジャ・ワンが活躍すればするほど、コンクールというもののかつての権威が落ちていってしまうようにも思う。別にいいと思うが・・・

コンクールの権威は落ちていると実際に思う。クライバーン・コンクール、前々回の優勝者は日本人だったので、これは多くの(日本)人が「辻井伸行」と答えられると思うが、では前回の優勝者を答えられる人はどれくらいいるというのだろう?

アンドレ・ワッツもコンクール組ではなかった。彼は青少年のためのコンサートのようなものでまず演奏した。この演奏会で演奏するためのオーディションもあったのかもしれないし、そのオーディションだってコンクールのようなものではないか・・・と言われればそうなのかもしれないが、とにかくワッツ少年は大抜擢され、リストのピアノ協奏曲を演奏した。指揮がバーンスタインでニューヨーク・フィルとの共演だ。

本当の意味でワッツ少年が注目を浴びたのは、代役によってだった。たしかグレン・グールドの代役だったと記憶している。バーンスタインが「あの少年はどうだろう?リストを見事に弾いた、あの少年・・・」と言わなかったら、ワッツ少年は世に出てこなかったかもしれない。ピアノを習う少年として終わっていたかもしれない。あるいはピアノ教師とか・・・

バーンスタインは、ただのピアノを習う少年をニューヨーク・フィルの正規の演奏会でデビューさせた。バーンスタインは一度ワッツ少年と共演していたし、ニューヨーク・フィルのメンバーもワッツ少年の鮮烈なリストを覚えていたのだろう。誰もがワッツ少年のピアニストの器を信じたのだ。

バーンスタインの直観は正しかったのだ。ただ達者に弾けるだけの天才少年っだったら抜擢しなかったのではないかと思う。しかし、ワッツ少年は違った。生まれながらに演奏に「華」があった。

ラン・ランが、長い間チャンスを待ち、そしてそのチャンスを生かし世に出ることになったのも、やはり代役だった。アンドレ・ワッツが急病になり、その代役としてラン・ランは演奏したのだ。そして世に出た。歴史を感じる瞬間だ。

kaz



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category: ピアノの本

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孫弟子 

 

アンドレ・ワッツがニューヨークで鮮烈なるデビューをしたのが60年代後半だったように記憶している。むろん、僕はリアルには彼のデビュー当時のことは知らないが、それはピアノ界においても大きな、そして印象深い出来事だったから、僕よりも少し上の世代のピアノファンは記憶にあるのではないだろうか?アフリカン・アメリカン系のピアニストということが非常に珍しかったし、ワッツは16歳だか、とにかく少年の面影を残していたから、話題になって当然だったとも思う。

僕がワッツの演奏に初めて接したのは、レコードでだった。小学生の時だっただろうか?1970年代。その頃にはアンドレ・ワッツというピアニストとは世界的に有名だったように思う。ワッツ・・・と言うと、どうしても日本だとリスト弾きという印象が強いけれど、これは彼の血の半分はハンガリー人であるということ、そして鮮烈デビューがリストの1番のコンチェルトだったことも関係しているものと思う。80年代の後半、彼の演奏会を聴いた時も、たしかリストを演奏していたように思う。

やはり外見が、いかにも「アメリカ~ン」な印象を与えるからなのだろうか、それともニューヨーク製スタインウェイという楽器がそのように思わせるのか、ワッツはアメリカ的な、華やかなピアニストというイメージが(日本では)どうしてもあるけれど、割とレパートリーとしては、古風というか、古典的なところがある。僕自身、生演奏でのワッツで印象的だったのは、リストではなくシューベルトだったりする。

ワッツはデビュー後、レオン・フライシャーに師事している。フライシャーはシュナーベルの愛弟子であったから、その流れの中で「伝統の伝承」というものがあったとしたら、ワッツがシューベルト、そしてベートーヴェンを主なレパートリーの中に入れていても不思議ではないような気はする。

日本のピアノ教育の場面においては、伝統の継承ということよりも、どこか古来からの伝統楽器、たとえば琴や三味線などの「流派」の伝承のような受け継がれ方を感じる。とても「師匠の存在」というものを感じさせる演奏をするピアニストが多いような気はする。達者なコンペティション子どもの演奏もそう。「それ、絶対先生からそのように弾きなさいと言われたでしょう?」という演奏が多い。

ワッツがシューベルト・・・意外なような気もするが、彼がフライシャーの弟子であると知ると、なんとなく「ああ・・・そうだったんだ」とは思うし、フライシャーがシュナーベルの弟子であるということも、なんとなく頭の中と、感覚的な感じとが、つながっていく。それぞれのピアニストの演奏そのものは個性的であっても、何かがつながっている感じ・・・この感じが「伝統の伝承」なのだろうか?少なくとも「このように弾きなさ~い!」などとは言われてはいないような気はする。

とはいえ、僕が初めてレコードでワッツに接したのがガーシュウィンのアルバムという、いかにも「アメリカ~ン」な曲目ではあったのだけれど、もう、とにかく素敵だったという印象が強い。曲そのものも新鮮だった。初ガーシュウィン体験だったし、ワッツというピアニストそのものにも凄く憧れたものだ。「なんだか・・・モデルみたい・・・」と思った記憶がある。たしかに彼はハンサムだ。クラシックのピアニストっぽくなかったというか・・・とにかく素敵だったのだ。

アンドレ・ワッツ~レオン・フライシャー~アルトゥール・シュナーベル・・・

なんとなくつながるが非常にそれぞれが個性的。

ワッツはシュナーベルの孫弟子ということになる。この場合は正々堂々と「孫弟子です」と言ってもいいような気がする。

孫弟子・・・割と微妙だったりするのかも?僕の場合、先生の先生・・・ということを考えてみると、なんだかとんでもなく偉大な人になってしまったりする。フェレンツ・ラドシュという人が、まずそう。この人はシフとかコチシュを育てた人でハンガリーではとても有名な人なのだそうだ。あと僕は、ロジーナ・レヴィーンとクラウディオ・アラウの孫弟子ということにもなる。

僕の場合は、決して「孫弟子です」ということだけは言ってはいけないような気がする。

ワッツの「ラプソディー・イン・ブルー」・・・憧れたねぇ・・・

kaz



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category: 音楽自立人、音楽自由人

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弾くことが生きることだから・・・ 

 

どうして弾けなくなるの? <音楽家のジストニア>の正しい知識のためにどうして弾けなくなるの? <音楽家のジストニア>の正しい知識のために
(2012/07/27)
ジャウメ ロセー イ リョベー、シルビア ファブレガス イ モラス 他

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レオン・フライシャーがジストニアを患った時、「何故よりによって指なんだ?右手なんだ?」と感じたのではないだろうか?拘縮、麻痺・・・何故右手なんだろうと。

フライシャーが両手のピアニストとしては引退を余儀なくされたのが、たしか60年代のことだったように記憶している。ジョージ・セルとクリ―ヴランド管弦楽団と共演した一連の協奏曲での録音で、フライシャーは「才能あるピアニスト」という評価だけではなく、「真の芸術家」であるという評価をも得ることに成功したように思う。特に、ブラームスの1番と2番の協奏曲は凄い演奏だ。その後、数年後にジストニア発症・・・目の前が真っ暗になったのではないだろうか?

フライシャーは単なるピアニストではなく、音楽家であったから、右手が使えなくなっても、自分の芸術を表現する方法があった。左手のピアニストとして活躍したし、指揮者としても有名になった。もちろん、教育者としても新たな道を歩んだ。

左手のピアニストとしては、最も成功したピアニストだと思う。いつのまにか、左手で演奏するフライシャーが普通の姿にさえなっていった。

でも、彼は諦めてはいなかったらしい。治療が極めて困難だとされるジストニアだが、彼は治療法を模索していたのだ。30年以上という年月が流れた。その30年の間に、すっかり「偉大なる左手のピアニスト」というイメージが固まったフライシャーだが、2000年代に入って、いきなり両手のピアノ曲を演奏し、そのCDが発売され、ピアノ界を驚かせた。この突然のフライシャーの復帰は、同病の人、特に音楽家に大きな勇気と可能性を与えたものと想像する。

トゥー・ハンズトゥー・ハンズ
(2004/11/25)
フライシャー(レオン)

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でも、突然ではなかったのだ。治療によって、右手が少しずつ動き始めた時から、彼は入念な準備を行っていたに違いない。30年間、両手のレパートリーは弾いてこなかったのだ。準備も必要だろうし、いきなり完全な状態で右手が動くようになったわけでもあるまい。ただ、少しだけ光が見えた時から、彼は復帰を目指してきたのだと思う。フィンガリングも、かつてのものとは変える必要だってあっただろう。

CD発売の数年前の演奏、このブラームスの協奏曲は、かつて若かった自分を世に出してくれた曲でもあった。その曲を弾いている。正直、演奏しているフライシャーの右手を見ると、なんだか胸が痛くなるほどだ。「ここまでして準備するのか、ここまでして弾くのか」と・・・

かつての重要なレパートリー、得意な曲だっただけに、余計に困難だった側面だってあったと思う。でも、あえてブラームスをフライシャーは選んだ。この曲は彼にとって記念碑的な曲でもあったのだから・・・

フライシャーには使っていい言葉だろう。「弾くことは生きること!」

kaz



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関節炎を超えて 

 

バイロン・ジャニス ピアノ協奏曲名演奏集 4枚組バイロン・ジャニス ピアノ協奏曲名演奏集 4枚組
(2010/07/13)
ラフマニノフ、 他

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もちろん全員ではないけれど、アメリカ生まれ、アメリカ育ちのピアニストには、事故とか指の故障で活動が中断してしまった人が多いような気がする。カッチェンとかカぺルの場合は病とか事故という不幸な例だけれど、指の故障という例ではフライシャーやグラフマン、ディヒターなどがいる。バイロン・ジャニスも指の故障で演奏できなかった期間の長かった人ではないだろうか?

バイロン・ジャニスはレヴィーン夫妻に習っている。ロシアからの亡命音楽家がアメリカで自国のピアニズムを伝承し、それが生粋のアメリカ人に伝わり始めた時代のピアニストと言えるかもしれない。日本のピアノ教育の歴史はドイツの影響が大きい・・・的に大雑把な言い方をすれば、アメリカのピアノ教育界はロシアの影響が大きいらしい。たしかにカーティス音楽院やジュリアード音楽院の黄金期と言われる時代があって、その黄金期は亡命ロシア人教師(というかユダヤ人というか)たちが培ってきたものに思えてくる。

バイロン・ジャニスは、クライバーンがチャイコフスキー国際コンクールで優勝した頃、つまりソビエトの雪解け時代に、ソビエトで演奏、そして録音をして有名になったピアニストだ。ロシアの伝統がアメリカで引き継がれ、アメリカの若者がその成果をロシア本国で披露したという意味合いもあったように思う。

また、彼はホロヴィッツが直弟子にした数少ない生徒でもあった。

全盛期のジャニスの演奏で個人的に好きなのは、ラフマニノフの1番のコンチェルト。完璧なる技巧、完璧なる自信からくる演奏という印象を持つ。ただ「弾けすぎてしまう」という印象をも時には与える。ここまで完璧に楽々弾けるのだったら、さらに・・・という欲求を求めてしまうのだろうか?それとも、無意識にホロヴィッツからの伝承・・・のようなものをバイロン・ジャニスというピアニストへ求めてしまうのだろうか?ホロヴィッツの影というものは、この時代のジャニスにはつきまとったものだったのかもしれない。

バイロン・ジャニスは、アメリカの「弾ける世代」を代表するピアニストだったように思うが、いつのまにか表舞台から退くような印象を与えるようになっていった。実際に彼は指の問題を抱えていたらしい。

驚くべきことに、彼はデビュー前にある事故に遭遇し、指の一本の感覚が、もともとないのだそうだ。デビューは15歳か16歳か、とにかく非常に若くして鮮烈なるデビューをしている。ラフマニノフのコンチェルトを颯爽と完璧に弾き切ったとされているが、この時から、一本だけだが感覚のない指で弾いていたことになる。全盛期のジャニスの演奏、どう考えても、そのような状態での演奏には聴こえてこない。弾けすぎるんだよなぁ・・・とは思えてくるが。

この「感覚のない一本の指」とは別に、大きな問題を抱えることになったのだ。最初は、やはり一本の指から始まった。左手の中指から。そして指全部に広がっていった。関節炎だ。指は腫れあがり、痛みを伴い、握りこぶしを作ることもできなくなってしまった。当然、ピアノ演奏などできなくなってしまった。このことが精神的な破綻をも招いていくようになってしまった。

バイロン・ジャニスという、かつての超絶技巧ピアニストは、どこか過去の人のような存在になっていった。

どのくらいの期間、ジャニスは闇の中にいたのだろう?奇跡的に手術に成功し、再びピアノを弾き始め、録音も開始するようになった。かつての青年が老年という年齢になろうとしていた。

Byron Janis, True Romantic - Liszt, ChopinByron Janis, True Romantic - Liszt, Chopin
(1999/07/05)
Byron Janis

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奇跡的なカムバックと僕には感じられる。でも、復活後の彼を評価しない人もいる。やはり、かつての「弾けすぎるほど弾けていた」ジャニスと比較してしまうのだろうか?かつての輝きが消えてしまっていると・・・

でも考えてみれば、彼は1928年生まれのピアニストなのだ。絶頂期というか、弾けすぎ時代と比較して何になるのだろう?むしろ、全盛期の演奏に感じられた「あと少し、何かが欲しい」と感じさせたものを克服さえしていると僕は感じる。足りなかった「何か」が復活後のジャニスにはある。

そう僕が感じるのは、彼の苦難というものを自動的に演奏からの印象というものに刷り込んでしまっているからだろうか?そうなのかもしれないが、弾けるようになるまでの苦難というものは想像を絶するものだったはずだ。完全にそのことを分離させて聴くことなど僕にはできない。

これは復活後、比較的最近のジャニスの演奏。もちろん、かつての若かりし頃のように、ラフマニノフを颯爽と弾いているわけではないけれど、やはり僕はこの演奏は、奇跡と感じる。暗譜で弾いているという事実だけでさえ凄いことなのではないだろうか?

