ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ロマンティック元年 

 

かつてピアソラがブームになった。次々と様々な楽器での演奏のCDが発売され、楽譜も出版された。続いてカプースチンがブームになった。

「えっ?こんな曲があったの?」

どこか斬新で、とてもキャッチ―。おそらくブームの背景には、現代では心に入り込んでくるクラシック作品が少なくなったということがあったのではないかと思う。旋律のない(あるいは聴き手が認識困難な)、いつ終わるか判断できないような難解な現代の作品というものへの聴衆からの拒否反応のようなものがピアソラやカプースチンの作品の人気というものに繋がったのではないかと想像する。

今はボルトキエヴィッチの作品が静かなブームなのではないかと思う。シプリアン・カツァリスなど、一部のピアニストがこれまでにも演奏していたが、その波は大きく広がってきているように思う。

でも、まだまだボルトキエヴィッチは「知られざる作曲家」になるのではないだろうか?

ボルトキエヴィッチ作品が注目を集めはじめた背景には、人々がロマンティックなものを求めはじめたということがあるのではないだろうか?

つい最近まで(今でも?)はボルトキエヴィッチの作品は、ラフマニノフの亜流・・・とさえ言われていたのだ。そもそもラフマニノフの作品だって、今でこそスタンダードな位置づけをされてはいるけれど、時代を逆行する古臭い作風と当時は評されたりしていたのだ。ラフマニノフと比較して、作品価値の正統な判断というものが遅れたこと、またボルトキエヴィッチという作曲家そのものの知名度が低かったのも、彼自身が世情不安時にもヨーロッパに留まったということが理由になると思う。アメリカで華やかなピアニストとして活躍していたラフマニノフとは、そのあたりが違っていた。

当時は、革新的なもの、実験的なもの、刺激的な作品が求められていたのではないだろうか?すべてのものが輝かしい未来というものに突き進んでいた・・・そのような時代だった。そのような時代に、反対方向に進んだ作曲家がボルトキエヴィッチだった。

では、何故、今ボルトキエヴィッチなのだろう?

人々は先を見ること、未来へ突き進むということに疲れてしまったのかもしれない。未来は光り輝いてはいないのだ。突き進んだとして、何があるというのだろう?

でも、時代を逆行し、かつてのロマンティックな時代に想いを馳せてみると、そこは黄金の世界なのだ。少なくとも現代人にはそのように思えるし、そのように感じる人が増えつつあるのかもしれない。

自分の作品を、当時の偉大なピアニスト、モリッツ・ローゼンタールに捧げたボルトキエヴィッチだが、伝説的なピアニスト、自分よりも、はるかに世界的な知名度を誇ったローゼンタールが自分のエチュードを演奏し、録音してくれた時、それはボルトキエヴィッチにとっては至福の思いではなかったか・・・

その録音を聴いてみる・・・

ひたすら「ああ・・・美しい」と思う。こんな作品がこの世にあったのかとさえ思う。こんな演奏がこの世にあったのかとさえ思う。

これから、このような美しいピアノ曲は生み出されるのだろうか?

人々は過去に美の世界を求め始めているのではないだろうか?

kaz



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category: ピアノ雑感

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Alfie 

 

歌詞への共感ということで連想したのが、バート・バカラックとハル・デイヴィッドのコンビ。ハルの歌詞というものが存在しなければ、バートの曲も名曲として残らなかったかもしれない。それほど二人の作品は、ハル・デイヴィッドの詞の存在というものの大きさを感じるのだ。

ハルがいたからバートがいた・・・みたいな?

そのことはバート・バカラックも認めているみたいだ。

「アルフィー」という曲は、ハル・デイヴィッド、バート・バカラックのコンビ作品の中では、個人的は最高の作品のように感じる。アルフィーは同名の映画のために書かれた作品で、アルフィーとは主人公の男性の名前だ。この映画の主人公、アルフィーは、本当の愛というものを知らない。なので、たくさんの人を傷つけ、裏切ってきた。本当の愛というものをアルフィーが知った時、今度はアルフィーが相手から裏切られる・・・という内容の映画だ。

「愛」を知るため、無償の愛の存在を感じるために人は生きている、これは「生死学」という学問の根底にある考え方でもある。

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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ベートーヴェンへの冒涜 

 

僕のアメリカへの憧れが最高度に達していたのは高校生の時だと思う。中学生活もだが、高校生活も僕にとっては、何事も「日本」というものを感じさせるものだった。まぁ、そのような感じ方をする年齢でもあったのだろう。

高校生の時に、初めてこのビリー・ジョエルの曲を聴いた。たしか「イノセント・マン」というアルバムに収録されていたと記憶している。当時は、まだレコード時代だったから、輸入盤のレコードを購入し、「ああ、このレコードはアメリカからやってきたんだ」と、ジャケットの匂いを嗅いでアメリカを感じたりしていた。

このアルバムの曲は、どの曲もオールディーズを意識したもので、ビリーの青春時代を意識したような曲作りのようにも感じられた。ビリー自身は高校には通っていないのだが、「イノセント・マン」の曲たちは、僕には大人の世界であったのと同時に、アメリカの高校生の青春・・・のようにも当時の僕には感じられたのだ。

高校生の時の僕は、基本的に、ビリー・ジョエルの曲は、詞に共感をする傾向があった。それは今でも変わらない。曲も好きだが、ビリー自身の作った詞が好きだったのだ。

当時、たしか、音楽評論家の誰かだったと思うけれど、ビリーのこの曲に対して「ベートーヴェンへの冒涜だ」と言っていた人がいたような気がする。「大人って変なことを言うな」と当時思った記憶がある。

大人になって、この曲を聴いても僕は「ベートーヴェンへの冒涜」なんて思わないな。大人になっても、この曲は僕にとっての「アメリカへの憧れ」「青春への憧れ」であり続ける曲なのだ。

kaz



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category: 未分類

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死闘のコンクール 

 

アメリカで活動するCとAというピアニストと過ごしていて、興味深い発見もある。彼らが特別そうなのかもしれないが、彼らから「音大を卒業したから」とか「音大を卒業していないから」という言葉を聞いたことがない。彼らだけではなく、僕は海外でピアニストのレッスンを受けたりしているが、彼らも同様に「あなたは音大を卒業していないから」とか「アマチュアなんですね?」という言葉は言わない。そのような態度で僕に接するということもない。

思うに、アメリカの音大というものの特殊性というものもそこにはあるような気がする。日本で「音大のピアノ科」というと、実態はともかく、一応は「ピアニスト養成」という機関であるような気がする。教育学部ピアノ専攻というのは、学校の音楽の教師養成という感じになるのだろうと思う。アメリカには、このようなニュアンスの音楽大学の他に「音楽を学問として学ぶ」という大学もある。ピアノ科でも。ピアニスト養成の学校の多くは「~音楽院」という名称の学校が多いが、むろん、総合大学の音楽学部にも名門、難関とされている演奏家育成目的の学校もある。学問として音楽を学ぶ、そして専攻はピアノ・・・というような総合大学の中ほとんどの音大は、化学や文学を大学で学ぶというニュアンスと同じ感じで音楽というものを学ぶのだそうだ。なので、アメリカには日本とは比較にならないぐらいに音大の数がある。人口も違うけれど、でもとても多い。特色として、アメリカの音大生は幅がある。むろん、バイエル程度・・・という学生はいないのかもしれないが、日本だと中級者とカテゴライズされる人から、それこそメジャーなコンクールで上位入賞したり、覇者となるような学生まで、日本とは比較にならないほど幅があるらしいのだ。

ピアニストとして生活していく、ピアノ演奏を生業としていく・・・

これは日本よりもアメリカの方が格段に厳しそうだ。むろん、日本だって音大卒=ピアニストとして活動というわけにはいかない。多くのはピアノを教えるという副業(?)もしていくことになる。これはアメリカのCやAも同様だ。二人とも、演奏活動の他に音大で教えているわけだから。

でも、「リサイタルを開く」という意味で、日本とアメリカでは大きな違いがあるらしいのだ。日本、特に東京のような大都市圏では、毎日のようにピアノの演奏会がある。同日に複数のピアノリサイタルなんて珍しくはない現象だ。立派なホールに沢山のピアノリサイタル、なんとなくピアノが盛んというか、ピアニストが沢山いる・・・という印象だ。実際、僕がアメリカにいた頃も、日本ほど演奏会というものはなかったような記憶がある。

でも、日本のピアノリサイタルの大部分は「自主公演」だ。自分で会場を確保し、チケットを売りさばく。むろん、代行してくれる人もいるだろうが、日本ではこの自主公演もピアニストとしての立派なキャリアになる。アメリカでは基本的に自主公演という形はないのだそうだ。あったとしても、基本的には正式なキャリアとしての実績にはならない。日本でも出版の世界では、正式に出版社から発売される本と、自費出版では明確な差があるが、アメリカでは演奏という場にもこの考えがあるらしいのだ。

ピアニストとして活動する・・・アメリカでは、音楽事務所、インプレサリオが演奏会を企画し、演奏家はギャラを貰い、演奏する。商業活動として成り立つ人、つまり聴衆というものを次回も集められる人がピアニスト(コンサーティスト)・・・と呼ばれる人となる。これは大変に厳しい世界なのではないかと思う。呼んでもらわなければ、仕事ではないのだから。

実際、CもAも自分でチケットを売るという経験はしていないという。音楽事務所(マネージャー)から連絡があり、演奏会の日程をもらい、自分はただ出掛けて、そこで演奏しギャラを貰うというのがアメリカでのピアニストなのだ。むろん、駆け出しの頃は、「えっ?」と思うような場所、楽器、聴衆の前で演奏させられることもあったらしいが・・・

名門の音楽院、難関の音楽院を卒業しても、インプレサリオから注目され、「仕事」として明確に明示されて、はじめてピアニストとなる。なので、アメリカでは演奏の場というものが限定されてしまう傾向が強い。名門、たとえば、ジュリアードのような学校を卒業しても、音楽とは関係のない職業に就く人がとても多いのだという。

