ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

2015 フィギュアスケート世界選手権 

 

フィギュアスケートの世界選手権が終了。僕は残念ながら旅の途中であるので、まだ映像を観てはいない。各々の選手達が、実際にどのような演技をしたのかは知らないのだ。帰国後に、友人が録画してくれたものを観てみたいと思う。

でも、競技の結果は知っているし、プロトコルにより、詳細な各選手の実施技や、その評価を知ることはできる。

おそらく、羽生選手を筆頭に日本人選手の成績、演技内容が日本では、当たり前のことだが、話題になっていると思うけれど、そして、むろん、僕自身もそのことは興味があることだけれど、プロトコルから見る限り、僕が最も「実際の演技を観てみたい・・・」と思うのは、日本の選手達の演技ではない。

プロトコルと順位を照らし合わせてみると、ここ最近は、明らかにスケーティングの質というものが評価されてきているような印象を受ける。大技を含め、ノーミスで演技をするということよりも、多少のミスはあっても、基礎的なスケーティング技術に長けている選手に高得点が与えられているように思う。いくら頑張っても、そしていくらノーミスで演技をしても点数の伸びない選手に共通しているのは、各エレメンツの間の部分が「いかにもつなぎです」とか「振付がそのようになっているのでそうしています」のような印象を与えてしまうことだ。またそのような選手は、ジャンプだけを見ても、ジャンプ前後の流れやスピードにおいて、スケーティング技術そのものが優れている選手と比べると、かなり見劣りがしてしまう。このあたりは、ピアノ演奏というものとも共通点がかなりあるように思う。「常に流れの中で技をおこなう」ということと、「技と間の部分とが継ぎ接ぎ」というくらいの差があるようにさえ感じてきてしまう。

さらに、プロトコル、そして順位を見て感じるのは、指導者(コーチ)の存在というものの大きさだ。今回、上位の選手たち、お馴染みの選手たちだけれど、共通のコーチの名が浮かび上がってくる。男子シングルでの1位、2位の選手たち、ブライアン・オーサーがコーチだ。教え方が上手いのか、高評価を得るコツを心得ているのか、オーサー自身が素晴らしい選手だったからなのか、おそらく全部だろうと思う。ナム・グエンという、今まで全く知らなかった選手が上位になっているが、彼のコーチもブライアン・オーサーだ。まず彼の演技を観てみたいと思った。

もう一人、浮かび上がってきたコーチ(指導者)がフランク・キャロル。彼は名コーチとして昔から知られていたけれど、今回、女子シングルで総合ではメダルは逃したけれど、フリーで2位になったグレイシー・ゴールド選手、また男子シングルで総合では銅メダルだったけれど、フリーでは1位だったデニス・テン選手、彼らを指導しているのがキャロルコーチなのだ。彼はミシェル・クワンを育てたという印象が強いけれど、とてもスケーティングそのものを重視している人のように感じる。

実際の演技を観てみなければ分からないけれど、おそらく出場選手達は全員が世界選手権にすべてを賭けてきたはずだ。努力・・・などという言葉では軽すぎるほどの努力を重ねてきたはずだ。それは今年だけのことではなく、そして世界選手権やオリンピックだけではなく、競技会というものにおいて、それはいつも感じることなので、そうなのであろう。でも「差が出てくる」というのがシビアなところだ。僕は、選手の才能ということよりも、指導者の力量というものが差を作り上げているような気がしている。これもフィギュアスケートの競技会を観ると、いつも感じることだ。

グレイシー・ゴールド選手、そしてデニス・テン選手の演技もまずは観てみたいと思っている。

基本的に、ピアノ演奏などでもそうなのだが、僕は「過去の往年の名選手」のような演技に惹かれる傾向がある。なので、基本的には旧採点時代の演技に惹かれるが、最近の演技、現役選手の演技で最も好きな演技が、2013年の世界選手権でのデニス・テン選手のフリー演技。この演技を超える感動をいつも待っている・・・という感じでスケート観戦をしている。

この時、彼はパトリック・チャン選手に次いで第2位になっている。世界選手権前までは調整に苦しんだ。3週間前の競技会では全く自分を出せずに沈んでしまっている。あと3週間・・・絶望的だ。

その競技会後、キャロルコーチは彼に言ったのだ。「君の焦点は3週間後の世界選手権だろ?」と。3週間で彼は自分を改造したのだ。身体的にも精神的にも。そして3週間で浮かび上がった・・・

そもそも、この時のショートプログラム、そしてフリーのプログラムには、デニス・テン選手にとって、表現したいテーマがあったのだ。

無声映画時代のスターが、落ちぶれていってしまう。彼は自殺未遂を繰り返す・・・

でも復帰するのだ。スターとして返り咲く。そして再び、人々から愛されるスターとなっていく・・・

彼は、どん底から這い上がるスターの一生を再現したのだ。そしてそのスターのように自分自身も3週間で這い上がったのだ。

フィギュアスケートはスポーツだけれど、ドラマがある。なのでいつも観てしまうのだ。

kaz



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category: The Skaters

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ルーツ 

 

コルシカ島 (文庫クセジュ)コルシカ島 (文庫クセジュ)
(1999/05)
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コルシカ島はフランス。でも地図を見てみれば、フランスというよりは、イタリアに近いようにも思う。事実、昔はイタリア・ジェノヴァ共和国に属していたのだ。この島がフランスに属するようになったのは、かなり昔のことで、ナポレオンが生まれた頃になる。ここはフランスだから、フランス語が話されているし、当然表記もフランス語だけれど、街の佇まいや建物などはイタリアそのもののような感じもする。この「混ざり合った感じ」というものがコルシカ島なのだろうと思う。

アジャクシオという小さな(といってもコルシカ島では大都市である)街に滞在している。ここアジャクシオという街はナポレオンが生まれた街として知られている。ナポレオンは最も有名なフランス人の一人なのだと思うが、彼の名前はナブリオーネ・ブオナパルテというイタリア系の名前だった。フランス風に名前を後に変えたわけですね。このあたりのことも、フランスとイタリアの混ざり合いというものを感じる。

The Rough Guide to Corsica (Rough Guide Corsica)The Rough Guide to Corsica (Rough Guide Corsica)
(2003/03/24)
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「地球の歩き方」のような日本語のガイドブックはコルシカ島に関しての記述は少ない。なので、英語のガイドブックを頼るしかないのだが、日本人で訪れる人はあまりいないのだろうか?イタリア本土、ミラノやローマのような大都市や人気のトスカーナ地方などを「イタリア」と思い、パリを「フランス」と思うのかもしれない。たしかにコルシカ島は島の大部分が険しい山岳地帯という感じがして、交通の便が良くない。これが観光地として多くの人がツアーなどで訪れるということを難しくしているのかもしれない。コルシカ島・・・と聞いて、パッとすぐに地理的な位置が頭に浮かぶ日本人は少ないのかもしれないな。僕もそうだったけれど・・・

小さな街、アジャクシオ生まれの有名人では、ナポレオンの他に、フランソワ・コティがいる。香水に詳しい人なら、コティは知っているだろうと思う。日本では、コティの香水のガラス容器を製作したルネ・ラリックの方が数段有名なのかもしれないが・・・

もう一人のアジャクシオ生まれの有名人がシャンソン歌手のティノ・ロッシ。この人の歌を幼児期に聴いて育った僕にとっては、アジャクシオという街やコルシカという島は、一度は訪れてみたい土地だったのだ。

シャンソン・・・というイメージ、それはフンフンと鼻に抜けるようなフランス語で甘く語りかけるように歌うというイメージがある。歌うというよりは、囁くに近いような?でもティノ・ロッシの歌声は、そのような日本人の描くようなシャンソンとは異なり、どこかイタリア的というか、歌・・・というものを感じさせる。フランスとイタリアが混ざり合ったような魅力というのだろうか?

「シャンソン・ド・シャルム」(魅惑の歌)と呼ばれたティノ・ロッシの歌声、彼はここアジャクシオで生まれたのだ。彼の歌の特徴でもある「混ざり合い」は、コルシカ島、アジャクシオそのものである。そう、それを実感したかったのだ。死ぬまでに一度はアジャクシオの街を歩き、街の、そしてティノ・ロッシの混ざり合いを肌で感じたかった。

実際の明確な記憶としては残ってはいないというか、自覚はしていなくても、幼児期、僕の場合は0歳~5歳あたりに聴いた演奏というものは、無意識なものとしてだが現在の僕に影響を与えているのだと思っている。ティノ・ロッシのような声の質、そのようなテノール歌手をクラシックの歌手でも好むし、自分の演奏でも、彼のようなものを求めている。僕の演奏を実際に知る人の中には、僕の演奏がティノ・ロッシの方向を目指しているということを感じる人もいるかもしれない。

ティノ・ロッシは僕の音楽のルーツなのだ。

今年の最初に「今年実現したいこと」を書き出した。まず最初に頭に浮かんだのが、ティノ・ロッシを訪ねる・・・ということだった。そして、その地はパリではなく、ここアジャクシオだった。

自分の人生の中で「死ぬまでにやってみたいこと」の一つが実現した。自分のルーツを訪ねる・・・

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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普通の人々 

 

「こんな記事が載っている」と友人が教えてくれた記事。日本での話題で、記事は米国発信のものだから、日本のその話題は、米国でも同じように話題になったということなのだろう。日本の渋谷区が同性婚条例を認めたという話題。むろん、日本では同性婚は法的に認められていないから、法的な効力は持たないけれども、同性のカップルに対して、異性同士のカップルの結婚に相当する関係であるという証明書を区が発行するというもの。日本での出来事とは思えない感じだが、区の条例として議会を通過し、施行されるであろうとの事。これに対しては、もちろん反対する人もいて、「普通の人々の生活を脅かす同性婚を許すな!」みたいなビラが配られたりしたとも、その記事は書いている。

同性同士のカップルの場合、たとえば、異性同士では考えられないような差別もあるのだと言う。賃貸物件に入居できなかったり、病院では家族としては認められないので、面会が許可されなかったりとか。何十年共に歩んできたカップルでも、同性同士というだけで、そのような扱いをされたりするらしい。渋谷区の条例では、これらの行為を禁止し、住居を貸さないなどの行為のあった会社、企業などの名称を公開するという。

「普通の人々・・・」ビラにある言葉だが、何をもって「普通」と言うのか、そのあたりの理解に苦しむところだ。異性を愛する感情、それが同性であるだけで、愛の感情は同じなのではないだろうかと思う。

マイノリティということに関しては、外国で暮らしてみれば誰でも感じることはあるのではないだろうか?差別を感じるかどうかは、その人次第のところもあるし、国や地域の違いもあるだろうが、日本で暮らしていて、周囲は全員日本人、皆が日本語を話しているという世界ではないところで暮らすと、日本人はマイノリティになる。アメリカで暮らせば、やはり白人社会であるから、日本人はマイノリティになる。差別を感じるかは別として・・・

差別を受ける側になれば、気持ちは理解できるのかもしれない。相手の気持ちを想像できるようになるのかもしれない。

よく日本人は誤解するのだけれど、アメリカ(米国)は進んでいると思っている人が多いようだ。僕自身は、東海岸のボストン、ニューヨークという革新的な都市に住んでいたので、以外と東洋人への差別とか、自分は実はマイノリティである存在だったのだと感じたことは(あまり)ない。これは留学生という身分で滞在していたということもあろう。留学生というか、外国人と友達になろうなんていうアメリカ人は革新的で進歩的な人たちなのだから・・・

でも、知識としては、地域によっては、アメリカは相当保守的な国である事は知っている。同性婚や同性愛、また、異人種同士の結婚(異性同士でも)などということを「社会悪」と感じ、それらにカテゴライズされる人々を憎んでいると思えるような人も存在する。

カリフォルニアの、ある弁護士が州に請願書を出した。自らが考えた「同性愛禁止法」なるものを、住民投票し、州の法案にせよ・・・という請願書だ。その内容は、「同性愛者の頭部への銃による銃殺、またはその他の便宜的な方法による死刑」というもの。むろん、そのようなものは却下されてしまうのだが、そのような考えの人もアメリカにはいるというのが現実なのだ。

相手の個性を認める・・・小学校の道徳の授業のようなことを大人が理解、実践するのは本当に難しいことなのか?