彼は闇の中にいた時に「もう弾けない・・・」と思ったのかもしれない。

でも「弾けた」のだ。アメリカ人であれば、バイロン・ジャニスというピアニストのことは知っているし、彼の苦難の道のことも知っている。この拍手は同情の拍手なのだろうか?そうではないように思う。

kaz



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永遠の青春 

 

Schubert: Die SchŠne M„llerin, 3 Lieder / Fritz WunderlichSchubert: Die SchŠne M„llerin, 3 Lieder / Fritz Wunderlich
(1996/09/17)
Dg Originals

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ヴンダーリヒが、その短い生涯で録音したチクルスはシューベルトの「美しき水車小屋の娘」とシューマンの「詩人の恋」で、どちらも最高の出来栄えとなっている。むろん、彼が若くして亡くならなければ、さらに音楽的にも成熟した音楽を聴かせてくれたと想像する。「水車小屋・・・」であれ「詩人の恋」であれ再録音をしたと思うし、現在残されている録音は、「かつて若かった頃のヴンダーリヒのフレッシュな演奏」として記憶されただろうと思う。でも、彼が「水車小屋・・・」と「詩人の恋」というチクルスをまず録音したのには理由があったように感じる。どちらも、いわゆる「失恋ソング」というもので、若者特有の心情というものが歌世界の基盤になっているようなところがあるからだ。録音に際して、まずは、若い頃の自分・・・という意味合いもヴンダーリヒにはあったように思う。

「詩人の恋」はともかく、「水車小屋・・・」の歌詞世界には、ついていけないところがある。旅に出るというところは理解できるが、恋をして、失恋したからと言って、なぜ死ななければならないのだろう?人生は山あり谷ありで、生きていればいいことだってあろうに、たかが恋愛ごときで命を絶つなんて・・・純粋すぎるというか、青いというか・・・

シューベルト自身は、「水車小屋・・・」の歌詞に共感したらしく、詩集を手にしたその日に数曲を完成させてしまったほどだと言う。シューベルトも若くして亡くなった。

年齢を重ねると言い訳が上手くなるような気がする。自分に対しての言い訳。色々なことが面倒になるのだ。ピアノを弾くこともそう。これはアマチュア、プロ、生徒、教師・・・関係なくだと思うけれど、ピアノを弾くという根底には「愛」というか「純粋なる青さ」「熱き若さ」のような情熱があるからこそなのではないかと思う。ここが枯れてしまうとピアノの継続は難しい。枯れてしまう・・・ではないね、面倒になってしまうのだ。練習も辛かったりするし。弾かない理由なんていくらでも思いつく。

若い頃の熱い自分を思い出して「フ・・・若かったね・・・青かったね」と思う。自分が成長したわけではない。逃げが上手くなったのだ。面倒になったのだ。死ぬ直前に、また後悔するだろう。「なぜ自分は追わなかったのだろう」と。その時に100の理由が、実は言い訳だったことに気づくだろう・・・

逃げている時にヴンダーリヒの歌声を聴くのは非常に辛かったりする。彼は逃げのない「熱き人」だったように感じるから。

フリッツ・ヴンダーリヒの人生そのものが熱きものだったように思う。両親ともに音楽家だったけれど、フリッツが5歳の時に父親は自殺している。これはフリッツに大きな影響を与えたに違いない。精神的にもだろうが、フリッツは自分で働いて声楽のレッスン代を稼いだりしていたようなので、経済的にだって大変だったのだろう。歌手の場合、ピアニストとは異なり、最初から声楽家を目指していたという人は意外と少ない。フリッツも音楽大学での専攻はホルンだったらしい。ホルンに限らず、様々な楽器に親しんでいたらしいから、根っからの「音楽少年」だったのだろう。他の歌手と同様に、フリッツの場合も、むしろ周囲が彼の声の良さに気づき、本人に声楽家への道を勧めるというパターンだった。

ピアニストの場合、物心ついた時にはピアノを弾いていた、そしてかなりのレベルに進んでいたという人が多い(というか、ほとんど?)ように思うけれど、歌手の場合は、志す瞬間、決意をする瞬間というもののあった人が多いように思う。ここが熱いな・・・と思うのだ。「フ・・・青いな・・・」などと感じたら歌なんて歌えないのでは?

「フリッツ・・・素晴らしい声だと思うの。声楽家を志してみたらどう?」「歌は好きだけど・・・歌手になんかなれるかな?」「歌は好きなんでしょ?音楽が好きなんでしょ?」「うん・・・俺・・・歌が好きだ・・・俺・・・やってみるよ・・・」

偉大な歌手に存在した人生の熱き一瞬・・・

フリッツ・ヴンダーリヒは35歳という若さで亡くなった。歌手としてキャリアの絶頂期であったし、彼のような声、彼のように歌えるテノールなんていなかったから、音楽界には衝撃だったろう。死因が階段からの転落死というのが、なんとも痛ましいというか、理不尽というか・・・

しかしながら、若くして亡くなることで、フリッツは「永遠の青春」というものを後世の人々に、それこそ永遠に印象付ける結果となった。

歌にも熱中したが、ボクシングも好きだった。彼の変形した鼻はボクシングの影響らしい。また、声楽のレッスンを受けるために自転車(!)で40キロの道のりを通ったという。

熱き人だったのだ。

熱さ、青さを封印してしまった人には彼の歌声は辛いものになるだろうと思う。

kaz



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夢じゃないアメリカ 

 

「What Would You Do?」というアメリカABC放送の番組、基本的にはビックリカメラ的番組であり一般大衆を騙しているわけで、やはりそこのところは賛同できない部分であり、気になるところではあるけれど、僕にとってはアメリカ時代を思い出させてくれる番組でもある。「あ、そうそう、こんなことってあるよね~」みたいな感じだろうか?

自分がアメリカで実際に差別と遭遇したことは少ないけれど、それは滞在していた土地がリベラルだとされている土地だったということ、そして僕の周囲にいた友人たちが、とてもリベラルな人たちだったということが大きいと思う。そもそも、保守的な人は言葉も不自由で、自分たちとは異なる価値観、文化を持つ外国人と友達になろうなんて初めから思わないだろうし。

基本的にアメリカ人は、目の前で理不尽な差別的行動などに遭遇すると、自分のことではなくても、その場面に介入する人は日本人と比較すれば、はるかに多いと思う。それは、アメリカは多民族国家であり、人種も文化も価値観もバラバラな人達の集まりであるので、基本として「同じ人間じゃない?」という考えがなければ、人間として尊厳を保ちながら暮らしにくいということもあると思う。言葉を変えると、様々な場面で自分の考えというものを表出しなければ生きにくい社会でもある。ある意味大変な社会ではある。

おそらく、日本であれば多くの人が「見て見ぬふり」をしてしまう場面でも、アメリカではこの番組のように「あなたの対応って恐ろしく差別的だと思うわ」などと立ちあがる人は多いように思う、個人的体験から判断すると、この番組に出てくるアメリカ人たちの反応は、ごく一般的なもののように感じる。だから懐かしい感じがするのだ。

日本人の一般的なアメリカ観光旅行ってどんな感じなのだろう?やはり「ニューヨークとボストン8日間の旅」とか「サンフランシスコとLA、魅惑のディズニーランド10日間」とか、そのような旅が多いのだろうか?そうなのかもしれない。南部とか中西部の田舎とか・・・あまり一般的なコースではないのかもしれない。

ニューヨークはアメリカではない。ニューヨークなのだ。サンフランシスコも同様。この「特別感覚」は日本における東京・・・という感じとは違った特別な感じなのだと思う。サンフランシスコの80パーセントの住民がゲイの人たちに違和感を感じていないのだという。これは物凄い数字だ。80パーセントの人が「ゲイ?素敵じゃない?」とか「同性婚?本人たちの自由じゃないの?」などと感じているわけだ。でも同じカリフォルニアでも違う都市になると数字は変わってくるし、保守的な州であれば、もっと変わってくるだろう。「ゲイ?許されないことだわ」のようになってくるはずだ。

アメリカで社会問題にもなっているのが、ある宗教団体が行っている「ポリガミー」の問題。ポリガミーとは複婚のことだ。一夫多妻制度のこと。「えっ、アメリカでは一夫多妻制度ってありなの?」

もちろん、すべての州で違法とされているが、一部宗教団体では行われているらしい。そしてその集団には警察が何度も介入したりとか、未成年への性的虐待があるのではなどと、凄く問題になっていたりするのだ。

大昔は、モルモン教ではポリガミーが普通だったらしいが、むろん現在ではモルモン教の信徒でもポリガミーは違法となっている。でも、モルモン教から独立した「モルモン教原理主義派」という、いわゆるカルト集団は現在でも違法であるポリガミーを推進している。これが問題となっている。

僕も詳しい知識は持っていないのだが、名称が紛らわしいが、この集団は「モルモン教」というものとは別と考えた方がいいように思われる。アメリカでは「FLDS」という名前で知れ渡っているらしい。

今回の番組の実験では、このカルト集団の信徒らしき一家(もちろん一夫多妻制)の家長(夫)と未成年の少女が結婚させられるという場面を想定している。この実験では、通常(?)の異人種問題とか、性差別問題とは異なった難しさを抱えているように思う。いつもなら介入するような人でも、この場面では難しかった人も多かったように思う。それは単に家族の問題・・・ということだけではなく、バックには何やら恐ろしげな「FLDS」らしき集団の存在もあると、一般的なアメリカ人であれば考えたに違いないから。約100組の人たちの中で、4人しか犠牲になるかもしれなかった少女を助けなかったと番組では言っているけれど、助けるには命がけだったのではないだろうかとも僕は思う。4人も・・・と僕は思った。

ニューヨークもディズニーランドもアメリカ・・・

でもこれも「アメリカ」なのだ。

kaz



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エゴロフ・トーン 

 

自分自身が「壮健」などという状態からは、ほど遠いところで仕事をし、余暇(?)にピアノなどを弾いていると、仕事のことはともかく、ピアノに関しては、「死に向かう」ということが演奏にどのように反映されるのか、演奏家が突然若くして亡くなった場合など、聴き手にその事実がどのように影響するのか、などに興味が出てくる。

たとえば、リパッティのような演奏家の場合だ。基本的にプロフェッションというものは私生活というものに影響されないはずのものだ。でも人間なのだから何かしらは反映、影響があるのではないか・・・

作曲家の場合、あまりに作品とプライベートの出来事とを結びつけるのには抵抗を感じたりする。この曲は失恋をした時の曲なので、それが反映されているとか、このソナタが短調なのは母親が亡くなったからだ・・・とか。たしかに影響はあるだろうが、言い切ってしまうほど単純なものでもあるまい。

演奏家の場合、失恋はともかく、重篤な病とか、身体の不調とか、死へ向かう時期とか、やはり演奏になにかしらの影響はあるのかもしれない。

むしろ、その演奏家が予期せぬ突然の事故で亡くなった場合の聴き手への影響の方が大きいような気がする。カぺルとかヴンダーリヒのような演奏家の場合だ。彼ら自身は、死ぬ直前まで元気だったわけだし、自分が死ぬという可能性なども考えていなかったわけだから、残された演奏そのものは活力あふれるものだ。いい意味で若い演奏でもある。でも、その上昇気流に乗ったような勢いが、かえって運命の残酷さというものを聴き手に印象付けてしまう・・・

演奏への印象などは、聴き手の主観的な部分がとても大きい。その演奏家の生涯、人生というものと演奏とを重ねて聴いてしまうこともあるだろうと思う。イメージ先行・・・とでも言うのだろうか?それは一方的に「未熟な音楽の聴き方だ」とは言い切れないところはあるのではないだろうか?