実際には、音楽事務所やインプレサリオに注目されなければ、ピアニストにはなれないのだから、コンクールやオーディションという場も日本のそれと比較すると「死闘」となる傾向がある。コンクールは、「箔がつく」という目的ではなく、自分という存在を知ってもらう唯一の場となるからだ。最終成績、何位というものは重要だけれど、それよりも3次予選とかファイナルの会場にいる「インプレサリオ」に自分の演奏を知ってもらうという目的がアメリカのコンクールにはあるのが現実のようだ。まずは認めてもらわなければ、自分を知ってもらわなければお話しにならない。

Cは言う。「もしコンクールがなければ僕はハイスクールで数学を教えていたかもしれないな」

Aも同様に、「コンクールがなければ、僕はイタリアに帰っていただろうと思うし、ピアニストにはなれなかったと思う。まずは自分の存在を知ってもらわなければ、ただのピアノが弾ける人なんだから」

これはAのコンクール時代の演奏。必死だったんだなぁ・・・と思う。まずは自分の存在を知ってもらうこと。そして拾ってもらうこと。これがピアニストになる条件だ。そして初めて職業となっていく・・・

kaz



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category: ピアノ雑感

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有限 

 

来年、もう少し真面目にピアノと取り組みたいと思う。今年はこれで精一杯だったという思いもあるけれど、来年は色々なことに翻弄されずにピアノと向き合えればいいと思う。

僕のピアノライフはサークル活動とピアチェーレの演奏会がすべてとなる。あとは先生の門下生の発表会ぐらいだ。来年もそれは変わらずだと思う。突然コンクールを受けだしたり・・・なんてことはしないと思う。

僕は今のピアノライフに満足だ。体力的に余裕が感じられれば、いつもと同じ顔触れではない、知らない人ばかりの中で弾くのもいいかなと思う。でもそれは体力次第だ。

今年の反省点としては、あまりにもピアチェーレの演奏会というものの比重が高く、サークルの練習会がピアチェーレのための予行練習の場となってしまったことだ。来年は、このあたり改善していきたい。

正直、数か月単位でしか未来のことを考えることはできない。来年の秋、来年の11月のことなんて今は実感がわかない。その頃まで元気でいるという実感がないのだ。それも仕方がないと思う。でもCもAも、ある作曲家の作品を弾くのを強く強く勧める。自分としては、その作曲家のピアノ曲はとても好きではあるのは確かだけれど、あまりにも多くの人が演奏するので、積極的に弾こうとは思わなかった。

「僕なんかが弾かなくても・・・」

僕は、サークルの練習会で、その作曲家の作品が演奏されない練習会というものを経験したことがない。必ず誰かが弾く。そのような作曲家だ。でも人生には有限性というものがあるので、当然僕のピアノライフにも終わりはある。弾いてみてもいいのかもしれない。でも今は悩み中だ。

自分が病気を経験して、死の直前まで体験したりすると、ピアノ演奏だけではなく、「その一瞬にすべてを賭けたパフォーマンス」というものを直感で感じとれるようになった。そこには「上手く演じたい」とか「きちんと弾きたい」などというものはなく、非常に「有限性」というものを感じながら演じているのが分かる。そのようなパフォーマンスをする人は、有限性というものを知ったのだ。なので、その時のパフォーマンスに賭けるのだ。次のパフォーマンスはないのかもしれないのだから・・・・

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カルロス・ガビートは癌と闘いながら踊っていた人だ。

「今、僕は二つも癌を抱えていてね・・・」

そう言いながら、そして闘病生活を続けながら、治療を続けながらタンゴを踊っていた。死ぬまでね。

彼は自分のダンス人生の終わりというものを、どこかで感じていたのだ。

「もうこれが最後の踊りになるかもしれない。これが最後のパフォーマンスになるかもしれない」

彼のタンゴは「人生は有限なのだ」ということを感じさせる。

「いつの日か実現できたら・・・」その日が来るまでに命は尽きているかもしれない。それは誰にとっても・・・ではないだろうか?考えようとしない人が多いけれど、誰にでも人生は有限なのだ。

僕はガビートの踊りを観るといつも思う。「治療しながら踊る・・・相当辛かったのではないか・・・」と。倦怠感、吐き気、痛み、そのようなものと共存しながら踊っていたのではないかと想像する。

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category: ピアチェーレ

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東京 

 

音楽というものは、その人の過去の出来事を想いださせる力がある。僕の場合、そのような曲はクラシックの曲ではなく、何故か歌謡曲になる。おそらく、歌詞というものと音楽との相互作用のようなものが僕の中で眠っていた過去というものを掘り起こすのだろうと思う。

僕は30歳を過ぎてから留学した。それまでの安定していた仕事を振り捨てて。でも失ったのは仕事だけではなかった。30年も生きていれば、それなりに積み上げてきたものもあるし、人間同士のつながりもある。留学、まぁ、短期の語学留学などは別として、正規のディグリー留学であれば、一度は日本というもの、日本で築いてきたものを振り捨てなければならない。一度、すべてのものをニュートラルな状態にするとでも言おうか?それが留学。なので、できるだけ若い時に留学をするのならしておいたほうがいいと思う。年齢を重ねてからでは失うものも多い。そしてそれには痛みを伴うから・・・

僕にだって、あの頃はつきあっていた人がいた。もちろん30歳にもなれば、その関係は軽いものではなく、結婚というものも想定したつきあいだった。

「結婚して、子どもができて、そして家庭というものを築いていくのか・・・」

当たり前の人生というものがそこにはあった。

「この人と共に人生を生きていくんだ・・・」

でも僕は留学した。彼女は僕の留学に反対しなかった。むしろ、賛成し、後押しをした。

「アメリカ・・・行くべきだと思う。今しかできないこともあると思う。行くべき・・・」

正直、僕は遠距離恋愛というものを維持させる自信はなかった。アメリカでの生活、勉学というものに対しての不安でいっぱいだった。そして金銭的な事情もあり、卒業するまでは日本に帰ることはできない。でも彼女は言った。

「私・・・待ってる・・・ずっと待ってるから」

アメリカに発つ日、空港では辛くて見送れないという彼女とスカイライナーの出発駅である上野で会った。

「いつ会えるの?ごめん・・・そんなのわからないよね?身体だけには気を付けて、元気でいてね。待ってるから。私・・・東京で待ってるから・・・」

彼女は一度、アメリカにやってきたことがある。

「私・・・本当に来ちゃった・・・」

空港で彼女は僕に再会すると、まずそう言った。

僕はアメリカは初めてだという彼女に自分の住む街、ボストンを案内した。美しいニューイングランドの街を観てまわった。

「素敵・・・本当に素敵なところね・・・」

その時、僕は「過去」というものを忘れずにいるということ、アメリカにいる自分は過去とつながっているということを彼女に示さなければいけなかったのだと思う。でも僕はそれを怠ったのだ。アメリカという土地が僕は好きだったし、満喫していた。あの時僕は自分の幸福に酔っていたのだ。充実感溢れる自分の姿、幸福そのものである僕の姿を彼女にさらけ出してしまうということは、随分と彼女に対して残酷なことをしたと思う。でも今だからそう思えるのだ。今だから・・・

彼女は帰国する時に笑顔で僕に手を振った。でも「待ってるから・・・」とは言わなかった。

その後、僕は留学を延長した。ダメ元で申請した奨学金での進学が可能になったからだ。住む街をニューヨークに移して、新たな生活をすることになった。

「卒業したら帰ってくると言ったのに・・・さらにそちらで勉強するのですね。私も若くはないし、私にも自分の人生があるの。もう待てない。あなたのことをもう待てない。ごめんなさい。私は自分の人生を歩みます。さようなら」

仕方がなかったのだと思う。自業自得だとも思う。あの頃の僕は自分のことばかり、自分の人生のことばかり考えていた。でも彼女からの別れの手紙を読んで涙が出た。

マイ・ペースの「東京」という歌、この曲は僕が子どもの頃に流行った歌だ。この「東京」という歌を聴くと、彼女のことを想い出してしまう。胸の痛みと共に・・・

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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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本番と選曲 

 

アメリカのクリスマス、日本人の美しい連想としては、暖炉、ツリー、そしてツリーの下には沢山のプレゼントの山、手作りのクリスマスの料理、窓の外は雪・・・ホワイトクリスマス・・・

今、そのすべてを満喫している。昨年のクリスマスは病室で過ごしていたので、幸福感はなおさらだ。

基本的に、イブはともかく、クリスマスの日は家族で過ごす日なので、留学中は別として、この時期にアメリカを訪れることは今までなかったのだけれど、友人Cが誘ってくれていたので、C宅に滞在している。Cの友人で家族ぐるみのつきあいだというAの家族も一緒だ。CもAもプロのピアニストで、Aとは今回初めて会った。

日本にいる時には、いつも孤独にピアノを弾いているし(誰でもそうか?)、サークルなどではピアノの話をする機会もあるけれど、個人的に親しい友人とピアノや音楽の話をしたり、ピアノを弾いたり聴いたりすることは日本ではないので、このような時間はとても楽しい。CもAも「自分たちはプロ、あなたはアマチュア!」という態度で僕と接しないので、とても嬉しい。彼らのほうが圧倒的にピアノは弾けるし、知識も豊富だが、だからこそ楽しいのだ。

僕のピアノを聴いて、僕の幼児の時の体験の影響を指摘したのがAだった。なのでテルおじさんのことなどを想い出したりしたのだと思う。「流し」という日本語をどう訳したらそのニュアンスが彼らに伝わるか苦労したけれど・・・

来年もピアチェーレの演奏会を企画し(僕は何も働かないが)、30分程度の演奏をするということを話すと、彼らは曲目に興味を持った。当然、一年前なので、すでに弾けているものだと彼らは思ったらしい。

「いや、すべて新曲なので、これから譜読みをするんだ」

「えっ???」

弾けるか、弾けないかは別として、未来の演奏会(本番)にむけて、ひたすら(?)ある曲を仕上げていくという行為そのものは、僕にとっては普通のことだった。多くの人がそうなのではないかと思う。発表会などもそうでしょ?普通は本番というゴールに向けて、曲を決め頑張る。

「来年の発表会にはあの曲を弾きたい!」のように・・・

CもAも、その考えには同意できないと言う。こちらが「えっ???」と驚く番だ。何がいけないのだろう?普通のことではないか?本番の日程が先にあって、そして曲を決めて弾きこんでいく・・・