人間は皆同じ・・・異なる個性を持つ・・・だから人間なのだ・・・同じなのだ・・・という認識・・・

この動画は、かつてNHKテレビで放送されたもの。中村さんという日本人男性は、日本のある島に住んでいた。自分がゲイであるということに悩み、そしてはち切れそうな思いに苦しんでいた。「僕の周りにいる人たちは理解してくれるだろう。全員ではないかもしれないが、話せば僕という人間を理解してくれるだろう」と彼は判断した。親はそのような中村さんのことを理解してくれたようだ。「小さい頃から一人で悩んでいたなんて・・・もっと早く打ち明けてくれれば、それがあなたの個性よと言ってあげられたのに・・・」と。

結果は失敗だった。友人、同僚が中村さんから去って行った。彼は精神的に追い込まれ、島を、そして日本を脱出することになった。彼が理想の地と考え、自分らしく生きられるかもしれないと選んだ地がオランダ。オランダは世界で初めて同性婚を法的に認めた国だ。彼は日本でのすべてのものを捨てオランダに移った。自分らしく正直に生きるために・・・

オランダ人男性、ミヒルさんは、かつて女性と結婚し、二人の子どもがいた。だが、ある日気づいてしまう。自分は男性を愛する同性愛者だったのだと。

「自分は社会の落伍者なのだ、障害者なのだ、病気なのだ・・・」彼は悩んだ。オランダとはいえ、時は70年代だったのだ。子どもが成人するまで育て上げたのち、妻と離婚した。結婚生活は二十年に及んだ。そして、その後は十年間、一人で暮らした。

ミヒルさんは、中村さんという日本人男性と知り合った。音楽という共通の趣味をあった。お互いを知るうち、愛し合うようになった。二人の年の差は35歳・・・でも愛してしまったのだ。

中村さんは、今度は自分の気持ちに正直になれるような気がした。ミヒルさんと結婚しようと考えた。ミヒルさんも日本人である中村さんと生涯を共に歩んで行こうと考えた。そして、男女のカップルが普通に当たり前のこととして行う、法的な手続きをした。

動画は、二人の結婚式の前からになる。特殊なことかな?当たり前のことなんじゃないかな?

同性婚を心からは認められないという人もいるだろう。それはその人の考えなのだ。それはいいのだ。だけれども、同性婚を阻止する権利は持ってはいけないと思うのだ。

kaz



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混血文化 

 

イタリアに限らずだが、ヨーロッパを旅していると、日本やアメリカでは感じられない感覚を覚えることがある。基本的には、小さな国々が寄せ集まっているにもかかわらず、それぞれの国の特徴が明確だ。と同時に、飛行機で少し飛べば、もうそこは異国なのだ。「この山の向こう、あそこに見えているのは違う国なのだ」という感覚。イタリア的なるもの、フランス的なるもの、ドイツ的なるもの・・・それぞれの主張がとても強い。それは、国同士が隣接していることでの、侵略の歴史ということにつながっているのだとも思う。これは、島国の日本で暮らしていると、なかなか感じられない感覚だ。

友人はイタリア人らしく(?)陽気な性格だと思うが、そんな彼でも「ヨーロッパ人は常に自国の文化を主張していなければ、消されてしまうのだ」ということを言ったことがある。これは、とても重い言葉のように思える。

今までは、サルデーニャ島という島に滞在していた。滞在する予定ではなかった場所だ。今回の旅行で、僕はどうしてもコルシカ島に滞在したかった。でも友人は、あまり気乗りがしないらしい。

「コルス(コルシカ島)は田舎だよ。観るところもないしね・・・サルデーニャ島に変更しなよ。あそこはいい。ヨーロッパ人にとっての憧れのリゾート地だからね。海なんかエメラルドグリーンなんだよ!(それは事実だった)」

地図で確認すれば分かるけれど、サルデーニャ島とコルシカ島は隣接している。船でも小一時間で移動できてしまうほどの距離だ。でもサルデーニャはイタリア、コルシカはフランスなのだ。なんだか複雑というか、ああヨーロッパというか・・・

友人は、どうもフランスがあまり好きではないらしい。流暢にフランス語を話すくせに、「フランス人はどこか高慢でね、フランス料理だって、イタリア料理のような心からの喜びという発想からできたものではないと思うよ。どこか気取っているんだね。コルスはフランスだしね、サルデーニャ島にしようよ、ねっ?」

ということで、今までイタリアのサルデーニャ島に滞在していたのだ。今は、友人と共にコルシカ島にいる。たしかに、サルデーニャ島は素敵だったけれど、コルシカ島も素敵だ。友人は「へぇ・・・そう?」などと言うが・・・

コルシカ島はナポレオンの生地として有名だけれど、ナポレオン(蛇足だが、僕と同じ誕生日だ)には興味はない。コルシカ滞在の目的の一つがソレンツァラという街を歩くこと。 幼い頃に聴いた曲が僕をソレンツァラに向かわせたのだと思う。「想い出のソレンツァラ」という曲が子どもの頃大好きだったのだ。どこか哀愁が漂っていて、その曲調は僕の外国への憧れの感情というものを多いに刺激したのだ。

「想い出のソレンツァラ」を歌っていたのは、エンリコ・マシアスという歌手だ。カテゴライズすれば、「シャンソン」になるのだろうが、友人は「カンツォーネだろ?シャンソンとは思えない」などと言う。

このあたりが、僕からするとヨーロッパ的だなと思うところだ。それぞれの文化の特徴は強いのに、どこか混沌と混ざり合った部分もある。この、とても複雑な部分がとても魅力的だ。コルシカ島だって、フランスではあるけれど、パリの街よりは、イタリアの街に近い印象だ。でもここはフランスなのだ・・・

エンリコ・マシアスという歌手だって、「生粋のフランス人です!」と日本人感覚ではカテゴライズできないのではないだろうか?彼の先祖は、スペインのアンダルシア地方から宗教的迫害により、アフリカのアルジェリアに逃れてきた人たちだ。アルジェリアには、このような入植者たちと、先住民とが暮らしていたのだが、やがて対立していくようになる。それが、アルジェリア独立運動につながっていく。当時アルジェリアはフランス領だったのだ。アルジェリア独立後、アルジェリアからフランス本国に渡った入植者を先祖に持つ人々を本国のフランス人は「ピエ・ノワール」と呼んだのだそうだ。これは、「黒い足」という意味の差別用語でもあるのだそうで、エンリコ・マシアスは、そのピエ・ノワールと呼ばれる人々の誇りでもあったのだ。彼がフランス本国でシャンソン歌手として活躍するに至ったのには、ピエ・ノワールと呼ばれた人々の応援があったからなのだ。

さて、そのエンリコ・マシアスの歌う「想い出のソレンツァラ」・・・

彼の歌声、そして、この曲をシャンソンだ、カンツォーネだと無理に分類する必要があるだろうか?

コルシカ島は友人の指摘通り、個人的にはサルデーニャ島と比較すると田舎というか、鄙びた感じはする。ソレンツァラも小さな港町だ。

kaz



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おかえりなさい・・・ 

 

ニール・セダカは1962年に「悲しき慕情」という曲を発表している。この曲はチャートの1位に輝いた。以後は徐々にニール・セダカは第一線からは退く形となっていく。これはニール・セダカだけのことではなく、オールディーズ全盛期に活躍した多くの歌手がそうだったのだと思う。

奇跡的なニール・セダカの復活は、1974年に発表した「雨に微笑みを」という曲が、これまた久しぶりにチャートの1位を獲得してからになる。

この間に、10年以上の歳月があったわけだが、前にも書いたように、この期間は前座をつとめたり、ドサ廻りをしていて苦しい期間だった。

オールディーズ時代のニール・セダカと、復活後のニール・セダカ、変わっているようで変わっていないようで、その判断が難しい。むろん、「いかにも良き時代のサウンド」的なものは復活後は消え去っているように感じられるが、変わらない部分も多いのではないかと思うがどうなのだろう?

この曲は、1974年に復活後に発表した曲。恥ずかしいことに、この曲をニール・セダカの曲と今まで認識していなかった。これはニール・セダカが書き、ヒットさせた曲で、その後、本当に多くの歌手がカバーした。中でもカーペンターズのカバーが最大のヒットで、僕などは、この曲はカーペンターズの曲だと思っていたほどだ。

苦しかった10年以上の年月、ニール・セダカは変わっていなかったのだと思う。浮かんでくるメロディーを書きとめ、そして歌った。でも見向きもされなかったのだ。

大衆はそれまでとは異なるような音楽を求め、そして旅していたのだ。

ニール・セダカが奇跡の復活を遂げた時、人々はこう思った。

「おかえりなさい・・・ニール!」

でも、本当は逆なんじゃないかな?ニールがこう思ったんじゃないかな?

「みんな・・・おかえりなさい・・・僕は待っていたよ・・・」と。

kaz



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category: Neil Sedaka

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ミラノ・デビュー??? 

 

全く予期せぬことだったが、僕はミラノでデビューした。でもこれは、とても大袈裟な表現だ。レストランにピアノがあって、友人が勝手に僕を紹介し、お客さんの前で演奏する羽目に陥っただけのことだ。彼は、突然こんなことをすることがあって、以前にも同じようなことがあった。それはスペインでのことで、状況は似たような感じだ。でも、その時は店の主人と従業員だけという状況だったので、弾くことを楽しめたけれど、今回は聴き手が大勢いたというところが異なる。

むろん、旅行中はピアノを弾くというつもりもなかったし、楽譜も持参していなかった。僕は、昨年の11月以来弾いていない曲を弾いた。それは自分でアレンジした曲だったから弾けたのだと思う。まだ暗譜しているかは微妙だったけれど、まあ、なんとかなった。というより、僕はこの状況をとても楽しんだ。アマチュアとしてピアノを弾いてきて、新たな喜びを見出したとも言える。

聴いている人が泣く・・・

これは僕にとって、興奮するような経験であり、喜びだ。このような経験をピアノでできるとは思っていなかったところがある。むろん、僕としては夢中で弾くだけで、聴き手がどう反応するかなんて考えて弾いてはいなかったけれど、純粋に「良かった・・・素晴らしかった」などと涙を浮かべて言ってくれたりすると、それは嬉しいものだ。

聴き手の反応というものを意識したり、期待しながら、つまり「聴いている人を泣かせてみよう」などということを目的とすることは、これからも一切ないだろうと思うが、今までは、どこか「お勉強」とか「上達すべきもの」「挑戦すべきもの」としてのピアノがあったと思う。むろん、それも「楽しみ」だと感じるが、そして自分どこまでで弾けたとか、弾けなかったとか、そのような自分だけの達成感のようなものも大切なものだと思うけれど、新たな喜びというものもあるんだな・・・という意識も今回の事件(?)で得ることができた。