リパッティ、カぺル、ヴンダーリヒ・・・あまりにも美しい演奏で才能で、神は彼らの芸術を愛しすぎたのだ。なので彼らは召されていったのだ・・・多分に感傷的だ。この感じ方はあまりにも客観性に欠く。でもそれもありなのでは・・・などとも思う。

神から愛されてしまった演奏家、日本では知名度が低く、非常に残念だけれど、ユーリ・エゴロフというピアニストがいた。旧ソビエトのピアニストでオランダに亡命したピアニストだ。彼のことを愛情を持って懐かしむ人は多い。むろん、彼が活躍したヨーロッパでも多いのだろうが、アメリカにもエゴロフ・ファンが多く存在する。僕よりも上の年代のアメリカ人のピアノ好きの多くはエゴロフを熱く語る。「エゴロフ・トーン」という言葉と共に・・・

おそらく、エゴロフはヴァン・クライバーン国際コンクールで落選したことで有名になり、それがアメリカでのデビューにつながったという事実がアメリカでのエゴロフ人気に関係しているのだと思う。

エゴロフのニューヨークとシカゴでのデビューを懐かしく語るアメリカ人ピアノ愛好家は多い。そこでの演奏は、コンクールのコンテスタントなどというレベルではなく、完全に聴衆を圧倒してしまう芸術家のものであったらしい・・・

エゴロフには、ある種のイメージがある。それは「繊細」とか「壊れやすいほどクリアなトーン」とか・・・

これは演奏そのものからのイメージと、彼のプライベートライフからくるイメージとが重なっているように僕には思える。

エゴロフが西側に亡命した時、オランダを第二の故郷としたのには理由があるように思える。彼はゲイであることを亡命後公言している。これは彼が生きた時代を考えれば、とても大胆なことだったと言えよう。オランダの自由な空気というものを彼は感じとったのではないだろうか?

エゴロフが西側で演奏家として活躍した期間は約9年しかない。彼はエイズの合併症で33歳で亡くなっている。彼が尊敬していたリパッティも33歳で亡くなっているのは偶然だろうか?

当時はエイズという病気に対して、現在とは比較にならないくらいに偏見が蔓延っていたものと想像する。エゴロフは凄まじいほどの身体的な苦痛、そして精神的な苦痛の中で晩年はピアノを弾いていたものと想像する。偏見の嵐の中、彼は亡くなったのだとも思う。

エゴロフは、残された何枚かの写真で結婚指輪をしている。むろん、オランダでさえ当時は同性同士の結婚は合法化されていなかったから、パートナーという存在だったのだろうが、でも愛した人、愛された人が存在していたのだと思うし、思いたい。晩年はそのパートナーに支えられたのではないか・・・

そして彼を支えたのは自分のセクシュアリティに対する誇り・・・ではなかったか・・・

この「エゴロフ・トーン」を聴く時に、彼の最期は幸せだったと想像しながら聴く「感傷的イメージ強引鑑賞法」でもいいのではないかと思う。

kaz



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僕は・・・弾かなければならない 

 

音楽への憧れは募るばかりだ。年齢を重ねるにつれ、そのように感じられるようになってきた。ピアノって楽しい?そう訊かれたら「いや、辛いものだろう」と僕は答える。決して楽しいものではない。そもそも、ピアノを弾くなんて、楽しいとか、楽しくないとか、そのようなものではないような気がする。これも齢とってから思うようになったことだ。

できなくなることが多くなる・・・

これが今、最も辛いことだ。海外旅行も難しくなっていくのだろう。海外旅行の目的は友人と共に過ごすことだ。観光ではない。「彼と直接話せるのも、これが最後かもしれないな」などと頭の片隅で思いながら友人との時間を過ごす。なので、行ける時に行く。

確実に体力は年々衰えていくのが自分でも分かる。楽譜を引っ張り出してきて弾いてみる。「ああ、以前は弾き通すことができたのに・・・」そう思う。実に悔しい瞬間だ。途中で弾きながら「もうだめだ・・・続かない・・・もう無理だ」と思う。息ができない・・・

でも、少し前までは、もっと悲観的だった。いつも「死」というものを意識していた。ピアノのことに関することは、すべて一年単位で考えていた。言葉を変えると、「一年後に死ぬとしたら、自分は何を弾きたいだろう?」そのような観点で選曲したりしていた。今は、少しだけ前向きだ。一年・・・とは思わないようにした。もう少し自分は生きているだろうと思うように努力している。

五年後、自分はピアノが弾けなくなるとしたら、その時に弾いていなかったら後悔する曲は?それまでにピアノで表現してみたいテーマは?

そのように考えるようにしている。難しいが・・・

一年というスパンで考えていた時には候補にあがらなかった曲が、五年スパンだと弾いてみたい曲として候補にあがってきたりする。6月に演奏する(予定の)メフィストワルツもそのような曲のひとつだった。この曲は、以前、もう少しだけ体力があった時に一度挑戦しようとした曲だ。その時に体力が続かないと判断し、挫折した曲なのだ。僕は自分の病気のことで、それまで泣いたことはなかった。でもこの時は泣いた。今は、その時よりも体力は落ちているはずだ。でも弾こうと思った。

僕は温泉が好きだ。客室の露天風呂も好きなのだが、広い湯船、広い空間の大浴場はもっと好きだ。でも温泉旅館での大浴場は諦めたのだ。僕の身体は度重なる手術の跡があり、大層目立つのだ。大浴場では人が好奇の目で見るだろう。そこまでして温泉に浸からなくてもいい・・・

でも発想を変えるのだ。大衆的な、子どもが大勢騒いでいるような浴場では無理だけれど、高級な旅館だったらゲストもそれなりの人たちだろうと判断する。気軽に家族で訪れるというのとは異なる旅館、そのような旅館の大浴場だったら空いているし、人がいても好奇の目で見たりするようなことはないであろうと。

僕は高級旅館に泊まるようになった。飯坂温泉の「かわせみ」とか修善寺の「あさば」とか・・・

贅沢が好き・・・ということもあるが、温泉を諦めることがイヤだったのだ。だから発想を変えた。これをピアノに応用してみればいいのだ。

全曲弾かなければ、休まず普通に弾き通さなければ・・・

この発想をやめたのだ。人前だろうと本番だろうと、辛くなったら、目の前が真っ暗になったら、呼吸困難になったら弾くのを中止すればいい。正直に言えばいい。「少し休ませてください」と。休んで続きを弾けばいいじゃないか・・・

僕は「弾かない」ではなく「弾けない」を選択する。「弾けない」は「弾かない」よりも尊いのだとも思う。

どうしてもリパッティのことを連想してしまう。僕のようなものと、偉大なピアニストとを同じにしてはいけないが、彼も最後のブザンソンでのリサイタルでは全部の曲が弾けなかったのだ。

ブザンソンに到着した時、リパッティは死人のように真っ青だったと言う。悪性リンパ腫の末期だった。コーチゾンという薬が効いているうちに、彼は集中的にレコーディングを行った。「最後に残しておきたい」という願望もあっただろうし、コーチゾンが聴いているうちに・・・という焦りもあったかもしれない。しかし、コーチゾンはいつまでも効いてはくれない。ブザンソンでの最後のリサイタルの時は効き目もなくなっていたのだろう。誰もがリパッティはピアノなど演奏できる状態ではないと判断した。しかし、リパッティは忠告に従わない。

「僕は約束したんだ。僕は・・・弾かなければならない」

その言葉を何度も繰り返すだけだった。舞台に上がる階段を一段あがるにも、息が絶え絶え・・・という状態であったらしい。でも彼は弾いたのだ。最後のショパンのワルツ、14曲のうち、13曲しか演奏できなかった。いや、それ以外の全ての曲を弾き通したのだ。

「僕は・・・弾かなければならない」

その時の演奏は、すべて客観的には判断の極めて難しい演奏のように思う。ここがどうしたとか、ここはこうで・・・なんて批評するべき演奏でもないような気がする。

このモーツァルトを聴くと、とても悪性リンパ腫の末期だとか、鎮静剤を何本も打ちながらとか、そのような人が演奏したとは思えないような演奏だ。それは確かだ。

リパッティは選択したのだ。「弾かない」ではなく「弾けない」を。

「弾けない」は「弾けるかもしれない」のだから・・・

kaz



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サイズ・・・続き 

 

僕は自分の子ども(他人の子もだが)を育てた経験がないので、実感としては感じたことはないのだが、成長期の子どもは、服や靴が、すぐに小さくなってしまうらしい。この時期は高級素材の子供服なんて無理で、ママ友協力体制のもと、服のやりとりがあったりするのだとも聞く。「もう、うちのB子にはこのスカート小さいの。まだ綺麗だからA美ちゃんにどうかと思って・・・」のような?「おさがりなんて・・・」など言ってはいられない現実があるらしい。

楽器は洋服ほどではないが、似たようなサイズ変更がヴァイオリンの場合は可能だ。スペンサー君は、前の動画では八分の1サイズの楽器で弾いていたけれど、ひとつ年齢を重ね(?)身体も大きくなったのだろう、この動画では4分の1サイズの楽器で弾いている。このようなサイズ昇格のような感覚がピアノでも可能ならいいのに。

この有名曲、もっと達者にバリバリと演奏できる「子どなちゃん」は日本のコンペティションでいくらでもいるように思う。でもスペンサー君の演奏は、やはり自然な演奏で好きだ。彼なりに「自分で感じた曲の魅力」というものがあり、それを他者と共存できている。ここが素晴らしいと思う。彼なりの独自の感性がいい。スペンサー君はスペンサー君であり、先生の代弁者ではないのだから・・・

スペンサー君が、たとえば8分の1サイズから4分の1サイズの楽器に変更する時に、感覚の違いに戸惑ったりしなかったのだろうか?幅も大きさも異なるわけだし・・・

サイズ変更に伴う、この種の問題はあっただろうと想像する。ピアノもだが、移動したりする際には、目視よりも感覚が大きいと思うからだ。

でも、ピアノとヴァイオリンでは決定的な違いがある。それはヴァイオリンは本番でも自分の楽器で演奏できるという点だ。ここはとても大きいのではないかと思う。小さなサイズのピアノも普及すればいいのにな・・・と思うが、難しいのはピアノの場合、日頃小さな鍵盤サイズのピアノ(もし存在すればだが・・・存在はしているはずだ)で練習していた場合、本番でもその楽器で演奏できるようにする、つまり「持ち込み」をしない限り、サイズの差に演奏者が対処しなければならない。これは決定的なのではないだろうか?

鍵盤幅の違い、すぐに対処できることなのだろうか?これは難しいのではないかと思う。現実として、リハーサルの時間を確保できる状態で演奏できるなんて、プロだけではないだろうか?アマチュアは、いや、アマチュアに限らずだが、簡単な指ならし程度があればいい方で、いきなり未知のピアノで演奏しなければならないことが多いのでは?

鍵盤の戻り具合のような、そのような感覚の違いでさえ微妙に感じてしまうのだから、幅が違ってしまえば、本番で戸惑うのではないだろうか?「弾いているうちに感覚はつかめる」のかもしれないが、その「弾いているうち」という状況そのものが、あまり現実的ではないのだ。

トラックで演奏会場に自分の「幅の狭い鍵盤ピアノ」を持ち込む・・・これはあまり現実的ではない。一人で行うリサイタルなら可能だが、多くのピアノ弾きにとって、それは特殊なことなのだ。普通は大勢の参加者の一人として演奏する状況が多いのでは?たとえばサークルなどの演奏の場、または教室の発表会で自分だけ「持込みします」というのは現実的ではないような気がする。1曲演奏するのに舞台上でピアノを変えるということ、そのものが考えにくい。不可能ではないと思うけれど・・・

会場に幅の狭い鍵盤の楽器に備わっていれば「持込み」しなくてすむのでは?

そうだと思うが、この場合、会場側は通常サイズのピアノと、小さなサイズのピアノを両方を備えている必要があるし、維持していく必要がある。「幅の狭いピアノしかありません」という会場があったとして、現実的にどれだけの人がその会場を予約するだろう・・・これも現実問題として立ちはだかる問題ではないだろうか?