「それは逆じゃないかな?」とCもAも言う。

「逆???」

「本番があるから・・・ではなく、日頃から弾きこんでいで、熟成してきたから人前で発表し、聴いている人と共有するのが本来の演奏の考え方だと思う。曲があるから本番であって、本番があるから曲・・・では順番が逆だよ?」

「えっ???」

「別にすべての曲を今まで弾いたことのある曲にしなくてもいいとは思う。でもバランスの問題だよ。すべての曲が新曲というのはありえないと思う。明日3人で曲目選定をしてみようよ?楽しいよ、きっと・・・」

僕は何故か、海外の友人にクラシックの音楽家が多い。日本の友人たちは筋金入りのクラシック嫌いばかりなので、とてもピアノの話なんかできない。なので、今はとても楽しい。その海外の音楽家の友人たちは、ほとんどがプロの音楽家だけれど、誰も「プロは・・・アマチュアは・・・」などとは言わない。でもプロとして生きていくのは日本よりも海外のほうが、はるかに厳しそうだ。

さて、僕は今までAというピアニストのことは全く知らなかったのだけれど、とても素晴らしいピアニストのように思う。

これはラフマニノフの「ヴォカリーズ」をA自身が編曲したもの。アール・ワイルドのような豪華絢爛な編曲ではなく、どちらかと言えば、フィオレンティーノの編曲に近いように思う。

このような演奏をする人、僕は大好きだ。

kaz



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category: クリスマス 2014

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初恋 

 

子どもの頃から「感情の動き」というものに興味があった。人の死というものに遭遇した時はもちろんのこと、そこまでの大きな感情の起伏ではないまでも、日常生活においても、感情の動きというものはある。そもそも何故気持ちとか、感情というものが動き、気持ちを高揚させたり、そして苦しくさせるのかと興味があった。何故感情というものがあるのだろう?

何故哀しくなるのだろう?何故胸が痛くなるのだろう?

僕が「サナトロジー」という学問に興味を持ったのも、感情の動きというものに幼い頃から興味があったからだと思う。「死」そのものは甘美で美しいものだと思う。でも、最期の瞬間までに辿り着くまでが苦しい。多くの「感情の起伏」というものを経過していくから。そこを通らなければ甘美な死に行き着かないから・・・

多くの場合、感情の動きというものがあった場合、人はその感情を飲みこんでしまう。まれに「泣く」という行為に至る。それは泣き叫ぶというものに近くなる。でも感情の発散というものは、とても困難なものだ。

時として、感情の動きというものが「形」となる。僕にとっては、音楽というものは、感情発散というものを代弁してくれるものなのだ。聴く場合もそうだし、自分で演奏する時もそうだ。

心の中にしまい込んでしまいたくなるような感情、それが音楽として自分の前に存在している。なので手を出して音にしてみたくなる。僕にとって演奏というのは、発散でもあるのだ。感情起伏の発散・・・

目の前にピアノの曲が芸術として、難曲としてそびえているという感覚はない。弾きこなしたいという欲求もない。ただその曲が感情を代弁してくれるから弾く・・・

僕にだって初恋というものがあった。どうしても「好きです」の一言が言えないんだよね。自分を拒否されるという恐怖感もあるし、自分を受け入れてくれた場合でも、淡い初恋というものの感情が終わってしまう。

今思い返しても、胸がキュンとなるような淡い感情・・・

その感情、多くの人は自分の中にしまい込む。想い出として心の中に残っていく。その感情を「何か」にしたものが、音楽なのではないかと思う。

今は亡き、村下孝蔵のヒット曲「初恋」は、村下孝蔵自身の初恋そのものなのだ。彼は、自分の淡い感情というものを言葉にし、そして音楽にしたのだ。

どうしても「好き」と言えない。名前を呼ぶこともできない。ただ遠くから見つめているだけ・・・それしかできない。

初恋の人が転校することになった。

「気持ちを伝えたい・・・どうしても伝えたい」

村下孝蔵は、彼女が乗った電車を自転車で追う。全速力で自転車をこいでいく。踏み切りまできた。電車を追い抜いて・・・

そして、彼女の乗った電車にむかって、思い切り手を振り続けた。電車が見えなくなるまで・・・いつまでも。

「初恋」のヒットで、村下孝蔵はコンサートで全国を縦断するようになった。歌い終わり、客席が明るくなる。その瞬間、彼はいつも思ったのだそうだ。「もしかしたら彼女は、この街に住んでいるのかもしれない。もしかしたら、あの人がそうなのかも・・・」

いつも胸が痛くなった・・・

「この曲、初恋を歌うときは、いつもあの時の淡い気持ちをキープしながら歌うことができた。それはとても幸せなことだと思うんだ」  村下孝蔵

村下孝蔵は「好きです」と言えなかった。

彼は、「好きです」という言葉、そして感情を詞と音楽、曲として伝えた・・・



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category: クリスマス 2014

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抱擁 

 

「テルちゃん、いつもすみませんね、kazは迷惑かけなかった?」

僕は物心つかない頃からテルおじさんに預けられることが多かった。2~3歳の頃からずっとだ。両親はとても忙しかったので、父の弟であるテルおじさんが昼間は面倒をみてくれたのだ。

テルおじさんは、新宿で流しをしていた。仕事は夜からなので、昼間は時間があったのだ。僕はテルおじさんの歌を聴いて、そしておじさんが聴くレコードを一緒に聴いて育ったのだ。

今でも覚えている。ギターを抱え、低音で歌うテルおじさんを・・・

僕のピアノは、どこか歌みたいだと言う人が多い。たしかに僕は歌が好きだ。僕のクラシック開眼は小学3年生の頃で、それ以来、ずっと歌を中心に聴いてきたと言っていいだろうと思う。カルーソ、ジーリ、ゲッダ、ヴンダーリヒ、バスティアニーニ・・・たしかに彼らの歌の影響はあるだろう。でも、僕に音楽的な影響を与えた人はテルおじさんなのではないかと思う。

僕は幼稚園に通っている時に、いきなりピアノで即興演奏をしたのだそうだ。まだピアノを習う前のことだ。ピアノのレッスン、正確には音符を理解して鍵盤に移していく作業は苦手だったし、どこか苦痛だったけれど、鍵盤で遊び弾きをするのは大好きだった。誰に習ったわけでもない。でも弾けた。すべての調で即興演奏ができた。これは、テルおじさんの歌を聴いて育ったからではないだろうかと思う。

「kaz、テルおじさんに、さようならをしなさい。もうおじさんには会えないのよ?」

棺桶の中のテルおじさんは、とても小さくなってしまっていた。僕は哀しかったのだとは思うけれど、幼かったからか、「死」というものを実感できないでいた。皆が泣いていた。「テルちゃん、こんな姿になっちゃって・・・」

この時、テルおじさんは、皆に愛されていたのだと思った。父方の祖父母はとても厳格な人たちで、子どもを大変厳しく育てた。そして学歴というものをとても重視した。おそらく、祖父母はとても苦労したのだろう。なので、自分の子どもたちには違う人生を歩んで欲しいと思ったのだと思う。そしてその期待に父をはじめ、子どもたちは応えたのだ。ただ一人テルおじさんを除いて。

「まったく、テルはどうしようもないな。きちんと就職もしないで、流しのような水商売をして・・・」

「テルは将来どうするんだ?歌なんかで稼ぐつもりか?」
「売れるようになんかならないじゃないか?一生場末の流しで終わるんだぞ?いいのか?そんないい加減な生き方でいいのか?」

テルおじさんの声は、低音で、完璧なるクルーナー唱法だったと記憶している。演歌というよりは、ムード歌謡的な歌を歌っていた。何故か、具体的な声質は想い出せない。なぜなら、テルおじさんは、いつもフランク永井のレコードを聴いていたし、僕の中ではテルおじさんとフランク永井の声が一緒になってしまっているところもあるからだ。二人の声、そして歌い方は、とても似ていたような気がする。なので、僕はフランク永井の声を聴くとテルおじさんを想い出すのだ。

「フランクさんはな、とても偉大な歌手なんだ」

テルおじさんの口癖だった。ヒット曲を連発し、紅白の常連でもあり、そしていつもテレビに登場していたフランク永井は、テルおじさんの憧れの人だったのだ。自分が新宿の流しであったテルおじさんにとって、フランク永井は目標となる人だった。

テルおじさんは若くして癌で亡くなった。おじさんの遺品として、僕は沢山のレコード、そして何冊もの日記を受け取った。僕は癌という病気も、おじさんから受け継いだのかな・・・などと思うけれど、おじさんの「音楽を愛する心情、歌を愛する心情」のようなものも受け継いだのかもしれない。最近は特にそう思う。

僕のピアノは大変に素人くさいところがあるのかもしれないが、それは、誰かに習って会得したものではないからかもしれない。なんというか、湧いてくる、自分の内側から湧き上がってくるという感じで今もピアノを弾いている。この感じは、テルおじさんから受け継いだものなのかもしれない。だとしたら、そのことを誇りに思いたい。宝物だと思いたい。

テルおじさんは、正式にクラシック教育を受けたわけではない。でも、僕の身内の中で、ただ一人の音楽家だった。死ぬほど歌を愛した音楽家・・・

テルおじさんは、自分の日記の中で箱崎晋一郎の「抱擁」という曲について書いている。箱崎晋一郎は超高音の歌手だったから、彼のヒット曲である「抱擁」は、おじさんの持ち歌ではなかったのだと思う。なので、歌っていなかった。でも、おじさんは、「抱擁」をレパートリーにしたかったのではないかと思う。なので、日記に書いた。低音のテルおじさんにとって、箱崎の「抱擁」を歌うということは、一つの挑戦だったのかもしれない。それは最後の挑戦・・・

箱崎の「抱擁」について書いた頃は、おじさんは入院中だった。おじさんは、もう一度、新宿で流しとして歌いたかったのだと思う。回復して、もういちど流しをしたい、歌いたい・・・と。挑戦をしたいと思うことでおじさんは希望を持とうとした。

「退院して元気になったら歌うんだ。高音の箱崎の抱擁を歌うんだ・・・」

おじさんは「抱擁」を歌うことなく旅立ってしまったけれど、フランク永井の「抱擁」を聴くと、「これがテルおじさんが歌いたかった世界なのかな・・・」と思ったりする。

僕は、たしかにテルおじさんから、何かを受け継いだ。

それは何なのだろう?

