ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

本番で緊張しない方法 

 

まぁ、一応昨日は演奏会であったわけで、本番だったわけで・・・

基本的には「未来しか見えない人」でありたいというか、実際には「反省をしない人」であるため、昨日の演奏がどうたらこうたら・・・という記事は書けないですね。これは「自分の記録」というものに執着しない性格も関係しているかと思う。旅行にもカメラ持参しない人だから・・・

しかしながら、記憶が鮮明なうちに記しておきたいこともある。それは「本番で緊張しない方法」というもの。何故か、他人からは緊張しているようには見えないらしいのだが、僕は緊張する方だと思う。昨日も緊張して手が震えていて、着替えの時、カフスボタンに手間取り、助けてもらったくらいだ。まぁ、単なる不器用という言い方もできるが。

緊張しない方法について検索すると、まあ、いろいろと出てくる。これを全部実行したとしても、緊張はすると思う。

「緊張しない~」ではなく「緊張しても~」という思考がよろしいのかと思う。何をしても緊張するのだ。いつもと異なる服装、靴、舞台、皆が自分に集中しているという嫌な感覚(快感という人もいる)、何があっても自分一人という孤独感、リハーサルでは感じなかった舞台空間の広さ、そして戸惑い・・・

聴いている人が御菓子を食べながら、雑談をしていれば緊張はしないと思うけれど・・・

どんなに深呼吸をしても、聴き手をカボチャだと思っても、緊張するのだ。

「緊張しない方法」を考えるよりは、「緊張した時の想定」というものを考え対処できるようにしたほうが得策なのだと思う。でもこれもまた難しい。筋肉だけの動きに頼らないということは大きいのかもしれない。写譜をすれば、かなり違うけれど、実際には、そんな時間はない。本番だって、やっと休みを取っているぐらいなんだから・・・

緊張の原因は、まず「暗譜」ということなので、僕は頭の中で音を鳴らし(右手、左手別々に)視覚的な鍵盤上での指の動きを脳内でリアルに想定するという練習(これも左右別々に)をしている。結構、効果はあると思う。でも、誰にでも合う方法ではないのかもしれない・・・

発想転換してみてもいいのかもしれない。「舞台での私・・・いつもの私・・・リラックスしている私・・・」というものを目標とし、理想とし頑張っても意味がないような気もするのだ。緊張感というものは、いい演奏というものと結びついているような気がするからだ。なので、緊張することはいいことなのだ。弛緩していたら演奏なんてできないし。なにも「心の弛緩状態」を目指すこともあるまい。

なんだぁ・・・と言われるかもしれないけれど、最も効果的なのは「万全の準備」「万全の練習」というもの。何があっても対処できるように、練習を重ねる・・・ということかもしれない。「ここまでベストをつくしたんだから・・・」という強い気持ちは、本番前、自分の曲や名前がアナウンスされている最後の踏ん張りどころ(まだ演奏していないが)で精神的な支えになる。ただ、この方法は、「保険」という意味合いを持ってきてしまうところに危険性が潜んでいる。「ここまでベストをつくしたんだから・・・事故があっても大丈夫・・・なんとかなる」と思いすぎると、実際に何かが本番であった時(普通はある)に精神的な余裕というものが持ちにくくなる。普通は、思わぬミス、思わぬところで暗譜落ち・・・というのが本番の常。想定できるところは練習済みでも、普通はそのようなところ意外の場所で何故かミスをする。あまりに「保険的」なものを練習に求めると、実際には逆効果ということもある。

まぁ、大切なのは「音楽に没頭する」ということでしょうか。

それが難しいから悩むんだけどねぇ・・・

なので「~という方法」というものは見つからないんですねぇ・・・

実際には聴衆というものは、演奏家がはずした音、ミスの回数というものを数えながら聴いているわけではない。なので演奏中にミスをして一瞬真っ白になったとしても、「知らんぷり」「聴こえなかったふり」をして堂々を弾いていればいいのではないか・・・でもこれも難しいんだよねぇ・・・

ピアニストでもミスはある。暗譜落ちだってある。

たしか戦後間もない頃だったと思うけれど、シュナーベルもコンチェルトでやってしまったことがある。ソロだったら、まだしも、合わせものであるコンチェルト・・・シュナーベルも内心焦ったのではないだろうか・・・

K.488のコンチェルト、シュナーベル、完全に止まってしまっている。当然オケも止まる。指揮者も固まる・・・聴衆も固まる・・・

この時、シュナーベルは悠然と指揮者に歩み寄り、スコアを確認し、打ち合わせをし、再び弾き直している。何もなかったかのように・・・

シュナーベルは二度とコンチェルトのソリストとして呼ばれなかった・・・ということは、もちろんなかった。聴衆は奏でられた「音楽」に拍手喝采をした。

恐怖の瞬間は5分くらいのところでしょうか?

kaz



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category: ピアノ雑感

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幼年期からのもの 

 

先の記事でティノ・ロッシが歌っていたのは、ビゼーの「真珠とり」、ナディールのロマンス・・・

とても甘美なメロディーで、いろいろなジャンルに編曲されているけれど、実はオペラなのだ。

テノールというと、朗々と声を張り上げて・・・というイメージが強いけれど、個人的にはリリカルな歌唱や声の質を僕は好むようだ。このような個人的な嗜好のようなもの、心の内側で共感できる何か・・・その形成は幼年期なのではないかと思ったりする。むろん、形として表面化するのは、ずっと後になってからなのかもしれないが・・・

子どもの感性の部分、このあたりの研究は教育界ではどのように捉えられているのだろう?偶然の音楽との運命的な出逢いなど、普通は期待できないのだから、大人の導きが必要なのだと思う。いわゆる「実施面」では、年齢相応というか、能力に適した段階的な指導ということになるのかもしれないが、心の領域は無限のような気がする。

この曲のクラシックの歌手の歌唱では、ゲッダのものを最初に聴いた。小学3年生の時だったと記憶している。その時には幼年期に聴いたティノ・ロッシと直接結びつけたりはしなかったけれど、高校生の時に、アラン・ヴァンゾを聴いた時には、とても「懐かしい」と感じた。幼年期に触れたもの、それを実感したのだ。ロッシ~ヴァンゾという自己の嗜好方向を自覚したというか。

今はロッシ~ヴァンゾ~ゲッダ・・・共通した何かに触れたいと思う。

kaz



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category: 未分類

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シャンソン・ド・シャルムと幼児 

 

胎児に音楽を聴かせる、モーツァルトとか・・・つまり胎教・・・

実際に、どれほどの効果があるのかは分からないけれど、まぁ、悪くはなかろうとは思う。音楽そのものは胎児には聴こえなくても、お母さんが心地よい気分になることそのものがいいような気はするし。

僕の場合、この世に生まれ出て物心つくまでの間、5歳くらいまでに聴かされた音楽に影響を受けていると感じることが多い。両親とも多忙だったので、その頃は叔父に預けられることが多く、そこで僕は音楽を聴いていたのだ。クラシックの音楽ではなかった。叔父が歌手だったので、やはり歌ばかり聴いていたのだと思う。

絶対音感というものも、おそらく、この時に身についたのだと思う。幼稚園に通っている時、ピアノを習ってもいないのに、いきなり両手で習った歌を弾いたりしていたそうだ。「もしかしてこの子は天才?」・・・とは全くならなかったけれど。絶対音感というもの、この能力が今の僕のピアノライフに役立っているかというと、そんなことはないな・・・と思う。踏切の警報器の音とか、救急車のサイレンのピッチを判断できても何の役に立つのだろう・・・という感じだ。

でも、この時期に聴いた音楽というもの、その音楽が幼児向けの「お歌」ではなく、大人用の歌だったこと、このことは叔父に感謝している。叔父も僕に意図的に聴かせたわけでもないだろうとは思う。自分が好きだったから聴いていたのだと思う。

叔父は、クルーナー唱法の歌手が好きだったので、僕もそのような系統の歌手の歌声を聴いて育った。そして圧倒的に男性歌手のレコードばかり聴いていたので、現在の僕もテノールが好きなのだと思う。

その頃に聴いていた歌手の一人にティノ・ロッシというシャンソン歌手がいる。昔の歌手だ。存命中に、その人気は衰えることなく、ティノ・ロッシ自身も自分の人気に驚いていたそうだ。何億枚もレコードが売れたり、女性を口説くのならロッシのレコードがあればいい・・・なんて言われたり。

「ティノ・ロッシ」というバラの品種もあるらしいし、パリのセーヌ河畔には「ティノ・ロッシ公園」もある。それほどの人気ぶりだったのだ。そして銀幕のスターでもあった・・・

とにかく「甘い歌声」なのだ。朗々と響き渡るとか、絶唱とか、そのようなタイプではなく、甘い・・・

僕の演奏は、「ピアノ的」ではなく「歌みたい・・・」などと人から言われたりする。もしそうなのだとしたら、それはティノ・ロッシの影響だと思う。

僕が幼少時に、いかにも子供向け・・・という音楽を聴いていたらと想像したりする。反対に、3歳ぐらいからピアノを「ガッツリ」練習させられ、ピアノや音楽というものが、ガチガチの「教材・・・」のような感じで育っていたりとか・・・

割と幼児に聴かせたり、歌わせたりする歌って、ちょっと大人感覚すぎるような気がする。つまり大人が発想する「子供用音楽」のような気がするのだ。実際にそのような現場に関係ある職種にいたこともあるのでそう思う。もしかしたら、子どもの感受性って、大人が考えるよりも成熟しているのかもしれない。そして、その時期に触れる音楽が、その後を決定づけるとしたら・・・

ティノ・ロッシの歌は「シャンソン・ド・シャルム」と呼ばれた。つまり「魅惑の歌・・・」と・・・

フッと抜く感じとか、跳躍での繊細さの強調とか・・・好きだなぁ・・・そして影響を受けているなぁ・・・と思う。

「興味を持たせて・・・」ということで、大人感覚になっていないだろうかと昨今のピアノ教育については思う。むろん、弾きこなすという意味では、いきなり「大人曲」は弾けないであろうが、でも、ある程度の年齢になって、音楽が解る年齢になってから「本物を・・・」それまでは「子供用のアニメのソングでも・・・」というのは、少し大人感覚すぎるような気はする。子ども、幼児の感覚は、大人の考えるそれよりも、ずっと成熟しているかもしれない。すぐに聴いたもの、触れたものが花開くわけではない。子どもにマリア・カラスの歌唱を聴かせて、翌日にその子供の演奏が「カラス風」になるわけではない。でも、マリア・カラスの芸術を感じることは可能かもしれない・・・何歳でも・・・

もしかして、小学生になるまでに、あるものが決定づけられているとしたら?