もし、自宅にスタインウェイの最上の楽器、ファツィオリの高級器種があれば、それはそれは毎日気持ちよく練習できるであろうが、自分の楽器を持ち込むのならともかく、人前で弾く時には、いかに「自宅にどのような楽器で」ということよりも、「本番の楽器でどのように弾くか」が重要になってくるのではないだろうか?

このあたりが解決されれば、幅の狭いピアノも普及していくように思うが・・・

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category: 開拓者

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サイズ 

 

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楽器を習う=子ども=大人からだと難しい・・・

ピアノの世界にいると、なんだか当たり前のことのように思えてきたりする。一般的には「そのようなことになっている」ということにあまり疑問を感じないというか・・・

でも、考えてみると、数ある楽器の中で、問題なく幼い頃からはじめられる楽器って少ないのかもしれない。クラリネットにも子ども用の楽器があるらしいが、5歳でB管の通常サイズの楽器を吹くというのは、あまり想像できない。5歳ではキーをすべて押さえられないだろうし、トーンホールをすべて塞ぐことができなければ、クラリネットは吹けない。肺活量の問題もあるだろうしね。声楽の場合、「楽しくお歌」ということは考えられるが、ベルカント発声を習得し、ベッリーニやトスティなどを歌う6歳児・・・なんていうことも想像しにくい。

子どもの頃からはじめるのが一般的で、そしてそれが推奨される楽器、ピアノとヴァイオリンなのではないだろうかと思うが、ピアノとヴァイオリンでは決定的な違いがある。それは楽器のサイズ。ヴァイオリンでは身体・身長に合わせ、楽器のサイズを選べるのだ。ここがピアノとの決定的な違い。

ピアノの場合、一律のサイズとなる。あまりにこれが普通のこととされていて、疑問に感じないが、考えてみれば、これはとても不思議なことのように思える。3歳児のモミジのような手だろうが、ロシア人の大男だろうが、サイズは同じなのだ。ここで言うサイズとは、フルコンとかそのような意味ではなく、鍵盤の幅という意味だ。

ヴァイオリンのように、4分の1サイズの楽器とか、ピアノにもあったらいいかもしれない。むしろ、何故ないのだろうと思ったほうがいいのかもしれない。一般的に、アジア人は大人でさえ欧米人と比較すれば華奢なことが多いし、日本の場合、圧倒的にピアノ人口の割合は女性・・・なのだから、「幅の狭い鍵盤で弾きたい」と感じている人も多いように想像する。

楽器に自分を合わせる、ここで無理があると、腱鞘炎になったり、そこまでにはならなくても、「無理無理感満載」の演奏にいつのまにかなってしまったりとか、弊害も多いのではないかと思うが、どうなのだろう?子どものコンクールなど、達者な子どもほど、「無理やり演奏」だったりするのでは?誰も疑問に思わないのだろうか?

「導入用教材」というものがワンサカと存在しているのもピアノの特色だと思う。むしろ、楽器店の楽譜コーナーなど、本来の芸術作品の楽譜よりも充実している感がある。

易しく編曲された作品や、子ども用の教材だけしか体験できずにピアノを辞めてしまう・・・なんていう現象も珍しくないそうだけれど、考えてみればおかしな話だ。本来の「ピアノの世界」に到達する前に辞めてしまう・・・なんて。これはピアノという楽器のサイズも関係しているのでは?やはり身体ができあがらないと、タッチ、表現・・・できることは限られてくるのかもしれない。

むろん、ヴァイオリンにも「子どもの夢を育てるキラキラ教材、ワクワク教材」的なものはあると思うが、ピアノと比較すれば、いきなり芸術作品に触れられる年齢は低いのではないだろうか?いきなり本物の(?)曲が弾ける・・・これは楽器のサイズが変えられるからではないだろうか?

この少年、スペンサー君は8分の1サイズの小さな楽器で演奏している。もし通常サイズのヴァイオリンしか世の中に存在しなかったら、この曲は弾けないのではないだろうか?

スペンサー君の演奏、個人的にはとても好感の持てる演奏だ。ヴァイオリンについては全くの素人(ピアノもだが)の僕でも、ここは本来なら問題とすべき箇所なのだろう、未熟な部分なのだろうと感じるところがないでもない。でも、よくある天才少年系のバリバリ演奏に感じる「先生の影」を感じない演奏だ。「先生がそのように言ったからそのように弾いています」的なものがなく、非常に自然な演奏だと感じる。先生がとても立派なのだと思うし、スペンサー君は作曲もし、作品も演奏されているらしいので、その「全般的音楽性」というものが素直に演奏に出ているのだろうと思う。

でも、まずは小さなサイズの楽器の存在・・・ここが大きいのではないかと思う。

ピアノにもヴァイオリンのような、サイズ変更・・・これがあれば、いろいろなことが変わるような気がする。幅の狭い、子ども用ピアノ、小柄なアジア人仕様のピアノ・・・あればいいのにと思う。

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category: ピアノ雑感

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沈黙 

 

僕を実際に知る人は、僕のことを「穏やかな人」「おとなしい人」と(最初は?)思っている人が多いようだ。たしかに、サークルの打ち合げなどでも、場を盛り上げる明るいキャラクターという人物では決してないし、どちらかといえば、寡黙な方なのではないかとも思う。彼らが僕のブログを読むと驚いてしまうこともあるようだ。たしかに僕はブログで、特にピアノ教育ということに関して、辛辣なことも書いたりしてしまうので、そのように感じるのだろうと思う。

僕自身は、いかに楽しいレッスンを受けるということよりも、どこまで弾けるようにしてくれるか・・・ということが大事だと思っている。レッスンを辞めた(あるいは、その先生を卒業するというか)時に、いかに、自分の力でピアノの世界を切り開いていけるだけの自活力をつけるか・・・そこが大事だと思っている。でも、そのように感じない先生もいるのだ。それは一つの考え方だし、方向性だし、それはいいと思う。でも、あまりに多くの先生が「一つの方向性に流れていないだろうか?」という疑問は感じる。なので書いてしまう。

辿ってみると、初めてピアノサークルに参加して、メンバーと話した時に感じたことが大きいのだと思う。多くのメンバーは、僕と同様に、ピアノ再開組で、忙しい日常の中、仕事をしながらピアノを弾いている。ピアノが好きなのだ。しかしながら、彼らの多くは、かつて受けてきた(主に子ども時代の)ピアノレッスンというものに幸せな思いというものを抱いていない。そこに驚いた。「どうして何も言ってくれなかったのだろう?」「どうしてもっと弾けるようにしてくれなかったのだろう?」という思い、不満を彼らが持っていることに驚いた。

かつてのピアノの先生は、とても厳しかった。高度経済成長期の頃だろうか、中には生徒の手を叩いたりとか、言葉の暴力などがある先生もいたと思う。メンバーの中には、そのような先生から受けた心の傷を持つ人も、当然いたが、でも圧倒的に、「なぜ弾けるようにしてくれなかったのだろう?」という人の方が圧倒的に多かったのだ。

今は、表面的な厳しさなんて流行らないし、言葉の暴力なんて、ピアノのレッスンではありえないだろう。そんな時代ではないし、子どもの数も少ないし。かつての反省からか、今は楽しむレッスンが主流なのだろうか、糖衣錠レッスン?でも「いかに弾けるようにさせるか」ということが時代に関係なく最も重要なことではないだろうか?

素人ながら発信してきたことで、「素人の分際で」とか「ピアノ教師に対する偏見!」とか書かれてきたけれど、そして実際に「偏見」というものを僕は持っているとは思うけれど、その偏見を発信することで多くのピアノ教師から、「私も上達させることが教師の役目だと思っている」という賛同の意見も頂くことが増えた。「kazさんの仰るような教師ばかりではありませんよ」と。「今のピアノ教育界に不信感を持っている教師はたくさんいます。でもそのような教師たちは、ネットの世界とは無縁のところにいたりします」と。

そうなのだろうと思う。でも、そのような先生方は自分の意見をあまり発信しない。ネットすらしないそうだから、ネットの世界=ピアノの世界と勘違いするかぎり、そのような先生の意見、考えを知ることは難しい。

たまに思う。自分はなんで考えなしに、パッと自分の考えを言ってしまうのだろうか・・・と。

でも「沈黙」というものが、常に最善であるとも思えなかったりもする。かつてこのようなことがあった。あるピアノの発表会で、ダウン症の生徒が演奏した。とても一生懸命演奏していて、とても好感が持てた。でも何人かの保護者(母親)が、休憩時間にロビーでこのように言っていたのだ。

「なにもピアノなんて弾かせなくてもねぇ?」「あのような子を入会させるなんて・・・せめて目立たないように暮らしているべきだと思うわ」「他の生徒や親がどのように感じるかも考えて欲しいわよね?」「本当にそう。障がいがあるのはその子の責任ではないけど、でもそのような子がいるべき場所ってあると思うのよ・・・」

僕は、若かったということもあると思うし、アメリカから帰国して間もなかったということもあったと思うが、思わずこう彼女たちに言ってしまった。「もし、あなたたちの子どもがダウン症だったらどう思うんですか?」「むしろ、あなたちがいるべき場所があるといいですね」と。その時、僕は泣いていたと思う。考えなしに、言葉が先に出てしまったというか・・・

自分に関係ないことでも、そのようなことを耳にすると、煮えくりかえってしまうのだ。僕の悪い癖だと思う。

でも沈黙は美・・・なのだろうか?

多くの一般の人は、ピアノ教師というもの、ピアノのレッスンというものをネットで判断するとしたら?

ピアノ教師ブログから判断するとしたら?

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「プッチーニはお好き?」 

 

プッチーニが好きだ。ピアノとの接点はあまりないけれど・・・

プッチーニは男女の愛をオペラで描いてきた人だと思う。彼の最後のオペラが「トゥーランドット」というオペラ。このオペラは圧倒的に「誰も寝てはならぬ」というテノールのアリアが有名だが、「トゥーランドット」からは「トリノ・オリンピック」=「荒川静香の演技」を連想する人もいるかもしれない。

ストーリーそのものは、なんというか、憤死もの・・・とまではいかないが、どこかお伽話的で、リブレットから感動を得るということは難しいだろうと思う。多くのオペラはそうだと思うが。

トゥーランドットとはお姫様(お伽話なので!)の名前だ。この姫は、男性への復讐に燃えており、次々に王子たちの首を刎ねていくわけです。まずは、姫が謎かけをする。正解すれば美しい姫と結婚できるのだが、王子が正解しなければ、殺してしまうわけですね。

そこへ登場するのが王子カラフ。アリア「誰も寝てはならぬ」を歌う人です。カラフは姫の謎かけに正解するわけです。本来なら姫は約束通り結婚しなければならないのだが、ここで我儘を言うわけです。「イヤだ・・・そんなのイヤだ・・・」

まぁ、聴き手としては「約束したじゃ~ん」とか思うわけだが、カラフは逆に姫に謎かけをするわけです。「姫は私の名前を知らない。明日の夜明けまでに私の名前を当てて下さい。でも私の名前を知ることはできないでしょう。私が勝利するのです。そしてあなたと永遠の愛を誓うのです」

姫は渋々承知し(?)王子の名前を知ろうとするわけです。

「王子の名前を当てよ。それまでは誰も寝てはならぬ・・・」と国民に告げるわけです。ここで歌われるのが例の「誰も寝てはならぬ」で、「誰も寝てはならぬ・・・姫は告げたが名前は言い当てることはできないであろう。私は勝利するであろう。姫の愛を得ることができるであろう」と高らかに歌われるわけですね。

姫は王子の召使い、リューに目をつけます。「お前は王子に仕えていたものだな?では当然王子の名前は知っているであろう?名前を言え!言うのだ!」

リューは意外なことに、拷問されても、何をされても決して王子の名前を言わない・・・

「そなたは、そんなに弱く見えるのに・・・なぜ言わない?そなたを強くさせているものは何なのだ?」

「お姫様・・・それは・・・愛です」

「愛?」

そして歌われるのがアリア「氷のような姫の心も」で、短いながらも大変印象深いリューのアリア。「氷のような姫の心もやがて溶けるでしょう。そして王子様は勝利して、あなたたちは結ばれるのでしょう。私は、このままでは名前を言ってしまうかもしれない、言わなくても、王子様と姫が結ばれるのを見なくてはいけない。でもそれは私が見たくはないこと・・・だから私は息を止めてしまうでしょう、死んでしまうでしょう、なぜなら王子さまを愛しているから・・・」

リューはここで自決してしまいます。無償の愛、真実の愛、自分の命よりも大切なもの、それらをプッチーニはこの場面で描いたわけです。

「トゥーランドット」というオペラは実は未完成のオペラだ。プッチーニは、このリューの自決の場面で絶筆してしまった。もちろん、現在では完成されたオペラとして上演されているが、自決場面以後はフランコ・アルファーノが書いたものなのだ。