今までは、人前での演奏の際は、常に新しい曲を弾いていたい、未知の曲を常に弾いていたいという思いがあった。言葉を変えると、本番で演奏終了した曲は、僕の中では過去の曲となっていたところがある。これは、人生の有限性というものを感じていて、できるだけ多くの曲に触れたいという願望が僕の中であるのだと思っていた。弾きたい曲はたくさんあるのだから。

このことは、過去に弾いた曲は弾けなくなっていく、忘れていくということを前提にしている。この部分は、今までも気にはなっていた。自分の中では終わった曲、でも大好きな曲、弾けなくなっていいのか・・・と。寂しいじゃないか・・・と。

でも、それは仕方ないんだよね・・・と。

これは、人生の有限性などということよりも、僕の中で「~と思われる」という意識が無意識にあったから、そのように思っていたのだと思う。売れている(!)プロの人たちと異なり、僕のようなアマチュアは、サークルのメンバーなど、常に同じ人たちの中で弾くことが多い。なので、「またあの曲を弾くの?」と思われたくないのだ。「前回の練習会でも弾いたよね?」と思われたくない。

「なんでピアノの人ってそう思う人が多いんだろう?ピアノ曲の数が圧倒的に多いからそう思うのかなぁ?」とアマチュアギタリストである友人は不思議がる。

むろん、ピアノと比較すれば、「将来弾いてみたい曲」というものの数はギターの場合は少なくなると思うが、基本的に彼は、僕のような「新曲志向」というものが理解できないようだ。

「僕がギターに憧れを持つきっかけとなった曲がある。その曲を心から弾きたいと思ってギターを習い始めたんだ。その曲は割とすぐに弾けるようになったんだけど、今でも僕の中では宝物のような曲だ。過去の曲なんて思うことはとてもできない。この曲は、おそらく人前で最も多く演奏してきた曲だと思うけれど、これからもたくさん弾いていくと思うな。僕だって、まだ弾いていない曲をたくさん弾いてみたいとは思うけれど、でも過去に弾いた曲と弾いていない曲の中から自分の演奏する曲を選曲していくと思う」

彼にとって、大切な曲、ギターを弾きたいと思うきっかけとなった曲、これからも弾いていきたいと思っている曲・・・



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時を超える 

 

アメリカのポップス界は、60年代半ば頃から、メッセージ色の強い歌やロック色の濃い曲へと流行が移っていった。これはビートルズの影響も強かったと言われているが、そうなると、ニール・セダカのような、「良き時代」というものを象徴していたような歌手にとっては、この時代は難しい時代だったとも言えるだろう。

かつてのヒット曲が「良き時代」という、鮮やかな印象が強いだけに、それらの曲は、過去の時代の曲という扱われ方もしていくようになる。ニール・セダカは「懐メロ歌手」のような捉われ方をされていくようになる。ある年代以上の人々にとっては、懐かしい曲ではあるが、革新的な時代、刺激的なものを求める世代にとっては、どこか古臭いものとして・・・

60年代半ばから、70年代の半ばまでの約10年間はニール・セダカにとって厳しい時代だった。過去にいくらヒット曲があっても、アメリカのショービジネス界は冷淡というか、過酷なところがあるらしく、ニール・セダカは、いわゆるドサ廻りをしたり、自分よりも才能としては、はるかに格下である歌手たちの前座をこの時代はしたりしていた。

「ニールさん、あんたのかつてのヒット曲で会場を盛り上げておいてくださいよ・・・」

このようなことは、ニール・セダカに限ったことではなかっただろうと思う。過去に栄光を浴びた歌手たちが、時代の移り変わりとともに、人々の前から消え去り、そして記憶からも消え去っていったのだ。

「あっ、この曲・・・懐かしい。歌っていたの誰だった?」

ニール・セダカが再び脚光を浴びるようになったのは、彼自身が曲を書いていたからではないだろうかとも思う。提供された曲を、ただ歌うだけではなく、自分で創造していたから・・・

ニール・セダカ・・・

彼は、「古き良き時代」の懐かしい歌手ではない。驚くべきことに、現在もコンサート活動をし、新譜を発表している歌手であり、現在進行形の歌手なのだ。もう80歳に近い年齢なのではないだろうか?

これは最近のニール・セダカの歌。なんとも聴いている人を包み込んでしまうようなメロディーの曲だ。この曲を歌うニール・セダカを聴くと、彼が、時代の流れ、時の流れというものを生き残った理由が理解できるような気がしてくる。

kaz



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category: Neil Sedaka

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セピア色のアメリカ 

 

おそらく「オールディーズ」というところにカテゴライズされるであろう曲たち、基本的に僕はあまり知らない。それらの曲は、1950年代、60年代初めに主にアメリカで流行し、日本でも多くの歌がカバーされて、日本語で歌われたりした。そしてそれらの曲はヒットした。

むろん、僕が生まれていない頃の歌が多いので、リアルには聴いてはいないのだが、でもメロディーは知っていたりする。

「ダイアナ」ってポール・アンカだったっけ?ニール・セダカじゃなかった?

こんな問いは、「愛の夢」ってショパンじゃなかった?

・・・のように頓珍漢なことを言っているのだと思うが、僕のオールディーズの知識なんて、そんなものだ。

オールディーズ・・・それは「夢多き、そして良き時代であったアメリカ」という香りがする。キャデラックを乗り回し、ジュークボックスから流れるオールディーズで歌い踊る・・・なんていうアメリカの若者に、当時の日本の若者は相当憧れたんじゃないかな・・・なんて思う。

どの歌手も、どの曲も、「良き時代」というものを反映していて、聴いていて楽しい。その中でも、僕はニール・セダカという歌手、作曲家、つまりシンガーソングライターに興味を持った。

ニール・セダカの、かつてのヒット曲、それはもう50年以上昔の曲だったりもするわけだが、なぜか僕の心を奪うものがあり、他のオールディーズの歌手たちとは、何かが異なるような気もしている。まぁ、それはたんに彼の声や曲を僕が気に入ったということなのかもしれないが・・・

ニール・セダカのヒット曲を挙げよ・・・なんて言われても一曲も答えられなかったと思う僕だが、どの曲も聴いたことはある・・・というのがこの時代のヒット曲の不思議さだ。

この「恋の片道切符」という曲は1959年のニール・セダカのヒット曲で、珍しくニール・セダカ本人の作曲ではないのだが、なぜか惹かれる。この曲は、アメリカではヒットせずに、なぜか日本で大ヒットした曲でもある。

セピア色の中で威勢よく歌うお兄ちゃん・・・という歌いっぷりのニール・セダカだが、彼は幼少の頃よりピアノを習っていて、ジュリアード音楽院で学んでいるんだねぇ・・・

kaz



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category: Neil Sedaka

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強調 

 

「ピアニストは語る」(エリス・マック著・音楽之友社)という本の中で、グレン・グールドがバーブラ・ストライサンドについて語っている。バーブラの歌い方は、どこかクラシックの偉大な歌手によるアプローチと同じようなところがあるように思う。むろん、発声ということではない。バーブラはミュージカル出身の女優であり、ポップスの歌手なのだから・・・

グールドだけではなく、クラシックの演奏家にはバーブラの熱心なファンが多いが、それはバーブラのクラシック的なアプローチということと無縁ではないだろうと思う。

演奏を魅力あるものにしている一つの要素、つまり聴いている人の耳、集中力のすべてを奪ってしまうような「何か」は、ある秘密、そして法則によって導き出されている。それは「強調」ということだと思う。素晴らしい演奏は多いけれど、後世にまで残っていくような、語られていくような演奏には、必ず「強調」がある。それは単純に強くするとか、そのようなことではなく、曲の中には、ここが訴えどころ・・・のような箇所が潜んでいるのだ。多くの演奏家は、その微妙な箇所を素通りしてしまうし、聴いている人も何も感じずに、「あら、上手ね・・・」などと思うのだが、微妙な訴えどころを微妙に強調した演奏には、まさに心を奪われてしまう。その人だけにしかできない「何か」として聴いている人の心臓を直撃するのだ。

上記の本の中で語られているグールドの言葉を引用してみようと思う。

「これだけ僕に感銘を与えた歌手は、シュヴァルツコップは例外として他にはありません。というのは、そうでない面が多々あるにせよ、ストライサンドとシュヴァルツコップの間には、確かに類似点があるからです。彼女たちは、何よりも、イタリック体の巧妙な使い手、つまり強調の妙手だと思います。二人とも思いもよらない些細な箇所、たとえばエンハーモニックの微妙な変化などに注意をひきつける傾向があり、それを慎重に、それどころか細心に考え抜いた方法でやっているに違いないのに、ふとその場で浮かんだ思いつきのように聴かせる術に長けているのです。ストライサンドの歌う時の抑揚のつけ方といったら・・・ただ、もう、信じ難いくらい、身動きできないくらい素敵です。これほどまでの感動は、人にそれがなにゆえかを語る言葉を失わせます」

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category: Barbra Streisand

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おもいでの夏 

 

おもいでの夏 [DVD]おもいでの夏 [DVD]
(2003/06/20)
ジェニファー・オニール、ゲーリー・グライムス 他

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この映画が公開されたのは1970年代の初めなので、年齢的なものを考えると、僕は公開時には観ていないはずだ。でも映画館で観た記憶はある。それは、ちょうど主人公の少年、ハーミーと同じ年頃だったのではなかろうか?この映画は、いわゆる「初体験もの」となるのかもしれないが、思春期の少年の心理描写が巧みであり、性的な衝動も含めて、僕はハーミーの行動やら想いに共感した覚えがある。

戦火を逃れ、ハーミーは家族と共に、ニューイングランドの島にやってきた。そこで同年代の少年たちとも親しくなり、行動を共にしていくことになる。女の子や性への好奇心、15歳という年頃の少年の悩ましさ(?)初々しさ(?)の描写が微笑ましい感じだ。女の子とデート・・・という時に、やはり心の中で期待するのは初体験・・・

ハーミーは薬局にゴムを買いに行く。でも堂々と「コンドームを下さい!」と言えないわけです。15歳だから。「あの・・・アイスクリームを・・・」

薬局のおじさんは「他には?」とハーミーに言う。「あ・・・あの・・・ゴムを・・・」でもアイスクリームなんかを買ってしまったので、お金が足りなくなってしまうんですね。でも薬局のおじさんは「いいよ、足りない分はいいから」とハーミーに言うわけです。おじさんは、かつて自分もハーミーのように性に関心のあった頃のことを思い出したわけです。この薬局のシーンは僕が好きなシーンの一つだ。潔癖な女性は、もしかしたら「まっ、不潔!」とか思うのかなぁ?