実際に聴いた記憶は残っていないけれど、僕の内なる感覚として残っていたティノ・ロッシ・・・

1~5歳くらいに聴いていた音楽だ・・・

kaz



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category: 履歴書

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ピアニストとしてのシチェドリン 

 

ショパン:マズルカ全集(2)ショパン:マズルカ全集(2)
(1995/10/21)
フリエール(ヤコフ)

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シチェドリンは作曲家として有名だけれど、実はヤコブ・フリエールにピアノを師事したピアニストでもあるのだ。シチェドリンから話題は離れるけれど、フリエールのマズルカは僕が子供の頃に聴いて、衝撃を受けたような記憶がある。派手な演奏でもないし、強烈な個性がある演奏でもなく、どちらかといえば地味な演奏なのかもしれないが、惹かれてしまったのだ。

フリエールは、たしかイグムノフ門下のピアニストだったと記憶している。それよりも、フリエールはピアノ教師としての功績を語られることが多い気もする。たしかに、素晴らしい生徒(ピアニスト)を育てている。ヴラセンコやプレトニョフ、フェルツマンもフリエール門下だったと思う。

フリエールはピアニストとして最も活動的であるべき30歳代のときに、腱鞘炎でステージから遠ざかっていた時期がある。これは辛かったのではないかと僕は思うけれど、でも10年程の空白期間を経て、フリエールは演奏の場に復帰している。この10年は長かっただろう・・・と思う。ショパンのマズルカは、たしか復帰後の録音だったと思う。

シチェドリンは、そのフリエール門下のピアニストでもあるのだ。

シチェドリンの自作自演・・・

国際コンクールで選曲されるだろうな・・・と思う。

アマチュアには遠いな・・・とも思う。

でも、近い将来、弾かれるようになるだろうな・・・とも思う。

kaz



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category: ピアニスト

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アルベニスを模して 

 

ロディオン・シチェドリンのピアノ作品は、しばしば演奏されるようだ。といっても、アマチュアがサークルなどで演奏することは少ないような気がする。なんとなく、プロコフィエフやカプースチンを彷彿とさせる作品のように感じるが、近い将来、「シチェドリン・ブーム」もあるかもしれない。

しばしば・・・という表現は、シチェドリン作品は国際コンクールで演奏されることが多いような気がする。技巧的だし、演奏能力をアピールできるところがあるのだと思う。カプースチンほど有名ではないし、コンクールで弾かれるのは分かるような気がする。

でも、個人的には興味のない作曲家だった。なんとなく「歌がない・・・」という気がしていた。でもその印象は演奏からくるものだったのかもしれない。

ダニール・シャフランの演奏するシチェドリン、「アルベニスを模して」という作品だ。

なんという素晴らしい曲なのだろうと思う。この曲はピアノ独奏版もあるし、ヴァイオリンでも演奏されるけれど、シャフランの演奏を聴くと、「やはりチェロだな・・・」と思う。

演奏というものから受ける印象は大きいのだと思う。その作品はもちろん、作曲家への印象をも聴き手に与えてしまうことがあるのだから・・・

シャフランというチェリストは、どうもロストロポーヴィチの影になっているような印象を持ってしまうけれど、個人的にはシャフランが好きですねぇ・・・

シャフランのシチェドリンには「歌がある・・・」と思う。

kaz



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category: 秘曲

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闘う白鳥 

 

闘う白鳥―マイヤ・プリセツカヤ自伝闘う白鳥―マイヤ・プリセツカヤ自伝
(1996/06)
マイヤ プリセツカヤ

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大昔に読んだ本だ。もちろん、細かな内容は忘れてしまっているけれど、プリセツカヤの半生は苦難の連続だったと記憶している。父親は銃殺されていて、母親は収容所に強制送還されていたりする。少女時代にこのような経験をすれば、そりゃあ、反骨精神も育まれようというものだ。

このプリセツカヤの自伝は、夫であるロディオン・シチェドリンに捧げられている。

作曲家であるシチェドリンに彼女は「カルメン」の音楽の編曲を依頼している。この作品は1960年代にボリショイ劇場で初演されていて、まさに「プリセツカヤのための作品」という趣がある。振付はアルベルト・アロンソに依頼していて、当時のソ連という国の状況を考えると、かなり異例なことのようにも思える。

シチェドリンという人の存在はプリセツカヤにとっては大きなものだったのだろう。

kaz



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category: ピアノ以外の本

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勝利 

 

仕事を終えて帰宅した。これから遅めの夕飯を作り食べる。

明日の演奏会、何を着ようか、そして「大丈夫なのか?」と思う。やはり本番前は落ち着かないのだ。

何も明日の用意ができていないし、おそらく練習もそこそこに、残った仕事を片づけなければならない。

ピアノを弾き続けていくって、結構辛いものだな・・・と感じる瞬間だ。ある程度、生活にも時間にも余裕のある人が本当に羨ましくなる瞬間でもある。

そのような中で、皆ピアノを弾いているのだとも思う。そのような中で、一つの音から曲を紡いでいく・・・

長い人生の中での、その一瞬、その人が、その「一音」を鳴らした瞬間は、人生での勝利なのだと思う。その瞬間は、勝利の瞬間。

なので、ピアノを弾いている人は、その一音を鳴らした瞬間は勝利を得ることができるのだ。その時だけの勝利なのかもしれないが・・・

でも、その勝利の一瞬が重なれば、それは人生の勝利なのだと思う。

この女性、90歳を過ぎているのだそうだ・・・

どのような人生を歩んだのかは知らないけれど、勝利を積み重ねてきたように感じる。

それが大切なのだ・・・そう思う。

kaz



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category: 未分類

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作品を弾く、作品で弾く 

 

明後日(明後日???)のサークル演奏会で、一曲はオリジナルのピアノ曲、あとの二曲は、ギター譜、つまり一段譜をもとに、自分でピアノ用に直して弾く。これを「編曲」というのかどうかは微妙なところだと思う。和声などは、ほぼいじらないし、自分の発想というよりは、特定の演奏を聴いて、自分でピアノ用にしたものだから・・・

編曲というよりは、「耳コピ」というものに近いのかもしれない。でもピアノ曲をそのまま聴音のように耳コピしたわけでもない。ソーサやリベルターといったフォルクローレ歌手の歌やギタリストの演奏を耳コピしているわけだから、実際にはピアノで弾くために多少の工夫は必要なわけだ。

オリジナルのピアノ曲、明後日はゴィエスカスを弾くわけだけれど、この曲と、あとの「耳コピ編曲?」との二曲では、弾く時の心理状態というか、心構えというか、微妙に異なるのに気づいた。自分で耳コピした曲のほうが、なんとなく「自由度」を強く感じる。これは考えてみれば当然なのかもしれない。自分で耳コピして、自分で弾きやすいように弾くわけだから・・・

グラナドスは、当然ピアノの楽譜を弾くわけだから、「楽譜を弾く」「作曲家の作品を弾く」という意識が強い。でもそれでいいのだろうか、耳コピ作品のような自由度がなくてもいいのだろうか?

ここは意見の分かれるところだと思う。というか、ピアノの作品を弾くということは、どのようなことなのかという原点、このところの個人的な考えにより、大きく左右されるところだろうと思う。

「できるだけ作品に忠実に・・・」ということはクラシック音楽の基本なのだと思うけれど、でもこれはクラシック音楽を演奏する際の割と特殊な思考回路のような気もする。ジャズのアドリブとは正反対のような感じだろうか?

「忠実に」という考えそのものに異論を唱えるのならば、「では原典版って何?」という素朴な疑問も起こってくる。じゃあ、楽譜に忠実ならばいいのか・・・というと、そうではないということは多くの人が感じているところだろうと思う。

僕はピアノを弾いている人の最大の悩みは、「弾けない」ということよりも、「ただ音符を並べて弾いてみました」的演奏から抜けられないということだと感じている。

おそらく、忠実にということと、自分の内側から出てくるもの、これを分離して考えることそのものが間違いなのかもしれない。どこかピタッとハマる場所のようなもの、これを見つけるのが難しいのではないだろうかと思う。

演奏する側にとっては、悩み価値のあるところだと思うけれど、聴く立場の人は、演奏を一瞬(数秒)で判断する。つまり、演奏する人が、どのように感じていようと、「うまいかへたか」というようなことを、残念ながら(?)聴き手は冷酷に(?)判断してしまうのだ。ここが演奏の面白いところだし、厳しいところなのかもしれないな・・・と思うわけです。

このバッハの曲、ペレーニのチェロではなく、ピアノのコチシュの演奏を、つい聴いてしまう。個人的には、ペレーニという演奏家の方がコチシュよりも好みだけれど、この曲はコチシュを聴いてしまう。実はこのバッハの演奏は、コチシュが編曲しているバージョンの演奏なのだ。はたして、コチシュはバッハのオリジナル作品だったら、このようなピアノを弾いただろうか、そのようなことを本番前に考えたりしている。

kaz



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演奏会告知 

 

所属しているサークルの演奏会で演奏いたします。一般的なピアノの発表会のように、フラッと立ち寄り、聴くことのできる演奏会です。演奏者は真剣そのものですが。もちろん、入場無料です。

6月28日(土) 13時15分 開場  13時30分開演

場所:仙川アヴェニューホール

僕が弾くのは、16時頃でしょうか・・・

ちなみに、当日僕が弾く曲です。

グラナドス  ゴイェスカスより「嘆き、またはマハとナイチンゲール」
レオ・ブローウェル  「11月のある日」
アリエル・ラミレス  「アルフォンシーナと海」

こうやって告知すると気分が高揚するかな・・・と思いつつ告知しました。

今回は「自分を出したい」・・・と思う。恥ずかしいけど。

kaz

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category: サークル

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どうして弾けてから表現なのだろう? 

 

表現するって難しいと思う。自然なようでいて難しい。

僕だけではないと思うけれど、アマチュアの場合、音楽を聴き、そして心が動き、ピアノという楽器を選び・・・という順番の場合が多いのではないかと思う。つまり「弾きこなすピアノ」というものの外側からピアノに入ってきたというか・・・

ピアニストやピアノ教師の場合、物心ついた時には、そこに「ピアノを弾く」というものが存在していたのではないかと思う。単なる楽しさだけではピアノは弾けないし続きもしないから、ピアニストやピアノの先生は楽しさだけではない苦しさも乗り越えてきた人たちなのだと思う。「私の修業時代は辛かった」という思いの反動で「せめて生徒には楽しさも・・・」と思うのだろうか、そこは分からないけれど、アマチュアのように、「聴く」=「弾きたい」という構図ではなく、ピアノを弾くということを選び取るという行為の前にすでにピアノが人生の中に歴然と横たわっていたのではないだろうか・・・想像だが。

こう考えると、アマチュアは「心の動き」~「自分でも表現したい」という欲求に素直に従えば、幼い頃から訓練された専門の人よりも、自身の音楽感動、それは聴きとしての感動だが、それを自分でも表現するということについては、有利なのではないかと・・・

「きちんと弾かなければ」願望は、むしろ専門家の方が陥りやすいところなのではないか?

でも、実際にはそのような構図にはなってはいない。アマチュアも「きちんと弾かなければ」と強く思っている。思うのはいいのだが、それが目的化されてしまっていて、それ以外見えない状態というか・・・

専門家であれば理由は分かる。幼い頃から訓練を重ねてきたのだもの。でも「感動」という体験を重ねたはずのアマチュアが、なぜ「きちんと弾かなければ」願望に進むのだろう?

おそらく自己表現、曲を介して何かを伝える・・・などということは、きちんと弾けるようになったうえで考えることなのだという精神的な逃げ道が存在しているからなのではないだろうか?本来は、ピアノを弾くという動機づけの段階と、表現というものは切り離せないものなのに、何故か分離してしまう。

「弾けるようになって」~「表現の練習」~「自分の内面と曲との融合」・・・ここまでになると、そんなことは卓越されたプロの考えること・・・そうだろうか?本来は「自分の内面と曲との融合」が最初で、その次に「弾けるように」となるのが本来の姿なのではないか?

もし、自分のピアノライフが限られたものであるのならば、そこを突き詰めてみたいのだ。なぜ順番が逆なのだろう?もしその順番を変えてピアノを弾いてみたらどうなるのだろう・・・と。

「音楽を聴くのに頭なんて必要ないのさ」・・・とはパヴァロッティの言葉だけれど、これは当たっていると僕は思う。「ピアノを弾くのに頭なんて・・・」だったら違うなと思うけれど。感じるというのは、やはり心というか情感というか、そのような部分だと思うのだ。まずそれがなくてピアノ(だけではないが)なんて弾けるのだろうか・・・と思うのだ。

パヴァロッティは、このようにも言っている。「私にとって、音楽を形作ることは考えられる最高に楽しい作業であり、あらゆる情感の最も完璧な表現である」と。

あらゆる情感の最も完璧な表現・・・

そこに辿り着くために(たどり着けないにしても)、弾く。でも「そこって何処?」とか「情感って?」という事の前に弾きこなす願望に進んでしまうのは何故なのか・・・

情感とか表現とかって、なんとなく「一握りの人が勝ち取るもの」のような?本来はそこからスタートなのに・・・

パヴァロッティの「衣装をつけろ」を聴く・・・「道化師」のアリアだ。独白というか・・・

歌詞としてはこうだ。

「芝居をする・・・逆上している今?俺は何をしているんだ?自分でも判らない。それでもやらなければいけないのか?我慢してやるんだ。ああ、お前はそれでも人間なのか、お前は道化師なんだ。衣装をつけろ!白粉を塗れ!笑うんだ道化師、客は拍手喝采さ。苦悩とな涙をおどけに変えて、苦しみと嗚咽を笑いに変えるんだ。笑うんだ道化師、お前の愛の終焉に、笑え、お前の苦悩を!」

実際には、聴き手はカニオのような体験をしていなくても、自分の人生での一コマ、その時の自分の情感と重なり、そして入り込み、動く・・・動いていくのだ。この部分・・・つまり感動ですね。

なぜこの部分が、ピアノを弾く時には「後回し」になってしまうのだろう?アマチュアには手の届かないもの・・・となってしまうのだろう?