初演はミラノ、スカラ座で行われた。指揮はトスカニーニ。トスカニーニは、リューの自決の場面でオペラを終了し、幕を下ろしてから「マエストロはここで絶筆しました・・・」と聴衆に告げたと言う。後日、改めてアルファーノが補足した完成版が上演されたと言う。

プッチーニは苦しみながら「トゥーランドット」を書いたのではないかと想像する。死ぬような苦しみだったと想像する。彼は咽頭癌に冒されていたのだ。当時のことだから、病名はプッチーニ自身には告げられてはいなかったのだが、でも思うのだ。癌患者なら分かる。このようなことは、どんなに上手く隠されても本人は察知しているものなのだ。薄々は感づいているし、確信すら持っている。

プッチーニは、いわば、究極の愛、つまりリューの自決の場面以後は書けなかったのではないかと想像する。この場面がプッチーニの追い求めてきた、描こうとしてきた「愛」というものの最も崇高な形だったのだから・・・

プッチーニはリューのアリアで「やるべきこと」を終えたのだと思う。それは彼が生涯を賭けて描いてきた「究極の愛」「無償の愛」というものだったから・・・

kaz



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category: あっぱれ麗し舞台

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「ウェーバーはお好き?」 

 

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「kazさんの好きな作曲家って誰なんですか?」などとサークルの打ち上げなどで質問されることがある。この時に、「場所、時をわきまえる」という大人の態度を保たなければいけないのだろうが、つい正直に答えてしまう。「ヴェルディかな?」「次に好きな作曲家は?」「プッチーニかな?」・・・大概、このあたりで会話は一時中断してしまう。おそらく、ピアノ的(?)に「ショパンだろうな」とか「リストが好きなんだよね」とか答えれば会話は発展していくのだろうと思う。「モーツァルトがやはり最高かな」でもいいと思うが、ヴェルディ、プッチーニ、ベッリーニあたりの作曲家だと、あまりにピアノとの接点が皆無で会話がストップしてしまうのだろう。

僕の好きな作曲家・・・誰だろう?実はあまりベスト10的に考えたことはないのだが・・・

1位:ヴェルディ
2位:プッチーニ
3位:ベッリーニ
4位:ヴィラ=ロボス
5位:シューマン
6位:ウェーバー

僕の場合、明らかに、ピアノを弾く人という視点ではなく愛好家としての視点になる。僕自身、過去のピアノライフの過ごし方からして、ピアノ学習者として「憧れのピアノ曲」とか「憧れの、弾いてみたい作曲家の作品」という観点が完全に抜け落ちているので、このようなランクになるのだと思う。シューマンはピアノ曲にではなく、むろん歌曲に惹かれる。

さて、ウェーバーだが、ピアノ曲もいいな・・・と思う。でもウェーバーのピアノ曲がサークルの練習会などで演奏されたことはあるだろうか?記憶を辿ってみても、練習会でショパンの作品が登場しないことはないが、ウェーバーの作品は登場したことがないと思う。何故みんなウェーバーを演奏しないのだろう?

「じゃあ、あなたが弾けば?」

上記のギャリック・オールソンのウェーバー・ピアノソナタ全集は愛聴盤の一つ。ソナタよりも、ウェーバーのピアノ曲では小品が素敵だと思う。オールソンの演奏は、実に立派で素敵だが、ソナタを全部演奏されても、どこか才能の無駄遣いという気がしないでもない。でも小品は心から楽しめる。

「舞踏への勧誘」という曲は、いつか弾いてみたい曲の一つでもある。オールソンの演奏もいいが、現代のピアニストだとスティーヴン・ハフの演奏も素敵だ。でも、やはり往年のピアニストの演奏が最高なのではないかと思う。コルトー、シュナーベルの演奏もいいけれど、やはりフリードマンの演奏が最高なのではないかと思う。フリードマンの「舞踏への勧誘」がウェーバー賛という、僕のどこか変わった(?)嗜好の根底にあるとは思うが、僕はクラリネットを吹いていたことがあるので、クラリネット作品でのウェーバーの存在がランクインの理由なのではないかと思う。

実に難しい楽器だが、音に温かみを感じるところが僕がクラリネットを好む理由だと思う。包み込む・・・のような、そのようなイメージがある。その包み込むような、温かいような感じとウェーバーが僕の中でつながるのだろうと思う。

ピアノ的にはウェーバーは「日影的な存在」かもしれないが、クラリネット的には「王道作曲家」なのだ。秘かに「ああ、ウェーバー・・・吹けるようになりたい」という、どこか憧れの作曲家でもあるのではないだろうか?ピアノのショパン、リストみたいだね。

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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ピアノの発声練習? 

 

以前、ブラインド・トムという盲目の奴隷について書いた。その時に、彼はピアノなど習ったことがないのに、いきなりピアノで即興演奏をして周囲を驚かせたということを書いたのだが、その時に、あたかも、それは「驚くべきこと」「普通ではないこと」のような文章で表現したように思う。でも、正直なところ、あまり「驚くべきこと」とは思っていなかったりもする。なぜなら、僕自身にそのような経験があるからだ。幼稚園のピアノでいきなりピアノを弾いたらしい。らしい・・・というのは、僕にその時の記憶がないからだ。

6歳でピアノを習い始めたのだが、落ちこぼれ生徒ではあった。「いろおんぷ」という教材が、いつまでも終了せず、バイエルにも苦労した。つまり、楽譜が読めなかったわけです。でもピアノ教室では「なんで覚えられないの?なんで練習しないの?」という困ったちゃんではあったが、家では即興演奏をして遊んでいた。サウンドとしては、バイエルなどとは比較にならないほど豪華なものだったように我ながら思う。オクターブの連続やら、転調しまくったりとか、とにかく思い浮かぶサウンドを鍵盤に移していく遊びは楽しかったのだ。

でも思う。これは、僕に特殊な才能があったからではなく、ピアノという楽器がある意味で、とても簡単な楽器だったからではないだろうかと。音は押せば鳴るし、配列も右方向に弾いていけば、順番に高い音が鳴っていくという単純さがある。

僕は少しだけクラリネットを吹いた経験があるのだが、この楽器は、音を出すということそのものが非常に難しい楽器だと思った。音さえ鳴らせずに挫折した人だっているのでは?それくらいに難しいと感じた。

ピアノ教室は沢山ある。習いたい生徒の数よりもピアノ教師の数が多いくらいだ。クラリネット教室だとそうはなっていないだろうと思う。何故か?考えてみれば、不思議なのだ。ピアノという楽器は、楽器の中でも高価なものではないだろうか?むろん、高級器種ということになれば、どの楽器だって恐ろしいほど高価だろうが、続くかも分からない子どもに買い与えるという意味では、ピアノは他の楽器に比べると高価だと思う。買い替えるということも、他の楽器、例えばヴァイオリンのように、身体の成長とともにサイズ変更していくということすらできない楽器ではある。では、なぜ猫も杓子も(?)ピアノ・・・なのだろうか?それは簡単だからではないだろうか?音を作る必要が、とりあえずはない。楽譜構造と鍵盤配列との関連性という意味でも他の楽器よりは分かりやすい。

でも、そこが実は落とし穴だったりもするのでは?最初はピアノは楽しい。鍵盤が沢山あって、違う音が鳴る。すぐにその音を誰でも出せる。「ワッ!楽しいね」・・・

音作りということをしなくても、いきなり曲(らしきもの)が弾けてしまう。これはピアノの利点だろうと思うが、危険性でもあると思う。実は楽器演奏というものは、楽しいだけではないんだよ・・・大変なことなんだよ・・・難しいことなんだよ・・・という認識を生徒に感じさせることが指導者の認識次第ということにもなりがちだからだ。

ヴァイオリンだったらどうだろう?声楽だったら?まずは「音作り」なのでは?訓練されていない音そのものが、ピアノ以外の楽器では「騒音」「雑音」となる。ギコギコと、耐えられないような(黒板を爪で引っ掻くような?)音しか出せないのに、「さあ、ワクワク・・・目がキラキラ」などと言っても始まらないのでは?まずは「音を出せるように」「音程を正しく」とか、そのようなことがある程度達成できなければ、曲・・・にすらならない。初歩、導入の段階で、演奏に対してのある種の厳しさを、子どもだろうと初心者だろうと体験しなければならない。でもピアノは、この部分を糖衣錠で包み込んでしまうことがある意味で可能だ。音は誰でも出せるから・・・

そのような意味で、ピアノという楽器の導入では、指導者次第で「ワクワク」から「演奏するということは?」という移行そのものが難しくなるような気がする。

不思議に感じたことはないだろうか、何故ピアノには管楽器のようなロングトーンとか、声楽における発声練習とか、そのような練習が、音作りそのものの練習が一般的ではないのだろう?せいぜいハノンなどで、ガシガシと指練習・・・そこが練習の始まりだったりもする。でも、指練習は「音作り」ではないような気がする。

人の演奏、それはプロに限らずだが、「えっ、この人の演奏って・・・」と惹かれてしまう要素で最も大きな部分は、指が達者に動くとか、ミスなく弾くということではなく、まず「音」が他の人と違っているということではないだろうか?

「あっ・・・音が違う・・・自分と音が違う・・・」

何故ピアノ練習にはロングトーン、発声練習という概念がないのだろう?

kaz

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category: ピアノ雑感

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ピアノサークルの流儀 

 

僕が所属しているサークルでは、いわゆる雑談タイムというものはない。普通は、最初は緊張感と共に発表会形式でメンバーが演奏していくサークルでも、順番が二巡目になると、「あとはフリータイムなのでぇ・・・」ということで雑談の中で弾きたい人が弾いていくというパターンになることが多いのではないかな?気軽な感じでいいとは思うが、でも公平性ということを考えた場合、どうなのかな・・・とも思う。このパターンの場合、やはり古株で積極的なメンバーの弾く時間が多くなるような気がする。新しいメンバーなどは、「さあ、○○さんも弾いて」と言われれば弾きやすくなるが、そうでない場合は弾きにくいものではないだろうか?新メンバーでなくても、雑談しながら、またはニコニコと演奏を聴きながら、「私も本当は弾きたいのに・・・」と思っている人は多いと思う。

所属しているサークルでは、演奏順はくじ引きで決められる。ここまでは多くのサークルも同じだと思うが、我々のサークルは二巡目も、最初に引いたくじの順番を守って演奏していく。時間一杯までこれが続く。長時間、雑談タイムもなく(休憩はある)真剣に皆が聴くので、疲れるといえば疲れる。でも、二巡目でも演奏を辞退する人は、まずいないので、やはりどの人も弾きたいんだなということが分かる。

考えてみれば、いや、考えてみなくても分かることなのだ。日頃グランドピアノで練習している人なんて本当に少数なのだ。多くのメンバーは、やはり電子ピアノで日頃は練習しているのだと想像する。だとしたら、スタインウェイ、ベヒシュタイン、ファツィオリ・・・それも素晴らしい状態の楽器で弾けるとなると、やはり順番が回ってくれば皆弾きたいだろうと思う。会費は皆当然同じ額だから、公平性を考えれば、雑談タイム、フリータイムではない方がいいように思う。

演奏が終了すれば、場所を移して二次会。これも多くのサークルで行っていることだろうと思う。この部分は無礼講でいいのではないかと僕は思う。解放感とお酒で、雑談を楽しむ。いつも僕は、この二次会で「では皆さん、一言お願いします」という時に、余計なことをベラベラ話してしまうので、ここでいつも後悔と反省をするのだ。「きょうは、まぁ、自分なりに弾けたのではないかと思います」で止めておけばいいのだが、余計なことを話してしまうんだな。

そんな僕でも留意していることはある。留意というよりは、「サークルの常識」として認識しているというべきだろうか・・・

それは人の演奏を批判、評価しないということだ。これは「絶対に」という副詞を何個もつけて強調していいほど大切なことなのではないかと思う。プラスの印象を感想として弾いた本人の前で言うのはいいと思う。「よかったよ・・・」とか。それはいいと思うが、「とてもよかったけど、でも○○の部分が~のように弾けるともっとよかった」とか「あそこは~のように弾いた方がいいんじゃない?」のようなことは言うべきではないと僕は思う。独学の人から意見を求められたという場合なら別かもしれないが、その人の先生以外の人が演奏そのものについて、とやかく言ったり、批評する権利はない。これは鉄則だと思うのだがどうだろう?