そう思いながらフランク永井の「抱擁」を聴く・・・

kaz



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閲覧注意 

 

「奇妙な果実だったらニーナ・シモンの歌唱も素晴らしいと思う」と友人が言う。

ニーナ・シモン・・・

この人のことは、ほとんど名前しか知らなかったし、ジャズの人というよりは、非常にディープなプロテスト・シンガーというイメージがある。

「プロテスト・ソングだったら、やはりニーナ・シモンだよ。聴くのは辛いけどね。でも彼女が生涯をかけて表現したかったこと、伝えたかったことだから・・・」

ニーナ・シモンは8人兄弟の6番目として生まれた。本名はユーニス・ウェイマンという。貧しい家庭ながら、一家は信仰深く、そして、いつも音楽に溢れていたのだそうだ。

彼女はピアノの才能があった。でもピアノのレッスンを受けることができない。お金がなかったからだ。

そんな彼女のために「ユーニス基金」が設けられ、彼女はピアノを学ぶことができた。クラシックを学んだ。そして名門ジュリアード音楽院に入学する。

しかし、途中で学費が払えなくなり、ニューヨークを去ることになった。この時のニーナ・シモンの胸中を想像すると、なんだか胸が痛む。

ピアノの先生をしたりしていたのだそうだが、クラブなどで歌うほうが、はるかに稼げることを知り、彼女は歌手として働き始める。そして本格的に歌手として活動していくようになる。

非常にメッセージ性の高い曲を多く歌っていて、特に人種問題に関しての内容の歌が多いような気がする。

彼女はこのことについて、このように語っている。

「もっとラブソングを歌える日が来ればいいと思う。プロテスト・ソングを必要としなくなる日が来ればと・・・でも、今は、まだ必要だから」

彼女の人生は戦いの人生だったのかもしれない。晩年は癌で苦しんだ。でも長い癌との戦いを終え、最期は自然死だったのだそうだ。

ニーナ・シモンの「奇妙な果実」・・・

実に素晴らしいと思う。

でも、この動画の映像は、かなりショッキングなものだと思うので、観るとしたら覚悟が必要と思う。

kaz



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奇妙な果実 

 

今、アメリカにいる。完全なる休暇。今年は頑張ったので、いいのではないかと思う。クリスマスと年始を、こちらで過ごす。

飛行機がとても込んでいて、疲れてしまい寝込んでしまったが、今は元気だ。本当はロックフェラーのツリーなどを写真にアップして「クリスマスで~す」のような記事を書けばいいのだろうが、そのようなことは何故か興味がない。

アメリカに6年住んだだけ、6年も住んだ・・・捉え方は様々だろうが、僕は日本に生まれた典型的な日本人なのだと思うし、それ以外の何者でもないけれど、何故かアメリカにいると気持ちが安らぐ。正直になれるというかね。日本にいると、多くの人が「楽しさ」というものを追及しているような気がしてくる。生活や人生においても、音楽の捉え方、感じ方においても・・・

むろん、苦しいよりは、楽しいほうがいいのだと思うが、どうも皆が「こうあるべき」という方向に向かなくてはいけないような?そうでない人は仲間外れにされてしまうというか、変わった人と見られてしまうか・・・

音楽って楽しいだけのものではないような気がしている。昔からしていたが・・・

ビリー・ホリデイを聴いている。「奇妙な果実」を・・・

あまりにも悲惨な歌だ。でもこれも音楽なのだ・・・と思う。

どうも、僕は昔から音楽や演奏というものを「楽しいもの」「ワクワクするもの」という方向だけで捉えることができない。人の心が動き、魂が自分の中で動くということは、もっと複雑なものだと感じたりする。

「奇妙な果実」はエイベル・ミーアポルという人が作詞、作曲をした歌。この人は、黒人がリンチされ、木に吊るされ、白人が見ている・・・という写真を見て、この曲を作った。このような写真は当時は、絵葉書にもなっていたのだそうだ。黒人は人間として認められていなかった・・・

エイベルの妻が、この曲を集会などで歌ったりして、小さな広がりがあった。その歌を聴いた「カフェ・ソサエティ」のバーニー・ジョセフソンという人が、専属歌手であったビリー・ホリデイに「奇妙な果実」を歌うことを勧めた・・・

当時は、黒人への迫害というものを、黒人歌手が歌い、告発をするということは、とても勇気の必要だったことなのだ。多くの黒人が殺され、木に吊るされ、焼かれ、それが当たり前のように行われていたのだから・・・

このような音楽もあるのだ・・・と思う。

楽しくなりたいから音楽に触れる・・・それだけではないこともあるのだ・・・と思う。


「奇妙な果実」

南部の木には奇妙な果実がなる
葉には血が、根には血を滴らせ
南部の風に揺らいでいる黒い死体
ポプラの木に吊るされている奇妙な果実

勇敢な南部の田園に
飛び出した眼、苦痛に歪む口
マグノリアの甘く新鮮な香り
そして不意に陽に灼ける肉の臭い

カラスに突つかれ
雨に打たれ、風に弄ばれ
太陽に腐り 落ちていく果実
奇妙で悲惨な果実


初めてビリー・ホリデイが「奇妙な果実」を歌ったとき、歌い終わっても拍手は起こらなかった。長い沈黙があった。やがて聴衆の1人が拍手をした。すると、拍手は聴衆全員に広がっていった・・・

ビリー・ホリデイは、コンサートのラストに、いつも「奇妙な果実」を歌うようになった。

kaz



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category: クリスマス 2014

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床屋で生まれた芸術 

 

大衆音楽ということを考えていて連想したのが、バーバーショップ・カルテットという分野の音楽。バーバーショップ・ハーモニーとか、たんにバーバーショップとも呼ばれる。

日本では、あまり馴染みのない音楽(聴けば懐かしさを感じると思うが)なのだと思うが、アメリカでは、このバーバーショップ・カルテットという分野は馴染みのある音楽だ。バーバーショッパーという言葉もあって、普通に使われている。バーバーショップ・カルテットを演奏する(歌う)人、好きな人・・・という意味だ。


では、そのバーバーショップ・カルテットとは?

もともとは、「バーバーショップ」ということからも分かるように、アメリカの床屋が発祥なのだという。19世紀末に、待ち時間を持て余す床屋の客が、自然と歌い、それがハーモニーとなって広まっていったというのが由来なのだそうだ。当時はテレビもなかったし、社交の場というものも床屋が兼ねていたという背景があるらしい。

バーバーショップ・カルテットの音楽は、アイルランド移民のケルト音楽と、アフリカ系の奴隷たちのアフリカ音楽が複雑に絡んで生まれ、発展していったのだそうで、男性4人(だからカルテット・・・なのだろう)の形態が多いが、現在では合唱の形態や女声が入る演奏形態もあるのだそうだ。熱烈なファンも北米を中心に多いらしい。

バーバーショップ・カルテットは大衆が生んだ、大衆から生まれた分野なのだ。

床屋で生まれた芸術なのだ。

kaz



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category: クリスマス 2014

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練習するほど退屈な音楽になる? 

 

先日、ピアノ仲間と話していて、興味深い話を聞いた。その人は音大を卒業しているわけではないのだけれど、ピアノは見事な腕前で、何人か生徒もいるらしい。その生徒の話。

クラシックの曲、たとえばリストの曲などを素敵に、そして達者に弾く生徒が、簡単なメロディー、「むすんでひらいて」とかそのような曲の伴奏がつけられないのだそうだ。これは考えてみれば(みなくても・・・だが)不思議な現象と思える。

楽譜というものを視覚的に捉え、読譜をしていき、そして音にしていく。困難な箇所は、ひたすら反復練習をしたりして整えていく。これはピアノ学習において基本の形なのだと思うけれど、でも「そのくり返しのみ」がピアノを習うということなのかは疑問だ。やはりどう考えても、難曲は弾けるのに、簡単な(こ洒落ていなくてもいいと思うが)即興演奏ができなかったり、簡単な唱歌程度の曲の伴奏も考えられないのはおかしな話だ。

ヤマハのグレード試験などで課せられる即興演奏、級が難しくなるとコードネームが記載されていない。そうなると、途端に難しくなる・・・というのが一般的な捉え方なのだそうだ。

なんでだろう?コードが書いてあったら、そのコードで弾くわけだから、コードを覚えなければならない。コードが書いていなければ、どのような響き(和音)で弾いても不正解ではないのだから、より簡単になると思うのだが・・・

音大のピアノ科を卒業しても、ショパンやラフマニノフは見事に弾けても、耳コピができなかったり、簡単な即興もできなかったりする人は多いのだそうだ。どうしてそうなってしまうのだろう?ここが不思議だ。

クラシック音楽が苦手と言う人は多い。彼らはクラシックの音楽は「とっつきにくい」と言う。

それは音楽、作品そのものがそうなのではなく、演奏に責任があるように僕には思える。なんとなく聴き手と演奏者との距離感というか、一生懸命に練習、研究したものを聴き手は「拝聴させて頂く」のような空気に溢れているような演奏が多いような気がしている。

大衆というものと、離れれば離れるほど、それは「高尚」というものになっていくという独特な空気感・・・

むろん、目的としてはクラシックの曲が好きならば、クラシックの曲を弾くのだから、別にコードを取得したからポップスを弾かなければいけないわけではない。でも、あまりに「即興的要素」という部分がクラシック音楽を演奏するための習得段階において欠けているようにも感じる。そしてそれが既存のクラシックの曲を演奏する場合にも、どこか欠点として現れてしまう・・・

とても達者に演奏できているのだが、聴いていて退屈・・・というような摩訶不思議な現象はクラシック(の演奏)において顕著なのでは?

この人は若いのに昭和の歌謡曲を弾いている。どのような経歴の人かは不明だけれど、音大のピアノ科を卒業しました・・・という弾き方ではないような気はする。

この人の演奏は、すべて「耳コピ」なのだそうだ。楽譜から音にしていったわけではない。楽譜すら存在しないのであろう・・・・

音大ピアノ科を卒業して、これができない・・・というのは、やはり不思議なことだと思うのだが・・・

kaz



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category: ピアノ雑感

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なぜピアノを弾くのか? 