弾きこなせてから?ではそれはいつなんだろう?

弾きこなせてから?ではそれはどこまで弾ければなんだろう?

kaz

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ドロドロドロドロオペラ 

 

マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」は大成功でした。レオンカヴァッロの、このオペラの成功を意識して「道化師」というオペラを書いたとされています。「カヴァレリア・・・」の2年後に「道化師」は初演されています。その時の指揮者がトスカニーニだったことは知りませんでした。

「カヴァレリア・・・」と「道化師」は上演時間が短いということもあり、よく一晩の演目として一緒に上演されるのが普通です。同じヴェリズモ・オペラとしての共通点、「ドロドロ具合」「愛憎具合」という意味でも、続けて上演されても違和感はないところです。

もともと、オペラというものは、娯楽だったわけです。歌劇場は社交場的な場所でもあったわけです。歌手の妙技を堪能するという目的もあったのでしょうが、社交的な意味合いもありましたから、演目も現実感バリバリの内容は避けられていたわけです。妖精が出てきたり、お姫様が出てきたり、軽いコメディのようなものであったり・・・

ビゼーの「カルメン」の初演時の失敗は、この社交的な場に現実感がありすぎたのが原因らしいです。お姫様ではなく、煙草工場の女工、誘惑したりするし、とても品行方正とはいえない主人公、そして殺人・・・まぁ、現実的すぎたのでしょう。その現実感を強調するのがヴェリズモ・オペラのわけです。時代の要求というものあったのでしょう。オペラという娯楽の受け手が変化したというか・・・

「カヴァレリア・・・」もそうですが、「道化師」というオペラもドロドロ系のオペラです。本当の悪人もいなければ、教科書的善人も登場しません。まさにリアル社会とそこは同じです。

旅回り一座の座長、カニオと、その妻ネッダを中心に物語は進行していきます。ネッダはシルヴィオという男と不倫(また?)しているわけです。一座がその街に来るたび、二人は不貞行為(?)をしている。

「ネッダ・・・君は美しい・・・どこか遠くで一緒に暮らそう・・・」

「ああ、シルヴィオ・・・あたしはこんな旅回り一座に収まる女じゃない。自由になりたい・・・」

「ああ、あたしは、もうあんたのもの・・・」

そこへカニオ・・・「今の男は誰なんだ?お前の情婦は誰なんだ?俺のことをバカにしているのか?男の名前を言うんだ!」

「カニオ・・・芝居が始まる。仕事なんだ。お前は道化師だろ?今は現実を忘れるんだ。芝居をするんだ!」

ここでカニオのアリア、「衣装をつけろ」になるわけです。「俺は哀しみも怒りも苦しも隠しながら笑うんだ。それが道化師だから・・・俺は道化師だから・・・」と泣きながら歌う場面は、このオペラの聴きどころではないかと僕は思います。

「間奏曲」のあと、オペラの後半になります。村での一座の芝居です。実はこの芝居の内容は、アルッキーノとコロンビーナという二人の不倫、火遊びにコロンビーナの夫、パリアッチョ(道化師)が怒り狂う、コケにされる・・・という内容なのです。オペラの中での現実と一致するわけですね。カニオがパリアッチョ、ネッダがコロンビーナ、シルヴィオがアレッキーナと重なります。ここで聴衆は、劇中劇を聴くわけです。オペラを演じている人が、さらに劇を演じているという劇中劇・・・ここのシュールな感じが僕は好きですねぇ・・・

始めは「劇」を演じているのですが、劇中劇の台詞と現実が重なっていくわけです。「ああ、あたしは、もうあんたのもの・・・」「お前の情夫は誰なんだ?」「言うもんか、あんたは惨めな道化師なんだろ?」「本当はあたしはこんなところにいる女じゃないんだよ!」「俺は道化師なんかじゃない!俺はひとりの男だ!俺は人間の男なんだ!」「あんたの顔を見たかい?道化師じゃないか」「俺は男だ、道化師じゃない・・・」

聴衆(観客)は演技が白熱しているのか、真柏の演技なのか、それとも劇ではなく現実なのか、戸惑い始めます。

カニオがネッダを刺し、そして止めに入ったシルヴィオをも刺します。カニオがネッダの亡骸を泣きながら抱き上げるところで幕が下ります。

この「ドロドロ度」と「濃すぎる愛憎度」が僕は好きですねぇ・・・

動画は「カヴァレリア・・・」と同様、ゼッフィレッリの映画版です。カニオが劇と現実との見境がつかなくなり、「俺は道化師じゃない!!!」という叫び、訴え、そのあたりから終結部分までです。

kaz



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ドロドロオペラ 

 

「オペラって聴いてみたんですけど、何から聴けばいいんですか?」「オペラって何やら難しそうで・・・」「オペラって、とっつきにくいんですよね」

このようなメールが(何故か)集中した。おそらくコレペティのことを書いたからだと思いますが。

ベルカントの発声そのものが苦手という人は、やはりオペラはきついかもしれない。それは思います。僕もJポップの子ども発声というか、ビブラート皆無の声はとても苦手なので、もうこれは好き嫌いの問題だと感じます。無理に聴くこともないのでは?でも興味はあるんだけど、なんとなく入りずらいという人も多いようです。質問者が何故僕にメールをしてきたのか、声楽専門の人にではなく・・・それはある程度予測がつきます。専門の人に訊いてしまうと、難しげな専門用語満載の返答がくるのだと思うのでしょう。

僕は、「カヴァレリア・ルスティカーナ」というオペラは入門用にいいのではないかと思います。一つは1幕物なので短いから。そしてヴェリズモ・オペラだから。写実的ともいえる。王子様や御姫様の物語ではなく、市井の人々の物語です。映画版の存在も心強い。ゼッフィレッリのバージョンは、物語としても、その「ドロドロ愛憎模様」を堪能できると思う。この種のDVDは、いきなりCDだけで聴いたり、実際に高いお金を払って生を体験する前の予習兼娯楽として楽しめるのではないでしょうか。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」とは、たしか「田舎の騎士道」のような意味だったと思う。舞台はシチリア島。トゥリッドゥという男は、ローラという人妻と不倫関係にある(すでにドロドロ?)。ローラとトゥリッドゥは、かつて恋仲だったのだが、ローラはトゥリッドゥが戦争に行っている間、街の有力者であるアルフィオと、さっさと結婚してしまうんですね。トゥリッドゥは仕方なく(?)サントゥッツァという女性とつきあうわけです。まぁ、二人はうまくいっていたわけなのだけど、ローラの誘惑により、すべてが破壊されてしまうわけです。

「亭主がありながら・・・私の最愛の人を奪うなんて・・・憎き女ローラ!!!」となるわけです。ちょっとサントゥッツァは情念が濃すぎるというか、真面目というか、「心ここにあらず状態」のトゥリッドゥを追いすぎてしまうわけです。「こんなにあんたを愛しているのに・・・」そして彼からは「そういうところが鬱陶しいだよ」と突き飛ばされてしまう。サントゥッツァは、よく地面に突き飛ばされて泣く女でもあるんですね。

ローラには、あまり罪の意識もなく、「ミサは罪のない人が行くのよ。私は罪がないから・・・」などとサントゥッツァに(ぬけぬけと)言ったりする。トゥリッドゥも「教会にまでなんで尾行してくるんだ、うるさいんだよ」とサントゥッツァは、またまた突き飛ばされてしまう。「ひどい・・・こんなに愛してるのに・・・呪われた復活祭になるがいい・・・」激情のあまり、彼女はローラの亭主、アルフィオにすべてを話してしまうわけです。まぁ、告げ口でしょうか、当然「許さん・・・死をもって償って頂こう。この私をコケにするとは・・・」となるわけです。音楽も激高していきます。ここで美しい「間奏曲」が演奏されるわけです。この音楽はミサを表しているのだと思いますが、ドロドロの最中の音楽だと思うと、シュールな感じもします。

人々がミサが終わり、教会から出てきます。トゥリッドゥは酒を交わし、歌います。いつものようにアルフィオにも酒を勧めますが、いつもと様子が異なる。ローラもトゥリッドゥも「ばれた!」と察する瞬間です。「決闘だ。裏の葡萄畑で待っている」・・・トゥリッドゥは、自分は殺されるかもしれないと悟るわけです。浮気の代償は大きかったですね。「ママ・・・僕が帰らなかったら、そしたらサントゥッツァのことを頼みます」と酔ったふりをして、母親に最後の別れを告げます。

街の娘が「トゥリッドゥが殺された・・・トゥリッドゥが死んだ・・・」と泣き叫びながら走ってきます。そこで幕が下りるわけです。

なんというか、単純な愛憎ドラマなわけですね。このオペラは実際に起こった事件をもとにしているとか・・・

動画は、ちょうど「間奏曲」が終わり、人々が教会から出てくるところから、最後までの部分。つまりこのオペラの後半部分になります。ゼッフィレッリによる映画版です。いちいち台詞などを予習しなくても、あらすじを知っていれば、「大体こんなことを歌っているんだな」と予想はできるわけです。音楽の力により、単純なドロドロ愛憎劇も心を揺さぶるものになるわけです。

なーんてね・・・

kaz



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「自分」を弾く・・・ 

 

おそらく、昨年リシャ-ル・ガリアーノを聴いた時に感じたのが最初なのだと思う。聴き手と演奏者との一体感のようなもの・・・今度は自分が、その演奏側になりたいと・・・

基本的には、長期間練習したものを、自分なりに完成度を上げていきながら、そして本番で弾くというのが、これまでのやり方だった。これは僕だけではなく、演奏会や発表会に対しての一般的な感覚だろうと思う。つまり本番で自分が「どう弾くか」「自分がどれだけ弾けるか」ということが最優先になる。

聴き手との垣根のようなものを感じていた。演奏者は自分と曲とでしか対話をしていないのではないかと・・・

アマチュア、プロに関係なく、どうもクラシック音楽の演奏会ではそのように感じることが多かった。そして、それは、ある意味当然のこととも感じていた。

クラシック音楽の愛好者、聴くだけの人、自ら演奏する人も含めて、その割合は人口の3パーセントなのだという。

3パーセント・・・

クラシック音楽が好きという人は100人のうち、3人しかいないのだ。それは残りの97人は多かれ少なかれ、「どうもとっつきにくくて」とか「敷居が高くて」とか「難しくてね」などと思っているということだ。

アマチュアの人の演奏後の文章を読むと、それは反省的な意味合いの文章がほとんどだ。「崩壊してしまった」「まだまだ練習が足りません」「スムーズに弾けなくて・・・」

これは自分目線の感想なのだと思う。聴いている人と演奏者とが場所と時間を共有し、曲というものを介して、そこで何が起こったのか、何があったのか・・・という視点はない。プロではないのだから、それでいいのだとも思う。アマチュアなんだから、自分目線でもいいのだと思う。それがアマチュアの特権だとも思う。

28日はサークルの演奏会がある。皆、この日は気合が入る。長期間練習してきた曲を披露するのだから。アマチュアとはいえ、その日はドレスをまとい、自分の実力をできるだけ発揮できるよう、祈り、そして弾く・・・

「どうか弾けますように・・・」という願いと共に・・・

僕の場合、演奏会に限らず、与えられた人前での演奏の機会というものを大切にしなければならないと、今回の旅で再認識した。来年はピアノなんて弾けないかもしれない・・・という思い。この思いは消すことはできない。つまり毎回「これが最後の演奏会かもしれない・・・」と思いつつ取り組む必要があるということだ。むろん、自分では、まだまだ弾くつもりでいるし、元気でいるつもりだが。

本当にやりたいことを先延ばししていてはいけないのだと感じる。

僕のやりたいこと・・・それは「曲をどれだけ弾けるか、どう弾けたか」という自分目線だけの演奏ではなく、自分の今の内面、そのすべてを曲を介して放出したいという思いが強い。できれば聴いている人の内側も動いてくれれば嬉しいけれど、とにかく「自分を出したい」という強い欲求がある。爆発しそうで、どうかなりそうなくらいだ・・・