たとえば、練習方法の工夫など、自分だったらこうするし、そうすれば絶対にもっとよくなるのに(つっかえなくなるとか)・・・などと人の演奏から判断できた場合でも、そのことは言わない。弾いた本人から訊かれれば自分の意見を述べるだろうが、訊かれなければ絶対に言わない。

ただし、音の間違え、リズムの間違えなど、演奏を聴いていて気づいた時、このようなケースの場合だけは、言ってもいいように思うし、言ってあげたほうが親切だとも思う。むろん、音をはずしただけの箇所を「この音、違うんじゃない?」などと言うのは、とても失礼なことなので、明らかにミスタッチではなく「音の読み違い」と判断できた場合に限るが。

でも、この場合も本来は、その人の「先生」が言ってあげるべきだと思うのだが・・・

アマチュアでも(だから?)大曲、名曲を弾くのだが、たとえば、ショパンのバラードやらブラームスのソナタのようなスタンダード曲においての生徒の音の読み違い、リズムの違いを指摘できない教師がいるということに驚く。むろん、間違える生徒も悪いのかもしれないが、指摘できないというのはどういうことだろう?けっこう、このようなことが多いように思う。

明らかに珍しい曲、たとえばババジャニアンとかミニョーネ・・・のような作曲家の作品をいきなり持ってきてしまう生徒(僕ですね)の場合は、先生が音の違いを指摘しなくてもいいと思う。だがショパンやベート―ヴェン、シューマンあたりの有名曲でそれができないとなると問題なのではないだろうかと思う。

このあたり、人によって考え方が違うと僕は想像している。「雑談タイムが醍醐味なんじゃない?」とか「上級者は初心者にアドバイスするのは当然」とか「音の間違えだけは教えてあげちゃダメ」とか・・・僕と異なる考えの人もいるのではないだろうか?

kaz

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category: サークル

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行動 

 

そろそろ「What Would You Do?」シリーズの紹介も終わりにしたいと思うが、このシリーズを観ていると、なんともアメリカ的というか、自分が留学していた頃を思い出してしまう。実際に、アメリカ人は「ねぇ・・・それって間違えていると思うんだけど?」とか「あなたの彼女への態度って失礼だと思うわ」のような発言を公の場でもする人は多いように思う。おそらく、日本人も気持ちは同じなのだろうと思う。ただ、見て見ぬふりをしてしまう人が多いようにも思う。自分も含めてね。その場の空気を破って行動を起こす、目の前の理不尽な差別行為に自ら介入し正そうとするには、相当の勇気が必要だ。日本には空気を動かしにくくしている何かがある・・・

僕は一度だけアメリカでホームレスに間違われたことがある。当時の僕は髭を伸ばしていて、美容院(床屋ではない)に行くのも面倒で、ヘアスタイルも凄いことになっていた。なのでパーカーを着て、頭も隠して、あるレストランに行った。動画に出てくるようなカジュアルな店だ。その時は、日用品をドラッグストアで買って大きなビニール袋を持っていた。おそらく、そのあたりがホームレスと勘違いされた理由だろうと思う。むろん、シャワーは浴びていたので異臭はしていなかったはずだ。

「あの、お金払えるの?」と店の従業員。

ここはアメリカ。ここで「あわわわ・・・」となってしまっては絶対にマズイと思い、「もちろん!先払いした方がいいかな?まだ注文してないけど?」と相手の目を見て(ここ重要!)言う。写真つきID、この時は大学の学生証を提示することも忘れなかった。

「大変失礼しました・・・」

ビックリしたし、正直かなり気分を害したのは事実だ。でも服装を考えなかった僕も悪いのかなとも思う。僕が白人だったら同じように「お金あるの?」なんて彼は質問しただろうか・・・

動画の例のように、僕自身もカスタマーとしてレストランで食事をしていて、そこにホームレス(だと思われる)人が入店してきたこともある。彼は異臭はしていなかったけれど、明らかにホームレスと判断できる外見ではあった。擦り切れた服、持っていた大きなビニールの袋などからそう想定できた。この時も割とカジュアルな店だったように記憶している。

従業員はホームレスの入店を拒否したりはしなかったが、彼に注文を聞く際に、やはり「払えますか?」という確認はしていたように思う。そして、我々にも「かまいませんか?」と確認に来た。

「もちろん、全く問題ないです」

すべてのカスタマーたちが、誰も席を立ったりとか、何故ホームレスを入れるんだとか、そのようなことは言わず、そしてホームレスをジロジロと見ることもなく食事をしていたのが印象的ではあった。

もし、店側が動画の例のように、露骨にイヤな態度でホームレスを追い出そうとしていたら、僕は行動を起こしただろうか?難しかったのではないかと正直思う。その勇気はなかったかもしれないな・・・

kaz



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異端への恐怖 

 

翼のはえた指―評伝安川加壽子 (白水uブックス)翼のはえた指―評伝安川加壽子 (白水uブックス)
(2008/01)
青柳 いづみこ

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この本は以前に読んでいる。普通に一人のピアニストの生涯を追うという読み方もできようが、もう一つの読み方もできるように思う。それは「異質なものが入り込んだ時、既存の価値観の持ち主がどのように反応するか」というところに注目する読み方。

当時の日本のピアニスト、ピアノ教師たちの重ねてきた苦労というものは、想像ができないほど厳しいものであったに違いない。情報の少ない中、西洋音楽というものに、そして西洋文化そのものに憧れ、何もないないところから、一から必死に築き上げてきたものも多かったと思う。何時間も練習し、修業し、楽しいことも我慢してきた。それはピアノの上達のため。西洋に追いつくため。そして、ストイックとも感じられるような、日本独自の演奏、指導というものが出来上がっていった。

そこへフランスから異質なピアニズムがやってきた。

「あ・・・なにか違う・・・全然違う・・・」

すんなりと、そのフランスピアノを受け入れた人もいただろう。「あら、なんて素敵なの。これまでのピアノの演奏って何だったの?」

カルチャーショック・・・

でも、到底受け入れられなかった人達もいたのだ。「もし、あれが主流になってしまったら、私たちはどうなるの?今まで苦労して身につけてきたものは何だったの?いえ、私たちがやってきたことが正しいの。主流なの。あちらが異端なの」

人間は一人だと孤独になる。心配になる。なので、同じ価値観を持つ者同士で固まろうとする。「こちらが主流よ、私たちが正しいの。さあ、連携しましょう・・・」

子どもたちをバリバリと鍛え上げ、コンクールに出場させる。

「ピアノはこう弾くべき・・・それ以外のものなんて、ありえない・・・」

「火鉢で手を温めながら、そして手先が割れ血が出るまで練習したのよ。正しいに決まっている・・・」

当時の日本の主流派はフランスピアニズムに一種の恐怖感を抱いたのではないだろうか?「もし、あちらが主流になってしまったら?」と。なので固まった。グループになれば心強いので、○○派のようなものさえ出来上がっていった。

「この国で力を持つ前に排除してしまいましょう。それが無理なら、異端派としてしまいましょう・・・」

恐怖心・・・

この本は、「斜め読み」すると面白いと思う。

kaz



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category: ピアノの本

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What Would You Do? 2 

 

アメリカで生活していて、日本人(アジア人)であるということで差別された記憶はないと思っていたけれど、「What Would You Do?」を観ていて、鮮明に思い出したことがある。ニューヨークでの出来事だった。友人とレストランに食事をしに行った時、ウエイトレスの言葉が聞き取れなかった。僕は難聴なので、よくこのようなことはある。日本だとありえないことなのだと思うが、何度か聞きなおす僕に対して、明らかに彼女はイラついていたようだ。そしてこう言ったのだ。

「ちょっと!ここはアメリカなのよ・・・英語ぐらい勉強してきなさいよっ!」

僕はビックリしてしまって、緊張してしまい、ますます聞えにくくなってしまった。高圧的、威圧的な態度や口調がそうさせたのだと思う。その場の空気が変わったのは僕にも分かった。

「あなたのその態度はよくない。職業人としてもだし、人間としてもだ。出て行って欲しい」と友人が言ってくれたのだが、彼女も「引けない」と思ったのか、「私は仕事をしているだけです。彼(僕ですね)の反応の悪さが原因で、私の責任じゃないわ」と言い放ったのだ。

友人だけではなく、そのレストランにいた人達も「あなた(ウエイトレス)の態度は問題だわ」とか「あなたの方がよほど不愉快だ」などと言ってくれた。

それでも彼女は注文を受けると、テーブルを離れる際に、こう言ったのだ。「まったく・・・アジア人は・・・」と。

「おい、今何て言った?」

僕は楽しい食事・・・なんて気分ではなくなったので、「出ようよ・・・もういいよ」などと言ったのだが、友人はもちろん、周囲の人達も「なんであなたたちが出なければいけないの?出ていくのは彼女の方じゃない?」と大騒ぎになってしまった。

結局、彼女は担当を変えさせられて、奥に引っ込んだまま出てこなくなってしまった。

「なんで謝罪の言葉がないの?彼(僕ですね)に失礼じゃない?店長はどこ?」

これは差別と呼べたのだろうか?今でも判断できないが、そのウエイトレスはクビになってしまったのだろうか?

考えてみれば、このような小さな出来事は少なからずあったような気はする。

この動画でその出来事を思い出してしまった。

kaz



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What Would You Do? 

 

空港でのセキュリティチェックで、いつも感じる。「以前に比べて厳重になったな」と。国際線を利用する時に、そのように感じている人は多いのではないだろうか?僕が留学していた頃は、こんなに厳しくはなかったような・・・

テロが頻発するようになってからだと思う。多くの日本人にとっては、「厳しいのねぇ・・・」とか「時間がかかるわねぇ・・・」で済むことなのかもしれないが、ムスリムの人たちは、時には差別的な扱いさえされることもあるのだろうかと思ったりもする。彼らは、宗教上の理由からの服装ですぐにムスリムなのだと分かるので、セキュリティチェックのような特別な場面だけでなく、日常生活においても、いろいろとイヤな思いもしているのではないかと想像したりする。

米国のテレビ番組に「What Would You Do?」という番組があるのだそうだ。「あなたならどうします?」という意味だろうか?これは、いわゆる「ドッキリテレビ」だ。一般の人々を、ある意味では騙して番組が成立しているわけで、そのような意味で疑問に感じることも多いが、日本のドッキリテレビとは異なり、差別など、社会問題をテーマにしているところが特色だ。

実際に差別的な場面に、あなたが街中で遭遇しました・・・さあ、あなたならどうします?

このような番組だ。

ちょっと考えさせられてしまう番組ではある。

kaz



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カナダからの手紙 

 

もうすぐ日本に帰国するわけだけれど、帰国はサークル練習会の前日、夜になる。むろん、疲れて寝てしまうだろうし、時差ボケで眠れなかったりしたら、もしかしたら練習するかもしれないが、体力的に無理ではないかとも思う。イタリア旅行と、今回のカナダ訪問の間には2週間ほどしか時間がなかったわけで、その期間でスケルツォの4番とは無謀な選曲なのだと思う。でもこの曲は全くの新曲というわけではないのだ。中間部だけは2年前に弾いたことがある。むろん、「素敵だなぁ・・・」と流して弾いただけで、きちんと弾いたわけではないし、この曲の難しさ、メカニカルな困難さは中間部ではない部分に集中しているわけだから、2週間では無理なのだ。そして、このような曲は短期間で無理やり仕上げる曲でもないのだ。

分かっているんだな・・・

でも、できないかもしれないが、やってみる・・・というスタンスは僕が癌だということと無関係ではない。この僕のスタンスはピアノの練習だけではなく、仕事や生活全般にも言えることなのだ。別に抗癌剤による治療を現在は受けていなくても、また開腹手術後ではなくても、「以前にはできていた、できると思っていたことが、実際には厳しくなっている」という場面は多いのだ。最初はこれが辛かった。できない・・・できないから修正・・・この繰り返しなのだが、やはりそこには「挫折感」というものが伴う。なので、初めからその挫折感を感じないで済むように、何事も「小さくまとめてしまう」という傾向にあるのだ。そうすれば、失敗も少ないし、挫折感もないし、なによりも現実を直視しなくても済むようになる。

でも、そのことも自分では分かっているんだな・・・小さくなっていくんだな・・・と。

なので、できないかもしれないが、○○をやるとか、行けないかもしれないが旅行の計画をするとか、そのようなことが僕にとってはとても重要なのだ。僕に限らずではないかな?癌患者なら誰でもそう感じているんじゃないかな?