 

「なぜピアノを弾くのか?」なんてわからない。楽しいからではない。ピアノは好き・・・ではあるけれど、練習や人前での演奏は、楽しいとは思えない。辛い・・・とさえ思う。

「では、なぜピアノを弾くのか?」

僕はサナトロジーなとという変わった学問を勉強したせいか、どうも「魂が動く」とか「心が揺さぶられる」のような感情に興味がある。音楽やピアノにも、そのようなサナトロジー的なものを求めているのかもしれない。

僕の場合、少なくとも、「昔から習っていたから」とか、そのような理由でピアノを弾いているのではないと思う。

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僕は鑑賞していないのだけれど、アルゲリッチの映画が公開された。このネルソン・フレイレの映画も、かつては日本で公開されたのだろうか?この映画の中で、「なぜピアノを弾くのか?」という問いへの答えにもなっているようなシーンがある。

フレイレは、同郷のピアニスト、ギオマール・ノヴァエスを大変敬愛しているようだ。彼の部屋には、彼女の写真が飾られ、その中にはフレイレとのショットも含まれている。ブラジル人として、同じ民族としての繋がりというものも感じるけれど、やはり音楽家としての繋がりのようなものを感じさせる。リスペクトのようなもの・・・

フレイレがノヴァエスのCDを聴くシーンがある。深い演奏だ。そのノヴァエスの演奏を聴くシーンから、フレイレ自身が同じ曲を演奏するシーンに変わる。

「なぜピアノを弾くのか?」



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category: クリスマス 2014

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いつまでも いつまでも 

 

今年は「できないこと」が多くなったと感じた一年だったと思う。

今まで弾けていた曲、弾けるだろうと思える曲も弾けなくなった一年だった。頭と手は「弾ける」と反応しているのに、身体と体力がついていかない。

もちろん、そこで諦めたわけではない。できないのなら、弾けなくなったのなら、できる範囲の中で最善をつくそうと・・・

でも体力のなさは致命的だ。音が聴こえにくくなったのも辛い。

今年は、そのことを自ら受け入れた一年だったと思う。受け入れるという前提でベストをつくすという道もあろうかと。でも来年は、もう一度反発してみようかと思う。「できない・弾けない」ということを受け入れ、その中で弾くのはやはりイヤなのだ。だから、来年は「できない」「弾けなくなった」という事実があったとしても「それでも弾くのだ」というスタンスでいってみたい。

「もう弾けないのかも・・・」ではなく「弾くのだ!」と・・・

志しは若くてもいいじゃないか・・・

リヴィア・レフが、最近まで演奏活動をしていたことを知り、大変驚いている。と同時に感動している。リヴィア・レフ・・・ご存知だろうか?日本ではそれほど有名なピアニストではないはずだ。

彼女はハンガリーのピアニストで、たしかリスト音楽院で勉強したのだと記憶している。どちらかといえば、派手なピアニストではない。誠実で真摯なピアノ・・・という印象を若い頃の彼女の演奏からは受ける。

1916年生まれのピアニストだ。これは2009年の演奏・・・

なんだか胸が痛くなるような、心臓が熱くなるような、そんな演奏だ。

いつまでも いつまでも・・・



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category: クリスマス 2014

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色眼鏡 

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲、パガニーニ・ラプソディまでを含めた全集を初めてレコーディングしたのは作曲家自身、つまりラフマニノフだった。では、作曲家自身のレコーディング以後、初めてラフマニノフのピアノ協奏曲全集をレコーディングしたのは誰だろう?

なんとなくロシア人のピアニストを連想するが、実はアメリカ人ピアニストなのだ。

レナード・ぺナリオ・・・

ぺナリオが亡くなって6年程が経った。日本ではぺナリオというピアニストが亡くなっても大きなニュースにはならなかったし、ぺナリオというピアニストの名前すら認知していない人が多かったのではないだろうか?

その現状は現在でも変わらない。ぺナリオを知っているピアノ愛好者、ピアノの専門家は少ないだろうと思う。

ぺナリオは12歳でデビューしている。グリーグのピアノ協奏曲を弾いている。この時はあるピアニストの代役で、なんと1週間で準備したのだそうだ。譜読みから暗譜、そして本番での演奏までを1週間でこなした・・・

アメリカではぺナリオは最もレコードの売れるピアニストの一人でもあったし、ハイフェッツやピアティゴルスキーはぺナリオの溢れるような才能を認め、トリオを組んでいた。

でも彼は、どこか色眼鏡で見られることが多かったピアニストでもある。その理由としては、俗に言う「セミクラシック」というような形態の音楽も演奏したからだ。たとえば、ベートーヴェンの月光の1楽章をオーケストラと共に演奏したりとか・・・

また、映画音楽の分野で有名だった作曲家のクラシックの作品なども初演したりしているし、ぺナリオ自身もハリウッド映画のために曲を書き、自ら演奏している。

「ぺナリオ?ああ、安っぽい通俗音楽のピアニストね?」

「ぺナリオはハリウッドのピアニストだろう?」

ぺナリオはクラシックのピアニストだった。ただ自身がいいと感じる音楽を演奏しただけなのだ。

ピアノの音を聴いて、演奏そのものを聴いて判断したのだろうか?どのように聴いてもぺナリオはクラシックの素晴らしいピアニストだと感じる。少なくとも、僕はそのように思う。

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(2006/11/26)
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ある演奏に対して、99人がいいと思い、1人が退屈だと感じる。この場合、その1人の印象が間違えているとは言えない。演奏の印象は多分に主観的なものだと思うから。

でも色眼鏡で演奏を聴くということは、これとは少し異なるように思う。

この曲はぺナリオ自身が作曲したピアノ曲だ。ハリウッド的なサウンド、香りのする曲だ。「真夜中の断崖」というこの曲はハリウッド映画のために書かれた曲だから、そのような香りがする。それは当然のことだろう。でもぺナリオはハリウッド御用達ピアニストではない。

彼の温かみのある、そして余裕のある音、演奏を聴いて判断してみて欲しい。彼がどのようなピアニストだったかを・・・

色眼鏡で判断することがなくなればいいと思う。

kaz



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category: ピアノ雑感

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肉の交流 

 

フョードル・シャピリアン~声の肖像フョードル・シャピリアン~声の肖像
(2003/01/01)
シャリアピン

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今日はサークルの練習会。このところピアノの練習などできなかったので、早起きしてピアノを弾こうかと・・・

でも、せっかく早く起きたのでCDを聴いてしまう。これでは意味ないね。

フョードル・シャリアピンの歌声を聴いている。かなり以前に購入していたものだが、聴く時間が今までなかった。

シャリアピンの歌なのか、それとも曲の力なのか、彼の歌うグリンカの歌曲に魅せられてしまった。グリンカの曲って、ピアノではほとんど演奏されないし、歌曲も歌われることは少ないけれど、本当にロシアの神髄という気がする。

急遽、グリンカのピアノ曲を今日の練習会で弾いてみようかと思いついた。このような「いいかげんな取り組み」もたまにはいいだろうと思う。

シャリアピンは日本に来日している。昭和11年という遠い昔のことだが、その時には日本の人たちを魅了したという。センセーションを巻き起こしたともいわれている。当時、シャリアピンのロシア民謡のレコードが日本にも紹介されていて、特に「ヴォルガの舟歌」はシャリアピンのレコードによって、日本に広まったともされている。

彼の歌声を聴いていると、とても人間的という気がする。僕は曲の力もあったと思うけれど、シャリアピンの人間的な歌が当時の日本人の魂に触れたのではないかと想像する。

話は変わるけれど、シャリアピン・ステーキという料理がある。これは歌手、フョードル・シャリアピンからきたものなのだそうだ。来日時のシャリアピンは歯痛に悩まされていたのだそうだ。ステーキは大好きだったシャリアピンだけれど、歯が痛くて食べられない。そこで当時の帝国ホテル料理長だった、筒井さんという人がシャリアピンのために、肉をたたいて、さらに玉ねぎに漬込んで肉を柔らかくして提供した。これがシャリアピン・ステーキ。

国境、人種を超え、さらに職業の違いをも越え、人間同士の交流があったのだなぁ・・・などと思う。

kaz



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category: クリスマス 2014

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塀の中と塀の外のタンゴ 

 

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(2014/02/04)
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疲れて帰ってくる。でもピアノの練習をする。何故だろう?誰に強制されるわけでもない。誰かが命令するわけでもない。でも弾く。

むろん、疲れて寝てしまうこともある。誰が叱責するわけでもない。でも自分で自分を叱責する。「今日も弾かないのか?どうするんだ?」と。

何故そこまでしてピアノを弾く?それは好きだからだ。ピアノが好きだからだ。でも、その「好き」は、たとえば高級旅館に滞在するのが好きとか、お買い物が好きとか、おいしいレストランで食べるのが好きとか・・・そのような「好き」とは少し違う。楽しいかと問われれば、それは微妙。辛さもあるから。でも好き・・・好きなんだ。

この感覚は、仕事を持ちながらピアノを続けている人は理解できるのではないかと思う。

そのような人は、この映画も共感できるだろう。「タンゴ・リブレ」という映画。

この映画の主人公は冴えない中年男だ。とても真面目な男だ。不器用なまでに真面目。誰も見ていないのに、車は停止線を越えずに停車させる。そして金魚を飼っている。独身なのだろうか?でも独身にしては大きすぎる家、飾られた家族の写真、この男には、かつては家族というものがあったのかもしれない。でも出ていってしまったのだろう。

この男はタンゴが好きなのだ。タンゴ教室に通っている。疲れて帰ってきても、自宅でステップを踏んだりしている。この男の仕事は刑務所の看守。退屈な仕事だ。疲れてしまう。仕事にも、人生にも。でもこの男はタンゴが好きなんだ。

タンゴ教室で、この男はアリスという女性と出逢う。15歳の難しい年齢の息子がいるという。アリスも生活に疲れている。でも15歳の子どもがいるとは思えないほどアリスは魅力的だ。久々の淡い恋心・・・