あまりに「自分目線」の演奏だと、聴き手との垣根を作ってしまう。自分目線というか、演奏者が曲と自分とばかりで対話していると聴き手は動かない。3パーセントという数字、それは「曲」ではなく「演奏」というもの、演奏者の意識により生まれた数字なのかもしれない。

今、楽譜をダウンロードしたところだ。ギターの曲なので、楽譜はギター譜だ。でも、この曲は自分の頭に入っている。聴き手として何回も聴いてきたし、大好きな曲だから。ギター譜をもとに、自分の頭の中で鳴っている音を、そのままピアノに移してみようと思う。この曲は、今の僕の内側そのものだから・・・

あと4日ある。「曲」を弾くのだったら時間が足りないけれど、自分を表現するのだったらできる・・・そう思った。

レオ・ブローウェルの「11月のある日」・・・イタリアの海岸でMが弾いてくれた。その時、今の自分の気持ちが固まった。

この曲、ある言葉を連想させる。

「明日死ぬとしたら生き方が変わるんですか?だったら、あなたの今の生き方はどれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」  チェ・ゲバラ

「愛することを教えてくれたあなた、今度は忘れることを教えてください」  アイリス・マードック



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category: サークル

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92歳の「誰も寝てはならぬ」 

 

幼い子どもが難曲を弾けば、そりゃあ、驚くとは思う。でも僕は「神童」とか・・・あまり感激しないんですよね。

でも高齢の人が難曲を弾けば、そりゃあ、驚くと同時に感激するんですよね。

年齢が演奏するわけではないけれど・・・

アンジェロ・ロフォレーゼというテノール歌手がいた。割と地味な存在だったのではないかと思う。むろん、立派な素晴らしい歌手だったけれど、同じ年齢のステファノやコレッリの影に隠れてしまった感がある。モナコも歌っていたしね。

日本にも来日したことがある。イタリア歌劇団の公演、たしか1961年の「カヴァレリア・ルスティカーナ」のトゥリッドゥを歌ったのだと思う。僕は、もちろん生まれていなかったのだけれど、この時の公演の映像が残っている。素晴らしい歌唱だと思った。

イタリア歌劇団の公演、当時はチケット入手に長蛇の列だったそうだ。でも、ロフォレーゼ目当ての人は、その中にどのくらいいたのだろう?多くの人は「カヴァレリア・・・」ではシミオナート、同日の公演、「道化師」でのモナコだったのではないだろうかと思う。

40年以上が経過した。モナコもコレッリもシミオナートも、もういない。

でもロフォレーゼは元気だ。なんと、まだ歌っているのだ。

1920年生まれだという・・・

トゥーランドットの「誰も寝てはならぬ」、現役のテノール歌手でもこの曲は、こわいだろうと思う。

この時、ロフォレーゼは92歳。奇跡と言えるのではないだろうかと思う。

kaz



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category: The Singers

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一生片想い・・・ 

 

ピアノを習っている、または習っていたという生徒からのメール、高校生や中学生が多いけれど、基本的にはそのようなメールには返信している。大変だけど。ピアノの先生や保護者からのメールには申し訳ないけれど、返信はしていない。というか、全部に返信することは不可能なのだ。

生徒や元生徒のメールを読んでいくうちに、ある「パターン」のようなものがあるのに気づいた。

ピアノを途中で挫折してしまった生徒の多くは、「読譜」というもので躓いている。一応、音符は読めるのだけれど、印刷された楽譜を音にしていく過程での総合力に欠ける。一つ一つの音を丹念に読み過ぎるというか、曲の一部の単位として楽譜を捉えられず、一つの「音符」としか捉えられない。基本的には、耳や音感のいい人がそうなっている感じだ。耳で覚える・・・とまではいかなくても、視覚的な情報を整理して練習することが苦手なのだ。

僕自身も昔はそうだったので、よくわかる。

様々な教材や初心者・中級者向けの、主に邦人作曲家の作品を実際に弾いてみた感想は、とても「キャッチ―」だということ。子どもの五感を捉えるというか・・・

導入段階で、なまじ「キャッチ―体感」を耳からの情報をも含めながら習ってしまうと、その生徒の読譜力以上のサウンドを体感してしまうことになる。いいことなのかもしれないが、いつかは楽譜から情報を読み取り、一人で曲を弾いていかなければならない時期が来る。ここで躓く・・・面白くないから。今までの「キャッチ―感覚」とはほど遠いものを、苦労して積み上げていかなければならないから・・・

昔と違い、今はいろいろな曲が教材として考えられる。ポップスのような、生徒の好きな、興味の持てる曲でレッスンをする先生も多いという。でも、キャッチ―感覚を優先してしまうと、クラシックの名曲まで辿り着くのが大変になってしまうとも僕は思う。ポップス・・・大人や余裕ができた生徒が自分で弾くのはいいけれど、基本的にこれらの曲は「今を楽しむ」ものではないだろうかと思う。

ピアノを長続きさせている生徒、高校生になっても弾いているとか、大学進学してもピアノは辞めていませんという人からのメールも少ないながらある。そのような人に共通しているのは、時間の使い方を工夫しているということだ。大人の趣味で弾いている人もそうだと思うが、隙間の時間を捻出したりしているのだ。

なぜそこまでして練習するのだろう?

「好きだからよね?」

そうだけど、それは「わっ、楽しい!」という「今感覚」を優先したものではなく、先を見ての楽しみなのだ。今は読譜、つまらない、はっきり言って・・・でも「~のように弾きたい」という将来的な「憧れ」があるからこそ、辛い練習を続けることができるのだ。つまり音楽に対しての「憧れ」がある。自分の中で今よりも、目指すものを優先できるのだ。挫折しない人は、常に未来を見る。憧れがあるから・・・だからそこに向かう・・・

憧れ、それはやはりクラシックの作品から感じることが多いのではないかと僕は思う。ピアニストがリサイタルで演奏するような曲・・・今の楽しみというよりは、憧れ部分・・・

今は辛くても、憧れがあるから練習する・・・

いつそれを伝えられるか・・・が勝負なのかもしれない。

「長続きする愛というものが一つだけある。それは片想いさ・・・」  ウディ・アレン

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category: ピアノ雑感

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コレペティの役割をピアノにも・・・ 

 

前に紹介したコレペティの方、この方はアキッレ・ランポというイタリア人のコレペティです。この人はピアノ科を卒業して、パドゥラ=スコダやホルショフスキーにも師事して、15歳の時にモーツァルトのコンチェルトを弾いてデビューしています。ピアニストではあるわけです。コレペティとしてはパタネーに才能を見出されたようです。ピアニストですが、やはり修業時代から声楽が好きで、伴奏をすることが大好きだったようです。

コレペティ・・・この概念は難しいんですよね。僕はアマチュアのピアノ弾きであり、歌は「聴き専門」ではありますが、ピアノよりは歌好きではあるので、その中での極々限られた知識で説明していこうと思います。

日本の音大でも最近は「スパルティート」という概念の大切さが知られるようになってきたと思います(願います?)が、まだまだオペラのアリアを歌っただけで卒業という人も多いのではないかと思います。音大の声楽科を卒業しても実際のオペラの舞台で歌える人は、ほんの一握りなので、ここが「スパルティート」という概念が浸透しない一因だとも思われます。プッチーニのアリアだけ暗譜で歌えても、実際にはオペラを歌うことはできない。オペラは総合的なものなので。

「私の名はミミ」というアリアをいくら上手に歌えても、「ラ・ボエーム」というオペラを熟知していなければ、実際にはオペラ全曲の舞台では歌えない・・・

スパルティートとは、オペラ全曲の楽譜そのものを指すこともありますし、舞台稽古というか、通し稽古というか、一つのアリアだけという概念ではなく、「全曲を通してのオペラの把握、勉強」という概念そのものを指すこともあります。

「マエストロ・ディ・スパルティート」という言葉があります。昔はオペラの楽譜は伴奏譜(ピアノ譜)はあるけれど、歌の部分は歌詞だけという楽譜も存在していたようです。昔は楽譜の読めない歌い手というものが存在していたらしいのです。声は素晴らしいけれど、楽譜が読めない、このような人たちに「口移し」でオペラを教えていた、この役割を担っていた人たちをスパルティティスタと言います。この流れが現代のコレペティに受け継がれているのだと思います。

もちろん、現代の歌手は楽譜が読めるわけですが、歌劇場でオペラを上演する際での指揮者や演出者の意図を具体的に歌手に伝えたり、指導する役割としてコレペティという仕事が現代でもあるわけです。歌手が楽譜の意図をくみ取り歌えているかはもちろん、役作りや時には声楽上の問題点まで踏み込むこともあります。

なので声楽の場合は「あーあーあー」という発声の指導、そして横隔膜がどうのこうの(?)という声楽のレッスンとは別もののコレペティのレッスンというものが存在してくるわけです。そのアリアをどう歌うのかという声楽レッスンとは別に、コレペティによる「オペラ」という総合的な概念でのレッスン。この両方が交わることも各々のレッスンではあるのだと思います。声楽指導の先生が役について指導したりとかコレペティがディクションの指導をしたりとか。でも声楽の場合は、その階段を上がれば上がるほど、声楽レッスンとコレペティのレッスンという分業という色合いが濃くなっていくのではないかと思います。

ピアノの場合には考えられない分業制ですが、考えてみれば、ピアノの指導者は、発声指導のボイストレーナとコレペティの役割を一人で担うわけです。本来はそうなっているはずです。

個人的には、どうもボイストレーナ的役割をとても苦手としているピアノの先生が多いのではないかと感じています。

「そこはもっと~のように弾けるといいわね」

「そこは~のような感じが足りないわね」

そう、ではどうすれば・・・という部分の指摘のないレッスンが実際には多いのではないでしょうか?指摘はするけれど処方をしない医師なんて世の中にはいないのと同様、やはり「どうすれば改善できるのかの具体的アドバイス」というものがピアノのレッスンでは必要となってくるものと思われます。どうも抽象的な言葉がレッスン中に飛び交うことが多いのではと勘繰りたくなる演奏がピアノの場合は多いような気がします。

ピアノの場合は、総合的な音楽的な指針という意味合いでのコレペティの役割、そしてボイストレーナーのような具体的な指導のできる、診断、処方という役割、この両方の役割が指導者に求められてくるのではないでしょうか?

