ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

「この子は売れる!」 

 

もし、天地真理がアイドルとして爆発的に売れ出したりせずに、割合と地味な(?)フォーク歌手として活動していたら、多くの天地真理歌唱によるフォークの名曲が今よりも残されていたと思うし、もしかしたら歌手として現在も歌っていたかもしれない。少なくても、息の長い歌手にはなっていたような気はする。

「ひとりじゃないの」から「恋する夏の日」あたりまでのオリコンチャート一位連発とか、キャラクターグッズや彼女自身のテレビ番組とか、そのようなアイドルとしての印象があまりにも強すぎるのだ。おそらく、今でも「恋する夏の日」の振付けを覚えている人はかなりの数になるのでは?

勢いのあった人気が陰りを見せ、レコードの売り上げやチャートの順位が明らかに落ちてきたりすると、なんとなく「落ち目」などと言われたりする。桜田淳子とか、キャンディーズとか・・・出てきていましたからね。でも、筒美路線になってから、彼女は、人気絶頂時代よりも、なんだか歌を愛しんで歌っていたようにさえ感じてくる。本当に歌が好きで歌っているんだな・・・と。そう、伸び伸びとしているわけですよ。もしかしたら、人気が下火・・・というか落ち着いてきた時代の方が、彼女は歌手としては幸せだったのかもしれないなぁ・・・なとと思ったりもする。

知らない人もいるかと思うが、天地真理は最初はフォーク路線だった。デビュー曲の「水色の恋」だけが彼女の持ち歌の中では少し系統の異なる曲で、これはアマチュア時代に歌っていた曲をそのままデビュー曲に起用したためだ。フォーク色の濃い曲なのだ。

なぜ、そのままの路線でいかなかったのか?ギターをつま弾きながら、フォークを歌う天地真理、このまま売り出していたら・・・

シングルのチャート順位など気にせず、自分の歌いたい歌を歌い、自分のペースでコンサート活動をし、アルバムを制作していく・・・このような歌手にもなれたと思う。何故そうならなかったのか・・・

この映像は「時間ですよ」からのもの。天地真理のキャリアのごく初期の頃のものだ。おそらく、「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「恋する夏の日」というアイドル路線以前の天地真理・・・

まだフォークを歌っている。このドラマで人気に火がついて歌手デビューになったのだと思うけれど、このようなフォーク路線でそのまま売り出していたら・・・

でも、こうも思う。ギターを弾きながら、森山良子の歌を歌う天地真理、もうこれはアイドルとして売り出されてしまう運命だったのだ・・・と。

「この子はいける!」「この子は売れる!」・・・誰もがそう思ってしまったのだな・・・と。

kaz



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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「ひとりじゃないの」 

 

天地真理に関しての記事、反響が大きいような気がする。それだけ現在でも彼女の歌を聴き、彼女の歌を懐かしんでいる人が多いということなのだろう。

「真理ちゃ~~~ん」と黄色い雄叫びをあげていた当時のファンは、今どうしているのだろう?

僕は彼女の全盛期、新曲を出せばオリコンチャートで一位・・・という頃の彼女の記憶はあまりない。人気者だったからテレビに登場する回数も多かったと思うし、僕も観ていた記憶はあるけれど、でもファン・・・という感じではなかった。そのような僕でも当時の彼女のヒット曲を歌えるということ自体が天地真理の凄さなのかもしれない。

時代・・・かな・・・とも思う。カラーテレビが普及し、娯楽というものが一般大衆に浸透していった時代、昭和という時代が天地真理というアイドルを生み出したのかもしれない。彼女の登場が昭和という時代の上昇気流と一致した・・・

思えば、ピアノの普及も同じ時代だったなぁ・・・と思う。誰もがピアノを習い、フワフワのドレスを着て発表会・・・誰でもそのようなことが可能になった時代・・・

基本的には天地真理の歌、フォーク系の曲のカバー、そして筒美京平が提供した「矢車草」とか「夕陽のスケッチ」のような曲(知らないでしょ?あまり売れなかったのだと思う)が好きなのだけれど、全盛期の頃の曲も彼女に合っていると思う。多分にメルヘン歌謡の要素が多いと思うが、森田公一の一連の曲は天地真理の魅力をうまくひきだしていたと思う。

経済も成長し、未来というものに希望を感じていた昭和の一時期・・・

その上昇気流と真理ちゃんスマイル、そして彼女の歌とが見事に一致したのだと思う。

当時、彼女のように歌う歌手は他にいなかった。今もいないが・・・

もし、天地真理がフォーク路線のまま歌っていたら・・・

その場合、息の長い歌手生活になったとも思えるが、アイドルとしての天地真理もまた「天地真理」だったのだな・・・と思ったりもする。その存在感というか、アイドルとしてのオーラというか・・・半端ではない!

kaz



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ピアノとシフラとカラスの鳴き声 

 

今のピアノ導入教育に関しては、効率性というものを重視することが最先端になっているような気が(外部から見ると)してしまう。効率性、ノウハウ、まぁ、大事なことなのだと思うし、そのノウハウを共有するために多くの先生が必死になっているというか、そのようなことがセミナー繁栄に関係しているのだとも思うが、ピアノ仲間が指摘するように、僕には関係のない世界のことなのだとも最近は思う。こうすればここが効率よく伝わる、そうすればこの部分が苦労なく身についていって・・・まぁ、たしかに大切だろう、それも。

なんだか、失笑されてしまうような気がするが、導入期(でなくても)において重要なのはカラスなのではないかと思う。

カラス?

カラスの鳴き声に「あっ」と感じたり、寺の鐘の音に「えっ・・・」と感じたり。別にカラスの鳴き声に打ち震えるような感動をするわけではないけれど、音楽って音の連なり、重なりだから、「音」に対する感覚を育てるのは結構重要なのではないかと。「バスティン攻略法!」も重要かもしれないが、もしかしたら生徒とカラスの鳴き声を感じる方が大切かも。そのようなレッスン・・・う~ん、やはり失笑されてしまうか・・・

外から感じる要素として、カラスの鳴き声のような原始的とも言える「音」に対しての感受性というものがあると思うが、「音楽したい!」「ピアノ弾きたい!」と感じるのには、もう一つ、心の内側からの欲求というものがあるように思う。人は様々な経験を重ねていくけれど、その経験は心の引き出しにしまうことが多い。それが「色と光」となっていく。その引き出しにある色や光を具現化、音として表したくなるんだよね。

僕自身もA子さんほどではないが、「ピアノさえ弾いていなければ感じなくて済むのに」と思うことは多い。ピアノを弾く、練習するということは、僕の場合、体力激減ということを実感させられることでもあるからだ。「以前は休まなくても弾けたのに・・・」とか。また聴力の問題もある。「以前はもっと聴こえていたのに・・・」とか。「ピアノさえ弾かなければ・・・」という部分は僕にもある。

でも弾くんだよね?それは「カラスの鳴き声」と「心の中の色と光」、これを表現したくなるから。この部分は爆発的な欲求となることが多い。なので大変でもピアノを弾くんだ。

A子さんの場合、まだお父さんの姿がピアノを弾くと、続けようとすると浮かんできてしまうらしい。「A子ちゃん・・・ごめんな・・・ピアノ・・・ごめんな」この部分、あとは「もしお父さんが生きていれば自分も音大生・・・」の部分、お金の苦労も無縁で、お洒落をして優雅に音大に通う同年代の女の子たち、それに比べて自分は狭いアパートで独り暮らし、働いているし、食費をどのように倹約したら・・・ということが大切な毎日・・・

もしかしたら、もう少し時間が必要なのかもしれないね。でもA子さんはピアノを弾きたいという心からの欲求があるのだ。だから辛いのだ。だから「ピアノなんて・・・」と思おうとしているのだ。

A子さんの過去、お父さんとの想い出、そして現在、倹しい暮らし、そのようなことも全部、心の引き出しに入って、いつかA子さんの心の中で「色と光」になる。そしてそれを表現したい、外に出したいという強い欲求になっていくのだ・・・僕はそのように思う。

その欲求が沸点となった時、その時にピアノがなかったら?弾けなかったら?

「ピアノは弾いた方がいいと思う」という個人的な思いをA子さんに伝えることしか僕にはできない・・・

A子さんはピアニストのシフラのことを、あまり知らなかった。ユジャ・ワンなどのピアニストが弾いている超絶系の編曲は聴いたことがあると・・・

たしかに、その部分もシフラだ。飾って眺めたくなるような楽譜・・・笑ってしまいたくなるような超絶技巧・・・

でもシフラには別のシフラもある。本当のシフラ・・・というかね。

「A子さんへ」

シフラという人は多くの超絶技巧の曲を残していているけれど、それはシフラというピアニストの一面にすぎないと思う。シフラはたくさんの、それも辛い「光と色」を心の中にしまい込んでいた人なのではないかと。だからピアノを弾いていたんだと。シフラの家は貧しくて、お父さんは収容所帰りで働けなかったから、お母さんとお姉さんが必死で働いていたんだね。そしてレンタルの小さなピアノがシフラの家にやってきたんだ。お姉さんが弾くピアノを聴いていたのだと思う。幼い頃、シフラは病弱だったからベットの中でピアノを聴いて育った。シフラはリスト音楽院を卒業してピアニストになるんだけれど、世界情勢というものは最悪な時代になってしまう。シフラは思想犯として収容所に入れられてしまうんだけれど、そこで重労働を課せられていたのだと思う。手の筋を壊してしまう。そして戦争に駆り出され、戦地で片耳の聴力をも失ってしまう。

何年もピアノなんて弾ける状況ではなかった。彼は家族と共に自由のないハンガリーから逃げるんだ。胸まで水につかって川を越えたりと、徒歩の国外逃亡だった。

やっと、国外に出て、そしてピアニストとしての名声をも得ていくんだけれど、息子で指揮者であったシフラJrが亡くなってしまうんだ。自宅が火事になって、シフラJrは焼死してしまう。この時は、さすがにシフラも立ち直るのに時間が必要だった。立ち直れなかったのかもしれない。その事故以来、シフラはコンチェルトを弾かなくなってしまったから・・・

コンチェルトを弾くということは、最愛の息子を想い出してしまうことになったのかもしれない・・・

でもシフラは亡くなるまでピアノを弾き続けた。

シフラには辛い想い出が多かったと思うけれど、それを心の引き出しにしまっておいたのだと思う。A子さんもそうでしょ?僕もそうだ。それが「色と光」になるんだ。引き出しの中でね。それは外に出して何かにしたくなるんだ。シフラにとっては、その行為がピアノを弾くということではなかったかな?僕はそう思う。だからシフラはピアノを弾いていたんだと。

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「ピアノ・・・ごめんな・・・」 

 

「電子ピアノだとピアノは習えないんでしょうか?」

A子さんが初めてメールをくれた時、彼女はそう僕に書いた。僕は無責任だったのかもしれないが、自分の気持ちに正直に「電子ピアノでもピアノは弾けるのでは?」と返信した。僕自身が電子ピアノで練習しているし、電子ピアノでも可能なことはあると思っているから。

A子さんと僕との共通点は電子ピアノの他に、癌という病気があった。A子さん自身は健康なのだが、彼女はお父さんを癌で失っている。彼女が中学生の時だ。A子さんは一人娘で、そしてお母さんは事故で幼い頃に亡くなっているのだそうだ。お母さんの死後、お父さんは、それこそA子さんに愛情のすべてを捧げながら育てた。A子さん自身も、「これは過保護なのでは?私は結婚できないのでは?」と小学生の頃から感じるほどの愛情だったのだそうだ。

「A子ちゃん、ピアノが好きだったら、そしてA子ちゃんはピアノが上手なんだから将来は音楽大学に進んだらどうだろう?」お父さんは、いつも「A子ちゃん」と呼んだ。A子さんはピアノが上手だった。中学に進学する時には、有名音大に多数合格させたり、コンクールにも入賞させたりしている先生に習うようになった。その頃はモシュコフスキーの15のエチュードを弾いていたそうなので、かなり本格的なピアノだったと考えていいだろうと思う。コンクールなどにも参加し、そして入賞したりするうち、A子さん自身も「このまま音大に行くのかな・・・それもいいかもしれない。ピアノ・・・好きだから」などと漠然と思い始めていた。

お父さんが癌になったのはA子さんが中学2年生の時。その頃にはショパンのエチュードを弾いていた。

「A子ちゃん、お父さん・・・こんなことになってしまって・・・ごめんな・・・A子ちゃん・・・ごめんな・・・」

A子さんは親戚に預けられることになった。とてもA子さんを不憫に思い、愛情深く育ててくれたけれど、どうしてもお父さんの夢を叶えられない部分があった。それがピアノだった。親戚の家はマンションだったし、グランドピアノで音を出せる環境ではなかったのだ。

「A子ちゃん・・・ピアノ・・・ごめんな・・・」お父さんは亡くなる直前までA子さんに謝り続けた・・・

A子さんはそれでも良かった。ピアノに蓋をしてしまった。自分の心にも蓋をしてしまった。ピアノはお父さんを想い出してしまう・・・

「音が消せるピアノにすることもできるんでしょ?電子ピアノとかもあるそうじゃない?ピアノ続けたら?」親戚もそう言ってくれたけれどA子さんは「ピアノはもういい・・・」と心の蓋を閉めてしまった。

高校を卒業したA子さんは、親戚を家を出て自活し始めた。働き始めたのだ。

「お父さんが生きていれば私も音大生だったのかもしれないな・・・」

でもピアノのことを考えなければ、辛い想いもあまりしなくて済む・・・

「ピアノなんて・・・ピアノなんて・・・」

A子さんも成人式を迎える年齢に成長した。「A子ちゃん、来年成人式でしょ?お父さんもあなたの晴れ姿見たかったと思うわよ・・・」

その時、A子さんは突然思った。いや、ずっと思い続けていたことが言葉になった。

「叔母さん、私、成人式の支度よりも電子ピアノが欲しい。またピアノが弾きたい。もし、成人式の支度のお金があるんだったら電子ピアノを買うために少しだけ援助して欲しいの・・・」