ある日、仕事場である刑務所でアリスに会う。服役中の夫の面会に来たのだ。アリスには愛人もいた。その愛人も同じ刑務所に服役している。アリスは奔放な女性なのだ。ますます男はアリスに惹かれていく。

「タンゴを習い始めたの・・・」
「なぜタンゴなんか・・・」
「そんなの私の勝手でしょ。踊りたいの」

嫉妬する夫。妻は塀の外でタンゴを踊っている。情熱の踊りを・・・

夫は服役中の囚人の中にアルゼンチン人がいるのを知る。

「お前・・・アルゼンチン人か?」
「そうだが?」
「タンゴは踊れるか?」
「俺はアルゼンチン人だぜ?」
「お願いだ。俺にタンゴを教えてくれ。タンゴを踊れるようになりたいんだ」

このアルゼンチン人の囚人役にはチチョ・フルンボリというタンゴの名手が扮している。実に見事な踊りをスクリーンの中で見せてくれる。

男だけの、塀の中でのタンゴ教室。囚人だけのタンゴ教室。

「タンゴは魂の踊りなんだ!」

面白半分に見ていただけの囚人たちも、次第にタンゴの魅力に目覚めていく。

踊りの輪が広がっていき、群舞になっていく。

塀の外の生活も大変だ。でもタンゴを踊る。好きだから・・・
塀の中の生活はさらに過酷だ。でも囚人たちはタンゴを踊るのだ。好きだから・・・

どんなことが起こっても、タンゴを踊る。タンゴが好きだから・・・

囚人たちが、一人、二人とタンゴ教室に加わっていく。そして全員がタンゴを踊る・・・

この心理はピアノを弾く人なら理解できるはずだ。

好きだから・・・

kaz



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category: kinema

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祭典 

 

RiteRite
(2013/04/09)
Jon Kimura Parker

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このCDを聴いた時には正直驚いたものだ。緻密で大胆な響きの演奏そのものにも驚いたのだが、この演奏は「春の祭典」と「ぺトルーシュカ」をジョン・キムラ・パーカーが自分で編曲したものだったからだ。

現代のピアニストでも、ハフやヴォロドス、カツァリス、あるいはサイのように編曲や即興が得意なピアニストはいる。でも僕はジョン・キムラ・パーカーは、そのような意味では普通のピアニストだと思っていたのだ。少なくとも、過去、彼はそのような方面で有名であったわけではない。

日系カナダ人で、ジュリアード音楽院出身のリーズで優勝したピアニスト・・・だと思っていた。つまり、過去の作品を弾くだけのピアニストだと認識していたのだ。それが、いきなりストラヴィンスキーの作品を自分で編曲してしまうとは・・・

今はどうだか分からないが、ヤ●ハのグレード試験では課題曲にヤ●ハ出身の子どもの作品が課題曲の一つになっていた。実にキャッチ―というか、たいしたものだと思う作品群だ。これらの曲を作曲した才能ある子どもたちが、ショパンやベートーヴェンの作品を見事に演奏できるのか・・・と考えてみる。演奏できる可能性は高いとは思う。でも全員ではないだろうとも思う。

逆のパターンを考えてみる。何千人もの聴衆を酔わせることのできるピアニストたち、彼ら、彼女たちが作曲とか即興とか、そのようなものを特別に教育されていないとしても、ある程度の即興能力、作曲能力は備わっているのではないかと僕は想像する。アルゲリッチは自作品を演奏しないけれど、そして編曲もしないようだけれど、全くできないとは思えない。

別にそのようなピアニストではなくても、聴いている人を惹きこんでしまうようなピアノを弾く人は、ある程度の「そちら方面?」の能力が特別にそのようなレッスンを受けていなくても備わっているのではないか?説得力あるショパンの演奏のできる人が「むすんでひらいて」の伴奏を自由につけられないとか、ピアノの前で即興も何もできなくて固まってしまうとか・・・まずないのではないかと思う。

なんとなく意識の問題なのかもしれないと思う。楽譜を視覚的だけで捉えて、規則通りに鍵盤を押さえていく・・・のではない何かがあるのだ。きっとそうだ・・・

まずは音符からサウンドが頭の中で鳴らせるか、鳴らせないか、なのかもしれない。鳴らせれば、実際にはまだ弾けていなくても、理想サウンドというものが存在しているのだから、そこに無意識に近づいていける。そしてそのような作業が練習となる。逆に、サウンドを鳴らせない人は、まずは「音にしていく」をしていくことになる。この段階で理想サウンドとの比較ができないか、あるいはそのような意識が薄いので、なんとなく「弾きました。それで?」のようなことになってしまいがちなのでは?一応弾けてから考える・・・みたいな?

どうなのだろう?



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category: ピアニスト

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モスクワの夜は更けて 

 

本当は歌声喫茶のことを書く予定ではなかった。「モスクワの夜は更けて」という曲から、つい歌声喫茶を連想してしまった。本当は編曲能力ということについて書きたかったのだ。編曲、あるいは即興演奏の能力について。

もし、音大の入試で次のような課題があったらどうなるだろう?多くの受験生、そして指導する教師も当惑するのではないだろうか?

課題:「モスクワの夜は更けて」というロシアの曲があります。この曲をピアノ独奏用に編曲して演奏しなさい。条件として、ピアノのリサイタルでのアンコール演奏というイメージで編曲すること。

今も、昔も、そして趣味だろうが専門だろうが、クラシックのピアノを習っている人は、「書かれている楽譜の再現しかできない」という弱点があると思う。何も、大作を作曲したりとか、ジャズの名プレイヤーのアドリブのように延々と弾けと言っているわけではない。そのようなことではなく、あまりにも「楽譜再現」という能力に偏ってはいないだろうかと・・・

ショパンやモーツァルトの時代にまで戻らなくても、100年程前までのピアノ黄金時代のピアニストは、自分で作曲したり、アンコール用に自分で編曲したりすることが当たり前だった。この能力、なんとなく既存の曲を演奏する際にも強力な武器となるような気がする。

一生懸命、長時間さらい込んだ曲なら弾ける、というか、さらい込んだ曲しか弾けないというのは、割と普通にある現象なのではないかと思う。クラシックのピアノ学習者にとって、楽譜のない状態で、いきなり「何か弾いてくれない?」と要求されるのは、とても大変なことなのだと思う。これって、当たり前のようだけれど、もしかしたら当たり前ではないのかもしれない。

大昔のことだけれど、ある楽器製造会社経営の音楽教室に関係していたことがある。むろん、講師として働いていたわけではないが、この音楽教室の理念というか、目標設定は素晴らしいものだったと記憶している。ただ楽譜に書いてあることを並べるというだけではない、総合的音楽能力の育成を目的としていたように思う。モチーフから即興できたりとか、自由に和声がつけられたりとか。そして自作の作品を演奏できたりとか・・・

目標、目的は素晴らしいものだったけれど、でも実態というか、街の教室レベルでは「楽譜が読めません」「どうやって練習していいのかわかりません」という生徒、そして「練習させようにも簡単な楽譜すら読めないんですから」「耳だけで弾いちゃうのよね。なまじサウンドとして豊かなものを浴びてしまっているので、楽譜から音にするというシンプルなことに満足できない感じで・・・」という悩む教師たちの姿があった。才能ある選ばれたエリートならそうではなかったのかもしれないけれど、巷には「楽譜の読めないピアノの弾けない子」が沢山いたように思う。それはとても不幸な姿だったように記憶している。理念は良かった。でも何かがいけなかった・・・

でも考えてみればおかしな話ではある。総合的な音楽能力の育成を、実態が伴っているかは別としても、民間の楽器製造会社の音楽教室や、個人の街のピアノ教室の先生の中で、その方面に熱意のある人の教室だけがそのような方向性になっているということがどこかおかしい、というか逆のような気がする。本来は専門機関、専門家育成を目的とする音大、その音大の入試で、そのような能力を求めていくようにすれば、ピアノ教室も変わってくるのではないだろうか?今は言葉は変だが、下が一生懸命で上は超保守的という感じがする。本来は逆なのではないだろうか?上が引っ張っていく図式が理想というか・・・

音大の入試で、即興演奏や自作の作品、編曲作品の演奏をも課題にしたら何かが変わってくるかもしれない。あまりにも過去の偉大な作品を弾ければ・・・という面が強すぎなのでは?楽譜を、音符を音にするという側面だけに偏りすぎているというか。

音楽院、コンサーヴァトリー・・・つまりコンサヴァティヴ。音大とか音楽院というところは、もともとが保守的なものなのかもしれない。

昔はピアニストも作曲したり、編曲したりしていた。今だってそのようなピアニストはいる。いるけれど「編曲もするピアニスト」というカテゴライズはされる。まだまだ過去の作品だけを演奏するピアニストが主流で、それが普通なことなのだ。

スティーヴン・ハフというピアニストは作曲もするし、編曲もする。この能力は彼がショパンやリストを演奏する時にも役立っているように感じる。ハフの弾くショパンやリストは「ハフのショパンやリスト」のように聴いていて感じるから。ただ楽譜を音にしています・・・という演奏ではないように思うから・・・

スティーヴン・ハフの「モスクワの夜は更けて」



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category: ピアノ雑感

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歌声喫茶 

 

「モスクワの夜は更けて」というロシアの曲は僕でも知っている。誰かに教えてもらった記憶は全くないのに、何故か知っている曲なのだ。どこかでメロディーを聴いたということなのだろう。このような曲って、けっこうあるのかもしれない。

この「モスクワの夜は更けて」は、まずアメリカで火がついた。ケニー・ボールという人のレコードが全米第2位となる大ヒットとなったのだそうだ。これは民謡をもとにした曲としては異例のヒットかもしれない。

日本でも多くの歌手が「モスクワの夜は更けて」をカバーしている。個人的にはフランク永井が若い頃に歌ったものが素晴らしいと思う。1950年代から60年代にかけて、日本では、「モスクワの夜は更けて」のようなロシアの曲がヒットする理由があったのだそうだ。それは「歌声喫茶」の存在。

僕よりも年齢が上の方は、もしかしたら歌声喫茶に懐かしさを感じる人は多いのかもしれない。今の日本の風景としてはありえないことだけれど、当時は喫茶店で赤の他人どうしが肩を組んで、ロシア民謡を歌っていたこともあったのだ。