別に僕が考案した練習方法ではないのだが、シュトイアマンの流派に属するピアニストたちが実行している練習方法を僕も行っている。短時間で効率的な効果が期待できる練習方法だ。具体的には、このブログの最初の頃に書いた記憶があるので繰り返さない。反復練習や、ゆっくりの練習ではなく、音の単位を一つ、一拍づつ増やしていく練習方法だ。シュトイアマン系列(?)のピアニストで、ピアニストとしては、あまり興味はないが、マーカンドレ・アムランなど、おそらくこの練習方法をしているのだと想像している。ブレンデルはインタビューで実際にこの練習方法を紹介している。

この練習方法で、とにかく「やってみたかった」というのがある。まぁ、無理でしょう・・・と目標値を低くしてしまうのではなく、できないだろうが、やってみる・・・という考えだ。実際にはスケルツォは弾かないだろうなと思ってはいる。疲れていると思うし、旅行から帰国翌日では弾き通す体力、気力はないだろうと思っている。でも、帰国してから決めるんだ。そこが大事。2週間、やってみた・・・という事実は残るでしょ?そこが大きい。ピアノ的には正しい感覚ではないが、癌的には正しいように思う。

2週間の練習で徹底したのは、シュトイアマン方式の他に「雁部式練習」と自分で呼んでいる練習方法。基本的に、反復練習というものは、手癖になる。そこを狙うわけだ。いつも同じように弾けるように練習するわけだ。でも本番というものは、「いつもと異なる状況」になる。なので手癖だけで弾いてしまうと崩壊するのだ。つまり練習で、何回弾いても同じように弾ける・・・というところを目標値としてしまうと、本番で困るわけで、むしろ「同じように」ではなく「違った状況でも変えて弾ける」のほうが大切なのだ。これが雁部式の考え方だ。これも徹底した。なので、19日にはショパンは弾かないだろうとは思うが、いいのだ。やってみる・・・ここが大事。

ピアノの知識と演奏―音楽的な表現のために (ムジカノーヴァ叢書)ピアノの知識と演奏―音楽的な表現のために (ムジカノーヴァ叢書)
(1999/06/01)
雁部 一浩

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カナダは空気が乾燥している。なので、とても爽やかで空気が軽く感じる。日本に帰ると空気が「ジメッ」とした感じなんだろうなと思う。すぐに慣れるんだけど、いつも帰国直後は調子が悪くなる。それも想定しなくてはいけないね・・・

さて、カナダのフィギュアスケート選手、やはりデヴィッド・ウィルソンを忘れてはいけないだろうと思う。選手としては紹介はできない。この人は振付師として有名だから。でも元選手ではあるのだ。彼は、幼い頃は、相当イジメにあっていたようだ。「人とどこか違う」ということは、やはりカナダでもイジメの対象になるのだね。彼はスケートを始めることで、「人と違う」ということが、いけないことではなく、むしろそれが大切なことなんだと知ったのではないかな・・・僕はそのように想像する。でも、彼は「オスグッド・シュラッター病」になってしまい、スケートができなくなってしまう。この病気はスポーツをする青少年に多い病気らしく、膝の脛骨が飛び出し、痛みを伴うものらしい。

スケート選手としてではなく、彼は振付師としてスケートと関わる人生を得た。彼が振付をしたプログラムは多いけれど、いつも感じていたことがある。それは、選手の短所を隠し、長所をアピールするプログラム、振付であるということだ。特に男子選手への振付では、選手に対しての愛情さえ感じる振付に思えてくるほどだ。

それはデヴィッド・ウィルソンのスケートに対する情熱、愛情が出ているからそう感じるのではないかとも思う。彼は選手と一緒にスケートをしているのだ・・・そう思う。

個人的に僕の最も好きなデヴィッド・ウィルソン作品は、ハビエル・フェルナンデス選手のこのプログラムだ。

選手への、そしてスケートへの愛を感じる・・・

kaz



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category: サークル

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開拓精神? 

 

カナダという国、カナディアン・ロッキーなどから連想される雄大な自然、あとは、「赤毛のアン」のイメージだろうか?爽やかな草原、遠くに見える教会・・・乙女チックなイメージ?

イメージと言えば、外国は治安が悪いというイメージがある。実際にそうなのだと思うが、カナダの田舎に滞在していた印象では、治安は悪くないと感じる。車をロックしないで店に入る人もいたりするし、玄関の鍵を掛けない人もいる。もっとも、これは田舎、郊外だけのことだと思うが、少なくとも、僕は日本で家で過ごしている時には玄関の鍵は掛けている。普通はそうするのでは?これはカナダだけのことではなく、アメリカに住んでいた時にも感じたことだ。ブロンクスに住んでいた時には、さすがに玄関、窓の鍵は掛けていたけれど、街を歩いても危険を感じたりしたことは一度もないのだ。まぁ、幸運だったのかもしれないし、僕が金持ちには見えなかったということもあるのかもしれないが、日本のガイドブックなどは、少々治安に対しては「責任回避」のようなところはなかろうか?「書いておきましたからね。危険なことがあっても我々は知らせておきましたからね」のような?「地球の歩き方」のようなガイドブックで「決して足を踏み入れないように!!!」などと指摘された地区に住んでいたし、普通に暮らしていたので、どうも感覚が鈍る・・・

・・・と関係のない話ばかり書いたが、カナダと言えば、やはりピアノを弾いているのだからグレン・グールドを連想しなければいけないのだろうが、僕はカナダ・・・と言えば、まずフィギュアスケートを連想する。それも男子シングルの選手たちを連想する。グールドではないのね。

不思議なことに、カナダの男子選手には「世界で初めて○○ジャンプを成功させた」という選手が多いのだ。アロイス・ルッツというオーストリアの選手が初めてルッツジャンプを跳んだのが1913年。初めて3回転のルッツを成功させたのが、カナダのドナルド・ジャクソン選手。1962年のことだ。その後、10年以上トリプルルッツを競技会で成功させた選手は出なかったのだそうだ。

ノルウェーのアクセル・パウルゼンが1882年にアクセルを跳んだ。トリプルアクセルの「アクセル」とは人の名前。車のアクセルから連想するのか、「踏み込むジャンプ」という意味に解釈している人もいたりするが、アクセル、ルッツ、サルコウ・・・これらは考案者の名前なのだ。3回転のアクセル、つまりトリプルアクセルを初めて競技会で成功させたのが、やはりカナダのヴァーン・テイラー選手。1978年のことだ。もっとも、映像で観る限りでは、完全にクリーン・・・というジャンプではないので、初めて競技会でクリーンなトリプルアクセルを成功させたのは、ブライアン・オーサーではないかと思う。彼もカナダの選手で、初めてオリンピックでトリプルアクセルを成功させた選手でもある。

初めて4回転を成功させたのが、これもカナダの選手で、カート・ブラウニングが1988年に成功させた。4回転ジャンプからのコンビネーションジャンプを初めて成功させたのもカナダの選手で、エルビス・ストイコが1991年に成功させている。

カナダの選手ばかりだ・・・理由を探ってみても面白いかもしれない。

カナダの選手で個人的に印象に残っている選手がエマニュエル・サンデュという選手。彼の戦績は上記に登場したカナダ人選手と比較すればパッとしないし、世界選手権にさえ選ばれなかったシーズンもあるから彼のことを知らないスケートファンも多いのかもしれないが、とても好きな選手だ。どこかエキゾチックな魅力があった。たしか、彼の母親がイタリア系、父親がインド系だったと記憶している。さらに彼はバレエを習っていて、ダンサーとして来日したこともあるらしいが、彼の演技には、そのバレエの要素も感じられる。

kaz



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category: The Skaters

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逃げ 

 

自分の好きな曲を弾けばいいのだと思う。事実、そうしてきた。先生は曲を指定するということは絶対にしない人だし。でも最近は感じる。「逃げもあるな・・・」と。どうも体力的、技術的に余裕のある小品ばかり弾きすぎるような気は以前からしていた。いわゆる、スタンダードな名曲、ショパンやリストの曲は、もう長い間弾いていないのではないだろうか?

ショパンのスケルツォは、そのような反省も含めて今回選曲したのだが、やはり難しい。弾こうと決心したのがイタリアから帰ってからだし、そして今は呑気にカナダにいたりする。「練習はどうするのだ?練習は・・・」と我ながら呆れる。

スケルツォのような曲を弾くと、どうしても対面してしまう。「自分の未熟さ」のようなものにだろうか?このような曲を選びさえしなければ味わわないで済むようなことも沢山味わわなければならない。結構シンドイ・・・

ただでさえ辛いことも多いのだから、あえてピアノでさらに辛さと対面する必要もないのでは?

いくつか前の記事で「先生は教材だけ弾いていていいのか?」のような内容の文章を書いたけれど、以前だったら「素人に何がわかるの?生意気なのでは?」とか「ピアノ教師は教材研究が仕事です。自分のピアノの精進が仕事ではありません」のようなメールがあったのだけれど、今回はない。代わりに(?)このようなメールがあった。

「生徒の教材を美しく弾くということも、それはそれで勉強にはなるとは思うのですが、でもそれだけでいいとは思えません。やはり、自分のピアノの演奏のピークが音大卒業時であるということは、とてもおかしなことだし、先生(我々)が芸術作品を弾き続けないというのは、どこか怠慢であり、おかしいと思います。でも、そのような曲を弾くと自分の未熟さと対面しなければならない。それが逃げてしまう理由の一つなのではないかなと思います。教材研究、というか生徒が弾く曲を弾いていれば、ある意味、自分は熱心な教師と自分に酔うこともできるし。でも生徒にピアノを弾くということを要求する以上は、教師自身がそれを行っていなければ説得力もないと思います。でも、やはり自分自身と対面してしまうというのは大変なんですね。できれば、そのようなことは逃げたいし、避けたい。教師である以上、自分ってこんなに弾けないの・・・と自覚したくないところがあるのです。教材研究というものは、その心理状態から逃げることのできる理由にもなるのだと思います」

逃げたい・・・無意識に自分の未熟さとは対面したくないと思う・・・

このあたりは、今の僕もそうなので、よく理解できる。かといって「だから教材だけ弾いていれば・・・」とも思わないが。

アマチュアのピアノって大変だなと思うこともある。仕事をしながらだし、そしてそこに年齢を重ねれば特にそうだけれど、身体的な問題なども絡んできたりする。でも同時に甘いよなぁ・・・などとも思う。ただ「ミスなく弾けますようにぃ・・・」とか「崩壊してしまいましたぁ・・・」と、表面的な出来栄えに一喜一憂しているところなんか、甘いよなと自分で思う。

ストリート・ミュージシャンの演奏を最近は聴いたりしているのだが、はっきり言って彼らの演奏を聴くと「グサッ」とくる。「自分・・・まずいんじゃない?」と思う。「随分甘いんじゃない?」とも思う。

彼らの演奏、たとえば専門の音楽教育を受けた、つまり音大を卒業した人などは、どのように受け取るのだろうか?そのあたり非常に興味がある。やはり「グサッ」とくるのだろうか?

ステファン・グラッペリというジャズのヴァイオリン奏者の言葉。この人は、ほぼ独学でヴァイオリンを学び、長い間ストリート・ミュージシャンとして活動していた人だ。

「窓の下で愛の歌を弾くわけさ。そうすると小銭が降ってくる。でも時にはバケツの水を浴びることだってあるんだ。ヴァイオリンだって上達するわけさ」 ステファン・グラッペリ

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category: 音楽自立人、音楽自由人

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意志力 

 

Best of Thomas QuasthoffBest of Thomas Quasthoff
(2009/10/26)
Thomas Quasthoff

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トーマス・クヴァストホフという歌手の存在を知った。彼は残念なことに、健康上の理由から舞台から引退してしまったけれど、多くの録音を残してくれたし、現在は後進の指導をしているらしいので、彼の「意志力」というものは、若い世代の歌手にも伝えられていくのではないかと思う。

彼が歌う姿を見てみれば分かるのだが、彼は重い障害を持って生まれた。彼の母親が妊娠中に「サリドマイド」を内服していたため、彼はサリドマイド児として、この世に生まれたのだ。トーマス自身の「これまでの苦難」も想像できないが、家族の苦難も、また想像できない。

トーマスは、素晴らしい声を持っていたらしい。また、歌も好きだったのだろう。父親は彼に声楽のレッスンを受けさせる。むろん、トーマスは上達し、音大を目指すことになった。彼にとっては歌というものは、単なる「好きな事」以上のものだったと僕は想像する。歌を歌うことで、自分を飛翔させることができたのではないかと・・・

しかしながら、トーマスは音大に進学できなかった。理由は「ピアノを演奏できなかったから」・・・

彼は、ここで大きな挫折感を味わったのではないかな・・・

トーマスは音大を諦め、法学部に進む。そして銀行で6年間働く。この期間、彼にとって「歌う」ということは、どのような意味を持っていたのだろう・・・などと思いを馳せたりする。やはり、歌は諦めてはいなかったのか、それとも、歌うということを意識的に自分の中から排除していたのか・・・