ハーミーは、ある日ドロシーという女性を一目見て、恋してしまう。ドロシーは自分よりも年上で人妻だ。ハーミーは、同年代の女の子に抱いた性的な好奇心というものだけではない、何か別の感情をドロシーに抱いたのではないか?憧れのような・・・

ドロシーの夫が出征し、ハーミーはドロシーに近づいていく。このあたりも、なんとも少年らしく可愛らしいのだ。ドロシーが買い物袋を落とす。

「手伝います!」「あら、ありがとう」買い物袋を持つハーミー。「重いでしょ?私も持つわ」「大丈夫です」「でも家は遠いのよ?」「いいんです。大丈夫です」歩きながら重さに顔をしかめるハーミー、その様子を微笑みながらみつめるドロシー・・・

このようなシーンがなんとも胸をキュンとさせるのだ。

ある日、ハーミーはドロシーに、ありったけの勇気を持って言う。「あなたが好きです!」と。

ドロシーは「私もあなたが好きよ」とハーミーの額に軽くキスをする。まっ、ハーミーは男性として見られていなかったわけです。

ハーミーの憧れ、恋心は張り裂けそうに・・・

ある日、いつものようにドロシーの家を訪れると、いつもと様子が違う。飲みかけのお酒、煙草の吸殻・・・テーブルの上には、くしゃくしゃになった電報。「あなたのご主人は残念ながらフランス戦線で戦死されました」

「あら、ハーミーなの?ひどい顔でしょ?ごめんなさい」

テーブルを片づけ、皿を洗うドロシーの肩が震えている。ハーミーはドロシーに言うのだ。「僕・・・悲しいです」と。ハーミーの胸で泣き崩れるドロシー・・・そして二人は愛し合う。それがハーミーの初体験・・・

ここでまた潔癖な人は「夫の戦死を知った日に少年とセックスするなんて・・・不潔!」なんて思うのかなぁ?

現在の基準から考えれば、二人が愛し合うシーンだって「ただ抱き合っている」のようなものだし、この映画にはドロシーの裸体などはなかったと記憶している。初体験ものの映画というよりは、思春期の少年の心の中を描いた映画と捉えたほうがいいような気がする。

翌日、ハーミーがドロシーの家を訪れると、ドロシーはもういなかった。ただ手紙だけが残されていた。

「昨夜のことは、いずれ時がたてば、あなたにも理解できるでしょう。私はあなたを忘れないでしょう。どうか平穏で幸せな人生を送ってください。それが私の願い・・・ドロシー」

「おもいでの夏」の原案、そして脚本を担当したのは、ハーマン・ローチャーという人だ。ハーマン・・・ハーミー・・・

そう、ハーマン・ローチャーはハーミーだった。この映画は、登場人物の名前も含めて、実際の話だったのだ。

映画はナレーションで締めくくられる。それはハーマン・ローチャーの個人的な言葉でもあるのだ。

「42年の夏、私は特別な体験の中で、子どもだった日々と決別した。永遠に・・・」

この映画を忘れがたいものにしている最大の理由、それが音楽だ。ミシェル・ルグランが書いた音楽が映画の中で流れたことで、この映画は永遠の青春映画になったのだと思う。

kaz



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弾き手感覚 聴き手感覚 

 

偉大な歌手の歌を聴きながら、楽譜を見て一緒に歌う・・・

さらに進んだ音楽語習得法は、実際にアリアをピアノで弾いてみることだ。伴奏譜を弾きながら歌ってみるというのもいいと思うのだが、それよりもソロとしてピアノ曲感覚でオペラのアリアを弾いてみるといいのではないかな?

その場合、3段譜を2段譜に直せる即席アレンジが必要だ。何故か音大卒でも、これのできない人がいるらしいが、何も完璧にすべての音を・・・なんて思わなくてもいいのではないかと思う。

この練習方法の利点は、弾き手感覚から聴き手感覚に、頭の中を移行することができる点だ。弾き手感覚というのは、時間をかけてピアノの曲を緻密に練習していく過程でできあがる心理で、「このパッセージのここが弾けない」とか「この跳躍がはずれる」とか、そのような弾き手だけが心配することを気にしすぎてしまう。多くの人は、本番で、この弾き手感覚に関することだけしか頭になくなる。

でもどうなのだろう?その演奏を聴いていた聴き手は、そんなことを気にして聴いているだろうか?そして、あなたが聴き手の場合、人の演奏を各パーツに分けて、到達度、仕上がり具合などをクリティカルに聴くだろうか?もっと大まかというか、全体的というか、音楽としてどうなのか・・・という聴き手感覚で聴くのではないだろうか?

ピアノ弾きは真面目なので、どうしても弾き手感覚と聴き手感覚との距離感が大きく出やすいような気がする。

「ああ・・・崩壊しちゃったぁ・・・」と弾き手感覚全開で嘆く前に、聴き手の感覚、つまり聴いていた人はどう感じたかということを考える必要がある。出来不出来ということではなく、まず音楽としてどうだったのか・・・ということ。

ピアノでオペラのアリアを弾くということは、専門外のことをやるという利点がある。練習を重ねてきたピアノの曲だと、どうしても弾き手感覚で捉えてしまいがちだ。パッセージがどうとか、和音のバランスがどうとか・・・

むろん、それらの緻密な作業の積み重ねがいい演奏につながっていくわけだけれど、実はそれらのことは「音楽」のための手段であって目的ではない。聴いている人は和音のバランスという手段を聴きたいのではない。専門外のアリアを弾く利点は、まず音楽・・・と弾き手が思えることだ。別に音をはずそうが、間違えようが、偉大な歌手の演奏を聴いた時の聴き手感覚そのままで弾ける。

ピアニストで「コレペティ」と呼ばれる人たちがいる。コレペティについては、過去に書いた記憶があるので、ここでは詳しくは書かないけれど、オペラの稽古時に伴奏をする人のことだ。また、それだけではなく、オペラに関しての総合的な感性、知識が必要で、多くの場合、歌手へのアドバイス、指導をも担う人でもある。つまりオペラという芸術に携わる人の中では、指揮者と共に、スパルティートの才識が必要となる。

なので、コレペティは自分だけの弾き手感覚だけでは務まらないのだ。「このパッセージが弾けたわぁ・・・」ということよりも、まずは音楽。歌手をピアノで導いていくこともするわけだから・・・

コレペティは、弾き手感覚と聴き手感覚との距離感のない人・・・だとも思う。

コレペティのピアノソロ・・・

なんというか、「試験のために必死でさらいました」「コンペティションに賭けています。練習に命を賭けてきました」という演奏とは正反対のところにいる演奏・・・という気がする。

kaz



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category: ピアノ雑感

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シンプル戻り練習法 

 

アマチュアの人のブログを徘徊していて気づくことがある。まずは、難しいパッセージなど、難所が弾けないと嘆く。そして練習していく。反復練習をする人が多いようだ。先生もそのような練習を勧めたりしていることも多い。そして、まあ、その部分は弾けるようになっていって、そして本番。そして「ああ・・・崩壊!」

崩壊せずに、まあ弾けたかな・・・というケースもあるけれど、どちらの場合も、本番が終了したら新しい曲に取り組む。そして、また難しい個所が弾けない・・・そして練習・・・・そして本番・・・そのくり返し。

音楽的にはバッチリなんだけど、痛恨のミスだけが課題・・・という人は別として、多くの人は、弾けないパッセージ、本番での出来栄えの他に、「なんとなく私ってただ弾いている?」ということに気づいていたりする。難所の克服は練習するし、本番での緊張はもうどうしようもないことなので、ひたすらパッセージ練習をする。とにかく「弾けるようになる」を目指す。

でも逃げてはいけない。聴いている人は、根底に隠されている「ただ弾いている?」というところが最も気になるからだ。この部分の練習方法は、あまり研究されていないように思う。感性とか才能というもの、そのようなものとして片づけられてしまっているような?

練習方法はあるのだ。まず、今自分が練習している曲よりも、ずっとシンプルな曲を弾いてみるのだ。ショパンのバラードを練習している人でも、クレメンティのソナチネの2楽章とか、とにかく楽譜を音にするということに関しては、全く問題のない曲を弾いてみる。ここで、あまりにシンプルにしすぎてしまい、「日の丸」とか「むすんでひらいて」などに戻ってはいけない。あくまで、音楽的に表現したら芸術作品になるのだ・・・という曲を弾いてみる。

弾けるだろうと思う。そこで自分に問いかけてみる。ソナチネを弾いたとしよう。弾けたとしよう。そのソナチネの演奏は、聴いている人が「えっ、この演奏・・・素敵・・・」と感じてくれるだろうか?多少ざわついている会場が、あなたのソナチネを聴いたらシ~ンとなって聴いてくれるだろうか?会場のテンションを自分のソナチネに集めることができるだろうか?

多くの場合、「できない・・・」のでは?

その場合は、「音楽語」のようなものを感じていない場合が多い。人が思わず聴いてしまう、多少のミスがあっても「えっ・・・」と聴いてしまう演奏には、ある種の法則があるのだ。

いい演奏を聴いてみるということも「音楽語」を感じるための練習になる。残念なのは、その場合、多くの人が同じ曲のCDなどを聴いてしまう。ソナチネであれば、邦人ピアニストの模範演奏的CDを聴いてしまう。

もっと夢を持とう。その場合、偉大な歌手の歌を聴くといいと思う。「だって・・・歌を歌うわけじゃないし、声楽で音大受験するわけでもないし・・・」などと思わず、聴いてみるといいと思う。ただし、歌だけ、音だけ聴くのではなく、必ず楽譜を熟視しながら聴くこと。これはとてもいい練習になると僕は思う。

楽譜を音にする・・・基本的な練習の流れだけれど、楽譜には書き切れないこともある。書かれていても音にする際に、感じなければならないこともある。感じなければ素通りしてしまうような箇所・・・

偉大な歌手(ピアニストもだが、ピアノは音が多い)は、絶対に「ここ!」という部分を流さない。むしろ、強調したりしている。

聴いて感じることができたら、偉大な歌手と一緒に歌ってみる。ベルカント唱法で歌う必要なんかないのだ。イタリア語でなくてもいい。言葉もメチャメチャでいいのだ。ラララ・・・とか。

そしてソナチネを弾いてみよう。変わっているはずだ。

kaz



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夢を捨てない愚か者になれ 

 

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通信機器というか、電子機器というか、あまり興味のある方ではないのだけれど、かつてスティーブ・ジョブズが自社の製品を説明している映像を見た時、とても興味を持った。それは製品そのものにではなく、ジョブズという人物に。

まず感じたのは、とても嬉しそうに説明しているということ。携帯電話とパソコンの中間位置、そして画面をタッチして操作する・・・これらのことが画期的であったのだと思うのだけれど、そのことを実に嬉しそうに話していた。誇らしげ・・・というよりは、新しい発見を見つけた少年・・・という感じだった。大企業のトップになる人は、顔の表情の良くない人が多いような気がするのだけれど、この人は「永遠の少年」という表情をしていたのが印象的だった。

スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式でスピーチをしている。そのスピーチは、彼らしく、飾らない、しかし心に響く内容で、このスピーチはとても有名になった。スピーチは2005年に行われていて、その後もジョブズは仕事面では落ち着くことなく、常に前進していた。それがアップル社の画期的開発につながっていったのだろう。つまり、ジョブズはスタンフォードの学生に送った自らのスピーチの内容を本当に実践していたことになる。

スピーチでは脾臓に癌が見つかったが、今は元気だ・・・と話しているが、その後肝臓に転移し、肝臓移植をしている。そして亡くなった・・・

常に死を意識して後悔しない人生を・・・

それを彼は実践していたのだ。

おそらく、多くの人が死ぬ時に後悔しない人生を望んでいる。でもそのための実践は難しい。安住せず、心の欲求に従って人生を歩むということは、変化を伴うからだ。変化を伴うということは、そこには痛みとリスクも伴う。

親は子どもの幸せを願う。子どもだって自分は幸せな人生を歩みたいと思う。不幸になりたい・・・という人はいない。しかし、ややもすると、「幸せ」=「安定」という図式ができあがってしまう。そして人は、いつか夢を捨てる・・・

夢を捨てた人は後悔するのだ。死を意識した時に・・・

でも、それでは遅いのだ。

kaz



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音符に命を与える 

 

現代の人気ピアニストの中で、100年後に伝説的なピアニストとして語り継がれている人はどれくらいいるのだろう?そしてそれは誰なのだろう?ちょっと想像できない。

伝説的などという言葉に相応しい演奏家、たとえば、ホロヴィッツとかマリア・カラスとか・・・

このような人たちは、聴き手の嗜好などというものに関係なく、その名が轟いている。他の人たちと何が違うのだろう?