「そんなA子ちゃん、着物もピアノも両方でいいじゃない?それぐらいさせて」

「いいの・・・もう私、社会人だし働いているし、電子ピアノが欲しいの。でも私のお給料少ないから・・・」

電子ピアノを奏でながら、やはりお父さんのことを想い出してしまう。

「A子ちゃんはピアノが上手だな」「A子ちゃん・・・ピアノ・・・ごめんな・・・ごめんな・・・」

でも再びピアノを弾く自分のことをお父さんは喜んでくれているような気もした。

「あなた・・・電子ピアノでは無理よ・・・趣味の人は私は教えないの。ごめんなさいね」

かつて習っていた先生に再びレッスンをお願いしたが、そう断られてしまった。でもA子さんはどこか心の中でそうなると予想していた。ピアノの先生は大勢いるはず、理想の先生と出逢えるはず・・・と思っていた。

「電子ピアノなんですね。では趣味ということでいいんですね。えっ、ショパンのエチュード?だったら電子ピアノじゃダメでしょ?趣味だったらそれでもいいけど・・・」

「音大を目指すの?もう20歳なんでしょ?趣味で弾いてるの?じゃあ楽しく弾ければいいじゃない?」

趣味・・・

「そうか、私は趣味のピアノということになるんだ。でも・・・」

A子さんは当然のことながら、長いブランクがあったにしても、ピアノを趣味と捉えることに違和感を感じていた。むろん、音大進学などは考えてはいないし、そもそも無理な状況であるので、そのようなことではないけれど、でも上達したかったのだ。

「電子ピアノ?じゃあ趣味で楽しく」「音大?違うのね。では趣味で楽しく・・・」と言われ続けることに疑問を感じ始めた。

「電子ピアノだとピアノは習えないんでしょうか?」

ピアノ・・・また弾きたいな・・・という想い、そしてお父さんとの想い出、「A子ちゃん・・・ピアノ・・・ごめんな・・・」と泣きながらA子さんに謝っていたお父さんの姿・・・両方が重なってきてしまう。

そして再び「ピアノさえ弾かなければ忘れていられるのに・・・」という想いも重なってきてしまう・・・

A子さんが、せっかくピアノを再開しようと思った時に出逢った先生が「趣味と専門」というところの狭間にいる人を理解できない先生だったことが現在のA子さんの悩みにつながっているのだと思う。この問題で悩んでいるのはA子さんだけではないと思う。

そもそも、音大やコンクールのためにピアノがあるのか?逆だろ・・・と思う。

「やっぱり・・・やっぱり・・・ピアノ・・・辛いかも・・・こんなことで心が折れてしまうなんて・・・」

僕はA子さんの理想の先生は必ずどこかにいると思う。趣味とか専門とか、そのようなカテゴライズをしない、音楽というものを追及する仲間としての先生が必ずいると・・・

kaz

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君に捧げるラブ・ソング 

 

街はステキなカーニバル(紙ジャケット仕様)街はステキなカーニバル(紙ジャケット仕様)
(2007/09/21)
岡林信康

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岡林信康という歌手がいる。フォーク調の、ものすごくメッセージ性の高い曲を歌う歌手だ。彼の曲の中では異質な曲になるのかもしれないが、「君に捧げるラブ・ソング」という曲がある。たしか、「街はステキなカーニバル」というアルバムに収録されていた曲だと思う。このアルバムは1979年に発表されているので、もちろんCDではなくレコードだった。このレコードのジャケットに使用された写真を撮ったのが、岡林の親友でもあった川仁忍というカメラマン。彼は以前から社会の底辺で生きる人々、社会の矛盾というものを写真に収めてきた。同じようなテーマで歌を作り、伝えていた岡林とは共通するところも多かったに違いない。川仁は岡林信康という歌手をも写真に収めるようになっていった・・・

川仁がクモ膜下出血で倒れた。病院に見舞いに行った岡林は川仁に何もしてあげることができない。ただ見つめているだけ・・・何もできない・・・

この「君に捧げるラブ・ソング」はその時の気持ちを正直に歌った曲で、男から男へのラブソングになる。といっても友情という意味でのラブソングになると思うが。

川仁は1979年に34歳という若さで亡くなった。亡くなる前、医師に止められていたのにもかかわらず、「絶対に撮る!」と言い張り、岡林の写真を撮った。その写真は同年に発売された「街はステキなカーニバル」のジャケットに使用された・・・

人は肝心な時に無力になるものなのだろうか?僕は自分が癌になってから、多くの人に助けられてきたし、愛を受け取ってきた。でも僕自身は何をしてきただろう?

何人か親しい友人を癌で失った。その時、僕は彼らに愛を与えることができなかった。何もしてあげることができなかった・・・

Hは自分の頭髪をバリカンで刈って、僕に愛を示した。でも僕はHが亡くなる時に何もしなかった。何もできなかった・・・

僕は愛を受け取るだけの人生なのだろうか?でもそれでは安らかに死ねない・・・と思う。

たまにこのブログのメールフォームで若い人からメールを頂くことがある。すべてがピアノで悩む人からのメールだ。彼らは僕が癌と共存しながら僕がピアノを弾いているということに非常に興味を示す。また、僕が電子ピアノで練習していること、長い長いブランクがあったということ、このあたりにも興味を示す。彼らのほとんどがピアノの先生との良好な関係が築けないでいたり、築けずにピアノから離れたりしている。

僕はピアノ教師に対して辛辣な事も書くらしいけれど、別にピアノ教師=悪、生徒=善・・・などと思っているわけではない。でも教師と生徒とのコミュニケーション不足というか、お互いの目指す目的が微妙に違っていたりとか、そのような不幸は感じる。

別にピアノ教育のことなんて僕には関係ない世界のことなのだ。人からも言われたことがある。「ピアノの先生のことなんて関係ないことじゃない?」と。確かにそうだ。ましてや僕はアマチュア・・・何かを語る資格などもないのだろうと思う。

でも悩んでいる人がいる、心が宙ぶらりんな状態の人がいる、その人たちが僕にメールという媒体を通して訴えかけてきている。

実際に僕が彼らにしてあげられることは何もない。そう、何も・・・

でも僕の気持ちを伝えることはできるのではないか?

A子さんという方からメールを頂き、何回もやり取りをしている。僕はA子さんに何もしてあげることはできないだろう。A子さんは東京から遠く離れた地域で暮らしているし、飛行機でなければ行けないような距離があるのだから。

でも僕の気持ちを伝えることはできるのではないか?

A子さんは、自分に起こったこと、自分の現在のこと、これまでのメールでのやり取りや、お互いの気持ちなどをすべて僕のブログで書いて欲しいと希望している。僕は悩みに悩んだ。

今も悩んでいる。

僕は、昔もそうだったけれど、特に今はピアノに助けられていると感じている。ピアノを弾くということ、音楽を感じるということ、この部分がなければ自分の人生を歩んでいけないとも思っている。ピアノ、音楽とはそれほどのものなのだ。

A子さんにもそのようなものであって欲しい。絶対に音楽に助けられる時が人生にはやってくる。A子さんにとっては今がその時なのかもしれない。

僕はA子さん、また事情は様々だろうけれど、「ピアノ・・・辞めようかな」と思っているすべての若い人には「絶対に弾き続けようよ」と言いたい。

僕は自分の感じていることを、自分の気持ちを彼らに伝えたいと思っている。それはできるかもしれない。

何もしてあげることはできない。ただ見ているだけしかないのだ。

でも伝えることはできるかもしれない・・・

たいしたことは伝えられんが・・・

kaz



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アイドル歌手とフォーク歌手 

 

デビュー曲「水色の恋」の予想以上の大ヒット、むろん、ヒットは予想していただろうが、関係者も驚くほどのヒットとなったのではないだろうか?

ここで「天地真理路線」をこれからどうしていくのか検討されたのではあるまいか?ここまでは完璧に天地真理はフォーク路線なのだ。このままギターを抱えてのフォークでいくか、それとも・・・

セカンドシングルは「小さな恋」、楽曲は浜口康之助が提供。この曲はオリコンチャート1位を獲得する。デビュー曲と比較すると、フォーク路線からメルヘン歌謡(?)の世界に移行しているように感じる。おそらく、フォーク路線ではなく、この時点で天地真理のアイドル路線は決定されていたのだと思う。

天地真理の楽曲、アイドル路線を人々に決定づけたのは森田公一が曲を提供するようになってからなのではないかと思う。天地真理といえば、多くの人が「恋する夏の日」を連想すると思うが、彼女の最大のヒット曲、売り上げということを考えれば、三枚目のシングル、「ひとりじゃないの」なのだ。どちらの曲も森田公一が作品を提供している。

「ひとりじゃないの」の時点で、もうたとえ天地真理自身がフォーク路線を望んでいたとしても、本人の意向などは入る余地のないほど大きなものが動いてしまっていたとも言えるだろう。

レコードだけではなく、天地真理のキャラクター商品が続々と売り出される。彼女の名前を冠したバラエティー番組がゴールデンタイムに放送され、高視聴率を記録していく・・・

ここまでになると、社会現象とも言えるのではないだろうか?事実、天地真理は「アイドル」というものの概念を塗り替えた人でもあった。小学生から大人まで、幅広い層を取り込んだ国民的なアイドルというものを作り出してしまった・・・

当時、僕は天地真理のファン・・・とは言えなかったけれど、でも「ドレミまりちゃん」という自転車があったのは覚えているし、「真理ちゃんとデート」とか「とび出せ!真理ちゃん」などといった彼女のテレビ番組は記憶があるくらいだ。

天地真理のボックスを聴くと、以外にも活動時期のすべてにおいて、フォークを録音しているのに驚く。でも人気絶頂期においては、フォークの曲はアルバムだけで歌うもの・・・であったのかもしれない。アルバムだけで可能だった自己表現というべきか。人気が下降し、レコード売り上げも落ち気味になる頃、つまり森田公一から筒美京平へとシングル曲の提供者が変わった頃には、ライブなどでもフォークを歌っている。その頃の彼女のライブ盤を聴くと、とてもアイドル歌手とは思えない選曲で、フォークを基調とした渋めのライブに驚いたりもする。

今現在でも天地真理の熱烈なファンというものは存在するようだ。僕はファンクラブに所属したりするほどではないが、やはり天地真理の歌、特にフォークの曲に魅せられている一人と言っていいだろうと思う。おそらく、現在も彼女のファンの人の多くは、真理ちゃんスマイルを湛えて歌い舞う「アイドル真理ちゃん」の部分というよりは、純粋にフォークをも歌いこなす「歌手・天地真理」の部分に惹かれている人が多いのではないかと想像する。

天地真理はチェリッシュの曲も多くカバーしている。チェリッシュはどちらかと言えば、フォーク路線の歌手だ。たしか、当時、僕の周囲の大人たちもチェリッシュは歌が上手い、エッちゃんの声は綺麗ね・・・などと評していたと記憶しているし、誰もチェリッシュは歌が下手・・・とか、音痴で聴けたものじゃないなんて言っていなかったように思う。

でも天地真理は、どこか「歌が下手な歌手」とされていたように思う。この場合、きちんと彼女の歌声を聴いて評価していたのだろうか?そうとも思えない。

フォーク歌手=歌はしっかりしている、アイドル歌手=歌は下手・・・

このような無意識のカテゴライズが人々にあったのではないか・・・

天地真理の歌声を聴くと、特に彼女の大好きだったフォーク路線の曲を聴くと、「先入観」とか「刷り込み」とか、そのような言葉を連想してしまう。なんとなく正当に天地真理を評価して欲しい、彼女だけではなく、当時の「昭和アイドルたち」を評価して欲しい・・・などと思う。

kaz



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水色の恋 

 

以外と知られていないことかもしれないが、天地真理は国立音楽大学付属高校、付属中学の出身なのだ。ピアノ科から後に声楽科に変更しているが、もともとはクラシックの人だったのだ。

いわゆる母子家庭であったから、お母さんは大変だったのではないだろうか?「ピアノの先生になれば女一人でも暮らしていける」という想いがお母さんにはあったらしい。当時はピアノというものが一般大衆に馴染みのものになる直前の時期であったから、この考えは当たっていたと言えるだろうと思う。ピアノ教室を開けば、どんどん生徒が集まってくる時代・・・

でも天地真理はエスカレーターで大学には進学しなかった。やはり歌に惹かれていて、それもフォークに惹かれていたからだと思う。森山良子などのフォーク歌手に傾倒していて、在学中からフォークを歌ったりしていたらしい。ギターを抱えて・・・

歌手になりたい・・・

転身には相当に勇気が必要だったのではないだろうか?高校卒業後は歌のレッスンを続けながら、オーディションなども受け始めるようになる。

彼女はヤマハのポプコンを受ける。その時に「小さな私」という曲を知り、別のオーディション番組で、「小さな私」をアマチュア歌手として歌った。

ここでCBSソニーのディレクターの目にとまったのだ。プロダクションも渡辺プロダクションに内定する。

当時の渡辺プロダクションのディレクターは「ひと目見た瞬間の衝撃ったらなかった。えっ、なに・・・これ?というくらいに輝いていた。この子は絶対にいけると思った」と語っている。

レッスンを受けつつ、歌手デビューを待つ日々だったが、天地真理は、この時期にテレビ番組のオーディションを受けている。「時間ですよ」のオーディションだ。しかしながら彼女は最終選考で落ちてしまう。理由としては、役柄のお手伝いさん役には目立ちすぎるというか、可愛すぎるというか、そのようなものであったらしい。

「あの子は普通の子とは違う何かがある」と番組への出演を強く推薦したのが森光子だった。急遽、「2階のマリちゃん」という役柄が設定され、天地真理がテレビに登場することとなった。この時の彼女は、白いギターを抱えてフォークを歌っていた。

「あのギターを弾きながら歌っている子は誰?」
「レコードとかあるの?」

テレビ局に問い合わせが殺到・・・

歌手、天地真理のデビューが決まった。デビュー曲はアマチュア時代に歌っていた「小さな私」を使用。「水色の恋」というタイトルで発売されることになった。この時にフォーク色の強い「水色の恋」(小さな私)がデビュー曲に起用されたのは、おそらく「時間ですよ」の中でフォークを歌っていたイメージが強かったからなのではないかと僕は想像する。

10月という、新人賞レースには遅すぎる、ある意味では異例の時期のデビューは、「時間ですよ」で天地真理への予想以上の反響があったからなのではないだろうか?