マスカーニを弾いていたアキッレ・ランポさんのコレペティ・レッスンの様子です。

kaz



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クレモナのヴァイオリン作り 

 

そろそろ日本に帰ろうと思う。あと8日でサークルの演奏会なんだなぁ・・・と思う。本来は旅などしている場合ではないのかもしれん。でも不思議と緊張感はない。実感がないだけかもしれないが・・・

クレモナという街にいる。あとはミラノ経由で帰国するだけだ。

クレモナという街はヴァイオリニストにとってはお馴染みの街だろうと思う。歩いて回れるほどの小さな街だけれど、この街はヴァイオリンの街でもあるのだ。かつて、ストラディバリ、アマーティ、グァルネリといった人たちが、この小さな街でヴァイオリンを製作していた。現在でも工房が多く存在している。

街の規模からすると、とても立派な大聖堂(ドゥオーモ)があり、そこのオルガンの音色も聴けた。モンテヴェルディは、このクレモナ出身で、ここのオルガンを弾いていたのだそうだ。塔に登り、街を見下ろす。ストラディバリもモンテヴェルディも、この風景を見たのだな・・・そう思う。

クレモナという街、ヴァイオリン、どうしてもAさんのことを想い出してしまう。なぜか僕のことを気に入って友人としてつきあってくれた。「kazさんもピアノ弾きなさいよ・・・」と会うたびに言っていた。アメリカで修業し、ガラミアンに師事し、そしてアメリカで生活していたAさんが帰国したのは、癌を患っていたため。

彼のヴァイオリンの伴奏を一度だけしたことがある。もちろん演奏会ではなく、彼の自宅で。「一緒に弾いてみたいな・・・ピアノのパートは簡単な曲だし、kazさんでも弾けると思うよ」と、半ば強引に弾かされた。当時はピアノを再開していなかったけれど、きちんとは弾けなくても、「なんちゃってピアノ」は弾けたのだ。僕のピアノは今でも「なんちゃってピアノ」の延長だ。

Aさんは、その頃は、もう末期でやせ細って、歩くのもやっとの状態だった。立って弾くことはできない状態だったけれど、その時は立って弾いた。「あまり無理しない方が・・・」「いや、僕は弾きたいんだ、一緒に・・・」

その時、一緒に弾いたのがイェネー・フバイの「クレモナのヴァイオリン作り」という小品だったのだ。たしかにピアノのパートは僕でも初見で弾けるくらいのシンプルな曲だった。

Aさんを見送り、そしてほどなく僕自身も癌を患うことになった。Aさんは僕を連れていきたかったのだろうか?長い間、僕はそのように思っていた。「連れて行かれる・・・」という漠とした感覚もあった。

クレモナの街に佇み、そして、かつて弾いたフバイの「クレモナのヴァイオリン作り」のサウンドを想い出し、そして感じている。フバイ、Aさん、そして音楽・・・

Aさんは、僕に伝えたかったのだと思う。人生を振り返る時、その時に音楽があれば、そして自分で触れることができれば、それは「生きた」ということの証になるのだと・・・

Aさんの死、そして自分自身の発病、そのことは、僕の人生の振り返りや、やり残しを真剣に考える機会となった。僕は自分の人生に「ピアノ」というものを入れたのだ。

「なんちゃってピアノ」でもいいのだ。弾いていこうと思った。クレモナの街は、その思いを新たに感じさせてくれる。

kaz



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category: 履歴書

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ピアノを辞めたいあなたへ 

 

ピアノを辞めるんだって?

なんで?

塾に通うから、そうか受験なんだね。日本では受験戦争なんて言葉もあるんだってね。

でも、本当にピアノ弾く時間ない?

僕も忙しいんだ。会社で雇われているわけじゃないし、競争相手はたくさんいる。それこそ年中働いていて時間がないんだ。僕の仕事は世界を飛び回らなければならないしね。

でも僕はピアノが好きなんだよね。だから時間を捻出して練習しているんだ。

僕は家を二つの国に持っているんだ。そうしないと忙しくてやっていけないんだ。でも沢山働いて、沢山お金も稼いだということでもあるよね、家を二つ持つなんてさ。でも人生それだけでは幸せにはなれないんだよ。ピアノが弾ければ僕は幸せになれる。僕はピアノの仕事をしているわけではないんだ、だからこそピアノが大事なんだ。

ピアノが弾けなくなるなんて、何かを失うことだよ。別にピアノでない何かでもいいんだ。自分が好きなこと、一生続けていきたいことがある、それが幸せなんだ。勉強だけ、仕事だけなんて幸せじゃないよ、きっと・・・

だからピアノ、辞めない方がいいと思うよ。

この曲、素敵な曲だと思わないかい?日本では弾かれない曲なんだってね、kazがそう言ってた。この曲はスティーヴン・ハフというピアニストが弾いていて、いいなと思ったんだ。スティーヴン・レイノルズという人の曲。「秋の歌」という曲で、「フォーレの想い出に捧げる三つの詩」という曲集の中の一曲なんだ。

日本でも楽譜は手に入るそうだよ、そんなに難しい曲ではないんだ。

仕事の合間に時間を見つけて、こうやってピアノを弾くのが好きなんだ。

だからピアノ、辞めない方がいい。絶対に・・・



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引っ張り、ねばる・・・ 

 

イタリア歌曲集(1) (中声用) (声楽ライブラリー)イタリア歌曲集(1) (中声用) (声楽ライブラリー)
(2005/03/17)
畑中 良輔

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ピアノやヴァイオリンは早期教育が普通だけれど、声楽の場合はそうではない。3歳や4歳でオペラ歌手に憧れて声楽のレッスンを受けるということは、まずない。小学生でもかな・・・

声楽の場合は、ベルカントの声を身につけていくということからして、小学生では無理なのだろうと思う。声楽ではなく、「お歌」のレッスンだったらありえるが・・・

音大の付属高校にも「声楽科」というものは存在するみたいなので、中学生からでも声楽は習えるのだと思うけれど、でもやはり本格的には高校ぐらいからなのではないだろうか?

最初は、外国語、普通はイタリア語にカタカナで発音を書き込んで、なんとか歌っていくのでしょう。コンコーネなどは別として、まずは「イタリア歌曲集」から歌っていくのが普通なのではないかと思う。厳密には歌曲ではなく、バロック・オペラのアリアだと思うけれど。

ここで興味深いのは、発声のための教材を別とすれば、声楽の場合は、いきなり芸術作品に初歩の段階で触れてしまうのだ。これは凄いことだと僕は思う。むろん、声そのものは、まだまだだろうとしても、そして習っている本人は、まだその曲の芸術的価値を感じられるところまでは到底いかなくても、でも曲そのものが、大歌手がリサイタルで歌うこともある曲だという事実・・・

ブルグミュラーもギロックも、一般的にはプロのピアニストがリサイタルで演奏することはない。ユジャ・ワンの新譜がギロックだったりしたら驚いてしまうだろう。久々にアルゲリッチのソロリサイタルがあったとしても、その内容が「ブルグミュラーの夕べ」なんていうことは、ありえないだろう。

僕は、初歩教材=芸術作品という構図が凄く羨ましいと思う。

「あら、ギロックだって、その他の初歩の教材だって音楽的価値はあるのよ・・・」

う~ん、そういうことではないのだな。

なぜ羨ましいかというとピアノの場合は、プロがリサイタルで演奏するような曲に辿り着くまで、習っている人の多くは辞めてしまうから・・・

ショパンのノクターンやワルツ、シューマンの「パピヨン」とか「子供の情景」、このあたりまで辿り着ける生徒はどれくらいいるのだろう?

このあたり、ピアノって難しいと思うのだ。辞めてしまってから十数年後、数十年後に、「芸術作品」を聴いて、再び弾きたくなるわけだ。ギロックや湯山作品を聴いてピアノを再開したくなる大人は少ないと思う。

もしかしたら、本物の芸術作品に触れずに終わってしまうことが多いということは、とても不幸なことかもしれない。

レナート・ブルゾンが立派な素晴らしい声で初心者用の曲を歌っている。別に彼は「教材用」としてCDを録音したわけではない。これらの声楽初心者用の初歩教材は、声楽家の重要なレパートリーでもあるのだ。

やはり芸術作品に触れられるまで引っ張っていって欲しい。習う側もねばって欲しい。

昔それができなかった僕だけに、今そう思う。

声楽初心者は、いきなりこんな曲を歌ってしまうんだなぁ・・・

kaz



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やりたいことをやろうよ、弾きたい曲を弾こうよ・・・ 

 

人生は、いつまでも永遠に続いているものではない・・・

誰でも理解しているけれど、でもなんとなく続いていると思ってしまう。というか、そんなこと考えたりあまりしない・・・

「大丈夫ですか?」「心配です」というメールを頂いています。バスティアニーニのことなんか書いたからかな、どうもブログを読んでいる人が僕のことを心配しているらしい。「もしかして、また再発?」みたいな・・・

そうではありません。一応は元気ですね。具体的に「来年死ぬかもしれない」という期限を感じながら生活しているわけではない。そうではないが、できることはしておこうとか、会える人には会っておこうとか・・・そのようなことは思う。もっとも、これは最近思い始めたことではなく、発病してから思っていることで、30年弾いていなかったピアノを弾き始めたのも、「やりたいことをやろう」と思ったからだ。

今回の旅は、友人に会いたい、自分の心に忠実な行動をしたい、自分の幸せを感じたい・・・と思ったので、無理を承知で実行したのだ。

帰国して、割とすぐにサークルの演奏会があって、本来は「どうしよう・・・」とか「暗譜しなければ・・・」とか、そのように感じていなければいけないのだと思う。でも、今は旅先なので、おおいに気持ちが大きくなっているのもあろうかと思うが、正直「そんなことはどうでもいい」と思う。自分がどう弾けたか、どう弾けるか、そんなことは聴いている人には関係ないのだ。自分が聴き手だとしたら、演奏側に何を求めるか、10分近くの時間を共有するわけだ。「間違えたのねぇ・・・」とか「練習したんだなぁ・・・」なんて印象を共有したいわけではないのだ。自分が聴き手として求めるもの、それを今回は弾き手として聴いている人に伝えられたらいいと思う。ピアノを再開したのも、ピアノを通じて「つながりたかった」からなのだ。共有したかったというかね。

もっとも、自分の場合、そう思えるまで数年かかったりしている。やはり惰性で、なんとなく暮らしていたし、今もそうだけれど。しかし、ピアノに関して言えば、このように思うようになった。

「長期展望と本当にやりたいことを今やる」ということの共存・・・

長期展望は必要だと思う。ピアノの上達には時間を必要とするし、あまりにも無謀な曲に挑戦してしまうのも、時間のロスになるし、「弾いた」ということに目的が移行してしまいやすくなる。自分が弾いたとか、弾けたなんて、どうでもいいことなのだ。要は「共有できるかどうか」なのだ。

でもこうも思うのだ。特に大人の生徒を受け持っている先生に言いたい。たまに(しばしば?)生徒が弾きたい曲を却下してしまう先生がいる。本当に残念だし、ある意味残酷だとも思う。「その曲はまだ無理よ。他の曲にしなさい!」・・・

大人の場合、「来年はもうないかもしれない」のだ。別に癌を発病しなくたって、いつ何があるかはわからない。そうなった時に「弾いておきたかったな!」と思うのはとても辛いことなのだ。

長期展望と、そして短期実践の両立は誰でも可能だから・・・

当然、無理難題のような曲に無謀な挑戦をするわけだ。弾けない・・・だろう。「ほら、弾けないじゃない?」とも思うだろう。でも大人にとっては、ピアノは「曲を上手に弾くこと」ということの他に、「人生の中での自己実現」という意味合いもあるのだ。無謀だろうが弾かせればいいじゃないかと思う。この場合は、短期実践なのだからいいのだ。

素人でもピアノライフを長期と短期に分けて考えることぐらいはできるのだから・・・

大人、特に中年以降の生徒に「そんな曲は無理よ、ダメ・・・」なんて言う先生だったら、僕だったら先生を変えると思う。もしくは、先生の指示を守らないか・・・かな。

人生は一度きりだし、有限のものなのだ。「来年はもう自分はいないかも・・・」なんて考えたくないけど、でもそうなるかもよ?人生後半の生徒だったら、それは考えておかなければ。そして考えてあげないと・・・

イタリアにいると思う・・・

勇気の無さの代償は、あとで後悔という形で戻ってくると・・・

kaz



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表現力不足と悩んでいたら・・・ 

 

有名絵画 モディリアーニ「肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌ」有名絵画 モディリアーニ「肩をあらわにしたジャンヌ・エビュテルヌ」
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絵画販売のグローバルアートギャラリー南青山

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ここリヴォルノは画家のモディリアーニの誕生した街。生家も残っている。リヴォルノは小さな港町だ。モディリアーニは、この地で芸術に目覚め、そしてパリに渡った。生存中は、あまり認められていなかった。非常に退廃的な生活をしていた画家。身体も弱かった。なのに、アルコールに溺れ、薬に溺れた・・・

「短くてもいい、充実した人生を・・・」モディリアーニの言葉だ。この絵画のモデルは、妻のジャンヌ・エビュテルヌの肖像。ジャンヌが画学生の時、二人は知り合い、そして恋に落ちた。ジャンヌが19歳の時だ。ジャンヌはモディリアーニの妻、そしてモデルとなった。

モディリアーニの最後の言葉、それは「ああ、懐かしいイタリア・・・」だったと言う。遠いパリという街で、彼は故郷を想いながら死んでいった。36歳の時だ。その時、彼の脳裏に浮かんだのは、このリヴォルノの街だったのかな・・・などとも思う。

モディリアーニの死、その2日後、ジャンヌは投身自殺をする。最愛の人を追ったのだ。ジャンヌは、まだ21歳だった。

リヴォルノは作曲家、マスカーニの生まれた街でもある。声楽家にとってはお馴染みの人だけれど、ピアノ弾きには、かなり遠い人かもしれない。「マスカーニって誰?」みたいな・・・