歌を聴くといいと良く言われる。では、有名なカラスというオペラ歌手という人の歌唱を聴いてみよう。

でも、その場合、「????」となる場合もあると思う。カラスの声は、美声というわけでもないし(個人的には美声と感じる)、彼女は全盛期を過ぎても歌っていた。中には、声そのものの魅力を失ってしまった時代の録音などもある。つまり、カラスを聴く場合は、選択が難しいところがある。

偉大な歌手=澄んだ透明な、美しい声・・・というものをカラスに期待すると、どこか裏切られたような感じがするかもしれない。そして、それはオペラというものに馴染みのない人ほど、そのように感じてしまうのかもしれない。

個人的には、カラスの歌唱では、ヴェリズモ系の作品よりは、ベルカント・オペラの作品の歌唱に惹かれる。ベッリーニのオペラとか。

カラスの偉業の一つに、役柄に命を吹き込んだというものがある。それまでは、ただ歌手の技巧を誇示したりするようなアリアや役柄に、ドラマ性、そして真実性を持たせた。たとえば、コロコロとコロラトゥーラの技巧を聴かせるというイメージだったルチアというキャラクターが、カラスによって、裏切られ発狂してしまう哀しい女性というものに生まれ変わった。実際、カラスによって多くのオペラが復活したりした。

話題は逸れるが、僕はピアノを再開するより、ずっと以前から歌を楽譜つきで聴くということをしていた。オペラ、歌曲関係なく、自分が歌うわけでもないのに、楽譜を見ながら歌を聴くのが好きだったのだ。漠然と音を聴いているよりも、はるかに楽しかった。なので、声楽関係の楽譜が、かなりある。さすがにピアノの楽譜よりは多少は少ないが、「声楽専攻ですか?」と思われるほど、オペラ全曲盤や歌曲の楽譜、アリア集の楽譜を持っている。

楽譜を見ながら、カラスのベルカント・オペラを聴いたりすると、何故にカラスという歌手が他の優れたソプラノ歌手とは別格扱いなのかがよく理解できる。

基本的には、ベッリーニなどのベルカント・オペラのアリアの場合、伴奏は同じ音型を刻んでいることが多い。その音型に乗せて、美しいメロディーを歌うわけだが、この形はショパンの作品にも共通しているところがある。ショパンの作品の演奏の難しさの一つに、同じ音型の続く左手に、細かな歌うようなパッセージを乗せていく・・・というものがある。ノクターンなどの埋め草パッセージがこのパターンなのだと思う。当然、伴奏の刻みと埋め草パッセージの数が合わなかったりすることも多いので、鉛筆で線を弾いたりして、右手と左手はどこで合わせるのか・・・などということに悩んだりもする。でも、このパターンはベッリーニのアリアそのものでもあるのだ。

同じパターンの音型に、カラスはどのように歌を乗せていくのか?

フレーズの頂点や終結の修め方、そして音楽の抑揚というものを、同じパターンの伴奏の中で、どのように処理しているのか?カラスの歌唱を楽譜を見ながら聴くことは、ピアノを弾くうえでも参考になると僕は感じている。

伝説的な演奏家は、他の優れた演奏家と何が異なるのか・・・

それは「強調」なのだと思う。普通の優れた・・・程度の歌手であれば、サラッと流してしまうような箇所でも、微妙な強調が天才的なのだ。それは考え抜かれたうえで実践しているに違いないのに、聴き手には、あたかも、その時に思いついたような自然発生的なものに聴こえたりするのだ。その強調によって、聴き手は、集中力のすべてをそこに持っていかれてしまう。この魔法のような強調の使い手がカラスであり、そしてホロヴィッツなのだと思う。

まぁ、そこまで頑張って(?)聴かなくても、同じパターンの伴奏に、いったいどのように表情豊かに歌っていくのだろう・・・ということだけでも、自分がピアノを演奏する時の助けになると思うのだが・・・

kaz



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category: ピアノ雑感

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砂に消えた涙 

 

カンツォーネとは単純に「歌」という意味らしいので、イタリア語で歌われていればカンツォーネなのかもしれないが、僕だけなのかもしれないが、カンツォーネと言えば、教科書にも載っていた「サンタ・ルチア」とか「帰れソレントへ」などの歌を連想する。クラシックの歌手がアンコールなどで歌ったりする・・・というイメージの曲。

これらの曲は、ナポレターナ(ナポリ民謡)とかイタリア民謡と解されるのが本来は正しいのかもしれない。でも民謡と言っても、作者が判っていて、比較的新しい歌が多いから、そのあたりも「カンツォーネ定義」を難しくしているところなのかもしれない。

むろん、イタリアにもポップスというジャンルがあり、それはイタリア語で歌われてヒットしていたわけだから、それらの曲もカンツォーネと呼ばれる。日本の歌謡曲のような感じで庶民に親しまれていたのだと思う。残念ながら、こちらの方面のカンツォーネに関しては、僕はあまり知らない。セルジオ・ブルーニやクラウディオ・ビルラのようなカンツォーネ歌手は、ナポレターナも、新しいポップス系のカンツォーネも歌っているので、これから徐々に聴いていこうと思う。

僕は知らなかったのだが、日本にも「カンツォーネ・ブーム」があったのだそうだ。1960年代に多くのカンツォーネが日本語でカバーされ、日本でもヒットした。たしかに、カンツォーネだけではなく、この時代は多くの洋楽が日本語にカバーされている。ビートルズ来日前は、英語の歌だけではなく、シャンソンやカンツォーネも日本人歌手が多くカバーし、そしてヒットしている。

前回の動画の最後の方で歌っていた女性歌手は弘田三枝子だ。彼女に関しては、「人形の家」で容姿をも含めた変身後のイメージしか僕にはなかったのだが、「人形の家」以前には、外国の歌をカバーして沢山ヒットさせていた。「ミコちゃん」という愛称で親しまれていたのだそうだ。

そのミコちゃん時代に彼女がヒットさせたカンツォーネに「砂に消えた涙」という曲がある。この曲のメロディーは僕も知っていた。別に改まって鑑賞・・・という記憶は全くないのだが、何故か知っている。それだけこの曲はヒットしたということなのだろう。常に世の中に流れていた・・・当時はそのような時代でもあったのだろう。

でも正直、メロディーは知っていても、僕は「砂に消えた涙」は日本の歌謡曲だと思っていた。この曲がカンツォーネだったとは・・・

「砂に消えた涙」は、当時は競作だったのだろうか?多くの歌手がレコードに吹き込んでいる。

ここで紹介するのは、伊東ゆかりバージョン。彼女も多くの外国の歌をカバーしている。

1960年代、外国への憧れ、異文化への憧れ・・・そのような憧れが日本で多くのカバー曲を生み、ヒットさせたのだろうか?

伊東ゆかりはサンレモ音楽祭で入賞しているのだそうだ。当時の彼女の歌声を聴くと、戦後の復興を果たした日本で、徐々にだが、庶民にも「外国への憧れ」という意識が芽生え始めてきた空気のようなものが感じられてならない。

kaz



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category: 昭和

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上昇気流に乗った昭和 

 

「ほら、見てごらん・・・東京の空が、あんなに真っ赤に染まって・・・いいかい、お父さんとお母さんはきっと亡くなってるよ。覚悟するんだよ。あんたたち姉妹で生きていくんだよ。強くなるんだよ・・・」

母は東京で大空襲のあった日、疎開先の埼玉、幸手市の親戚の家から東京方面の空が、まるで花火の空のように真っ赤に燃えているのを見た。年長の子どもたちは、両親と東京の家を守っていたが、母たち幼い子どもたちは親戚の家に疎開していたのだ。

1945年のことだ。そして終戦。東京の大部分は焦土と化し、都市は破滅状態となった。幸い、母たちの東京の家は焼け残り、家族も全員無事だった。

この動画は1963年の東京。つい「レトロな感じだなぁ・・・」などと思いながら見てしまうけれど、そして、そのレトロな感覚、経済成長時の凄まじいまでの勢いのある世の中という感覚も僕自身の幼い頃の記憶にあるけれど、でも考えてみれば、1963年ということは、東京が焼野原となって、まだ18年しか経っていないのだ。終戦の年に生まれた子どもが、高校を卒業する頃には、もう動画のような東京の風景にまで復興していたのだ。これは一つの奇跡ではないだろうか?

僕は、1963年には、まだ生まれていない。後のオリンピック、さらに大阪万博を経た日本の発展した風景が、僕の幼い頃の記憶にある日本であると言えよう。でも上昇気流の感覚、世の中のすべてに勢いのあった空気のようなものは、僕の記憶と動画とで一致するところがある。

イタリア人の友人は僕と同年代だけれど、日本の戦後の成長というものは、一つの奇跡であると、人類の奇跡であると考えているようだ。おそらく、諸外国の人々は、同じように感じていたのではないだろうか・・・

あの、勢いのあった昭和の時代、上昇気流が吹き荒れていたような時代、むろん失ったものも多かっただろうが、その時代ならではの文化も生まれたのではないだろうかと想像する。

新しく、「昭和」というカテゴリーを作った。昭和ならではの、文化、音楽を綴っていくのも楽しいのではないかと思った。

畳の部屋にアップライトのピアノ、お姫様のようなヒラヒラしたドレスにリボンの発表会、カラーテレビから流れてくる天地真理の歌声、幼い頃の昭和の匂いだ。

kaz



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category: 昭和

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生きてきたようにしか死ねない 

 

人間は死というものを自覚した時、それは自分の人生の有限性というものを自覚した時だけれど、その時に思うことがあるのだそうだ。僕自身の経験から言っても、その「思うこと」とされているものは事実のように思える。

重篤な病になった人だけではなく、たとえば交通事故などで死の直前まで行って生還した人も、同じようなことを言っていることが多いのだという。それは単純で容易に想像できるようなことだ。「まだ自分は死にたくない・・・」と思うのだ。

「ああ、死ぬんだ・・・」と思う瞬間、まずは「まだ死にたくない」と思う。そして走馬灯のように、それまでの人生を振り返る。そして思う。

「ああ・・・あれをやっておけば良かった」「あの時に勇気を持って挑戦しておけばよかった」

つまり後悔するのだ。そしてそれは、それまでの人生で失敗したことを後悔するのではなく「やらなかったこと」を後悔するのだ。

失敗したこと、挑戦しても叶わなかったことを悔やむことはない。それはないのだ。でも「やらなかったこと」を悔やむ。

突然死や事故死と異なり、癌の場合、癌に限らず重篤な病の場合、死ぬまでに時間が残されていることが多い。それは何十年という時間かもしれないし、数ヶ月という短い時間かもしれないが、多くの人は「人生の再構築」をする。「やらなかったこと」をやりはじめる人が多いのだ。そのような意味では、重篤な病というものは、人生を見つめ直す、いい機会であるとも言える。人は生きてきたようにしか死ねないのだから・・・