デビュー曲の「水色の恋」はオリコンチャートで新人ながら3位という大ヒットとなった。また、デビュー曲を含んだ、フォーク曲中心のアルバムはオリコンチャート1位を獲得。

これまた予想以上の反響となった。

「この子はいける・・・」

アイドル歌手、天地真理が誕生した瞬間だ。



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天地真理と先入観 

 

天地真理 プレミアム・ボックス (DVD付)天地真理 プレミアム・ボックス (DVD付)
(2006/10/01)
天地真理

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もちろん「天地真理」という国民的アイドル歌手の名前は知っていたし、テレビで彼女のヒット曲も聴いていたはずだ。飛び跳ねるように彼女が「恋する夏の日」を歌っていた記憶はある。

でも、僕はその時、天地真理の歌を歌として聴いていたのだろうか?当時は小学生だったけれど、まだ低学年だったし、彼女のファンになるには少しだけ幼かったのかもしれない。

天地真理は歌が下手、天地真理は音痴・・・

たしか、大人たちはそのように言っていたような記憶がある。アイドル歌手なんて、見た目が可愛いだけ、歌なんて聴けたものじゃない・・・

僕はそのような大人たちの声をそのまま信じたのだろう。

僕が天地真理の歌を、きちんと聴いたのも小学生の時だったけれど、その時は高学年になっていたと思う。その頃は、キャンディーズ、山口百恵、そしてピンクレディー・・・とアイドルの構図も、僕が低学年だった頃とは違ってきて、天地真理の人気は、なんとなく下火になっていたように思う。子供心に、「天地真理・・・いいよ」などとは友達には言えない空気があったように記憶している。天地真理は小学生にとっては過去の人だったのだ。

たしかに、新曲を出せばオリコンで一位・・・などという勢いはなくなっていたと思う。人気絶頂期に比べたら、レコードの売り上げも落ちていたはずだ。

僕が天地真理という歌手を再認識したのは、「小さな人生」というアルバムだった。その頃は「ひとりじゃないの」「虹をわたって」「若葉のささやき」「恋する夏の日」という大ヒット曲を提供した森田公一ではなく、筒美京平が楽曲を提供していた。「小さな人生」というアルバムも筒美作品が中心だったように思う。

歌が下手・・・音痴・・・

「そうかなぁ?」

僕は天地真理の歌に惹かれたということを誰にも言わなかった。だって、音痴なんでしょ?下手くそなんでしょ?そんなことも分からないで聴いているなんて人には言えない・・・

大人になって、再度天地真理を聴いた。彼女の全録音(私的なものは除く)が集大成されたボックスを思い切って購入したのだ。僕にとって、天地真理は幼い日々の想い出そのものだったから・・・

改めて聴いてみると、やはりいいのだ・・・

下手ではないし、音痴でもない。

僕は先入観を持って判断していたのだ。そう思った。

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需要と供給 

 

AとCというアメリカで活動しているピアニストたちと過ごし、そして会話をしていると、僕のようなアマチュアでも「あなたはピアニストとしてどう思う?」なんて言われることがある。「そんなぁ・・・ピアニストだなんてぇ・・・」と日本人である僕などは思わず反応してしまうのだが、この場合のピアニストとは「ピアノを弾く人」という意味なので、そのような意味では僕もピアニストになるのだ。舞い上がることもないのだ。

日本人の感覚とすると、このあたりは慣れないところなのでは?ピアノを習っている生徒はピアノ学習者であって、ピアニストと呼ぶことはあまりないし、ピアノ教師でもピアニストと自称する場合は、定期的なリサイタルなどを行う人になるのではないだろうか?発表会の講師演奏でしか演奏しないというピアノ教師は「私はピアニストです・・・」と普通は言わないのかもしれない。でもアメリカではピアノを弾く人はピアニストなんだねぇ・・・

単に言葉の捉え方なのだと思うけれど、なんだかこの違いは面白い。

職業ピアニストとしての捉え方も日本とアメリカでは違いがあるような気がする。つまり、プロのピアニストという認識の捉え方の違い。

日本でもピアノのリサイタルは毎日、大都市では一日に複数会場で開催されていたりする。外来ピアニストは別として、日本人ピアニストのリサイタルの多くは自主リサイタルなのだと思う。でも「自主リサイタル」とチラシやプログラムに明記されているわけではないし、立派なホールに8割~9割も聴衆が埋まっていたりして、「わぁ・・・活躍しているんだぁ」などと思ったりもするが、実は自主リサイタルの場合、演奏者がチケットを売りさばくということをしなければならない。3000円のチケットで250人ほど埋まっているとしても、その金額が演奏者の利益になるわけではない。自己負担で会場を借り、チラシ作製などの費用も自分で負担している場合がほとんどらしい。

このチケットの手売り、つまり頭を下げて「リサイタルをします・・・よろしくお願いします」と関係者や知人、友人に頭を下げてチケットを渡し売ってもらうということを全くしないですむピアニストは日本ではかなり限られた人だけになってしまうようだ。華やかにピアニストとして活動しているように思える人でも、手売りはしているらしい。現実は厳しい・・・

アメリカの場合、あまり(ほとんど?)自主リサイタルという形はないのだと聞く。どこか音楽事務所に所属して、仕事の依頼があれば、そこに出掛けていって演奏し、ギャラを貰う。むろん、チケットを自分で売りさばく・・・なんてことはしない。集客はピアニストの仕事ではない。事務所の仕事だ。日本でも外来ピアニストのリサイタルはこのケースだろうと思う。

集客しなくてもいいし、ただ演奏するだけ・・・楽だわぁ・・・と思うけれど、この場合は仕事(演奏会)の依頼がなくてはピアニストとして名乗ることすら難しいという非常にシビアな世界に身を置くことにもなる。つまり「今度リサイタルをやりますから・・・」ではなく「リサイタルをしてください・・・」という依頼が基本的には継続していかなければ、職業としては成り立っていかない・・・

個人的には自主リサイタルのシステムはピアニストにとって、いいことなのではないかと思ったりする。ピアニストも人間だから、人前での演奏を重ねることによって成長すると思うからだ。最初は会場は関係者ばかり、知人や親せき総動員で・・・という自主リサイタルでも、会を重ねていくうちに、「よかったわね・・・」「○○さんのリサイタル、よかったわよ、こんど聴きにいってみない?」などと聴き手の広がりが出てくる可能性もある。演奏者の成長と共に、聴衆もついてくるというか・・・

アメリカのようなシステムだと、音楽院を卒業とかコンクールやオーディションを受けまくるという、人生のほんの一時期の才能や運によって、その後の活動や人生までもが決定されてしまう気がする。成長していくチャンスすら与えられない人も多いのでは?

欧米では純粋に「音楽を聴きたいな・・・」と思っている人が日本より多いのだろうか?学生のゼメスター試験、このようなリサイタルでも一般の人が結構アメリカの場合、聴きにきていたと記憶している.。自分もその一人だったわけだが・・・

演奏者の学歴やコンクール歴に関わらず、「ピアノのリサイタル?聴いてみようかしら・・・」と思う人が単純に欧米では日本よりも多いのか?

そうなのかもしれない・・・

でも、これには自主リサイタルが盛んなことの危険性とも関連しているのかもしれない。自主リサイタルの場合、曲目も演奏者の自由だし、中にはどうしても「練習の成果」「研究の成果」のような演奏も含まれてきてしまうのではないか・・・

個人的な感想では、日本では「研究発表会」のようなリサイタルは多いような気がする。「どれだけ演奏できたか・・・」という意識が演奏者に多く、「どう聴こえたか、どう感じてもらえたか・・・」という聴き手中心の捉え方のやや乏しい演奏会が多いような気がしている。達者度、練習密度という点では隙がなくても、根本的な演奏としての惹きつける魅力に乏しい演奏しかできない人でも、演奏会を継続していけるという危険性はあるのでは?

アメリカのようなシステムだと、演奏者は必ず「また呼んで頂かなければ・・・」という再演依頼のような形に自分の演奏を評価してもらわなければならない。演奏者自身が「練習の成果が出せた!」といくら思っても、「また聴いてみたいわ」という人の存在を作っていかなければ、そこで終わりというか・・・

まぁ、一長一短なのでは?どちらのシステムも・・・

AもCも自分でチケットを売りさばいたという経験は持たない。なので、自主リサイタルしかしないピアニストのことを「それじゃアマチュアでしょ?」と言う。でも日本ではこの考え、認識は少し厳しすぎるような気がする。

クラシック離れ、聴衆が育たない、達者なだけの演奏、リサイタルのシステム・・・いろいろなことが水面下で絡んでいるような気はする。

個人的には日本人が欧米の人と比較して西洋音楽に関しての感性に乏しいとは思わない。いい音楽を聴きたいと感じている人は相当数いると思う。でも供給と需要の関係において、何かがチグハグという印象を持つ。これを「文化の違い」とか「歴史の違い」というようには自分の中で思いたくはない。

この演奏、実にアメリカ的だな・・・と思う。需要と供給という意味において。この二人はお互いにジュリアード音楽院の学生だった時に知り合い、「何か面白いことやってみない?」ということで意気投合し、それがデュオという形での「供給希望」となった。そして聴衆の「需要」というものと見事に一致していった・・・

日本ではなかなか生まれにくいピアニスト・・・のような気はする。

日本でも、彼らのような演奏、演奏家に対しての滞在的な需要は多かろうと思うがどうだろう?

kaz



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category: ピアノ雑感

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色と光 

 

あるピアニスト(このブログではこれまでAと書いてきた)が言った。「今までの様々な経験を色と光で記憶しておくんだ。そして自分の引き出しに入れておく。何色・・・とかは説明できないんだ。色でもあるし光でもあるからね。でもとても鮮明な印象。ある曲のある演奏と出逢った時なんかに、自分の引き出しの中の色や光と見事に一致することがあるんだね。そのような時に、自分でもその印象を再現したくなるんだ。演奏とは僕にとってはそんな感じだ」

これはプロのピアニストだからこその言葉なのかもしれない。でもなんとなく感じは分かる。

先生に「弾いてみなさい」と言われたから弾くとか、「ワッ、憧れの曲だわぁ・・・」みたいな感じで弾くのではなく、自分の引き出しの中の色と光を乗せてみる、自分の中にしまい込んでいたものを「曲」として音にしてみる・・・

さすがに50年も生きてくれば、その人生の中の様々な瞬間の「色と光」のようなものを僕だって持っている。

たとえば、抗癌剤の治療が苦しくて、友人のHに弱音を吐いてしまったとき、彼は自分の頭髪をバリカンで刈った。僕と同じように。この時の彼の力強い訴えるような瞳、部屋の光の色、空気の匂いを鮮明に覚えている。

その後、Hから手紙がきた。このように綴ってあった。

「実は僕も癌だったんだ。言わなかったけどね。僕は君と違って積極的な治療は望まない。そして死を受け入れてもいる。死は恐ろしいものではない。安らかなものだ。僕は人生にやり残したものない。なので、今は平穏な気持ちだ」

この手紙を読んだ時の周囲の色、光、すべて鮮明に覚えている。

むろん、言葉で説明できるようなことではないけれど・・・

その「色と光」がある種の音楽、ある種の演奏を聴くと、揺り起こされる感覚は僕にもある。この「色と光」をその演奏のように自分のパレットに乗せていけばいい・・・

では具体的に何をしていけばいいのか・・・

それは分からないし、一生見つけることのできないものなのかもしれないが、非常に僕の中の記憶の「色と光」を揺さぶってくる・・・

最近は、ロシア(ソビエト)の演奏家を中心にいろいろと聴いていて、ある演奏を聴いた時に、鮮明に「色と光」が僕の中で浮かび上がってきた。

ダニール・シャフランの演奏する「ヴォカリーズ」・・・

だからこの曲を弾いてみたくなった。

シャフランが演奏する「ヴォカリーズ」の色と光・・・何色なんだろう・・・

よくわからない。

Hの瞳の色だろうか、あの時、僕を見つめ続けたHの瞳、バリカンで自分の髪を刈って、僕を強く見つめたHの瞳の色・・・

その瞳の色が、部屋の空気の色となり、光となった・・・




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必然性 

 

楽譜から目を離すことができない状態で、音を必死に並べて最後までやっとたどり着く・・・のような演奏ではもちろんない。暗譜も当然していて、音の粒も揃っていて表面上はとても流れている演奏。このような、ある意味、練習の成果を直接的に感じる演奏というものがある。残念ながら、そのような演奏が実に多いような気がしている。このような演奏に共通しているのが、演奏者がその曲を選んで弾いているという必然性が全く感じられない・・・ということ。その人がショパンを弾いていたとしても、別にベートーヴェンやアルベニスを弾いても同じような演奏なんだろうな・・・という印象。

これは、多分にメカニカルな問題に原因があるような気がしている。あるいはメカニック要素がテクニックというものに結びついていなくて分離してしまっている、そして演奏者本人にその自覚がない・・・

そのような場合、演奏者自身が、その曲を聴いて感動した部分ってどこに行ってしまったのだろう・・・と素朴な疑問を持つ。「ああ・・・素晴らしい」とか「ああ・・・すごい・・・」と演奏者自身が感じたからこそ弾いているのでは?もしかして、その部分が足りない?もしくは欠落している?

ピアノを弾く、読譜をして音にしていって暗譜をして、そして人前で弾くという恐ろしい状況に身を置いて演奏する・・・という順序を歩むうちに、いつのまにか「ああ・・・素晴らしい」と感じた要素をどうこうというよりも「弾きこなす」ということに専念してしまう?

これは「弾けてから表現を整えていく」とか「表現をつけていく」というところでの問題ではなく、根本的な演奏している時の感情というか、弾くという意識の流れがどこか反対というか、チグハグなのではないかという気がする。

演奏している時には、演奏者の中から外に発散してくる何か・・・というものが必要なのではないかと思う。無意識に聴き手はそこを求めて会場に足を運んでいるというか。

この「中から外」という心の状態に身を任すのが案外と難しいのでは?