話は突然変わるけれど、「コレペティトール」という職業がある。アメリカでは「レペティトール」と呼ばれていたと記憶している。歌劇場には専属のコレペティが存在している。そしてコレペティの人は、音楽院で教えたり、声楽のリサイタルでピアノを弾いたりする。もちろん、歌劇場でオペラ、バレエ上演に際しての下稽古にも欠かせない存在でもある。

「なんだ・・・リハーサルの伴奏ピアニストね・・・」

どうも、日本だとこのような感覚を持つ人が残念ながら多いような気がする。コレペティは伴奏をするだけではなく、歌手への音楽的な指導、アドバイスをも担うのだ。コレペティ出身の指揮者、調べてみると、とても多い。ピアニストだと、リヒテルなんかもそうだったよね、たしか。単なる伴奏弾きというよりは、音楽の総合的なアドバイザーなのだ。

実際には、裏方的な役割になるので、表舞台に出てくることはない。ソリストとは異なり、脚光を浴びて、拍手に包まれるという存在ではない。

実際にコレペティの存在を感じることのできる機会は、声楽のリサイタル。むろん、すべてのピアニスト(伴奏者という言葉は少し違うと思う)がコレペティではない。普段はソリストのピアニストに、その時だけ共演を頼むというケースもあるし、その方が多いとも思うが、意外とコレペティが共演していることもある。

ピアノの人は声楽のリサイタルなんか、あまり聴きに行かないのかもしれないが、これは非常に勿体ないことだと思う。歌はどうでもいい(?)のだ。コレペティを聴きに行くのだ。コレペティ目的の声楽リサイタル・・・

表現力が足りない、ただ弾いてしまう、自分の演奏って、なんだか棒弾きのよう・・・

このような悩みを持つピアノ弾きは多い。普通は普通の(?)ピアニストの演奏、CDを参考にしたりする。そのような場合、コレペティの演奏を聴くと、とても参考になるのだ。もちろん、スタンダードのピアノ曲を演奏するということはコレペティの場合は少ないと思うけれど、いわゆる「伴奏」というピアノ、これがコレペティの場合は素晴らしいことが多い。なにしろ、声楽家に音楽(発声ではなく)を指導する立場の人の演奏なのだ。

コレペティのピアノ、とにかく「歌う、歌う、歌う、歌う・・・」のだ。

総合的に音楽を理解し、初見、移調、アナリーゼ能力に長けていて、そして言語にも精通する・・・それがコレペティなのだ。「ピアノで歌う」とか「音楽的な表現」とか・・・そのようなところを苦手としている人は、「とにかく弾けるようになってから考える」なんて思わずに声楽のリサイタル、いや、コレペティの演奏を聴いてみてはどうだろう?

この演奏は、コレペティがソロを演奏会で弾いている貴重なケース。もっとも、ショパンやらリストを弾いているわけではないけれど。彼が弾いているのはマスカーニ・・・

kaz



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category: ピアニスト

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非クラシックの雰囲気だそうで その2 

 

連想させる歌手で、最も多かったのがヴィック・ダモン・・・

ヴィック・ダモンという名前をから、すぐ顔や歌声を連想できる人は日本人には少ないのかもしれない。有名な歌手ではある。でも、僕も「ヴィック・ダモン?昔の歌手でしょ~」くらいの認識しかなく、実際にきちんとダモンの歌を聴いたことはなかった。

1950年代を中心に活躍した人で、現在もご存命なのではないかと思う。情報によれば、まだ歌っているとか・・・

そうか、こんな歌声なのか・・・

甘い声と甘いマスクで人気のあった人なのだそうだ。甘い声・・・はそう思うけれど、甘いマスクか?

kaz



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category: The Singers

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非クラシックの雰囲気だそうで・・・ 

 

僕の演奏を実際に知る人、やはり日本人が多いのだが、外国人にもいる。その外国人たちに訊いてみるのだ。「僕のピアノを聴いて・・・誰を連想する?」と。日本人に質問しないのは、なんとなく大真面目に答えてくれるのではないかと思うからだ。ピアニストで答えなければいけないのでは・・・などと無意識に思ってしまうのではないかと。

僕は、いわゆる正統的な本格レッスンで修業を積んできました・・・というピアノは弾かないと思っている。この部分は長所でもあり、短所でもあると思っている。一応弾けてはいるのかもしれないが、例えば、有名音大を卒業した人と比較すると、決定的に「訓練の差」のようなものがあると自覚している。詰めの甘さを自分でも感じるのだ。これはこれからの課題にしなければ当然いけないのだが、でも「いかにも訓練」「いかにも修業」というピアノでなくてもいいいのかな・・・などと心の片隅で密やかに思っていたりもする。

この「非純正訓練」のような僕のピアノ、先生からも指摘される。僕の先生は、「いかにも訓練してきました」というピアノを日本人には珍しく好きではないようで、「Kazさんのピアノは、そこがいいんですよ」などと言う。

自分の演奏、直したいような気もするし、このままでいいような気もするし・・・複雑な心境ではある。

実際には10人ほどの外国人の友人に詰問(?)してきた結果、僕の演奏から連想されるアーティスト、見事にクラシックのピアニストの名前を挙げた人はいなかった。複雑だなぁ・・・と思う。やはり「ローゼンタールを彷彿とさせる」なんて言われたら嬉しいだろうなと思う。まぁ、そんなことあり得ないが・・・

僕の演奏は、彼らには「歌手」を連想させるようだ。僕は歌を聴いて育ったところがあるので、それは嬉しいところでもあるし、当然のような気もするけれど、でも歌手でも「バスティアニーニを連想させる」などと言う人は、やはり皆無で、全員がクラシックではないジャンルの歌手の名前を挙げるのだ。クラシック系の歌手にも詳しい人たちだから、やはり僕のピアノは、どこか「非クラシック」的なところがあるのだろう・・・

やはり複雑な感じだなぁ・・・

統計結果(?)として、複数共通に挙がった歌手としては、ヴィック・ダモンが5名、イブ・モンタンが4名となっている。ダモンについては後日語るとして、やはりイブ・モンタンを連想させる・・・これは喜んでいいのかもしれない。僕のピアノはフランス的であるとは思えないのだが・・・

今は、トスカーナのモンスンマーノ・テルメという場所にいる。「テルメ」というくらいだから、温泉もあるのかもしれないが、温泉目的ではない。ここはイブ・モンタンの生まれ故郷でもあるのだ。

イブ・モンタンというと、シャンソン歌手だから、イタリア出身というと、意外な気もするけれど。もっとも、幼少の頃、フランスに渡ったのでフランスの人ではある。

イブ・モンタンの本名は、イーヴォ・リーヴィという。イヴ・モンタンという芸名は、幼い頃、イタリア時代に母親からよく「イーヴォ、モンタ!」(Ivo,monta!)と言われていたことからつけたのだそうだ。

「イーヴォ、モンタ!」・・・「イーヴォ、早く上がっておいで!」

うーん、こういう感覚の人、好きだなぁ・・・

やはりイヴ・モンタンを連想させるピアノ・・・いいのかもしれないな!

kaz



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ピアノ教師は(も?)ピアニスト 

 

ピアノ奏法の基礎ピアノ奏法の基礎
(1981/03)
ジョセフ・レヴィーン

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前の記事内容と矛盾しているのかもしれないが、音大のピアノ科が、いくら現場密着型になろうと、やはり「ピアノを弾くということ」という部分はメインにして欲しいと思う。ピアノ科の学生は、あくまでも自分の演奏を追い求めるという面を持ち続けて欲しい。というか、教えることがメインのピアノ人生になったとしても、「自分のピアノ」は基本でしょ?・・・と思うからだ。

音楽を追い求め、自分の演奏に磨きをかける・・・これは音楽家だったら基本というか・・・

アマチュアと異なり、ピアノの先生は自分の演奏というものを気軽にアップしない。これは演奏というものを真剣に考えているという証のように僕には思える。演奏にはすべてが露出してしまうから・・・

でもピアノ教師ブログに関しては、個人的には「???」と感じることがある。正確には「損しているなぁ・・・」と感じるというか。

教室の広報という側面も教師ブログにはあると思う。そこには各々の先生の強調したい部分があるのだとも思う。たとえば、料理をアップしたりとか、そのような記事は「厳格な厳しさだけの教師ではありません」という無言のアピールになる。柔らかさをアピールしているわけですね。作戦としてはいいと僕は思う。あまりにも「音楽史」「音楽の成り立ち」のようなことが論文調で書かれている先生だと、「近寄りがたいのでは?」「厳しいのでは?」「うちの子なんか無理よね・・・」と思われてしまうかもしれないし。

そして基本的には、教師ブログなので、生徒のこと、日々のレッスンのこと、教材のこと、セミナーのことがブログ記事の中心を成していくのだと思う。「いつも頑張るA子ちゃん・・・」「こんな工夫で目を輝かせたB子ちゃん・・・」「発表会に向けてのC雄くん・・・」

基本的には、こうなるのだと思う。レッスン、生徒中心のブログ・・・そして教師の「あたりの柔らかさ」というものを適度に含めつつ、セミナー記事をアップし、勉強していますということもアピール・・・

でも、外部の人間が意地悪く(?)読むと、足りないな、損しているな・・・と感じるのだ。

書かれていないことがあるのだ。それは「自分のピアノ」というもの。

ご自身の勉強している曲、それについての想いとか・・・書かれていないのだ。本番に向けて、どのような葛藤があるのか・・・曲を仕上げていく、音楽に触れていく瞬間での出来事とか、ご自身のピアノについては書かれていない。ここが惜しいと思う。

生徒記事は7割にして、あとは「自分のピアノ」のことを書かれたらどうだろう?僕は独身で子供はいないから、なんとも言えないが、自分のピアノの事、尊敬するピアニストのこと、ピアノ曲やその他の音楽について、そのようなことを書かれている教師に自分の子どもがいたら習わせたいと思うだろう。

ピアノ教師は、教育家であるとも思うが、基本的には音楽家であって欲しいのだ。自分のピアノ記事が7割だと、本気で生徒を教えるのかしら、片手間なのでは・・・などとも思われる可能性はあるので、そこはバランス感覚は必要だけれど、でも全記事の中で、ご自身のピアノについて書かれたのが、「生徒用の連弾の練習」と「発表会の選曲のため、あれこれ楽譜を引っ張り出し弾いた」だけでは、ちょっと(かなり)自分のピアノに関しては寂しい内容に思う。

自分のピアノについて書くことは難しいのだと思う。アマチュアではないのだから。アマチュアだったら、実際の演奏がどうであろうと、基本的には「てへへ・・・やっちゃったぁ・・・」的なニュアンスが微笑ましいし、そこがアマチュアの特権だとも思えるけれど、ピアノの先生が自分の本番や練習の記事で、あまりに「てへへ・・・」的なニュアンスを出すのも経営ということを考えるとどうかと思うし、かといって、「私は日本のアルゲリッチである!」のような内容になってしまうと逆効果だし。まぁ、この場合はユニークな先生と受け取られるかもしれないが・・・

自分のピアノについて書くのは、アマチュアと異なり難しい面もあろうかと思うが、でも「書かれていない」というのは、ちょっと損だと思う。弾いていなければ書けないが・・・

ピアノ教師=演奏家=音楽家

いきなり雲の上の人になってしまうのかもしれないけれど、僕はゴロドニツキ、そしてロジーナ・レヴィーンを連想する。共に、イメージとしては「プロのピアノ教師」という側面が強調されている。実際に名教師だったのだ。多くのピアニストを育て上げ、ジュリアード音楽院で教えるという人生を選んだ・・・

でも、ピアニストでもあったんだ。音楽家だった。

この演奏は、ロジーナ・レヴィーンの80歳を記念しての演奏会のライブ。つまり、マダム・レヴィーンはこの時80歳を超えていたんですね。でも日々、練習していたわけです。この時だけ必死に練習した演奏ではないですね、これは・・・

教師としての人生だったけれど、当たり前のことながら、弾いていた。自分のピアノがあった。音楽家だから・・・

kaz



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教師ポリシーを音大で・・・ 

 