その人にとって、本当に大切なもの・・・以外とこれを自覚するのが難しいのだ。自分の人生ではなく他人の人生を歩んでいる人が多いから。そしてその人には、その意識はないから・・・

興味深いことだが、死を自覚した人が、たとえば健康な人や、若者にメッセージを残す場合、共通したことを重要項目として挙げていることが多いような気がしている。人生において、何が大切なのかというメッセージとして・・・

①  「ああ、あれをしておけばよかった」と後悔しないような人生を歩んでおくこと。

②  何か情熱を捧げられるようなものを持っておくこと。それは仕事でもいいし、仕事以外のことでもいいので、ありったけの情熱で取り組めるような「何か」があるか、ないか・・・

③  無償の愛を得て、そして与えること。これを体験すると、安らかに死ねる。

僕の場合、割と波乱万丈の人生だったような気がする。忙しい人生だったというか。それは外国に住んだということが大きく影響している。それまでの仕事を捨て、一度は裸になり、無職で帰国したわけだから。むろん、清々しい気持ちで帰国したけれど、その時の僕の全財産は30000円しかなかった。アルバイトをしながら、仕事を探し、親の家に居候しながら自分の住まいの敷金などを貯めたものだ。大変だったけど、後悔はしていない。自分の会社を持つということにも挑戦したし、そのために収入は不安定になったけれど、「やめておけばよかったな」などとは思わない。死ぬ時には「まあ、やりたいことには挑戦してきたのではないかな?」と思えるだろう。でも、最近は、また新たなことに挑戦したくなっている。だからまだ死ねない。

ピアノを弾こうなどと思ったのも、人生の有限性を自覚したからだと思う。僕がピアノを弾くということに対して、「ワッ、楽しい」という要素だけに依存するのが嫌いなのは、ピアノを弾くという動機そのものが病というものと、どこかつながっているからだと思う。人生を賭けた情熱が欲しいのだ。

無償の愛については、これは受けてきた・・・という想いが強い。その時には自覚できなかったけれど、なんとも崇高な他人からの愛情で包まれ、守られてきた人生だったと思う。ただ、残念なこと・・・というか幸運なことにというか、僕は人に対してそのような愛情を与えた経験がない。受けただけなのだ。なので、まだ死ねないのだと思う。やるべきこと、受けるべきレッスンがまだ僕に人生には残っているから。だから死ねない・・・

ランディ・パウシュのスピーチ。これは卒業式でのスピーチだ。全くの偶然だが、彼も僕と同じようなことを人生の最重要項目として、巣立つ若者に伝えている。これは偶然というよりも、死を自覚した人間は、皆、同じようなことを感じるのだ・・・ということなのだと思う。

日本人は、人生の再構築の際、迷う人が結構いるらしい。

「私が本当にしたいこと?私は何がしたいのかしら?」と。

kaz



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「最後の授業」 

 

最後の授業 ぼくの命があるうちに (RHブックス・プラス)最後の授業 ぼくの命があるうちに (RHブックス・プラス)
(2012/09/11)
ランディ パウシュ、ジェフリー ザスロー 他

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人の一生というものと演奏というものは似ている。やり直しがきかないということ。人生の中で何度もやり直すことはできる。失敗しても修正していくことはできる。でも人生そのものは一度だけのものだ。演奏も、途中で修正することができる。むろん、弾き直しはできないが、失敗してもそこで終わりではない。でも演奏そのものは、その場では一度だけのものだ。

ランディ・パウシュの本が訳されて日本で出版されているということは知らなかった。彼の「最後の授業」がユーチューブで見られることは知っていた。ユーチューブで全米に流れ、そして彼は知られるようになったのだから。でも日本語の字幕版があるのは知らなかった。

それでも米国では有名でも、日本でランディ・パウシュのことを知っている人は、そう多くはないのではないか・・・とも思う。彼は、カーネギーメロン大学の教授で、動画は彼の授業を収録したもの。

何故「最後の授業」なのだろう?彼は肝臓癌で、腫瘍が10個もあったそうだ。医師からは、余命3~6ヶ月と宣告され、彼自身も死への準備を始めることとなった。この「最後の授業」は彼自身が、これが最後の講義であるということを自覚して話している。

ここがアメリカ的なところなのかもしれないが、深刻な暗さというものは一切ない。彼の口調も暗いものではないし、第一病気の話をしていない。自分の夢の実現の話、他人の夢の実現の手助け、そして人生について語っている。

しかしながら、「これを自分は伝えたいのだ」という強い想いを感じることができる。死を自覚すると、人は何かを伝えたくなるのだ。人生は一度きりのものだし、そしてそれは自分自身だけのものだ。だからこそ、死の直前には見えてきてしまうのだ。なんと他人の人生を生きている人が多いのだろうと・・・

分かってしまうのだ。そのような人は死の直前に、ものすごく後悔するだろうなと・・・

今、自分で大事だと感じるもの、それは社会的な地位とか、プライドとか、お金とか・・・そのようなものは、実は死の直前には何も意味を持たないのだ。多くの人はそれを自覚していない。

だから伝えたくなるのだ。

彼は、授業の最後で、この授業は学生にだけではなく、むしろ自分の幼い3人の子どもたちのために話したと語っている。

ランディ・パウシュは47歳で亡くなっている。これは死の直前、その死を自覚していた人間が残したメッセージでもある。むろん、講義であるので、1時間以上という長い動画になっているが、時間のある時に見て欲しいなと思う。

kaz



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category: ピアノ以外の本

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時には緊張感 

 

今のピアノ発表会というものは、ピアノ以外の楽器とのアンサンブルあり、合唱あり、時には生徒のミュージカルありと、とても盛りだくさんだったりする。そのような発表会を実際に客席で聴いた(観た?)こともあるし、「工夫のあるピアノの発表会」のようなセミナーを見学(参加とは心理的に言えなかったので)したこともある。一つの可能性ではあると思う。世の中のピアノ発表会が、僕の子どもの頃の発表会のように全員がソロを弾くだけ・・・という地味な発表会だけよりは、変化もあっていいだろうとは思うし、何十人ものソロのピアノ演奏を聴くということは、実際にとても大変だったりする。自分の子の演奏の時には大変ではないんだろうが・・・

僕の先生の発表会は、今時珍しい、「ただソロを弾く」という昔ながらの形態の発表会だ。小学生・・・というのは、最初の方だけで、高校生ぐらいの達者に弾く生徒でも中間ぐらいの位置づけ、あとは大人ばかり・・・という巷のピアノ教室とは異なる年齢層からなる発表会だ。なので、音楽劇やら合唱・・・などは、やりにくいということもあるのだと思う。と言っても、こちらも巷でよくあるような「○○音大にこれだけ合格させています!」とか「○○コンクール入賞者です!」のようなことには興味のない先生で、だからこそ習おうと思ったわけだけれど、生徒が受けたいと希望すれば反対はしないだろうが、積極的ではないとは思う。カテゴライズすれば、街のピアノ教室ということになろう。この言葉は好きではないが・・・

ソロだけの(工夫のない?)発表会は、「みんなで創りあげる」式の発表会にある「連帯感」とか「一体感」とかは得にくいのかもしれないが、とても大切なものを得る機会であると僕は思う。それは「演奏の厳しさ」「舞台の厳しさ」のようなものを、子どもに体験させるいい機会なのではないかと思うからだ。

趣味だろうと、何だろうと、1人舞台に出て、そして客席にお辞儀をして演奏する。やり直しはなし。何が起こっても(実際起こるが!)自分の力でなんとかしなければいけない・・・

このことは演奏というものの厳しさであり、本質でもあるのでは?醍醐味というか、基本というか・・・

舞台に一歩踏み出したら、自分の演奏の出来映えは当然のこと、聴いている人がどう感じたかまで、責任を持つというか、事実を受け入れるというか、そのような凛とした厳しさ・・・

アマチュアのピアノサークルも、ピアノ教室の発表会のようにタイプが分かれたりするようだ。割と粛々と真剣モードで緊張感を持った場であるサークルと、参加者は御菓子などを飲食しながら雑談し、割と緊張感の薄い空気の中で弾くというサークル。

どちらもあり・・・なのだと思うが、後者のような緊張感の薄い中で弾くというのは、モチベーション維持という意味においては厳しくないだろうかとも感じる。緊張感がないというのも、それはそれで「参加しやすい」とかはあるのかもしれないが、「練習中の曲の一部を弾きます」とか「ほとんど初見状態だけれど弾いちゃいま~す」という場に慣れ過ぎてしまと、演奏の厳しさ(それは喜びでもあると思うのだが)でもある、時間の流れの中で、一度だけの瞬間・・・という演奏の醍醐味は味わいにくいのではなかろうか?

個人的には、御菓子を飲食し、雑談の中で演奏するというのは、あまり好きではないような気もするし、そのようなサークルだったら「よ~し、来月の練習会のために練習に励もう」とかは、あまり思えないんじゃないかなぁ?

フィギュアスケートの競技会も、もしやり直しが認められていたとしたら、随分と魅力のないものになっていまうのではないだろうか?「もう一回最初から滑りま~す」とか・・・二回目がいくら完璧でも感動はないと思う。

演奏も同じじゃないかな・・・

kaz

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category: ピアノ雑感

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大人の判断 

 

旅は日常の生活というものから思考を分断してくれるので、なんとなく暮らしている時には、あまり考えなかったことも頭の中で駆け巡ったりもする。キラキラと輝く波を見ながら、これからのことを考えたりもしている。

「ピアノは辞めることはできるけれど、音楽を辞めることはできない」

自分の音楽半生を振り返ると、失敗続きだったのかなとも感じたりするけれど、ピアノを弾いていなかった期間も「音楽」とは常に一緒だったという感覚は非常に強い。この感覚は、とても大きな幸福感を僕に与えてくれる。

今までは、自分の子ども時代のピアノライフ、レッスンというものを、どこか否定してきたところがあるのだが、今は、そうでもないような気もしてきている。これはイタリアの魔力による魔法のせいかもしれないし、旅というものの高揚感がそう感じさせているのかもしれないが、子どもの頃の自分を肯定してもいいのではなかったかと・・・そう思い始めている。

子どもの頃のピアノのレッスンは上手くいかなかったし、先生との関係も良好ではなかったような気がする。音楽、ピアノは好きだったけれど、レッスンは大嫌いな子どもだったのだ。練習も嫌いだった・・・というより、レッスンのために曲を弾けるようにするという練習は嫌いだった。でも、自分で好き勝手に弾いたり、ショパンなどを自分で、こっそり弾いたりすることは大好きだった。つまり、自己学習は大好きだったのだ。これは否定しなくてもいいのかな・・・と。

ピアノ教育というものは、僕が子どもだった昭和40年代と比較すると、飛躍的に進歩しているのだろう。レッスン方法や、教材や、情報の横の共有など。でも、あまり変わっていないのかぁ・・・などと感じることもある。それは「子どもの、その時の、目の前の状態だけで、大人独特の判断をしてしまう」ということ。

一時(今もか?)、ピアノを弾く、ということは、脳にとてもいいことで、ピアノだけではなく、学校での学業にも、いい影響がある。なので、ピアノという習い事はいいのです・・・みたいな「子どもに習わせるべき習い事の1位はピアノです」的記事が沢山あった。実際にそうなのかもしれないが、学校の成績のことを考えてピアノを習わせるなんて、あまりにも悲しすぎないか?