日頃から楽譜という視覚的なもの、特にそこに、いろいろと黒々と書き込む場合、どうしても「その情報を守って」という心理状態で弾きこんでいく。暗譜ができたとしても、「守って・・・」という心理状態は変わらないとしたら、暗譜で弾いたとしても、本番では「情報を落とさずに忠実に弾いていく」という演奏になってしまう可能性もあるし、音は頭に入ったとしても、本番では自分が裸になるというか、どうしても「中から外に」という感覚が要求されるようなところがあるから、どうしても視覚的なことを守ろうとすると、ある種の混乱が起こる。

よく暗譜はしているのに「お守り」として楽譜を開いて弾く場合、なぜか楽譜があるのに暗譜落ちをして、演奏が行方不明になってしまうことがある。なんとも摩訶不思議なこの現象は、中途半端な心理状態がいけないのかもしれないが、楽譜を見て、その情報・・・という「外=中」という心の状態のまま、なんとなく「中=外」という本番特有の状態に身を置いてしまうという混乱が原因のような気もする。

曲を演奏する場合、演奏者には、その曲を選んで弾いているという、ある種の必然性がなければ、聴いている人は表面上の曲の構成みたいなものを聴かされることになる。聴いている人がその曲について全く知らない場合、その表面上の構成に感動する・・・ということもあるだろうが、これは特殊な例だと思う。多くの場合、聴いている人は演奏者とその演奏に「何か」を求める。その「何か」は素人でも数分で、あるかないかが判断できる。そして思う。「退屈だな・・・」あるいは「クラシックの素養が自分にはないのでわからない・・・」のように・・・

指揮者であるスヴェトラーノフのピアノ演奏は、根本的な意識が完全に「中から外」という演奏であるという気がする。また彼がメトネルを選んで演奏しているという必然性を感じる。このような演奏の場合、彼のショパン演奏に興味を持ったりもできる。「ショパンやベートーヴェンも、このような演奏をするんだな」とは感じない。

指揮者だから?




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category: ピアノ雑感

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指揮者のピアノ 

 

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」は一昨年に弾いた曲。発表会でも弾いたし、サークルの演奏会でも弾いたし、そしてピアチェーレの演奏会でも弾いた。「まあまあ弾けたのでは?」という時もあったし、「なんだか弾けなかったな」と思った時もあったけれど、基本的には「どのように弾けるか?」「練習の成果が出るように」と願いながら弾いていたように思う。

もう時間もないのだけれど、来月(8日)のサークルの練習会でもう一度弾いてみようかと思い立った。一昨年この曲を弾いたとは思えないほど、すっかり忘れていて、もう弾けなくなっていた。今までだったら、他の曲を弾こうと思うところだが、今回は間に合わないかもしれないが「ヴォカリーズ」を弾いてみる。

今回は自分としては勇気の必要な、思い切った実験をしてみようかと思う。僕の個人的な考えでは、サークルの練習会のような「聴いている人」=「弾く人」のような場所では自分都合の「実験的要素」があってもいいのではないかと思う。

僕は楽譜に一切書き込みをしない人で、先生も書き込まない人なのだけれど、書き込まない人って少数派なのではないかと思う。ピアノのブログを読んでいても感じるし、サークルで人の楽譜を眺めても感じることだが、運指や発想記号の意味などの他に、「ここから遅れない」とか「テンポキープ」とか「トップを出して」などのように、いろいろな言葉を書き込んでいる人が実に多いように思う。「焦らない・・・」とか「ていねいに」とか「ここで歌う」とか・・・いろいろと書いてある。色つきで書いてある人もいて、楽譜は彩り華やかというか・・・

別に書いてもいいと思うし、僕のように全く書かないというのも、なんだかいい加減のような気もするが、でも、あまりに書いてしまうと「書いてあることを守って弾かなければ・・・」と無意識に思いながら弾くということにはならないだろうか?視覚的にどうしても「テンポをキープして!」などと黒々と(赤々と?)書いてあれば、キープすることがその部分の演奏に対しての最大目標となってしまわないだろうかと思ったりもする。

演奏者が弾いている最中に、「ここはバランスを気をつけて」とか「テンポ、絶対に走らないように」とか「ベースを出しすぎないように」ということばかり思いすぎて弾いてしまうというのもどんなものだろう?むろん、気をつけることはいいことなのだろうが、それで聴いている人はどのように感じるだろう・・・

弾き手感覚では、演奏って、「ここが練習のように弾けた」とか「ここは走ってしまった」とか「あそこで痛恨のミス」のようなことがとても大きく関係してくるけれど、聴き手感覚とすれば、そのような「弾き手の都合」なんてどうでもいいようなところはないだろうか?

あなたが聴き手の時、いいな・・・と聴き入ってしまう演奏ってどんな演奏だろう?とても注意深く慎重に練習の成果を出せるようにと願いながらの演奏?

僕は違う。割と「弾き手の都合」ではなく「聴き手の都合」、つまり聴き入ってしまうか、興味を持って聴いていられるか、あるいは退屈してしまうか・・・という観点で聴いてしまうし、聴き入ってしまう演奏って「何かがあるかないか」なのだとも思う。それは単純に「上手い」とか「あまり達者ではない」とかそんなことでもない。

自分の中の「痛い部分」「触れたくない心の動き」のようなもの、それに触れて、演奏として出す。言葉ではとても表現できないような心の傷、苦しみを演奏として出す・・・

これをやってみたい。楽譜に色々と書き込んで、いや、書き込まなくても、「練習の時と同じように」とか「先生に注意されたことを守って」のように弾くのは外部のものをどれだけ取り込めるかという方向性の演奏とも思える。そうではなく、自分の中のものを出すという方向性の演奏を目指す。大崩壊しても。ミスしても・・・

大胆な実験かもしれないが、練習会なのだからいいだろうと思う。やってみれば・・・

指揮者って演奏中にどのようなことを感じて指揮しているのだろう?とても興味がある。自分で音を出すわけではないから「次のパッセージで失敗しませんように」などと思うことは器楽奏者よりも少ないと思う。つまり「ミスしませんように」とか「崩壊しませんように」と守りの姿勢で演奏してはいないのではないかと想像する。

「何が出せるか」なのではないだろうか?

つまり自分の中から外という方向性の脳内活動(?)になっている?

「あそこのあの部分はここを気をつけて」とか「あっ、ミスった・・・」とか外の基準に照らし合わせて一喜一憂することなしに、自分の中から何かを絞りだし、楽譜(音楽)とブレンドさせて音にしている・・・という感じなのでは?

むろん、指揮者ではないし、指揮したこともないので分からないけれど・・・

ピアノ演奏で、この感覚で演奏してみたら何が出てくるんだろう?指揮者のように弾いてみる・・・

これは指揮者、エフゲニー・スヴェトラーノフのピアノ演奏。ラフマニノフの「ヴォカリーズ」・・・

そう、この感じ。この感じなんだよな・・・

指揮者のピアノ・・・という感じ。

kaz



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category: ピアノ雑感

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共同作業 

 

フィギュアスケートでの素晴らしい演技、思わず見入ってしまうような演技、あっという間に終わってしまうような演技、これらの演技は、むろん選手の演技そのものが素晴らしいのは当たり前として、コーチの指導、そして振付師の力も相当関係しているのではないかと思う。特に、演技が「各エレメンツの集合体」ではなく「作品」として感じられる場合はそう思う。そもそも素晴らしい演技と感じるのは、4分なりの演技が作品として感じられるからでもある。

やはり曲名を紹介しているのだったら、振付師の名前も紹介して欲しいな・・・と思ってしまう。ピアノ演奏もそうだと思うけれど、演奏とか演技としてのパフォーマンスって、演じている本人だけではなく、指導している側との共同作業という側面があるような気がするから。特にフィギュアスケートの場合、コーチはもちろん、振付によって、演技内容の印象が相当変わってきてしまうような気がする。

熱心なスケートファンだったら振付師に関しても調べたり、詳しかったりするのかもしれないが、テレビ観戦をしている一般のファンは意外と振付師のことまでは知らないのではないだろうか?

例えば、羽生選手の今シーズン、そして昨シーズンのショート・プログラム、今年はショパンのバラード、昨シーズン、つまりオリンピックシーズンは「パリの散歩道」だった。このあたりまでは誰でも知っているのだが、振付師が誰かまでは知っている人は意外と少ない。両シーズンのショート・プログラムの振付師は、あのジェフリー・バトルなのだ。

ジェフリー・バトル・・・

元カナダのシングルの選手で、2008年ワールドの金メダリストでもある。2008年、そう、ついこの間まで現役の選手だった人なのだ。むろん、振付師としてのキャリアは非常に浅い人となる。ジェフリー・バトルは、パトリック・チャンのショート・プログラムも振付している。なので、ソチ・オリンピックの男子ショートのメダル争いをしていた有名選手のうち、2名も振付を担当していたことになるのだ。むろん、バトルに振付師としての才能もあったのだろうが、まだ若い彼に振付を依頼した方も相当勇気があったような気がする。

ジェフリー・バトルの現役時代の演技。何といったらいいのだろう、ものすごくスケーティング・スキルの高い人だと思う。豪快なジャンプで攻めるタイプではなく、エッジワークや美しいスケーティングで魅了する選手だ。

この演技は2008年にバトルが優勝した時のフリー演技だが、むろん、バトルのスケート選手としての魅力もあるのだが、振付の魅力も相当あるのではないだろうか?このフリー演技の振付はデヴィッド・ウィルソン。

デヴィッド・ウィルソンという振付師がどの選手の、どの演技を振付をしているのか、そしてこれからジェフリー・バトルはどの選手の振付を担当するのか・・・とても興味が出てくる。出てきません?

これは蛇足だが、ジェフリー・バトルは美形でハンサムな選手で有名でもあった。バトルはアイスショーで現在も演技しているので、ファンも多いと思う。特に女性ファンが多い。「きゃっ、かわいい・・・」

でもバトルは結婚してしまった。男性と・・・

このあたりは知らなくてもいい情報かもしれない。

振付師の名前もテレビに出して欲しいな・・・これは知りたい情報だから。

kaz



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category: The Skaters

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振付師 

 

最近は、あまり観なくなったけれど、フィギュアスケートは好きだと思う。演奏家と同様、僕はどうも昔の選手というか、演技を観るのが好きで、最近の試合戦績などは、あまり詳しくはなかったりするが・・・

最近気がついたのだけれど、テレビの試合放映で、選手の名前がアナウンスされ、画面に映し出される時、選手の名前、年齢、国籍(国旗が選手の名前と共に案内されるケースが多いか?)、使用する音楽、コーチの名前、そしてシーズンベストのスコアとかフリー演技であれば、ショートの成績などが画面に紹介されると思う。

この時、振付師の名前は紹介されるのであろうか?試合によっては紹介されているのかもしれないが、僕は見た記憶はない。紹介されないのだったら、とても不思議なことだと思うし、コーチの名前が紹介されて振付師の名前が紹介されないのは、少し残念なような気がする。

今シーズン、羽生選手のフリーは「オペラ座の怪人」だけれど、このプログラムの振付師はシェイ=リン・ボーンという元カナダのアイスダンスの選手だ。僕は、羽生選手がブライアン・オーサーのもとで滑るようになったから、てっきり振付はデヴィッド・ウィルソンが担当しているものと思っていた。前シーズンのフリー、「ロミオとジュリエット」はデヴィッド・ウィルソンの振付だったので、今シーズンもそのように思いこんでいた。オーサーとウィルソンはユナ・キム選手が活躍していた頃から、とても結びつきが強かったので(今もだろうが)、僕のように思っていた人もいるのではないだろうか?

シェイ=リン・ボーン・・・

現在は、振付師としても活躍しているみたいだ。羽生選手だけではなく、日本人選手のプログラムを振付したこともある。たとえば、鈴木明子選手の、あの名プログラム「ウエストサイド・ストーリー」もシェイ=リン・ボーンの振付だった。

シェイ=リン・ボーン・・・やはり、「マイケル・ジャクソン・メドレー」が現役時代の演技では印象深い。当時(今も!)はとても斬新なプログラムだった。重厚でクラシカルな振付が多かったアイスダンス(今も!)に新しい風・・・のような印象だった。

この時の「マイケル・ジャクソン・メドレー」、このフリー演技を振付したのは、あのタチアナ・タラソワだ。このようなことも知っていれば、「へぇ・・・そうなんだ」という面白みが増すのではないだろうか?

フィギュアスケート、振付師の役割はとても大きいのではないだろうか?

画面で紹介して欲しい。

kaz



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category: The Skaters

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Feel Free! 