彼の歌は、「表現しつくしたい」という彼自身の強い意志力を感じさせるものだ。また、彼が歌う時の目の表情がそれを物語っているようでもある。

最近は特に思う。「体力がなくなったな」と。ピアノをやめようとは思わないけれど、人前で大きな曲を頑張って弾いたりとか、演奏会で弾いたりとか・・・このようなことは、もういいかな・・・などと思うことは多くなった。ピアノは好きなんだと思うけれど、弾くということが、こんなに身体的、精神的に辛いのなら、アマチュアである僕などがピアノを弾く意味なんてあるのだろうかと・・・

正直、今の僕はトーマス・クヴァストホフの歌を聴くのが辛い・・・

kaz



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category: The Singers

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察知力 2 

 

これがバーブラの歌唱・・・



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category: Barbra Streisand

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察知力 

 

ジョンが結婚式で歌ったバーブラ・ストライサンドの歌、「これからの人生」という曲。ただし、この曲はバーブラの名唱が有名なのだが、実はバーブラのオリジナルの曲ではない。アラン&マリリン・バーグマン、そしてミシェル・ルグランが組んだ名曲で、映画の主題歌をバーブラがカバーしたものが有名に(欧米では?)なった。

Way We WereWay We Were
(2008/02/01)
Barbra Streisand

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「追憶」という70年代のアルバムに収録されている。一見(一聴?)結婚式で歌う曲にしては哀愁が漂いすぎのような気もするが、おそらく歌詞に惹かれての選曲だったのだろうと思う。

あなたの人生に一つだけ注文がある。それは人生のすべてを私と一緒に過ごして欲しいということ。私の生涯を振り返った時、私の人生のすべての季節を振り返った時、いつもあなたと一緒だった人生・・・と私に思い出させて欲しい・・・

この曲、バーブラの他にも多くの歌手がカバーしている。ポップス系の歌手(つまりジャズ歌手がアドリブを沢山入れた歌唱ではない歌唱ということ・・・ジャズの場合はアプローチが異なりすぎて比較できない)とバーブラのそれとを比較してみると、なんとなく感じることがある。

楽譜を正確に読んで、正しく演奏・・・これはとても大切なことだとされている。でも、ややもすると、「楽譜通りに正確に弾けているだけの無味乾燥な演奏」というものを表現する時にも、否定的な意味合いで使用されたりする。

楽譜に忠実=ややもすると平凡
惹きこまれる演奏=楽譜に捉われない感性溢れる演奏

・・・のように「楽譜に忠実」ということが、平凡さ、凡庸さを表す意味になっていたり・・・

このように考えられないだろうか?楽譜に忠実、楽譜をよく読む・・・ということは、楽譜に記載された音の高さ、長さ、記号をただ弾くということではなく、楽譜のニーズをも忠実に反応させた演奏が、惹きこまれる演奏になっていく・・・と。

つまり、「ただ楽譜を正確に弾いている」という印象を与えてしまう演奏は、実は「楽譜さえ正確に弾けていない」のでそのように聴こえてしまうのでは?

楽譜を読むということは、ニーズに反応、ニーズを察知できるかどうかの才能・・・なのでは?

短い音符に対して長い音符はエネルギーがどう・・・とか、大きな跳躍の場合、力点をどのように表現するか・・・など、ニーズを察知できるかどうか・・・

バーブラの歌唱は、このあたりの能力に長けているように思う。「ただ歌わない・・・」

長い音符、跳躍、短い音符、繰り返される同じ音型、異なる音型、調性の変化・・・これらのことが表現されつくしている・・・これがバーブラの歌唱の特徴なのではないか?

楽譜に忠実=察知能力=豊かで個性的な表現・・・という図式ができているのでは?

これはバーブラの歌唱ではなく、あるオーディション番組でのアマチュア(?)らしい人の歌唱。勝ち進んでいるのでしょう。情感豊かで、とても上手だと思う。審査員も感嘆・・・という感じだ。でも、バーブラの歌唱と比較してしまうと、楽譜の読み、察知という点において、かなり大雑把な歌い方という印象を持ってしまう。声量も豊かだし、ツヤのある声だし、情感も、そして歌う時の表情も豊か。「わぁ・・・上手!」とか「この人・・・歌・・・上手い・・・」とか無条件に思う。

でも、楽譜の察知力がバーブラとは異なる。普通すぎる!

・・・と僕は感じる。

kaz



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category: ピアノ雑感

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ピアノ教師の音 

 

「グループの子・・・どうしてます?」

大昔のことだが、ある楽器製造会社の音楽教室に関係していた頃、多くの個人レッスンの先生がぼやきつつ言っていた言葉だ。グループの子とは、グループレッスン出身の生徒・・・という意味なのだろうと思う。グループの子は、読譜ができない。なので、自宅で練習できない。サウンドとしては小洒落たサウンドを浴びてしまっていて、そうなると、どうしても楽譜を読んで・・・となると、かつて浴びていたサウンドよりは単純なものになってしまうので、興味が持てない。読まない・・・弾かない・・・弾けない・・・挫折・・・という残念な道を歩んでしまうケースが多いらしい。安易に音として聴かせて教えてしまうと、このような失敗も多いらしい。やはり、ピアノというものは「レッスンでワクワク楽しい体験」という部分よりは、「自宅で一人で練習」という部分のほうの影響が大きいのだろうか、そうなのだと思う。安易に耳からだけで弾かせてしまう危険性・・・

では、楽譜、読譜がすべてなのだろうか?

最近、気がついたのだが、大人のアマチュアのピアノで、初心者の方ではなく、ある程度進んだ方、いわゆる中級者、上級者とカテゴライズされる方々のブログを読むと、そこでの悩みは「読譜ができない・・・一人で練習できない」というものではなく、レッスンを受けていても、基本的に「曲を表現できない」という悩みを持ちつつピアノを弾いている人が多い。むろん先生の指導を受けているので、なんらかのアドバイスはあるはずなのだが、そのアドバイスは、いわゆる「ダメ出し」のようなものが多く、「そこは~ができていない」とか「~の表現がまずい」とかの指摘はあるけれど、そもそも根本的、基本的な「表現方法とは?」なるものを教えてもらっていないというか・・・

多くの人は、表現欠如演奏、ただ音を並べています的な演奏を、自分の感受性やら才能、あるいは耳で聴いていない、聴けていないなどと、自分に原因があると思い、悩んでいる人が多い。

ちょっと極端なのかもしれない。「音を聴かせてしまうと読譜に問題が出てきてしまうから・・・」というのは事実だろうが、バランスの問題ではないだろうか?大人のある程度進んだ方、つまり「読譜が・・・」などという心配のない生徒には、どんどん聴かせればいいのではないかと思うがどうなのだろう?

この場合、「いい演奏を聴きましょう」ではなく、先生自らが弾くということがポイントなのだろうと思う。別に「このような曲なんですよ~」と全部弾く必要はない。ワンフレーズ、一部分でいいいのだ。

でも、そこが分かれ目でもあるのでは?その先生のワンフレーズには、その先生の「ピアニストとしての研鑽度」「心構え」のようなものが一発で露わになってしまうということでもある。その先生が、「自らもピアノを弾いていく身なのだ」というスタンスでピアノと接しているか、否か・・・

「生徒の教材しか研究する時間がないし、連弾のパートを練習するのも大変。自分自身がショパンやラフマニノフなんて・・・」というスタンスでは、生徒に音として聴かせた時に、それが出てきてしまうのでは?

どれだけの曲を自らが研鑽し、それを人前で演奏してきたか・・・一年間を振り返った時に、「自分で勉強した」という芸術作品(生徒の教材ではなく)がどれくらいあるのか・・・

読譜ができない生徒を生みだす背景・・・

表現できない生徒を生みだす背景・・・

kaz



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category: レッスン

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結婚式 

 

実はジョンとトムの結婚式には招待客として出席しただけではなかった。かなり前に招待状は受け取っていて、そこにはジョンの手紙が同封されていた。

「結婚式、そして披露宴に来て貰いたい。カナダは遠いけれど・・・むろん、宿泊代、交通費は我々が負担する。実はお願いがあって、披露宴でピアノを弾いてもらいたいんだ。どうしてもね。僕も歌うんだけど、そこでもピアノを弾いて欲しいんだ」

ジョンは、若い頃は歌手を夢見たというくらいなので、歌がとても上手だ。ジョンはバーブラの曲を歌う予定で、僕にはトムの好きなブラームスの曲を弾いて欲しいともあった。

後日、「わたくし・・・有能なウェディングプランナーです!」という感じの女性から確認メールがあったりして、「これは、断れない?結構おおごとになっている?」などと少し緊張したものだ。

まぁ、僕はピアノを弾いただけなので、なんとかなった。

結婚式は、彼らの希望で、小規模、かつ温かな雰囲気の溢れる感じで執り行われた。男女の結婚式と、全く変わらない結婚式、披露宴だったけれど、いくらカナダとはいえ、やはりゲイのカップルならではの、結婚に至るまでの道のりの険しさのようなものは、やはり二人にもあったのだなぁ・・・などと感じてしまった。誓いの言葉など、やはり声が震えてしまうし、それまでの感情が込みあげてきてしまうらしい。それを温かく包み込む出席者たち・・・

日本では、同性婚そのものが法律で認められていないので、ゲイのカップルが婚姻届を、とか「ここにサインを・・・」などということはない。でも、中には非公式なものとして結婚披露宴などはしているカップルなどもいるのかもしれない。

カナダのように、同性婚が認められている国、ゲイということが判明しただけで死刑になる国、また何の罰則もないけれど、保障もしませんよ・・・という国、いろいろだ。

こんな感じの結婚式、そして披露宴だったな・・・

kaz



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プロポーズ 

 

カナダに滞在している。目的は友人の結婚式に参列するため。本当は19日にサークルの練習会があり、まだ弾けていないので、細部の最後の追い込みのため、カナダ滞在は一泊だけ、つまり結婚式と披露宴だけを目的にし、帰国してピアノの練習をしようと思っていた。むろん、仕事もしなきゃなんだけど。でも、現地に滞在している時間よりも、移動のための時間の方が長い・・・というのも、なんだか疲れるような気もするし、勿体ないような気もしたので、練習会の前日、夜に帰国するよう予定を変更した。ピアノは・・・まぁ、いいのではないかと思う。

さて、友人はジョン(もちろん仮名)といい、52歳の男性だ。結婚相手はトム(仮名)といい、27歳の男性。そう、二人はゲイのカップルなのだ。僕もゲイのカップルの結婚式というものは初めての経験だった。

ジョンとトムは、何年も同棲していたのだが、法的な手順を踏んで正式に結婚をしたいという希望を強く望んだのは、年下のトムの方だった。でも、ジョンは結婚に踏み切れず、躊躇していた。ゲイということが理由ではなかった。カナダでは、ゲイということに対する偏見、同性婚に対する嫌悪感のようなものは、全くないわけではないだろうが、ものすごく低いらしいので、理由はそこではなかった。ジョンが迷ったのは、二人の年齢差。ジョンは自分の30歳前の頃を考えた。時代的なものもあったのだろうが、その頃のジョンは添い遂げるとか、一人の相手だけに貞節を誓う・・・という感じではなかった。むろん、トムの気持ちは嬉しく、信じなければいけないとは思うが、ジョンは怖かったのだ。

「僕は捨てられたくない・・・」「そんなことあるわけないじゃないか・・・」

でもジョンは怖かった。結婚に踏み切れなかった。

「ようするにだね、君もだけど、僕も年老いていくんだ。10年後、君は37歳、僕は62歳、20年後、君は47歳、僕は72歳・・・わかるよね?ようするに、そういうことなんだよ」

トムは納得しない。「そんな計算、僕だってできるさ。そんなの全く問題じゃない!」

ジョンは心の底から思ったのだそうだ。トムのキラキラした瞳を見ながら「ああ・・・若さだな・・・」と。「僕は、その純粋で一途な若さに賭ける勇気がないんだ・・・」と。

そんな二人が結婚を決意した。ジョンの気持ちを変えた、溶かしたのは、トムのプロポーズだったのだそうだ。トムは「サプライズ」をしたのだ。つまり、ジョンには内緒にして、友人達を招いて、いきなり彼らの前でプロポーズをしてしまおうと・・・

トムはこのように語った。「もし、もしそれでもジョンが僕の気持ちを受け取ってくれなかったら、プロポーズを受けてくれなかったら、そうだな・・・それでも僕は諦めなかったと思うな。僕はジョンを愛しているからね」

「あのプロポーズは、トムの頭脳作戦だったね。見事にやられたよ」とジョン・・・

この動画のカップルは、むろんジョンとトムではないけれど、このような感じのプロポーズだったらしい。

kaz



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