WP201J バスティンピアノベーシックス ピアノ(ピアノのおけいこ) レベル1WP201J バスティンピアノベーシックス ピアノ(ピアノのおけいこ) レベル1
(2009/05/16)
James Bastien

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教育課ではない音楽大学のピアノ科、ここでの目的は一応「演奏家育成」ということになっているのではないだろうか?実際には音大を卒業して演奏をメインに活動していける人は皆無に近いのだとしても・・・

毎週行われるレッスンでは、いわゆる専門的なピアノのレッスンが行われているのでは?学生のピアノ技量のアップということが目的とされたレッスン・・・つまりアカデミックな場なのだろう。音大のピアノ科というところは。

昔からだと思うが、実際には、それは「現場」「現実」というものに対応してはいない。アカデミックな場と割り切ればそれでいいのだと思うが、卒業して戸惑う人も多かろうと思う。

そもそも「教職課程」というものも現実的ではない。「まっ、一応教職の免許があれば・・・」というのは、それこそ大昔の話ではないだろうか?実際に教員採用試験、各都道府県の倍率、調べてみたら実態が分かる。音楽の教員は10倍・・・というのはいい方で、50倍とか・・・信じられないような狭き門なのだ。

多くの音大卒業生は、ピアノを教えるという職業を選択するのだと思う。大手楽器店の講師は、手取りが少ない。講師は社員ではないので、保険だって社会保険じゃないんだよ・・・

自宅で教室を開く・・・

ここの部分を考えてみたい。各大学の卒業生の進路を調査してみると、大学により差はあるが(進学とか留学が多い大学もある)自宅でのピアノ教室という進路を選択する人が多い。厳密には「選択」ではないのかもしれないが・・・

世のセミナーブーム、常々感じているのだが、これはピアノ教師向けのセミナーだ。これを音大で行ってみるにはどうだろう?「教室経営」「教材研究」「コーチング」「発表会運営」「生徒が持続できるレッスン方法」・・・本来はこのような内容は「将来の街のピアノ教師」に教えてあげるべきものだと思うのだがどうだろう?

ピアノ指導法、教室運営のノウハウを教わらないでおいて、いきなり「本物の幼児や小学生」を相手にレッスンをするというのも酷な話ではないだろうか?

一般的な感覚からすると、世のセミナーの内容、新米教師ならまだしも、教師歴5年とか、10年という人が喜々として「○○先生のセミナーに行ってきましたぁ・・・」というのは、危機感を覚える。「アンテナを張り巡らし、いつも新しい情報を・・・」というのは、これはあくまでもピアノ教師側の感覚だと思う。一般的には通用しない感覚だと僕は思う。一般的には「セミナーもいいけど、あなたは5年、10年、どのようなスタンスで教えてきたのですか?それぐらいの年月、プロとして教えてきたのだったら、自分なりのポリシーというものはないのですか?」という感覚が普通だと思うのだ。

自分はここが得意、でもここは苦手・・・ということは誰でもある。その各々の苦手克服という意味合いを、最近のセミナーブームは超えてしまっているように感じる。もし、こんな医師がいたらどうだろう?毎月のように、「○○先生のセミナーを受講してきました。勉強になりました」という記事をブログなどに書く医師がいたとしたら、僕はこの医師はあまり信用できない。僕だったらセミナー好きの外科医に自分の身体は切らせないな・・・

なので、音大でカリスマ教師たちはセミナーを行ってみたらどうだろう?「未来の街の教師対象」セミナーだ。でも、一つのノウハウ、考えにワーッと群がってしまうことにもなりかねないので逆の発想をする講師のセミナーとセットで行うのだ。例えば、発表会セミナーだったら、企画満載、出し物満載発表会の先生のセミナーと、あくまでも生徒のリサイタル、真剣勝負の場・・・のような考えを持つ先生のセミナーの両方を開催する・・・

このままだと近い将来、潰れる音大が出てくる可能性だってあるかもしれない・・・

kaz

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category: ピアノ雑感

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バスティアニーニ巡礼 終結 

 

以前のようにはピアノを弾けない・・・

ある曲に挑戦して弾けなかった時、そう思った。以前だったら弾けたのに・・・

「弾ける!」という感触はあるのだ。でも身体がついていかない。

悔しい・・・というより恐怖心の方が強かった。サークルの演奏会も、計画していた曲よりも難易度、そして体力的負担を軽減した曲にした。レッスンにも通えていない。発表会はどうするのか・・・

ピアノに関しては、何もかも消極的になるのを感じた。やめよう・・・とは思わないけれど、これからの自分のピアノライフをどのように構築していくのか考えるのが億劫だった。考えたくなかった。怖いから・・・

バスティアニーニは「歌えなくなる」という一点に向かって歌い続けた。彼を追うことは正直辛かった。

Mに連れられて、小さなレストラン兼飲み屋に行った。そこにはピアノがあった。Mがグランドピアノのある店を調べておいてくれたのだ。そして事前に店にピアノを弾くことの承諾を貰っておいてくれたのだ。つまり、イタリアで僕がピアノをいきなり弾くということだ。

店には5人の客がいた。店のスタッフはオーナーも含め4人。Mを含め、たった10人の聴衆だ。でも大袈裟に考えてみれば、これは僕のヨーロッパデビューになるのか???

僕はグラナドスとラミレスの「アルフォンシーナの海」を弾いた。緊張なんかしなかったな。

得体の知れない、というか見たことのないメーカーのピアノだったけれど、弾きやすかった。

Mが僕の紹介と、僕が言った曲の解説をイタリア語で通訳してくれる。

音楽・・・それは今まで逢ったことのない人、言葉の通じない人、異なる世界に住む人、それらの壁を取り払い、共有できるものなのだ。そう感じた。とても幸せな瞬間だ。弾き終わると、皆が泣いて抱きしめてくれる。イタリア人はオーバーなのかもしれない。でも久々にピアノが弾けて良かったと思えた瞬間だった。

僕は誰かと何かをピアノで共有したいのだ。やっとそう思えた・・・

そのあと、Mとバスティアニーニの墓に行く。小さな墓だ。

シエナには「エットレ・バスティアニーニ通り」という通りもある。でもオペラ好きでもなければ、バスティアニーニのことを知る人はシエナでも少ないだろう。でも墓には花が供えられている。以前に来たときもそうだった。ここはバリトンにとって、いや、歌手にとって、歌手を志す人にとっては聖地なのかもしれない。

墓碑銘が刻まれている。

「栄光を得、悲しみを知り、愛されることを知り、君は一つ以上の生を生きた」

恐怖心は消えない。でも僕はピアノが大好きだ。そう思えた。やっと・・・

以前に来たときのように、あたりは「無」の世界になる。ここに来ると風さえなくなるのだ。不思議だ。さえずっていたいた鳥の声もしなくなる・・・

何も聴こえない・・・

何も感じない・・・

跪いて祈る。無宗教の僕が祈るのは変か?でもエットレを想い、音楽に捧げた人生を想い、彼の声を想う。

エットレの声が聴こえた。たしかに聴こえた・・・

「俺、俺・・・歌が好きだ・・・俺・・・やってみるよ」



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バスティアニーニ巡礼 4 

 

治療を続けながら、そして歌い続ける・・・

フランコ・コレッリは当時のエットレについてこう語っている。「彼のキャリアの最後の年、アメリカでの公演が一緒だった。声は薄くなり、かつての柔らかさを失っていたけれど、僕は一時的な不調かなと思っていた。僕だけではなく我々歌手仲間はそう思っていたと思う。おそらく軽い咽頭炎かなにかだとね。それで僕に効果のあった薬を彼に渡したんだ。後でお礼の電話をかけてきて、自分の問題は、あの薬では解決しないんだ・・・と言っていた。彼の死後、僕はエットレが何年も癌と闘っていたことを知ったんだ」

一時的な不調・・・そうではなかったのだ。そのことに感づいた人もいる。エットレの才能を見出したガエターノ・ヴァンニ。エットレはもう舞台に立つのが耐えられないようにも見えたという。声だけではなく舞台での集中力にも欠けているように思えたと。ヴァンニは楽屋まで行きエットレに訊ねる。「エットレ・・・いったいどうしたんだ?力をセーブしているのか?それとも何か他に問題があるのか?」と。エットレは「声の調子が良くなくて・・・」とやっと答えたという。

主要な歌劇場がエットレとの次シーズンの契約を見送っていく。スカラ座、そしてウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場・・・

「癌の転移が複数認められる・・・化学療法はこの状態では有効ではない・・・」

1965年、スイスで集中的な治療・・・

エットレは、スイスでの治療後、日本での公演を行う。単独で来日しリサイタルを行った。イタオペでの「トロヴァトーレ」、そして2年後の、この時のリサイタル、録音が残っているけれど、聴いてみると、2年の間に癌がエットレの声の輝きを奪い取ってしまったのが分かる。

1965年12月、メトロポリタン歌劇場でのヴェルディ、「ドン・カルロ」がエットレ・バスティアニーニの最後の舞台となった。歌は、そしてオペラは彼のすべてだった。歌うことが彼の人生そのものだった。

その後、エットレは急激に衰弱していったようだ。1966年、友人がエットレの様子をこのように語っている。「土色で、もうエットレだと見分けがつかなかった。服だけが歩いているようで。声は・・・もう話もできないくらいで・・・」

この時期のエットレが友人に書いた手紙にはこのように書かれている。「僕は、今、何も怖くない。ただ仕方がないけれど、声をなくして生き続けなければならないということだけが怖い。僕にはもう人に与えられるものは何もない。人も僕に何も与えてくれないだろう・・・」

人生最後の数か月、エットレはシルミオーネで暮らした。一人孤独に耐えながら最後の日々を待った。

1967年1月25日、医師が看護師に「もう最後だ。親しい人を呼びなさい」と告げる。エットレは十字架をも持てないほど弱り切っている。友人たちは遠くに暮らしており、間に合わない・・・

エットレの臨終を看取ったのは、かつての恋人、マヌエーラだったという・・・

1965年、日本公演でのエットレ・・・

かつての声の輝きはもうそこにはない。でも治療の苦しみに耐えながら、痛みをこらえながら、それでも歌うのだ。日本の聴衆はエットレが癌だということは、もちろん知らない・・・

歌えなくなる半年前、エットレは日本で歌ってくれたのだ。その歌声は最後の輝きのように聴こえてくる。



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バスティアニーニ巡礼 3 

 

かつて「イタリア歌劇団」なるものがあった。当時のイタリアのトップ歌手たちが来日し、オペラを上演するというものでNHKが招聘していた。通称「イタオペ」とも呼ばれている。1956年から行われ1976年まで続けられた。このイタオペで世界的歌手の生の歌声を聴いたという日本のオペラファンは多いと思う。海外旅行も気軽なものではなかった時代、サントリーホールもNHKホールも存在しなかった時代だ。

エットレ・バスティアニーニも、この「イタオペ」で初来日している。そしてヴェルディの「トロヴァトーレ」でルーナ伯爵を演じ、歌った。1963年のことだ。この「トロヴァトーレ」というオペラ、リブレットは憤死してしまいそうだが、音楽は素晴らしい。バスティアニーニのレパートリーはとても広いのだが、やはりヴェルディにおいてその魅力が最大限に発揮されたように個人的には思う。特にルーナ伯爵という役において・・・

マリア・カラスと「ノルマ」という役柄が特別なものであると同様、バスティアニーニとっては「ルーナ伯爵」は特別なものだった。

1962年、そして63年あたりは、エットレにとっては苦難の時期でもあった。最愛の母を癌で亡くしている。そして・・・

「マエストロ・・・大変申し上げにくいことなのですが・・・癌・・・のようです。咽頭に癌細胞が認められます」

「咽頭に?それは・・・それは・・・私が歌を歌えなくなるということですか?」

エットレは、外科的な治療をせず、放射線による治療を選択する。少しでも歌い続けるために・・・

また、恋人との別れもあった時期だ。この女性はエットレよりも20歳近くも若かった。マヌエーラという人だ。二人で過ごす時間、エットレがとても幸せそうだったと、多くの友人、歌手仲間が証言している。二人は真剣に愛し合っていた。