 

ガブリーロフは今では演奏活動を行っている。ただし、若い頃、スターだった頃のような騒がれ方はしないので話題性はないかもしれない。「そういえばガブリーロフっていたねぇ・・・最近聞かないけど、どうしたんだろう?」などと思っている人の方が多いのかもしれない。

Aはヨーロッパ(どの都市でのリサイタルなのかは訊き忘れた)で現在のガブリーロフの演奏を聴いている。

「人によっては個性的で大胆な演奏と感じるかもしれない・・・」

実はユーチューブでも現在のガブリーロフの演奏を聴くことはできる。僕が聴いて印象的だったのがショパンのノクターン。月光に照らされながら夢心地にノクターンを奏でる青白い病弱なショパン・・・などというショパン演奏像は、吹っ飛ぶようなノクターンだ。

Aはガブリーロフの演奏を別段「個性的」とは感じないそうだ。実は僕もそのようには感じない。でも保守的な人にとっては受け入れがたい演奏なのかもしれない。どことなく「そんなふうに弾いてはいけませ~ん」とか「絶対にマネをしてはいけません。聴いてはいけませ~ん」とか言われそうな演奏ではあるのかもしれない。

そのような演奏を「ショパンでしょ?」とスンナリと受け入れることができてしまう自分が、変わり者なのかもしれないが・・・

Aによれば、青白いショパン像というものは、世界中に浸透していて、この時のガブリーロフのノクターンに対しては、ヨーロッパの聴衆もどこか戸惑ってしまうこともあったのだそうだ。

あまりに想像値のショパン、ノクターンとは異なる演奏なので、演奏が終わっても「えっ・・・ショパンよね?・・・ノクターンなのよね?」のような控えめな拍手。でもそれも最初だけで、彼がノクターンを弾き続けるうちに、拍手は盛大に、そして鳴り止まないほどになっていったのだという。

個人的に、僕が「ガブリーロフ」を最も感じたのが遺作の有名なノクターン。この曲は有名なのだけれど、実は聴くのはとても苦手。弾いたことはない。弾く気がしない・・・というか・・・

最も「青白いショパン」を感じさせる曲のように思っていた。実際にそのような演奏・・・多いような気がする。

ガブリーロフ自身も自分のノクターンが、最初はどのように受け取られるのか分かっているようだったという。「えっ?」「ショパン・・・よね?」のような戸惑いがちな客席にむかって彼はノクターンを一曲弾き終えると、このように言ったのだそうだ。

「Feel free!!!」



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category: あっぱれ麗し舞台

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暗闇の中で・・・ 

 

ガブリーロフがピアノ界から姿を消した、消えなければならなかった原因は彼のキャンセルだ。

ベルギーでの演奏会、王族、つまり王妃さまたちも列席したリサイタル、もちろんチケットも完売。大事な演奏会だったはずだ。聴衆はガブリーロフの登場を待っている。

「弾きたくない・・・弾かない・・・」

「えっ???」

周囲は驚愕したことだろう。冗談だと思ったのかもしれない。でもガブリーロフは弾かなかった。その後も大事な演奏会での、いわゆるドタキャンが相次いだ。そして彼はピアノ界から完全に干されてしまった。

率直な感想だが、演奏家のドタキャンというものは聴き手からすれば許しがたい行為だと思う。演奏曲目の変更なども僕は好きではない。その演奏家の、その曲を聴きたいと思って会場に来た人だっているはずだ。そのような目的でお金を払った人に対して、少し誠意が足りないような気がする。

でもピアニストだって人間だ。機械ではないのだ。

この時の心境だが、彼は「何か違うと思った。芸術を作り出していくって、こんなことの繰り返しではない・・・」と説明している。当然、ガブリーロフは自分の行動に対しての報いを受けることになった。もう誰も彼に弾かせてみようなどとは考えなくなったのだ。また急にキャンセルされるかもしれない・・・

新譜も出なくなった。DGからの解雇、彼は財産も家も、そして家族もすべてを失った。それから何年も暗闇の中を彷徨った。

「また演奏できるかもしれない、ピアノを弾きたいと思えるかもしれない・・・」

でも、何かがかみ合わない。復帰までには至らない。

「何故ピアノを弾くのだろう?」

この答えが見つからなかった・・・

ある瞬間に、ふと開けたのだそうだ。音楽が感じられたのだそうだ。自分の奏でる響きの中に、演奏する意味を見出した、演奏する目的を見出したというか・・・

ガブリーロフが再び演奏する姿を人々に見せたのは、2000年あたりからではなかっただろうか?

「弾きたくない・・・」

その直前に彼はバッハを弾いていた。そして復帰した時に弾いた曲も、またバッハだった。

復帰した彼は、少し太ってしまったようにも感じるが、なによりも外見が変わった。髪型、光り物・・・

自然体になったというか・・・

ガブリーロフはスター街道を今は走ってはいない。あの頃のガブリーロフではないのだ。

何故ピアノを弾くのだろう?

ガブリーロフのバッハは、一つの答えのような気もしている。

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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葛藤 

 

キーシンというピアニストは嫌いでも好きでもないという感じではあるのだけれど、「期待を裏切らない」というピアニストだとは思う。むろん、彼も人間なので、日によって不調な日だってあるだろうが、新譜を聴いて期待を裏切られるようなことは、まずない。「このような世界を繰り広げてくれるのだろう」という聴き手の期待を満足させてくれる。

そのような意味で、ガブリーロフというピアニストは昔から「つかめないピアニスト」だったような気がする。聴いてみるまで分からないというか・・・

少なくとも「優等生的」なピアニストではなかったと思う。とても叙情的な演奏をするかと思えば、「これ、パロディですか?」と思いたくなるような超スピードで弾き走ってみたり・・・

スター時代のガブリーロフには、「自己を抑制すれば、さらに良くなる」という評価もあったように思う。とても人気のあるピアニストだったから、年に何枚も新譜が出ていたように思う。EMIとDGから発売されまくったという印象だ。実際に、ガブリーロフの演奏といえば、この時代のものとなる。

聴いてみるまで、どのような演奏をするのか予測できない・・・という面白さがあったのと同時に、どうして自分を統一しないのだろう・・・という不思議さもあった。

Bach: Goldberg VariationsBach: Goldberg Variations
(1993/09/01)
Andrei Gavrilov

商品詳細を見る


このガブリーロフの「ゴルドベルク」は大好きな演奏だ。ガブリーロフのバッハは評価が分かれていたように思う。専門家筋には「ロマンティックすぎる」のように言われていた記憶がある。このCDが発売された頃は、今よりもさらに「原典主義」の濃い時代だったように思う。できるだけ当時の演奏の再現・・・ということが流行った。楽器も復元されたものを使用し、オケの編成なども、こじんまり再現されることが流行ったように思う。むろん、演奏スタイルも、できるだけ当時のものを再現したような演奏が流行った。ガブリーロフのバッハは、そのような流行とは正反対の位置にあったように思う。

「ゴルドベルク」のCDがDGから発売されたのが1993年。ガブリーロフがピアノ界から姿を消した年も1993年だったように記憶している。

「演奏したくない・・・」

この彼の「ゴルドベルク」に彼自身の葛藤が感じられるのは僕だけであろうか?

むろん、彼の葛藤は、いかにバッハを表現するかなどということではなく、もっと根本的な「何故ピアノを弾くのだろう?」「演奏するとはいったいどのようなことなのだろう?何を意味するのであろうか?」ということであったとは思う。

この「ゴルドベルク」は彼が葛藤していた時期の演奏であるのは確かなのだ。

kaz



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category: ピアニスト

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ピアノ・・・弾きたくない 

 

中学生になると部活や塾通いで忙しくなる。ピアノが嫌いではなくても、練習する時間がなくなる。むろん、忙しい生活でもピアノを続ける生徒もいるだろうが、やはり辞めてしまう生徒の方が圧倒的に多いのだという。

仕方がない・・・と思っている人はいないだろうが、やはりなんとも勿体ない話だとは思う。不思議に思うのは、何故レッスンのコースというか、毎週とか毎月とか、定期的なレッスンに拘るのだろうか・・・ということ。「練習できていなくてもいいから、とにかくピアノのレッスンにはいらっしゃい」というのも、なかなか難しいのではないかと思う。

かといって、「弾けるときに、いつでもいいからレッスンにいらっしゃい」では弾けるときなどは作り出せない。これは僕のような大人再開組でもそうなのだ。なんらかの束縛というか、自分を追い込むのような状況がないとピアノなんて弾かなくなる。たとえば、サークルに入って定期的に人前で弾く機会を作らないと、ピアノの練習を継続していく、毎日の生活の中にピアノを組み込んでいくのは難しい。

この「弾く機会」というもの、これは結構重要なのではないだろうか?

「ピアノ・・・辞めます・・・塾とか大変なので・・・」

このような場合、「演奏の場」というものを先に生徒に与えてしまって、生徒の自主性に任せてしまったらどうだろう?たとえば、一年後に10分のステージ・・・のような。発表会で一曲弾く、ではなく、自由に自分の10分を生徒自身がプロデュースするという感覚?別に難曲を弾かなくてもいいのだ。生徒が自分なりにテーマに添ったステージを作り上げていく、たとえば、フランスのワルツを集めるとか、イタリアンのバロックのシンプルなもので舞台を構成するとか、あるいはインヴェンション数曲によるバッハの世界とか・・・

ただし、この場合、生徒自身が選曲できなければならない。ある程度のクラシックのピアノ曲を知っていなければ自分の10分をプロデュースするのは難しいだろう。また、やはりある程度の技量がその時点で伴っていなくても困難だろう。アニメの曲をやっと弾いている・・・ではやはり難しい。小学校の高学年までに、どこまで教えられているか・・・ということが非常に重要なのかもしれない。

このステージに登場するということだけでも大変なことなのだ。辞めてしまうのだったら、一年に一回でも自分で選曲し、自己責任でステージをプロデュースできたら素晴らしいと思う。中学生とか高校生の時期って、このようなことが好きなんじゃぁないかと思うが・・・

でもずば抜けた才能を持っていて、なんでも楽々と弾けてしまって・・・という人でも「なぜ弾かなくてはいけないのだろう?」と思ってしまうことはあるみたいだ。たとえば、アンドレイ・ガブリーロフのような・・・

彼は十代でチャイコフスキー国際コンクールで優勝してから、まさにスター街道を突っ走ってきたピアニストだ。プロの世界では、ピアノを聴きたい人よりもピアノを弾きたい人のほうが、はるかに多いのであるから、何年も先まで演奏スケジュールが決まっていて、演奏できること自体が、多くの人にとっては憧れの的であっただろう。「弾かせてください」ではなく「弾いて下さい」と言われる人は、そう多くはないのが現実だと思う。なのに何故「弾きたくない・・・」と彼は思ってしまったのか?

何故ピアノを弾くのだろう?

この部分、目的のようなものって、以外と答えを見つけるのは難しい。明確に答えられる人の方が少ないのではないかと思う。すくなくとも、僕は明確には答えられない。好きだから・・・ではあるけれど、練習はひたすら面倒だ。人前で弾くのも緊張するし、演奏後は「自己否定」のような感情が渦巻いてしまう。でも弾くわけだが・・・

何故だろう?

ガブリーロフのように「ラ・カンパネラ」が弾ければ、僕だったら「弾きたい、もっと弾きたい、もっと弾かせて・・・」などと思うだろう。でも彼は突然、「ピアノ・・・弾きたくない」と思ってしまったのだ。

何故だろう?

kaz



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category: ピアノ雑感

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僕のユダヤ音楽 

 

「kazは日本の人だから、信仰を持っているとしたら仏教なのだろうか?」

Hは僕に訊ねたけれど、たしかに僕は初詣にお寺に行ったりはするし、そこで祈ったりもするけれど、年によっては、お寺ではなく神社だったりもするし、両方にお参りしたりもする。つまり仏教を信仰しているとは言えない。

このあたりの事情を説明するのが面倒だったので、たしか「僕は無宗教なんだ・・・」と答えたような気がする。

Hはユダヤ人であるので、ユダヤ教を信仰していた。食べるものに規律があったりして、あの頃は「ユダヤ教ってなんだか大変なんだな・・・」などとは感じた記憶がある。ユダヤの音楽などは、彼はよく聴いていたように思う。でもユダヤ教やユダヤの音楽を僕に説明したりすることは一切なかったと思う。

瞳を閉じて、じっとユダヤの音楽を聴く彼は、どこか近寄りがたい雰囲気もあり、音楽愛好家としては、興味の持てそうなユダヤ音楽だったけれど、音楽を聴いている時の彼に話しかけたりすることは何故かできなかった。

「僕らは流浪の民だからね・・・僕には祖国がないんだ・・・故郷がないんだ・・・」

細かなことは忘れてしまったのだけれど、Hの友人たちの飲みに行ったことがある。彼の友人たちもユダヤ系ポーランド人で、ユダヤ教を信仰していた。飲みに行ったお店はマンハッタンにあったのだったか、ブルックリンだったのか記憶が定かではないのだけれど、ユダヤの音楽の生演奏をバンドが演奏していて、ポーランドの郷土料理なども提供されていたように思う。床におが屑が撒かれていたのが印象的だった。

むろん、宗教の話題に関して会話したりなどはせず、普通に話していたように思う。「日本から来たの?何を専攻しているの?」のようなことを話していたと思う。

バンドが、ある曲を演奏した時に、「あれ?この曲・・・聴いたことがある」と思った。聴いたことがある…だけではなく何故か歌える・・・一部だけだけれど・・・

僕が小さな声で歌うと、驚いたのが同じテーブルにいたポーランド人たちだ。

「えっ?何故君がこの曲を知ってるの?何故歌えるの?何故日本人が知ってるの?」と全員が僕に注目した。

マイム・マイム・ミィマイム・ベッサンソン・・・

「えっ?あなた日本人でしょ?何故ヘブライ語を知っているの?」

はぁ・・・ヘブライ語なんだ?

別に宗教的なことからではなく、多くの日本人はこの曲を知っているはずだ。小学校やキャンプなどで誰でも踊った経験があるのではないだろうか?