「成績優秀」=「いい学校に進学」=「大企業に就職」=「幸せな人生」

これは、大人からみた「~であろう」という子ども像を、実際の目の前にいる子どもたちに、当てはめているような気もする。

ジリアンという女の子がいた。ジリアンは、大人(学校の先生たち)からすると、困ったちゃんだった。落ち着きはないし、授業にも集中できない。宿題も期限内に提出できない。他の子たちにも悪い影響を与える・・・

先生は母親に言った。「困るんですよね。学習障害なのではないでしょうか?」

まだADHD(多動性障害)などという概念もなかった時代のことだ。母親は専門医のところへジリアンを連れていく。

「この子は病気なんでしょうか?何か障害を持っているんでしょうか?学習障害なのではと教師から指摘されました」

医師は、ジリアンの様子をじっと観察し、やがてこのようにジリアンに言った。

「ジリアン、少しお母さんとお話ししてきたいんだ。この部屋で一人で待っていてくれるかな?」医師はジリアンに言うと、ラジオのスイッチを入れて、母親と部屋を出た。

ジリアンは静かに座っていることができなかった。ラジオから流れてくる音楽に合わせ、身体を動かし始めた。隣の部屋からその様子を見ている医師と母親・・・

「ほら、あんなに落ち着きなく・・・」

「お母さん、ジリアンは病気ではありません。ジリアンはダンサーなのです」

「えっ?」

「頭より先にジリアンは身体で考えるのです。ジリアンをダンススクールに通わせてあげなさい。彼女はダンサーです」

医師はジリアンを薬で押さえつけようとしなかったし、母親も医師の助言を信じ、ジリアンをダンススクールに通わせた。

「こんなに幸せな瞬間があったなんて・・・」ジリアンは初めて身体で考えることを肯定できたのだ。ダンススクールには、ジリアンのような子どもたちがたくさんいた。落ち着きがない、集中できない・・・ではないのだ。ただ頭ではなく、まず身体で考えてしまう子どもだっただけ・・・

ジリアンは、ロイヤルバレエ学校に進み、そして自分のダンスカンパニーを設立した。やがて、アンドリュー・ロイド・ウェバーと知り合い、彼の代表作の振付けをすることになった。「キャッツ」「オペラ座の怪人」など、ジリアンが振付けした作品は世界的なヒットとなった。

学習障害ではなかったのだ。ただ身体で考える子どもだったのだ。

kaz



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旅での食生活 

 

基本的に僕は食への順応性は極めて高いと思う。外国に滞在して日本食が恋しくなる・・・なんていうことはなかった。アメリカに留学していた時もそうだった。

今は食事療法をしているので、日本での日常の食生活は和食中心となる。玄米に煮物、自分で漬けた漬物、それにシャケの切り身やらアジの開きとか・・・

茶色い食卓というか、お坊さんのような食事ではある。洋食というものからは、どうしても遠くなってしまう。本来は、異国を旅している時も、その「茶色い食卓」をキープすべきなのだろうが、別に生きている目的は「壮健」のためでもないので、時には禁則もありだろうと思う。そしてイタリアは食事が美味しい。

それでも外食が続くと、どこか調子が悪くなるのも事実だ。なんというか、身体が重いというか・・・

これを解消するには、キッチン付きのホテルに滞在すればいいと思う。アメリカもそうだけれど、ヨーロッパにはキッチン付きの部屋って多いような気がする。もちろん、超高級ホテルに泊まるのであれば、そうはいかないのかもしれないが、手頃なキッチン付きの部屋は探せばいくらでもあるような気がする。ガイドブックで日本に紹介されているホテルは高級なところばかりなので、キッチン付きのホテルの情報も流せばいいのにな・・・などと思ったりする。

旅先で自分で料理するとき、困ることがある。日本の大型スーパー、たとえば、「イトーヨーカドー」のような店舗が見つけにくかったりする。ネットで探せば見つけられるのかもしれないが、わざわざスーパーマーケットを地図(ナビ)を頼りに見つけに行くというのも面倒だし、あったとしても「塩鮭切り身」などは手に入らない。日系の店なら別だと思うが、田舎(郊外)にはなかったりする。

日本の都市では、なかなか見つけにくい、ちょっとした「市場」はイタリアにはたくさんある。物も新鮮だし、なにより安い。野菜ならまだいいとして、困るのが魚。パックの切り身・・・なんてないから困る。

そのような時に重宝するのが、やはりネット。料理動画を参考にしたりする。この場合、どうも日本の料理研究家の動画はあまり参考にならなかったりする。材料がチマチマしていて参考にならないことがある。「ではこの切り身を・・・」とか「みりんを少々・・・」とか言われても困るのだ。多くの材料を少量で・・・という最も困ったパターンも多かったりもする。日本にいる時にはいいんだけど・・・

個人的な感想だが、この人の料理レシピは旅先で非常に参考になる。

ピアノのことは、いつ書くんだろう?

kaz



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ベルガモ 

 

南イタリアから一気に北上。ベルガモという街に滞在中。気のせいか、イタリアでは北に向かうほどネットの調子が悪くなるような気がする。自分のブログに入れなかったり、何日も前のメールが届いたり。友人は言う。

「ああ、それは理由があるんだ。北の人ほどネットを使用するのでネットが混雑するんだよ。きっとそうだよ」

そんなことは絶対にないと僕は思うが・・・

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もちろんこのガイドブックは持参してきている。でも観光・・・とかあまりしないのでページを開くということはあまりない。ネットで検索する方が多い。

ベルガモはミラノから近い。ミラノを訪れる日本人は多いと思うのだが、ベルガモ観光をする日本人は、ぐっと少なくなるみたいで、日本語ではネットの情報もあまりないような気がする。イタリア語のページを友人に調べてもらったりもする。

サークルのホームページで、来月の練習会の予定が分かった。約一か月後だ。本来なら、弾く曲もないし、帰国してからバタバタと練習するよりは、今回は見送ったほうがいいのかもしれないが、参加希望のメールを送信した。別にいいではないか・・・と思う。先の予定があるということは、それだけで嬉しいのだ。でも何を弾こう・・・

調べれば、イタリアにだってピアノを練習できるスタジオのようなところはあると思うけれど、それはしたくない。ただ街を歩いたり空を眺めていたい。

一応ピアノのブログなのに、ピアノのことなんて全く書いていないような気もするが、ここベルガモはドビュッシーに「ベルガマスク組曲」を発想させた土地でもある。たしか、ヴェルレーヌの詩からの影響・・・という説もあったと思うが、ベルガモの月の光を浴びながら夜の街を歩くと、ドビュッシー嫌いの僕でも「月の光」が頭の中で鳴ったりはする。

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表現の幅 

 

血管が切れてしまうのではないかと思えるほど情熱的なクラウディオ・ビルラの歌。

でも、なんとなく、この人は表現の幅が大きい人のような気がした。それは最初に聴いた時にそのように感じた。

ビルラとシューベルト・・・

これは最大のミスマッチか・・・と思いきや、これが素晴らしい。むろん、正統的なクラシックでございます・・・という歌唱ではないけれど、「帰れソレントへ」「フニクリ・フニクラ」を歌っていた人と同一人物とは思えないほどの繊細さだ。

kaz



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category: Claudio Villa

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概念 

 

昔、音楽の授業で習った「帰れソレントへ」という曲は何だったのだろう・・・と思わせるほどの強烈さだ。

たしかにビルラという歌手はイタリアでは有名なカンツォーネ歌手のようだ。

血管が切れるのでは・・・と心配してしまうほどの情熱的な歌い方だ。ちょっと、僕の中の「表現」というものの概念をも変えてしまいそうだ。

こんな人がいたんですねぇ・・・

苦手な人も多いでしょうねぇ・・・

僕は大好きだな・・・

kaz



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category: Claudio Villa

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濃い人 

 

クラシックの歌手が歌うカンツォーネ、たとえば、リサイタルのアンコールなどで「サンタ・ルチア」を歌うような場合。

イタリア人である友人に言わせれば、その歌手がパヴァロッティやドミンゴであろうと少々物足りないのだそうだ。

「そう思うのは僕だけではないと思うね。イタリア人だったらそう思っている人は多いと思うよ」

ベルカント唱法がいけないのだろうか?

「そういうわけでもないと思うけれど、なんだかコクが足りないというか、声は立派なんだけど、カンツォーネにしては、あっさりしすぎているんだよね。カンツォーネって、もっと濃い表現の必要な歌なんじゃないか?」

濃い表現ねぇ・・・例えば、どんな人が代表的なカンツォーネ歌手なんだろう?

「そうだねぇ、まぁ、好みというものがあるから何とも言えないけれど、イタリア人だったらクラウディオ・ビルラは好きなんじゃないかな」

クラウディオ・ビルラ?

「カンツォーネと言えば、まずはビルラだろうな」

今までクラウディオ・ビルラ・・・知らなかった。聴いてみると、なるほど濃い・・・

ちょっとハマりそうな感じだ。たしかにクラウディオ・ビルラを聴いてしまうと、パヴァロッティでさえも物足りないかもしれない。

なんというか、「イタリア!!!」という歌い方だ。

kaz



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category: Claudio Villa

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大衆と共に歩んだピッポ 

 

友人はアマチュアのギタリストで、彼とは「音楽」という共通の趣味がある。知り合ったのは、大昔のことで、お互いにアメリカに留学していた頃に友人となった。その頃は、彼も僕も音楽と実生活との繋がりというものは鑑賞というものだけだった。当時は音楽について語り合ったこともなかったけれど、卒業後はそれぞれ母国に戻り、それなりに苦労をし、音楽から何かを受けるだけではなく、「触れたい」などと思ってしまった。僕はピアノ、彼はギターで、一生「何か」を追い求めていくのだな・・・などと思う。そのあたりが彼とは共有、共通していることだ。

イタリア人なので、むろん歌好きなのだが、熱心なオペラファンというほどではない。「オペラって長いしねぇ・・・」などと言う。

そんな彼と話していて意見の一致があったのが、テノール歌手の全盛期は、むしろ「3大テノール」よりも前の、ディ・ステファノやコレッリの時代だったのではないかということ。僕もそのように感じる。たしかにパヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスという3大テノールは、クラシックの大衆化というものに貢献したように思う。「オペラなんてぇ・・・」という人でも、彼らのコンサートは聴きやすかったりするみたいだ。でも、大衆とベルカントとの密接さという点においても、3大テノールよりも、ディ・ステファノやコレッリの頃のほうが結びつきが強かったのではないかと感じたりするのだ。

それは、彼らがオペラのアリアよりも、ナポレターナのようなカンツォーネを歌ったときに、特に外国人である僕には「大衆との結びつき」というものを感じたりする。朗々と高らかにベルカントの声を響かせる・・・というクラシックのテノールのイメージ、そのようなものよりも、むしろ、日本の演歌のような大衆から生まれたような歌により近い印象を与えてくれるのだ。むろん、発声そのものはベルカントそのものなんだけど、聴いた時の印象としては、「立派なおクラシック」を拝聴、というのではなく、「これって・・・演歌だよね?共通した何かがあるよね?」のような・・・

友人は南イタリア出身、ソレントの生まれで、大雑把に言えばナポリの出身でもある。その彼が幼い頃からナポレターナを聴いてきた経験から、クラシックのテノール歌手で、最もイタリア人の(特に南イタリアの)心情、情感というものを歌に託した人がジュゼッペ・ディ・ステファノなのではないかと言う。