なぜ「歌声喫茶」は繁栄したのだろう?それはロシア民謡というものが、日本人の心情とマッチしたということがまずあると思う。日本人は、どこか哀愁漂うメロディーが好きなのだと思う。あとは、学生運動や集団就職など、当時の人々の生活の中に、どこか「連帯感」を求めているところがあり、そのような背景も歌声喫茶が流行った要因かもしれない。

歌声喫茶が衰退したのは、やはり「カラオケ」の出現なのだという。そうかもしれないね。あとは、皆が肩を組んで歌ってしまい、なかなか飲み物や食べ物を注文しなかったということも歌声喫茶の経営を難しいものにしていたという。そうかもしれないね。

でも、現在は、歌声喫茶衰退後の歌謡曲全盛時代を経過し、どこか歌謡曲は元気がないように思う。娯楽の多様性ということもあると思うけれど、キャッチ―なメロディーが生まれにくくなったということもあると思う。カバー・アルバムというものは、現在歌謡曲界の売り上げで無視できないものとなっているらしい。次から次へとカバーをする歌手が誕生し、「カバーの帝王」とか「カバーの女王」と呼ばれる歌手もいるのだという。

10年後の日本、もしかしたら「歌声喫茶」がどこかで復活しているかもしれない。

kaz



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category: 未分類

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星の輝く夜 

 

初めてドビュッシー最初期の歌曲、「星の輝く夜」を聴いた時、まず感じたのは「ドビュッシーなのにメロディーがある!」ということ。考えてみれば、これはとても変な感想だなと我ながら思ったりはする。

でも、ドビュッシーの歌曲は、マチュアになるにつれ、どんどん難解になっていくような気がする。スクリャービンのピアノソナタもそんな感じだろうか?

まだドビュッシーならではという個性が感じられない曲、中期や後期の歌曲と比較すると未成熟な作品と捉えられることの多い「星の輝く夜」だけれど、まあ、そうなのであろう。

でも考えみれば、この曲はドビュッシーがまだ高校生(日本流に言えば)の時の作品なのだ。

この曲は、「どこか後年のドビュッシーらしいところはないだろうか?」と探すように聴くよりは、当時全盛だったサロン文化というものに思いを馳せて聴いてみると、この曲の良さが感じられるのではないかと個人的には思う。

まだ「自分独自の世界」というものに入ってしまう以前の、サロン文化の香りが漂うドビュッシーの世界・・・



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category: クリスマス 2014

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恍惚の時 

 

「恍惚の時」という歌曲はアーンが15歳の時の作品。

僕は声楽を学んだことはないけれど、素人の僕が聴いても、この曲は演奏至難の曲なのではないかと思う。全体を弱声で通さなければいけないし、特に曲の最後の部分は歌手泣かせの部分なのではないかと想像する。

技術というものは、その使われ方にとって感じ方が異なってくるが、ゲッダのこの曲の歌唱は、まさに「技術はこのように使用するものだ」というお手本のような歌唱のように思う。

15歳・・・日本流に言えば、中学3年生なんだねぇ・・・



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category: クリスマス 2014

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僕の詩に翼があったなら・・・ 

 

今のクラシック界の演奏会は、プロの演奏家の演奏を素人が拝聴するという形が一般的だけれど、かつてのヨーロッパには「サロン文化」というものが存在していたのだという。そのようなサロンでは、今のようなプロとアマチュアのような境界線のようなものも少なかったのではないかと想像したりする。ショパンやリストのピアノ曲も、もともとはサロン文化というものが存在していたからこそ、花開いたとも考えられる。

サロン文化というものを考えた時、真っ先に思い浮かぶのがレイナルド・アーンの曲。彼の曲は歌曲が最も知られている。

レイナルド・アーンはベネズエラ生まれなのだけれど、3歳の時にフランスに渡っている。後にフランスに帰化しているので、フランスの音楽家と言っていいのだろうと思う。

10歳の時にパリ音楽院に入学し、マスネやサン=サーンスに師事する。特にマスネはアーンの才能に惚れ込み、存命中はアーンの後押しをしていたようだ。マスネのような音楽家以外にも、当時のサロンではプルーストやサラ・ベルナールという芸術家もアーンと親交が深かったらしい。

パリ音楽院という専門機関で学んだアーンだけれど、その自作品の発表というものは、大きな会場でプロの演奏家に依頼して・・・という現在のような形ではなく、主にサロンで行われていたようだ。アーン自らがピアノを弾き、そして歌って・・・

アーンのピアノの腕前は見事なもので、さらに歌の才能も素晴らしかった。彼の弾き歌いはCDにもなっている。

アーンの歌曲で、現在知られているものは、そのほとんどが10代の時の作品なのだと言う。よく「サロン的・・・」と評されたりするアーンの歌曲だけれど、まさにアーンの歌曲は大きなホールよりも、サロンで演奏されたであろう響きがする。

これからの時代、もし時代というものが逆行して、ロマンティックな時代になっていくとしたら、演奏会というものの形態、演奏家と聴衆というものの関係も、かつてのサロン文化に戻っていくかもしれない。

まだまだ声楽専攻の学生でさえ、アーンの歌曲を知らない学生がいるのだという。これからは、アーンの作品は光が当たっていくような気がしている。

アーンは早熟な天才として知られていた。彼の歌曲で最も有名な曲は「僕の詩に翼があったなら」という曲。ユゴーの詩に曲をつけたものだけれど、この曲はアーンが13歳の時に作曲したものなのだ。アーン少年が弾き歌いをし、当時の文化人がサロンで聴いたのだ・・・

「僕の詩に翼があったなら」

僕の詩はやさしく 軽やかに飛んでいくのに
あなたの美しい庭へと
もし 僕の詩に翼があったなら
鳥のような翼が

輝きながら飛んでいくのに
あなたの明るい暖炉のそばに
もし 僕の詩に翼があったなら
精霊のような翼が

あなたのそばへ 純粋に 誠実に
夜も昼も通い続けるのに
もし 僕の詩に翼があったなら
愛のような翼が



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ライムライト 

 

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チャールズ・チャップリン

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ライムライトとは、電球が普及する以前の劇場の照明のことで、このことから「名声」という意味をも持つ言葉なのだそうだ。チャップリンの「ライムライト」という映画は、無償の愛というものをテーマにしているのではないかと個人的には感じる。

若いバレリーナを励まし続ける喜劇役者であるカルヴェロ。バレリーナ、テリーへの恋愛感情というものはあったのだろうか?あったのかもしれないが、そのような感情を超えた愛情というものをカルヴェロはテリーに与え続けるのだ。テリーの成功、光に包まれ脚光を浴びるテリーを見ながら、カルヴェロは一人死んでいく・・・

この映画は数々の名セリフに溢れている映画としても有名だ。

「人生に必要なもの、それは勇気と想像力、そして少しのお金だ」

「希望がなければ瞬間を生きればいいじゃないか。素晴らしい瞬間だってあるんだから・・・」

「アマチュアを卒業できるほど私たちは長くは生きられないものだ」

この「ライムライト」という無償の愛、その映画の世界をフィギュアスケートで表現した人たちがいる。基本的には、フィギュアスケートはスポーツであるので、ジャンプ構成などの難易度は日々進歩しているものだと思うけれど、10年以上経過した時を経ても、色褪せない演技というものもある。

カルヴェロはテリーに言う。

「昔、親父におもちゃをねだったんだ。そしたら親父はこう言ったんだ。最高のおもちゃはここにあるんだよと。頭を指しながらね・・・」

テリー:「とても喜劇役者の言葉とは思えないわ」
カルヴェロ:「そうか・・・だから喜劇役者としては売れないんだな」

このシーンが意味なく何故かとても好きなんだ。

スケートによる「ライムライト」の世界・・・



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人生よ ありがとう 

 

アルゼンチンのトゥクマンという街、何故にこの土地を訪れたいと思うのか?

一つにはフォルクローレ歌手、メルセデス・ソーサの出身地であるということ、また同じくフォルクローレ歌手で、ヌエバ・カンシオンの語り手、アタウアルパ・ユパンキの歌、「トゥクマンの月」という歌が大好きだからでもある。

「トゥクマンの月」

私が月に歌うのは月が美しく輝いているからじゃない
月は私の人生を共に歩いてくれた友達だから歌うのさ
トゥクマンに照る月よ・・・
孤独の月よ・・・
お前と私は似た身の上じゃないか

この歌だけでも、僕はトゥクマンという場所に行ってみたくなるのだ。また、「母を訪ねて三千里」でマルコ少年が母親と、とうとう巡りあう街がトゥクマンなのだ。

さて、クリスマスに酔いたい曲は実はユパンキの「トゥクマンの月」ではなく、やはりヌエバ・カンシオンの語り手であったビオレータ・パラの「人生よ ありがとう」という曲。

アルゼンチンもそうだけれど、南米諸国は昔、軍政政権の独裁政治の支配下にあり、民衆の多くは貧しさに耐えていた。むろん、圧政に闘う人も多かったわけだけれど、多くの人は虐げられた人生というものを送っていたのだ。

歌で人生を変える、生き方を変える・・・それがヌエバ・カンシオン運動。催眠ガスを浴びせられても、拷問を受けても、殴られても人々は歌を歌って自身の尊厳を守り抜いたという。

チリ出身のビオレータ・パラの歌も南米の人々の心の歌だったのだろう・・・

ビオレータ・パラ自身が作詞、作曲をした「人生を ありがとう」は彼女の最後のアルバムに収録されている。このアルバムが世に出た翌年、彼女は拳銃で自らの命を絶っている・・・

「人生よ ありがとう」

人生よ ありがとう
こんなに私にくれて
笑いを、そして涙を・・・

私は見分ける 幸せと苦しみ
私の歌をつくる二つのものを

あなたたちの歌、それこそがこの歌
すべての人の歌、それが私自身の歌

人生よ ありがとう
こんなに私にくれて・・・



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私を泣かせてください 

 