「マイム・マイム」

「日本では、フォークダンスとして、学校で教わるんだ。運動会とかそのような時に全員で踊るんだよ・・・」

「フォークダンスって???」

「もしかして、踊れるの?」

「皆で踊ろうよ、日本の人が知っているなんて・・」

「マイム・マイム」のマイムは、パントマイムからきているのかなと思っていたのだけれど、マイムとはヘブライ語で水を意味する言葉なのだそうだ。イスラエルという未開拓の土地で、水をひいて開拓に励む喜び、祖国を得た喜びを表現している。歌詞は旧約聖書のイザヤ書から採択されたもので、曲はポーランド人のアミランという人が作曲したものなのだそうだ、ユダヤ人なら、まず踊れる曲、歌える曲らしい。

「これはユダヤの曲なのよ・・・感激だわ、日本人が知っているなんて・・・」

ニューヨークで「マイム・マイム」をユダヤ人たちと踊った。驚いたことに、踊り(というか振付?)も小学校で習ったものと一緒ではないか・・・

これが本場の「マイム・マイム」・・・



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愛の小径 3 

 

ラスカルとスパロー(Rascal & the Sparrow-Poulenc Meets Piaf)ラスカルとスパロー(Rascal & the Sparrow-Poulenc Meets Piaf)
(2014/02/05)
アントニオ・ポンパ・バルディ

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来月、サークルの練習会がある。先日演奏会を聴きに行ったとき、サークル仲間も聴きに来ていて練習会の話題になった。「kazさんは何を弾くの?」その時に初めてまだ自分の弾く曲すら決めていないことに気づいたのだった。年末年始と旅行したりしていたので、なんとなくそうなってしまったのだ。でもあと半月しかないんだねぇ・・・

ということで、急に焦り始めて曲を検討したりしていて「愛の小径」という候補が出てきたのだ。

多くの歌手の演奏、マイスキーの演奏を聴き、そしてピアノ版の「愛の小径」を聴いた。ある日本人ピアニストの演奏だったのだけれど、それを聴いて「ピアノで弾くシャンソン」というものへの無謀さを感じてしまったのだ。

その演奏は、なんというか、事務処理をサクサクとこなしているようで、どうにもならない。そのピアニストがどう・・・というよりはピアノで弾くことそのものに無理を感じてしまったというか・・・

「愛の小径を弾いてみたら?」

Aはそう言っただけで、その時は自分が「愛の小径」をCDに録音していたことを僕に言ってくれなかったけれど、Aが実に素敵なCDを出していたことを知った。このアルバムは、プーランクの歌曲をA自身が編曲し、そしてエディット・ピアフが歌った作品をロベルト・ピアナという人が編曲したものを集めたもの。実に素敵な編曲であり素敵な演奏だ。このCDのAの演奏でピアノでも事務処理的ではないプーランク歌曲の演奏が可能であると感じたのだ。

実は「愛の小径」の楽譜はクリックして注文しただけで、まだ到着していない。そろそろ手元にないと心配なのだが・・・

これはAの演奏。CDの演奏ではなく、スマートフォンで録音したもの。



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愛の小径 2 

 

夢のあとに~フレンチ・ソングス・ウィズアウト・ワーズ夢のあとに~フレンチ・ソングス・ウィズアウト・ワーズ
(2010/11/10)
マイスキー(ミッシャ)

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昨年、フォルクローレの名曲「アルフォンシーナと海」をピアノで奏でてみようと決心できたのは、同曲の器楽の演奏を聴いたからだと思う。「ああ、あの歌の世界を楽器でも表現できるんだ」という驚きと肯定を感じたのだ。その時はローラン・ディアンスのギターの演奏を聴いた。

今回、「愛の小径」も「弾けたらいいな・・・」から「ピアノでも表現できるかも?」と気持ちが動いたきっかけは、やはり器楽の演奏を知ったからだ。今回はチェロのミッシャ・マイスキーの演奏。

マイスキーは、歌曲をチェロで演奏することにとても積極的な人なのだと思う。むろん、美しい歌曲をチェロに編曲して演奏するということ自体は珍しいことではない。ラフマニノフの「ヴォカリーズ」やフォーレの「夢のあとに」などの曲は以前からチェロやヴァイオリンなどに編曲され違和感なく名曲として演奏され、聴かれてきた。

ただ、ロシア歌曲だけ、シューベルト、ブラームスの歌曲だけを集め、それぞれのCDを製作し、演奏会でも演奏していくというマイスキーの姿勢は珍しいものなのではないかと思う。

正直、シューベルトやブラームスの歌曲に関しては、マイスキーの演奏、というかチェロ版そのものの印象は、オリジナルの歌曲には遠く及ばないという感じを受けた。ロシアものも歌手の演奏の方がいいなと思う。ただ、フランス歌曲に関しては、僕はあまり歌曲としての演奏を聴きこんでいないので、あまり違和感なく聴ける。ただし、デュパルクの歌曲などは、そのまま歌曲として聴きたいとは思うし、プーランクの歌曲に関しても、例えば「C」(シーではない。セーと発音します)等の曲を聴くと、ベルナックなどの歌手で聴きたいと思ってしまうけれど、「愛の小径」はすんなりと聴けた。

歌詞がなくても「過去を見つめている」という空気は生み出せるのだと思った。

ただ、チェロのような弦楽器は発音してからも音は減退するだけではないので、歌うということに関してはピアノよりも有利なのではないかと思う。「器楽で・・・」ということでは可能性を見いだせるけれど「ピアノで・・・」となると・・・

kaz



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愛の小径 1 

 

CとAという二人のピアニストと過ごしている時、僕のピアノも数曲聴いてもらったりしたのだが、僕が「アルフォンシーナと海」を弾き終わった時に、Aが言った。

「プーランクの愛の小径・・・弾いてみたら?」

「愛の小径」は、もともとは舞台女優であったイヴォンヌ・プランタンのために書かれた曲なので、シャンソン、歌曲の間にあるような中間的な位置づけにある曲なのではないかと思う。

ピアノのための即興曲集の中にも「エディット・ピアフに捧ぐ」というシャンソン風(というより、もろシャンソン?)の曲があり、あの曲は演奏される機会は多いような気がするが、「愛の小径」はピアノで弾くということを想定する時に、難しいところもあるような気がした。

おそらく、この曲はプーランクの曲の中で、最も通俗的な曲になるのではないだろうか?もともとが劇の中で歌われた曲でもあるし、クラシックの演奏会で「大真面目に」歌われることを想定した曲ではないのだと思う。でも最も通俗的であると同時に、プーランクのメロディーの中で、最も甘美で美しいメロディーの曲でもある。

「触れてみたい」と思った。この甘美な世界に触れてみたいと思った。旋律にも惹かれたが、「人生はすべてを消し去ってしまうものだけれど、僕はあなたとの愛の小径を決して忘れない・・・」という歌詞にも惹かれた。

あまりにも「愛の小径」は美メロディーの曲なので、ピアノで弾いている人もいるのは知っていて、ピアノ用の楽譜も存在しているのも知っていた。ただ、その楽譜はビジュアル的に購入しにくいものがあったし、編曲もシンプル・・・というか、事務的な感じがしたので、オリジナルの歌曲の楽譜を購入した。もちろん、歌とピアノの3段譜になるけれど、伴奏もメロディーを追っているので、そのまま伴奏を弾いても曲になる感じはした。

クラシックの歌手たちも「愛の小径」をクラシックの歌曲として歌っているが、多くの歌手は、この曲の持つ通俗性に戸惑っている感じがする。あまりにもサラサラと歌いすぎるのだ。形としてはシンプルな曲ではあると思うのだが、失なわれた愛、人生を振り返る・・・という甘美さがあまり感じられない。

ナタリー・シュトゥッツマンという歌手の歌唱は、その点をクリアしていて、彼女の歌唱は大好きだ。ただ何故かユーチューブには彼女の「愛の小径」はアップされていないようなので紹介することはできない。

イヴォンヌ・プランタンの歌唱も見事なもので、セピア色のパリが浮かんでくるような歌唱だ。でも、あくまでもクラシック作品として紹介したいとも思うので、ジェシー・ノーマンの歌唱を載せることにする。彼女はこの曲を録音しているし、とても好きな曲であったようで、演奏会のアンコールで盛んに歌った。クラシックの歌好きにこの曲が広く知られるようになったのは彼女の功績も大きいと思う。

とても濃厚な表現だと思う。なのでピアノで触れるのは難しいと思っていたのだ。

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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あなたはあなたなのだから・・・ 

 

どうも、ただ音符を忠実に並べているような演奏になってしまう・・・

このことについて、前記事で主に打鍵のタイミングやら打鍵そのものについて素人考えを綴ったのだが、それよりも「意識」の問題がより重要なのかもしれないなどと思っている。「意識」そして「習慣」だろうか?

自分の演奏を「並べ弾き」と思っている人が、「ああ、あのように弾けたら」と心の中で憧れる演奏、この場合の「あのように・・・」とは各部の表現そのものがどうというよりは、その憧れのような演奏、自分とは違う何かがあるという演奏が「演奏者の内側から溢れてきているような演奏」をしているからではないだろうか?細部の表現がどうとかではなく、その演奏が自然発生的に内側から出てくるような演奏なので「ああ・・・あのように弾けたら」と思うのだ。

視覚情報として楽譜を読み、そして音にしていく。つまり譜読みだ。音が並べられるようになってきたら、表現というものをつけていく。この場合も視覚情報に頼りすぎてしまうのだ。フォルテだから強くとか、クレシェンドと書いてあるから盛り上げて・・・のように。あくまでも視覚情報を咀嚼し、反復し楽曲としていく作業がピアノを弾くことになってしまっている。

でもそうではない演奏をする人がいる。そして自分と比較する。「ああ、あの人はあんなに歌うように弾けている。音楽が流れているし、あの人の音楽という感じがする。なんであのように弾けるのだろう?感性の違い?音楽性の違い?そうなんだわ。才能が違うのね・・・」

この場合、才能というよりは「意識」の問題なのでは?あまりに視覚的なものから入り、そして最初はそれでもいいのかもしれないが、人前で演奏する本番の段階になっても視覚的なものを音にしていくという意識から抜け出せない・・・ということが問題なのではないだろうか?

楽譜を音にしていくという作業は、どちらかと言えば、外部情報を自分に入れていくという感覚が強い。つまり外から中への方向なのだ。でもどうだろう?舞台に出ていき、ピアノの前に座る。もちろん楽譜はその時には譜面台にはない。スポットライトを浴びながら、やけに白く感じる鍵盤を見ながら、弾き始める。この時に必要なものは自分の中から外への方向性なのではないかと思う。弾くということは自分の中を出していくということを要求される。

ここで方向性として「外から中」だけの意識で練習してきた人は戸惑うはずだ。その人は完璧な記憶だけが頼りになるから。空白の時間を作らないように、記憶が続くことだけを祈りながらピアノを弾いていく・・・

でも聴いていて魅せられてしまう演奏って、そのような演奏ではないはずだ。方向性としては「中から外」の演奏なのではないだろうか?

その人ならではの演奏、その人が「真から~のように弾きたい」という何かが痛いほどに伝わってくる演奏・・・

練習、曲を仕上げていく段階のどこかで「方向性の転換」というものが必要なのかもしれない。

練習を積み重ねていけば、音はソツなく並んでいく。先生は生徒の演奏を聴いて、「ここはもっと~のように」とか「この部分は歌うように」とか指導していく。そして暗譜もできて、本番・・・

ここで問題なのは、この場合、全部が外部からの情報だということだ。先生のアドバイスも含め、全部が「外から中」という方向性だ。どこかで「中から外へ」という方向性が必要となってくるのでは?

これはニコライ・ゲッダの歌うラフマニノフ。レメシェフが歌っていた曲と同じ曲だ。でも曲へのアプローチは当然異なる。異なるが、共通しているものがある。それは「中から外」という方向性を感じる演奏ということだ。レメシェフのラフマニノフであり、そしてゲッダのラフマニノフなのだ。

あなたはあなたなのだ。僕は僕・・・

あなたの演奏が聴きたい・・・

僕の演奏をしたい・・・

kaz



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ピアノが上手くなりたい! 

 

今日はサントリーホールに演奏会を聴きに行った。ピアチェーレの演奏会にも聴きにきてくれたピアニストでピアノの先生の演奏。素晴らしかったと思う。思わず聴き入ってしまった。それは、表面上、整っていたとか、そのようなことではなく、演奏者の内なる何かが演奏というものに明確に表出されていたからだ。このような演奏は残念ながら非常に少ない。

演奏する側の観点からだと、演奏というものは「いい演奏」「まあまあの演奏」「少しだけ何かが足りないけれど整理された演奏」・・・など無数に段階があるのだろうけれど、聴く側からすると、演奏というものは単純に「惹きこまれる演奏」と「退屈な演奏」にしか分けられない。どんなに練習の成果を感じ、ミスもなく粒も揃っていて、そして弾きこまれていても、退屈な演奏は退屈なのだ。まことに聴き手というものは残酷なものなのだ。

本日の、その方の演奏は、非常に心に沁み渡り、訴えてくる演奏であったので、具体的な感想をさらに書いていってもいいのかもしれないが、今日の感動を、ちょっと異なる形でブログには残してみたいと思った。自分への忘備録というか覚書というか、今日の感覚を忘れずに、自分の演奏というものに少しでも生かしたいというか・・・

ピアノを習っている人の中には、音さえ並べられればいいという考えの人もいると思う。それはその人の考えであるし、一つの考え方であると思う。でも僕は、素晴らしい演奏に接したら、「自分もあのように弾きたい」と思う。僕のように感じる人は多いのではないかと思う。この想いはプロだとか、音大生だとかアマチュアだとか、そのようなこととは関係なくあるもののような気がする。「自分もあのように素敵に弾けたら・・・」という熱望・・・

今日、もう一つ感じたのは、偉大な歌手の歌を聴く重要さを再認識したこと。偉大な歌手の歌は、ピアノよりも「どのように偉大な演奏というものが成り立っているか」ということを明確に示してくれているように僕は感じる。

歌を聴かなければ・・・ではなく、逆の発想をしてみたらいいのだと思う。自分の演奏に足りないところを考えてみればいいのだ。そのところを偉大な歌手は教えてくれると考えたらどうだろう?実際にメールで僕に訴えてくる人の数から想定しても自分の演奏には何かが足りないと感じている人は相当数いると僕は感じている。

最も多いのは「ただ音を並べているようにしか弾けない」という悩み。練習を重ねれば、弾けない箇所は弾けるようにはなるし、それなりには弾けてはくるのだが、それ以上のところへどうしてもいけない。強弱はつくけれど、表情がつかないというか・・・

先生に相談しても、「まっ、練習しかないわね」とか「いい音楽を聴くことです」なんて逃げられてしまう・・・

僕が思うに、「並べ弾き」の人に共通しているのが、移動と打鍵が同時であるということだ。ピアノはタッチが命。ピアノは弾く・・・というよりも、圧力をかけてコントロールしながら鍵盤を「押し込んでいく」という感覚の方が近いような気がする。移動と同時のタッチだとコントロールがつかないし、下部雑音の多い音しか出せない。強弱はつけられるけれど、奥行きがないというか平面的な音の羅列になってしまう。ピアノのタッチは「準備」が命なのだ。キーを押す前に必ず鍵盤上での指の「待ちの時間」「準備の時間」が必要なのだ。それがないとコントロールできない。なぜハイフィンガー奏法がいけないのか、それは準備がしにくい奏法だからだと思う。押すではなく「打ち下ろす」という感覚に近いものになってくる。