ディ・ステファノはシチリア島に生まれた。両親は靴の修理などをして生計を立てていたそうだ。多くのイタリアの偉大なオペラ歌手の例にもれず、ディ・ステファノも貧しい環境で育った。彼は聖職者になるために、北のミラノへ行く。これも御決まりのケースだが、そこで周囲から声のことを指摘される。「素晴らしい声じゃないか?」「オペラ歌手になれるんじゃないか?」「このままでいいのかい?その声を生かすべきじゃないか?」

あるコンテストをきっかけに、彼は歌の道に進むことになる。なんでも歌った・・・という。オペラのアリアからカンツォーネからなんでも・・・

しかしながら、時は戦争中。彼は難民としてスイスに逃れる。でも、そこでまた周囲から声のことを指摘されるのだ。「素晴らしい声じゃないか?」

戦後はイタリアに戻り、今度は歌手しての階段を駆け上っていく・・・

友人に言わせると、最もイタリア人に愛されているテノール歌手は、ドミンゴでもパヴァロッティでもなく、このディ・ステファノなのだと言う。「ピッポ」という愛称で愛されていたのだそうだ。

ディ・ステファノがオペラの舞台に立ち活躍していた期間は、実は他のテノール歌手よりも短いのだと言う。その理由として、煙草、美食、ワイン・・・と現世を楽しみ過ぎて早く声の衰えがあったということ、また、自分の持っている声質よりも重い役柄をも挑戦してきたということ・・・

どちらの説もありそうなことだ。オペラを全幕・・・ということでは早めに身を引いたディ・ステファノだったが、その後もリサイタルでは歌っていた。その時は、聴衆は拍手で彼を迎えると共に、会場では「ピッポ!」「ピッポ!」と大変な騒ぎになったそうだ。それだけ愛されていたのだと思う。友人自身も、熱狂的な「ピッポコール」を実際に体験しているのだそうだ。

ディ・ステファノのカンツォーネを聴くと、崇高な音楽を、ありがたく受け取る・・・というのではない、演奏者と曲、そして聴き手が、まさに混ざり合っていくという感しがしてくる。これは人の情感、生き様そのもののような歌であり、声であるように思う。

kaz



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category: The Singers

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79歳のベルカント 

 

ピアノという楽器は早期教育が大切だと言われている。ヴァイオリンもそうかな。メカニカルなものを身につけるには、年齢があまり高くなってしまうと難しいところもあるのかもしれない。幼い頃からピアノのお稽古に励み、そして音大に合格・・・

でも、もしかしたらピアノの場合、演奏力のピークは音大卒業時だった・・・なんていう人も冗談ではなく結構いたりするのでは?

その点、声楽は音大卒業時なんて、まだまだ若すぎるくらいだ。声が成熟していくのは、もっと年齢を重ねてからだと思う。その反面、声楽の場合は身体そのものが楽器なので、加齢というものの影響をもろに受ける。そのあたりは、ピアノと比較すると厳しいよな・・・などと思う。

この齢になると思う。「枠」とか「常識」とか、そのようなものを取り払ってフリーになると、人間は幸せになるんじゃないかと。

あなたが声楽教師だと仮定する。もし、このような生徒が入門を希望してきたら、あなたはどうするだろう?

「私は77歳です。音楽の経験は全くありません。でもベルカントで歌いたくなってしまったのです。歌が好きになってしまったんです。こんな私でも教えて頂けますか?私も歌えるようになるでしょうか?」

「あのね、その年齢だと上達は難しいと思うわ。80歳近くになって声を作っていくなんて、それはありえない。無理だと思う。残念だけど・・・」

あるいは・・・

「歌がお好きなのね。素晴らしいわ。でも、もうすぐ80歳なんですよね?楽しみのために歌を歌えばいいんじゃないかしら?別にベルカント・・・なんて無理に思わなくても、たとえば、童謡とか歌謡曲とか、楽しみながら歌っていくという方法もあるんじゃないかしら?」

あるいは・・・

「上達したいんですね?ベルカントで歌いたいんですね?やってみましょう・・・」

「やってみましょう・・・」と言えるのは、やはり人間の能力とか、可能性というものを信じている人なのではないだろうかと思う。「枠組み」とか「経歴」とか、そのようなものに縛られていない人。

この動画の方は、77歳になって「ベルカントで歌いたい・・・」と声楽を習い始めた。

2年後、79歳でカンツォーネを舞台で歌っている。

ここまで歌えているのは、歌っている人が信じているからだ。焦がれているからだ。そして指導者も焦がれているからだ。だから信じられるのだ。

kaz



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category: The Singers

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別世界への扉 

 

海を眺めながら考える。まだ僕は自分の人生の中で、ピアノを弾いていなかった期間の方が、弾いていた期間よりも、はるかに長いので、いつか逆になるようにしたい。その時までピアノを弾いていたいと・・・

思うに、何故ピアノを弾くのかと言うと、それは好きだから・・・なのだと思う。楽しいという感覚はないな。ワクワク・・・とか、そんな感じではない。一瞬でもいいから別世界の扉を開けたいのだ。美への扉というかね。開いたとしてもすぐに閉じてしまうだろうし、その扉は僕には開かないのかもしれないが、開けよう、触れようとすることが生きがいだったりするんじゃないかな。

趣味で楽しく弾くとか、専門家になるわけじゃないんだから・・・みたいな考え、こんな考えが世の中からなくなればいいと思う。むろん、ピアノを職業にしよう・・・という目的があるということは、そうでない場合と「やるべきこと」の違いはあるだろうとは思う。課題曲があるとか、入試で要求されるとか、そのようなこと。それはあるだろうが、ピアノを弾く目的は一緒なんじゃないか?そんなことを思う。別世界の扉を開けようとすること・・・美に触れたいと熱望すること。

ピアノの世界に入った導入期では、そりゃあ、ワクワクとか興味が持てるとか、楽しいとか、そのようなことが重要だろうと思う。ブラームスやマーラーに涙する小学二年生とか・・・ちょっと怖いし。でも、いつかは「楽しい」という感覚から「扉を開けたい」という欲求方向にしていくべきなのだと思う。そのチャンスは多くの場合、本当の芸術作品に初めて触れる時。ショパンのワルツとか、メンデルスゾーンの無言歌とか、そのような作品。心を捉えるキャッチ―な「教材」ではなく、本当の芸術に触れる時。

最初はいいんだ。楽しさを追っていい。でもそこを過ぎると、「では専門」とか「趣味だから・・・」とかに分岐してしまうのではなく、そこからは目的は一緒でしょ?

などと書いていて、僕自身もまだまだ「アマチュアなのでぇ・・・」と言いすぎると思う。この言い訳めいた考えを、目の前の地中海に捨ててしまえればと思う。

やはり、プロ・・・というかピアノ教師の人などから「素人がプロのような演奏を目指すなどと思うことそのものが、苦労してきたプロの人たちへの冒涜なのです」などと言われて(書かれて?)しまうと、やはりズドーンと打ちのめされるんだよね。

でも誰でも別世界への扉を開くチャンスはあるし、権利もある。趣味だから楽しくと、あまりにも決めつけられてしまうと、なんだかな・・・とやはり思う。

今のピアノ教育は、「楽しさ」から「美の追及の喜び」という移行が本当に上手くいっていないなと思う。でもそんなことは僕には関係のない世界のことだ。でも僕のように「過去を後悔するピアノ弾き」が将来も生まれるなんて許せない思いはある。

いろいろなことを目の前の海に捨ててこようと思う。

でも「別世界への扉」を開けたいという気持ちだけは捨てられないと思う。

kaz



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帰れソレントへ 

 

ソレントという街に滞在している。観光地は、あまり訪れないのだけれど、友人の両親が住んでいるので訪れることになった。ソレントと言えば、「帰れソレントへ」という歌を連想する。とても有名な歌なので、街中に歌碑でもあるのかと思ったのだが、どうもそのようなものはないらしい。友人も彼の両親も「さあ?知らないねぇ・・・」と言うので、ないのかもしれない。

ソレントという街は、高台にあって美しい海を見下ろすことができる・・・と書くと素敵な感じだが、いや、実際に素敵だが、高台というよりは、断崖絶壁という感じで、少々怖い。地震があったらどうするのだろう?安全対策は?

「地震なんてこの地方にはないよ・・・だから心配なんていらない」という、まことにイタリア~ンな答えが返ってきたので信用することにする。

「帰れソレントへ」は中学生か高校生の時、音楽の授業で習った記憶がある。たしか、フェルマータという記号と、長調と短調の違いについて教えてもらったのだったな。「フェルマータがあったら、その音符の倍くらい伸ばすのです」「長調の部分は明るく歌いましょう、短調の部分は悲しく歌いましょう」・・・

たしかにこの曲は、最初が短調で、途中から長調になるので、違いを把握するには格好の教材だったと思うが、でもどうなのだろう?「フェルマータ=倍伸ばす、長調=明るい、短調=暗い」というのは、あまりに固定観念に捉われすぎていないか?

「イタリアの曲、カンツォーネと呼びますが、明るい曲ばかりなんです。イタリアは陽気な国でイタリア人は陽気な民族なので、音楽も明るいのです」

そうかぁ?まぁ、暗い民族と言われるよりはいいと思うが・・・

kaz



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抑揚の感覚を演奏に反映させること 

 

人間の自然な呼吸、感情表現、そこからくる言葉の抑揚・・・

音楽を演奏する場合の関連をもう少し考えてみると、ピアノという楽器は、呼吸というもの、そこからくる関連した表現に関するものなどに割と無頓着でも一応は音を鳴らせてしまうという怖さがあるように思う。音が多く、両手なので意識を一点に集中するのが難しいのかもしれない。

たとえば、声楽などでは、これらのことを意識しなければ、まずは歌えないのではないだろうか?まぁ、中には棒のように歌う人もいるので、そのあたりはピアノと同じかな・・・などとも思うが、やはり優れた歌手の演奏を聴くと、演奏における自然な抑揚とか感情表現というものをリアルに体感できるのではないだろうかと思う。これは僕が歌が好きだからそのように感じるのかもしれないが、一般的にはピアノ弾きよりは歌手や管楽器奏者のほうが、呼吸とかフレーズとの関連とか、そのような「人間の機能」というものに密着した表現の上手い人が多いように思う。

それで連想した歌手がルイジ・アルヴァというテノール歌手。一般的に、男性歌手は女性歌手と比較すると、どうもアジリタの技法が巧みではないように思えるが、この人はとてもアジリタが見事だ。

ロッシーニなので、スケールの音型やアルペジオの音型を駆使したアジリタの技法が満載な曲なのだが、凡庸な歌手が歌うと(凡庸だとまず歌えないと思うが)「音階練習ですか?」のようになりやすい曲でもあると思う。

音の連なりが上昇していれば、それはどのような表現に密接しているのか、フレーズ内の核となる中心音に向かってどのように処理しているのか、また中心音をどのように歌っているのか・・・

ルイジ・アルヴァの歌唱はピアノ弾きにも大変参考になるのではないだろうか?

おそらく、モーツァルトなどのピアノ曲、あのコロコロしたパッセージ、そしてショパンの曲などでもみられる「埋め草型」の細かな音符の連なりなどにおいて・・・

ルイジ・アルヴァは歌手になる前は軍人だったわけです。でも歌が好きだったんですねぇ・・・

故郷のペルーで歌の勉強をして、そして自分の才能を信じてイタリアで勉強を重ねる・・・

歌手として大成できたのは、生まれながらの美声と、持ち前のアジリタ技術、そして楽譜を読み取る能力に長けていたからではないだろうか?

kaz



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