「どうして別れるなんて・・・急に・・・誰か他に愛している人が・・・」

「そんなわけない。私は真剣だった。今でも愛している・・・心から愛している・・・」

「だったら・・・理由もなく別れるなんて言われても・・・」

「理由は言えない。どうしても言えないんだ・・・」「そんな・・・酷過ぎる・・・」

自分は声を失っていくのだろう、そして死ぬのだろう。苦しみながら・・・その苦しみ、壮絶な自分の人生に、この若い女性を巻き込むわけにはいかない・・・

後年、マヌエーラの結婚式を遠くで見つめるエットレの姿があった。コートの襟で顔を隠しながらマヌエーラの姿を見つめるエットレの姿があった。

「マヌエーラ・・・さようなら、そしてありがとう。あなたと過ごした時間は本当に幸せだった。どうか、どうか幸せになって・・・さようなら・・・永遠に・・・」

1963年、来日しルーナ伯爵を歌った後、エットレはこう言っている。

「私はヴェルディのバリトン・ロールを歌うのが最も好きです。ヴェルディ歌いと言われることを非常に名誉に思っています」そして内ポケットから小さな薄汚れたヴェルディの写真をとりだした。

「これは・・・これは私の一番大事なものです」

1963年、エットレがルーナ伯爵を歌った「トロヴァトーレ」、レオノーラはアントニエッタ・ステッラ、アズチェーナをジュリエッタ・シミオナートが歌っている。いったいどんな舞台だったのだろうと胸が高まる。

冷静に判断するなら、そして医学的見地を持って聴いてみるならば、この時のエットレの声は陰りが出てきて、全盛期の声、全盛期の歌唱とは言えないのかもしれない。咽頭癌の治療をしながら歌っていたのだから・・・誰にも言わず、そのことを自分の中にしまっていたのだから・・・

同じキャストで前年にエットレはDGに「トロヴァトーレ」を録音している。やはりステッラ、シミオナートも録音に参加している。この録音を聴くと、すべてを捨てた男の歌唱とは思えない・・・

「俺は、俺はまだ歌える。歌い続けてみせる・・・」

エットレのルーナ伯爵は、そのように聴こえてくる・・・



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バスティアニーニ巡礼 2 

 

ある邸宅からピアノの音色が聴こえてくる。「誰が弾いているんだろう?」「いいなぁ・・・ピアノ・・・いいなぁ」

塀の外で、ある種の憧れを感じながら聴いていた子供たち・・・

「ピアノ・・・習いたいな」「なんだって?夢のような事言ってるんじゃないよ。そんなお金あるわけないだろ?それよりお前も手伝っておくれよ、こっちがこんなに忙しいのに遊んでばかりいるんじゃないよ」「う、うん・・・」

かつて、どれくらいの人がピアノを諦めたのだろう?ピアノという楽器に触ることもできずに、憧れをさえ持つことのできなかった人は多かったと思う。

今、ピアノ教育界は大きなチャンスを迎えているのだと思う。かつての垣根が取り払われたのだ。電子ピアノの出現。電子ピアノだと、どうとか、やはり本物のピアノじゃないと・・・とか言っている時期ではないような気がする。ピアノ教育史的には、とても大きなチャンスなのだ。

ピアノを習い始める時、鍵盤から色々な音が出てくるだけで楽しい。「わっ!」「きゃっ!」・・・それを本当の音楽的開眼の時期まで、どのように引っ張っていくかが課題なのだと思う。導入から開眼までの間にタイム差のあるのがピアノという楽器だ。そこが上手くいってないよね・・・と思う。本当に残念だ。音楽への開眼の前に「弾けない!」「つまらない!」と離れていく子供たち、開眼後、再びピアノに触れた時に自分の基礎力のなさに愕然とする人たち・・・

何かが上手くいっていない・・・

エットレ・バスティアニーニも、多くの歌手たちと同様に、邸宅でピアノを弾いていた側ではなく、塀の外で憧れを秘めながら聴いていた側、そのような境遇だった。

彼は私生児として誕生した。父親のことは知らない。豊かな家庭ではなかった。イタリアは、割と「村的」な繋がりが強いのだと言う。特にシエナという街はそうであったと・・・

「お前・・・私生児なんだってな!」「お前の母ちゃん、ふしだらなんだってな!」

エットレは、シエナでの子供社会を生き抜くため、強くなっていった。「誰にも何も俺には言わせない!」「もう絶対に泣いたりなんかしない!」

エットレは、母親にも手のつけられないような腕白に育った。それが彼の生きる術だったのだ。「ぜったいにいじめらるもんか!」

「あの子がああなのは私のせいなんだ。あの子も不憫だねぇ・・・」

そんな時、一人の人物が親子の前に現れた。ガエターノ・ヴァンニという人物だ。エットレは母親にも祖母にも、手のつけられないような「悪がき」だったのだ。そして、このヴァンニにエットレを託したのだ。

「もう私らにはどうしようもなくて・・・」

「エットレにも困ったものだな。あんたたちの苦労はわかるよ。私でよければ面倒みるよ・・・」

ヴァンニとの出逢いがエットレを歌手への道へ導いたのだ。ヴァンニはエットレの歌手生命が終わるまで、終わった後も、エットレ支え続けた人物でもある。ヴァンニは菓子工房を営んでいた。エットレはそこで働くことになった。

ヴァンニはアマチュアの歌手だった。合唱団に所属し歌っていた。仕事場でも大好きな歌を歌っていた。

ある日、ヴァンニは働きながら歌っていたエットレの声を聴くのだ。「これは・・・この子は・・・なんという声なのだ?」

「エットレのことなんだが・・・あの子は素晴らしい声を持っている。正式に声楽のレッスンを受けさせるべきだと思うんだが、どうだろうか?」

「声楽のレッスン?私たちにはそんなお金無理です」

「お金のことは何とかするさ。でもエットレの将来のことだ。大事なことなんだよ・・・」

「エットレのことはヴァンニさんにお願いします。私らでは何もしてあげられない。ヴァンニさん、エットレのこと、お願いします」

「エットレ、お前、本格的に歌を勉強してみないか?」

「でも家にお金なんかないよ?僕の家、貧乏だから・・・」

「お金のことは心配しないでいい。エットレ、やってみるか?」

「俺、俺・・・歌が好きだ。好きなんだ。ヴァンニさん・・・俺、やってみるよ」

エットレは歌の魅力に、音楽の魅力に開眼していたのだ。彼は、そのまま道を歩み続けた。それだけのことだ。歌が好きだった。歌うことが好きだった。そして音楽に開眼していた。ただそれだけ・・・

エットレは垣根を越えた。音楽を聴いて、ただ憧れるだけ、それだけが許される境遇から垣根を飛び越えたのだ。運命に導かれて・・・

今、その垣根は存在しない。だれでも憧れを持つことができる。でも憧れを知ることなく終わってしまう人は多い。

「ヴァンニさん・・・俺、俺・・・歌が好きだ・・・やってみるよ・・・」



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バスティアニーニ巡礼 1 

 

明日シエナに向かうことになる。イタリア最後の滞在地はシエナに決めていた。ローマでもミラノでもなく・・・

シエナはバリトン歌手、エットレ・バスティアニーニの生地でもある。

エットレ・バスティアニーニ・・・

彼の歌声をレコードで初めて聴いたのは、海賊版の「椿姫」だったと記憶している。カラスがヴィオレッタを歌っていた、スカラ座の実況録音だった。小学生だった僕にでもバスティアニーニの声は魅力に溢れる声に聴こえた。まさに「ビロードのような声」に聴こえたのだ。

正直、僕はテノール狂い(?)のようなところがあるので、バリトンという声域をそれほど積極的に聴くことはないのだが、バスティアニーニだけは別格なのだ。素晴らしいバリトン歌手は、バスティアニーニ以後も多くいるけれど、やはりバスティアニーニを聴くと、そのすべてのバリトン歌手がかすんでしまう。

オペラ黄金期、まさに世界を舞台に活躍した人だけに、「やはりバスティアニーニは別格」「彼の声を忘れられない」という人は多いようだ。「バスティアニーニ研究会」なる団体も存在しているほどだ。

彼の生涯を僕などが綴っても仕方がないのだと思う。「バスティアニーニ研究会」のホームページには詳細なる彼の生き様が書かれているし、伝記だってある。何年に何を歌ったとか、誰に師事したとか、バス歌手から歌手としてのキャリアを築いたとか・・・

そのような事実をツラツラ書いても仕方がないのだと思う。一応、ここはピアノのブログだしね・・・

ただ一つ、僕が思うことは、バスティアニーニも癌を患ったということだ。僕の場合は、多くの人に支えられているという実感があるけれど、彼の場合は、病気と一人で孤独に闘っていたという印象が強い。親しい人にも決して自分の病のことを打ち明けなかった。

僕が壮健で、そして病の事で悩むことがない幸せな人生だったとしたら、バスティアニーニという歌手を決して理解できなかった部分がある。その部分をツラツラと気ままに綴ってみるのもいいかもしれない・・・などと思う。

「何故、最愛の恋人と別れてしまったのだろう、何故自分から身を引いたのだろう?」
「何故最後まで自分が癌だということを隠していたのだろう?」
「癌だと公表しなかったことにより、声の不調を憶測されることになり、実際に歌劇場が契約を打ち切った時、彼はどのように耐えたのだろう?」
「かつてスカラの初日を自分が飾った演目のポスターを見ながら、弱り切った、歩くのもやっとの彼の脳裏に浮かんだものは何だったのだろう?」

そもそも世界的なオペラ歌手が咽頭という部位に癌を患うということは、どのようなことなのだろう?

多くの謎がある。僕自身、今では理解できることもあるし、今でも理解できないこともある。

シエナは以前にも訪れたことがある。その時は一人旅だった。イタリア語を理解できないながらも、バスティアニーニを自分なりに追ってみたことがある。その時、彼の墓を訪れた。小雨模様だった空が一瞬晴れた。光が眩しく墓地に差し込んできた。木々のざわめきが一瞬なくなり、あたりは「無」になった・・・

発病後、「こんなに辛いのだったら終わりにして楽になりたい・・・」と感じたことがある。特に化学療法を行っていた時には、そう感じることが多かった。「ここから飛び降りれば終わるのだな・・・」「ここで飛び出せば車に轢かれるんだなぁ・・・」とか・・・

彼の墓石の前で光に包まれた時、なんとなく「ここに来るために今まで死ねなかったんだ」と強く感じた。理由はないし、分からない。でもそのように感じたのだ。

その時、「追う価値のあるもの」という意識が音楽に対して芽生えたのだと思う。それは、自分が楽しいとか、そのようなことではなく、かといって音楽に精神修行的苦しさを望むでもなく、ただ触れる価値のあるもの、追う価値のあるものとして、音楽、僕の場合はピアノというものに対して、そのような感情が芽生えたのだ。

順調なピアノ人生ではなかったと思う。弾かなかった期間が、あまりにも長すぎる。でも、そのような後悔の気持ちも、その時消え去ったのだ。ただ触れたいと思う・・・そして追う・・・それだけなのだと・・・

僕自身、病を患うことよりも、せっかく「美」というものに触れるチャンスにありながら、それに触れることを逃してしまうことの方が不幸だと思う。なので、せっかくピアノを習いながら、「辞めたい」とか「弾けない」とか・・・そのような人、おもに子供だと思うけれど、そのようなことがあると、とても辛いのだ。本当に辛い時、その人を救うのは、目に見えない、ただ感じることのできる「触れたい」と思う存在なのだと思うから・・・

「追っていきたい」という気持ちは、その人を強くする・・・ただそれだけで・・・

バスティアニーニが友人に書いた手紙だ。彼の生涯最後の手紙だとされている。

「こんなちょっとした手紙を書くのもやっとなんだ。治療は凄まじいものだ。酷い字で申し訳ない。でもペンを握るのもやっとなんだ。君たちのことを、どれほど懐かしく思っているか・・・僕は毎分、毎秒、故郷を懐かしく思う。いつになったら、いつものエットレに戻れるのだろうか。素敵なクリスマスと幸せな1967年を。僕にとってもより良い年になるように・・・さようなら。また会おう。     エットレ」

エットレ・バスティアニーニ・・・1967年1月 永眠  享年44歳・・・



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