もう一つ、「並べ弾き」の人に多く聴かれるのが、「弾きすぎ」ということ。よく「鍵盤の底まで弾きましょう」などと言われるが、底まで弾いたら弾きすぎなのだ。鍵盤を押すと、最初に音の鳴らない部分がある。そして音が鳴る部分、そこを通り越して下まで弾くと、また音の出ない部分があるはずだ。この音の鳴る部分を「狙う」という感覚が必要だと僕は思う。途中の微妙な部分で「音を作っていく」のが大切なのではないかと。下まで全部弾いてしまうと、とても頑張っているという演奏にはなるとは思うけれど、そして楽観的、かつ好意的に感じようとすれば、明朗な演奏とも感じられるのかもしれないが、どこか「ラジオ体操の伴奏的演奏」のようなものに近くなってしまう。この弾き方でショパンもラフマニノフも弾いてしまおうとするのは、少し強引のような気がする。

ここまでは「発音」、そのための「準備」「コントロール」という話。もう一つ、そして偉大な歌手たちが最も明確な形で演奏に残してくれているのが、「音のエネルギー」ということだ。ピアノは押せば音が鳴ってしまうし、音の数が多いので、どうしても「視覚からの情報(楽譜)をただ習慣的にピアノに移してしまう」ということを無意識に行ってしまう。ドレミファソ・・・とあれば、視覚情報そのまま、ただドレミファソと弾いてしまう。実はドレミファソは、音が上昇しているので、そこにはエネルギーの増大があるのだ。「気が増大していく」と言ってもいいかもしれない。そこにはエネルギーが生まれていくのだ。歌だと、それが自然につきやすいのだが、ピアノだと相当意識しないとエネルギーや「気」というものは演奏に反映しない。

ドーソという上昇の音型があり、ソにアクセントがあった場合、習慣的に弾いていただけ、視覚情報を楽器に移していただけの人は「ソを強くするのね」と無意識に思う。そうではなくソの上のアクセントはドとソの間の緊迫感を作曲者は表そうとしたのかもしれない。重要なのは「強い音のソ」ではなくドからソの間のエネルギー増大なのかもしれないのだ。偉大な歌手の歌は、そのようなことを実に明確に演奏に反映させているし、ピアノを弾く場合への応用というものも示してくれているように思う。

レメシェフの歌うラフマニノフ・・・たった2分ほどの音世界・・・

でも、彼の歌には、上記のすべてが明確な形で実践されている。

音が上昇していく・・・クレシェンドしていく・・・かな?もしかしたら作曲者は「憧れ」が増大していくのを表現して欲しかったのかもしれないよ・・・

歌を聴こうよ!

kaz




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category: ピアノ雑感

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祖国 

 

ポーランドという国、よほどインパクトがあったらしい。この国は訪れてみたい国でもあったし、どこか訪れるのを躊躇していた国でもあった。気楽な観光などはできない国なのだ。普通に観光してもホロコーストというものとは無縁ではいられない国なのだ。

ワルシャワの旧市街、世界遺産に登録されている。何の予備知識もなく散策すれば、古い街並みが残っていると思うだけかもしれない。でもワルシャワという街はドイツ軍により、ほぼ壊滅させられた街でもある。ワルシャワは廃墟となり荒野になったのだ。旧市街も例外ではない。この旧市街は戦後に再建された街なのだ。絵画や写真を基に瓦礫なども再利用させ、壁の染みなども忠実に再建されたという。基本的に世界遺産は再建されたものは登録されないのが普通だけれど、ポーランド国民、ワルシャワ市民の熱意、執念が評価され世界遺産として認められたのだ。街そのもの、そして再建したという熱意そのものが遺産として登録された珍しい例でもある。

この熱い執念のようなもの・・・そして友人であったHとの想い出も絡まってきてポーランドの印象がより強く僕に残ったのだと思う。

「ジェイン・ドブリィは日本語だとどうなるの?」

Hと初めて会ったとき彼は僕に言った。

「こんにちは・・・かな」

「こ・ん・に・ち・は  こ・ん・に・ち・は・・・難しいね」

Hはルームメイトを募っていて、僕は彼と共同生活をすることになった。留学生とはいっても、僕は30歳を過ぎていたので、ハイスクールを卒業したばかりの若い学生ではなく、落ち着いた大人とのルームシェアを望んでいたので、僕よりもはるかに年上のポーランド人であるHは僕にとっても理想のルームメイトだったのだ。

Hは1980年代にポーランドからアメリカに亡命している。日本でも「連帯」「ワレサ議長」「戒厳令」「拘束」という言葉が報道でさかんに言われていた頃だ。ポーランドの社会主義国から民主化への激動の時期でもあった。

Hは祖国に対して複雑な想いを抱いていたようにも思う。でも祖国を愛していたのは確かだ。それは確かだったと思うけれど、僕などが絶対に「何故ポーランドからアメリカに来たの?」とか「ポーランドが懐かしくない?」とか、そのような言葉を発してはいけないような何かがHにはあった。またHはユダヤ人であり敬虔なユダヤ教徒でもあった。このあたりのことも僕には触れることできない部分だった。

「僕は罪人なのだから・・・」

Hはそのように僕に言ったことがある。彼は家族を祖国に残しアメリカに単身でやってきた。「僕は一生、罪を背負っていかなければならない・・・」

自分だけが・・・という想いが常にあったのだと思う。自分だけが逃げてきたと・・・

僕は精神的に最も辛かった時、ニューヨークのHを頼った。抗癌剤治療が辛く、「こんなに辛い治療を将来も続けていくのなら死んだ方がましだ」と心の底から感じていた時期だ。治療が終わり、抜けていた頭髪が生え始めてくる時期、僕はニューヨークに行った。あそこならスキンヘッドだろうが、頼りない毛が生え始めようが、誰もギョッとして振り返ったり好奇の目で見たりしないから・・・自分が自分でいられるから・・・

このまま窓の外へ飛べばすべてが終わるんだな・・・

そう思うこともあった。実際に試みたことはなかったけれど・・・

「僕は死んだ方が楽だとさえ思う。治療が辛いんだ。もう・・・もう限界なんだ・・・すべてが限界なんだ」

僕はHに気持ちをぶつけてしまった。僕は、無意識に慰めの言葉を心のどこかで期待していたと思う。「頑張れ」という言葉を期待していたのだと思う。「今を耐えれば元気になれるよ」とか「そんなことを言ってはダメじゃないか」のような言葉を。

Hは僕の弱音を黙って聞いていた。彼はものすごく強い眼差しで僕を見ると、洗面台で自分の金髪をバリカンで刈りはじめた。そして彼もスキンヘッドになった・・・

彼は言葉ではなく、愛情と人間としての誇りで僕を励ました・・・

説明はできない。この時のHの行動、彼の眼差し、そしてポーランドという国が結びついた。

ポーランドを訪れた時に感じた何か、Hとの想い出、それが共通の何かで結びついた。

それは「誇り」ではないかと思う・・・

Hは音楽好きではあったと思う。でもCDではなくレコードで音楽を聴いていた。ポーランド人だったけれどショパンを聴いていた記憶はない。ワルシャワのナイチンゲールと呼ばれていたソコルスカなどポーランド人演奏家のレコードをいつも聴いていたように思う。そしていつもいつも同じ曲を繰り返し聴くのが彼の聴き方だった。

ヘンリク・シェリングのレコードは彼の愛聴盤だったと思う。いつも聴いていたから。シェリングもポーランドから外国に帰化した人だった。

シェリングはバッハの演奏が有名だけれど、Hが聴いていたのはいつもこの曲。この曲ばかりを繰り返して聴いていた。



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靴職人の夢 

 

何故ピアノは続かないのだろう・・・ということを考える。それは練習が面倒だからだと思う。何故練習するのかという根本的な動機そのものが育成されていないというか・・・

「練習しましょう。上手になれるわよ、上達するわよ」・・・では上達したら何があるというのだろう?難しい曲が弾けるようになるということがピアノを習う目的ではないだろうから、そこには明確な動機が必要となるように思う。震えるような、雷に打たれたかような感動・・・このようなものを音楽、偉大な演奏から感じた人は、明確な動機というものが得やすいのではないかと思う。

「ピアノって楽しいな」から「ピアノが好き」そして「ピアノからは離れられない」という図式・・・

これは音楽に存在している「何か」に触れたいという、ピアノを弾く動機の基になるものではないか?

でもこの部分は、先生にとっては最も教えにくいものなのかもしれない。「読譜が苦手=練習したくない」ということであれば、レッスンでそのあたりを工夫することはできるだろうし、実際に世の中にはノウハウも多く存在しているだろうと思う。でも「どうしたら音楽を愛せるようになれるか」という部分、ここのノウハウは存在しているのだろうか?せいぜい、レッスンの時間だけではなく、家庭でも、いい音楽に触れさせる・・・のような環境について教える側は助言するとか、願うとか、それくらいしかできないのかもしれない。

「来週までに音楽から打ち震えるような感動を体験してきなさい」・・・なんて宿題はあり得ないと思うから。この部分は「教える」「教わる」というよりは、伝わっていくものなのかもしれない。先生が打ち震えるような感動を体験し、どうしても弾くことが止められない、どんなに多忙でも弾く・・・という姿があれば生徒はそれを感じるのかもしれない。生徒は先生の背中を見て育つものだから・・・

今、セルゲイ・レメシェフという古い古いロシアのテノール歌手のCDを聴いている。この人は決して音楽的に恵まれた環境で育ったわけではない。ロシアの寒村の農家に生まれた。父親は彼を靴職人にしたいと考えた。農業のように天候に左右されることもなく、手に職があれば安定した生活ができるだろうからと。

セルゲイは靴職人になるためにサンクトペテルブルクに修業に出る。そして実際に靴職人になるためのノウハウを身につけていく。でもこの時期、セルゲイと音楽との出逢いがあったのだ。セルゲイは打ち震えるような体験を音楽からもらったのだ。

一般的に(昔の)声楽家は労働者階級出身の人が多い。ピアノとは異なり、早期教育というものとは無縁だった人が多い。自分でも幼い頃から働いて、倹約をして、時には食べることさえ我慢して歌劇場に通い、音楽というものを熱望した人たちなのだ。彼らに共通しているのは、パン職人だったり船舶会社の技師だったり、そしてセルゲイのように靴職人だったりと、音楽とは全く関係のない世界で働いていたが、天性の素晴らしい声を周囲から指摘され、音楽の道に入っていくパターンが多い。この場合だって、いくら周囲から指摘されても、「えっ、そうかな?じゃあ歌手にでもなってみるか」という軽い気持ちで歌手を志したわけではないと思うのだ。彼らはその時の職業というものを捨ててまで音楽に魅せられていったのだと思う。

セルゲイも歌に魅せられてしまったのだ。音楽に魅せられてしまったのだ。靴職人ではなく、歌手を目指すようになる。トヴェリの音楽学校で声楽を学び、モスクワ音楽院に進む。靴職人から歌手へ・・・どのような決意が必要だったのか・・・でもそれしかなかったのだ。魅せられてしまったのだから・・・

地方で歌っていたが、ボリショイ劇場にスカウトされる。彼のようなリリック・テノールは今だって当時のロシアにだっていなかった。セルゲイは頂点にまで登りつめる。

そこで彼は大きな苦難に遭遇する。肺の片方が機能しない状態になったのだ。肺炎を患ったことが原因らしい。片肺が虚脱した状態だと、呼吸をするのも辛かったのではないだろうかと想像する。空気が肺で漏れて肺を圧迫していくからだ。むろん、歌うことも断念するように周囲からは言われた。歌うことは諦めるようにと・・・

でもセルゲイは歌に魅せられてしまった人なのだ。「片方にか肺が機能しない・・・ではないんだ。もう一つは機能するんだ。片方でも歌える方法があるはずだ」

彼は歌い方を、発声法を変えた。どのように身体を使えば、どのように呼吸すれば、また歌えるようになるのか、歌手としての自分を再構築したのだ。

音楽に魅せられていたから・・・ではないだろうか?