街はクリスマス色に染まる。クリスチャンではなくても、この時期は心浮き立つものがある。イルミネーションも綺麗だし、クリスマスソングもいい感じだ。

今年も、もう終わるんだという感慨、そして来年のことを計画するという贅沢・・・

クリスマスまでの今の時期はとても好きだ。

世の中には素晴らしいクリスマスソングが沢山存在していて、それらの曲を聴くのもいいのだけれど、僕なりの超個人的なクリスマス音楽を綴っていきたい。まったくクリスマスとは関係のない曲ばかり登場すると思うけれど、僕にとっては心浮き立つ曲、そして少しだけ敬虔な気持ちになる音楽・・・

歌曲ばかり登場させないように心掛けるのだけれど、最初はやはり歌になってしまった。曲・・・というよりも歌手が好きなんだと思う。

基本的に、僕はカウンターテナーを聴かない。でも、この人は別。フランコ・ファジョーリというカウンターテナー。カウンターテナーの声って、どこか「無垢な少年」というイメージがあり、そこが物足りない。でもこの人の声は、非常に人間的というか、セクシャルな感じがするというか、血が通っているというか・・・

おそらく、女声だとメゾになるような声質が魅力的に感じる要因なのだと思う。カウンターテナーへの僕の偏見を取り払ってくれる。

フランコ・ファジョーリは、アルゼンチン出身、それもトゥクマン出身の歌手だ。トゥクマンという場所は死ぬまでに一度は訪れてみたい所でもある。

フランコ・ファジョーリの歌う「私を泣かせてください」



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夢を求めた反抗 

 

「虹の彼方に」は「オズの魔法使い」からのナンバー。

弾いてみたい曲はウィリアム・ヒルツの「オズの魔法使い幻想曲」という曲。選曲の理由としては三つある。一つは、もともとの曲がミュージカルという「歌」の曲であるということ。

二つめが、ジュディ・ガーランド主演のこのミュージカル映画が公開されたのが1939年であるということ。1939年といえば、第二次世界大戦の開戦の年だ。世の中は殺伐としていたのではないかと思う。でも、そのような世の中だからこそ、このような夢満載のミュージカル映画を製作し、人々はその夢に酔ったのではないだろうか?僕はオズの魔法使いというミュージカルは、ただ「楽しいわねぇ・・・」というだけではない、どこか力強いものを曲から感じる。それは、製作者、そして世の中の人々が求めた「夢」というものが曲に託されたからではなかろうかと・・・

三つめの理由は、この曲が難曲であるということ。この曲は、ジョン・キムラ・パーカーというピアニストが弾くということを想定して書かれていると思うので、演奏至難な箇所満載なのだ。楽譜を眺めているだけでも演奏不可能と思えるほどだ。ジャッキー自身も自分のブログの中で「僕は今までこんなに難しい曲は弾いたことがない」と書いているほどだ。

僕は難曲好きというわけではない。指は動かないし、腕も固いし・・・

だからこそ弾く・・・というところがある。病気いうものは、僕の体力というものを奪っていくのだろうと思う。徐々に体力の必要な曲は弾けなくなってくるだろうと思う。

病気というものは自分ではコントロールできないものだ。仕方がない。でも自分の人生、自分のピアノライフというものは、病気というものに主導権を渡すことは許せないことなのだ。その部分は「自分」というものがコントロールしていきたい。病気というものへの自分なりの挑戦、そして反抗でもある。なので、難曲、演奏至難曲というものに取り組むのだ。

来年は、この「オズの魔法使い」に取り組むことによって、自分も夢を追い、そして反抗したいのだ。

kaz



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category: ピアチェーレ

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虹の彼方に 

 

演奏会は終了したばかりで、今はボーッとしている。でも来年のピアチェーレの演奏会まで一年ないので、構想ぐらいは練っておかねば・・・と思う。

いつも反省する。本番まで間もない時期に曲を変更したりして、バタバタとしてしまう。今年も後半の曲は突貫工事という感じではあった。時間をかけ、じっくりと弾きこんでいく・・・というスタイルにとても憧れる。いつもできないんだけど・・・

今年は、以前に弾いた曲を再度弾いた・・・という曲が多かったので、来年は全曲新曲に取り組んでみたい。体力のこと、練習時間のやりくりのことを考えると、やはり長期戦で来年は取り組みたいと思う。

来年の僕のコンセプトは、歌へのリスペクト、そしてピアノへのリスペクト・・・というもの。歌というものは、僕の音楽体験の原点ともなっているところだし、歌をテーマとした選曲をしたい。さらに、ピアノという楽器へのリスペクト、その楽器としての可能性というものへのリスペクトを作曲者(編曲者)が感じて生まれたと思うような曲、そのような曲を選曲したい。つまり、非常に歌的要素が強くもあり、またピアノ的な要素も強い曲、歌とピアノとの融合というのだろうか、そのような曲を選曲したい。

今年は歌の世界をストレートにそのまま表出したという感じだけれど、来年は歌の世界をピアノ技法というもので包み、ピアノ的サウンドで表出してみる・・・

構想だけは立派だねぇ・・・

実は選曲は済んでいる。この曲が登場するだろう。

この曲は「オズの魔法使い」の中の最も有名なナンバーだけれど、実はこの曲は世に出なかった可能性の高かった曲なのだ。作曲者はハロルド・アーレン。普通は詞が先にできて、曲をあとにつけるのが普通の順序なのだけれど、この曲はメロディーが先に生まれた。アーレンは「オズの魔法使い」の作詞担当のエドガー・イップ・ハーバーグに詞をつけるよう依頼した。でも彼は、最初は拒否したのだ。

「うーん、このメロディーだとちょっとね。ドロシーは14歳なんだよ?それも田舎娘だ。ちょっと洗練されすぎているというか、ドロシーが歌うには大人っぽいのではないかな・・・僕は反対だね」

でもアーレンは諦めなかった。友人でもあったアイラ・ガーシュウィンに頼み、後押し、説得を手伝ってもらったのだ。「このメロディーはいい。きっとヒットするだろうし、しかも後世に残るだろう」

渋々・・・という感じで詞が完成した。そしてその曲は「虹の彼方に」と名づけられた。

ジュディ・ガーランド扮するドロシーが「虹の彼方に」を歌うシーンも撮影された。しかし、完成した映画を観た映画会社の幹部から「虹の彼方に」はドロシーという14歳の少女が歌う曲としてどうなのか・・・と意見があり、この曲はカットされることになった。カットに猛反発したのが、プロデューサーであったアーサー・フリード。彼が頑張らなければ「虹の彼方に」はカットされてしまっていたのだ。この曲は今では誰でも知っている曲になっているが、もしかしたらお蔵入りしていた曲なのだ。

さて、ピアノで「虹の彼方に」をどう弾くのか?

もちろん、有名な曲なので、いろいろなピアノ譜があるのだろうけれど、もちろん簡易に編曲されたバージョンでは弾かない。ジャズのピアニストはこの曲を好んで弾くけれど、そのような、たとえばキース・ジャレットの「虹の彼方に」のようなジャズの形でも弾かない。

どう弾くのか・・・

それは次回にでも・・・

kaz



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category: ピアチェーレ

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正統的純クラシック 

 

先日の演奏会、聴いて頂いた方々からのメールを読んだりしている。概ね、好評だったのではないかと思う。悪意の感じられるメールはなかったので、本当に良かった。そのような人は聴きには来ないだろうが・・・

悪意のある文章ではないし、褒めてくださってはいるのだが、僕としては考え込んでしまうようなメールが一通だけあった。

「もしkazさんがクラシックを学んでいたら音大にも合格していたかもしれませんね・・・」

考え込んでしまったのは、音大にも合格という部分ではなく、もしクラシックを学んでいたら・・・の部分。むろん、あの時の僕の演奏から判断して、音大には合格しないだろうと判断されたのは、考え込んでしまうところもあるけれど、僕の演奏から「非クラシック」というようなものを感じ取った方がいたのだという部分に考え込んでしまった。

あの時の演奏会では、僕はクラシックの曲を演奏したという認識があったし、そもそも僕はピアノを再開してから「クラシック」のピアノを弾いていたという認識しか持っていなかった。

自分で編曲した曲を3曲も弾いた・・・というところがそう思われた理由なのだろうか?多分そうなのだろうと思う。おそらく、音大のピアノ科を卒業した「正統派」の人は自分で編曲なんかしたりしないのが普通なのでは?

僕は音楽理論や和声、編曲などを学んだ経験はない。演奏会で弾いた3曲も、編曲というよりは、耳コピに近いものだ。むろん、ジャズを学んだこともなく、コードなども理解していない。

でも、簡単な耳コピぐらい、つまり演奏会で僕が弾いた程度の編曲は、別に特別に何かを学ばなくてもできるものと思う。僕にもできたのだから・・・

それができない・・・という方が僕には奇異に感じられる。

なんとなく、あまりに「クラシック正統派の演奏=既存の曲を読譜して練習を重ねて音にしていく」・・・という側面だけが強調されてはいないだろうか?

僕は完全に「非クラシック」の人間と思われたようだ。

「普段はバンドなどで演奏されているのですか?」ともそのメールにはあったので、おそらくその人はそう思ったのだ。

あとは、僕の演奏そのものから、正統派というか、そのようなものと違うものを感じ、そこから「クラシックをきちんと学んだ人ではない」との印象を持った可能性もある。もしかしたら、こちらの方が可能性は高いのかも?

この件について、演奏会の報告がてら、友人に質問してみた。「こう思った人がいて・・・」みたいに。その友人は、アメリカ人で、ピアニストでもあり、またピアノ教師でもある。音楽院で教えている人でもあるので、ある意味では「正統派」の人なのではないかと思う。

「それは日本人特有の、あるいは日本人の好きな、きっちり感のようなことと関係しているのだと思う。僕は日本人留学生の演奏を自分のクラスでも、コンペティションなどでも聴くことがあったけれど、何というか、全員きっちり、きちんとしていたという印象がある。それは日本人特有の国民性のようなものなのかもしれないけれど、僕は日本のピアノ教育の特殊性に関係あるような気はしている。どこか、自発性というものを犠牲にして、型を重んじるというかね。kazの演奏にはそのようなところが日本人なのに感じられないので、その人はそう思ったんじゃないかな?クラシックではないと・・・」

昔はクラシックのピアニストも演奏会で自作を弾いたり、自分で編曲した作品を普通に演奏していたのになぁ・・・

kaz

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category: ピアノ雑感

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