この部分を教えたり、そして教わったりするのは難しいことだ。でも音楽をするうえで最も基本となる部分なのではないだろうか?

kaz



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category: The Singers

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身代わり 

 

コルチャック先生の言う、子どもの将来に対する敬意・・・この認識が最も難しいのだろうと思う。子どもに関わる人にとっての永遠の課題になるのではないだろうかとも思う。

窓から暖かい陽光が差し込んでくる。東京は少なくとも暖かい。ポーランドの寒さとはなんという違いなのだろうかとも思う。この暖かい陽光、それは幸せという感覚にさえつながってくるほどだ。しかし、それは非常に振り幅の少ない感情の動きの少ない幸福感だ。人は、特に親は子どもの将来に関しては、この「少ない振り幅の幸福」というものを無意識に願うのだろうか?苦労の少ない人生というものを。いい学校に入学し、安定した職業に就き、今日のような暖かい陽光のような人生を送れるようにと・・・

でも、人間は感情の動き、振り幅の大きい心の動きというものを求める。そしてその際には痛みさえ感じるけれど、でも求めるのだ。人生とは安泰=幸福という単純なものではないのだから・・・

昨年まではピアノ教育という自分には全く関係のない世界のことなども書いたりしたが、もう(あまり?)書かないと思う。むろん、「素人でしょ?」というお叱りのメールもあったけれど、むしろ賛同のメールが多かったのが印象的だ。やはり、子どもの将来というものへの敬意というものの認識を持つことの難しさ、そして物事の本質はセミナーという外部にあるものではなく、自分の中にあるということの難しさ。自分の内部を見つめていくということは、かなりの痛みを伴うものだから。勇気が必要なのだ。

僕には残された時間が少ないのかもしれないし、自分のやりたいことだけをやっていこうと思う。痛みが伴うし、勇気も必要だけれど・・・

アウシュビッツ、死のブロック11号棟、18牢・・・マキシミリアノ・コルベ神父の亡くなった場所だ。僕は無宗教の人間で、特定の宗教を信じるという感覚を持たない人間だが、この有名なカトリック神父の名前ぐらいは知っていた。

むろん、ポーランドにコルベ神父の足跡は多いのだが、日本にもある。彼は日本の長崎で布教活動をしていたからだ。かつて、ポーランド孤児のために最も大きく動いたのが、日本の赤十字だったのだそうだ。コルベ神父は、このことに深く深く感謝した。「日本の方々のために祈りましょう」・・・そして「日本の方々へマリア様のことをお伝えしなくては・・・」と日本にやってきたのだ。

大戦時、迫害はユダヤ人に対してだけではなかった。ナチスはローマ・カトリックをも敵視していたのだ。多くの知識人、そして宗教関係者もまた犠牲になった。やはり「愛」というものを説かれては非常に当時としてはまずかったのだろう。

コルベ神父はアウシュビッツ送りとなる。小さな格子窓しかない、息もできないような貨物列車に揺られながら、神父は讃美歌を歌う。やがて同乗していたユダヤ人たちも歌い始める・・・

コルベ神父に限らず、一般のユダヤ人と比較してカトリック関係者にはナチスは非常に厳しく対応したらしい。過酷すぎる労働、そこには「見せしめ」という意味もあったのだという。

それでも神父は他者のために自分の食べ物を分け与え、こう言うのだった。「私のことはいいんです。もっと必要としている人がいるのですから・・・」

ある時、脱走しようとした者がいた。見せしめのために、10人が選ばれ、餓死牢送りとなった。餓死牢とは水さえも与えられず、餓死させることを目的とした場所のことだ。

10人の中に選ばれた、あるポーランド人が思わず叫びだしてしまった。「ああ・・・許してください。私には愛する妻も子どももいるのです。助けてください・・・お願いです」

その叫びを聞いていた、骨と皮になったある囚人が前に進んできた。

「なんだ、ポーランドの豚野郎が!引っ込んでろ!」

コルベ神父だった。「その方には愛する家族がいるのです。私はカトリックの神父で家族はいません。その方ではなく私を牢に入れてください」とドイツ語で訴えたのだ。

しばらくの間、餓死牢からは讃美歌が聴こえてきたという。しかし歌声は細く少なくなってくる。

最後まで生き残っていたのはコルベ神父っだけだったとも言われている。コルベ神父はフェノールという毒物を注射され、そして焼却炉で焼かれてしまうのだ。

知らない他人のために自らの命を差し出す、身代わりになる・・・

何度考えても、僕には想像できない感覚だ。誰でもそうなのではないだろうか?

コルチャック先生にしても、このコルベ神父にしても、他人のために実際に自分の命を差し出した人は存在したのだ。

このような人間が、かつて実際にいたという事実に僕の心は動く。この心の不可思議な動きは、音楽を聴いたり、そして自分が実際に触れた時にもある。この心の動きは何なのだろう?

深く自分の中を覗いてみること、開けていくことでその「何か」が見えてくるかもしれない。自分の中に入っていくという行為には、物凄い痛みが伴うだろうと思う。でも自分の残された時間はそこに賭けてみようかと思う。

今日、1月8日はコルベ神父がこの世に生まれた日でもある。

今年の僕の小さな抱負を綴るのには適した日だと思った。

「私の遺体が灰になり、後に何も残らないよう、そして灰になって、風に運ばれて世界の隅々まで散りたい・・・」 マキシミリアノ・マリア・コルベ



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行進 

 

「戦場のピアニスト」のDVDを観ているときに、ヤヌシュ・コルチャックという人物の話題になった。CもAもヤヌシュ・コルチャックについては知っていた。でも僕は知らなかった。この事実に二人はとても驚いたようだ。

Cはアメリカ人で、Aはイタリア人。この二人が知っていたということは、コルチャックという人物はアメリカでもヨーロッパでも大変に有名な人物なのだろうと思った。Cは高校時代、コルチャックという人を題材にした演劇にも出演したそうだ。学校の行事として普通に行われたそうで、それほど有名な人物なのだという。

「えっ?知らない?日本ではコルチャックは有名ではないのか?ありえないだろう?アンネ・フランクは知っているよね?だったらコルチャックだって知っているはずだ」などと二人は言う。

もしかしたら、日本でもヤヌシュ・コルチャックという人は、とても有名で、僕だけが知らなかった可能性もある。

「ポーランドに行くんだよね?だったら彼について調べておいたほうがいい」

ということで、ポーランド到着前までにネットで下調べをしておいた。また、クラクフでは単独行動だったけれど、ワルシャワではコルチャックの足跡を追ってみたかったので、英語のガイドも頼んでおいた。

彼は「多くの人はフレデリク・ショパンにばかり興味を持つけれどヤヌシュ・コルチャックに興味を持つ日本の人は初めてです」などと言う。やはり日本ではコルチャックは有名ではないのか?

ガイドと共にユダヤ人共同墓地、コルチャックが院長だったという孤児院「ドム・シュロット」、そしてユダヤ歴史研究所などを見学する。

ヤヌシュ・コルチャックは、日本では「コルチャック先生」と呼ばれているのだそうだ。コルチャックはペンネームで、本名はヘンリク・ゴールドシュミットという。小児科医だったが、子どもの権利というものを主張し、二つの孤児院、ユダヤ人孤児のためのドム・シュロット(孤児たちの家)、ポーランド人孤児のためのナシュ・ドム(僕たちの家)を運営し、院長となった人だ。

ワルシャワのユダヤ人たちはゲットーに住むことを義務づけられた。コルチャックや孤児たちも例外ではなかった。でも、その時代、ほとんどの人が自分の命を守るためだけに精一杯だった時代、コルチャックは孤児たちのために食べ物を調達し、尊厳というものを教えていたのだ。孤児院では、音楽会や劇が催され、見学したゲットーのユダヤ人たちも自らの誇りをしばし取り戻したという。

コルチャックの孤児院、そして活動、主張はポーランドでは知らぬ者はいないほど有名だった。なので、孤児たちは収容所行きにはならないとコルチャックたちは思っていたらしい。彼らは孤児なのだ。どうして排除する必要があろう?ゲシュタポにとって何の脅威にもならないはずだ。しかし、「東部への移転」の名のもとに、孤児たちも収容所に送られることになった。

収容所に送られる日、コルチャックと孤児院のスタッフは、できるだけ上等の服を孤児たちに着せ、彼らが大事にしていたおもちゃなどを持たせ、そして希望を意味する緑色の旗を持ち、整然と、そして毅然と収容所までの汽車が待つ待合所(ウムシュラークプラッツ)まで行進したのだという。誰も泣き叫ぶことなく、皆で歌を歌いながら・・・

その光景は多くの人に目撃されている。そしてその光景は奇跡のようであったと・・・

孤児院はゲットー内に移動させられたので、ドム・シュロットは現存しているけれど、孤児たちはそこから行進したわけではない。でも資料によると、移転先もドム・シュロットからそれほど遠くはない場所だ。

「探しましょう」とガイドは言ってくれた。僕は孤児たち、そしてコルチャックが行進した道、そして風景を歩いてみたくなったのだ。むろん、風景は大きく変わっているし、彼らが行進したのは夏の盛りで、今は雪が舞う冬だ。

でもガイドは「やりましょう!歩いてみましょう。きっとそこから大通りを歩いたのだと思う。だとするとウムシュラークプラッツまではこの通りを歩いたと想定してみましょう」と言ってくれた。変な日本人だな・・・と内心は思ったのかもしれないが。

「さあ・・遠足だ・・・出掛けよう」とコルチャックは孤児たちに言った。むろん、年長の孤児は遠足ではないことを予感していたはずだ。

ウムシュラークプラッツで待っていた汽車の目的地はトレブリンカ強制収容所。コルチャック自身には特赦が与えられていた。彼自身は死の列車に乗らなくてもよかったのだ。

「あなたは・・・コルチャックさん・・・あなたは乗らなくてもいいのですよ?」

「何故です?私はあの子たちの父親です」

コルチャックは孤児たちと共に汽車に乗り込んだ。そしてその後の消息は消えたままだ。おそらく、トレブリンカ到着後、孤児たちと共にガス室に送られたらしい・・・もしくは銃殺されたのだとも・・・

ユムシュラークプラッツ跡には、かつてそこに待合所があったという碑があり、多くのユダヤ人がここから死の収容所に送られたとある。トレブリンカ収容所はナチスにより証拠隠滅のため破壊されたので、現在その場所には収容所の痕跡はない。

「子どもに近づくと私は二つのことを感じる。それは、今日の、あるがままの子どもへの愛情、そしてもう一つは、子どもの将来の可能性に対する敬意・・・この二つを」 ヤヌシュ・コルチャック



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救いとしての音楽 

 

無事に帰国。日本は暖かい。旅行中はずっと風邪気味だったのだが、日本に帰ってきたら治ってしまったようだ。

ただ、とにかく眠いので、メール返信などは、徐々にということでお許しください。

ジェームス・ローズというピアニストのことを知った。イギリスのピアニストのようだが、なんだか変わっている。外見がピアニストらしくはないんだよね。演奏会でもセーターとスニーカーで弾いてしまうみたいだし、髪型もピアニストらしくはない。刺青が決定的かな。でも、彼はクラシックのピアニストだ。

心の中のものを、そのまま描く・・・このところがクラシックの演奏家らしくはないと言ったら言い過ぎだろうか?

理屈ではなく、僕はこのような演奏に魅せられてしまうし、このような演奏をする人が好きになってしまうのだ。

彼は、子どもの頃、学校で教師から性的な虐待を受けた。当然、それが心の傷となってしまった。その彼を救ったのが音楽だった。

結婚し、子どもも誕生した。しかし、その子どもが、自分が虐待された年齢へと成長する頃から、彼は、また精神的に不安定になり、鬱病になってしまった。

自殺を考える日々だった。何度も何度も自殺を考えた。

そして精神科の病院に入院。大量の薬による治療・・・

妻とは離婚し、最愛の自分の子どもとも会えないのだそうだ。

そのような絶望の時、また彼を救ったのが音楽だった。

「大量の薬やセラピーよりも・・・バッハだったんだ」

彼はバッハを聴き、そして弾き、精神的に立ち直ったのだ。

「僕の人生はクラシック音楽で大きく変わったんだ。薬やセラピーだけではないんだ。音楽にはそのようなものにはない何かがあるんだ。何かがね・・・」

彼の演奏はどれも心に訴えてくるけれど、まだまだ有名とは言えないブリューメンフェルドの曲、それも左手のためのエチュードを弾いてくれているのが、とても嬉しい。

kaz



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アイスクリーム 

 

ポーランドという国、予想とは反して、かなり近代化されている。一応僕もピアノを弾く人間なので、ポーランドに来たのだったら、本来はショパンの生家などを訪れたりするべきなのかもしれない。

でも今回のポーランド訪問は別の目的があった。留学時代、ニューヨーク(正確にはブロンクス)に住んでいた時、ルームメートがユダヤ系ポーランド人だった。彼の名をHという。彼との想い出はたくさんある。何故か、僕を生涯の友と呼んでくれたし、僕が最も辛い時期、支えてくれたのもHだった。

Hは祖国ポーランドを捨て、新天地アメリカで生きることを選んだ。その理由を彼は克明には話さなかったけれど、彼の育ったクラクフという街を一度は訪れてみたかった。

ポーランド時代のことは、いつも胸にしまっていたHだったが、父親のことを話してくれたことがある。Hがまだ少年の頃、学校行事でバス旅行があった。夕刻にはクラクフに戻っていたのだが、Hは友達の家でそのまま遊んでいた。

Hの父親は、子どもたちには理不尽なほど厳しかったという。友達は自転車を買ってもらっているのに、自分たちには絶対に買ってはくれなかった。友達の自転車に乗ったことを知っただけで激怒した。当然、子どもたちは反発したけれど、父親の厳格さは変わらなかった。

「なんで僕たちだけ?」とHはいつも思っていた。そしてそんな父親を愛してはいても、どこか苦手だったという。

友達の家に父親がやってきた。赤い顔をし激怒していた。「なんですぐに帰ってこないんだ?なにをしていたんだ?」とHの父親は叫ぶと、友達、そして友達の家族の目の前でHを張り倒し、殴り続けた。

「なんでお前は心配させるんだ?なんで勝手なことをする?」

Hは自尊心を傷つけられた。友達のいるところで親に殴られたのだ。「こんな父さんはイヤだ。他の子の父さんはやさしいのに・・・なんで僕の父さんだけ・・・」

家に帰る途中、珍しく父親はHにアイスクリームを買ってくれた。そして黙ってHに手渡した。でもどうしてもHは素直にそのアイスクリームを食べることができなかった。アイスクリームはどんどん溶けてくる。手まで溶けて流れてくるアイスクリーム・・・Hはそのアイスクリームをゴミ箱に捨ててしまった。父親はなにも言わなかった・・・

Hの父親はホロコーストからの生き残りだった。家族全員、親戚までを含め、全員が収容所で亡くなった。Hの父親だけが終戦まで生き抜いたのだ。

「おそらく、父は自分の家族を失うということを極端に恐れたんだと思う。なので、子どもたちの好きなようにはさせなかった。今だから父の気持ちは痛いほど理解できるけれど、あの当時は子どもだったからね。なんて父親なんだろうと思っていた。僕は父に対して愛しているということを伝えられただろうかと自問自答する。多分伝えきれてはいなかったと思うし、そして、あの時、アイスクリームを食べなかったことをとても後悔している」

クラクフは美しい街だ。徒歩で観光できる。英語はセルビアよりは通じる感じだけれど、でもゼスチャーや絵で会話している。人々は本当に親切だ。

気温はマイナス5℃。予想よりは寒くはないが、でも最高気温も最低気温もマイナス5℃なのだ。太陽はどこへ行ったのだろう?

クラクフの街を歩き回る。その街の佇まいが美しいだけに、そして人々が親切なだけに、寂しさがより募ってくるようだ。

もう一つ、ポーランド訪問の目的があった。それはクラクフ近郊のオシフィエンチムという場所を訪れること。

そこでの印象などは、まだブログなどに綴る気には到底なれない。

オシフィエンチム・・・おそらくドイツ名での方が有名なのではないかと思う。

オシフィエンチム・・・ドイツ語でアウシュビッツ



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